自分らしく生きること、自己実現
前回に続き、海原純子著『こころの格差社会』(角川oneテーマ21)を題材に考えてみる。
こころの格差社会―ぬけがけと嫉妬の現代日本人 (角川oneテーマ21)
『他人に振り回されてへとへとになったとき読む本』(青春出版社、2003年)は、女性を読者層に想定した、自分らしい生き方をテーマにしたものだったが、その後、この3年ほど、内面的な成長・充実といったことは十分議論されることはなく、人から見た基準での「勝ち組・負け組」論が横行していること、ベストセラーとなった『下流社会』(三浦展著、集英社新書)の中で、「自分らしく生きる」ということが、「自分の世界に閉じこもり、上昇努力を放棄した下流の人々の行動パターン」のような形で否定的に書かれていることもあって、この本では、本当の意味での「自分らしく生きること、自己実現」とは、何かを改めて問いかけている。
『下流社会』では、上流と言われる人が、内面的に充実しているのかどうかは、全く議論されていない。上流とは、高学歴、高所得とのイメージであり、世間的でいう成功者であり、勝ち組である。『下流社会』の著者の意図は、彼の言う「自分らしく生きる」ことに逃げこみ、階層上昇のための努力を放棄し下流に甘んじる人々に対して、「本当にそれでいいのか?」と警鐘を鳴らすことにあったと思うが、「下流=負け組」との受け取られ方をされ、一般には、「勝ち組・負け組」議論を助長した本と思われている。
私も、自分の子どもに、「自分らしく生きる、自分の好きなことを見つける」ということを強調するあまり、社会で生きていく基本を身につけるために、学校ではきちんと勉強し、成績が少しでも上がるよう地道に努力するということの大切さを教えることが疎かになっていたのではないかと、『下流社会』を読んで、少々反省した。
『こころの格差社会』の中で、著者は、自分らしく生きること・自己実現というものは、本来そのようなレベルのものではないと説く。著者は「マズローの欲求レベル」を引き合いに、人間の欲求レベルを説明する。
1.「生理的欲求」-最も基本的な欲求、ものを食べる、排泄する、性欲など
2.「安全欲求」-安全な住まい、マイホームがほしいなど
3.「愛と所属の欲求」-愛し愛され、家族を持ち、よりどころを持ちたい
4.「社会承認欲求」-社会の中で職業を持ち、認められたい
5.「自己実現欲求」-自分らしい固有の人生を送りたい
4.の社会的承認欲求までが、自分の外側に向かって求める条件、5の自己実現欲求は、自分の内側に潜むものを実現しようという願い、まさに自分らしく生きるということである。
今回、この本を読んで、自分の中で整理できたことがあった。本当の意味での「自分らしさ」を求めるようになるまには、時間がかかるということである。著者は次のように語る。
自己実現欲求というのはその前段階の4つの欲求、「生理的欲求」「安全欲求」「愛と所属の欲求」「社会承認欲求」が満たされた上でないと生まれないもので、自己実現欲求が生じたにしても、それを満たすために行動するには、前の4段階をクリアしていないと土台がぐらついたものになる。(中略)
「自分らしく生きる」というのは、まず条件として、「生理的欲求が満たされていて、住む場所があり、平和で、社会参加し、家族や、家族がいなくても愛する人や動物がいることが必要なのである。
この段階までをクリアするのにはある程度時間がかかる。(中略)だからまずは、この社会的承認欲求までを満たすべく努力するのは間違いではないだろう。
今の日本の多くの人々が行き詰まって満足感がないのは、各々立場や環境は異なっても、みなが全員ベクトルを外側にむけつづけ「個人のなりうるもの」を達成していないからである。ベクトルを外にむけ、外的条件を求めつづけるから不満が起きているのである。(『こころの格差社会』171~172ページ)
「社会的承認欲求」が満たされて初めて、「自分らしく生きる・自己実現」ということが、問われてくるということを考えれば、それには程遠い子どもをつかまえて、「自分の好きなことをみつけ、自分らしく生きる」ことを求めることが、性急過ぎたことがわかる。
(もちろん、子どもにも、自分が何をしている時が楽しく、何が好きなのかを考えさせることは、無駄なことではないと思うが、その前に、規則正しい生活が送れ、社会的常識を身につけ、自分ひとりでも生けていける力を養うことの方が、より重要だろう。)
「中年の危機」(ミドル・エイジ・クライシス)は、ある程度「社会承認欲求」が満たされているからこそ、生じてくる問題なのだろう。
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