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2006年5月の記事

2006年5月30日 (火)

リーダーとマネージャー

昨日、紹介した『これが答えだ!』は、マネージャー論としては、よくできていると思うし、より多くの管理職の人々に読んで欲しい内容だと思うのだけれど、あまりにもネーミングが直截過ぎて、却って何の本か伝わらなかったのか、あまり売れていないようだ。

最高のリーダー、マネジャーがいつも考えているたったひとつのこと
最高のリーダー、マネジャーがいつも考えているたったひとつのこと

今年に入って、このギャラップ社のスタッフのシリーズに連なる著作として、『最高のリーダー、マネジャーがいつも考えているたったひとつのこと』(マーカス・バッキンガム著、日本経済新聞社)が出版された。著者は、以前紹介した『さあ、才能(じぶん)に目覚めよう』の共著者のひとりで、その後ギャラップ社から独立し、現在はフリーのコンサルタント兼作家と紹介されている。こちらは、そのタイトルにリーダーやマネージャーの人たちがつい手を伸ばしたくなってしまうこと、黄色い表紙に紺色の文字という目立つ色合いも手伝ってか、版を重ねているようだ。

著者はこれまで、主にマネージャーに焦点をあてて論じてきたが、今回はマネージャーとリーダーと区別して論じたところに新鮮さがあると思う。日本でも、マネージメントとリーダーシップは、意識して区別して論じられることは少なく、私自身あまり深く考えたこともなかった。

以下、本のカバーの折り返しに書かれているエッセンスだけ紹介すると以下の通りだ。

すぐれたマネージャーは「部下一人ひとりの個性」に注目する。
部下を型にはめて作りかえようとするのではなく、それぞれの個性が活かせるように、彼らの役割や責任の方を作りかえる。

すぐれたリーダーは「部下たちに共通する不安」に注目する。
いまどこに向かっているのかを明確にすることで、皆が抱く未来への不安を取り除く。顧客は誰か、強みは何か、尺度は何か、今すぐとれる行動は何かを明らかにすることだけに専念する。

マネージャーについては著者やギャラップ社のスタッフがこれまで語ってきたことだが、リーダーについては、確かに「なるほど、そうだな」と納得する部分が多い。特に、混沌として将来が不透明な不安な時代だからこそ、トップに立つリーダーには、自分たちは、かくかくしかじかの理由で、こちらの方向へ向かって進むのだという方向性を示して欲しいと思う。トップが、不安げでは、ついていく多くの部下も不安になってしまう。

さらに、本書では、日本版のタイトルからは省かれてしまったが、継続的な成功を手にするために個人が考えるべき「たったひとつのこと」も語られている。(長くなるので、この記事では割愛する)

「厄年とは役年だ」とも言われるように、リーダーシップやマネージメントは、社会に出て中年世代になれば、いやでも意識せざるを得ない。そのような悩み多き時期に、多少の光明を示してくれる本だと思う。

関連記事:リーダーとマネージャー(2)

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2006年5月29日 (月)

働きやすい職場とは?

私の妻は、1年半ほど前からパートに出ている。職場は福祉関係だが、話を聞いているとどうも、上司とうまくいっていないらしい。上司と部下の間に、信頼関係は全くなさそうだ。

これまで、何度か転勤し、官庁へも出向し、会社が合併し職場の人間関係も大きくかわった。リーダーとか、課長という名の管理職の仕事もした。「マネージメント」ってどうやればうまくいくのか、どうすれば配下の人たちが生き生きと働いてくれるのか?自問自答、試行錯誤の毎日だった。そんな目から見ると、妻の職場の上司は、まったく、真面目に「マネージメント」について考えたことがあるのかと言いたくなる。

以前、米国の世論調査会社ギャラップ社の「ストレングス・ファインダー」の話を書いたが、そのギャラップ社のスタッフが書いたマネージャー論に『これが答えだ!(原題:FOLLOW THIS PATH)』(カート・コフマン&ゲイブリエル・ゴンザレス=モリーナ著、日本経済新聞社)という本がある。サブタイトルには「部下の潜在力を引き出す12の質問」とある。

これが答えだ!-部下の潜在力を引き出す12の質問
これが答えだ!-部下の潜在力を引き出す12の質問

本のカバーの折り返しには「1000万人の顧客、300万人の従業員、20万人のマネージャーを対象とした調査から、生産性の高い組織とそうでない組織のちがいが明らかになった。それが<Q12>と呼ばれる12の質問だ。これら12の条件が満たされれば、マネージャーは必ず生産的な職場を生み出すことができる!」とまで書かれている。

その12の質問は以下の通りだ。

1.職場で自分が何を期待されているのかを知っている
2.仕事をうまくおこなうための必要な材料や道具を与えられている
3.職場でもっとも得意なことをする機会を毎日与えられている
4.この7日間のうちに、よい仕事をしたと認められたり、褒められたりした
5.上司または職場の誰かが、自分をひとりの人間として気にかけてくれているようだ
6.職場の誰かが自分の成長を促してくれる
7.職場で自分の意見が尊重されるようだ
8.会社の使命や目的が、自分の仕事は重要だと感じさせてくれる
9.職場の同僚が真剣に質の高い仕事をしようとしている
10.職場には親友がいる
11.この6ヵ月のうちに、職場の誰かが自分の進歩について話してくれた
12.この1年のうちに、仕事について学び、成長する機会があった

この12の質問は、「ストレングス・ファインダー」とも密接に関連しており、「ストレングス・ファインダー」で明らかになった個々人の強みを認識した上で、メンバーそれぞれに得意なことをやってもらおうということだ。

マネージャーは、ひとりひとりのメンバーに関心を持ち、その成長・気づきのためには何ができるのか、常に考え行動することが求められているのだと思う。

私は、今はマネージャーの立場ではないが、職場では、周囲の人たちには、それとなく声をかけるようにはしている。信頼関係が築かれたチームの中で、それぞれのメンバーが真剣に質の高い仕事をしようとすれば、それは自然とチーム内に適度な緊張感を生み、1人ひとりが孤立無援で仕事をしている時より、数倍のエネルギーを発揮すると思う。もし、また、マネージャーの立場にことがあれば、この12の質問を活かして、メンバーと関わっていきたい。

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2006年5月28日 (日)

高校時代の思い出、「男子クラスと男女クラス」

私が卒業したのは、地方の県立高校。今は違うらしいが、当時は男女比がアンバランスで、私の学年は、定員450名の内で女子生徒が約120名ほどで、残る330名は男子生徒であった。男女比は3:1。当時のクラス編成は、1クラス45名の10クラス編成だったが、各クラス男女比3:1ということにはならず、大まかに言えば、男25:女20の共学クラスが6クラス、45名全員が男子というむさ苦しいクラスが4クラスという構成だった。

思春期まっただ中の高校時代、男子校に入学したならいざ知らず、男女共学の高校に入って、男ばかりのクラスに入った男子生徒は浮かばれない。毎年、4月のクラス替えの時は、男子生徒にとっては、体育館に張り出されるクラス分けのリストのどこに自分の名前が載るかを食い入るように眺めたものだ。そして、悲喜こもごもの人間模様が展開される。

私は、幸か不幸か入学から2年間、男ばかりの男子クラスだった。女性と接する機会は、所属していた陸上部の練習の時だけで、しかも、女子部員は先輩が1人、同級生がわずか2人だった。おかげで、脇目もふらず勉強に集中することが出来た(わけがない)。

高校2年の夏に、学校の3大イベント(春の文化祭、秋の運動会、冬の予餞会)のうち、運動会の運営委員長を引き受けることになり、同じクラスの友人に副委員長を頼んだところ、彼が女性の委員を数名捜してきてくれて、それから運動会本番まで夏休みを挟んだ2ヵ月ほど、各委員で仕事を分担し、本番の運動会の成功に向けて一生懸命だった。運動会が終わった後も、全員で打ち上げをしたり、休みの日に遊園地に遊びに行ったりと、一緒に仕事をしたことで、メンバー全員が親しくなり、男子クラスにいたものの、あまり男子クラスの悲哀を味わわずに済んだ。その頃が一番、勉強もしたようにに思う。2年の3学期の模擬試験が、高校の2年間の中で一番成績がよかった。

そして迎えた3年生の春、進学先のよって、文系・理系と教科の選択が分かれ、文系に進んだ私は、3年目にして、幸運?にも、ようやく男女クラスとなった。(我々の学年は、理系希望の女子生徒が多かったのか、例年、男子クラスのない文系に男子クラスが誕生していた。)
しかし、「禍福はあざなえる縄のごとし」で、3年最初の試験こそ、2年の3学期の余勢をかって、そこそこの成績だったが、中学以来3年ぶりに同じ教室の中に女子生徒がいるという環境にすっかり心を乱されて、その後は勉強の面では低迷、目標の地元国立大に行くには浪人必至という状態から抜け出せないまま、受験を迎えることになった。

結果は、このブログの2回目の記事「四字熟語」のところで書いた通り大どんでん返しの結末で、なんとか今の自分があると思うが、それでも、3年の春の時点に戻り、男子クラスか男女クラスのどちらでも選べるけれどどうする?と聞かれれば迷わず「男女クラス」を選ぶと思う。まあ、今更書くのも気恥ずかしい、今は昔の話だけれど…。

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2006年5月25日 (木)

恩師の背中

一昨日の夜、この1ヵ月ほど準備を続けてきた、高校の同窓会が無事終わった。今回の会の趣旨は、我々が入学した時、教員2年目で、我々の学年を初めて担任として受け持ち、また数学の担当教諭として3年間、教壇から我が学年450人の生徒を見守り、送り出してくれた兄貴分のようだったN先生が、昨年春の地元のとある県立高校の校長に就任、さらに今春には、県下一と言われる進学校の校長に就任したことをお祝いをしようと、先生が上京する機会を捉え企画したものだ。

東京近郊を中心に生徒23名が集まり、先生も含め24名の盛会だった。地元の同級生の中では、「母校の校長になったわけでもないのに、どうして東京では、そんなに騒ぐの?」という声もあったらしい。

確かに言われてみればそうかも知れないが、訪ねて行けばいつでも会える地元の人達とは違い、故郷を離れて都会暮らしをしている身にとっては、先生は、自分たちの故郷・自分たちの青春を象徴する存在なのではないか。だから、まず、先生に会う・会えるということが、自分の原点に立ち返る貴重な機会なのだと思う。

もう一つ、今回思ったのは、この混沌とした先の見えない時代の中で、自分の信念を揺るがすことなく教員という仕事を地道に真面目に続け「功なり名を遂げた」だけでなく、家庭にあっては、夫として3人の子の親として暖かい家庭を築き、立派に子育てをされているその姿は、ほぼ10歳年下の我々にとって、仕事でも家庭でも、いつもその背中を追いかける存在なのではないかということである。私のブログのテーマからすれば、中年クライシスを乗り越えた存在と言えるかも知れない。

かつては、職場にも部下に背中で語る上司がいた。将来、こういう風になりたい、なれたらいいなと思わせる、目標とする尊敬できる上司や先輩がいた。しかし、この失われた10年・15年の間に、そういう上司や先輩はほとんどいなくなってしまった。

そんな中「人は何のために生きるのか?」と問いかけ、自分自身では「自分自身の生き甲斐」「社会への貢献」そして「次の世代への継承」と答えるという先生の存在は、我々にとっては、恩師であるとともに、身近にいて背中を追いかけることが出来る(でも多分簡単には追いつけない)数少ない人生の先輩なのだと思う。
N先生、これからもよろしくお願いします。

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2006年5月22日 (月)

気象の言葉、「真夏日」と「真冬日」

5月も半ばを過ぎ、汗ばむ日も増えてきた。天気予報を聞いていると、四季折々でいろいろな気象用語が登場する。

これからの季節、頻繁に登場するようになるのが「夏日」と「真夏日」、「熱帯夜」だろう。
「夏日」は最高気温が25℃以上の日、「真夏日」は30℃以上の日を言う。(最近は、最高気温が35℃を超える日も増えてきたので、「超真夏日」という用語もあっても良さそうだが、それは無いようだ。)
なお、「熱帯夜」は最低気温が25℃以上を言う。

東京ではあまり耳にすることはないが、札幌で生活している時は冬になると「冬日」、「真冬日」という気象用語を毎日のように聞いた。

「冬日」は、最低気温が0℃以下の日、そして「真冬日」は最高気温が0℃以下の日という定義だった。(夏日と真夏日の関係からいくと、真冬日の定義は最低気温が-5℃以下かなと思うがそうではない。)
「真冬日」というのは、言い換えれば、一日中、気温が氷点下、マイナス表示ということだ。札幌では、最も寒い時期は「真冬日」が何日も続く。用語の意味を知った時、なんとも気が滅入ったことを思い出す。「同じ日本の中で、こうも気候が違うものなのか」というのが、実感だった。

一方、札幌のいいところもある。梅雨がないので、これから夏に向かっては、少し長めのすがすがしい初夏が続く。北海道に旅行するなら、真夏より6月がお勧めである。

(気象庁の気温、湿度の気象用語を解説したページはこちら。)

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2006年5月21日 (日)

「誕生色」の話

1週間ほど前に、『誕生色辞典』(野村順一著、文春文庫PLUS)という本を買った。色というものが、人の心に与える印象や影響には、以前から興味があって、その手の本は何冊か読んだし、数年前には、日本商工会議所のカラー・コーディネーター検定3級も取得している。

誕生色事典―「色の秘密」366日 (文春文庫PLUS)
誕生色事典―「色の秘密」366日 (文春文庫PLUS)

この本によれば、1年365(366)日それぞれに「その日の色」が決まっているという。誕生日の色が、その人にとって「誕生色」になるとのことだ。
そもそも人には、それぞれ自分が本当に好む色=「自分色」があって、自分色を発見すると「その人のセンサーは新しくなり、運命は好転し、幸運を呼び込む」ことができるそうだ。「誕生色」は「自分色」のルーツであり、色それぞれに深い意味がこめられている。

Photo ちなみに、秋(10月)生まれの私の「誕生色」は濃いブラウン系の『弁柄(べんがら)色』となっている。
色の説明は「インド・ベンガル地方からもたらされた濃いブラウンの顔料の色」。

以下、本に沿って説明すると
人格を解くキーワード:「陽気・創造・ほほえみ」
その人の特徴     :「誰からも愛される温かい心の持ち主」
人格のヒント            :「常に明るく、笑顔を絶やさないのでだれからも好かれます。少しちょこちょいなところもありますが、陽気なムードがあります。また、その健全な心と体が創造的意欲のもととなっています。弁柄色と相性のよい色は寒色系のパステルトーン、向いている職業は獣医、建築家、デザイナー、エンジニア、スポーツ選手などです。」

あまり当たっているような気はしない。人前では、あまり笑っていないような気がする。職業も、全然違う。

著者は、そういう声に応えるように、次のようにも書いている。

そこに書かれていることに思い当たることもあれば、そうでないと感じることもあるでしょう。違うと感じる部分こそ、今まで気づかなかったあなた自身や忘れ去った過去のあなた自身なのです。

もう少し、普段から笑顔を絶やさず、明るくふるまえば、「運命は好転し、幸運を呼び込む」ことができるということかもしれない。

自分の家族や友人など、誕生日が判る人を思い浮かべながら、読むのも一興である。

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2006年5月20日 (土)

「今日も生涯の一日なり」

最近出版されたばかりの『通勤電車で寝てはいけない!』(久恒啓一著、三笠書房)を読み終わった。

通勤電車で寝てはいけない!―通勤電車と成功の不思議な法則
通勤電車で寝てはいけない!―通勤電車と成功の不思議な法則

著者は、かつては日本航空(JAL)に勤め、その後新設の宮城大学に転じ、2002年に出版した、図解で考えることのノウハウを公開した『図で考える人は仕事ができる』(日本経済新聞社)がベストセラーになった。九州は大分・中津の出身だ。

図で考える人は仕事ができる
図で考える人は仕事ができる

私も、高校の頃、世界史の地域や国の歴史の流れをつかむのに、過去から現在までの王朝や支配者の変遷をフローチャートにしてみたり、調査関係の仕事をしていた時は、調べたことの因果関係を明らかにしようと図解を利用していたので、同書で紹介されていたセコムの飯田会長の、方眼紙を使って自分の考えを整理する手法は、さっそくマネさせてもらって今日に至っている。

今回の『通勤電車で寝てはいけない!』に書かれた内容は、従来から著者がいろいろなところで書いていた、早朝の活用、目標を持って計画的に人生を送るといったことを改めて整理して、再編集したという内容だ。

今回読んで、今の自分に最もぴったりきた部分は、「目標を常に「意識」する」、「先を見ながら「いま」行動」というところだ。目の前のことでなく、10年後、15年後の目標を見据えて、一日一日を過ごす。今の自分は過去の結果であり、今の自分の行動の積み重ねが将来に繋がっていく。その中で、取り上げられているのが、今日のブログのタイトルに掲げた「今日も生涯の一日なり」という福沢諭吉の言葉である。

生涯とは「人の人生」のことだが、「生涯」の”涯”とは”果て”、”断崖”のことである。いまこの日まで生きてきたが、明日はわからない。今日の先は、”断崖絶壁 ”である。人の命には限りがあり、落ちていく日まで、つねに崖っぷちで生き続けていく。それが「生涯」なのである。そう考えると、「今日も生涯の一日なり」に込められた意味がより理解できるはずだ。(『通勤電車で寝てはいけない!』104ページ)

この一日を、生涯の一日と考えながら大切に過ごしつつ、将来の目標に向け、一日一日を積み重ねていく。そして、目標に一歩ずつ近づいていく。それが、いまの自分に必要なことだろう。さっそく、自分の座右の銘に加えさせてもらった。

ちなみに、この言葉は、著者のブログのタイトルとしても使われている。

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2006年5月19日 (金)

次女の「京都」修学旅行に思う

いましがた、中3の次女が修学旅行に出発した。2泊3日で京都に行くそうだ。何日か前からいろいろと準備をし、昨日は、デジカメを貸して欲しいと言われた。今朝は、5時過ぎには起きて、先ほど、楽しそうに家を出て行った。久しぶりに京都に行きたくなった。

自分の育ったところが、九州・太宰府という、日本史の教科書に必ず出てくるところだったこと(大宰府政庁跡太宰府天満宮は小中学校時代の遠足コースだった)、新聞記者をしていた父が歴史好きだったということもあり、自然と歴史に親しんだ。高校では、世界史と日本史をともに選択し、模試では社会で点数を稼いでいた。我々の代が初年度だった共通1次試験も社会は、世界史・日本史の組み合わせで臨んだ。

その当時から、洋の東西を問わず、歴史小説を読み、岩波新書や中公新書、講談社現代新書の歴史ものを読んできた。小説では、井上靖(『天平の甍』、『蒼き狼』、『風濤』)、黒岩重吾の古代から奈良朝にかけての作品(『北風に起つ』、『磐舟の光芒』、『弓削道鏡』等)、最近は高橋克彦の『火怨』、『炎立つ』などの東北3部作と『時宗』、新書では、日本古代史の遠山美都男などあげればきりがない。マンガ家里中満智子の女帝を扱った作品(『天上の虹』、『女帝の手記』)などもおもしろく読んだ。

一時期、黒岩重吾をきっかけに飛鳥・奈良時代にはまり、新婚旅行でも奈良に行ったし、北陸に住んでいた頃、連休を利用して家族で2回奈良に旅行をした。当時は、整然と整備された観光都市京都よりは、いろいろな物が、土の下に埋まっている、そしてどこか自分の故郷でもある太宰府と似ている奈良の方が好きだった。

京都に行ったのは、2年前の夏休み。車で、福岡まで帰ったと言う同級生の話に刺激され、ユースホステルを泊まり歩いて、家族で福岡まで帰ることを計画。金曜の夜、帰宅後、八王子から中央道に乗り、途中サービスエリアで仮眠し、1日車で走って京都に入った。京都では2泊し、丸1日京都観光に当てた。やはり、その前の年、中3で京都に旅行した長女の希望もあって、京都で1日過ごすことにしたのだ。金閣寺、北野天満宮、晴明神社、二条城、清水寺、銀閣寺、竜安寺などを回り、すっかり京都の魅力にとりつかれてしまった。

1000年を超えて、この国の都だった京都には、至るところ重層的に歴史が潜んでいて、訪ねるところが尽きることがない。京都を訪ねる人が、絶えることがないのが、わかったような気がした。

週末の次女のみやげ話を、楽しみの待つとしよう。

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2006年5月14日 (日)

ブログの書き方、「1ブログ1テーマ」

ブログを書き始めて、2ヵ月半。書いた記事も50を超え、最近は、失礼も顧みず、他のブロガーの記事に対して、関連ありそうな自分の記事をトラックバックすることを始めている。また、本に関係する話題の時は、BK1の当該作品のページにトラックバックしている。

トラックバックを送った相手の中には、先方の記事をトラックバックしてくれる人や、コメントを寄せてくれる人もいて、励みになっている。BK1のトラックバックは、最近話題の本の場合、多くの人が目にしているようで、そこから私のブログを訪問してくれる人もいる。特に『下流社会』についての2つの記事に対しては、反応が多い。やはり、関心の高い本なのだろう。(4月16日(日)『下流社会』を読んで4月23日(日)『下流社会』を読んで②~~男女雇用機会均等法の影響

これまで、ブログは日記という意識で、1つの記事の中にいろいろな話題を織り込んできたが、検索やトラックバックでのわかりやすさという観点で考えると、1ブログ1テーマという方がいいようだ。タイトルにもその記事で扱うテーマを明確に示す。その方が、書く側の狙いも明確になり、無駄な事を書かなくなるような気がする。それは、読む側にも余計な時間を使わせないですむ。読む側は、自分の関心あることについて、読みたいわけであり、余計な情報は不要といえるだろう。

先日、出版された岡部敬史『ブログ進化論』(講談社+α新書)にも、ブログが従来のホームページの掲示板と違う点として、記事一つひとつにコメントできることで、書く側と読む側の交流が格段に進んだ点が述べられている。一つひとつの記事の独立性がブログの特色ということだろう。

ブログ進化論—なぜ人は日記を晒すのか
ブログ進化論—なぜ人は日記を晒すのか

その後、ブログを訪れてくれた読み手が、そのブログそのものを読み続けるかどうかは、個々の記事の内容次第であり、一見の読み手でも、全くかまわない気楽さが、ブログが広がる背景にあるような気もする。

先輩ブロガーには、先刻承知の話かもしれないが、自分の決意表明も兼ねて記してみた。

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ブログの大敵「頭痛と微熱」

先週1週間、更新できなかった理由は、昨日書いたように日曜日に書きかけの記事が消えてしまったこともあるが、週半ばから体調を崩したことにある。

ゴールデンウィークに張り切りすぎたのか、最近の、花冷え時期に逆戻りしたような気温の低さと梅雨のようなのようなぐずついた空模様に、体の方が対応しきれなかったようだ。
10日(水)の朝、何となく頭がすっきりしないと思いつつ出勤、職場では、じわじわという感じの頭痛にずっと悩まされた。

翌日、起床後、頭痛は相変わらずで、体温を測ると37.4度あり、その日は、職場での会議やアポの約束が何もなかったこともあって、札幌から今の職場に異動になって7ヵ月で初めて、病気を理由に会社を休んだ。近くの医院に行って、風邪だろうということで薬をもらい、後は横になって本を読んでいた。

12日(金)は、午前中に仕事の約束があったのと、夜はすでに出席と連絡していた会合があり、どちらも今更キャンセルできないので、熱も36.9度まで下がったこともあり、出勤した。

職場の同僚の高校生と中学生の娘さん2人も風邪で、頭が痛いと言っているそうである。おそらく風邪だと思うが、これまで風邪をひいても、のどの痛みや鼻づまりばかりで、この程度の発熱で頭痛になったことがなかった自分として、37度台前半での頭痛に多少不安になっている。早く治さなくては…。

何とか、パソコンに向かってブログを書けるようにはなった。当たり前だが、考えることを伴う、書くという作業には、頭痛は大敵である。

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2006年5月13日 (土)

周防監督が書いた「『Shall we ダンス?』アメリカを行く」

先週6日の土曜日、本家『shall we ダンス?』を見た後、翌日7日の日曜日にはさっそくハリウッド・リメイク版の『shall we dance?』を見て、このブログの新規投稿ページで、日米版の違いをテーマにいろいろ書いてほぼ完成、念のため、ハリウッド版を解説しているホーム・ページで、役名を確認してとうっかり検索したら、ページが替わってしまい、「しまった」と思った時にはすでに遅く、保存していなかったため、1時間近くかけて書いた文章は、きれいさっぱり消えてなくなっていた。仕事でもたまにあるが、気合いを入れて書いていただけに虚脱感も大きく、夜も遅かったので、そのまま寝てしまった。

一度、興味を持つと納得するまで、追究したい癖があり、月曜日には、書店で周防正行監督が日本版の米国での公開のため米国全土をキャンペーンで回った時のことを書いた「『Shall we ダンス?』アメリカを行く」(文春文庫)を見つけ、3日ほどで読んだ。

『Shall we ダンス?』アメリカを行く (文春文庫)
『Shall we ダンス?』アメリカを行く (文春文庫)

私は、この映画を中年クライシスをテーマにした映画ということで見たが、監督自身は最初から中年クライシスという視点で描いた訳ではなく、それは世代に関わらず、自分の現状に不安や不満があって、ふっと立ち止まって考える人の象徴として、その頃日本で一番元気のなかった中年を取り上げ、彼らを元気づけたいということだったようだ。中年クライシス(ミドル・エイジ・クライシス)を描いた映画という評価は、米国に行って初めて言われたらしい。

この本は、米国各地でのキャンペーンの記録のために書かれたものだが、最初にそもそも、何故、米国で日本版を公開することになったのか?米国での公開のため、上映時間を2時間以内にすることが求められ、不本意ながら日本での公開版から約20分をカットすることになり、どの場面をカットしたのかなどが、詳細に書かれている。

そこには、映画全体への監督の思い、個々の場面作りでの監督の意図が語られていて、「そうだよね、自分もそう感じた」という部分と「そこまで考えていたのか、気がつかなかった」という部分、また時には「あの場面で、これを感じろというのはちょっと難しいのでは」ところもあり、映画を思い出しながら、一方、同じ場面がリメイク版でどう表現されていたかということも考えながら読むと、なかなかおもしろかった。

1回書きかけて消えてしまった、本家とリメイク版の比較は、また稿を改めて書くことにする。

「Shall we ダンス?」関連の記事はこちら
5月6日:「Shall we ダンス?」を見る
5月13日:周防監督が書いた「『Shall we ダンス?』アメリカを行く」(本編)
6月5日:ハリウッド・リメイク版「shall we dance?」と日本の「shall we ダンス?」の違い
6月6日:リメイク版「Shall we dance?」が描こうとしたもの

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2006年5月 6日 (土)

「Shall we ダンス?」を見る

中年クライシスを、自分のブログのテーマに掲げていることもあり、「中年クライシス」をグーグルで検索したことがあった。その時、前原政之さんというフリーライターの方が書かれている「mm(ミリメートル)」というタイトルのブログの中の「『アメリカン・ビューティー』と中年クライシス」という記事に出会った。

その中で、「Shall we ダンス?」について

『Shall we ダンス?』の主人公(役所広司)は、ダンス教室の美しい教師に好意を抱き、社交ダンスに熱中することを通じて、中年クライシスを乗り越え蘇生する。

と書かれていたので、前から関心はある映画だったが、改めて見てみようという気になって、先週、レンタルビデオ店でDVDを借りてきて、今日ようやく見た。

たしかに、これは、中年サラリーマンの停滞と蘇生の物語だ。役所広司演じる主人公杉山は、ボタンメーカーの経理課長。28歳で結婚し、娘が1人。40代になって、郊外に念願のマイホームを手に入れた。しかし、マイホームのローンを返すために、更に頑張ろうという気になかなかなれない毎日の中、帰りの電車の中から見た、ダンス教室の窓に映る寂しげな美女に惹かれ、ダンス教室の門を叩く。窓の外を、寂しげに眺めていたダンス教室の講師舞先生(草刈民代)も、競技ダンスでのある事件が原因で傷つき、癒しと再生が必要だった。

物語は2人を軸に進んで行くが、いわくありげなダンス教室の生徒仲間たち(渡辺えり子、竹中直人等)のダンスへの思い、主人公杉山の妻(原日出子)や娘の夫・父を見るまなざし、そして、少し離れたところからこの人間模様を眺めていたダンス教室の年配のたま子先生の絶妙の舞台回し。

軽妙にコメディタッチに描かれており、一般的な映画の解説では、この映画はラブコメディに分類されるようだ。しかし、描かれた主題は深淵である。社交ダンスは、男女がペアで踊るものだ。映画の終盤、舞先生は杉山に当てた手紙の中で、自分に欠けていたものはパートーナーに対する「信頼」だったと語る。

周防正行監督が、ダンスという素材を通して本当に描こうとしたものは、夫婦のあり方だったのではないのか?という気がした。(さらに、場外の話題として、周防監督と主演女優の草刈民代が、この撮影終了後に結婚したというオチがついている)

1996年の公開で、その年の日本アカデミー賞を総なめにした名作だ。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の解説はここ

当時、まさに中年を迎えて、転機にあった団塊の世代の心をつかんだことが、大ヒットの要因だろう。この作品は海外でも、高く評価され、ハリウッドで、リチャード・ギア主演でリメイクされた。おそらく、中年の危機(ミドル・エイジ・クライシス)は、世界にも通じる課題なのだろう。極めて典型的な日本のサラリーマンを描いたローカルな作品が、普遍的なテーマを描き切ったと言えるだろう。

「Shall we ダンス?」関連の記事はこちら
5月6日:「Shall we ダンス?」を見る(本編)
5月13日:周防監督が書いた「『Shall we ダンス?』アメリカを行く」
6月5日:ハリウッド・リメイク版「shall we dance?」と日本の「shall we ダンス?」の違い
6月6日:リメイク版「Shall we dance?」が描こうとしたもの

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2006年5月 4日 (木)

5月は「若葉」、GWの折り返し

朝晩は、まだ冷えこむが、それでもずいぶん暖かくなってきた。今日からテンプレートを「若葉」に変更した。

これまでのところ、4月29日からのGW期間中の体重は、なんとか現状維持。休みになると増えるということだけは、回避している。

昨日、今日は、5月下旬に計画している同窓会の会場の下見で、新宿の高層ビル街を、歩いて回り、なんとか、納得できる場所が見つけられた。休日のオフィス街は、道路に車は走っているものの、ビルの中は閑散としていて、ホテルと高層階のレストランに人の出入りがあるだけ。まれに、休日出勤と思われるカジュアルスタイルのサラリーマンをエレベーターの中で見かけた。

明日は、昔の職場の仲間3家族で、お台場海浜公園でバーベキューパーティ。食べ過ぎ、飲み過ぎにならないよう注意しなくてはいけない。減量には、明日が最大の難関だ。

4月の前半に集中して仕上げて、提出した7回の通信教育は、今日ようやく最後の第7回の採点が返送されてきた。一応、修了の目安である全体で60%の正答率という条件はクリアしたので、近々「○○士補」の資格はもらえるはずだ。この通信教育、受講料は10万円近い。仕事で必要ということで、最終的には会社が補助してくれるのだが、いったんは、自分で全額払い込み、修了証を提示して初めて、会社が全額を支給してくれる。その点からも、早く終わらせるメリットは大きい。次は、秋の試験に向けて、勉強しなくてはいけない。

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2006年5月 2日 (火)

自分のためのキャリア・デザインを考える、金井壽広著『働くひとのためのキャリア・デザイン』を読んで

昨日、5月1日は、夏のような陽気と思ったら、今日2日は一気に気温が10度ほど下がり、体の方がついて行けない。明日からのGWの5連休で、体調を整えたい。

昨日、『働くひとのためのキャリア・デザイン』(金井壽広著、PHP新書)という本を読み終わった。

働くひとのためのキャリア・デザイン (PHP新書)
働くひとのためのキャリア・デザイン (PHP新書)

最近の新刊というわけでもなく、2002年1月の発行で、もう4年以上経っている。
今週、仕事帰りに、書店に立ち寄った時、別の本を選んだ後、見るとはなしの新書のコーナーをふらふらしていたら、表紙を表に平積みしてあったタイトルが目に入り手にとった。

いつも思うが、本との巡り会いは不思議なもので、発行されてから、多分何度かタイトルくらいどこかの書店で見かけたと思うし、行きつけの書店の新書のコーナーも、何回も見ているのに、今週、初めて、そのタイトルを意識したのだ。
人生や仕事について、この1年くらい、自分がずっと考えてきたことが、すでに学問としてそれなりに研究されていたことを知った。

自分なりの解釈で、この本の内容をまとめれば、人生や仕事には、何年かに一度『節目』があること。特に、その中でも、キャリアという点では学生から社会人となる『就職』の時期と40代の『ミドル』の時期が、大きな節目であること。節目の時期には、一つ時期の『終焉』と一つの時期の『開始』があるが、その間に『中立圏』と呼ばれる混乱・苦悩の時期があり、その『中立圏』での終焉から開始へのつなぎがうまくいかないと、開始された次の時期が安定しないこと。

例えば、『就職』は、学生時代の終焉であり、社会人の開始であるが、その間の中立圏で、自分は何がしたいのか、どんな仕事が向いているのか、よく考えるということだ。

著者は、常時、自分が何がしたいのか、何が向いているのかを考えている必要はないが、『節目』の時期には、これまでの人生や仕事を振り返り、今後の人生や仕事の大まかな方向性や方針を立てて、次の時期に臨むべきだと言っている。そうしないと、ただ、流されるだけに終わってしまう。一方、節目で考えて、方向性が出されていれば、次の節目が来るまでは、むしろ、偶然や新たな出会いも、受け入れる余裕を持った方が、キャリアが豊かになるとも言っている。

ミドルの時期も、人生や仕事の上で、大きな転機・節目である。自分を振り返っても、40歳になって以降のこの5年間が、まさに中立圏の時期だったような気がする。個人としての節目に加え、長引く不況という時代の節目、時代の流れに翻弄された形での合併という職場の枠組みの変化という組織の節目という3つの節目が同時に重なり、時代の混乱、組織の混乱が個人の混乱に輪をかけていた。

最近、自分なりに将来に向けた目標もでき、ようやく、混乱状態からの脱出が見えてきた気がする。個人としての、そうした時期に、この本に巡り会ったことも、単なる偶然とは思えない。今後も、常に座右に置き、行き詰まった時、壁にぶちあった時、開いて読み返したい。

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