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2006年3月17日 (金)

母の上京に、同居の現実を思う

今日の夕方、母が我が家にやって来た。前回、来たのは、4年半ほど前で、今の家を買った直後だった。

とにかく、よくしゃべる。しゃべり疲れないのだろうかと、こちらが思うほど、途切れることがない。昨日まで行っていた妹の家族の話、福岡にいる弟の家族、親戚の話、自分が子どもだったころの話(戦争中で、疎開の経験がある)、私が子どもだった頃の話。
私の子どもたちは、しばらくいると聞き役が面倒になって自分の部屋にこもってしまう。聞き役は、もっぱら妻の引き受けてくれている。おばあちゃん子だった妻は、年寄りの相手が苦にならないらしい(あるいは、我慢しているかもしれないが…)。介護ヘルパー2級の資格を取って、我が家の近くのお年寄り相手のデイケア施設にパートに通っているほどだ。

しかし、それにしても、母はどうして、切れ間なくしゃべり続けるのだろうか。無愛想だった父にあまり聞いてもらえなかった代償を今求めようとしているのだろうか。きっと、何か満たされないものを埋めようとしているのだと思うが、核心のところはよく分からない。

もし、同居することになれば、この果てしなく続くおしゃべりの相手を誰かしなくてはならない。聞き役になる妻の方は、聞いている間、何もできない。しゃべっている母の方は、自分が相手の時間を拘束し、無駄に消費させていることに気がつかない。
おそらく、こんな日常の小さなすれ違いをどう埋めていくのかが、親との同居で現実に向き合わなくではならない課題なのだろう。自分の母親とはいえ、前途洋洋ならぬ前途多難だ。

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