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2006年5月25日 (木)

恩師の背中

一昨日の夜、この1ヵ月ほど準備を続けてきた、高校の同窓会が無事終わった。今回の会の趣旨は、我々が入学した時、教員2年目で、我々の学年を初めて担任として受け持ち、また数学の担当教諭として3年間、教壇から我が学年450人の生徒を見守り、送り出してくれた兄貴分のようだったN先生が、昨年春の地元のとある県立高校の校長に就任、さらに今春には、県下一と言われる進学校の校長に就任したことをお祝いをしようと、先生が上京する機会を捉え企画したものだ。

東京近郊を中心に生徒23名が集まり、先生も含め24名の盛会だった。地元の同級生の中では、「母校の校長になったわけでもないのに、どうして東京では、そんなに騒ぐの?」という声もあったらしい。

確かに言われてみればそうかも知れないが、訪ねて行けばいつでも会える地元の人達とは違い、故郷を離れて都会暮らしをしている身にとっては、先生は、自分たちの故郷・自分たちの青春を象徴する存在なのではないか。だから、まず、先生に会う・会えるということが、自分の原点に立ち返る貴重な機会なのだと思う。

もう一つ、今回思ったのは、この混沌とした先の見えない時代の中で、自分の信念を揺るがすことなく教員という仕事を地道に真面目に続け「功なり名を遂げた」だけでなく、家庭にあっては、夫として3人の子の親として暖かい家庭を築き、立派に子育てをされているその姿は、ほぼ10歳年下の我々にとって、仕事でも家庭でも、いつもその背中を追いかける存在なのではないかということである。私のブログのテーマからすれば、中年クライシスを乗り越えた存在と言えるかも知れない。

かつては、職場にも部下に背中で語る上司がいた。将来、こういう風になりたい、なれたらいいなと思わせる、目標とする尊敬できる上司や先輩がいた。しかし、この失われた10年・15年の間に、そういう上司や先輩はほとんどいなくなってしまった。

そんな中「人は何のために生きるのか?」と問いかけ、自分自身では「自分自身の生き甲斐」「社会への貢献」そして「次の世代への継承」と答えるという先生の存在は、我々にとっては、恩師であるとともに、身近にいて背中を追いかけることが出来る(でも多分簡単には追いつけない)数少ない人生の先輩なのだと思う。
N先生、これからもよろしくお願いします。

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