« ハリウッド・リメイク版「shall we dance?」と日本の「shall we ダンス?」の違い | トップページ | 愚痴りたい女、解決したい男 »

2006年6月 6日 (火)

リメイク版「Shall we dance?」が描こうとしたもの

「Shall we ダンス?」の周防正行監督は『小説版Shall we ダンス?』(幻冬舎文庫)では、映画とは違った結末を描いているのだが、この文庫は、リメイク版が日本で公開されるタイミングで増刷されたようで、私の手元にある本の表紙はイラストではなくリチャード・ギアとジェニファー・ロペスが踊っているリメイク版の1シーンがコラージュしてある。
(日本版のファンで、まだ小説を読んでいない方は、ぜひ一読を勧めたい。映画では、直接、表現されていない背景のディテールや監督の思いが随所に散りばめられている)

監督自身の「あとがき」も2種類あって、本来の「あとがき」に加え、増刷の際に追加されたと思われる「アメリカ・リメイク版によせて」という文章がある。 監督がカナダにリメイク版の撮影の見学に行った時、主演のリチャード・ギアから、次のように言われたという。

「オリジナルは日本文化が重要なキーになっている。つまり、日本では、見知らぬ男女が人前で抱き合って踊ることはタブーだ。しかし、アメリカではタブーではない。それでは、どうやってオリジナルのストリーをアメリカに移し替えるか。そこで、アメリカ人にとってタブーは何かと考えた。それは、自分が不幸であると表現することだ。」(『小説版Shall we ダンス?』幻冬舎文庫版315ページ)

それは、どう表現されたのか。監督は次のように語る。

(前略)離婚もしておらず、経済的にも恵まれていて、郊外の一軒家に素行に問題のない子供たちと一緒に住んでいるという状況、これはまさに現代アメリカの理想の家族だ(ということらしい)。その理想の家族の夫が、ある日、(中略)ダンスを習い始める。
 なぜか?
それは、自分でも気がついていなかった「不幸」が自分の中にあるということだった。ダンスを習いながら、アメリカの理想の夫はそのことに気づくのだ。(中略)隠さなければならなかったのは、ダンスを習う理由だった。
(同書315、316ページ)

だからこそ、ダンス会場から立ち去る妻と娘を追いかけて、理想の夫は必死で弁解しようとしたのだろう。

アメリカのタブーが破られた時、夫婦は別れてしまうのか?
いや、そうではない。タブーが破られることで、却ってより深くお互いを理解しようとし、その結果、絆が強まってゆく。そういった夫婦の再生の物語がリメイク版アメリカ映画の目指したところであるようだ。(同書316ページ)

リメイク版の製作が決定する以前、日本版のオリジナルをアメリカで公開したとき、監督は決まって2つのことを訊かれたという。

「どうして奥さんはパーティーに一緒に行かなかったのですか」
「このあと、夫婦はどうなるのですか」
実は、この質問に答えることが、アメリカ・リメイク版のテーマだったと、いうこともできるかもしれない。

ちなみにアメリカ版は、二つの質問の答えをはっきりと示して終わる。いや、夫婦のこれからだけではない。主要登場人物のその後までも見せてくれるのである。  アメリカ人がリメイクしてまで見たいと思ったもの。それは、幸せな隣人たちの囲まれた、幸せな家族の姿だった。

リメイク版は、やはり主人公とその妻の関係のあり方、その変化が最大のテーマだったということだろう。確かに、妻の描かれ方と反比例するように、日本版オリジナルでは、あれだけ存在感のあるダンス教室の先生(舞)は、リメイク版(ポリーナ)では影が薄い。

オリジナルでは、主人公と舞との関係も、主人公と妻昌子の関係も、これから、まだどうなるかわからないというところで終わっている。しかし、果たして、現在、同じテーマで日本で映画化した時、同じ描かれ方になるだろうか?

「中年の危機」というテーマは、それなりに普遍性があると思う。オリジナルでは、役所広司演じる主人公杉本の危機が描かれているが、裏を返せば、それは原日出子演じる妻昌子の「中年の危機」とも言える。
日本でも女性の意識は、この映画が作られた10年前とは大きく変化している。現在なら、主人公の妻は昌子のように黙ってはいないだろう。

映画としては、その感情表現の繊細さ含め、日本版オリジナルの方がはるかに味わい深く余韻が残る作品だと思うが、描かれる夫婦の姿は、(現実とは違う理想の姿かもしれないが)アメリカの方が一歩先を行っているように思う。

これまでの「Shall we ダンス?」関連の記事はこちら
5月6日:「Shall we ダンス?」を見る
5月13日:周防監督が書いた「『Shall we ダンス?』アメリカを行く」
6月5日:ハリウッド・リメイク版「shall we dance?」と日本の「shall we ダンス?」の違い
6月6日:リメイク版「Shall we dance?」が描こうとしたもの(本編)

|

« ハリウッド・リメイク版「shall we dance?」と日本の「shall we ダンス?」の違い | トップページ | 愚痴りたい女、解決したい男 »

恋愛」カテゴリの記事

映画・テレビ」カテゴリの記事

家族」カテゴリの記事

人生」カテゴリの記事

コメント

それで、結局拓庵さんは、これを見て社交ダンスを習いたいと思ったのかどうか? さらにいっしょに踊りたいのは奥さんかそれともダンス教室で知り合った美しい女性か? それが問題では?

投稿: へのへのもへじ | 2006年6月 6日 (火) 22時34分

へのへのもへじさん、コメントありがとうございました。
私は、この映画を見て、自分も社交ダンスを踊りたいとは思ったことはありません。
社交ダンスも、そこにいる美しい中年の女性も、「中年の危機」を表現するための、ひとつの題材であって、本質的に問われるているのは、20年近く過ごしてきた夫婦のあり方だと思います。
妻でなく、美しい女性を選ぶことは、それまでの自分の人生そのものを否定することになると思います。
ちなみに、記事で取り上げた『小説版 Shall we ダンス?』では、主人公杉山は、舞の送別パーティには行かず、自分がダンスの練習を続けてきた公園で、一人踊るという結末になっています。

投稿: 拓庵 | 2006年6月 7日 (水) 02時58分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: リメイク版「Shall we dance?」が描こうとしたもの:

« ハリウッド・リメイク版「shall we dance?」と日本の「shall we ダンス?」の違い | トップページ | 愚痴りたい女、解決したい男 »