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2006年9月の記事

2006年9月30日 (土)

『偽りの大化改新』を読んで(1)

講談社現代新書の『偽り大化改新』(中村修也著)を読んだ。中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足が起こしたとされ、日本の古代史の一大転機となった「大化の改新」の真の首謀者は誰かということがテーマである。

偽りの大化改新 (講談社現代新書)
偽りの大化改新 (講談社現代新書)

私が高校の頃の日本史の教科書には、「日本書紀」の記述をベースに、次のように書かれている。

朝廷では、馬子のあと、蘇我蝦夷が大臣となり、皇極天皇のときには、蝦夷の子入鹿がみずからの手に権力を集中しようとして、有力な皇位継承者のひとりであった山背大兄王をおそって自殺させる事件をおこした。(中略)。
中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)中臣鎌足(なかとみのかまたり)はともに計略をめぐらし、645年、蘇我蝦夷・入鹿父子を滅ぼして政権をにぎり、国政の改革にのりだした。
この年、孝徳天皇が新たに位につき、中大兄皇子は皇太子となり、旧豪族のおもだったものを左右の大臣とした。いっぽう、中臣鎌足は内臣、僧旻・高向玄理の2人は政治顧問である国博士となり、ともに皇太子である中大兄皇子をたすけて政治の改革にあたった。この年、政府は都を難波におき、また中国の例にならってはじめて年号をたて大化といった。そのため、以後の一連の政治改革を大化の改新という。
翌646(大化2)年には、政府は4ヵ条からなる改新の詔を発した。
(昭和53(1978)年3月発行、山川出版社『詳説日本史(新版)』35~36ページ)

大化の改新の評価は、テーマそのものが大きいだけに、私がもっている4冊の山川の詳説日本史を見ても、その都度、記述の内容が微妙に変化し、通説もなかなか定まらない様子がうかがえる。4冊のうち最も新しい版では、次のように変化している。

倭では、蘇我入鹿が厩戸王(聖徳太子)の子山背大兄王を滅ぼして権力集中をはかったが、中大兄皇子(なかのおおえのみこ)は、蘇我倉山田石川麻呂や中臣鎌足の協力を得て、王族中心の中央集権をめざし、645(大化元)年に蘇我蝦夷・入鹿を滅ぼした(乙巳の変(いっしのへん))。そして王族の軽皇子(かるのみこ)が即位して孝徳天皇となり、中大兄皇子を皇太子、また阿倍内麻呂・蘇我倉山田石川麻呂を左・右大臣、旻と高向玄理を国博士とする新政権が成立し、政治改革を進めた。
646(大化2)年正月には、「改新の詔」で豪族の田荘・部曲を廃止して公地公民制へ移行をめざす政策が示された。(中略)こうした孝徳天皇時代の諸改革は、大化改新(たいかかいしん)といわれる。
(2003年3月発行、山川出版社『詳説日本史』32~33ページ)

四半世紀を経ての記述の変化としては、孝徳天皇(軽皇子)や蘇我倉山田石川麻呂の存在が強調されるようになり、中大兄皇子や中臣鎌足が改革をすすめたというトーンはかなり抑えられているようにも読める。

長々と通説を紹介したが、これに対し著者は

①中大兄皇子は当時の権力者である蘇我入鹿殺害するクーデターを起こし、入鹿殺害にも自ら手も下すという大きなリスクを負ったにもかかわらず、クーデター成功後、大王(天皇)に即位していないのは何故か。
②王族中心の政治のため、蘇我氏を滅ぼしたのに、なぜ皇極女帝は退位しなければならなかったのか。
③軽皇子は、どのような理由で、大王に選ばれたのか。

といった趣旨の疑問を提示し、それを解き明かそうとしていく。
著者は1959年生まれで、私より1歳年上。中学・高校と、教えられた歴史の通説はほぼ変わらないと思われるので、著者の通説に対する疑問も違和感はない。

結論は、乙巳の変の首謀者は、蘇我入鹿殺害後、大王に即位した軽皇子(孝徳天皇)であろうというものである。以下、『偽りの大化改新』の記述から中村説を私なりに整理すると、

②と③については、既に中年の域に達していた軽皇子が自ら大王に即位するため、皇極女帝を支えていた蘇我入鹿を殺害し、蘇我氏の勢力を背景にして次期大王の有力候補であった古人大兄皇子の勢力をそぐとともに、姉である皇極女帝に退位を迫り、皇極女帝から大王の位を簒奪したと考えれば、皇極が退位し孝徳が即位したこと、さらに孝徳の死後、皇極が重祚し斉明女帝として再登場したことの辻褄は合う。

また、孝徳天皇の治世において、結局、古人大兄皇子が謀反の疑いで滅ぼされのは、孝徳政権下で、古人大兄皇子が生きているということが、孝徳にとって自分の地位を脅かす懸念材料であるからと考えれば説明がつく。
クーデターの立役者の一人だった蘇我倉山田石川麻呂も後に謀反の疑いで自害に追いやられるが、彼が娘を中大兄皇子に嫁がせ、孝徳の次の大王の地位をうかがう立場の中大兄皇子と親密になっていったことが、孝徳に疑心暗鬼を生じさせた結果だとすれば、納得がいく。

乙巳の変のクーデターでの、軽皇子(孝徳天皇)主役説は、すでに『大化改新』(遠山美都男著、中公新書、1993年)で述べられている。遠山美都男はクーデターの関係者の人間関係の分析により、中大兄皇子を除く関係者全てが何らかの形で軽皇子につながっており、「通説では、中大兄・鎌足主従の陰に追いやられていた軽皇子その人こそ、「乙巳の変」の真の主役であったと断定できる」(中公新書『大化改新』196ページ)としている。

では、「日本書紀」では、なぜ中大兄皇子を「乙巳の変」の主役にしているのか。そこに、この著書の遠山版『大化改新』にはない新しさがあるのだが、記事が長くなったので、それについては次回に書くことにする。

*一部、記述の補記、表記の間違いの訂正をしました(2006年10月1日)

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2006年9月27日 (水)

メンタルヘルス・マネジメント検定試験開始の意味を考える

先週土曜日、新宿紀伊国屋書店の本店に行った際、『メンタルヘルス・マネジメント検定試験公式テキスト』(大阪商工会議所編、中央経済社)という本が目に入った。テキストは、Ⅰ種マスターコース、Ⅱ種ラインケアコース、Ⅲ種セルフケアコースの3種類に分かれている。

テキストを手にとってパラパラとめくってみると、職場での働く人の「心の健康管理(メンタルヘルス・マネジメント)」についての検定試験を、大阪商工会議所の主催で行うということらしい。
Ⅰ種は会社のメンタルヘルス対策を担当する人事部労務担当者・管理者や経営者向け、Ⅱ種は職場で部下を持つ管理職向け、Ⅲ種は自らのメンタルヘルスについて学ぶ一般社員・新入社員向けとのことで、とりあえず、Ⅱ種ラインケアコースのテキストを買ってきた。

これまであまりなじみがなかったので、改めて調べてみると、新しく開発された検定試験とのことで、今年(2006年)の10月8日(日)が第1回の試験らしい。(大阪商工会議所の検定の説明はこちら

「公式テキスト発行にあたって」と題したテキストのまえがきには、次のように書かれている。

産業界にとどまらず社会全体において、働く人たちの「心の健康管理(メンタルヘルス・マネジメント)」への関心が高まっています。成果主義の導入、人員削減による労働負担の増大など、労働者を取り巻く環境はストレスを増長しやすいものとなり、心の病による休職や離職、自殺の増加が深刻な社会問題となっているからです。心の病を予防するには、個々人が正しい知識を携えて自他のストレスに対処することがきわめて重要です。また、雇用する企業においても、社会的責任の履行、人的資源の活性化、労働生産性の維持・向上のためには、メンタルヘルス対策を適正に講じる必要があります。
(『メンタルヘルス・マネジメント検定試験公式テキストⅡ種ラインケアコース』大阪商工会議所編、中央経済社発行 ページⅰより)

商工会議所は経営者サイドの立場から、企業防衛的な視点で、この検定を企画したとは思うけれど、背景はどうあれ、半ば公的機関とも言える商工会議所の検定に職場での心のケアという問題が取り上げられたということは、大きな一歩ではないかと考えている。

私自身は、心の問題を一つのテーマとして昔から関心をもっていたし、自分が上司となって部下を持つ身になった時には、心の問題ということをいつも意識してきたつもりだ。
しかし、職場の上司や同僚で心の問題を真剣に考えている人はあまりいなかったように思う。
ノルマや成果主義に縛られる上司が、自分の部署の実績が思うように上がらないと、成績の悪い担当者を「なぜできないのだ」と罵倒したり、「契約が取れるまで帰ってくるな」的な圧力をかけることがあたり前のように行われる職場もあった。私には、仕事の名を借りた、職場における単なる「社会人いじめ」にしか見えなかった。

高度成長時代は、日本経済のパイ全体が拡大を続けていたので、サボっている営業担当者は叱り、気が弱く尻込みしている営業担当者は「尻を叩いて」営業活動を行わせ、顧客との接触頻度を増やせば、拡大するパイのどこかにかじりつけただろう。結果として実績が上がれば、上司は自分の指導の結果と満足し、叱られたり・尻を叩かれた担当者の側も、相応の評価をされれば、さほどストレスを溜めることもなかったのではないかと思う。

しかし、マイナス成長・低成長の時代となった現在では、ただ上司が叱咤激励、罵倒と尻叩きだけをしていても、増えないパイのどこかにかじりつける確率はきわめて低い。上司はますますイライラし、実績も上がらず罵倒されるだけの担当者は、ストレスが溜まる一方である。

問題はそれが、職場の中だけで完結しないことだ。職場でストレスを溜めた父・夫は、家庭に帰り、妻や子どもにイライラをぶつけ、ストレスを解消する。あるいは、子どもに自分のような思いはさせまいと、子どもの思いはそっちのけで、子どもの教育にエネルギーを注ぐ。結果、父や夫が溜め込んだストレスは、家庭で通じて妻や子どもに波及し、それが妻の精神の不安定や、子どもの学校でのいじめという形で、マイナスの連鎖として広がっているような気がして仕方がない。(『子育てハッピーアドバイス』の3冊の中にも、仕事でイライラしている父が、子どものことで妻を叱り、妻が子どもに対し「あなたのせいでお父さん叱られた」と怒るという事例が、悪い例として紹介されていた)

この検定試験が社会的に認知され、多くの企業の経営者、人事部、各職場の管理者に浸透していけば、上に述べたような社会全体に蔓延するマイナスのスパイラルの発生源が少しは減る方向に向かうのではないかと期待している。

10月の試験の申込は9月1日までだったようだ。第2回はⅡ種・Ⅲ種のみだが、来年3月の実施のようだ。秋に控える各種資格試験の受験が終わったら、Ⅱ種の受験を検討しようと考えている。

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2006年9月25日 (月)

ウオーキング減量作戦

職場からの帰り、日本橋から竹橋まで歩き始めて10日余。昨年10月に札幌から東京に戻ってからのほぼ1年、増え続けてきた体重に歯止めがかかり、減り始める気配が見えてきた。9月に入り体重が70kgを切ることがなかったが、先週後半22日(金)から何とか69kg台後半を維持し、今朝は69.3kgまで減った。69kg台前半を記録したのは、8月の初め以来である。

先週半ばから今週木曜日までは飯田橋で仕事なので、いつも乗っている地下鉄東西線を途中で降りる。会社帰りに竹橋まで歩いていた代わりに、東西線上を飯田橋から神楽坂を経て、乗換駅の高田馬場の一つ手前の早稲田駅まで歩くことにした。所要時間25分ほど。さらに、先週金曜日は、思い切って高田馬場駅まで歩いてみたが、早稲田-高田馬場間はかなり距離があり、飯田橋からだと50分近くかかってしまった。

先週、悩まされた腰痛も、徐々に軽くなっており、今週中には元通りになりそうである。体重の増加が、腰に余計な負担をかけていたのかも知れない。

最低でも札幌から戻った時点の65kg台、できれば、札幌に行く前の63kgまで戻すのが目標である。とはいえ、歩くだけ上手くいくだろうかと考えている矢先、書店で、泉嗣彦著『医師がすすめるウオーキング』(集英社新書)を見つけた。2005年4月に出された本で、その後も版を重ねている。

人間ドックの診察医を務める著者が、人間ドックの受診者で、血圧、血糖、脂肪、肝機能等の数値に問題がある人たちに、生活習慣病と言われる高血圧や糖尿病等の成人病の予防のため、生活習慣を改善策として何を指導すればよいかと考え、もっとも手軽にできるウオーキングを勧め、劇的に改善したいくとも例が紹介されている。

生活習慣病の改善のためには「食生活の改善」と「運動不足の解消」が必要だが、なかなか「食生活の改善」は難しい。とりあえず食生活改善には手をつけず、「運動不足の解消」にために手軽なウオーキングを試してもらい、結果的に数値改善に効果があることがわかり、著者の生活習慣改善指導としても定着したという感じだ。

「食生活の改善」は横に置いておいて、とりあえず「運動不足の解消」から始めるというのは、まさに今の自分の状況そのものではないか。前回の10k減力が、昼食の摂取カロリーを意識して減らすという「食生活の改善」が中心だっただけに、いまの歩くこと中心の減量でどの程度効果があるのか、自分でも見極めのつかないところがあった。力強い援軍である。

泉先生は、日常生活での「歩き」を含めて、1日1万歩、1週間で7万歩という目標を示している。自分が何歩歩いたかなどということは、普通は考えないし、いちいち数えてもいられないので、昨日、万歩計を買い、今日試しに計測してみた。

朝起きてから、今ブログを書いている現在まで、約1万3000歩。しかし、これには朝起き抜けの家の近所の散歩10分(約1000歩)、会社の昼休みの周辺のウオーキング約20分(約2500歩)が含まれているので、普通に歩けば9500歩(また、この中には、通勤帰りの飯田橋から早稲田までの歩きも含む)である。1日1万歩歩くのは、簡単ではないことがよくわかった。

しかし、逆に言えば、朝の10分の散歩など、生活の中でのちょっとした工夫で、歩数を確保することはできるといことでもあり、当面1日1万歩を続けてみたい。さて、どの程度の効果があるのか。明日の朝、体重計に乗るのが、楽しみでもあり、不安でもある。

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2006年9月24日 (日)

稲刈りで知る日本の歴史

お米の産地では、先週から今週にかけてが、稲刈りのピークではないだろうか。私も、富山にいる頃、二度ほど稲刈りの手伝いをしたことがある。

長女と次女が、当時小学生で、富山市の小学校に通っていた。長女と同じクラスの男の子と、次女と同じクラスの女の子の兄妹のいる家族がいて、PTAなどで母親どうしも親しくなり、やがて父親も含めた家族ぐるみのつきあいになった。お父さんはサラリーマンなのだが、県内の実家は農家で、ご両親はすでに亡くなっていたが、兼業農家として、夫婦で米作りをしていた。
親しくなったこともあり、稲刈りを手伝わないかと誘われて、手伝いをしたのだ。先方にとっても、自分たちが稲刈りをしている間、自分の子ども達の遊び相手になってくれる、同い年の子どもがいる我が家は、助っ人としてはうってつけだった。

手伝いといっても、先方のお父さんがコンバインを操作して、田んぼの稲を刈っていく。刈り取られた籾(モミ)は、コンバインの中に溜まっていく。一定量溜まったら、いったんコンバインを道路に近いところに止めて、麻袋に詰める。その詰められた麻袋を、我が夫婦でライトバンに載せ、私がライトバンを運転し、先方の実家の納屋にある米の乾燥機まで運び、納屋で奥さんが乾燥機に籾を投入する。その繰り返しである。

麻袋が籾で一杯になると30kgだったと思う。麻袋をライトバンの荷台まで運び上げるのが重労働。田んぼは、先方の実家から少し離れたところに数ヵ所に分かれて点在しており、麻袋運びにも人手がかかる。コンバインには必ず1人必要なので、作業全体を夫婦2人でやっていては、たびたび作業を中断しなくてはならず能率が悪い。そこに、2人手伝いが加われば、中断せずに作業が流れ、一気に効率が上がる。

米作りは多くの人手を必要とする労働集約的な作業だった。まして、機械化された現代でも、これだけ大変なのだから、コンバインもライトバンも乾燥機もなかった時代の苦労は、推して知るべしである。そう考えているうちに、これまで、机上で勉強してきた「日本の歴史」が一気に理解できた気がした。

なぜ農村の人間関係は濃密なのか、年貢というものが、どれだけ農民にとって無念なものであったか、戦(いくさ)で働き手がいなくなればいとも簡単に農村が荒廃するであろうこと、等々。

また、大地に種をまけば作物が育ち、それを収穫して食することで、生きていけるということは、自然と太陽や大地を敬う気持ちになっただろう。文字通り「母なる大地」を実感しながら、人々は生きていたにちがいない。日本での信仰の基本は、その収穫への感謝の気持ちにあるのだろう。

私にとっては、「農業が無から有を作り出すものであること」を発見したことも、目からうろこが落ちる思いであった。何もない地面に種をまいて育てれば食べ物ができる。無から有を作り出し、そのサイクルには終わりがない。土地と太陽と水があれば、無限に続けることができる。一方、工業は、すでに有るものを作りかえたり、組み立てたり、するだけである。

手伝いが終わったあと、先方の実家に2家族でバーベキューパーティーを楽しみ、収穫したての新米を現物支給してもらった。新米が、おいしかったことはいうまでもない。

私にとっては、日本史を体感させてもらった、貴重な経験でもあった。

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2006年9月23日 (土)

「おはぎ」と「ぼたもち」

今日は「秋分の日」。朝、散歩そしていたら、路傍に「彼岸花」が咲いていた。秋も、本番というところか。
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一緒に散歩をしていた妻が、
「”おはぎ”と”ぼたもち”の違いを知っているか?」と聞く。
「”こしあん”と”つぶあん”の違いでは」と答えると
「ぼたもちは春、おはぎは秋」とのヒントを出される。
「じゃあ、ぼたもちが牡丹で、おはぎは萩の花」と答えると
「正解」とのことだった。

念のため、家に戻ってインターネットで検索してみる。

いくつも解説記事はあるが、「@nie's」というお菓子研究家のサイトの「おはぎとぼたもち」というページには次のようなに書かれている。(「おはぎとぼたもち」のページはこちら

実は”おはぎ”も”ぼたもち”も同じお菓子なのだ。

春のお彼岸に作り、あずきの粒をその季節に咲く”牡丹”に見立てたのが”ぼたもち”。
秋のお彼岸に作り、あずきの粒をその季節に咲く”萩”に見立てたのが”おはぎ”。

つまり”牡丹餅”と”お萩”と言うわけだ。

「つぶあん」「こしあん」議論の方は、間違いなのだろうか。いくつかのページの解説には、「ぼたもちはこしあんで、おはぎはつぶあんで作る」と書いてあるものもあったが、食べる季節が違うだけだというのが、多数説のようだ。

「こしあん」「つぶあん」議論についての説明で、納得したのは、やはり同じ「@nie's」の「続・おはぎとぼたもち」の記述である。(「続・おはぎとぼたもち」のページはこちら

実はこれは餡の素材である小豆の収穫時期に関係がある。

秋のお彼岸は小豆の収穫時期とほぼ重なるので、 まだ採れたての皮の柔らかい小豆を餡にすることができる。 当然柔らかい皮も一緒につぶして”つぶし餡”として使う。
春のお彼岸には冬を越した小豆を使うことになり、 当然固くなっている皮はそのままでは食感が悪い。 そこで皮を取り除くためにいったん晒す工程を経て ”こし餡”にして使われる。 (中略)
ところが保存技術の発達や品種改良によって、 春でも皮のまま使うことのできる小豆が登場して、 以上述べた理由はまったく意味のないこととなってしまった。 今では一年中こし餡だろうとつぶし餡だろうと 好きな食べ方ができるようになってしまったわけだ。 

「ぼたもち=こしあん」、「おはぎ=つぶあん」との説明に根拠がないわけでは、ないということだ。

こうして、調べていくと、普段、何の疑問も感じずに使っている言葉でも、いろいろと押さえてくべきことがあるような気がする。

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2006年9月21日 (木)

テンプレート秋バージョン、世界遺産「五箇山の合掌造り」

19971102b_1 今日から、テンプレートを自作の秋バージョンに変更した。写真は、富山県の上平村(かみたいらむら)菅沼(すがぬま)集落の「合掌造り」である。お隣、岐阜県の白川郷、同じ富山県の平村(たいらむら)相倉(あいのくら)集落の三地区の合掌造り集落が、1995年12月に「白川郷、五箇山(ごかやま)の合掌造り集落」として世界遺産に登録された。(なお、五箇山の由来は、赤尾谷・上梨谷・下梨谷・小谷・利賀谷というの5つの谷に集落があり、それを「五箇谷間」と言ったことから「五箇山」と変じたらしい。上平、平という地名が示す通り、平家の落人伝説もある)

私が転勤で、富山で暮らし始めたのが、ちょうど1995年の12月。写真は2年後の1997年の秋に、妻の母が富山を訪ねてきた際に、家族で五箇山を案内した時のもので、9年前ということになる。その後、近くに高速道路(東海北陸自動車道)が開通したので、周りはずいぶん変化しているかも知れない。

富山は四季折々に変化が、五感で感じられるところだった。2週間毎に、季節が変わっていく様が、自然の変化として目に見えたし、気温の変化として肌で感じられた。富山湾で取れる「ブリ」を筆頭にした季節の魚介類、加賀百万石を支えた砺波平野の米(コシヒカリ)、呉羽の梨などが「食」として、季節を感じさせてくれた。

合掌造りは、雪に埋もれる冬が絵になるが、山あいの紅葉を背景にした姿も、なかなか、美しいものである。富山を未体験の方は、ぜひ一度訪ねられることを、お勧めしたい。

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2006年9月20日 (水)

将棋名人戦、朝日・毎日の共催へ協議開始

今朝の新聞に、将棋名人戦について、朝日新聞社との共催について打診されていた毎日新聞社が、「対等な立場での共催」を前提に協議に入ることになったとの記事が掲載された。

8月1日の将棋連盟の棋士総会で、毎日単独開催案支持90対不支持101で、2007年度からの名人戦単独開催の可能性がなくなった毎日新聞社に対し、将棋連盟が朝日新聞社との共催案を打診していたのに対し、毎日側が正式に回答したものだ。

以前このブログでも書いたように、将棋名人戦は戦前に毎日が始め、それが朝日に移り、また毎日が奪い返すという因縁の歴史で、今回、また朝日が奪い返すかに見えたが、妥協案とも言える「共催」に向けて協議が始まることになった。

将棋のタイトル戦のうち、王位戦については、中日新聞・北海道新聞・西日本新聞の3社連合の共催であり、共催に例がないわけではない。ただ、お互い同じ土俵でしのぎを削る全国紙どうしの共催は、確かに初めてである。

しかし、よく考えて見ると、今回の名人戦移管騒動では、誰も損をした関係者はいないのではないかという気がする。
朝日は、過去はともかく、現在の名人戦について何の関わりもなかったのだから、共催とはいえ、主催者の一角を占めることになることに文句はないだろう。
毎日は、名人戦という棋戦の運営の落ち度があったというわけでもないので、いきなり契約を継続しないという将棋連盟のやり方にプライドを傷つけられたとは思うが、契約に基づく事前通告であり、将棋連盟が一方的に悪いとは言い切れないと思う。結果的に、ライバル朝日との共催になるが、一方の主催者として残り、3億円を上回る名人戦の契約金も、将棋連盟から引き上げを求められるだろうが、朝日と折半ということになると思うので、1社としての負担は減り、名を捨てて実を取ったとも考えられよう。
批判され続けた将棋連盟(の理事会)にとっては、全国紙の朝日と毎日の2紙が、名人戦やその予選であるA級順位戦をはじめとする順位戦を伝えてくれることになれば、将棋界で最も伝統のある名人戦の地位向上にもつながる。現在、将棋界最高のタイトルに位置づけられる竜王戦を主催する読売新聞も安閑とはしていられなくなるだろう。

あとは、2007年度の順位戦が始まるまでに、将棋ファンに「さすが朝日、さすが毎日」と言われる結論を出して欲しい。

*将棋に関する記事
4月26日:
『将棋世界』5月号
6月19日:第64期将棋名人戦
8月2日 :将棋名人戦、朝日新聞に
8月27日:米長邦雄将棋連盟会長の『不運のすすめ』
9月9日 :森内俊之名人から見た羽生善治3冠
9月20日:将棋名人戦、朝日・毎日の共催へ協議開始
11月18日:郷田真隆九段の揮毫「晩成」
12月23日:第19期(2006年)竜王戦-佐藤康光棋聖及ばず、渡辺竜王に立ちふさがる最後の壁は羽生3冠
12月30日:将棋名人戦、毎日・朝日両新聞社の共催の詳細固まる 

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2006年9月19日 (火)

『図解!売れる色の法則』で知るヒット商品のカラー戦略

高坂美紀著『図解!売れる色の法則』(秀和システム発行)を読んでいる。カラーコンサルタントの高坂美紀女史が食品、薬、文具等ヒット商品45点につき、「色」の使い方という点から、解説した本である。

図解!売れる色の法則―思わず手に取ってしまう人気商品のカラー戦略
図解!売れる色の法則―思わず手に取ってしまう人気商品のカラー戦略

売れる商品の色使いにはどのような意味がこめられ、消費者はどこに反応して、その商品を手に取り買ってしまうのか。見開き2ページに商品が一つ取り上げられ、商品の写真と基本となる配色について解説されている。
いくつか例として見出しだけ並べると

法則01:「緑色」は「白」と「赤」と「黒」で強化するとロングヒットする(ハイネケンジャパン[ハイネケン330mlボトル])
法則15:「黄色」を入れると、手に取りやすくなる(ライオン[バファリン])
法則16:ピンクを多くすると、若々しくきれいになりたい人が買いやすくなる(花王[ブローネ シャイニングヘアカラー])

いつも身近で、目にする商品ばかりなので、なるほどと思わされることが多い。

私は、昔から「色」が人に与える印象や効果といったものに興味があって、服やインテリアのカラーコーディネートの本やカラーセラピーに関する本などを読んできた。
数年前には、東京商工会議所が主催する「カラーコーディネート検定」3級試験に合格したので「アシスタント・カラーコーディネーター」を名乗ってもよいことになっている(中途半端な勉強で1回目は不合格、2回目の挑戦でなんとか合格したのだが)。

そのような、「色」好きの私にとって、この本は興味が尽きない本である。先々週、一度、吉祥寺のパルコの地下の書店で見かけ、買おうかどうしようか悩んだあげく、その日は他にも沢山本を買ったこともあって買うのをやめて、他の書店で会社の帰りにでも買おうと思っていたら、書名もうろ覚えで、よその書店では上手く見つけられなかったので、昨日、長男を連れて吉祥寺に行った際に、再度、パルコに行って買ってきた。

このブログも、近いうちに秋バージョンの配色に変えたいと思っているが、その際にも参考にしたいと思っている。

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2006年9月17日 (日)

突然の腰痛

今日になって、腰痛に悩まされている。この3連休、昨日、おとといと家族と車で出かける事が多く、ずっと座っている時間が長かったせいだろうか、背中を伸ばすと腰のあたり痛みが走る。

体のトラブルで思い出すのは、肩の骨折の時に、見事に当時の自分の状態を言い当てていた『こころを癒すと、カラダが癒される』(チャック・スペザーノ&ジェニー・ティスハート著、伊藤由紀子訳、VOICE発行)である。

この本で、腰にトラブルのある時の精神状態を調べてみると、

[腰]Hips
 腰は胴体と下肢をつなぐ股関節を形成しています。腰の問題は変化への怖れを表しています。変化への欲求はあるのですが、その一方で、まだ変化への怖れも感じています。(中略)「および腰になる」「腰が引ける」「話の腰を折る」などと言います。
 右の腰に支障がある時は、キャリア面で何か変わるようもとめられています。左の腰であれば、人間関係で、変化を求められています。
(チャック・スペザーノ&ジェニー・ティスハート著『こころを癒すと、カラダが癒される』202ページ)

と書かれている。

今日痛んだのは、左右の区別なく腰全般についてなので、キャリア面なのか人間菅関係によるものなのか、よくわからないが、どちらも思い当たる節が無いわけでもなく、しばらく、注意しておく必要があるかも知れない。

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2006年9月16日 (土)

小さな旅「深大寺(調布市)探訪」

深大寺(じんだいじ)に行ってきた。我が家から車で40分ほど、JR中央線の三鷹恵駅を過ぎ、南に下る。調布市の一角に、武蔵野の面影を残す、深大寺と都立神代植物園がある。深大寺は、奈良時代に創建されたとのことで、都内では、浅草の浅草寺に次いで古いお寺とのことであった。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』:「深大寺」の説明はこちら

お寺があって参拝者があれば、「門前市をなす」のは世の習いで、うっそう茂る木々の緑と小川のせせらぎにそって、蕎麦屋・団子屋などが軒を連ねていた。
寺や神社が持つ聖地としての独特の雰囲気と、何百年もの間、そこにそうして店が営まれてきたのであろうという時間に積み重ねの重みのようなものが、日々の喧噪から隔離された非日常の世界を感じさせてくれた。

そもそも、深大寺を訪ねようと思ったのは、門前の蕎麦屋の中に、我が家の長男と同じ名前の店があり、奇しくも蕎麦やそうめんが好きな小6の長男から、一度連れて行ってくれとせがまれていたのだ。私も、寺や神社を巡るのは嫌いではないので、双方の利害が一致し、小さな旅となったわけだ。お目当ての蕎麦屋は、昼時は待つ人で店の外まで行列ができるほどの繁盛ぶりで、20分ほど並んでようやく、私と妻、長男の3人の席が確保できた。私が注文した店の名前を冠した盛りそばは、通常の盛りそばよりそば粉が多いとのことで、こしがあり、なかなかの味だった。

東京にも、探せば、小さな非日常の世界を感じさせてくれる所は、他にもあるのであろう。そのような場所をさがしての、武蔵野の小さな旅も悪くないなと思った、深大寺探訪だった。

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2006年9月15日 (金)

二十四節気の「白露」

今週になって、東京では、これまでの残暑がうそののように、朝晩急に涼しくなった。

関東南部では、週初めの11日(月)の明け方、午前3時から4時頃、雷の音と光が激しかった。雷鳴の轟音で目が覚め、稲光で窓の外が昼のように明るくなった。寝不足で、1週間が始まった。

この1週間、気温はどう変化したのだろうと、改めて気象庁のホームページで調べてみると
東京の最高気温と最低気温は次のような変化をしていた。

9月  9日(土)最高31.9℃、最低24.8℃、平均27.1℃
9月10日(日)最高33.7℃、最低26.2℃、平均29.1℃
9月11日(月)最高28.9℃、最低23.4℃、平均26.0℃
9月12日(火)最高24.5℃、最低18.1℃、平均21.8℃
9月13日(水)最高19.4℃、最低17.9℃、平均18.7℃
9月14日(木)最高21.3℃、最低17.2℃、平均19.2℃
9月15日(金)最高24.5℃、最低19.1℃(22時現在)

10日(日)までは、真夏日、おまけに10日は熱帯夜。11日(月)まで、1日の平均気温も25℃を超えていたのが、12日(火)以降、一気に気温が下がったのがわかる。

突然の気候の変化に、体をならしていくのが大変だ。私も、先週までは、上着も着ずに、半袖ノーネクタイで出勤していたが、今週からは、まず上着を持つようにし、週の半ばからは長袖シャツに切り替えた。

季節を表現する言葉に「二十四節気」という表現がある。以前にも紹介した山下景子著『美しい暦のことば』(インデックス・コミュニケーションズ)には、こう説明されている。

 これは太陽の高さが最も低くなる「冬至」、反対に最も高くなる「夏至」、その間の「春分」、「秋分」。この四つ(二至二分)を基準として、一年を二十四等分したものです。
 二十四節気にはそれぞれに季節をあらわした名前がつけられました。一年を二十四等分したのですから、だいたい十五日おきになります。
(山下景子著『美しい暦の言葉』インデックス・コミュニケーションズ、2~3ページ)

さて、今の時期は、どう呼ばれるのかと調べて見ると9月8日ごろを「白露(はくろ)」というそうだ。

「白露」は草に降りる露が寒さで白く見えるようになるということです。
(山下景子著『美しい暦の言葉』インデックス・コミュニケーションズ、128ページ)

本来、二十四節気は旧暦に合わせて作られた言葉なので、新暦に当てはめると10月下旬ということのようだが、今週の急な気温の低下は「白露」と呼んでも、余り違和感を感じない気がしたので、書いてみた。ちなみに次の二十四節気は、大物「秋分」である。

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2006年9月13日 (水)

3度目の正直?今度こその減量宣言

このブログで、何回か減量宣言をしたものの、体重が減るどころか増える一方なのは、先日も書いたばかりだ。しかし、体重が増えて、健康にマイナスはあれ、プラスになることなどない。

先週の日曜日、小6の長男と一緒に、久しぶりに市のスポーツセンターのプールに泳ぎに行った時のことだ。
肩のリハビリと減量のため、今回も500m泳いだ。休憩時間にプールサイドに座り、柔軟体操と思い、中学・高校の陸上部時代からいつもやっているように、プールサイドに座り足を伸ばし、上体を倒して手を伸ばし、つま先を触ろうとしたが、その時、衝撃的な事実に直面した。お腹に溜まった脂肪の塊がじゃまをして、つま先まで手の指先が届かないのだ。未だ、かつて経験したことのない屈辱。これは、ただの中年太りでなないか。

月曜日の夜は、昔の上司と飲み会があり、更に体重は増加。71kgを突き抜け、72kgに届く勢いだ。このままでは、ピークの73kgどころか、ピークを更新し、75kg→80kgと増える一方である。身長170cmに足りない自分の体重80kgの姿など想像するだけでおぞましい。

減量できるかどうかは極めて簡単な算数だ。「摂取カロリー」-「消費カロリー」=プラスであれば体重増。マイナスであれば体重減である。現状、摂取カロリーを極端に調節することは、食べ物に対して以前より意志薄弱になっているので、全く期待できない。ならば、消費カロリーを増やすしかない。

日中デスクワークで、外出することも少ないので、あとは通勤で工夫するしかない。8月14日の首都圏大停電のあと、8月31日にも通勤に使っている地下鉄東西線が停電でストップし、いつも「日本橋」で降りるところを、電車が停車した2駅前の「竹橋」で降りて職場まで歩いた。その時、思ったほど時間がかからなかったこともあり、昨日、思い立って、帰り道「竹橋」まで歩いてみた。

職場から日本橋まで歩くと7分程度、日本橋-竹橋間が地下鉄で4分。計10分程度。職場から竹橋まで歩くと、地下鉄ルートよりのショートカットする形になることもあって、所用時間25分前後だ。15分余計に時間がかかる程度なら、大した負担にもならない。歩く経路には、日本橋三越、日本銀行、大手町のオフィス街と目先も変わり、気象庁が締めくくりだ。

今朝はその甲斐あってか、1kg近く体重が落ちていたので、いい気になって、今日も小雨の中、竹橋まで歩いた。さて、思惑通り、減量が進むかどうか。上手くいけば、節目節目で、このブログでも報告したい。もし、なしのつぶてであれば、次なる4度目の減量宣言が出たときに、思い出して大笑いしていただければと思う。

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2006年9月12日 (火)

香山リカ女史が語る「偶然の出会い」のとらえ方、『14歳の心理学』から

香山リカ著『14歳の心理学』(中経の文庫、中経出版)を読んだ。サラリーマン向けのビジネス書などでなじみがある中経出版が文庫に進出し、最初に世に送り出した10冊のうちの1冊である。

14歳の心理学 (中経の文庫)
14歳の心理学 (中経の文庫)

著者は、以前も書いた通り「我らの世代論~すべては努力と実力次第?」4月9日・記、自分と同じ1960年生まれということで親近感もあり、また精神医学の先生で、河合隼雄とは違った切り口で心(こころ)の問題を扱っているので、著作は何冊か読んでいる。
生意気にも読者として注文をつけるとすれば、個々の評論にはなかなか切れ味鋭いものがあるのに、1冊の本としてまとめられたものを読むと、「結局何を一番訴えたかたのかな~?」と論旨がハッキリしないような感じを受けることがあるのが残念だというところぐらいだ。

今回は、益田リミさんの4コママンガを要所要所にちりばめて、お父さん向けの「子(思春期の娘)育てハッピーアドバイス」を狙っているなと思われる作りだ。
内容は、『子育てハッピーアドバイス』ほど、ソフトな感じはなく、特に第4章の”「生きづらさととなりあわせで心を襲う”と第5章の”子の「現実感」をもっと深く知る」の2章は、若者を襲う離人症(生きている現実感を感じられない)ことから起きている自殺や事件を取り上げていて、ここまで来てしまったら救いようがあるのだろうかと暗澹たる気持ちになる。

暗澹たる気持ちになったお父さんへは、(おそらく、そこまでひどくなる前に)「娘を信じ、ひとりの人間として尊重する」「娘とうまくやりたければ、まず妻とコミュニケーションを(とること)」という処方箋が書かれている。

私が、一番なるほどと思ったのは、第3章で、「偶然の出会い」というものについて語った部分だ。10年くらい前の北欧でのフェリーの沈没事故の際、ある男女が「生きて帰れたら結婚しよう」と約束し、二人とも救出され、相手の消息を調べ、結婚に至った話を紹介した後で、次のように説明している。

偶然の出会いを経験しやすい体質って、たしかにあるのでしょう。
 では、どうすれば偶然出会いを起こしやすくなるのか。先ほどお話ししたフェリー事故の場合、後から研究者が分析したところによると、命が助かるかどうかの分かれ目は 「集中力」と「パニックの起こしにくさ」だったそうです。「船が座礁したぞ!」と聞いて、(中略)「座礁といっても沈没までにかなり時間があるぞ。その間になるべく逃げやすい出口を探して、救命胴衣を着けて…」と冷静に集中して考えることができた人は、命が助かった。「結婚しよう!」と叫び、その後、助かったふたりも、おそらく飛び抜けて集中力があり、すぐにパニックにならない冷静さをもっていたのでしょう。だからこそ、精神が研ぎ澄まされてた状態で、「この人こそ、生涯のパートナーだ!」と出会いまでキャッチすることもできたのです。
(中略)
 つまり、出会いは「あーあ、どこかにステキな出会い、ないかなぁ」と思っているうちは、なかなか訪れない。(中略)「なんとか沈没する船から助かりたい!」と(中略)強い決意を持ち、その目的のために集中して考えたり動いたりしていると、思わぬ出会いが飛び込んでくるものなのです。飛び込んでくるというよりは、精神の集中によってセンサーの感度が上がっているので、自分で「この人は大切だ!」と出会いがよくみえてくる、というほうが正確かもしれませんが。
(中略)
出会いは求めるものではなく、気づくもの。そして、そのために必要なのは、出会い以外の何かを求める集中力とエネルギーです。
(香山リカ著『14歳の心理学』中経の文庫、101~104ページ)

しばらく前に書いた「気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態」(8月24日・記)の中で取り上げた河合長官の「深い必然性をもったものほど、一見偶然に見える」との命題の答えを、香山リカ女史は教えてくれたような気がする。
あることに集中し、精神の感度が上がっている時は、普通なら見過ごしてしまう出会いに活性化された潜在意識が反応し、自分でも選択したという自覚がないうちに、人生における大きな選択をしているのだろう。そう考えると、納得がいく。

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2006年9月10日 (日)

『子育てハッピーアドバイス3』発売

先日、このブログで紹介した『子育てハッピーアドバイス』シリーズの第3巻『子育てハッピーアドバイス3』(明橋大二著、イラスト:太田知子、1万年堂出版)が、9月に入り発売された。昨日の夜、近くの書店で買ってきた。

子育てハッピーアドバイス3
子育てハッピーアドバイス3

第3巻では、引き続き子供の自己評価を高めることの重要性を強調するとともに、子供の自立心を育てることの大切さを説いている。
(子供は)「自分で悩んで、考え、成し遂げて初めて自信を持つようになります。子供が失敗したとき、否定的な見方で本人を、本人を追い詰めないことが大切というタイトルの章もある。

得てして、大人は自分の知識水準・判断基準と同じようなレベルで、子どもたちも考え、行動していると思いがちのような気がする。大人の感覚・目線から見れば許せないことでも、まだ未熟な子どもの感覚・目線で見れば、違った見方があるはずなのに、最近は大人の方に余裕がなくなっているので、それができなくなっている。

企業社会の中で、相手の人格を否定するような発言をする上司いても、それが仕事の上のことであれば、許される風土がある。そうやって、職場で否定され、自己肯定感をもてない親が、家庭で子どもの目線・感覚で、子どもと接触できなくなっていることもやむを得ない面がある。
最近は、セクシャル・ハラスメント(セクハラ)に次いで、パワー・ハラスメント(パワハラ)ということも言われるようになっており、職場での上司による度を超えた部下いじめは問題にされるような風潮も出てきた。

我々一人ひとりが自覚して、身の回りでできることをしていくことが、子どもを追い詰める社会を少しでもよくしていく近道ではないか、とも思っている。

*『子育てハッピーアドバイス』関連記事
9月4日:教育・育児の悩みを解決してくれる『子育てハッピーアドバイス』
9月10日:『子育てハッピーアドバイス3』発売

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2006年9月 9日 (土)

森内俊之名人から見た羽生善治3冠

今日は、また将棋の話を少し。将棋の名人戦の主催を毎日新聞社から朝日新聞社に移すという騒動が持ち上がってから、再び将棋界のことを関心を持って見るようになった。将棋連盟の月刊誌『将棋世界』も9月号、10月号と買って読んでいる。(米長会長によれば、販売部数の低下に歯止めをかけるべく、編集部も意欲的な編集をしているようだ)

将棋盤と駒を持ち出して、棋譜を並べるほど熱心ではないが、毎月掲載されるタイトルホルダーのインタビューは、トップを極めた棋士たちの人間性を垣間見ることができて、面白い。9月号は、最近、タイトル戦の常連である佐藤康光棋聖(36)、そして直近の10月号は森内俊之名人(35)である。

森内名人のインタビューの中で、ライバルである羽生善治3冠(王位・王座・王将)(35)について語ったところがある。(森内と羽生は同い年、小学生名人戦でも戦っている)

「羽生さんは別格の存在ですね。将棋界の枠を超えているという意味でもそうですし、学んだことは数多いです。」

「子供のころは確かに対抗心がありましたけれど、途中から差が開きすぎて後ろ姿が見えなくなってしまいましたので、そういう気持ちはなくなりました。自分が一つ上のステップに上がったと思えたとき『彼はこうしてクリアしてきたのか』とすごさがわかる。棋士の中では一番尊敬しています。そういう感情を持つことは勝負師としては問題なのかも知れませんけれど…」

「羽生さんのすごいところは周りを引き上げてながら、自分も上がっていくところだと思います。勝負の世界では仲間がそのままの場所にいてくれれば自分が上がったとき差が開く分けで、勝ち負けだけを考えればその方が得になるわけですが、かれの場合はそう考えずにもっと大きな視点で見ています」
(日本将棋連盟発行『将棋世界』2006年10月号、18~19ページ)

同年齢で将棋界の一方の雄である森内名人から「周りを引き上げて、自分も上がっていく」と評される羽生3冠というのも偉大だ。かつて、羽生3冠が、将棋界のタイトル7つを全て手中に納めたことがあったが、その後、ライバルの成長もあって、まさに群雄割拠。

しかし、トップが周りを伸ばし、自分もその追い上げに脅威を感じつつも成長していく。追う者と追われる者が、しのぎを削りギリギリの勝負を繰り広げる。こんな前向きの回転をしている組織は、どんどん強くなると思う。

一方で、将棋というものが、厳しい勝負の世界でありつつも、以前書いたメディア・イベントの一つに過ぎないことをよく認識しているのが、将棋連盟会長になった米長邦雄永世棋聖だろう。人々に注目され、関心を持たれてこそ、成り立つ仕事・組織であることをわかっているはずだ。注目され、関心も持たれても、その重圧や好奇心に耐え、またそれにふさわしい内容を備えた後輩達だと信頼しているからこそ、いろいろな形で、話題作りをしているのではないかと思う。

これからも、毎月の『将棋世界』の購読者となって、将棋界の動きに注目していきたい。

*将棋に関する記事(2006年)
4月26日:
『将棋世界』5月号
6月19日:第64期将棋名人戦
8月2日 :将棋名人戦、朝日新聞に
8月27日:米長邦雄将棋連盟会長の『不運のすすめ』
9月9日 :森内俊之名人から見た羽生善治3冠
9月20日:将棋名人戦、朝日・毎日の共催へ協議開始
11月18日:郷田真隆九段の揮毫「晩成」
12月23日:第19期(2006年)竜王戦-佐藤康光棋聖及ばず、渡辺竜王に立ちふさがる最後の壁は羽生3冠
12月30日:将棋名人戦、毎日・朝日両新聞社の共催の詳細固まる

*上記記事を含め、このブログの将棋に関する記事の一覧はこちら→アーカイブ:将棋

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2006年9月 8日 (金)

90年代後半の世相を語る『縦糸横糸』を読む

河合隼雄著『縦糸横糸』(新潮文庫)を読み終わる。1996年5月から2003年5月まで、月1回産経新聞大阪版に連載されたコラム72回分をまとめて本のしたもので、単行本は2003年7月に発行され、この9月に新潮文庫に加わった。

縦糸横糸 (新潮文庫)
縦糸横糸 (新潮文庫)

その時々の世間での出来事をテーマに河合隼雄が持論を語っている。振り返って見れば、90年代後半からこの本がまとめられた2003年までは、日本経済の長引く不振で、日本社会全体が暗くすさんでいた時期でもあり、バブル崩壊後の失われた10年(15年)の社会史にもなっている。72話の多くが、小学生や中学生といった少年・少女が起こした事件をテーマにしている。

しかし、河合氏は常に、事件の背景にある真の原因を探ろうとする。それは、子供を暴発に追い詰める、家庭であり、社会であり、それらの構成員である大人一人ひとりである。大人自身が、自分十分見つめておらず、自分に自信がもてていない。信頼できる人間関係が築けない。家庭が、憩いの場とならない。それが、子供を追い詰めている。

そんな大人の姿を描いた一節がある。『「今、ここ」の自分への不満』とサブタイトルがついたコラムで、関西の私鉄で混雑時の社内での携帯電話の電源を切るように呼びかけ始めたことを取りあげたものだ。

いつどこから電波という風が吹いてくるかわからないのを、いつも待ち受けている姿勢で、何かにほんとうに集中できるはずがない。というよりは、何かに集中するのが怖いので、それを避けるために常に外からのはたらきかけを気にしている、というのが現代人の姿ではないだろうか。
 外からのはたらきかけを待つというと何かに心を配っているようだがさにあらず、ひとたび携帯のベルが鳴ると周囲を全く無視して話しはじめる。他人の迷惑などお構いなしである。そこには極端な自己中心性が認められる。
◆空しい枝の絡み合い
 常に外とのつながりを求め自己中心的である姿は、自己に深く沈潜することによって他とのつながりを見出してゆく姿とはまったくの対極をなしている。現代人の特徴としての人間関係の希薄さ、まずさは、その根本に自分の内面とのつながりの無さということにある。(中略)自分の内界と切れてしまっているので、何とかして外とのつながりによってそれを補償しようとするのである。
 このような姿は、たとえてみると、根から切れた沢山の木が、お互いに枝を絡み合わせることによって、やっと立っているのに似ている。辛うじて倒れずに居るが、やがてはかれてしまうことだろう。この空しい枝の絡み合いをネットワークなどと呼んでいるのである。
 (中略)携帯電話禁止週間などというものがあったりすると、もう少し人間が自分の内面もこめて、互いに向き合うことをするようになるだろう。
(河合隼雄著『縦糸横糸』新潮文庫、243~244ページ)

時々、こうしてブログを書いていると、妻から「ブログばかり書いて、私や子供たちのことはほったらかし」と怒られる。根のない木にはなっていないつもりだけれど、そう言われれば、ブログに向かう時間が増えた分、家族と向き合う時間は減っているかも知れない。うまくバランスを取ることを考えなくてはいけないと少々反省している。

*河合隼雄関連の記事
3月7日:『中年クライシス』
8月24日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態
9月1日:『明恵 夢を生きる』を読み始める
9月5日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態・その2
9月7日:『明恵 夢を生きる』を読み終わる
9月8日:90年代後半の世相を語る『縦糸横糸』を読む

11月1日:河合隼雄文化庁長官、休職

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2006年9月 7日 (木)

『明恵 夢を生きる』を読み終わる

昨日、『明恵 夢を生きる』(河合隼雄著、講談社+α文庫)を読み終わった。明恵という僧侶の精神性の高さに驚嘆するばかりである。

明恵 夢を生きる (講談社プラスアルファ文庫)

私は、昔から歴史好きだったこともあって、大学受験の際の共通1次試験も、日本史・世界史という組み合わせで臨んだ。大学時代、社会人のなってからも、歴史関係の新書はずいぶん読んできた方だが、正直なところ、20年間積ん読になっていた京都松柏社版の『明恵 夢を生きる』でしか、「明恵」の名前を見ることはなかった。

試しに、高校時代に使った日本史教科書の定番である山川出版社の赤い表紙の「詳説日本史新版」開いてみる。「鎌倉新仏教の誕生」のサブタイトルで法然、親鸞、日蓮、一遍らが語れたあと最後に、次のように書かれている。

これにたいし、旧仏教諸宗は、いぜんとして大きな力をもっていたので、新仏教を弾圧して、自己の宗勢をまもろうとし、その反面では反省と改革をすすめた。法相宗の貞慶(解脱)、華厳宗の高弁(明恵)、律宗の叡尊らは戒律の尊重を説き、奈良仏教の復興に努力した。叡尊の弟子忍性(良観)は貧民救済・施療などの社会事業につくした。
(井上光貞・笠原一男・児玉幸多『詳説日本史新版』昭和53年、106~107ページ)

その後も、書店等で新しい山川の『詳説日本史』の教科書を見つけるたびに買いたして、他にも、1991年版、1999年版、2003年版が手元にあるが、旧仏教側が新仏教を弾圧したという記述がなくなっている程度で、明恵が奈良仏教(南都仏教)の復興に尽くしたということ以外は書かれていない。

しかし、現実の明恵は、自分の夢を丹念に記録して自分なりの解釈も加えている。年齢を加え経験が増すとともに、夢の内容が変化していく。最後は、自分の中に菩薩が入ってくるという夢を見る。一人の人間の生き方として見ると実に潔いし、年々成長し、その思想の深まりが、如実に夢に反映される様子は「すごい」というしかない。

おそらく、約20年の間、この本を開いても読み進めなかったのは、本の中から、明恵がおまえにはまだ早いと囁いていたのだろう。今の自分でも、十分読みこなせたとは思えないが、なんとか読み通すことができた。

機会があれば、戦前、広く日本人に読まれたと言われる『明恵上人伝記』にも挑戦してみたい。

*河合隼雄関連の記事
3月7日:『中年クライシス』
8月24日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態
9月1日:『明恵 夢を生きる』を読み始める
9月5日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態・その2
9月7日:『明恵 夢を生きる』を読み終わる
9月8日:90年代後半の世相を語る『縦糸横糸』を読む

11月1日:河合隼雄文化庁長官、休職

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2006年9月 6日 (水)

昔減量できたのに、今痩せられない理由

このブログで、何回か、減量宣言をしているが、体重は全然減らない。むしろ、着実に増え続けている。5月頃は、68kg台だったと思うが、今や71kgラインを巡る攻防だ。一時、ピークの73kgから63kgまで、約1年で10kg減量したことが自慢だったが、札幌に単身赴任していた1年で+2kg、札幌から戻ってからの11ヵ月で+6kgと10kg減量のうちの8割リバウンドしてしまった。

何故、以前のように減量できないのか?減量できた頃に比べて意志薄弱になったとしか言いようがないのだが、では、なぜ意志薄弱になってしまったのか。

減量が進んでいた頃、会社の合併で職場環境が大きく変わり、自分も暗中模索だった。今までと違うのはわかっているし、自分自身も変わっていかなければいけないのだが、どうすればいいのか、なかなか見えてこない。

今思えば、とにかく今まで自分の中に澱(おり)のように溜まったものを吐き出していかなければ、どうしようもないと思っていたのだろう。吐き出して、自分の中に新しい空間を作り出さなければ、外から新しいものを受け入れ、吸収することもできない。潜在意識で、切実に感じていたからだろう。苦もなく、減量ができた。

今、全くダメなのは、仕事で、新しく学ぶことが多く、それがそれなりに面白いこともあって、吸収することばかりで、外に捨てるものがない。これからも、しばらくは学ばなければならない。減量に臨む自分を巡る環境の変化が影響して、減量どころか増量が一方的に進むのではないか、と考えている。

もちろん、決してそれに甘んじるつもりはなく、何とかして減量したいと思っているが、外部から多く吸収しなくてはいけない中で、減量を進めるのは、想像以上に苦労を要することなのかも知れない。

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2006年9月 5日 (火)

気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態・その2

今朝の日本経済新聞に脳梗塞で倒れ入院中の河合隼雄文化庁長官の主治医が4日(昨日)、河合長官の容態につき発表したとの記事が出ていた。
「小康状態を保ち、生命の危機的状況はほぼ脱した」とのコメントの一方、依然として「意識は回復しておらず重篤な状態」とある。

昨日は、小坂憲次文部科学大臣が高松塚古墳の視察し、河合長官の家族に面会したこともあり、容態の発表があっったのかも知れない。

まだ、意識不明ということだ。この世とあの世との境で、さまよっているということだろうか。

河合長官の最近の本に『大人の友情』(朝日新聞社、2005年)がある。

大人の友情
大人の友情

その中に、白洲正子さんから聞いた話がのっている。

 白洲さんが晩年病気で瀕死の状態になられた。親族一同が危篤と思って見守る中で、白洲さんは「大丈夫、大丈夫」と言われたらしい。一同、変な気がしたが、幸いにも奇跡的に治って元気になった。
 その後、お会いしたら、「私、死にかけたのよ」と話をして下さった。ふと気がつくと自分は一人で山道を歩いていた。ところが、桜の花が満開で、それが散りはじめ、その花吹雪のなかを、これなら一人でゆける、というので「大丈夫、大丈夫」と言ったらしい。そのとき、このようにして一人でちゃんとあちらにゆけるのだから大丈夫という気があったようだ。このような話であった。
 この話に私は深く心を打たれたし、さすがに白洲さんらしいなと感じた。
(河合隼雄著『大人の友情』朝日新聞社、85~86ページ)

ぜひ、ここで語られている白洲正子さんのように意識を回復し、あの世の入り口の話でも、我々に笑い飛ばすように語ってほしいものだ。

(追記:その後、『大人の友情』は2008年2月に朝日文庫に入った)

大人の友情 (朝日文庫 か 23-8)
大人の友情 (朝日文庫 か 23-8)

*河合隼雄関連の記事
3月7日:『中年クライシス』
8月24日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態
9月1日:『明恵 夢を生きる』を読み始める
9月5日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態・その2
9月7日:『明恵 夢を生きる』を読み終わる
9月8日:90年代後半の世相を語る『縦糸横糸』を読む

11月1日:河合隼雄文化庁長官、休職

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2006年9月 4日 (月)

教育・育児の悩みを解決してくれる『子育てハッピーアドバイス』

高校3年生の長女が先週末『子育てハッピーアドバイス』『子育てハッピーアドバイス2』(いずれも、明橋大二著、イラスト太田知子、1万年堂出版)の2冊を学校の図書館から借りてきた。「おもしろそうだし、イラストが可愛かったから…」との長女の弁。

子育てハッピーアドバイス
子育てハッピーアドバイス

子育てハッピーアドバイス 2
子育てハッピーアドバイス 2

著者の明橋大二さんは、1959年生まれの精神科医で、スクールカウンセラーもやっている。子育てに悩む若い母親向けに、明橋先生の語りを太田さんの可愛いイラスト・マンガを交えて伝える。1冊1時間もあれば、読めてしまう。

しかし、内容は濃い。2冊を通じて、明橋先生が強調するのは、子供の自分に対する信頼感(自己評価)を高めること。幼い時に、親がしっかり子供の甘えを受け止め、話を良く聞いてあげて、子供の自己評価・自己肯定感が育ってこそ、「しつけ」も、「勉強」も身につくと説いている。親が何をやれば子供の自己評価が高まり、何をやれば自己評価を低めることになるのか、日常によくあるケースがいくつも取り上げられている。親がよかれと思ってやっていることが、逆効果というケースがなんと多いことか。自分でも、反省させられることが多かった。
また、子育ての責任が母親ひとりに集中しがちで、母親自身に余裕がなくなっているケースが多いので、父親や周りの人々が母親をサポートすることも重要と強調している。

折しも、我が家では、夏休み明けの妻が、中3の次女の成績が伸びない、小6の長男はちっとも言うことを聞かないということで、「自分の子育てが間違っていたのではないか?」と真剣に悩み始め、私が「そんなことはない」となだめても全く効果がなく「中年クライシス」状態だった。家族全員で、この2冊を読んで「これってウチでもあるよね」とみんなで納得している。妻も、自分が客観視できて、少しは楽になったのではないかと思う。

きちんとしつけなきゃならない、と思って、子育てが負担になり、イライラしていると思ったら、いったん、しつけなんて、もうヤ~タと放棄して、肩の荷を下ろして、深呼吸してください。

そのほうが、よほど子供の将来のためにいい、ということもあるのです。
(明橋大二著『子育てハッピーアドバイス』1万年堂出版、116ページ)

この本は、今子育てに悪戦苦闘する若い親とっては、子育てのバイブルになるだろう。すでに子供が大きくなった私のような中年世代の親にも、自分の子育てを振り返り見直し、やり残したことがあれば、今からでもできることは試した方が、より良い親子関係作れるかも知れないという点で必読書だと思う。

*『子育てハッピーアドバイス』関連記事
9月4日:教育・育児の悩みを解決してくれる『子育てハッピーアドバイス』
9月10日:『子育てハッピーアドバイス3』発売

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2006年9月 3日 (日)

運転免許の更新

夏休みに続いた身の回りの雑用処理の締めくくりとして、運転免許証の更新に行ってきた。日曜日に更新が可能なのは、運転免許試験場だけ。自宅の場所から距離的に近いのは、府中試験場だと思うのだが、バスを乗り継いで行かねばならず、いつも通勤に使っている地下鉄東西線の沿線にある江東試験場に行った。

5年前は引っ越した直後で、変更後の住所確認のために必要な新住所に届いたハガキ等を忘れたため、せっかく朝早くから行ったのに出直すはめになり、ひどい目にあった。

今回は、住所変更もなく、更新通知と現在の免許証が必要書類。あとは更新手数料。試験場に着いたのは朝の9時頃だったが、もう長蛇の列だった。とりあえず、最初の列に並び更新通知と免許証を出して、申請書をもらう。
次に並んだ更新手数料の「証紙」を買うための列が一番長かった。
(手数料の領収を証明する領収書が「証紙」ということだと思うが、いつもこの仕組みはなんとかならないのかと思う。郵便局で買える印紙で代用できれば事前に準備ができるし、各官庁毎に別々に「証紙」が必要ということだとしても、自動販売機を置くといったこともできるのではないか?)
私はゴールド免許なので2800円の証紙を買い、視力検査を受ける。次が、免許証用の写真撮影。ここでも、また長蛇の列。

免許証の写真は、これから5年ついて回るので、できればきちんと写りたい。5年前は、水色のボタンダウンシャツを着ていったら、襟もとがだらしなく空き、着ている物の色も写真撮影の際の青い背景ににじんでしまい、何とも冴えない顔写真になってしまった。今回はその反省を踏まえて、紺色のポロシャツにした。

あとはお決まりの30分の安全講習を受ける。駐車禁止の規制強化の話が出て、使用者が駐車禁止の罰金を払わない場合、所有者や実質的な車の管理者に請求が行くという制度の変わったとの説明があった。
私の車も名義書換をせずにいて、駐車違反をしたら、所有者だったリース会社に請求が行くということだ。個人相手のカーリースや、自動車ローンの仕組みも変えていくことになるのだろう。

講習後、5分ほどまって、新免許証の交付。顔写真の方は、何となくいかつい顔に写っているが、まあ何とか許容範囲だった。

このブログを書くため警視庁のホームページを見たら、なんと運転免許証も偽造防止のため来年1月からはICカード化されるそうだ。技術進歩は確実の身の回りに浸透してきているということだ。(参考:警視庁ホームページ「ICカード免許証」

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2006年9月 1日 (金)

『明恵 夢を生きる』を読み始める

河合隼雄文化庁長官のその後の容態はどうなっているのだろうか?特に、新しいニュースもないようである。

私は、河合長官の著書は、かなり読んでいるが、このほぼ20年積ん読になったままの著書がある。『明恵 夢を生きる』(京都松柏社発行)である。奥書を見ると、1987年4月発行で、私の手元にあるのは、1987年7月第3刷である。ほぼそのタイミングで購入しているはずだ。それから、19年が過ぎ20年目に入る。それ以後、新刊で出た著書もずいぶん読んでいるが、なぜかこの本は何度か手に取るが、挫折してしまう。

鎌倉時代の高僧明恵(みょうえ)は、自らの夢を綴った『夢記』を生涯を通して記しており、それを河合隼雄氏が心理学者、夢分析者の立場から語るもので、非常に興味深いテーマなのだが、なぜか進まない。

どちらかと言えば心理学の専門書的な位置づけで出されたこの著書は、その後、広く読まれ、1995年には「講談社+α文庫」の河合作品の1冊に加えられている。思い切って、そちらを買って読むことにした。文庫版のまえがきには、「文庫版出版にあたりふりがなをふやすことになり、…」とある。単行本の方を、なかなか読み進めなかったのは、ふりがなが少なくページ全体から堅い印象を感じていたからかも知れない。今度こそは、読み終わろう。

明恵 夢を生きる (講談社プラスアルファ文庫)
明恵 夢を生きる (講談社プラスアルファ文庫)

*河合隼雄関連の記事
3月7日:『中年クライシス』
8月24日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態
9月1日:『明恵 夢を生きる』を読み始める
9月5日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態・その2
9月7日:『明恵 夢を生きる』を読み終わる
9月8日:90年代後半の世相を語る『縦糸横糸』を読む

11月1日:河合隼雄文化庁長官、休職

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