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2006年3月の記事

2006年3月29日 (水)

日本橋の桜

Pict1239a 昨日、東京の桜も満開ということらしい。今朝、通勤時に通る日本橋のたもとにある桜が撮った。すでに枝の先の方は、散っている。
今年は梅は遅く、桜は早いとのこと。これだと、小学校や中学校の入学式までは、持たないかもしれない。

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ひと休み(2)~メンテナンストラブル

昨日も、ココログの機能強化のためのメンテナンスがあり、メンテ終了後、アクセスが集中したようで、3月9日同様、記事の書き込みができなかった。

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2006年3月27日 (月)

人事評価の季節、自分の強みって何?

私の勤める会社では、3月は人事評価の季節だ。期初の10月にたてた下半期の目標の達成度合いを申告するのに加え、人事評価シートなるものに、自分の強みとそれを活かして実現した成果を書いて提出し、上司が、コメントを加え、人事部に提出し、それをもとに、7月に今後1年の昇格・昇給が決まる。どこの会社も多分似たようなものだろう。今の会社の評価シートは、合併前の会社のものよりは、個人の能力・強みとふさわしい仕事・業務の関係がうまく整理されていて、様式としては優れていると思う。あとは、運用の問題だろう。

米国に世論調査で有名な会社でギャラップという会社がある。ギャラップでは、世論調査の他に、コンサルティングもやっていて、長年にわたるコンサルティング業務の過程で、200万人にインタビューを行い、そこから人の才能・資質を34の行動パターンに分類している。ギャラップの考え方は、「三つ子の魂、百まで」に近く、人は生まれ育った生活環境などで15歳くらいまでにほぼ行動パターンは固まって、以後あまり変化しない。だから、企業が社員の短所を矯正するために研修等でいくら時間をかけても無駄で、長所・強みを理解し、それを活かし、より伸ばすことに注力した方が、効果があるとしている。

ギャラップでは、34の才能・資質のうち、それぞれの人の強み上位5つを提示する ストレングス・ファインダー>という手法を開発した。インターネット上の質問サイトで、30分ほど次々と示される質問にYES、NOで答えていくと、質問終了後に5つの強みを提示してくれる。関心のある方は、いずれも日本経済新聞社から出版されている『さあ、才能(じぶん)に目覚めよう』『あなたのなかにあるセールスの才能』 のどちらかを買われると、表紙カバーの裏に、1冊づつ別々のアクセスIDが付いていて、ギャラップのホーム・ページからストレングス・ファインダーにアクセスできる。(だたし、一つのIDで1回だけだ)

さあ、才能(じぶん)に目覚めよう―あなたの5つの強みを見出し、活かす
さあ、才能(じぶん)に目覚めよう―あなたの5つの強みを見出し、活かす

あなたのなかにあるセールスの才能
あなたのなかにあるセールスの才能

本を買い、私も試してみたが、原点思考、最上志向、運命思考、収集心、内省(それぞれの意味はプロフィールページに詳述)というのが5つの強みだった。なかなか、よく自分の強みをとらえていると思ったので、もう1冊買って、妻にもやってもらった。彼女の強みは全く違っていて、適応性、共感性、回復志向、ポジティブ、成長促進だった。
私もこれを知ってからは、改めて自分が分かった気がして、よくも悪くも、自分は自分と思えるようになったし、妻も、あらためて自分について考えるようになったようだ。この春から、高3になる長女にも、そろそろやらせてみてもいい頃かなとも考えている。

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2006年3月26日 (日)

母の帰郷

16日(金)の夜から、我が家に来ていた私の母が、今日の飛行機で、田舎に帰った。昨日は、友人と出かけた次女を除く、我が家4人と母とで、吉祥寺に行き、手芸が趣味の母はユザワヤでハギレを買い込んで、昼食に吉祥寺駅地下のロンロンで食べてから帰ってきた。今日は、2時過ぎの飛行機ということで、12時前には我が家を出て、羽田に向かった。

我が家にいたのは、ちょうど10日間。八王子の墓参り、親戚との集まり、叔母のところを訪問など、公式行事を済ませたあとは、足を少し悪くしていることもあって我が家にいて、外出は近くのスーパーに買い物に行く程度だった。当初、相手かまわずしゃべっているし、家の至るところ電気が点け放しだと、小言ばかりで、子供たちともうまくいかなのではないかと心配もしたが、子供たちもうまく付き合ってくれて、後半は我が家の6人目の家族として、なじんでいたような気がする。

妻とも話したが、しゃべるのは、誰かに聞いて欲しいからだろう。ただ、半分以上が親戚の噂話で、それもすでに何回も聞いたことが大半である。しかし、70歳を越えた老人にいまさら生き方を変えろというのも無理な話なので、なんとかこちらがあわせつつ、自分たちにとっても有効な「おばあちゃんの智恵」的なものを引き出すようにするしかない。
妻は、「1人で聞いていては、聞く方も、身が持たないので、家族5人で、交代しながら聞くこと」と言っていた。

長男は、母から、「お父さん(私のこと)は、昔は泣き虫で、運動も下手だった。それは、おじいさん(私の父)が、休みの日も会社に出ることが多く、キャッチボールもろくにしてやらなかったから…」という話を聞かされ、「なんで、お父さん(私)があまり遊んでくれないのか、納得した」という趣旨のことを話していた。多分、私がそのことをいくら長男に話しても言い訳にしか聞こえないだろうが、第三者であるおばあちゃんから聞かされれば、嘘ではないことは、分かるだろう。だからと言って、私が何もしなくても良いということにならないのは、もちろんだが、長男と私の関係に少し影響を与えたのも、間違いない。

母の方も、「みんなと一緒にいると、ご飯がおいしく食べられる」と言っていた。ひとりでいれば、作るのも片付けるのも面倒になり、栄養のバランスどころではないだろう。これからも、年に1,2回は上京するように、母には勧めている。

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ブログ1ヶ月、ブログは信用創造装置

2月26日にブログを始めて、ちょうど1ヶ月がたった。その間に、書いた記事が27本。ほぼ、1日に1本のペースだ。自分には、毎日書くことを課しているが、やはり、うまく話がまとめられずに書かずじまいの日もあるし、書いても自分でも文章の切れが悪いという日もある。始めるのは、簡単だが、続けるのは難しいと改めて感じる。

アクセス解析といって、何時頃、どういう経路で自分のブログにアクセスがあったかということも分かるようになっていて、自分が記事の確認で、アクセスした以外にも、1日10件から20件程度のアクセスをしていただいているようなので、読んでもらっているということを意識しながら、これからも書いていきたい。

読む側からすると、どれくらいの長さが一番読みやすいのだろうと考えて、自分の書いたものを読み直すと、おそらく800字ぐらいではないかと思っている。1行に40字表示されるので、20行というところだろうか。原稿用紙にして2枚、字数にして800字だ。その800字の中で、起承転結を考えて、まとめるのは、簡単ではない。

しばらく前に取り上げた 『ウェブ進化論』(梅田望夫著、ちくま新書)の中で、ブログについて取り上げていて、そこで著者はブログを個人の信用創造装置と位置づけている。
個人で仕事をする人にとって、誰かに初めて会う時に、検索エンジンで相手のことを調べ、ネット上の情報を読んでおくということは、当たり前のことになっているという。
その中で、ブログというものは、自己表現の場であるとともに、そこにと書かれた記事を通じて、そのブログの管理者の人となりのようなものが、自然に浮かび上がり、信頼に足る人物かどうかが分かるということのようだ。名刺や履歴書以上に、明確にその人物の姿を表すブログ、いずれはビジネスのあり方、仕事の仕方も変えていくのかもしれない。

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)
ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

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2006年3月25日 (土)

担任の先生は選べない

子供が親を選べないのと同じように、親も子供も学校の担任の先生を選べない。どんな担任の先生に巡り会うか、それは運としか言いようのない面がある。

昨日、小5の長男とつくばエクスプレスに乗りながら、学校のことも聞いてみる。3学期の通知表をもらったばかりの彼は、2学期より成績が多少上がっているので、機嫌が良い。普段は家に帰ってきても、学校の書類など、妻から言われなければ出しもしないのに、終業式の日は、自分から「はい、通知表」といって見せたほどだ。

長男は、小学校3~4年の2年間、男の先生が担任だった。この先生は、かなり厳しい先生で、短所を厳しく指摘し、矯正しようとするタイプだった。長男は、親のしつけも不十分だったせいもあって、だらしない面も多かった。靴のかかとを踏んで歩く、字を書くのも乱雑。その先生には、いちいち、気にくわなかったようで、いつも学校で怒られていた。
かけ算九九を覚える時に、腕に書いて覚えようとしたことがあった。暗唱しようとして、わからなかっら、腕をまくって答え合わせをするというものだ。彼なりの工夫である。いかし、先生はそれを見つけて、そんなのはダメだと頭ごなしに烈火のごとく怒ったという。
妻も、面談等ではお宅の子は、頭はいいかもしれないが、努力せず、楽しようとするから将来絶対伸びないと決めつけられていた。父親である私も、一時は教員も将来の選択肢に加え、中学・高校の教員免状取得し、教育実習にも行ったという自負もあり、怒り方に納得がいかず、よほど直談判しようか考えたこともあった。

幸い、その担任の先生は、5年生になる時のクラス替えで長男のクラスの担任ではなくなった。今の担任は女の先生で、長男の積極性を認めてくれている。ほめてくれているようだ。(ちょっと買いかぶりすぎではと逆に心配だが…)。いつの間にか、長男は靴のかかとも踏まなくなったし、字も少しは丁寧に書くようになったようだ。それは、もちろん、先生が代わったことだけが理由でもないと思うが、やはり、最初から自分の行動・存在を否定的に見られているのと、認めてもらった上で叱られたり、指導されたりするのでは、生徒の側の受け入れ姿勢も違ってくるだろう。

小学校最終学年を迎えるに当たって、今の担任の先生が持ち上がってくれることを、願っている。

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2006年3月24日 (金)

つくばエクスプレス

08_ph01_s 今日は、1日休暇を取って、3学期が終わったばかりの小5の長男と開業して間もない「つくばエクスプレス(TX)」に乗った。TXの運行会社である首都圏新都市鉄道(株)に知り合いがいて、1度乗って欲しいと頼まれていて、ようやく約束を果たした格好だ。
(左の写真は、つくばエクスプレスのホームページよりダウンロード)

秋葉原からつくばまで、最速の快速で45分。午後から出かけたので、TXの秋葉原駅に着いたのが、3時過ぎで、3時発の快速が出た直後だったので、 各駅停車で途中の守谷まで行き、そこで、少し待って、つくば行きに乗り継いだ。秋葉原を出て、ほぼ1時間で、つくばに着いた。長男が、秋葉原探索をしたいと言っていたこともあって、駅前のショッピングゾーンで、ちょっとぶらぶらして、ハンバーガーを食べ、30分ほどで、帰りの列車に乗った。帰りは、区間快速で、つくばから秋葉原まで52分である。
秋葉原に戻ったのは、6時近く。それから、1時間ほど、長男のゲームセンター巡りにつきあって、戻ってきた。

つくばエクスプレスが、まだ常磐新線と呼ばれ、首都圏の大型鉄道プロジェクトとして騒がれていたのが、つい昨日のことのようだ。計画当時は、バブルの盛りで、鉄道新設により沿線の地価が上昇するので、その値上がり益を「開発利益」と称し、それをどのようにして、多額の投資をした鉄道会社が享受できるようにするかと言った議論がされていたように思う。当時と比較して、秋葉原の駅と駅周辺の変貌はすさまじく、時の流れを感じずには、いられなかった。

どちらかといえば、私の用事に、長男をつきあわせた形になったが、これから思春期を迎え難しい年頃になり始めることもあり、家族5人の中で、男どうし2人だけで行動する時間を作っていくことも必要だろうと考えている。

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2006年3月22日 (水)

家族における全体と個人

昨日、春分の日は、WBCの決勝を見終わったあと、上京している母と我が家族を連れて、叔母(母の妹)の家に行った。つい最近、戸建ての家を売り、新築マンションに住み替えたばかりだ。新居のお披露目もかねて、お招きに預かり、食事をご馳走になった。ただ、もっぱら、母と叔母のおしゃべりが中心で、3人の我が家の子ども達にとっては、退屈だったようだ。

家に帰ったのは、夜の9時過ぎで、作文の宿題があったことを思い出した、中2の次女は、突然、「私は行きたくなかった。私の貴重な休日を返せ!この間も、お墓参りで、休みが潰れたじゃないか!」と泣きわめき出した。大荒れだ。
親としても、連日、社交儀礼に連れ出した弱みもあり、なるべく、刺激しないように、なだめるのだが、なかなか、怒りは収まらないようで、30分ほど吠えていた。

今、我が家の5人の価値観は大きく変わりつつある。高2の長女は、すでにGoig mywayで、自分の世界を確立しつつある。中2の次女は、もとより自己主張が強かったが、今はいわば子供と大人の間で、さらに扱いが難しい時期だ。一方、まだ小5の長男は、最近急に背が伸びて姉たちと変わらなくなったが、まだ、親にも甘えたいし、家族で一緒に何かをするということに、けっこうこだわりを持っている。

家族も一つのチームであり、社会の中で最小単位の組織であり団体だと思っている。家族のために何かする、ということを意識させることも必要ということで、家族での団体行動を強いることもあるが、一方で、子供達が家族に依存してしまい、個人として独立できないのも困る。その舵取りは、父親の役目だが、いつも試行錯誤の連続だ。最後は、自分を信じて子供達と向き合うしかないと思っている。
(次女は、30分ほど叫び続けたら、ストレス発散が終わったのか、おとなしくなった)

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2006年3月21日 (火)

王ジャパン、WBC優勝!

wbc0321win王ジャパンが、とうとう、やってしまった。宿敵キューバを破って、WBC優勝である。
http://www.major.jp/news/news20060321-13268.html

やはり、決勝は気になって、TV中継を試合開始から見ていた。幸先良く、1回の表4点先取でスタート。1回裏に松坂がいきなりホームランを浴びたが、5回に2点を追加したところまでは、日本の守備も良く、完全に日本ペースだった。
しかし、6回裏、川崎のエラーから2点失い、更に8回裏にホームランで2点追加され、1点差となった時点では、キューバの追撃の足音がすぐ背後に迫っている感じで、どちらに勝利の女神が微笑んでも、おかしくなかった。あえて言えば、6回裏のいやなムードを引きずり7回裏にも2つのエラーをした際に、浮き足立たずになんとか零点で抑えたのが大きかったと思う。

9回表は、日本チームの勝利への執念を感じたイニングだった。送りバント失敗後の1死1塁で、西岡が1、2塁間の真ん中へのまるで絶妙なセフティバントを決めたことは、キューバの動揺を誘ったという意味で、この試合の大きなポイントだった。その後、イチローが、期待通りにタイムリーを放ち、2塁走者川崎が相手捕手のブロックをかいくぐり、右手の指先でのホームベースの隅に芸術的とも言えるタッチをして、貴重な追加点をもぎ取った。その後、代打福留が準決勝に続き2点タイムリー、小笠原の浅めのライトフライに3塁走者松中が必死で走りタッチアップ。誰もが次の1点を貪欲に狙っていた。その結果、この回、一気に4点。勝利を確実にした。

トリノの冬季オリンピックで、日本選手は頑張っているものの、あと一歩でメダルを逃すケースが続き、唯一、荒川静香のフィギア金メダルが日本人のモヤモヤ感を払拭してくれたが、総じて、日本で応援した人たちにはフラストレーションがたまっていたと思う。
今回のWBCの王ジャパンの起死回生の優勝は、大会前、そして2次予選までは、ほとんど期待していなかった分、プラスの効果も大きい。日本人の自信の回復と満足感にもつながり、景気の「気」の部分にも明るい材料として寄与することになるだろう。

帰国後の王ジャパンは、大歓迎を受け、引っ張りだこになるはずだ。今、長い不況で自信喪失した日本人はヒーロー、スターを求めている。王ジャパンは、2ヶ月間、苦労したのだから、少しはヒーローとして、いい気分を味わってもらいたい。

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2006年3月20日 (月)

ブログのすごさ、こわさ 梅田望夫著『ウェブ進化論』から

昨日、王ジャパンの快勝に感激して、そのことをブログに書いた。おそらく、昨日のTV中継を見て、そのことをブログに書き込んだ人はたくさんいたのだろうと、私の入会したココログで、、スポーツにカテゴリー分けしてある新着記事に目を通すと、その90%とは、私のように日本チームの快勝をよろこぶ記事だった。

いくつか、内容まで読んでみると、勝利をよろこぶ内容はもちろん、ぜひ優勝してほしいというもの、福留やイチローなど活躍した選手を讃えるもの、なかにはWBCの運営にコメントするもの様々だった。それが、試合終了から数時間で、ココログだけで100以上あるいはもっと多く ブログに書き込まれただろう。ココログ以外のブログサービスもあわせれば、その数は千の単位、あるいは万の単位にもなるかもしれない。

今月になって、梅田望夫という人が書いた『ウェブ進化論』という本を読んだ。

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)
ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

今後のインターネット社会を予言する本だが、その中で、日本のブログ人口は500万人を超えたと書かれている(ちなみに米国は2000万人)。
私と同じ1960年生まれの梅田氏は、米国のシリコンバレーを生活の拠点にしているが、昨秋の総選挙の時、日本のブログでの総選挙に関する書き込みで、自民党小泉首相支持が圧倒的に多いのを読んで、小泉圧勝を確信したという。
ブログは個人にとって、手軽な自己主張の場であるが、それが、500万人ともなれば、玉石混交とはいえ、そこに、一つの方向性のようなものは見えて来るのだろう。

昨日の王ジャパンの書き込みを見ながら、梅田氏の主張を何となくではあるが、実感した気がした。世論調査をせずとも、大衆に総意が浮かび上がってくるブログというのは、すごい仕組みだと思う一方、その浮かび上がる大衆の総意を読み取り、利用する人が出てきた時には、どう悪用されるか想像もつかない、こわさも秘めている。

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2006年3月19日 (日)

王ジャパン、WBC決勝進出

top王ジャパンが、WBCの1次予選、2次予選で負け続けた韓国にとうとう勝った。http://www.major.jp/news/news20060319-13212.html

そういえば、中継があったはずだと、TVをつけると、6回表の日本の攻撃が終わり、6回裏の韓国の攻撃が始まるところだった。0対0の息詰まる投手戦だった。
そして、7回表、松中の二塁打を皮切りに代打福留のホームラン、さらに小笠原のデッドボールに、里崎、宮本、イチローとヒットが続き、松中に2回めの打順が回る打者一巡の猛攻でこの回5点。これで勝負ありだった。

これまで、米国戦でのおかしな判定問題など、選手にとっては納得のいかない結果だったと思うので、日本で見ているファンだけでなく、選手も大いに溜飲を下げたと思う。

決勝の結果は、もちろん分からないけれど、2次予選で、王ジャパンが1勝2敗となった時、誰が、このチームの決勝進出を予想しただろうか?

「最後まであきらめない。あきらめたら、そこで終わり。」あらためて、教えられたこの数日だった。決勝では、勝っても負けても、選手達が実力を発揮して、納得できる試合をしてほしい。

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2006年3月18日 (土)

妻の工夫

今日は、高尾にある都の霊園まで、お墓参りに行ってきた。私にとって、母方の祖父母、すなわち母の父と母のお墓である。我が家からは、お墓までは相応の距離もあり、多摩川を越えねばならず、彼岸の入りの土曜日ということもあって、朝9時過ぎに出たものの、霊園に着いたのは正午近かった。

母の途切れることのないおしゃべりの聞き役をしてくれている妻は、時間を無駄にしないため一計を案じた。母が得意とする編み物を教えてもらうということにして、話を聞きながら、毛糸で編み物をすることにしたのだ。今朝から始めて、今日の行き帰りの車の中でも、母の話を聞きながら編み棒を動かし、毛糸の帽子を一つほぼ作り上げてしまった。
自分の得意なことを教えて欲しいと言われ、母はよろこんでいるし、妻も、これまであまり得意でなかった編み物の指導が受けられるということで、一石二鳥の解決策だった。
妻には、ひたすら、感謝だ。

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2006年3月17日 (金)

母の上京に、同居の現実を思う

今日の夕方、母が我が家にやって来た。前回、来たのは、4年半ほど前で、今の家を買った直後だった。

とにかく、よくしゃべる。しゃべり疲れないのだろうかと、こちらが思うほど、途切れることがない。昨日まで行っていた妹の家族の話、福岡にいる弟の家族、親戚の話、自分が子どもだったころの話(戦争中で、疎開の経験がある)、私が子どもだった頃の話。
私の子どもたちは、しばらくいると聞き役が面倒になって自分の部屋にこもってしまう。聞き役は、もっぱら妻の引き受けてくれている。おばあちゃん子だった妻は、年寄りの相手が苦にならないらしい(あるいは、我慢しているかもしれないが…)。介護ヘルパー2級の資格を取って、我が家の近くのお年寄り相手のデイケア施設にパートに通っているほどだ。

しかし、それにしても、母はどうして、切れ間なくしゃべり続けるのだろうか。無愛想だった父にあまり聞いてもらえなかった代償を今求めようとしているのだろうか。きっと、何か満たされないものを埋めようとしているのだと思うが、核心のところはよく分からない。

もし、同居することになれば、この果てしなく続くおしゃべりの相手を誰かしなくてはならない。聞き役になる妻の方は、聞いている間、何もできない。しゃべっている母の方は、自分が相手の時間を拘束し、無駄に消費させていることに気がつかない。
おそらく、こんな日常の小さなすれ違いをどう埋めていくのかが、親との同居で現実に向き合わなくではならない課題なのだろう。自分の母親とはいえ、前途洋洋ならぬ前途多難だ。

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2006年3月16日 (木)

母の上京

今週、私の母が上京している。妹夫婦のところの子どもが幼稚園の卒園、小学校入学ということで、お祝いもかねて来ていて、明日から、我が家に来る。

父が、私が結婚した直後に亡くなったため、母と姑(しゅうとめ、父の母)と同居生活が始まった。最初は、妹、弟も一緒だったが、それぞれ結婚して独立した後は、嫁と姑の2人の生活が続いた。その姑も、90才を過ぎ、転倒して骨折し、入院。2年ほど入院生活をした後、一昨年の夏に亡くなり、いよいよ、母ひとりの生活が始まった。すでに、母自身も70才を過ぎている。
上京して、私の家に同居しないかと話したこともあるが、父と苦労して建てた住み慣れた我が家は離れたくないらしく、今でもひとり暮らしをしている。幸い、実家のある福岡には、弟夫婦がいるので、たまに彼らが様子見に顔を出してくれているが、子どもも小さく、あまり当てにする訳にもいかない。

これまで、長く姑と同居して、苦労もしているだけに、なるべく母の好きにさせてやりたいとは思うものの、70才の老人をひとりで遠方でひとりで生活させているのも、心配の種である。弟からは、『相当、衰えてきた』とも言われていて、悩みはつきない。

ようやく子育てが一段落したと思ったら、次には親の介護という問題が迫っている。今回の上京を機に、母親本人とも話をしなければならないと思っている。

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2006年3月15日 (水)

転職した人、しない人

今日は、北海道に転勤する前、同じ職場で働いていた同僚に誘われ、飲みに行った。

彼は、私が北海道から東京に戻るのが決まった、昨年の9月末に、自分の価値を正当に評価してくれない今の職場に見切りをつけ、誘ってくれる人もあり、新たな職場に転職した。辞める時、わざわざ、北海道まで電話をくれた。私が東京に戻ったら、一度会いましょうと言っていて、なかなか果たせず、今日、やっと実現した。

彼は、これまでの仕事とは全く畑の違う仕事に身を投じて、かなり忙しいそうだが、充実しているように見えた。

「何のために働いているの?」これは、働いている限り、永遠のテーマだろう。崇高な理想を言えば「自己実現のため」、卑近な現実を言えば「生活し、家族を養うため」。
その時々の職場の環境次第で、その間を針は振れ、答えも変わる。職場環境の中で、大きな要素を占めるのが、その場での人間関係だと思う。お互いに認めあえるような、上司や同僚に恵まれるかどうかで、やる気にもなればくさりもする。

私にとって、彼はそういう恵まれた同僚のひとりだった。今の私の働きメーターは、「生活し、家族を養うため」にかなり振れているが、その中でも、なんとか「自己実現」の機会をうかがって、もう少し頑張ろうと思っている。

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2006年3月14日 (火)

日比谷公園の梅

PICT1224a 仕事の行き帰り、日比谷公園を通ることが多い。3月も半ばというのに、肌寒い日も多いが、今日、梅が咲いているのに気がついた。公園のなかほどのつつじの山に、紅梅の木があり、すでにピンクの花が満開だった。

丘には、映画「ナルニア国物語」の「ライオンと魔女」に出てきたガス灯のようPICT1226aな電灯が立っていた。普段何気なく通り過ぎている場所も、ふと、足を止めて眺めてみると、ちょっとした発見があるものだ。

(画像をクリックすると拡大されます)

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2006年3月13日 (月)

『生きる意味』と『マトリックス』

東京工業大学の助教授に上田紀行という文化人類学の先生がいる。1958年生まれ、私より2才年上だ。

昨年(2005年)の1月に、岩波新書から『生きる意味』という本を出している。

生きる意味 (岩波新書)
生きる意味 (岩波新書)

私は、1ヵ月ほど前、行きつけの書店で、タイトルに惹きつけられてられて、手にした。本の帯のキャッチコピーには「本当に欲しいものが分からないあなたへ~著者渾身の熱いメッセージ」とある。

これまで、漠然と自分が感じていたことを見事にえぐり出して書いてくれている本だった。上田先生の主張を私なりに要約すれば、

「これまでの高度成長時代、日本人は、周りのみんなが求める求めるものを、求めるように仕向けられてきた。三種の神器や3Cといわれた「モノ」を求め、教育も、ひたすらより良い学歴を求めることを目指すように仕向けられてきた。その結果、誰もが同じような生き方をしてきた。高度成長で全体が成長し、誰もがそのパイの拡大の恩恵に与れたた時代には矛盾は生じなかったが、バブル崩壊後のリストラの嵐の中で、周りと同じ生き方をしてきた我々は、突然、あなたの代わりはいくらでもいるよと、言われ、自分がかけがえのない存在であると思うことができず、多くの人が生きる意味を模索しているが、見つけられていない」

「経済成長は、日本人の生活を豊かにするための手段であったはずなのに、不況が続く中、経済成長そのものが目的化され、我々一人一人が、経済成長に貢献するための一要素としての常に経済合理性を求めて行動するカタカナの「ヒト」として扱われている」

関心があれば、詳細はぜひ本書を読んで欲しいが、そもそも人生の中で転機に当たる中年の時期に、このような状況に遭遇した我々の世代は、より生き辛く、生きる意味が見つけにくくなっていると思う。

私は、ふと、この本を読みながら、しばらく前に流行った『マトリックス』という映画を思い出した。近未来の世界では、人間はコンピューターを動かすための発電の道具として、羊水のような液体の入ったカプセルの中に入れられている。その中で、コンピューターの作り出す仮想現実の世界を見せられて、眠っている。大多数の人間は、そのことにさえ、気づいていない。コンピューターの征服を免れた、一握りの人類だけが、地球の地下深くで逼塞した生活を送っている。そこに、ネロという救世主となる主人公が登場し、コンピューターの手先となっている仮想現実の世界の人々と戦う。そのアクションシーンの斬新さが、『マトリックス』のヒットの要因ではあると思うが、そのヒットの背景には、観客が、自分たちも、現実世界で幻想を見せられて管理されているだけという思いがあったのではないだろうか。

では、上田先生は、生きる意味を見つける特効薬を示しているのか?否である。自分を見つめ、自分に気づき、自分にしかできないことを探し、自分自身が内的成長をしていくこと。他人とは交換できない自分であることを感じられるようにすることという、極めて当たり前であるけれど、でも簡単ではないことを書いているだけだ。

だからと言って、この本の価値が下がるとは思わない。この本は、我々がこれまで、どういう時代を生きてきたかを気づかせてくれる本である。それをヒントに、自分の「生きる意味」を考えることは、自分の問題であり、人任せにはできない。

私は、同世代といえる昭和30年代生まれに、上田氏のようなオピニオンリーダーが登場したことを誇らしく思う。団塊の世代やそのジュニアの世代には、量では叶わない。彼らはマスで行動し、時代の流れを作ってしまう。なかなか抗しがたい。せめて、我々の世代は、考えることで、オピニオンリーダーになることで、対抗していきたいと考えている。

著者が、本書の姉妹編として書いた『がんばれ仏教!』(NHKブックス)もお勧めだ。

がんばれ仏教! (NHKブックス)
がんばれ仏教! (NHKブックス)

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2006年3月12日 (日)

ドラマ「指先でつむぐ愛」を見て

一昨日の夜、フジテレビのドラマ「指先でつむぐ愛」を見た。新聞の番組欄に載っていたので、見てみようかと思っていたら、妻もそう思っていたようで、2人で見た。

9才で失明し、18才で耳も聞こえなくなった全盲聾の福島智さん(現東京大学助教授)を中村梅雀さんが、その妻光成沢美さんを田中美佐子さんが演じている。原作は、沢美さんが書いた『指先で紡ぐ愛』(講談社)である。

指先で紡ぐ愛
指先で紡ぐ愛

福島さんは、子どもの頃の記憶で喋ることはできるが、外部からの情報入手は、指点字という通訳者の指の「手話」だけである。

2人がリハビリセンターで講師と生徒として出会って、互いに思いを寄せ、結婚するまでの前半。夫婦となってから、2人の出会った東京を離れ、金沢大学で助教授として教える夫を妻、通訳者として公私ともに支える中で、沢美さんは、自分の存在・役割に疑問を感じ、葛藤が起きる。最後には、その思いを夫にぶつける。

福島さんは、『自分を大切にできない人間は、他人も大切にできない』『一人で生きていけない人間は二人でも生きていけない』と言い、『君が何かをしてくれるから一緒にいるのではない、君の存在そのものが自分には必要なのだ』と語りかける。

障害者の夫とその妻という形で表現されているが、底流に流れるテーマはどの夫婦にも共通の問題だろう。原作も読んでみたい。

ドラマのあらすじや主演2人のコメントはフジテレビのホームページに掲載されている。ドラマ→金曜エンタテイメントと進み、「指先をつむぐ愛」バナーをクリックすると見ることができる。(勝手にリンクは張れないようなので)

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2006年3月11日 (土)

デジタルカメラ、記念と記録

旅行に行く時はもちろん、ちょっとした外出の時も、デジカメを持って出るようにしている。フィルムカメラの時代から、写真を撮るのは好きだった。

フィルムカメラの難点は、現像する必要があり、現像すればフィルムを、プリントすれば写真を整理しなけらばならないし、コストもかかる。また、撮影の時、フィルムの枚数を考えて、撮らないと肝心のシャッターチャンスで、フィルム切れというリスクもあった。

それらを全て解消してくれたのが、デジカメだ。さらにデジカメのいいところは、撮影日時を黙っていても記録してくれるので、デジカメ写真を並べれば、そのまま行動の記録になる。今は、記念と記録の両面で、デジカメを使っている。

現在は、記念写真用がニコンのCOOLPIX5700(500万画素) 、01

 

記録用がコニカミノルタのDimageXg(320万画素)である。

07blue_pict001

 

 


これまでに、デジカメで撮り貯めた写真を整理して、このブログ(マイフォト)に載せることにした。第1弾は、日本百名山のひとつ「羊蹄山」を選んでみた。4月の雪の多さにも、ご注目願いたい。

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2006年3月10日 (金)

ひと休み

3月に入って、毎日、ブログを書いてきたが、昨日はひと休みになってしまった。

本人は、「今日も書くぞ」とパソコンに向かったのだが、「ココログ」のサーバーが夜の9時までメインテナンスで使えず、メンテが終わってアクセスしようとしたら、今度は全く繋がらず、12時まで粘ったけれども、結局、だめだった。
サーバーの調子がおかしかったようだ。メンテが終わるのを待っていた会員がいっせいにアクセスしたからかもしれない。

あまり無理して続けていると、すぐネタ切れになるぞとの、天の声だったのかもしれない。

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2006年3月 8日 (水)

親と子の連鎖

長女が生まれた時、全然よろこばなかったと言って、今でも妻に恨まれている。TVドラマによくある、初めての子どもが生まれて大はしゃぎする父親を期待されていたらしい。
決してうれしくなかったのではない。しかし、この子をこれから一人前になるまで育てていかねばならないという責任の方をより感じて、はしゃぐ気にはなれなかった。

確かに、生物学的には親になったのかもしれないが、そうなって初めて、自分が親としてどう振る舞えばよいのか、まったく手探りであることに気がついた。手本は、自分の父、母しかないのだ。

私は、子どもと無邪気に遊ぶということができなかった。(これも妻に恨まれている)
突き詰めて考えると、自分が父に遊んでもらった記憶がほとんどない。新聞記者だった父親は、朝の出勤が遅い分、夜帰ってくるのも遅く、土日も出勤ということが多かったし、土日が休みの時は疲れていたのか家で寝ていることが多かった。
記憶をたどっても、幼い頃一緒にプラモデルを作ったことが一回、中学生の時、家族で熊本まで日帰り旅行したことが1回。将棋は何回も指したが、キャッチボールなどはした覚えは全くない。自分が遊んでもらったことがないので、どうすれば子どもがうれしいのか、実感がわかないのだ。

子どもが小さい時の遊び相手は、保母の資格も持っている妻に任せきりだった。唯一、私がやったことは、北陸で暮らした5年間(ちょうど長女の小1から小6まで)、家族でよく旅行したことぐらいだ。北陸一円はもとより、佐渡、上高地、北海道、奈良、伊勢志摩、夏休み山陰路を車で福岡まで泊まりながら帰ったこと。これとて、子どもの見聞を広めることもあったが、それ以上に自分がいろいろなところに行きたかったということがあった。

一方、父は、仕事柄、家族の前で、時事解説のようなことをよく話していた。世の中の出来事には、必ず裏がある。子ども心にそう感じていた。その父は、私が結婚した年の9月、妻のお腹の中の初孫の名前は考えてくれたが、顔を見る前に亡くなった。これから、親の先輩として教えてほしいことが、山ほどあったのに…。

結局、自分も、子どもたちに語ることしかできない父親になってしまった。子どもたちが、思春期を迎え、進学や就職で悩むこれからが、父親としての自分の出番ということで、妻とは役割分担している。これから、存在意義が問われる父である。

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2006年3月 7日 (火)

『中年クライシス』

ブログのサブタイトルに使ったこの言葉は、私の好きな作家の一人河合隼雄が1993年に書いた本の題名である。

河合隼雄氏は、臨床心理学者で心理療法家。作家というよりは、心理学の先生だが、数々の文学作品を、心理学的に分析した読み物を多く出している。長らく、京大の教授だったが、現在は文化庁長官を務めている。

「中年というのは、最も意気盛んで安定期に見えて、実は、職場、家族などの多様な問題に直面して、心の危機をはらんだ時期である」というのが、心理学から見た中年の位置付けである。その中年の心の危機を、日本の文学作品から解き明かしたのが、『中年クライシス』という本である。

中年クライシス (朝日文芸文庫)
中年クライシス (朝日文芸文庫)

生まれて、学校に行き、就職し、結婚する。30代は、仕事や子育てに追われるうちに過ぎていく。職場でのゴールも見え始め、子どもも育ち、育児の負担が減ってきたと思い、ふと立ち止まると40代になっている。「自分はこれから、どうすればいいのか?」そこに、中年の心の危機が生じる。人生50年といわれた時代は、考える間もなく、死がやってきたが、人生80年の現在では、その問いに答えを見つけないまま、生き続けることは困難である。そんな中で、中年期の病気や事故は、次の新しい展開への踏み台としての意味も持っているという。

自分の昨年の骨折・入院というのも、一度、立ち止まって、今後を考えろということだったのかもしれないと、最近になって思う。
一方、私の妻も、末っ子が小5になり、昔ほど手がかからなくなって、しきりと、「自分の人生を、子育てと家の片付けだけで終わらせたくない。これから死ぬまで、もっといろいろなことがやりたい。若い頃、もっと勉強しておけば良かった。」と悔やんでいる。(喫茶店計画も、そんな彼女の将来の模索の中から出てきたものだ)

中年の心の危機の時に、支えになるのが、家族であり、仲間だろう。特に、夫婦は、その際の最も当てにしたいパートナーである。92年に書かかれた『対話する人間』という本の中で、その様子が時代劇のチャンバラに例えられている。中年までは、周りを取り囲む多くの敵(仕事や子育て)に立ち向かうため、夫婦は背中合わせで協力してきたが、いざ敵がいなくなった時、向かい合ってみると、自分のパートナーはこんな奴だったのかということになる。そこから、夫婦の対話という、困難な大事業が始まる。
40代になって、高校の同級生のホームページができ、同窓会も年に数回催されるようになった。これも、中年クライシスを、昔の親しい仲間で、助け合って乗り越えようという、多くの人の潜在的な意識の現れではないかと考えている。

対話する人間 (講談社プラスアルファ文庫)
対話する人間 (講談社プラスアルファ文庫)

*河合隼雄関連の記事
3月7日:『中年クライシス』
8月24日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態
9月1日:『明恵 夢を生きる』を読み始める
9月5日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態・その2
9月7日:『明恵 夢を生きる』を読み終わる
9月8日:90年代後半の世相を語る『縦糸横糸』を読む

11月1日:河合隼雄文化庁長官、休職

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2006年3月 6日 (月)

春一番とお水取り

今日は、関東地方にようやく春一番が吹いたそうだ。昨年よりも11日遅いという。ようやく梅の花もほころび始め、茶褐色だった木々に彩りを添えている。

今日は、我が家の18回目の結婚記念日だ。新婚旅行で奈良と伊勢・志摩を巡った。ちょうど、奈良では、東大寺二月堂のお水取りの時期で、夜、東大寺まで火の粉を浴びに行ったのを思い出す。

なぜ、妻と結婚したのか。当時の私は、誰かに話を聞いてもらいたくて仕方なかった。彼女が、私の話を、一番おもしろがってきいてくれた。しかし、自分のことを話すのに夢中で、相手の話はあまり聞いたいなかったのかもしれない。その年の年末には長女が生まれ、なれない東京での社宅暮らしに子育てのストレスも重なったのか、過換気症候群になって救急車で病院に運ばれたこともあった。

最近は、日曜日の朝、子ども達が起き出す前に、2人で近くの駅まで片道30分の散歩をしている。駅前の喫茶店でコーヒーを飲んで、帰りも30分歩く。歩きながら、私が聞き役になるように心がけている。

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2006年3月 5日 (日)

受験生の親として考えること

4月から、娘2人がそれぞれ高校3年と、中学3年に進級する。受験生だ。

高度経済成長の終焉、人口減少社会の到来により、自分たちが生きてきた時代とは社会の枠組みが大きく変化する中で、子供たちの進路選択にどういうアドバイスをするべきか、親として悩みはつきない。

自分が受験生だった昭和50年代前半は、勉強をしていい成績を取り、より難易度の高い高校、大学に進学し、一流企業に入ることが、成功者であると信じられていた。少なくとも、我々の親の世代は、その方程式がそれなりに機能していた。しかし、そのレールに乗って走ってきた我々の世代は、バブル経済の崩壊により、多くの一流企業が消滅し、ゴールを切る前に、つまずいた人の方が多いだろう。

それでも、自分の周りを見渡す限り、学歴信仰は根強く、進学校に子供を進学させようという親は多い。
それは本当に子供のためになるのだろうか?窮地に追い込まれた時、いい学校の出身者が、そうでない人より、常に力を発揮しただろうか。社会に出て働いている親には、必ずしもそうではないことはわかっているのに、子供には、従来のレールを走らせようとする。私には、親にとって、その方が世間体がいいから、なんとなく安心できるから、やっているだけと思えて仕方がない。

これからの社会は2つの点で、これまでと大きく変わると考えている。一つは、企業・家庭でのIT化が進む中で、単純な事務処理作業は、急激に減っていく。デスクワークに求められるのは、考える仕事だけになる。従来、企業で一般職といわれる人(主に女性)が行ってきた事務処理の仕事は、大部分、コンピューターに取って変わられる。二つめは、人口減少社会の進展で、より一人一人の消費者の存在感が増し、個々人の個性、感性を満足させる商品やサービスが求められることになる。

結果として、これからの社会で求められる人材は、自分で考え、問題を見つけ解決することができる人、また人の感性に訴えるものやサービスを作り出せる人ではないかと思っている。

娘たちには、何か人の感性に訴えることができるモノ作りの技術を身につけて、社会の巣立っていってほしいと考えている。
4月に高3になる長女は、宣言しただけで、ずっとホームページを作れずにいた父親を尻目に、自分描いたイラストと好きな音楽を紹介するホームページを立ち上げてしまった。将来は、服の型紙を作るパタンナーになりたいと言っている。

中3になる次女は、小6の学芸会で準主役をやったことがきっかけで、演劇に目覚め、中学でも演劇部に入った。その一方、家では、母親の代わりに家族の食事を作ったり、ケーキ作りを趣味にしたりしている。制服のある高校には行きたくないと主張しており、次女にふさわしい高校を探すのが、この春の我が親子のテーマの一つである。

しかし、子育ての一番難しいところは、やり直しがきかないところだろう。私が想定したような社会にならなかった時は、子どもたちに自分で考えてもらうしかない。せめて、自分で考える力だけは、身につけさせなくてはと考える毎日だ。

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2006年3月 4日 (土)

物書き志願

妻の夢は、喫茶店を開くことだが、自分の夢はと自問すると、これといったものが浮かばない。あえて言えば、「物書き」だろうか。亡くなった父が、新聞記者をしていたことも影響しているかもしれない。

小学生の頃は、作文が大の苦手だった。6年生の時だ。国語の授業で作文の宿題が出た。どうしても題材が思い浮かばず、半ばやけくそで、学校から帰って夜まで、とうとう作文が一行も書けなかったという作文を書いた。ふざけた話だ。しかし、何故か、その作文は評価され、区の作文コンクールのクラスの代表作に選ばれ、あろうことか、学校からの出品作2作のうちの1つに選ばれたのだ。
もちろん、そのようなふざけたテーマの作文が、まじめに書かれた他の学校の生徒の作品にかなうわけもなくコンクールでは佳作に終わったが、それでも、入選作をまとめた文集の巻末の佳作の欄に自分の名前が印刷をされているのを見た時は誇らしい気持ちがしたし、長年、苦しめられてきた作文コンプレックスから解放された気がした。

その後は、プライベートでは、中学生から社会人になって数年間日記を書いていたし、職場でも、一時期、調査セクションに配属され、業界調査のレポートを何冊か書いた。
おそらく、自分にとって書くことが自己表現の手段なのだ。ただ、悲しいかな、お話を創作する才に恵まれているとは言い難く、情報を集め、分析する方が得意なので、ノンフィクションを書く方が向いていると思う。

話は全く変わるが、作年(2005年)は、ムーミン60周年だったそうだ(ムーミン公式サイト)。フィンランドの女流作家トーベ・ヤンソンが作り出したムーミン谷の世界。ムーミン屋敷の主ムーミンパパは、いつも机に向かって書き物をしている。彼は、若い頃の冒険旅行の思い出を書いているのだ。(『ムーミンパパの思い出』としてまとめられている)。

ムーミンパパの思い出 (講談社文庫 や 16-6)
ムーミンパパの思い出 (講談社文庫 や 16-6)

喫茶店のマスターをしながら、ムーミンパパのように物書きができれば、それはそれで夢がかなったことになるのかもしれない。個人的には、スナフキンの大ファンなのだけれど…。

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2006年3月 3日 (金)

喫茶店のマスター?

私の妻は、今、パン作りにはまっている。パン作りの教室に通い、これまでベーカリーショップで買っていたようなパンを作っては、家族に食べさせている。そろそろ、パン教室のカリキュラムも終わりに近づき、もう少し頑張ると、パン教室の講師の資格も取れるらしい。

最近になって
「私の夢は、田舎で小さな喫茶店を開くこと。私がパンを焼くから、あなたはおいしいコーヒーを入れて。」と言い出した。私はいつの間にか、喫茶店のマスターだ。
雑誌でこじゃれた喫茶店を見つけると、今度、参考のために行ってみようとチェックしている。(我が家が好きな吉祥寺は、そういった喫茶店の宝庫であり、参考事例には事欠かないだろう。)
まだ家のローンも残っているのに、資金の手当てなどどうするつもりなんだ?とは思うものの、あまり水を差すようなことばかり言っていると「夢のない、つまらないヤツ」と言われそうなので、ふんふんと話し半分で聞いている。

しかし、考えてみると、結婚当初、彼女は、「私は娘が生まれたら、一緒にパンやクッキーを作るのが夢なの」と言って、オーブン機能の付いた電子レンジを買っていた。そして、パン教室に通い出して、それでは物足りなくなると、単身赴任中の私のところに電話してきて、パートで貯めたお金で買うからと、ガスオーブンと発酵器をあっという間に揃えてしまった。そして、母がパンを焼くガスオーブンを使って、今日も次女がケーキを焼いている。

ひょっとすると、田舎の小さな喫茶店も実現してしまうかもしれない。それまで、喫茶店巡りにつきあう日々が続きそうだ。

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2006年3月 1日 (水)

厄年の後の本当の災難

去年の今頃、私は北海道の病院のベッドで横になっていた。四字熟語のところで書いた通り、骨折で入院していたのだ。東京では3月に入れば、春間近で、「もうすぐ春ですね」というところだが、北海道には、まだ冬将軍が居座っていた。

40歳を過ぎ、厄年を迎えると、周りからは気をつけろと言われる。(特に、口うるさく言うのは、すでに厄年を終えたた先輩諸氏である)。曰く、「厄除けのお払いを受けた方が良い」「厄年に家は買わない方がよい」。
他人は好きなことを言うが、その結果について責任を負う訳ではない。所詮、他人は無責任な評論家なのだと、思っている私は、諸般の事情を勘案した上で、厄年に家を買った。結局、前厄・本厄・後厄と、大過なく過ぎた。

ところが、44歳になったところで、北海道に転勤、単身赴任。それから、4ヶ月したところで、転倒・骨折。レアケースだったことから、最初は医者も、明確な診断ができず、実際の転倒(骨折)から、手術まで約1ヶ月かかってしまった。そして、手術から約3週間の入院。手術・入院は、幼稚園の時期に、扁桃腺の手術をして以来。まして、骨折など、生まれて初めてである。きっと、自分にとって何か大きな意味があるに違いないと、ベッドに寝ながら考えていたが、入院期間中に、何かを悟ることはなかった。

退院から半年近くたち8月も終わる頃、1冊の本を見つけた。『こころを癒すと、カラダが癒される』(チャック・スペザーノ他著、VOICE)。

チャック・スペザーノ博士のこころを癒すと、カラダが癒される
チャック・スペザーノ博士のこころを癒すと、カラダが癒される

この本の著者は、病気や怪我は、潜在意識の中でで処理しきれない問題が、体を通じて、表に現れたものだという。病気や怪我の種類、それが体のどこで発生したかで、何が問題になっているかわかるというのだ。
またしても、「本当か?」と思いつつも、調べてみる。「骨の問題は人生の枠組みに関して葛藤や困難がある…。」「肩に問題がある時、感情面で背負うには大きすぎる、重すぎるものを背負っているのかもしれない…、右肩に問題があれば、キャリアやビジネスに関係したこと…。」
当時、私はある支店のNo.2のポストいた。しかし、合併会社でもあり、支店の雰囲気にはなじめてはいなかった。精神的には相当なストレスだった。もちろん、好んで転んで骨折したわけではない。体の方が、休息を求めていたということなのだろうか…?

大学卒業まで22年。就職に当たり、いろいろ悩むことも多く、自分なりに心の整理をつけて社会人になった。それから22年。社会人としての転機を迎えているということだろう。次の22年を生きる哲学を見つけなくてないけない。簡単ではないと思うが…。

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