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2006年4月23日 (日)

『下流社会』を読んで②~男女雇用機会均等法の影響

ブログやネット上の書評を見ると『下流社会』(三浦展著、光文社新書)に厳しい評価のものが多い。参考にした統計データが少ないということだろう。私は、あくまでこの本は、マーケッティングを生業としている著者の一つの仮説だと考えるべきだと思う。いくつかのデータから、あるカテゴリーの顧客層を想定し、そこに向けた商品・サービスを企画しをセールスしていく。仮説である顧客層の想定が、正しいかどうかは、商品・サービスが売れたかどうかで、検証される。

下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)
下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)

前回、書けなかった『下流社会』を読んで、視点としてなるほどと思った点のもう一つは、1985年(昭和60年)6月に公布された『男女雇用機会均等法』の影響である。この法律を受けて、翌1986年(昭和61年)から、いわゆる女性の総合職の採用が始まったと思う。すでに、それから20年。均等法直後に、男子に混じって採用された女性総合職の中には、その実力を発揮して、サラリーウーマンとして成功し、管理職として活躍している人も出てきている。著者は、そのような女性達が上流社会の一端を担っていると分析する。高学歴の女性達は、企業社会の中で、自分と同じような高学歴の男性と結婚する。当然、2人で働けば収入も高く、高学歴の女性が子供を産めば、自分の子供に高学歴を求めるのは自然な流れになる。

『男女雇用機会均等法』は、能力ある女性に実力を発揮するチャンスを与えたという点では大きな変化だった。もちろん、現実には、男中心の会社組織の中で、数々の辛酸をなめ、挫折した女性もたくさんいる。それでも、そこに一つの流れが始まったのは、間違いない。

私が社会に出た1983年(昭和58年)は、いわば『均等法』前夜、夜明け前という時期だが、その時点でも、女性にとっては、短大や高校を良い成績で卒業し、一流企業に就職し、社内結婚でいい相手を見つける方が、有利という風潮があったように思う。

同級生の中の優秀な女性達は、大学を出ても総合職として就職できた人は少なかった。彼女達には実力に見合った企業は門戸を開いておらず、実力に見合った処遇を受けられなかった。『均等法』前までは、女性の世界は実力主義にはなっていなかったのだ。

逆の見方をすれば、当時は、結婚という手段を通じて、女性の中では階層の流動化が起こりえる機会があった。今や、『均等法』後の社会では、男性も女性もその実力・それまでの努力の結果によって、社会に迎えられるようになり、当然、社会に出た彼ら・彼女らは、自分と話のあう相手を求め、同じような学歴のカップルが生まれる。

それが、階層化の始まりの一つだということを、枠組みとして示されたことが、自分にとっては新しかった。

『下流社会』関連記事
4月16日:『下流社会』を読んで
4月23日:『下流社会』を読んで②~男女雇用機会均等法の影響(本編)

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コメント

均等法後、男女の階層の固定化が始まったと書かれていますが、例えば社会学者の上野千鶴子さんらは、同類婚の法則というものを10年以上前から言われています。大卒男性と中卒女性が結ばれることも少なければ、大卒女性と高卒男性が結ばれることも少ないと、「発情装置」などに書かれています。男性がアンケートで「相手の学歴や出生に拘らない」と答える場合も、その前提に「自分と同程度」という断わりがあるそうです。何ら新しいことではありません。

投稿: カメムシ | 2006年4月24日 (月) 13時11分

カメムシさん、コメントありがとうございます。
私は上野千鶴子さんの本は読んだことなく、不勉強で申し訳ありません。

私は、カメムシさんが書かれた、以前から、男女の階層の固定化の傾向があったことを否定するものではありません。私が書きたかったのは、『均等法』により、それまで就職で冷遇されていた実力ある大卒女性に門戸が開かれたことが、階層化をより加速するきっかけになったのかもしれないということです。

確かに最後の2行
「それが、階層化の始まりの一つだということを、枠組みとして示されたことが、自分にとっては新しかった。」
は、そのようには読めないので、
「それが、より階層化が進むきっかけの一つになったということが、自分にとっては新しかった。」と読み替えていただければと思います。

投稿: 拓庵 | 2006年4月24日 (月) 21時57分

カメムシさんの言ってることはさすがと納得できる。でもsのセンスのないネーミング何とかして欲しい。今にも臭ってきそうで僕ちゃんはダメだな!

投稿: へのへのもへじ | 2006年5月 6日 (土) 21時35分

TBありがとうございます。非常に興味深く拝見しました。
自分が「下流社会」に読んだのは、もう少し違った側面で、それについては後ほど記します。よろしくお願いします。

投稿: 今泉 | 2006年5月10日 (水) 10時07分

今泉さん、勝手に送りつけたTBにコメントいただき、ありがとうございました。
『下流社会』という本は、毀誉褒貶がありますが、いろいろな視点を提供してくれていると思います。要は、今泉さんもブログで書かれているように、鵜呑みにせず、批判的な目をもちつつ、自分の中で考える材料にしていくということだと思っています。
(この本に限らず、本を読むというのはそういうことだと思いますが)
今泉さんの見方を教えていただくのを楽しみにしています。

投稿: 拓庵 | 2006年5月10日 (水) 21時37分

間が空いてしまいました。
以下はゲームのレビューなどが掲載されるウェブサイトでは書きにくかったことです。
この本を読んで衝撃的に思ったのが、可処分時間の使い方でもって、彼の言うところの「下流」~「上流」が決まる時代に入ったのか?ということでした。
彼の調査で把握された事実として、下流は、女性の場合だと「歌ったり踊ったり」している。こういう時間の使い方に関して、これまで日本では、積極的によしとしてきたわけではありませんが、少なくとも価値が低いとは見なしてきませんでした。けれども「歌ったり踊ったり」で充足していることは、結局、自分の市場価値を高めるための学習等に使う時間をそちらに回していることに他ならず、自分の将来の所得が向上する可能性を自分でつぶしていることになります。それがこの本ですごく明らかになったように思います。男性の場合は、Mixiをはじめとするインターネット、それからこのブログも大いに関係ありそうです。また、いわゆるアキバ系とされる種々のカルチャー。とにかく、”惑溺を誘う時間消費型エンタテインメント”の一切です。一部の読書なども入ってくるかもしれない。
自分の言葉で言うと、こうした「自分を楽しませる時間の使い方」で可処分時間を埋めていくことには、今まで疑義をはさむきっかけは、あまりなかったように思います。むしろ、ある種のカルチャーを称揚する括りとしての「サブカル」だったり、日本固有のソフトパワーのひとつの源泉としての「アニメ」だったり、まぁとにもかくにも正面きって否定するという”きっかけ”はなかったです。
それがこの本で、そうした時間の使い方がどうも「下流」を生んでいるらしいということがわかり、それは個人的にその種の行為の否定的な側面が突きつけられたということで、愕然としました。(自分自身に関していえば、現在ならアキバ系であろう80年代のサブカルを浴びるようにして育ってきていますし、おたくに近いメンタリティも持っており、その種のことに時間を使うのは嫌いではありません。ただ、仕事優先で十数年やってきたので、その種のことに時間を使っている余裕がずっとなかったことは確かです。)
このコメントをいま読んでいる方で、その種の時間消費型エンタテインメントで可処分時間をうづめている方がいらっしゃったら申し訳ありませんが(お気を悪くなさらずに)、結局、時間の使い方が将来の所得に相当程度に影響を与えている、そのことがこの本でわかったわけです。
その考えに立てば、GyaOに代表される時間消費型のブロードバンドの新興産業も、オンラインゲームはもちろん、SNSやPS3やWiiなども、最終的に所得向上の可能性を奪うよろしくない対象ということになってきます。
こうしたものの全体について、自分は今まだ答えを出せずにいますが、少なくとも、この世には現在、人の将来の所得向上の可能性を奪っている時間の使い方があり、それについては注意していくべきだという考えに立っています。
また、こうした時間消費型エンタテインメントの全体が、一種の構造を持っており、そのシステマティックな”時間吸引力”については、真剣に考えていかなければいけないと思っています。(ミヒャエル・エンデの「モモ」がうっすらと思い浮かびます)

ゲームなどのレビューが掲載されるサイトのブログでこのことを正面きって書くことは、自分にはできず(情けないかもしれませんが)、また、「下流社会」をその種の方が読むと大いに影響を受けて将来に希望を持てなくなってしまう可能性もあるため、あえて、「読むべきではない」と書いた次第です。
自分としては、同書のように社会のよろしくない状況を”告発”風に記述するよりは、もうちょっとポジティブな側面から、将来の所得向上の可能性につながる行為を、”たのしく”広げる何らかの伝達行為があってもいいと思っています。現時点ではそんなところです。

投稿: 今泉 | 2006年5月23日 (火) 19時19分

今泉さん、コメントありがとうございました。

私は、『下流社会』を読んで、コメントしていただいたような視点には、あまり気づきませんでした。しかし、書かれていることは私がこれまで何となく思っていたことを、うまく表現してもらったという感じがして、感謝しています。

世の中、至る所、「時間消費型エンタテインメント」にあふれています。漫然と時間を消費(浪費)することでいいのか?3人の子供の親のささやかな抵抗として、我が家では、テレビゲームは買っていません。しかし、テレビゲームは無くともテレビはあり、そこで途絶えることなく流される最近の芸人が馬鹿笑いする「時間消費型エンタテインメント」番組を見せないようにすることは不可能に近い。

もう、10年前になりますが、私が通勤で乗ったバスに、幼稚園児が乗っていて、当時大ブームだったポケットモンスターのポケモン数え歌を歌っていました。当時のポケモン151匹の名前を諳んじているのです。私の子供と同年代でした。その年代の子供達の記憶力に驚く一方、ブームが去ってしまえば何の意味も無くなるポケモンの名前を覚えることに、その幼稚園児の貴重な記憶力が使われることに、愕然としました。
自分の子供には、もう少しましなことに、幼い貴重な記憶力を使ってほしいと、家族で百人一首を覚えるということをやってみました。子供達にとっては、おもしろくもなんともなかっただろうと思いますが、将来、百首のうち、一首でも二首でもいいから、子供達の心の残ってくれればと、祈るような気持ちです。

バカでは生きていけないし、自分を高めることについては、他人はだれも考えてくれないので、自分で考えなくてはならないのだということを、そして自分を高めるために使える時間は限られているといことを、どう教えていくか、なかなか難しい問題です。

投稿: 拓庵 | 2006年5月24日 (水) 01時30分

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