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2006年7月の記事

2006年7月31日 (月)

関東もようやく梅雨明け

昨日(7月30日)、中国地方から関東地方まで、ようやく梅雨が明けた(気象庁:「平成18年の梅雨入りと梅雨明け(速報値)」)。

関東甲信地方では、平年より10日遅い梅雨明け。心配していた梅雨明けが8月までずれ込む事態は回避できた。今回の豪雨の原因となった複雑な大気の流れは、気象庁のホームページに説明がある。(気象庁:「平成18年7月15日以降の大雨に関連する大気の流れについて」
東から張り出す太平洋高気圧の周辺部に、西から湿った暖気流が流れ込み、その暖気流の上に、北方から寒気が流れ込み、梅雨前線が作られ、活発に活動した。さらに、太平洋高気圧が強力だったため、高気圧の壁で前線が動けず停滞、結果として豪雨を招くことになったようだ。

ということは、梅雨明け後は、強力な太平洋高気圧の影響で、一気に暑い夏になるということになりそうだ。

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2006年7月30日 (日)

人生の四季 、『ライフサイクルの心理学』を読み終わる

先日から読んでいた『ライフサイクルの心理学』(ダニエル・レビンソン著、南博訳、講談社学術文庫)の原題は”THE SEASONS OF MEN`S LIFE”で、日本で最初に出版された時は、「人生の四季」というタイトルだったそうだ。文庫化する際、改題したそうだ。前のタイトルだと、老人の回顧録のようにも聞こえる。

ライフサイクルの心理学〈下〉 (講談社学術文庫)
ライフサイクルの心理学〈下〉 (講談社学術文庫)

その『ライフサイクルの心理学』の下巻を、昨日ようやく読み終わった。1970年前後の米国の4つの職業(生物学者、小説家、企業の管理職、労働者)の40代の男性10人ずつ計40人のそれまでの人生を丹念に面接調査で聞き出し、そこに共通にサイクルを見いだし、仮説を提示している。

本書の本来のテーマ自体は、まさに、このブログのテーマそのもので、じっくり、数回に分けて書きたいと思うが、この本の最後の方で書かれていた事が、印象的だったので、まずそれを書きたい。

「原始の時代からの長い人類の歴史の中で見れば、家庭というものは、狩猟が中心の時代に、次の世代が自ら狩猟に出て獲物を得て、自活できるようになるまで期間、最も効率的に次の世代を育てるためのシステムであった。20才前後に成人し、自ら生活できるようになるまでが、子育ての期間である。原始の時代には、病気、飢え等で、成人までに亡くなるものもいる。親の世代も、子供が巣立っていく40才の頃には既に衰え、死んでいく者も多かった。
40才以降の中年の時期を、人間が生きるようになったのは、歴史的に見れば、ごく最近の事なので、中年以降のうまい過ごし方は、まだ確立されていないし、それは、更に1000年~2000年という単位でしか、根付いていかないのではないか。」というような趣旨の事が書いてあった。
河合隼雄氏の『対話する人間』にも、似たような話があったが、あの時は、日本の戦国時代が人生50年という話であった。今回は、一気に遡って何十万年という単位の話である。

そう考えれば、我々個々人が悩むのも当然だし、ここで考えた何がしかが、次世代へ引き継がれ、1000年~2000年先の人間の生き方に多少でも役に立てば、それも悪くないかなと思ったりした。

*追記(2006年11月23日)
タイトルを当初の「人生の四季」から「人生の四季、『ライフサイクルの心理学』を読み終わる」に変更しました。

*『ライフサイクルの心理学』関連記事
7月19日:本格派に挑戦『ライフサイクルの心理学』
7月30日:人生の四季、『ライフサイクルの心理学』を読み終わる

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2006年7月27日 (木)

関東の梅雨明けはいつ?

東京も、昨日・今日は、長雨からようやく解放されたと思ったら、一転、蒸し暑い日に逆戻り。当然、長袖のワイシャツから半袖に替え、ノーネクタイで出勤している。

気象庁のホームページによれば、九州と四国はようやく昨日(7月26日)が梅雨明けだったようだ。

九州南部は平年の梅雨明けが7月13日ごろ、昨年が7月15日ごろなのに対して、今年は26日と10日以上遅れている。九州北部、四国も一週間以上遅れている。九州北部、四国は梅雨入りも平年より数日遅かったが、九州南部は梅雨入りも平年より3日早く、結局2ヵ月梅雨だったことになる。

特に7月の中旬からの梅雨末期の大雨は記録的で、「平成18年7月豪雨」と名付けられたそうだ。(参照気象庁HP:「平成18年7月豪雨」)
『NHK気象・災害ハンドブック』によれば、大雨は多量の雨を示し、豪雨は「災害をも含んだ空間的・時間的なまとまりをもった現象に使用されている」とある)
特に、熊本、宮崎、鹿児島んが県境を接するえびの高原近辺が多く、宮崎県えびの市、鹿児島県大口市では15日から24日の10日間で1000mmを超える雨量だった。

関東甲信越の梅雨明けは、平年では7月20日ごろだが、すでに一週間経過。平年では、九州南部の梅雨明けの1週間後が関東甲信越の梅雨明けなので、ひょっとすると、過去あまり聞いたことのない8月の梅雨明けもあるかもしれない。

冬が豪雪で、夏には豪雨。日本の気候は、いつになったら平年並に戻るのだろう?

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2006年7月25日 (火)

Edyを使う

仕事で、非接触型ICチップを調べたせいもあって、最近、電子マネーに関心がある。

Suicaは、以前からJRに乗る時に使っていたが、ライバルのEdyについては、コンビニなどで、わざわざ現金を払ってチャージしてもらうのも、おかしな気がして、Edyがセットされたクレジットカードは持っていたものの、使ったことがなかった。

しかし、調べてみると、「プロント」にはEdyにチャージできる機械があるということで、出勤途上にあるプロントにより、とりあえず1000円チャージしてみた。

あとは、コンビニなどで買い物をする時、レジでEdyマークのところに、カードをかざせば、チャリンという電子音(作られた音という点では、デジカメの電子シャッター音と同じだ)がして代金が引かれる。財布から小銭を出さなくていいのは、便利だ。

次の関心は、「おサイフケータイ」である。携帯電話に非接触ICチップを搭載し、SuicaやEdyのアプリケーションをダウンロードして使う。ドコモは、ほとんどの新型端末が「おサイフケータイ」対応なのだが、私の使っているauは「おサイフケータイ」対応機種が少ない。もうしばらく、今の端末を使い、auで対応端末の品揃えが増えたら、「おサイフケータイ」に機種変更しようと考えている。

プラスチックカードからケータイ端末へ、決済ビジネスのツールも本当に移り変わっていくのか、興味津々というところだ。

関連記事:7月2日「カード」から「ケータイ」へ

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2006年7月24日 (月)

「うつ」の話

NHKで「女性のうつ」についての番組があった。

育児による「うつ」、働き過ぎのよる「うつ」、妻の「うつ」を何とか支えようとするうち夫も「うつ」になってしまったケースも取り上げられていた。

今、読んでいる『ライフサイクルの心理学』では、年齢に応じて、それぞれの時期に解決しなければならない課題、身につけておかなければならない課題があって、それがタイミングに応じて、上手くクリアされていかないと、一見、順調に行っているように見えても、数年後には破綻をきたし、結局は、未解決の課題を解決することを迫られた例がいくつも出てくる。そのためには、自分の行動や考え方を修正し、生き方を変えていかなければならないが、簡単ではない。

「うつ」の場合も、「性格が几帳面で真面目な人がなりやすい」という一般論よりも、それぞれの個々人が、その時期に解決すべき課題をクリアしないままに、それに気がつかずに、次に進もうとしたことで、「潜在意識」の方が、それに対して「NO」という答えを突きつけたのが、「うつ」と考えることもできるのではないかという気がした。

『ライフサイクルの心理学』はようやく、上巻が読み終わったところで、下巻がいよいよ本論の40~45才の「中年への過渡期」「人生半ばの過渡期」の解説である。読み終わったところで、エッセンスだけでも紹介したい。

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2006年7月22日 (土)

サマータイム実験に思う

朝日新聞の夕刊に、札幌を中心に行われているサマータイムへの取り組みの記事が出ていた。

札幌商工会議所が呼びかけて始まったようで今年で3年めとのこと。夏場の始業時刻、終業時刻を1時間ずつ早めるものだ。昨年、私が札幌にいた時は、高橋北海道知事も参加したということで、話題になっていた。

札幌の夏の夜明けは早い。早いときには、3時半くらいから明るくなる。出勤前に、ハーフラウンドならゴルフもできると聞いたことがある。かといって、日暮れが早い訳ではない。高緯度なので、夏は昼間が長くなるのだ。1時間始業時刻を早めても、地域で完結している仕事なら、おそらく全然問題は起きないだろう。
その代わりに、冬は早く日が暮れる。午後4時頃から暗くなり出し、4時半には真っ暗になる。

おそらく、いくら書かれたものを読んだり、TVのニュースを聞いても、そこで生活してみなければ、それを実感することは難しい。記事には、東京ではまったく関心がないこともあわせて書かれている。東京でしか生活したことがなければ、北海道の夏の昼の長さも、冬の昼の短さも、理解できない。
かくいう私も、東京・九州・北陸で生活したことがあるが、北海道の気候・風土は理解の範囲を超えていた。以前にもこのブログで書いたと思うが、1年の北海道暮らしでの自分なりの理解は「北海道は日本の一部だが、気候・風土は別の国と考えるべきだ」ということである。

同じ日本の中の北海道でさえ、暮らしてみて初めて実感することばかりであるとすれば、まして、イスラエル・レバノン紛争をはじめ、外国の国々の事情などそう簡単に理解できるものではないのだろうと、当たり前のことをふと思った。

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2006年7月21日 (金)

夏休みなのに集中豪雨

今日から、小6の長男と中3の次女は夏休み。しかし、日本各地で降り続く梅雨末期の集中豪雨で、各地に被害が続出しているし、東京も長雨が続き、夏休み気分にもなれない。

先週の猛暑の時には、半袖ノーネクタイで出勤していたが、気温が下がり雨ということもあって、今週は久しぶりに長袖のワイシャツを着て上着も着ての出勤だった。

「集中豪雨」という言葉を『NHK気象・災害ハンドブック』(NHK放送文化研究所編、NHK出版)で調べて見ると、その由来について書いてあった。

集中豪雨ということばが初めて使われたのは、1953年8月15日の朝日新聞夕刊(大阪本社版)とされている。「集中豪雨 木津川上流に」という見出しで、本文にも「(前略)激しい雷と豪雨を伴って木津川上流に集中豪雨を降らせ」とある。集中豪雨という表現が現象を的確に表現していたため、マスコミ用語からしだいに気象用語としても定着するようになった。(『NHK気象・災害ハンドブック』39ページ)

新聞で、天竜川の堤防が決壊し、アスファルト道路を押し流し、送電線の鉄塔の土台のすぐ近くまで迫っている写真などを見ると、自然の猛威の恐ろしさを感じずにはいられない。

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2006年7月20日 (木)

心星(しんぼし)

今日は、ゆえあって『美人の日本語』(山下景子著、幻冬舎)から、7月20日の言葉をご紹介して、記事に替えたい。

「心星(しんぼし)」
北極星・ポラリスのことです。小熊座の二等星。いつも、真北の天に輝いています。古代中国では、天帝の居場所とされていました。
別名もたくさんあります。北(子・ね)の方角に見えることから子の星。方角を知る星だから方角星、目あて星。まわりに明るい星がなく、ひとつだけぽつんと光って見えるからひとつ星。そして、まわりの星があたかも北極星を中心に回っているように見えるので、星空の中心に見立てて心星。
道に迷った人も、大海原で途方にくれた船人も、空を見上げ、この星を標(しるべ)としたことでしょう。
あなたの心の宇宙にも、きっと心星があるはずです。
迷った時、途方にくれた時、この星を探してみてください。
(『美人の日本語』より)

美人の日本語
美人の日本語

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2006年7月19日 (水)

本格派に挑戦『ライフサイクルの心理学』

5月の初めに、このブログで、『働くひとのためのキャリア・デザイン』(金井壽宏著、PHP新書)の紹介をしたが、その中で、取り上げられ、大きく影響を与えたと思われる著作が『ライフサイクルの心理学』(ダニエル・レビンソン著、南博訳、講談社学術文庫)である。

ライフサイクルの心理学〈上〉 (講談社学術文庫)
ライフサイクルの心理学〈上〉 (講談社学術文庫)

ライフサイクルの心理学〈下〉 (講談社学術文庫)
ライフサイクルの心理学〈下〉 (講談社学術文庫)

読みたいと思っていろいろな書店に行くたびに探していたのだが、ほとんど書店に在庫がなく、唯一、新宿の紀伊国屋本店だけ、上下2冊組の上巻だけ置いてあった。しかし、新刊コーナーにあるものの本自体が汚かったし、上下揃わなければ意味がないと、その時は買わずじまいだった。

その後も、見つからないので、半ばあきらめていたところ、6月下旬に掘り出し物が見つかる白金高輪の古書店に寄った時に、ひょっとしたらと探したところ、若干、ページが折られたりしているところはあるものの、新刊並に状態の良い上下2冊組を発見。価格も新刊で買えば上下2冊で2100円のところ、1102円とほぼ半額の値付けに、文句はなく、即購入した。
その時点で、少し読みかけたが、その後「ゲド戦記」シリーズを買って読み始めたので、「ゲド戦記」が終わるまで、小休止していたが、ほぼ1ヵ月ぶりに読み始めた。

読み物というよりは、心理学の報告書のような内容で、1968年から1971年にかけて米国エール大学で、当時40代の男性40人への面接調査をもとにして書かれたもので、人の成長は、少年期から青年期で終わるのではなく、成人して以降も、いくつかの節目を経ながら、成長が続いているという仮説を提示したものだ。
中でも、17才から45才までを大きく成人前期、40才から65才までを中年期とし、両方が重なる40才から45才までを中年期への過渡期ととらえ、17才から22才までの成人への過渡期と並んで、人生の転換期ととらえている。
現在では、生涯発達心理学という分野として研究が進められおり、本書自身は既に、この分野の古典とも呼べる存在のようだ。

久々に、ブログのテーマに沿った本格的な著作に挑戦だ。聞きかじり、読みかじりの自分にどこまで、解き明かせるかわからないが、自ら生きて来た45年とも照らしあわせながら読み、良い表現やフレーズがあれば、おいおい紹介していきたい。

年齢的には、そろそろ、中年期への過渡期が終わり、安定した中年期を迎えてもいい頃なのだが、相変わらず、のたうち回っているような気がする。著者レビンソンによれば、各期の始まりや終わりは、標準で示されたものに対して、前後2年程度の違いはあるようなので、まだ、しばらくのたうち回るのかもしれない。

*追記(2006年8月30日)
タイトルを当初の「本格派に挑戦」から「本格派に挑戦『ライフサイクルの心理学』」に変更しました。

*『ライフサイクルの心理学』関連記事
7月19日:本格派に挑戦『ライフサイクルの心理学』
7月30日:人生の四季、『ライフサイクルの心理学』を読み終わる

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2006年7月18日 (火)

いつの間にか100タイトル

ココログの管理ページには、これまでに投稿した記事の総数がカウントされ、しばらく前に100を超えていた。しかし、その中には、タイトルだけの下書き(もちろ公開していない)や、1ヶ月ほど続けたブログペットの投稿などもあったので、自分で書いた分だけで、100タイトルになったら、一度、区切りの記事を書こうと思っていた。

下書き分を削除したところ、前回までの記事の総数は106。うち、ブログペット分が5件あるので、前々回の「ゲド戦記全6巻読了」の記事が記念すべき100回目だった。2月26日に書き始めて、5ヵ月足らずで100タイトル。3日に2本というペース。次の目標は、200タイトルにおいて、また一歩ずつ書き続けることにしたい。

以前、当面1日のアクセス数を100にするのが目標と6月下旬に書いたが、ココログのアクセス不良の不具合の抗議の記事を書いて、ニフティの社長のブログにトラックバックしたら、ココログのメンテナンスが始まった11日から4日間、アクセスが100を超えた。中でも11日と14日は200アクセスを超えてしまった。やはり、今回の不具合とメンテに対して、社長がどのようにコメントするかは、ココログユーザーの関心が高いのだろう。有名人のブログにトラックバックする効果を実感した。

15日からは、いつもの状態に戻っている。そのような特殊要因なしに、1日100アクセス達成を引き続き目標にしつつ、200タイトルを目指していきたい。

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2006年7月17日 (月)

3人で過ごした1日半

我が家は5人家族で、いつもは誰彼となく喋っていて、にぎやかと言えばにぎやかだし、落ち着きがないと言えば、落ち着きがない。

ところが、昨日の朝から今日の夕方まで、家にいる家族が3人に減ったせいで、いつもとは違う静かなたたずまいだった。
小6の長男が、通っている剣道の道場の合宿で土曜日から泊まりがけで出かけているのに加え、妻も昨日から1泊2日で外出していて、家には私と高3、中3の娘2人の3人が残った。

まず、長男がいないと、TVを見る時間が極端に減り、リビングの雑音がなくなる。また、長男が家の手伝いをしないと言って怒っている次女が静かになる。また、我が家では結構、妻がダジャレなどを言って、家族を笑わせたりしているのだが、その声も聞こえない。せいぜい、朝寝坊の娘2人を早く目が覚めてしまう父が「起きなさい!」という程度で、長女が「2人いないと本当に静かだね」としみじみと語っていた。

家族の中でも、知らず知らずのうちに、役割分担のようなものができあがっているのだろう。私が単身赴任していた1年間の我が家の雰囲気は、どうだったのだろう。自分では確かめようがないが、気になるところではある。

子ども達が巣立っていけば、これが、今度は私と妻の夫婦2人の生活になる。ゲド戦記の第4巻『帰還』でのケドとテナーのような生活であろうか?そんなことを、ふと考えた1日半だった。

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2006年7月16日 (日)

ゲド戦記別巻『ゲド戦記外伝』

ゲド戦記の別巻『ゲド戦記外伝』を、今日、ようやく読み終わった。

ゲド戦記別巻 ゲド戦記外伝 (ソフトカバー版)
ゲド戦記別巻 ゲド戦記外伝 (ソフトカバー版)

この別巻は、外伝というタイトルが示す通り、第1巻『影との戦い』から第5巻『アースシーの風』までのメイン・ストーリーに対して、アースシーの世界の過去から第5巻の直前の現在までを舞台にした5つのサブ・ストーリーと著者自身によるアースシー解説からなっている。

サブ・ストーリーとはいうものの、第1話の『カワウソ』は、ゲドが学んだロークの魔法学院がいかにして作られたのかが語られているし、第3話の『地の骨』はケドの故郷ゴント島での師であったオジオンがいかにして大地震を防いだのか、その真実を伝えている。第5話の『トンボ』は、ゲドが去った後のロークの魔法学院(女人禁制)に、自分が何者かを確かめるために、男装して入ろうとした女性の話であるが、このトンボと呼ばれる女性は、第5巻の『アースシーの風』で重要な役割を果たす。
米国で発表された際には、第5巻の前に、この別巻が発表されたようで、むしろ第4巻『帰還』までに細かく語られなかった部分を語り、第5巻につなぐ位置づけにあり、これから読む人は、この別巻を読んでから、第5巻『アースシーの風』を読んだ方が、より楽しめるだろう。

第1巻『影との戦い』を読み始めて、ほぼ1ヵ月。ようやく読み終わった。第5巻が終わったところでも書いたが、一度通読しただけでは、まだとても全体像がつかめた気がしない。あと2回くらい、読み通して始めてわかるような気がする。

スタジオジブリの映画の公開が間近に迫ったこともあり、ゲド戦記シリーズの解説本も出ているようだ。そういうものも、参考にしながら、作者の書こうとしたものについて考えることにしたい。

*関係する記事
6月20日:ゲド戦記6冊セットと第1巻『影との戦い』
6月22日:『影との戦い』

6月26日:ゲド戦記第2巻『こわれた腕環』
6月30日:ゲド戦記第3巻『さいはての島へ』

7月5日:ゲド戦記第4巻『帰還』
7月9日:ゲド戦記第5巻『アースシーの風』
7月16日:ゲド戦記『ゲド戦記外伝』(本編)
8月5日:『ゲド戦記』宮崎吾朗監督のメッセージ
8月13日:映画『ゲド戦記』を見て

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2006年7月15日 (土)

お茶犬ミニメモ&ケース

今、コンビニで伊藤園の「おーいお茶」のペットボトルを買うと、お茶犬ミニメモ&ケースというおまけがついている。(伊藤園の「お~いお茶 首かけキャンペーン」)

こういうおまけにつられて、ものを買ってしまうのは、自分でも情けないと思うのだが、今回のおまけのメモは、以前、このブログでも書いたポスト・イットの見出し用(50mm×15mm)とほぼ同じサイズで、薄い緑色。メモのはしに「おーいお茶」のロゴが小さく入っているが、目立つほどではない。裏面のノリは、ポスト・イットより、すこし広めに塗ってあるので、貼ったときの安定感がある。本を読んだ時のチェック用に貼るのにちょうどいい。

ミニメモを使い終わっても、見出し用のポスト・イットを持ち歩く時のケースにも使えるので、ここのところ、毎朝、出勤の際に1本買って、4個たまった。つい、こういうものを見せられると集めたくなるのは、悪い癖で、しばらミニメモ&ケースが増えそうだ。

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2006年7月13日 (木)

ココログ、メンテナンス終了

ココログの丸2日に及んだ異例のメンテナンスが終了した。今のところ、メンテナンス前のようなほとんど管理ページに繋がらないような状況は発生していないようだが、もう少し様子を見ないと何とも言えない。

ここしばらく間の、管理ページへのつながりにくさは、相当広範囲に及んでいたようだ。私も、ささやかな抗議の意味を込めて、前回、11日の朝に書いた記事を、ニフティの古河社長のブログにトラックバックさせてもらった。一度、保存の途中で接続が切れてしまったので、再度、保存したところ、1度目が上手く繋がっていたようで、結局、同じものが二つトラックバックされてしまった。

たびたび続く、不調にいらだっていたのは、私だけではないようで、「【特設】ココログレスポンス問題お知らせブログ」のコメントには、多くの怨嗟の声が寄せられている。今回の異例の事態に社長自身が、ユーザーに対してどう語りかけているのかという思いで、社長のブログを見た人も多かったと思う。しかし、トラックバックされている作家の大石英司さんの「古河社長に再び退任を求める」の記事にも書かれているとおり

事態の深刻度が増していた先週後半のまさにその時、古河社長が、ご自身のブログにおいて、呑気にもnifty BB Festaのパブリシティのエントリーをアップロードなさっていらした

のを見て、ココログに対してシンパシーを持っていた人の中にも、失望した人が多かったのではないかと思う。

ブログは、日記なのだから、サービス提供者側からすれば、一度始めると、365日、24時間止める訳にはいかない。それだけに、不具合が生じても、抜本的な対応が取りにくい。銀行のATMのように、土日や連休に止める訳にもいかないし、かといって平日もユーザーは書き続ける。ユーザーからの悪評を気にすればするほど、抜本策は遅れただろう。

今回の不具合が無料サービスであれば、それほど文句は出なかったと思う。しかし、ココログの有料ユーザーは、富士通・ニフティというブランドを信頼したからこそ、他のブログではなくニフティを選択し、安定性と継続性に対して月額何百円かを支払っているのではないだろうか。それに対する仕打ちが、無料ユーザーの受け入れが始まった途端の有料ユーザー側ので相次ぐ不具合であり、それに対して十分な説明がなされないということであれば、有料ユーザー側も、そろそろ我慢の限界に達しつつあるのではないかと思う。

「顧客保護」が世の流れとなり、大手銀行や保険会社が顧客保護の視点が不十分ということで、監督官庁の金融庁から営業停止などの厳しい処分を受けていることを考えれば、今回のニフティ・ココログの不具合は、対価に見合ったサービスを提供していなかったというサービスの質の低下という点と、そのことについての顧客への説明の不十分さから、監督官庁があれば業務改善命令ものだと思うし、社長が個人とはいえブログを開設し、ココログのトップページに個人名を明示したブログとしてリンクを張っている以上、ユーザーは社長としての見解を期待すると思う。
あくまでも、「個人のブログですよ」ということに徹するなら、ココログのトップページからリンクを張ることなどやめた方がいいと思う。ココログという自社のサービスのトップページにリンクを張り、社長ブログを続けるというのであれば、今回の事態に対して、会社のトップとしての相応の見解を示すべきではないだろうか?

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2006年7月11日 (火)

今日からココログのメンテナンス

ココログの夜間の管理ページへのアクセスしづらさは、最近、さらにひどくなっていて、記事の新規作成のページまで、ほとんど行き着かない。朝、早起きして書ければいいのだが、毎日そうも行かず、連続の書き込みも先週金曜日で途切れてしまった。

いよいよ、今日(11日)の午後2時からあさって(13日)の午後2時までの、2月末に私がココログでブログを始めてからは、例のない長時間のメンテナンスが始まる。

あまり、文句を言うのは好きではないが、わずかとはいえ、毎月コスト負担している有料会員としては、もう少し、快適なサービスを提供してほしいというのが、偽らざる心境だ。今回の大がかりなメンテナンス後も、アクセス不良が続くようだと、ブログの乗り換えも考えなくてはいけないかもしれない。

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2006年7月 9日 (日)

ゲド戦記第5巻『アースシーの風』

ゲド戦記第5巻『アースシーの風』を昨日読み終わった。

ゲド戦記 5 アースシーの風
ゲド戦記 5 アースシーの風

第4巻『帰還』で、魔術師としての力を失ったケドは故郷のゴント島に戻り、第2巻『こわれた腕環』でカルガド帝国の墓所から救い出したテナーと結婚し、テナーが引き取って育てている娘テルーとともに、ゲドの恩師であるオジオンの家で暮らし始める。第4巻では、最後に、ゲドとテナーの危機をテルーが救うことになる。

『アースシーの風』では、『帰還』からさらに年月がたち、老年となったゲドのところに、ハンノキという男のまじない師が訪ねて来るところから始まる。テナーとテルーは、第3巻『さいはての島へ』で、ゲドと生死をともにした後、王となったレバンネン(アレン)から呼ばれ王の住むハブナー島へ出かけている。
ハンノキは、死に別れた妻ユリに呼ばれて夢の中で、黄泉の国の石垣を乗り越えてあちらの世界に行きそうになる。どうしたら、夢を見なくなるか、ゲドに尋ねに来たのだ。ゲドは、動物を飼い自分の近くに置けば、夢を見なくなるかもしれないと考え、ハンノキに一匹の子猫をもらってやる。しかし、自分のところでは、これ以上なにもしてやれないと、レバンネン王の手紙を託け、ハブナーに行くように勧める。

一方、ハブナーでは、レバンネン王が西の海で竜が暴れ出したことに心を痛め、その対策を考えるための相談相手として、テナーとテルー(テヌハー)を呼んでいたのだ。そこに、和平交渉していたカルガド帝国から、使節団がやって来て、カルガドの王女を王妃とすることが和平の条件と言い残し、王女を置いて国に戻ってしまう。王女は、ハブナーの言葉が全くわからず、レバンネン王はカルガドに対し怒りと憎しみさえ抱く。さらに、西方で暴れていた竜がハブナー島の西岸にまで飛来し、畑を荒らしたりと暴れ出す。

今回もゲドは導入部で登場するだけで、話はレバンネン王とテナーを中心に語られる。最初は、無関係に見えたハンノキが亡くなった妻に夢の中で呼ばれることと、西方で竜が暴れていることが、実は関係があることが、だんだんと明らかになっていく。

今回は、生と死というものが大きなテーマとしてあって、西洋的な幽霊・霊魂的なものと、仏教的な輪廻転生というものが対比されている。また、言葉、民族・国といったものも、テーマとしてあり、重層的な話に仕上がっている。

とりあえず、外伝を除いたメインストリーの5冊を読み終わった訳だが、ひと言では言い表せない深みがある。あと、2~3回読み直して、細かい表現、登場人物の整理等を行う必要があるだろう。まちがいなく、一読の価値ありである。

別巻『ゲド戦記外伝』まで、読み終わったところで、改めて考えてみたい。

*関係する記事
6月20日:ゲド戦記6冊セットと第1巻『影との戦い』
6月22日:『影との戦い』

6月26日:ゲド戦記第2巻『こわれた腕環』
6月30日:ゲド戦記第3巻『さいはての島へ』

7月5日:ゲド戦記第4巻『帰還』
7月9日:ゲド戦記第5巻『アースシーの風』(本編)
7月16日:ゲド戦記『ゲド戦記外伝』
8月5日:『ゲド戦記』宮崎吾朗監督のメッセージ
8月13日:映画『ゲド戦記』を見て

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2006年7月 6日 (木)

ココログ不調は、ブログブームの反映?

ここ1週間ほど、また、ココログが不調だ。夜9時を過ぎると、ココログの管理ページにアクセスするのに異様に時間がかかるようになった。自分の管理ページに入った後も、新規記事作成ページやアクセス解析ページへ移るのにまた時間がかかり、時間切れで接続が切れてしまう事もある。ココログを管理しているニフティでは、11日(火)から13日(火)まで丸2日間かけてメンテナンスを行うらしい。その間、全く新規の記事更新等はできないようだ。(従来の記事を見ることは可能らしい)。おそらく、2日間も更新を止めたら、再開後のアクセスが集中して、おそらくその後も、アクセスしづらい状況が続くのではないかと思う。ニフティ側は、これまでの数々の不具合を一気に解消するような、根本的な荒療治をするようだ。少々心配だが、やむを得ない。このような不満は、ココログだけに限らないようだし…。

自分もその一人だが、ここに来てブログを始める人が急速に増えているのではないだろうか。NHKの教育テレビで6月から「中高年のパソコン講座 ブログに挑戦してみよう!」という番組が始まっているし、書店のパソコンコーナーでは、この半年ほどで、各出版社から「無料で、簡単に始められるブログ」という類の解説書が新たに出版されたように思う。一方で、以前取り上げた『ウェブ進化論』(梅田望夫著、ちくま新書)の中でも、ブログは新しいメディアとして肯定されており、普及期に入ってきたのだろう。

一方、ブログのサービスは、ニフティのようなプロバイダー、ヤフーや楽天のようなポータルサイトなど、様々な企業から提供されており、それも大半が無料で提供され、無料で利用できる容量も各社の競争で拡大する一方だ。始める際の垣根は、低い。
従来、会員向けにしかサービスしていなかったニフティのココログも昨年暮れから無料サービスを始めたので、利用者の増加に、サービス提供のためのインフラ整備が追いついていないのだろう。

私自身が4ヵ月余続けてみた感想・印象は、まず第一は「始めるのは簡単、でも書き続けることは難しい。さらに、読み続けてもらうのはもっと難しい。」ということだ。毎日、書き続けるとまで決めているわけではないが、6月半ばから今日までは、とりあえず続けているので、続く限りは続けてみたい。(メンテ期間中は無理かもしれないが)

第二は単純だが「反応があるとうれしい」ということだ。コメントやトラックバックがあるとワクワクするし、自分のブログへのアクセス数が増えると、今日も何か話題を考えて書こうという気になってくる。

「人に勧めるか?」と聞かれたら、「書くことが好きな人は、ぜひ始めたらいい」と勧めたい。毎日書けば1年で365件、3日に1回でも1年で120件以上記事が残っていく。それは、また、その時々の自分の記録になる。結局、これが自分にとってのブログをやることによる一番の財産になるのではないかという気がしている。

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2006年7月 5日 (水)

ゲド戦記第4巻『帰還』

ゲド戦記4巻『帰還』を昨晩、読み終わる。

ゲド戦記 4 帰還 (ソフトカバー版)
ゲド戦記 4 帰還 (ソフトカバー版)

話は、第3巻の『さいはての島へ』の直後から始まるが、主に語られるのは、第2巻の『こわれた腕輪』でゲドの墓所の大巫女から救出されたテナーのその後である。テナーは、ケドとともにゲドの故郷のゴント島に戻り、ケドの師である魔法使いのオジオンのもとに預けられるが、結局、テナーはオジオンから離れ、一人の女としての生きる道を選ぶ。農園主と結婚し、二人の子の母となる。夫はすでになくなり、子ども達も成人して巣立って、1人でくらしていた彼女は、虐待されやけどを負ったテナーという少女を預かって育て始めている。
そこに、かつて自分の世話をしてくれたオジオンが危篤だという知らせが入り、自分の農園を離れ、テナーをつれてオジオンを訪ねるために旅立つところから、話は始まる。

主人公はテナーであろう。途中から、『さいはての島へ』で、乱れた世の中を正すために、全ての力を使い果たし、ぼろぼろになって故郷に帰ってきたゲドが登場するが、常にテナーの目から語られる。亡くなったオジオンの家で、テナーはゲドを看病するが、ゲドは再びテナーのもとを離れていく。

中年となったテナーが、自分とは何かを模索する話で、女性の中年の危機を扱っている話のように思える。途中までは、まさしく中年テナーの物語であるが、最後に物語はファンタジーとして急展開する。(そこは読んでのお楽しみ)

おそらく、第5巻の『アースシーの風』で、これまでの物語を集大成する展開になりそうである。

*関係する記事
6月20日:ゲド戦記6冊セットと第1巻『影との戦い』
6月22日:『影との戦い』

6月26日:ゲド戦記第2巻『こわれた腕環』
6月30日:ゲド戦記第3巻『さいはての島へ』

7月5日:ゲド戦記第4巻『帰還』(本編)
7月9日:ゲド戦記第5巻『アースシーの風』
7月16日:ゲド戦記『ゲド戦記外伝』
8月5日:『ゲド戦記』宮崎吾朗監督のメッセージ

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2006年7月 4日 (火)

次女の一念発起

今朝、5時半頃、目が覚めた。いつものように、リビングからキッチンに行き冷蔵庫を開けて冷やした麦茶を一杯飲もうと思って、リビングに入ろうとすると電灯が点いたままだ。昨日、寝る時、「消し忘れたんだ」とドアを開けると、中3の次女がもう制服に着替えて、テーブルに教科書やノートを広げて勉強していた。次女は、今、期末試験。昨日は、朝の4時まで、勉強していたということで、相当眠かったらしく、私より先に寝ていたようだ。

高校受験を考えると、中3の1学期の成績が志望校選択の際の目安になる。これまで、ケアレスミスも多く、必ずしも実力相応の成績が取れていなかったと本人も家族も思っているのだが、それも続くのであれば、それが実力になってしまう。いわば、本人にとって、本当の実力を示す最後のチャンスが、今回の期末試験と言うことになる。

彼女なりに、行きたい高校はあるのだが、これまでの成績ではまったく、「お呼びでない」でない状況。親としては、いつヤル気になってくれるのだろうか、と気をもんでいた。

ようやくエンジンがかかったかなという気がするが、親としては、この一念発起が、結果に結びつくことを祈るばかりだ。

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2006年7月 3日 (月)

妻のひとこと

昨日は、夕方、近くのショッピングセンターまで、妻と買い物に行った。妻も、パートやらパン教室やらと平日は何かと出ていることが多いこと、加えて、免許証は持っているものの東京では車の運転はしたくないという理由で、よほどの事がない限り妻は車を動かさないので、食料品などの買い物は、週末に私が車を出し、運転手兼荷物持ちとして、1週間分まとめて買いに行くというのが、我が家の日常になっている。

買い物の途中、ショッピングセンターの中の書店でしばらく本を見て帰って来たのだが、帰りの車の中で、妻が、先日離婚した森昌子の話を始めた。書店で、森昌子の本を立ち読みしていたらしい。「 森昌子は森進一と結婚したあと、2人で良く話をしたらしい。自分は夫のことを理解しているし、夫は自分のことを理解してくれていると思って、彼女は、良き妻、良き母であろうと努めてきた。しかし、結局、森進一は森進一自身のことが一番大事で、自分(森昌子)のことは全然理解してくれていなかったとわかって、離婚に踏み切ることになったらしい」というのが、妻が話した森昌子の話である。

そして、「私たち(妻と私)も、よく話して理解しているつもりだけど、これから先、森昌子のように感じるようなことがあるのだろうか?」という趣旨の事を問われた。

なかなか、難しい質問だ。私自身は、一生懸命、彼女を理解しようとしているつもりだが、全てわかっているかと問われると自信はない。 それには、2つの理由があって、一つめは、きっと彼女自身が気づいていない自分というものがあるはずで、そのうち、本人が気がついていなくて、夫の私から見える部分もあるとは思うが、大部分は、私からも見えないだろう。
二つめは、私が自分の事を中年クライシスと位置づけているように、私の目から見ると、妻も、彼女なりの転機にあるようで、彼女自身が変わろうと模索している最中のように見える。「空の巣症候群」という言葉があるようで、子どもが巣立ったあとの女性の喪失感をいうらしい。まだ、長女は高3、次女が中3、長男が小6と、まだ3人が成人するには間があるが、長男が中学生ともなれば、いつまでも「かわいい坊や」という訳にもいかず、子どもが手から離れたあとの喪失感の予感はあるようだ。パートの仕事、パン教室や料理教室に通って、自らに投資することに熱心なのも、その漠然とした不安が後押ししているようにも見える。転機のこの数年間の模索の中で、妻が何を見つけるのか、いくらそばにいるとはいえ、よく見ておかないと、見逃してしまうかもしれない。

2つの理由と書いた、あるいは2つは繋がっているのかもしれない。模索の中で、自らも気がつかなかった潜在意識の中に潜んでいる何かを見つけ出すのかもしれない。その発見を手助けできるのか、見逃してしまうかで、案外、私の見られ方も変わるのかもしれない。

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2006年7月 2日 (日)

「カード」から「ケータイ」へ

最近のクレジットカードやキャッシュカードを見ると、カードに金色の金属チップが埋め込んである。ICチップだ。ICチップが埋め込まれたカードがICカードである。
最近、必要に迫られて、この世界の技術について勉強したが、数年前まで、開発段階だったものが、ここ1、2年で一気に実用段階に入り、我々の身の回りに登場してきている。

カードに埋め込まれている金色のICチップは接触型ICチップ。非接触型ICチップというのもあって、これは、電子マネーのJRのSuicaカードやEdyなどに使われていて、表面からは見えない。接触型も、非接触型も基本的な構造は同じで、計算処理等を行うCPU(演算装置)とデータやアプリケーションソフトを搭載するメモリー部分に分かれていている。電源はATMやカードリーダーなど外部から供給を受け、ATMやカードリーダーとの間で情報をやりとりし、いわば小さなコンピューターとして働く。(参考記事:知っておきたいICカードのタイプと使われ方

接触型の金色のICチップが搭載されたカードは、従来のキャッシュカードやクレジットカードの磁気ストライプ部分に記録されていた暗唱番号のデータをICチップのメモリー部分に記憶し、さらに自ら持つCPUと残ったメモリーをどう活用するかという課題はあるものの、基本的には従来のカードの延長線上にある商品・サービスだと思う。
現在、カードの世界では、ICチップの登場により多機能化が一気に進み始めている。銀行のキャッシュカードとクレジットカード機能の一体化、クレジットカードと電子マネー機能の一体化、ひいてはキャッシュカード・クレジットカード・電子マネー機能が一枚のカードに納められたカードも登場している。まさしく、カードにおける「all-in-one」である。

一方、非接触型ICチップが登場したことにより、これまでプラスチックカードの存在を前提にしていた商品・サービスが、カードというインフラから離れることが可能になった。その代表が、携帯電話を利用した「おさいふケータイ」である。SuicaやEdyのアプリケーションソフトが携帯電話の非接触ICチップにダウンロードされれば、そのまま使える。さらに、NTTドコモでは、DCMXという独自のクレジットブランドを立ち上げた。携帯電話がクレジットカードの機能も兼ね備えることになる。(DCMXは、カードも発行するようではあるが…)

これまでは、サラリーマンが、必ず持ち歩くものといえば、通勤電車の定期券、銀行のキャッシュカード、この10年ほどで、そこに携帯電話が加わった。(クレジットカードは、持ち歩いてはいるが、なくても何とかなる)

そして、ICチップの登場により、それらの日常携行品が様々なサービスを加えてきたが、金融と交通は融合し、1枚のいずれカードで用が足りるようになるだろう。さらに、その複合カードの機能を携帯電話が全て吸収することになるのか、しばらくは企業間の合従連衡、陣取り合戦が繰り広げられるだろう。

今のところ、非接触ICチップのメモリー容量の問題で、全てのサービスを携帯電話に取り込むことは難しいようだが、技術的には解決可能な問題だろう。

キャッシュカード、クレジットカード、電子マネー、定期券の全ての機能を取り込んだ携帯電話ができれば、持ち歩くものが減って便利にはなると思うが、携帯を忘れたり、なくしたりすると何もできなくなるリスクも抱えることになる。最後は、何を選ぶかは利用者次第になるとは思うが、しばらくはこの世界から目が離せない。

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2006年7月 1日 (土)

盆地の霧

今週、北海道で遭遇した「海の霧」について書いたが、もう一つ、北海道で遭遇した2度目の霧は、「盆地の霧」と言っていいと思う。

単身赴任で札幌にいた私は、年末年始、春休み、夏休みの3回家族を呼んだ。年末年始の札幌は当然にして雪の中。主に、市内を案内するだけだった。春休みも、まだ雪は至るところに残っていて、雪の支笏湖や、雪の羊蹄山を見て回った。
夏休みは、札幌から泊まりがけで、道東地域へ車を走らせた。摩周湖から車で15分ほどの摩周ユースホステルに宿を3泊確保し、そこを拠点に、摩周湖はもちろん、知床、阿寒湖、網走などを見て回った。

幸い、天気には恵まれたが、早朝はいつも霧の中だった。摩周湖があるのは、弟子屈町。(私は最初「でしくつ」と読むものだと思いこんでいたが、正しくは「てしかが」と読む)。摩周湖ばかりが有名だが、摩周湖の西には、日本最大のカルデラ湖である屈斜路湖がある。摩周湖も、火口に雨水がたまってできたカルデラ湖である(摩周湖には、流れ込む河川はないし、摩周湖を水源とする河川もない)。
弟子屈町は、西に摩周のカルデラ、東に屈斜路のカルデラに挟まれた盆地になっており、南北にはJRと幹線道路、東西には道路が走っており、弟子屈の町がその中心にある。

早朝、宿の周りが霧に霞む中、眠い目をこすりながら、デジカメを片手に、車で朝の摩周湖に出かけた。しばらく、霧の中を走る。平野だが、北に向かってわずかな登りになっている。5分ほど走ると、急に視界が開けた。霧から抜け出したのだ。さらに摩周湖の展望台にむかって、摩周のカルデラのを登る。

摩周湖第一展望台に着いた。朝の6時を少し回ったところ。

A

西側の弟子屈の盆地は一面の雲海。晴れていれば、見えるであろう屈斜路湖もまったく見えない。屈斜路湖の東、摩周湖との間にある硫黄山の山頂だけが、雲海から顔を出している。

A_1

そして、雲海のはるか遠くには雄阿寒岳が浮かび上がる。何とも、幻想的な景色だった。

『楽しい気象観察図鑑』(武田康男〔文・写真〕、草思社)には、霧について次のような説明がある。

よく晴れて風が弱い夜は、放射冷却という現象が強く起こり、地表の熱が宇宙空間に逃げていきます。これによって地表付近の気温が下がり、空気中の水蒸気が水滴となって空中に現れます。これが霧です。ふつう太陽が昇る直前に最も気温が下がるので、霧は朝方に濃くなります。(中略)
とくに盆地では冷えて重くなった空気が集まりやすく、霧がよく出ます。
(『楽しい気象観察図鑑』14、15ページ)

なるほど、よくわかる。そこだまりの重たい空気の層から抜けた時に、視界が開け、霧をぬけたと言うことだろう。また、太陽が昇り気温の上昇とともに、朝霧は消えていった。地表の温度が上がり、水滴が再び水蒸気となって言ったのだろう。本当は、こういう事を、子どもにすらすら教えられる父親になりたかったのだが…。これから、少しずつ、勉強し直すしかないだろう。

楽しい気象観察図鑑
楽しい気象観察図鑑

最後に、お目当ての摩周湖は霧ひとつなく、朝日に輝く湖面をカメラに納めることができた。A_2

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