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2006年6月 8日 (木)

愚痴りたい女、解決したい男

結婚して20年近くになるが、未だに夫婦の会話の中で、うまく噛み合わないことがある。
だいたいにおいて、妻が自分の身の回りのことに様々な不満があって、愚痴を言い出すのが始まりだ。
話かけられた私は、つい職場での思考パターンで「妻はその不満な状況・状態を何とか改善・解決していたいと思って、私に意見を求めているのだろう」と考え、「こうしたらどうだろう?」、「ああすれば、良いのではないか」となり、テンションが上がってくると「こうするべきだ!」と断定口調になってくる。
そうすると、妻の方は、「ただ、私は話をきいてもらえれば、それでよかったのに」と、多少しらけ気味になってくる。だったら、最初からそう言ってくれればいいのに、と思うのは私だけだろうか?

そんなことを考えていたら、最近読んだ集英社新書の5月の新刊『大人のための幸せレッスン』(志村季世恵著、サブタイトル「自分を幸せにする31の方法」)の中で、幸せレッスン12として「<悪口>と<問題解決>を区別する」という一文に出会った。

セラピストである著者のところには、様々な人が訪れる。レッスン12で登場するTさんは、少々うつ病ぎみ。伝統ある旧家の本家の嫁として、姑、小姑と同居し、しきたりや体面ばかりが重んじられる生活の中でストレスも多い。自分のうつの解決のヒントを求めて通院しているはずなのに、来院すると、夫ををけなし、姑や義姉妹をののしるばかりで、本来の問題解決について考える前に、カウンセリングが終わってしまうことが続く。そこで著者は、自らの経験の託して問いかける。

「私もね、ときどき自分の心の中の悲しみや苦しみを、誰かにわかってもらいたいときがある。解決の糸口やアドバイスが欲しいのではなくて、愚痴に付き合ってほしいと思うことがあるから。あなたも、そういうのと同じで、ご主人に嫁として頑張っていることをねぎらってもらったり、愚痴に耳を傾けてほしかったのではないかなって思って」(『大人のための幸せレッスン』84ページ)

その言葉に泣き出してしまったTさんは、

「カウンセリングを受けていても、自分の気持ちを見つめるよりも、主人への、<苦情や悪口>を聞いてもらいたいって、そう思っていました」(同書85ページ)

と語り、自分の心の動きに気づいていく。著者は、<苦情や悪口>モードと<問題解決>モードを区別し、人に話すときも、自分がどちらのモードなのか明らかにすることを勧める。

なぜなら、この二つのモードは向かっている方向がまったく異なるからです。<苦情や悪口>モードは自分をわかってほしいほうに向いている。これは解決とは違う方向です。この二つのモードに同時に入ろうとすると、どちらにも進めずに苦しむことになるのです。(同書88ページ)

実は、この本は、最近少々疲れ気味の妻にと思って買ってきたのだが、大学受験を控えた長女の方が先に読んで気に入り、ならばと私が読み、2人で妻に勧め、現在、妻が読んでいるところだ。

これから、妻に「ねえねえ、きいてよ」と声をかけられたら、こちらも、お互いの時間を無駄にしないためにも、「愚痴を聞いて欲しいだけ」なのか「問題の解決策を考えて欲しい」のか事前に確認するようにしよう。

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