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2006年4月13日 (木)

通信教育終了で最初の一歩

先週から集中して取り組んでいた通信教育、昨日の夜、最後の第7回を終え、今日、ポストに投函し、ようやく一段落した。久しぶりに、集中して勉強した。まだ、添削結果は返って来ていないので、最終的に「○○士補」に認められるのは、もう少し先になりそうだ。詳しく調べてみると「○○士補」に認定されても、有効期間は2年ということで、その間に「○○士」の資格試験を受験して合格しろということらしい。「○○士補」というのは、単に正式資格の2年の期限付きの受験資格を得るだけのことで、本試験に合格しなくては意味がない。半年に1回の本試験は3月に終了したばかりで、次回は10月だ。

もう一つの国際資格の試験も11月なので、今年はそれまで、30代前半に税理士試験を受験した時以来の勉強だ。(税理士試験は5科目の合格が必要だが、3年間、土日や夜に専門学校に通って挑戦したものの、結局1科目しか合格できず、そのうち仕事が忙しくなり挫折した)

合併があり、職場環境が大きく変わったこともあって、この5年ほど、自分の将来像が描けないまま、漫然と過ごしてきた。気ばかり焦って、どこに行って仕事をしても、何となく居心地が悪い。時間だけは容赦なく流れて、時間の経過とともに、確実に歳を取っていく自分がいるだけだった。
前の職場の時は、何年か先にはこんな仕事をしてみたい、あんな上司や先輩のようになりたいというイメージが、漠然とはいえあって、あまり意識はしていなかったが、それに向かって進んでいたように思う。

よく、ライフプランと称して、何年後何歳の時には、こうなりたい目標を明確に立て、それに向かって、どうやれば実現できるかを考えながら進めていくと実現の可能性が高くなるいうようなことが言われている。(例えば、久恒啓一『図解で考える40歳からのライフデザイン』
私は、明確なプランニングが苦手で、いつもその手の本を買って計画を作ろうと思うだけで、一度も実現していない。(上記の久恒氏の本も買ったが、結局、ブックオフ行きとなった)

そうは言いながら、多分10年先くらいにはこうなるかもしれない、なれればいいなという程度の漠然としたものは必要なようだ。結局、人は、なりたいと思った自分にしかなれないのだと思う。

当面、将来の漠然とした姿への最初の第一歩が、今回の通信教育だ。ここから、二歩、三歩と漠然としたものに近づき、具体化できるかどうか、すべて「私の努力と実力次第」と言うことだろう。

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