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2006年9月30日 (土)

『偽りの大化改新』を読んで(1)

講談社現代新書の『偽り大化改新』(中村修也著)を読んだ。中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足が起こしたとされ、日本の古代史の一大転機となった「大化の改新」の真の首謀者は誰かということがテーマである。

偽りの大化改新 (講談社現代新書)
偽りの大化改新 (講談社現代新書)

私が高校の頃の日本史の教科書には、「日本書紀」の記述をベースに、次のように書かれている。

朝廷では、馬子のあと、蘇我蝦夷が大臣となり、皇極天皇のときには、蝦夷の子入鹿がみずからの手に権力を集中しようとして、有力な皇位継承者のひとりであった山背大兄王をおそって自殺させる事件をおこした。(中略)。
中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)中臣鎌足(なかとみのかまたり)はともに計略をめぐらし、645年、蘇我蝦夷・入鹿父子を滅ぼして政権をにぎり、国政の改革にのりだした。
この年、孝徳天皇が新たに位につき、中大兄皇子は皇太子となり、旧豪族のおもだったものを左右の大臣とした。いっぽう、中臣鎌足は内臣、僧旻・高向玄理の2人は政治顧問である国博士となり、ともに皇太子である中大兄皇子をたすけて政治の改革にあたった。この年、政府は都を難波におき、また中国の例にならってはじめて年号をたて大化といった。そのため、以後の一連の政治改革を大化の改新という。
翌646(大化2)年には、政府は4ヵ条からなる改新の詔を発した。
(昭和53(1978)年3月発行、山川出版社『詳説日本史(新版)』35~36ページ)

大化の改新の評価は、テーマそのものが大きいだけに、私がもっている4冊の山川の詳説日本史を見ても、その都度、記述の内容が微妙に変化し、通説もなかなか定まらない様子がうかがえる。4冊のうち最も新しい版では、次のように変化している。

倭では、蘇我入鹿が厩戸王(聖徳太子)の子山背大兄王を滅ぼして権力集中をはかったが、中大兄皇子(なかのおおえのみこ)は、蘇我倉山田石川麻呂や中臣鎌足の協力を得て、王族中心の中央集権をめざし、645(大化元)年に蘇我蝦夷・入鹿を滅ぼした(乙巳の変(いっしのへん))。そして王族の軽皇子(かるのみこ)が即位して孝徳天皇となり、中大兄皇子を皇太子、また阿倍内麻呂・蘇我倉山田石川麻呂を左・右大臣、旻と高向玄理を国博士とする新政権が成立し、政治改革を進めた。
646(大化2)年正月には、「改新の詔」で豪族の田荘・部曲を廃止して公地公民制へ移行をめざす政策が示された。(中略)こうした孝徳天皇時代の諸改革は、大化改新(たいかかいしん)といわれる。
(2003年3月発行、山川出版社『詳説日本史』32~33ページ)

四半世紀を経ての記述の変化としては、孝徳天皇(軽皇子)や蘇我倉山田石川麻呂の存在が強調されるようになり、中大兄皇子や中臣鎌足が改革をすすめたというトーンはかなり抑えられているようにも読める。

長々と通説を紹介したが、これに対し著者は

①中大兄皇子は当時の権力者である蘇我入鹿殺害するクーデターを起こし、入鹿殺害にも自ら手も下すという大きなリスクを負ったにもかかわらず、クーデター成功後、大王(天皇)に即位していないのは何故か。
②王族中心の政治のため、蘇我氏を滅ぼしたのに、なぜ皇極女帝は退位しなければならなかったのか。
③軽皇子は、どのような理由で、大王に選ばれたのか。

といった趣旨の疑問を提示し、それを解き明かそうとしていく。
著者は1959年生まれで、私より1歳年上。中学・高校と、教えられた歴史の通説はほぼ変わらないと思われるので、著者の通説に対する疑問も違和感はない。

結論は、乙巳の変の首謀者は、蘇我入鹿殺害後、大王に即位した軽皇子(孝徳天皇)であろうというものである。以下、『偽りの大化改新』の記述から中村説を私なりに整理すると、

②と③については、既に中年の域に達していた軽皇子が自ら大王に即位するため、皇極女帝を支えていた蘇我入鹿を殺害し、蘇我氏の勢力を背景にして次期大王の有力候補であった古人大兄皇子の勢力をそぐとともに、姉である皇極女帝に退位を迫り、皇極女帝から大王の位を簒奪したと考えれば、皇極が退位し孝徳が即位したこと、さらに孝徳の死後、皇極が重祚し斉明女帝として再登場したことの辻褄は合う。

また、孝徳天皇の治世において、結局、古人大兄皇子が謀反の疑いで滅ぼされのは、孝徳政権下で、古人大兄皇子が生きているということが、孝徳にとって自分の地位を脅かす懸念材料であるからと考えれば説明がつく。
クーデターの立役者の一人だった蘇我倉山田石川麻呂も後に謀反の疑いで自害に追いやられるが、彼が娘を中大兄皇子に嫁がせ、孝徳の次の大王の地位をうかがう立場の中大兄皇子と親密になっていったことが、孝徳に疑心暗鬼を生じさせた結果だとすれば、納得がいく。

乙巳の変のクーデターでの、軽皇子(孝徳天皇)主役説は、すでに『大化改新』(遠山美都男著、中公新書、1993年)で述べられている。遠山美都男はクーデターの関係者の人間関係の分析により、中大兄皇子を除く関係者全てが何らかの形で軽皇子につながっており、「通説では、中大兄・鎌足主従の陰に追いやられていた軽皇子その人こそ、「乙巳の変」の真の主役であったと断定できる」(中公新書『大化改新』196ページ)としている。

では、「日本書紀」では、なぜ中大兄皇子を「乙巳の変」の主役にしているのか。そこに、この著書の遠山版『大化改新』にはない新しさがあるのだが、記事が長くなったので、それについては次回に書くことにする。

*一部、記述の補記、表記の間違いの訂正をしました(2006年10月1日)

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コメント

はじめまして、私は歴史が大好きで歴史系のHPとブログを運営しています。

特に、この大化の改新あたりは、大好きで、孝徳天皇主役説とは、興味をそそられます。
この先、間人皇女の皇后や、有間皇子の話がどういう風に解釈されるのかがとても楽しみです。

失礼ながらTBさせていただきました。

投稿: indoor-mama | 2006年10月 1日 (日) 06時18分

indoor-mamaさん、TBとコメントをいただきありがとうございました。
TBしていただいた「無事故の世づくり大化の改新」の記事に書かれている通り、辻褄の合わないことが多い、「乙巳の変」から「大化改新」そしての天智近江朝にかけての出来事を、どう分析し、再解釈していくのか、その一つの枠組みを提示でしているのが、『偽りの大化改新』だと思います。
ぜひ、一読してみて下さい。

投稿: 拓庵 | 2006年10月 1日 (日) 10時13分

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皇極天皇四年(645年)6月12日、飛鳥板蓋宮にて、時の権力者・蘇我入鹿が暗殺さ [続きを読む]

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