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2006年11月の記事

2006年11月30日 (木)

車を修理する

動かなくなった車を廃車にしようかと考えた話は、しばらく前に書いたが、結局、廃車にしようとディーラーに相談した時点では、その前に日に、私がいったんは、こわれたトランスミッションの交換を口頭とはいえ、依頼していたこともあり、ディラーのメンテナンスの担当者は、早手回しに交換部品の発注をした後だった。私の「廃車しようか?」との問いかけに、すぐ本社に確認してくれたが、すでに、部品は発送済みだった。こちらも、いったん依頼しているだけに文句は言えない。結局、そのまま、トランスミッションを交換してもらい、昨日、修理が完了した。

こちらも、愛着のある車を廃車することに多少に迷いもあったので、廃車にするにはまだ使い切っていないということだと考え直し、ここで、多少の投資をしてあと4年乗るつもりの中古車を買ったと考えることにした。あと4年たてば、長女が大学を卒業する時期を迎える。購入11年で、2年車検が終わり、1年車検に切り替わる時期だ。長女が無事に就職してくれれば、家計の負担も少しは減るだろう。その時になれば、買い替えも可能だろう。

あと4年、せいぜい、大事に乗らなくては。

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2006年11月26日 (日)

ケータイの機種変更をした、携帯電話はどこまで進化するのか

携帯電話業界では、番号ポータビリティ制度(MNP=Mobile Number Portability)の話題でもちきりだが、その時期を狙っていたわけではないが、ちょうど1ヵ月ほど前のMNPが始まった日に自分の携帯電話の機種変更をした。

携帯電話を持つようになって10年以上になる。北陸・富山で勤務していた90年代後半、ちょうど、阪神・淡路大震災で固定電話は繋がらなかったけれど、市場に出回り始めていた携帯電話は繋がったという話が流布され、緊急連絡用として携帯電話が脚光を浴び、普及に弾みがつきだした頃だった。私は、仕事で、auの前身である北陸地区の携帯電話会社を担当することになり、携帯電話を持つことになった。最初は、まだアナログ機で、出始めにデジタルよりアナログの方が音質がいいとも言われていた。

その後、何台機種変更をしたのか、よく覚えていないが、ずっとauを使っている。最初のアナログ端末がデジタル端末になり、電子メールが使えるようになり、デジタルカメラ機能も付いた。つい最近まで使って機種は、2年前の春、札幌にいる時に、某家電量販店で200万画素のカメラ付のものが、期間限定キャンペーンで格安で機種変更を受け付けていたので、半ば衝動的に変更したものだ。液晶画面もカラーになり、インターネット接続もできるようになった。

以前、このブログで、次は「おさいふケータイ」にと書いたが、今回の追加機能は「おさいふケータイ」機能と「LISMO」というauが売りにしている「オーディオ・プレーヤー」機能である。MNPスタートに合わせ新機種が投入された関係で、今年の6月に出された1世代前の機種(W42H)が、機能の割に値下がりしていてお買い(お替え)得だった。

おさいふケータイの方は、Edyが最初からセットされていて、さらにSuicaもソフトをダウンロードすれば使える。LISMOは、調べてみると「au  LISTEN  MOBILE SERVICE」との略ことで、アップル社の「ipod」と比較すれば、携帯電話の端末が「ipod」にあたり、「iTunes」にあたる音楽管理ソフトが「au Music Port」という付属ソフト、「iTunes Music Store」にあたる楽曲のダウンロード販売サービスも「DUOMUSIC STORE」という形で行っている。(IT用語辞典、e-Wordsの「LISMO」の項を参考にしました)

昨日、ようやくCDから曲の取り込みを行って、今日、初めて、携帯電話で音楽を聴いてみた。今まで、使っていたMDプレヤーに比べて、音質は落ちているのだろう(といっても、他のデジタル・オーディオ・プレーヤーに劣るわけではない)が、通勤の行き帰りの電車の中などで聴く分には、十分である。

いまや、携帯電話は小さなコンピュータである。私は、TVまで携帯電話で見ようとは思わないが、TVにさえなり得るということは驚きである。さらに、パソコンのどのような機能を携帯電話は取り込んでいくのか、同時代に起きている製品・サービスの革命的な変化という意味からの興味は尽きない。

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2006年11月25日 (土)

宋と遼との戦いを語る『楊家将』(北方謙三著)を読み終わる

北方謙三著『楊家将』(上・下巻、PHP文庫)を読み終わった。

物語は、中国の宋の2代皇帝太宗(趙光義)の時代。唐が滅んだ後、中国は「五代十国」と呼ばれる分裂期に入る。そして、その混乱を統一した新国家「宋(北宋)」を建国したのが、趙匡胤(太祖)である。太祖の後を継いだ弟の太宗の時代、五代十国の中で最後まで残ったのが、中国北部に位置し、異民族国家「遼」と国境を接していた「北漢」。主人公「楊業(ようぎょう)」は北漢の武将として登場する。

兄の遺志を継ぎ、北漢を滅ぼし中国を統一しようとする宋の太宗は、自ら軍を率いて、親征に出る。その宋の親征軍に立ち向かう楊業。楊業は、塩の商圏を握り独自の収入源を持つ「軍閥」。北漢の都では、常に、楊業の謀反・離反を怖れているが、一方、楊業なくして禁軍(皇帝軍)だけでは、国の守りも覚束ない。宋の太宗の親征を前にしても、北漢の宮中では、楊業に対する疑心暗鬼が囁かれる。忠義の臣である楊業は、北漢の皇帝劉鈞と直接会って、自らの潔白を晴らそうとするが、皇帝までもが、自らを疑っていることを知り、一族のため宋への帰順を決意する。

『楊家将』(上巻)は、このように楊業の宋への帰順から幕を切って落とすが、以後、宋軍の外様武将となった楊業とその一族は、遼と国境を接する宋の北の最前線で、遼軍と対峙することになる。
五代十国の「後晋」の時代に遼に譲渡された「燕雲十六州」の奪還を先代太祖からの悲願とする太宗・皇帝。文治国家「宋」において対立する武官(軍人)と文官。軍人の中でも帰順した外様武将に対する生え抜き武将たちの蔑視。その中で、あくまで武人・軍人として生きようとする楊業とその息子たち。
一方、対立する遼の側も、幼帝を支える実権者の太后と様々な軍人達の人間模様が描かれる。

中国を舞台にした歴史小説は、日本でも多く書かれているが、宋(北宋)の時代を舞台にしたものは、少ない。宋の皇帝の御前での殿試の夢から目覚める場面から始まる『敦煌』(井上靖著)くらいしか私は読んだことがない。『楊家将』は、中国では、『三国志』『水滸伝』と並ぶ人気の物語らしいが、これまで日本に紹介されることはなかった。そんな中、楊業の存在を知った作者は、楊業に「書いてくれ」と呼ばれている様な気がしたと語っている。

本書は、2004(平成16)年に、その年の大衆文学の優秀な作品を発表した作家に贈られる吉川英治文学賞の受賞作となった。過去の受賞作で私が読んだ作品は、1987(昭和62)年の『優駿』(宮本輝)、2000(平成12)年の『火怨』(高橋克彦)などであるが、いずれも物語として読み手を惹きつけてやまない作品だった。この『楊家将』もその2作品に勝るとも劣らない出来である。

*関連記事 
2006年11月25日:
宋と遼との戦いを語る『楊家将』(北方謙三著)を読み終わる
2007年2月9日:『血涙 新楊家将(上)』(北方謙三著)を読み終わる
2007年2月15日:『血涙 新楊家将(下)』(北方謙三著)を読み終わる

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2006年11月24日 (金)

再び車のトラブル

昨日の勤労感謝の日、夕食のあと、借りていたCDを返しに行こうと、車に乗って家を出た。

家を出て5分ほど走った交差点を左に曲がったところで、車がまったく動かなくなってしまった。エンジンは動いているのだが、エンジンの動力が全く車輪に伝わっていない。近くに交番があるので、一緒に乗っていた妻が、お巡りさんを呼びに行ってくれた。妻を運転席に座らせ、とりあえず、お巡りさんと私で、交差点から少し先の道路脇まで押していく。それでも、車の通行の邪魔にはなるが、交差点よりは安全だ。

JAFに電話をすると45分かかると言われる。いつも車を預けているディラーに電話をして、とりあえず、車を置かせてもらう了解だけは取り付ける。もう、夜の9時近い。長丁場になりそうなので、一緒に乗っていた娘2人は、歩いて家に帰るように言い、妻と2人で、JAFが来るのを待つ。

JAFはやって来たが、ライトバン。JAFの担当者は、その場での応急処置は無理と判断したが、ライトバンなので牽引できない。結局、レッカー車を改めて呼ぶことになり、さらに30分待たされる。ディラーまで、車を持ち込めたのは、10時半頃だったと思う。書き置きして、車だけを残し、妻と2人、小雨降る中、家まで20分の道を歩いて帰った。

今日、職場から、ディラーに電話をすると、トランスミッション(変速機)がおかしくなっていて、取り替える必要があるとのこと。来年1月で購入後丸7年。買う時は10年乗るつもりで買ったのだが、札幌で半年雪に埋もれたのが、色々なところに悪影響を及ぼしているのだろうか?まだ30,000kmも走っていなにのに、夏の家族での旅行の前後に、エンジンに水が入り動かなくなったし、今回の件も合わせ、この1年トラブル続きだ。

トランスミッションの交換だと、新品の場合、部品代だけで50万円かかるという。再生品という、リサイクル部品で作ったものでも、部品代だけで20万円弱。作業費等も加えると30万円近くかかると言われた。いったんは、修理してくれるように頼んだものの、2ヵ月後には、車検を受けなくてはいけない。そこでも、10万円以上かかる。5月には自動車税も払わなくてはならない。ガソリン代もかかるし、毎月の保険料も考えれば、果たして、どうしても修理しなくてはならないのか?という気もしてきた。

今の家に住んでいる限り、どうしても車がないと困るということもない。近くの駅には歩いて行けるし、買い物も自転車があれば、十分用が足りる。大きな商品を買った時は、配達してもらえばいいのだ。何か「モノ」を持つと、その「モノ」を持っていることを前提に、いろいろなことを考えなければならなくなる。豊かな生活を送るために買ったはずの「モノ」に縛られ、制約されることになるのだ。

今の車はいったん廃車にして、しばらく車を持たない生活をしてみることを考えてみてもいいかも知れない。南は九州・鹿児島、北は北海道の宗谷岬や知床まで、我が一家と行動を供にした、家族の一員のような車なので愛着はあるが、そろそろ引退したいと言っているのかも知れない。 

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2006年11月23日 (木)

新・亭主関白宣言?

福岡県の久留米市に「全国亭主関白協会」(天野周一会長)という組織があるらしい。(協会のホームページはこちら

関白とは、天皇に次ぐナンバー2の地位であり、協会は天皇(=妻)を敬愛し奉る亭主たちの集団とのこと。団塊世代が大量定年となる一方、離婚の際の夫婦の年金分割制度が2007年から始まるのを控え、熟年離婚を回避すべく会員が急増しているそうだ。

協会が定めた「新!亭主関白道段位認定基準」があり次のようになっている。

初段:3年以上たっても「妻を愛している」
二段:家事手伝いが上手
三段:浮気をしたことがないか、ばれていない
四段:レディーファーストを実践している
五段:愛妻と手をつないで散歩ができる
六段:愛妻の話を真剣に聞くことができる
七段:嫁姑問題を一夜で解決できる
八段:「ありがとう」をためらわずに言える
九段:「ごめんなさい」を恐れずに言える
十段:「愛してる」を照れずに言える

以前、このブログで書いた、妻の側の「夫在宅ストレス」とどう折り合いをつけるかということも大切だと思うのだが、そのあたりをどう考えているのかよくわからない。十段まで、全て実行できれば、在宅ストレスということにはならないかも知れないが…。

個人的には、二段、六段、八段あたりはクリアしていると思うが、そもそも夫婦の問題は、それぞれの夫婦によって様々なので、自分で考えるべき問題ではないかという気もする。

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2006年11月22日 (水)

今日は「小雪(しょうせつ)」

今日は二十四節気の「小雪(しょうせつ)」。わずかながら雪が降り始める頃という意味である。気象庁のデータでは、北海道の札幌で6cm、旭川で5cmの積雪とのこと。いよいよ、北海道では、本格的な積雪の季節が始まるのだろう。

冬でも地面をしっかりと踏みしめて歩けることがいかにありがたいことなのかは、札幌の凍結路面で転倒、骨折して、手術も含め3週間入院した自分には、身にしみて感じることである。

自分の足で歩けるところでは、しっかり歩くことが大切なのだろう。ウオーキングによる減量も、(札幌でなく)東京だからこそできるということを考えれば、与えられた環境をしっかり活かさなくてはと思う。

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2006年11月21日 (火)

ブログ作成・管理ソフト利用開始

先日、書きかけの記事をうっかり消してしまったことに懲りて、『マイ☆ブログ』(サイバーリンクトランスデジタル社製のブログ作成・管理ソフト)をダウンロード購入した。しばらく、パソコンの通信の設定がおかしかったのか、うまくココログにアクセスできず、苦労していたのだが、今日、いろいろ試行錯誤で、通信関連の設定をいじっていたら、うまくココログにもつながるようになり、ようやく使えるようになったので、今、そのソフトを使って書いている。

使ってみて便利なようであれば、またこのブログの中で、報告していきたい。さて、無事にアップロードできるか、チャレンジである。 

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2006年11月19日 (日)

「中年クライシス」を魂の意思で乗り越えた片岡鶴太郎、『鶴太郎流墨彩画入門』から

『鶴太郎流墨彩画入門』(片岡鶴太郎著、角川oneテーマ21)を読んだ。11月の新刊で、CIA試験の前日に仕事の帰りに寄った書店で、目についたので、すぐ購入。試験中は、我慢をして試験が終わったあと一気に読み終わった。

鶴太郎流 墨彩画入門 (角川oneテーマ21)
鶴太郎流 墨彩画入門 (角川oneテーマ21)

しばらく前の日本テレビの「いつみても波瀾万丈」のゲストで出ていた時の話が印象的で、それ以来気になっていた。(今回、調べてみると放送は2006年2月5日だった)

その時の印象的に残った話は、
(1)中学3年の時、成績がとても悪くて、今の成績では公立高校進学は無理と言われ、家庭の経済的事情で公立しか行けないことから、夏休みに独学で徹底して勉強し、夏休み明けには成績がトップクラスになり、無事公立(都立)高校に入学したこと。
(2)お笑い芸人として人気の絶頂にあるとき、このままではいけないとボクシングを始めたこと。
(3)今では画家としても、たくさんの作品を残していること
などである。見たときは、もっといろいろなことを鮮明に覚えていたと思うが、1年近くたっているので記憶もおぼろげである。
ただ、その時、軽薄なお笑い芸人から個性派俳優に転身して成功したタレントといった程度の印象しかなかった片岡鶴太郎が、ただならぬ人であることを感じた。

とはいえ、その後、それ以上詳しく調べるわけでもなく過ごしていたが、今回、新刊書として並んでいるのをみて、すぐに手に取った。体裁は「墨彩画のすすめ」的な形になっているが、内容は彼が40歳にして出会った墨彩画を通じて、彼自身の生き様を語るものになっている。

何かを「やりたい」と思う気持ちは、その人の魂が語りかけてきた言葉だとわたしは思っています。思いたったが吉日、すぐ始めてみることです。(中略)
わたしもそうでした。もうすぐ四十歳になろうというとき、ふと絵に呼ばれたのです。(中略)突然、無性に絵を描きたくなった。椿を見ても何の花かわからなかった人間が、その美しい花を描いてみてたまらなくなったのです。
理屈では説明できない衝動のようなものに駆られて、本当に自由気ままに自己流で始めてみた。そうしたら、もう面白くてすっかりのめり込み、いまでは自分は絵に生かされていると思うまでになっています。絵を描きたいという「魂の意思」に素直に応えたからいまの自分があるのだと思うと、そのことに気づいた自分は何とも幸せな人間だと思います。
社会的な地位や権勢を勝ち取ることや、金銭的な満足を得ること、それも私たちに何かしらの喜びを与えてくれるでしょうが、魂というものはそれだけでは満足しないような気がします。魂の意思というのは、頭で考えて判断するものではなくて、そうせざるをえないような心の動きみたいなものです。
それは、おそらく誰の中にもあります。それに気がついて、その感覚を目覚めさせて生きるのか、それとも眠らせたままで自分の人生を終わらせていくのか。本当に後悔のない有意義な人生とは、魂の意思に導かれる道なのではないでしょうか。それが、人間の本来的な姿のように私は思います。(『鶴太郎流墨彩画入門』4~5ページ)

私が下手に解説めいた事を書いたり、書き足すことは何もない。放送があったのが、今年の2月5日、自分で意識したことはなかったが、私もTVの画面から伝わってきた鶴太郎さんのオーラに影響され、このブログを始める(2月26日)ことになったのかも知れないと思った。

片岡鶴太郎公式ホームページはこちら

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2006年11月18日 (土)

郷田真隆九段の揮毫「晩成」

昨日11月17日は「将棋の日」とのこと。江戸時代、8代将軍徳川吉宗の時代に、この日を「お城将棋の日」として御前対局を行うようになったという故事にちなんで、1975年に日本将棋連盟が定めたそうだ。

以前から、一度は行ってみようと思っていた千駄ヶ谷にある将棋会館に、CIA試験の2日めの帰りに寄ってみた。誰か、顔を知っているようなプロ棋士を見かけたりするだろうかと期待したが、そんな気配もなく、 将棋教室を終えたと思われる小学生数人を見かけただけだった。1階には売店があり、将棋盤や将棋の駒、棋士が書いた将棋の解説書が並べられている。一角には、タイトルホルダーや名人位への挑戦者リーグでもあるA級に在籍する棋士たちの揮毫の入った扇子も置いてある。気に入ったものがあれば、いずれ1本持ちたいと思っていた。

私が選んだのは、郷田真隆九段の「晩成」と書かれた扇子だ。郷田九段は1971年生まれの35歳。現在、将棋界のトップを占める羽生3冠・森内名人は同学年、佐藤棋聖とは1つ違いである。「晩成」とは大器晩成という言葉もあるように「他より遅れて完成すること。また、晩年になって成功すること。」(小学館『現代国語例解辞典第二版』より)である。

彼自身の経歴を見ると、プロ入りこそ、羽生ら3人に少し遅れたものの、プロ入り3年目の1992年には22歳の若さで「王位」のタイトルを獲得しており、むしろ早咲きである。その後、98年には2度目のタイトル「棋聖」を獲得、さらに名人挑戦者を争うA級順位戦への昇級を決め、99年にはA級棋士となり名実ともにトップ棋士の仲間入りをした。しかし、A級は1期で陥落、2002年に再びA級に昇級するがこの時も1期で降級するという苦杯をなめた。しかしあきらめることなく、昨年は三度めのA級昇級を果たし、勝ち越し。A級4期めの今期は、期初から連勝し、現在4勝1敗で、名人挑戦者争いのトップを走っている。

「晩成」という言葉に「今は、羽生・森内・佐藤の3強の後塵を拝しているが、いずれは追いつき追い抜いてみせる」という気概を感じるのは私だけだろうか。また、一方で「将棋の世界は奥深く、どこまで行っても完成することがない」という求道者の一面も読み取れるようにも思う。

それは、また、私自身が自分に言いきかせるべき言葉のような気もして、扇子を手元において、時折開いては「晩成」の文字を眺めて、思いを巡らしている。永年、現在の将棋連盟会長の米長邦雄永世棋聖のファンだったが、既に現役を引退しており、これからは郷田九段の戦いを応援したいと思っている。

*将棋に関する記事(2006年)
4月26日:
『将棋世界』5月号
6月19日:第64期将棋名人戦
8月2日 :将棋名人戦、朝日新聞に
8月27日:米長邦雄将棋連盟会長の『不運のすすめ』
9月9日 :森内俊之名人から見た羽生善治3冠
9月20日:将棋名人戦、朝日・毎日の共催へ協議開始
11月18日:郷田真隆九段の揮毫「晩成」
12月23日:第19期(2006年)竜王戦-佐藤康光棋聖及ばず、渡辺竜王に立ちふさがる最後の壁は羽生3冠
12月30日:将棋名人戦、毎日・朝日両新聞社の共催の詳細固まる 

*上記記事を含め、このブログの将棋に関する記事の一覧はこちら→アーカイブ:将棋

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2006年11月17日 (金)

書きかけの記事を消す

また、やってしまった。試験も終わり、今日から気分も新たに、ブログを書こうと、昨日の試験後の話を書いていて、もう少しで仕上がるというところで、確認したいことがあったので、うっかりココログの新規記事の記入ページからグーグルの検索に…。確かに調べたかったことはわかったけれど、下書き保存をしていなかったので、95%仕上がっていた記事は雲散霧消。悲しい。

半年ほど前も一度やってしまい、それ以降、検索は別のウィンドウを開いて、そちらで行うようにしていたのだが、今日はやはり試験疲れが、注意力が低下していたようだ。ココログの管理ページに直接記入するやり方では、どこかでうっかりミスをまたやってしまうだろう。ブログの記入と管理のためのソフトウェアがあるので、それでも買って私のブログ全体のバックアップを、自分のパソコンのハードディスクにとっておいた方が、いいかもしれない。
200近くになってきた記事今は、ココログを信用して、今のところニフティのサーバーの中。最近は、トラブルは滅多に起きないので、大丈夫だろうと思うが、NTTのIP電話させ、サーバー不足でパンクする時代なので、富士通のグループとはいえ、ニフティも安泰とは言い切れないだろう。

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2006年11月16日 (木)

公認内部監査人(CIA)試験終了

公認内部監査人(CIA)試験の2日目が終了し、2006年11月の4科目全ての試験が終わった。
今日の2科目は、午前(PartⅢ)が財務・会計とIT・システム関連、午後(PartⅣ)が経営理論やチーム・マネジメントだった。

午後の科目は、先月合格した金融内部監査士からスライドで認定が受けられる公認金融監査人(CFSA)資格登録が完了すれば、免除になるのだが、申込時点(9月)では金融内部監査士試験もまだ受けておらずCFSA資格が取れるかどうかもわからなかったし、免除されるとはいっても、次回(2007年5月)の試験で免除申請して初めて認められるものなので、(おまけに、1科目の受験料と同額の免除手数料を払わなくてはならない)、今回、合格できるにこした事はない。

昨日の2科目は、いわば監査理論と監査実務で、日常の仕事とも関係が深いし、今日の午後の経営理論は、もし今回ダメでも次回は免除してもらえるということもあり、今回の試験準備では、午前に受けた会計とシステムに分野にいちばん時間をかけた。特に、システム関係は知らないと解けない専門用語も多いので、限られた準備しかできなかった中では、それなりに注力した。会計関係は、計算問題も多く、計算はそれなりに答えがでることもあり、会計・システムの分野が、4科目の中では最も手応えがあった。午後の経営理論の方も、昨日の2科目よりはできたのではないかという実感はあるのだが、問題も持ち帰れないし、模範解答が示されるわけでもないので、昨日の2科目と合わせ、「なんとなく」の域を出ない。

とにかく、やることはやって、もう試験も終わってしまったので、昨日の2科目と合わせ、前回の金融内部監査士の時と同じく「人事を尽くして天命を待つ」しかない。自分にCIAを名乗るにふさわしい実力があれば合格するだろうし、まだ実力不足なら、そのような答えが出るだろう。その時は、その結果を受け止めて、足りないところを勉強するしかない。

3月の下旬に思い立って、通信教育を2週間で仕上げて以降、今回の試験を最終ターゲットに据えて、いろいろなスケジュールを組んできたし、仕事の方も、それに重なるように夏休み明けからこの10月までかなり密度が濃かったので、ここでひと区切りである。

ひと休みしたら、佳境を迎えつつある次女の高校受験のフォローに力を入れなくてはならない。11月に入って、書けない日の多かったブログも復活させなくては…。

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2006年11月15日 (水)

公認内部監査人(CIA)試験初日終わる

今日は、公認内部監査人(CIA)試験の初日。明日と合わせ、2日間、仕事を休んでの受験だ。
とはいえ、試験は今日2科目、明日2科目。それぞれ、試験時間は3時間半で、4択問題が125問。午前の科目は朝の9時開始(試験の説明は15分前から開始)で、場所は浜松町から羽田空港へのアクセスである東京モノレールの途中にある「流通センター」。仕事に行くときより、朝早く家を出て、いつもと変わらぬ通勤ラッシュにもまれて、8時半少し前に会場に着いた。
1ヵ月ほど前に受けた金融内部監査士試験は、70名ほどの受験だったが、今回は、いわば全業種に共通ということと、日本でも、米国の影響を受け、内部統制整備が課題ということもあり、流通センター会場だけでも受験者はざっと600~700名ほど。ほとんどは、中年男性であるが、10人に1人くらいは女性の姿もあった。

試験の形式は、前回の金融内部監査士と同様(というよりは、金融内部監査士試験の方がCIA試験の形式に合わせる形で作られたのだと思うが)で、ひたすら4択の中から答えを考えて、マークシートを黒く塗りつぶしていく。前回は80問3時間だったが、今回は125問で3時間半ということで、さらに集中力が求められるものだった。
今日の2科目は、監査の原理原則に照らして、最も正しい答えを選ぶというもので、暗記の部分は少なく、その場での判断が求められる。今日は2科目とも30分で50問というペースで進み、2時間半で一応全問答えをマークしたが、消去法で2つは消えても、残りの2つはどちらも正解に思えるような問題も多く、自信のほどは「?」である。長く考えて何かを思い出すというものでもないので、全部書き終えたあと、30分かけて、マークの塗り忘れがないかだけを確認して、2科目とも3時間ほどで退出してきた。

絶対ダメだという感じもしない代わりに、大丈夫だろうという確信も持てない。来年の1月末までには、結果が来るとのことなので、済んでしまった今日のことは忘れ、明日までの限られた時間は、残った2科目の最後の復習をするだけだ。

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2006年11月11日 (土)

毎晩眠ることの意味、『「普通がいい」という病』から

先週、『「普通がいい」という病』(泉谷閑示著、講談社現代新書)を読んだ。講談社現代新書の10月の新刊書のうちの1冊である。著者は、1962年、秋田県生まれの精神科医の先生。本に書かれた経歴を読む限り、雑誌などの記事は書いているようだが、本格的な著作はこれが初めてのようだ。

「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書)

書かれていることの底流にある著者の思いを私なりに要約すれば、
『私たちは、人と違うことをおそれ、普通であること=多数派であろうとして、多数派の価値観に知らず知らずに洗脳され、「自分で感じ、自分で考える」ということをいつしかやめてしまい、自分らしさを失っている。これまで、疑うことなく信じていた常識を疑い、もう一度、「自分で感じ、自分で考える」生き方を取り戻そう』
といったことになると思う。

このブログを書き始めた頃に取り上げた『生きる意味』(上田紀行著、岩波新書)とも通じる部分とも通じる部分がある。

この中で、著者が不眠を題材に「眠り」について語った部分が印象に残ったので、少し詳しく書いておきたい。

不眠とは、どの病態においても起こりうるとてもポピュラーな症状です。しかし、「眠らない」と「眠れない」の違いは何か、また不眠とはいったいどんなメッセージを運んできているのかといったことについては、あまり考えられてきていません。(中略)この不眠が告げるメッセージは何でしょうか。
これは、長い間私には謎でしたが、ふと、「毎晩眠るということは、毎晩死ぬことである」と思い至って、やっと解読の糸口がつかめてきたのです。そう考えてみると、「不眠とは死ぬに死ねない状態である」ということになる。「死ぬに死ねない」というのは、幕を下ろす気になれないということであり、「今日という日を生きたという手応えがない」という未練があることを示しているのです。
このように考えるようになってから、クライアントにも自分自身にも、一日の最後に眠れない場合には、「ほんの少しでもよいから、自分らしい時間を過ごすように」と勧めるようになりました。
(『「普通がいい」という病』223~224ページ)

「毎晩眠るということは、毎晩死ぬことである」という一文に「なるほど」と納得してしまった。自分らしい一日を過ごしたからこそ、心地よい疲れを感じ、心おきなく眠れるのかも知れない。食事の時、この話を家族にしたら、妻と長女も妙に納得していた。これからも、毎晩、自然と眠たくなるように、一日一日を自分らしく過ごすことを心がけよう。

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2006年11月10日 (金)

セルフ・エフィカシー(自己効力感)

『好きにやっても評価される人、我慢しても評価されない人』(小杉俊哉著、PHP研究所発行)を読んだ。

サラリーマン稼業を長くやっていると、「評価」というようなタイトルの本があると、つい気になってしまう。著者は、1958年生まれで、NEC入社後、米国でMBAを取得、その後、コンサルティングファームを経て、数社で人事部長などを経験したのち、現在は人事関係のコンサルタントをしている。
本の内容自体は、「会社にどう評価されるかばかり気にしていないで、自分で自分を評価して、自分が満足できる人生にしよう」というメッセージが、著者自らの体験も織り交ぜ書かれているものだ。何回か、一緒に働いている人を上司という立場で、評価をしたこともあるので、上司はどういう人を評価するのかといった点は、そうだろうなと思う点は多々あった。まだ、上司に仕える立場で、評価される経験しかない人は、読んでみるといいかもしれない。

この本の中で、私にとって、目新しかった言葉が、今日ののタイトルにも上げたセルフ・エフィカシーという言葉である。英語で、Self-Efficacy、自己効力感と訳されるようだ。

セルフ・エフィカシーとは自己効力感ともいいます。よくこれを「自信」のことだと思っている人がいますが、セルフ・エフィカシーは自信ではありません。やったことのない課題を前にして、たとえ自信はなくても「まあ、なんとかできるだろう」と思える心の状態のことです。自分に対する信頼感といってもいいでしょう。(中略)いまのような、過去のやり方が通用しない、何が正解かわからない時代には、経験があることはうまくできるけど、未知の状態に置かれると手も足も出ないという人の価値は限りなく低くなるのは仕方のないことです。一方で、想定外のことが起こって、上司が頭を抱えているとき、臆せずその状況に立ち向かえる部下がいれば、必然的にその人のところに仕事が集中するようになるでしょう。
(『好きにやっても評価される人、我慢しても評価されない人』204ページ)

たしかに、これまでの自分の経験を振り返っても、「これは難しくてもうダメだ」とあきらめた途端に、思考停止状態になり、何もできなくなってしまう。自ら、可能性の扉を閉ざしていたのだろう。
先の道筋が見えなくても、「まあ、なんとかなるさ」と思ってあきらめずに考えていると、ふとひらめくことがあって、それがきっかけとなって、先に進む糸口が見つかることが多かったように思う。

来週は、いよいよ、公認内部監査人(CIA)の試験。過去の問題もほとんど公開されておらず、まさに、未知の状態で、まったく自信はなく、ただ「なんとかなるだろう」と思いながら、準備をしている状況だ。セルフ・エフィカシーだけを拠り所に、試験本番に臨むしかない。「最後まで、あきらめない」

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2006年11月 8日 (水)

昨日は「立冬」

昨日は、また仕事がひと区切りついたせいか、家に帰って来て夕食を食べると、急に睡魔に襲われ、ブログに向かう間もなく早々に眠ってしまった。

私は、朝、7時15分頃家を出るのだが、昨日は朝、これまでより急に冷え込んだような気がした。朝、駅ではコートを羽織っていた人も少しだがいたように思う。会社からの帰り、いつもは全く気にもとめないのだが、寒さを感じたせいだろうか、地下鉄の駅で、前を歩く人や立って待っている人の足元がなんとなく気になって、目をやると、ブーツを履いている女性が多いような気がした。5人に1人あるいはもう少し多かったかも知れない。

今朝になって、昨日が二十四節気の「立冬」だったことに気がついた。気象庁のホームページで、東京の昨日(7日)の気温を調べてみると、最低気温が12.6℃、最高気温が24.9℃。11月に入ってからの1週間で、最低気温は最も低く(1日から6日までは14~15℃台)、最高気温は夏日(25℃)に迫る程で最も高く、寒暖の差が最も激しい一日だった。
さらに今日(8日)を調べて見ると、21時現在で最低気温が10.2℃(6時50分)、最高気温が19.3℃(13時45分)となっている。

立冬を過ぎ、朝の冷え込みもいよいよ厳しくなってきたというところだ。次の二十四節気は、11月22日の「小雪」である。

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2006年11月 5日 (日)

ウオーキング減量作戦経過報告、67kg台へ

10月中旬から下旬にかけて、68kg台前半で足踏みしていた体重は、11月に入り、3連休初日の3日(金)の文化の日の朝の計量で67.8kgを記録、昨日4日(土)も67.8kg、今朝はさらに67.7kgと3日連続で、67kg台後半をキープしている。

昨日は、ずっと家にいて、15日・16日の試験の準備をしていたので、1日動くことがなかったので、運動は朝のウオーキングだけで、夕食後の歩行歩数は約7000歩。それから、近くのレンタルショップまで、歩いてDVDとCDを借りに行き、何とか1万歩を確保した。

67kg台まで戻って、ようやく1年前の水準というところだろう。年内に何とか65kg台まで持って行ければと思っている。

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2006年11月 1日 (水)

河合隼雄文化庁長官、休職

昨日(10月31日)の朝日新聞の夕刊で

政府は、31日、病気療養中の河合隼雄文化庁長官の後任に近藤信司文部科学審議官をあてる人事を閣議決定した、11月1日付けで発令し、河合長官は同日付けで休職(中略)。
河合長官は(中略)、今年8月、奈良県の自宅で脳梗塞で倒れ、入院を続けている。

とニュースが伝えられていた。改めて、インターネットで他社のニュースも検索してみると、

日経(NIKKEI NET)では
「病気休職中の河合隼雄文化庁長官は定員外となるが、長官職にはとどまる。」とあり、

読売(YOMIURI ONLINE)では
「当面は休職扱いとすることにした。河合氏の任期は来年1月17日まで。」と伝えている。

さらに読売では

伊吹文部科学相は31日の記者会見で、交代の理由を、「長官の健康がなかなか回復せず、11月に文化庁で多くの行事もあるためだ」と説明した。

との文部科学大臣のコメントも伝えている。

本人に意識があって、当面、職務復帰不可能ということであれば、その時点で自発的に辞職ということになるのだろうが、倒れた途端意識不明なので、文部科学省としても、一方的に職を解くというわけにもいかず、任期満了までは、定員外という形で長官職に留まるということになったのだろう。

いずれにしても、容態に変化はなく、病状は回復していないということだろう。ただただ、健康を回復されることを祈るばかりである。

*河合隼雄関連の記事
3月7日:『中年クライシス』
8月24日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態
9月1日:『明恵 夢を生きる』を読み始める
9月5日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態・その2
9月7日:『明恵 夢を生きる』を読み終わる
9月8日:90年代後半の世相を語る『縦糸横糸』を読む

11月1日:河合隼雄文化庁長官、休職  

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