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2006年7月 3日 (月)

妻のひとこと

昨日は、夕方、近くのショッピングセンターまで、妻と買い物に行った。妻も、パートやらパン教室やらと平日は何かと出ていることが多いこと、加えて、免許証は持っているものの東京では車の運転はしたくないという理由で、よほどの事がない限り妻は車を動かさないので、食料品などの買い物は、週末に私が車を出し、運転手兼荷物持ちとして、1週間分まとめて買いに行くというのが、我が家の日常になっている。

買い物の途中、ショッピングセンターの中の書店でしばらく本を見て帰って来たのだが、帰りの車の中で、妻が、先日離婚した森昌子の話を始めた。書店で、森昌子の本を立ち読みしていたらしい。「 森昌子は森進一と結婚したあと、2人で良く話をしたらしい。自分は夫のことを理解しているし、夫は自分のことを理解してくれていると思って、彼女は、良き妻、良き母であろうと努めてきた。しかし、結局、森進一は森進一自身のことが一番大事で、自分(森昌子)のことは全然理解してくれていなかったとわかって、離婚に踏み切ることになったらしい」というのが、妻が話した森昌子の話である。

そして、「私たち(妻と私)も、よく話して理解しているつもりだけど、これから先、森昌子のように感じるようなことがあるのだろうか?」という趣旨の事を問われた。

なかなか、難しい質問だ。私自身は、一生懸命、彼女を理解しようとしているつもりだが、全てわかっているかと問われると自信はない。 それには、2つの理由があって、一つめは、きっと彼女自身が気づいていない自分というものがあるはずで、そのうち、本人が気がついていなくて、夫の私から見える部分もあるとは思うが、大部分は、私からも見えないだろう。
二つめは、私が自分の事を中年クライシスと位置づけているように、私の目から見ると、妻も、彼女なりの転機にあるようで、彼女自身が変わろうと模索している最中のように見える。「空の巣症候群」という言葉があるようで、子どもが巣立ったあとの女性の喪失感をいうらしい。まだ、長女は高3、次女が中3、長男が小6と、まだ3人が成人するには間があるが、長男が中学生ともなれば、いつまでも「かわいい坊や」という訳にもいかず、子どもが手から離れたあとの喪失感の予感はあるようだ。パートの仕事、パン教室や料理教室に通って、自らに投資することに熱心なのも、その漠然とした不安が後押ししているようにも見える。転機のこの数年間の模索の中で、妻が何を見つけるのか、いくらそばにいるとはいえ、よく見ておかないと、見逃してしまうかもしれない。

2つの理由と書いた、あるいは2つは繋がっているのかもしれない。模索の中で、自らも気がつかなかった潜在意識の中に潜んでいる何かを見つけ出すのかもしれない。その発見を手助けできるのか、見逃してしまうかで、案外、私の見られ方も変わるのかもしれない。

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