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2007年1月の記事

2007年1月31日 (水)

『一瞬の風になれ』(佐藤多佳子著)(3)ドン

『一瞬の風になれ』の第3部ドンを読み終わった。

一瞬の風になれ 第三部 -ドン-
一瞬の風になれ 第三部 -ドン-

第3部は、主人公神谷新二と親友でありライバルでもある一ノ瀬連の2人の高校アスリートとしての最後の3年生のシーズンを描く。インターハイの地区予選から始まり、県予選、最後はインターハイ出場をかける南関東大会。

4月には、中学時代に全国大会で100m準決勝まで進んだ鍵山が新入生として入学する。春野台高校の4継(400mリレー)チームは、これまでのまとまりのある2、3年生メンバーで新シーズンに臨むか、タイムで1走の3年生根岸を上回る鍵山をメンバーに加えるかを悩む場面なども出てくる。一つのミスが命取りになる4継。一度、失敗すれば明日はない。最終的には、「鍵山を1走にしたチームであれば、全国制覇も夢ではない。大きな夢をみろ。」という根岸の言葉で、県予選からは鍵山が新たなリレーメンバーに加わる。

地区予選、県予選と春野台高校陸上部のメンバーはそれぞれの種目に挑み、敗れる者、次のステージへ進むもの悲喜こもごもである。主人公新二は、4継に加え、100m、200mとマイル(1600m、400m×4)リレーにエントリーする。
新二自身、誰もが目を見張る成長を遂げる一方、大きな失敗もしでかす。
そして、クライマックスは、インターハイ出場をかけた南関東大会の100mと4継。この場面を読んでいて、やはり思わずグッときて、涙目になってしまった。

新二が、地道な練習を続け、スプリンターとして着実に成長するとともに、部長として先輩として後輩を育て導いていく姿は素晴らしい。第1部で、サッカーのスーパースターである兄健一に追いつけず、自分をもて余し、いじけていた姿はそこにはもうない。
県予選で大きな失敗をした後、周りからの励ましを受けて、新二は次のように心の中でつぶやく。

人生は、世界はリレーそのものだな。バトンを渡して、人とつながっていける。一人だけではできない。だけど、自分が走るその時は、まったく一人きりだ。誰も助けてくれない。助けられない。誰も替わってくれない。替われない。この孤独を俺はもっと見つめないといけない。俺は、俺をもっと見つめないといけない。そこは、言葉のない世界なんだ―たぶん。
(『一瞬の風になれ』第3部ドン、246ページ)

走ることが、相手との戦いではなく、自分の持てるものを精一杯出し切るための自分との戦いであることに気づき、競技の上でも一段と成長していく。

私は、作者の佐藤多佳子さんは、陸上経験者であろうと書いたが、大ハズレだった。第3部の巻末には、「未経験の私に陸上のイロハのイから教えて下さった・・・」との謝辞が記されていた。いくら、現役の高校生選手や指導者が教えてくれたといっても、まったく経験もなく、ここまで陸上競技の神髄を描ききれるものだろうか。さすが、作家・小説家である。

完全に、この春野台高校陸上部の世界にハマってしまった私は、この感動を誰かと共有したくて、高校の時に一緒に陸上をやっていた仲間に、「この小説読んだ?」とメールしてしまった。まだ、読んでいなかったようで、「さっそく、本屋で探してみる」との返事がきた。近々、会う予定もあるので、その時に、感想を聞いてみたいと思っている。

第3部で終わってしまうのは少し寂しい。まだまだ、新二や連と一緒に、風になってトラックを走っていたい。そんなお話だった。

p>*関連記事
1月25日:陸上部の青春を描く『一瞬の風になれ』(佐藤多佳子著)(1)イチニツク
1月28日:『一瞬の風になれ』(佐藤多佳子著)(2)ヨウイ
1月31日:『一瞬の風になれ』(佐藤多佳子著)(3)ドン
4月7日:2007年本屋大賞、『一瞬の風になれ』(佐藤多佳子著)に決定
4月8日:佐藤多佳子さんが語る『一瞬の風になれ』執筆の舞台裏

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2007年1月30日 (火)

トップページ固定とブログランキングへの登録

昨日から、このブログに少し手を加えてみた。まず、ココログのサービス向上で可能になった「トップページの固定」を使って、ブログの内容を簡単に紹介する「ご挨拶」のページを設定した。

あわせてblogranKig.netというサイトで提供されている「ブログランキング」に登録をしてみた。これまで、ランキングには興味があったが、従来のランキングはそのブログの来訪者にランキングサイトへのリンクをクリックしてもらうのを求めるものであり、数あるサイトの中から私のブログをわざわざ読みに来てくれた人に、更にランキングサイトへのリンクを強要するようで、設置していなかった。

今回の「ブログランキング」では、わざわざ、リンクをクリックしてもらう必要はない。私のブログへのユニークユーザー数(その日の1日のこのブログへの来訪者数、人数ベース、1人が何ページ見ても、ユニークユーザー数は1)をランキングサイトの側で、自動的にカウントしてくれるとのこと。7日間の総ユニークユーザー数と、ブログの更新頻度で順位が決まるそうだ。これなら、訪問してくれた人にも迷惑をかけることもないので、いいと思い始めてみた。

とりあえず「日記」というカテゴリで「40代~」というサブカテゴリに登録してみた。このサブカテゴリには、今日の時点で56人しか登録がなく、登録初日の昨日が51位、今日は31位まで上がっていた。最初の7日間は、毎日、ユニークユーザー数は累計され増えていくので、どこまで上がるか楽しみだ。

なお、総合ランキングでは、12106位→6567位、「日記」カテゴリの中では、1775位→812位という推移だ。総合ランキングとカテゴリランキングは、ブログランキングの表示の紺色の長方形の枠の中に表示されるでの、気がついた時に眺めていただければと思う。

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2007年1月29日 (月)

歌集『薄荷色の朝に』(松村由利子著)を読み終わる

松村由利子さんの最初の歌集『薄荷色の朝に』読み終わった。

最初に「薄荷」という字は、なんと読まれただろうか?正しくは「ハッカ」である。私は、漢字検定準1級と、プロフィールにも書いているのだが、お恥ずかしながら、読めなかった。
グーグルで「薄荷色」で調べると、英文でMINT GREENとあり、薄い緑色である。まず、タイトルからして分からないのだから、読み手失格である、情けない。

この歌集には、1994年に「短歌研究新人賞」を受賞した際の「白木蓮の卵」と題した26首を先頭に、1991年から98年までの8年間の341首が取り上げられている。歌集のタイトルになった薄荷色は、「白木蓮の卵」の中の次の歌に登場する。

 風の変わる予感満つれば薄荷色のTシャツ一枚ベランダに干す

作者30代の作品集といえるこの『薄荷色の朝に』全体を通して、押さえきれずほとばしる想いが、五七五七七の31文字にあふれ出ているという印象を受けた。作者の師である歌人の馬場あき子さんの巻末での解説にある「青春挽歌」との評がふさわしいと思う。
先に読んだ第二歌集『鳥女』が、自らの内面をえぐり、31文字の中に閉じこめたと感じたのとは対照的だ。『鳥女』では、一人の女性の情念というようなものが感じられるのだが、その想いはどこか乾いた感じがする。

30代は無我夢中で走り抜け、40代になってふと立ち止まった時、大きな惑いがあったのではないだろうか。作者にも、中年期の危機(中年クライシス)、曲がり角があったのではないか。第二歌集『鳥女』は、その中年クライシスを乗り越えようとした中で、できあがってきたものなのではないだろうか。

『薄荷色の朝に』の中で、気になった歌を一首だけ紹介し、好き勝手に書いてしまった感想を終えたい。
 
 近づけど決して交わらざる思い人の心は放物線に似る

松村由利子さんのブログ:「そらいろ短歌通信 松村由利子の自由帳

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1月18日:
『物語のはじまり』(松村由利子著)に思う
1月19日:『物語のはじまり』(松村由利子著)に思う・その2
1月21日:『物語のはじまり』(松村由利子著)を読み終わる
1月24日:松村由利子さんの歌集『薄荷色の朝に』、『鳥女』届く
1月27日:第7回現代短歌新人賞受賞作『鳥女』(松村由利子著)を読み終わる
1月29日:歌集『薄荷色の朝に』(松村由利子著)を読み終わる
2月7日:『ミセス』3月号の第7回現代短歌新人賞『鳥女』の選評と作者松村由利子さんのインタビュー
2月17日:『物語のはじまり』(松村由利子著)、読売新聞書評に登場
3月3日:『物語のはじまり』(松村由利子著)、週刊新潮に取り上げられる
3月8日:『物語のはじまり』(松村由利子著)は誰に、どう読まれているか(リンク集)

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ご挨拶

「栄枯盛衰・前途洋洋」をお訪ねいただきありがとうございます。

このブログは、2006年2月26日から書き始めました。当時、私は45歳。社会人となって20年余、なんともいえない行き詰まり感を抱えていました。40代半ばで多くの人が遭遇すると言われる「中年期の危機(中年クライシス)」をどう乗り越えていくかを、自分自身の問題としてとらえ、その日々の試行錯誤の足跡を記すことで、同じような悩みを抱える同世代の読者の参考になればと始めました。

個人としての心の問題、これからの生き方、働く場としての職場のこと、ともに暮らす家族と家庭のことなど中年クライシスを取り巻くいろいろなテーマに加え、ネット社会のおける技術進歩が個人の生活にどう影響するかなども関心事です。ご関心のあるテーマがある場合は、左下のカテゴリーから該当するものをクリックしてみて下さい。

タイトルの「栄枯盛衰・前途洋洋」の由来については、2006年2月26日の「四字熟語」の記事をご参照下さい。私の書いたもののどこかひと言でも、ご来訪された方の、役に立てばと思っています。

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2007年1月28日 (日)

ブログは自分の分身、検索サイトの横暴からどうやって分身を守るのか(『ウェブ人間論』(梅田望夫・平野啓一郎)を読んで)

しばらく前に読んだ、新潮新書の『ウェブ人間論』(梅田望夫、平野啓一郎 対談)の中で、「ブログはネット上での自分の分身」という梅田望夫氏のコメントあった。

私も、ブログを書くようになって、もうすぐ1年になるが、少しづつ記事を書き続けていくうちに、記事も300250タイトル以上たまった。なぜ、飽きもせずに書いているかといえば、一つは文章を書くことが好きだからであり、書いたものを誰かに読んでもらいたいからだろう。確かに、このブログはネットの世界の中での私の分身だと思う。

1日どれだけの人が見てくれるかは、やはり一番の関心事で、数字が多ければうれしいし、少ない時はがっかりする。アクセス数が、分身のネット社会での端的な評価だからだろう。

現在、平均すると1日100件アクセスがあるが、どのような経路でアクセスされているかを調べると、①お気に入り・ブックマーク等に登録してもらっているこのブログのURLからの直接の来訪が12~13%程度で、残りの約90%の半分が②他のブログに送ったとトラックバックからの来訪、残りの半分が③グーグル、ヤフーなのど検索サイトでの検索によるものだ。

①は、私の知人も含め、定期的にこのブログを読みに来てくれる言わば「定期購読者」の方であり、基本的には、自分と同世代の何人かの友人・知人を顔を思い浮かべてこのブログは書かせてもらっている。読んでくれる読者は、私という人間が、今日は何を書いているのかということに関心を持ってアクセスしてくれているのだと思う。

②のトラックバックは、私が自分の書いた記事と同じような内容の記事を書いているブログのサイトを見つけては、自分の記事を相手の記事にトラックバックしているもので、いわば自分のブログを売り込む飛び込みセールスとでもいえようか。
トラックバックの相手は、個人の場合がほとんどだが、中には新聞社のブログや著名人のブログもある。
例えば、新聞社が開設している将棋の棋戦の中継ブログに将棋ネタの記事をトラックバックすれば、その棋戦の開催中や終了直後は、多くの人がそ棋戦のブログを読むので、そのうちの何人かは、そこにトラックバックされている私の記事にもアクセスしてくれる。言わば、本家のブログに便乗する形だ。本家の注目度が高ければ高い程、トラックバックの効果も大きく、一時的には自分のブログにもアクセスが増える。

③の検索は、どのようなキーワードでアクセスされるかは、事前には予測することは難しいし、検索にヒットさせることを目的に記事を書くのが、本筋ではないので、どの記事がよく検索の対象になるかは結果論でしかない(なるべく、検索にヒットしやすいような書き方はするが・・・)。むしろ、アクセスの結果を見て、世の中に人々が、より多く関心を持っているテーマを知るという方が正しいだろう。
これまでも何回か取り上げたが、私のブログに中では、河合隼雄前文化庁長官が脳梗塞で倒れたあとの容態に関する記事(2006年8月24日「気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態」)がそれに当たる。記事を書いた8月とその直後の9月がもちろんアクセスが多かったが、その後も毎月コンスタントにアクセスがあり、これまでに4500件を超えている。ブログ開設以来約3万件の総アクセスのほぼ15%を占める。

これは、検索サイトの表示順の影響が大きい。本日現在では、「河合隼雄 容態」とグーグルに入れて検索すると8月24日の記事がトップで表示される。グーグルは、他のサイトにも検索機能を提供しているから、その影響力は絶大だ。年明けには、「河合隼雄」という単独のキーワードでも、グーグル検索のトップ10に表示されていて、この記事のアクセス数は1月に入り、12月よりも増えていた。

ところが・・・である。数日前から、このブログのアクセス数全体が大きく激減した。調べてみると、グーグルに「河合隼雄」と入れても、8月24日の記事はもちろん、他の日に書いた私の別の記事も、トップ10どころか、100番目までにも出てこない。単独ワード「河合隼雄」でのグーグルの検索結果の表示から閉め出されたという感じである。「河合隼雄 容態」の2つのキーワードをいれれば、いぜんトップで表示されるだけに余計に不可解である。
以前も、ヤフー検索で同じように、「河合隼雄 容態」で、8月24日の記事がトップ10に表示されていたのに、ある時忽然と消えて、アクセスが激減したことがあった。その時も、今回も特に昨日までと変わったことをしたわけではないのに、突然消える。消えてなくなる。表示ページが1ページ後ろになったというなら気にしないが、存在そのものが消えてなくなる感じなのだ。

先週の日曜日のNHK特集でグーグルの特集番組が放送されていた。その中で、米国で、グーグルのトップ10に表示されなくなった結果、通信販売の売上が激減し、倒産の危機に瀕し、グーグルを訴えっている会社があったが、ビジネスの世界であれば、そこまで行ってしまうのだろう。

では、その後はどうかというと、なんと・・・である。今日、グーグル検索で「河合隼雄」とう単独キーワードで8月24日の記事を見に来た人がいたので、確かめてみると、「河合隼雄」単独キーワード検索結果で、トップ10の8番目に8月24日の記事が復活していた。
なぜ、消えたのかも、なぜ復活したのかも分からない。しかし、私のブログのような小さなサイトでも、それによって確実にアクセスの増減が起きるのは間違いない。

結局、検索サイトからの来訪とうのは、当てにならないということだろう。安定的にアクセスを増やしていくには、ブックマークに登録してくれて定期的に来訪してくれる①の読者を増やすしかない。しかし、それは②のトラックバックや③の検索を経由して立ち寄ってくれた一見の購読者が、ブックマークに登録しようと思ってくれるか否かにかかっており、最後はやはり書く内容次第ということななる。

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『一瞬の風になれ』(佐藤多佳子著)(2)ヨウイ

『一瞬の風になれ』の第二部ヨウイを読み終る。.

一瞬の風になれ 第二部 -ヨウイ-
一瞬の風になれ 第二部 -ヨウイ-

主人公新二は、1年生から2年生に進級する。サッカーで超高校級兄健一は、Jリーグの強豪ジュビロ磐田のサテライト入りが決まる。その健一が、新二に陸上用の新しいスパイクを買ってくれるところから、第二部ヨウイは始まる。

常に新二の中には、サッカーのスパースターである兄健一への憧れとコンプレックスが、ないまぜになっていて、その想いというのが、この第二部のもう一つのテーマになっている。

中学から大学まで陸上をやってきた私にとって、そこここに、そうだよな、こんなことって必ずあるよねーという話が織り込まれていて、うなずいたり、涙ぐんだりしながら読んでいるのだが、その中でも、新二の1年先輩の部長だった守屋が、インターハイ予選が終わって、引退を前に新二に後を託す時の言葉を紹介したい。

「二年になる前の春合宿で鷲谷(高)の大塚先生が言ってたんだ。部が選手を育てるんだぞって。いい選手といい指導者がいても、まわりに競い合ういい仲間がいないと、なかなか伸びないものだってな。部員同士が影響を与え合って、練習であいつがここまで頑張るなら俺もとか、試合であいつがここまでやれるなら俺もとか、相乗効果で全体がレベルアップしていくのが理想だって」

「突出した選手が低いレベルの環境に入っていくと、全体がいい選手にレベルアップしていくより、いい選手がまわりにあわせてレベルダウンしてしまうことの方が多い。大塚先生がみっちゃん(春野台高の陸上部顧問三輪先生のこと)と他の先生に話していたのをたまたま近くで聞いていて、その時は何とも思わなかったんだが、一ノ瀬がひょっこり入ってきて考えちまったよ。ウチの部は、あいつを育てられるんだろうかってね。春高の陸上部が一ノ瀬連をダメにしたなんてことになったらマズイなってさ」

「特に、部長になってからは、俺に何ができるんだろうって真剣に考えたね。ロング・スプリントでまだよかったけど、同じ短距離ブロックで、明らかに競技者として力が劣るわけだ。いくら俺が先輩でも、選手としての格が違う。こんな相手をぢう扱うんだって」

「結局、自分のできることをせいいっぱいやるしかないってあたりまえの結論に落ち着いたよ。一日、二日じゃない、毎日、毎日、三百六十五日だ。どんな日のどんな練習もおざなりにしない。どんな試合でもきちんと走る。毎日、ベスト更新だ。練習も試合も。気持ちだけはな。そうすれば、俺も選手として伸びるし、皆もついてきてくれるだろう。気まぐれな天才、一ノ瀬連でもだ」

「俺は、ただ、ここをいい場所にしたかったんだ。春高陸上部をな・・・。どんなすごい奴でも、力のない奴でも、堂々と受け入れて伸ばしてやれる場所。」
(『一瞬の風になれ』2、118~120ページ)

そして、守屋は、新二に「頼んだぞ、神谷」といって、部長職を託すのだ。

陸上は数値化されたタイムや記録で、その選手の力量が一目瞭然でわかってしまう世界だ。先輩後輩というの上下関係と、個人の力量は必ずしも一致しない。選手としての実力を持つ者が、リーダーとしてトップに立つのが望ましいが、実力のある選手が、リーダーシップやキャプテンシーを発揮できるとも限らない。また、ある学年の中では、一番実力があっても、下の学年にもっと力のある選手が入ってくることもよくあることである。
その時、上に立つリーダーや先輩がどうするべきか、守屋の答えは理想である。高校の時、自分も同じような立場になったが、守屋ほど、自分のできることをせいいっぱいやっていただろうかと考えると、恥ずかしい。

また、ここには、陸上の世界、スポーツの世界に限らず、人が育つ組織のあり方が描かれている。組織のメンバー一人一人が、ここをいい場所にしたいという思いを持つこと、そして素晴らしいリーダー・指導者だけでなく、切磋琢磨する仲間・ライバルがいることが、いかに大切か。
彼(彼女)が頑張っているから、彼(彼女)がこれだけやれるんだから、自分だってやれるはずだ、頑張れるはずだという仲間やライバルに恵まれたことは、誰でも一度や二度はあっただろう。その結果、自分自身が成長した経験も。

この小説が多くの人たちから支持されているのは、このような誰もが抱く思いを、うまく言葉にして、すくい上げているからだと思う。

『一瞬の風になれ』第三部ドンでは、いよいよ新二と連は3年生。4継(400mリレー)でインターハイ全国大会を目指す最後に夏がやって来る。

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1月31日:『一瞬の風になれ』(佐藤多佳子著)(3)ドン
4月7日:2007年本屋大賞、『一瞬の風になれ』(佐藤多佳子著)に決定
4月8日:佐藤多佳子さんが語る『一瞬の風になれ』執筆の舞台裏

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2007年1月27日 (土)

公認金融監査人(CFSA)の合格通知届く

昨日の公認内部監査人(CIA)の試験結果に続いて、今日は、金融監査の国際資格である公認金融監査人(CFSA=Certified FinancialServices Auditor)の合格通知が書留で届いた。
こちらは、以前にも書いた旧制度での国内資格「金融内部監査士」の資格保有者は、申請すれば、昨年11月から日本語での試験が始まったCFSA試験の日本での第1回試験の合格者と同様の扱いを受けるというもので、昨年10月の「金融内部監査士」試験を合格した時点で、取得が確実になっていたものだ。
この資格を取得したことによって、公認内部監査人(CIA=Certified Internal Auditor)のPartⅣの試験の免除が受けられる。

残るは、昨日も書いたCIA試験のPartⅡのみである。5月16日を目指して、勉強を再開しなくてはならない。

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第7回現代短歌新人賞受賞作『鳥女』(松村由利子著)を読み終わる

歌集『鳥女』(松村由利子著、本阿弥書店)を、最終ページまで、読み終わった。

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この本の帯には次のような紹介文が記されている。

臆病でありながら攻撃的、そして優しさと残酷さを併せ持つ-「鳥女」はきっと、あなたの中にもいる。

第1歌集から7年。働く、踊る、憤る・・・・・・骨太さを増した日常詠が、現代を活写する。新作60首を収め、躍動感あふれる第2歌集。

帯には、「日常詠」と書かれているが、これは作者自身を赤裸々に語った「自分詠」とでも呼んだ方が、よりふさわしいのではないかと思う。(「自分詠」などという言葉は、短歌の世界では使わないのかも知れないが)
そもそも、文学というものは、全て最後は自分を語ったものなのだろうけど、ここまで自分の内面をえぐり、五七五七七の31文字の中に、その思いを閉じこめた力は、すごいと思う。

この歌集には406首の歌が収められているが、その中で、私が最も惹かれた歌を1首あげておく。

 井戸ひとつ吾の真中に暗くあり激しきものを沈めて久し

帯で語られる「臆病でありながら攻撃的、そして優しさと残酷さを併せ持つ」という評の要素の全てを含んだ歌だと思う。

この歌集は、昨年12月にさいたま市主催(文化庁、埼玉県後援)の第7回現代短歌新人賞を贈られた。
この賞は「歌人など約170名にアンケートを取り、推薦の多かった歌集と選考委員の推薦する歌集を併せ、選考会で決定する」という。一部の選考委員だけでなく、広く同好の仲間達の支持がなければ候補にも選ばれないということであろう。

選考委員の講評は

第一線の職業に生きる社会感覚と子を思う母親としての心情にもとづいて、現代に生きる女性の鋭い知性と豊かな感性により、新しい境地を開いた作風を評価して、贈賞にふさわしいものと決定した。

やはり「新境地を開いた」のだろう。本人の受賞のコメントは

短歌という小さな詩型にひかれ、心に浮かぶことを歌にしてきました。歌のもつ力の大きさの前で自分の技量のなさを痛感するばかりですが、この度の受賞を機に一層の努力を重ねなければ、と気持ちを引き締めています。(松村由利子)

作者は1994年に、すでに第37回「短歌研究新人賞」を受賞している。それでもなお、今回、2度目の新人賞に輝いたのは、この歌集で歌われている短歌の形が、それだけ新しいと選考委員達が評価したからなのだと思う。

表彰式は、3月11日(日)に大宮ソニックホール(開場正午、開演午後1時)で開かれるそうだ。

(参考)さいたま市ホームページ

松村由利子さんのブログ:「そらいろ短歌通信 松村由利子の自由帳

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1月29日:歌集『薄荷色の朝に』(松村由利子著)を読み終わる
2月7日:『ミセス』3月号の第7回現代短歌新人賞『鳥女』の選評と作者松村由利子さんのインタビュー
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3月3日:『物語のはじまり』(松村由利子著)、週刊新潮に取り上げられる
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2007年1月26日 (金)

公認内部監査人(CIA)の試験結果届く、よろこびも中くらい

去年の11月15日、16日の2日間にわたって、受験した内部監査の国際資格「公認内部監査人(CIA)」試験の結果が、今日、書留で日本内部監査協会から届いた。

PartⅠからPartⅣ までの4科目を受験し、全科目合格すれば、文句なしに資格取得。PartⅣについては、免除資格を得たので、PartⅠからPartⅢの3科目合格であれば、今後、新たに試験を受けなくても、PartⅣ試験の免除申請をすれば資格取得だったが、結果はPartⅠ(合格)、PartⅡ(不合格)、PartⅢ(合格)、PartⅣ(不合格)という内容だった。やはり、結果がでるまでは、ひょっとしたら…という期待もしていたので、さすがにちょっと残念だ。

昨年はたて続けにいくつかの資格試験を受けたし、このCIA試験の前は仕事も結構忙しく、準備が万全とは言えない中で、臨んだ試験だった。

PartⅠが監査理論、PartⅡが監査実務、PartⅢが会計・ITシステム、PartⅣがマネジメント理論という出題分野という中で、最も手こずりそうだったPartⅢの勉強に時間を割き、PartⅠ・PartⅡは日常の実務の中でカバーし、免除資格取得済のPartⅣは簡単な復習程度という形でメリハリをつけ最後の1ヵ月の時間をを使った。試験後の自分の感じも、PartⅢは手ごたえがあり、多分大丈夫だろうと思う一方、残りの科目は合否どちらとも言えないという感じだった。受講料30万円の専門講座を受けて合格を目指す人もいるので、PartⅡを落としたのは悔しいが、独学でPartⅢに加えPartⅠも合格したのはむしろラッキーだったと考えるべきなのかも知れない。
「いくつか試験に続けて合格したからといって調子に乗るな。一番大事なところは、まだ勉強不足だ」という天の声なのだろう。

次の試験は、今年の5月16日・17日の2日間。資格取得に必要なPartⅡの試験は16日(水)午後である。前回の受験で試験の雰囲気は分かったし、次回は1科目なので、事前の準備も集中できる。次回こそは、取りこぼしがないよう、準備万端、必勝態勢で臨もう。

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2007年1月25日 (木)

陸上部の青春を描く『一瞬の風になれ』(佐藤多佳子著)の(1)イチニツク

先週、ある朝の通勤電車の中で、私はある本の広告をじっと眺めていた。

「王様のブランチ」2006年No.1、
「本の雑誌」2006年ベスト10第1位

『一瞬の風になれ』佐藤多佳子
春野台高校陸上部。特に強豪でもないこの部に入部したスプリンター、新二と連。天才がいれば、凡人もいる。努力家も、努力の嫌いな人も。その先にあるのは、「勝ち負け」だけじゃない、もっと大きななにかなのだ。(講談社)

このキャッチコピーを見ただけで、この本は読まなくてはならないと思った。これまで、高校の陸上部が青春小説の舞台になったことなどあっただろうか。中学から大学まで、陸上部で過ごした私にとって、これは、必ず読まなければならない本である。

昨日の大阪出張の帰り、新大阪駅の書店で、とりあえず、1巻である(イチニツイテ)を買う。(ちなみに2巻は(ヨウイ)、3巻は(ドン))
帯には、次のように書いてある。

春野台高校陸上部。特に強豪でもないこの部に入部した二人のスプリンター。ひたすら走る、そのことが次第に二人を変え、そして部を変える-。

「おまえらがマジで競うようになったら、ウチはすげえチームになるよ」

思わず胸が熱くなるとびきりの陸上青春小説誕生。

昨日の帰りの新幹線で、(イチニツイテ)のほとんどを読み、今朝の通勤電車で残りを読み終わった。

一瞬の風になれ 第一部  --イチニツイテ--
一瞬の風になれ 第一部 -イチニツイテ-

あらすじは、キャッチコピーの通りだが、新二と連という2人の1年生スプリンターが走るのは、400mリレー。100mずつを4人で走り、400mトラックを1周する種目である。
主人公の新二は、兄がJリーグからスカウトされるような超高校級のサッカー選手、弟も兄に憧れ中学時代はサッカー選手だが、兄には及ぶべくもない。一方の、連は、中学2年の陸上全国大会で、100m7位入賞の経歴を持つスター選手だったが、3年の時には中学の陸上部をやめてしまう。
そんな2人が、回りの熱心な勧めもあり、春野台高校陸上部に入部するところから話は始まる。
先輩や他の同級生と400mリレーでインターハイの全国大会出場を目指すのだが、その間に巻き起こる高校生ならではの、家族との関係、恋愛等を織り交ぜながら、話は進んでいく。
陸上の試合の描写は、実によく描かれており、作者の佐藤さん自身が陸上の経験者ではないかと思う。

(イチニツイテ)の最後は、2人が1年生の秋の新人戦の県大会の場面。地区大会を最高の走りで勝ち上がり、南関東大会出場をかけた400mリレー決勝。1走新二と2走の連は、隣のレーンの県内強豪校に負けじと、これまでにない走りをする。決して負けていない、南関東大会は目の前と誰もが思ったとき、同じ1年生の3走根岸と2年生のアンカー守屋がバトンパスのタイミングが合わず、バトンゾーンをオーバーし、失格。根岸と守屋は、新二と連の2人前で、それぞれが自分のミスとうなだれる。

電車の中で、このシーンを読みながら、思わずグッとくるものがあり、目頭が熱くなった。
4継(ヨンケイ)とも呼ばれる400mリレー、バトンパスで4人の息があい、トップスピードだバトンを渡すことができれば、4人の実力を合算した以上のタイムを出すことが出来る。それがリレーの魅力であり、醍醐味なのだが、一歩間違えれば、バトンを落として置いてきぼりをくう、バトンゾーンをオーバーして失格するという地獄が口を開けている。どんな実力校であっても、逃れられないアクシデントである。

私のいた高校は、当時、まさに春野台と同じく、400mリーレーでインターハイ出場を目指し、実際に私が2年と3年の時にはインターハイに出場している。ただ、私自身は新二と連のようなスプリンターではなく、凡人の部類で、3年生の時、リレーメンバーの補欠として、同級生と後輩にインターハイに連れて行ってもらった。それでも、ここに描かれている気分は、私たちが高校の頃と一つも変わらない。それは、作者の佐藤多佳子さんが1962年生まれで、ほぼ同世代ということによるかも知れないが、まさしく陸上青春小説である。

残る2巻の(ヨウイ)と、3巻の(ドン)を今日の昼休み、三省堂の神田本店に行き買ってきた。

一瞬の風になれ 第二部 -ヨウイ-
一瞬の風になれ 第二部 -ヨウイ-

一瞬の風になれ 第三部 -ドン-
一瞬の風になれ 第三部 -ドン-

しばらくは、この『一瞬の風になれと』と昨日届いた松村さんの『鳥女』を鞄に入れて出勤である。

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1月25日:陸上部の青春を描く『一瞬の風になれ』(佐藤多佳子著)(1)イチニツク
1月28日:『一瞬の風になれ』(佐藤多佳子著)(2)ヨウイ
1月31日:『一瞬の風になれ』(佐藤多佳子著)(3)ドン
4月7日:2007年本屋大賞、『一瞬の風になれ』(佐藤多佳子著)に決定
4月8日:佐藤多佳子さんが語る『一瞬の風になれ』執筆の舞台裏

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2007年1月24日 (水)

松村由利子さんの歌集『薄荷色の朝に』、『鳥女』届く

大阪出張から戻ると、松村由利子さんの歌集『薄荷色の朝に』と『鳥女』が届いていた。松村さんブログ「そらいろ短歌通信」を通じて、直接作者本人にお願いしていたものが、昨日届いていた。

さっそく、開いて何首か読んでみる。昨年6月までの新聞社でのサラリー(ウー)マン生活も歌に歌われている。ある時期から管理職となったようで、第2歌集『鳥女』の中に、「春の話」との題で詠まれた12首の中に、その戸惑いも綴られている。

  大いなる沼に腰まで引き込まれ目を閉じるごと内示を受ける

  来月は管理職となる憂鬱に研修室の空気淀みぬ

「春の話」という題からして、新年度となる4月から管理職となる内示を3月に受けたのだろうか。あるいは、それは、時期がくればいつかはという予感も作者にはあったのかもしれない。けれども、いざ内示を受けてみると部下を持ついうことが自分に勤まるのかという不安、記者時代のように自分の一存で行動できないという不自由さ、それを思う時に憂鬱といったものがうかがえ、共感する歌である。

私も30代後半のある時、10人ほどの課の長になる内示を受けた時、自分に勤まるのかという不安がよぎった。そして、実際にその職に就くと、管理職というのは、好むと好まざるとにかかわらず、部下の人生に影響を与えざるを得ない立場であることを実感した。
日々の業務の指導・指示というのももちろんだが、それが、最も端的に現れるのが「人事考課」である。自分が書いたことだけで、全てが決まるわけではないものの、組織における最初の評価者として、自分の配下にいる人たちの評価をしなければいけないということ、その結果は、いやおうなく配下人たちの給料の多寡や出世に直接・間接に影響を与えることを意識せざるを得なかった。
チームリーダーとして、チームの面々と語り、それぞれの良さを見出し、チームが一体感をもって一つの成果を上げた時の達成感や喜びは、一人で仕事をするのとは違う醍醐味があるが、それでも、相対比較で優劣をつけなくてはいけない空しさは、なんとも言えないものがあった。私のそんな気持ちを代弁してくれているようにも思えるのが、次の歌である。

  役職についた途端に見えてくる組織の中の条理不条理

作者は、何に条理不条理を感じたのだろうか?とも思いつつ、私は勝手に、人を評価することの不条理と解釈させてもらった。

紹介したのは、まだ一部に過ぎない。順次、読み進め、機会をみて紹介していきたい。

松村由利子さんのブログ:「そらいろ短歌通信 松村由利子の自由帳

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1月18日:
『物語のはじまり』(松村由利子著)に思う
1月19日:『物語のはじまり』(松村由利子著)に思う・その2
1月21日:『物語のはじまり』(松村由利子著)を読み終わる
1月24日:松村由利子さんの歌集『薄荷色の朝に』、『鳥女』届く
1月27日:第7回現代短歌新人賞受賞作『鳥女』(松村由利子著)を読み終わる
1月29日:歌集『薄荷色の朝に』(松村由利子著)を読み終わる
2月7日:『ミセス』3月号の第7回現代短歌新人賞『鳥女』の選評と作者松村由利子さんのインタビュー
2月17日:『物語のはじまり』(松村由利子著)、読売新聞書評に登場
3月3日:『物語のはじまり』(松村由利子著)、週刊新潮に取り上げられる
3月8日:『物語のはじまり』(松村由利子著)は誰に、どう読まれているか(リンク集)

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2007年1月23日 (火)

河合隼雄文化庁長官、退任

今朝の朝日新聞に河合隼雄文化庁長官が任期満了で退任するとの記事が出ていた(その後記事を再確認したところ、1月17日に任期が満了に退任したとの記事の内容だった)。昨年8月に脳梗塞で倒れてからもう少しで半年になる。

記事は、河合隼雄長官が、初代の今日出海、三浦朱門に次ぐ3人目の文化人出身の長官であること、奇しくも3人の就任か17年毎であることなどには触れられているものの、脳梗塞で倒れたことには一切触れておらず、河合ファンが最も知りたいその後の容態についても何のコメントもなかった。(インターネットのニュースを検索したところ、病気療養中の状態には変化はない模様だ)

折しも、今日は世界遺産への推薦候補が、文化庁から発表され文化庁が注目を集めた一日だった。
富士山、富岡製糸場、長崎の教会群、飛鳥・藤原の歴史遺産の4つが候補に残ったとのこと。

昨年秋には、文部官僚から後任の文化庁長官が選任され、行政上は既に過去の人だが、河合隼雄長官なら、この4案件の候補選定について、どうコメントしたか、聞いてみたいと思うのは私だけではないだろう。

お元気になられることを祈るばかりである。

追記:本日の記事は出張先の大阪のホテルから携帯電話で投稿しています。事実誤認等があれば、後日修正します。

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2007年1月22日 (月)

竹橋-飯田橋間を歩きコンティンジェンシープランを実践する

今日から2週間ほど、神田錦町で仕事。朝は、地下鉄東西線の竹橋駅で降り、気象庁を横目に、北に少し歩く。

仕事が終わり、今日は少し長く歩こうと地図を片手に歩き出す。神田錦町を北に歩けば、神保町界隈、三省堂本社ビルなど新刊書、古書を扱う書店が軒を連ねる。
本屋にいれば退屈しない私としては、どこに寄ろうか悩むところだが、今日は岩波書店のビルの1階の書店に入った。ここで、「ゲド戦記」シリーズの邦訳をした清水真砂子さんの講演をまとめた岩波ブックレット『「ゲド戦記」の世界』を購入。

飯田橋まで歩くことにして、専修大学の横を通り、首都高速をくぐり、JRグループのホテルエドモントの明かりが見えたところで飯田橋についた。

(横道にそれる話になるが、いま「エドモント」と入力し変換しようとしたら、うまく行かず、江戸とか門とかが出てきた。このホテルは、建てられて20年くらいになると思うが、ひょっとすると名前は「江戸門戸」とか「江戸門都」、あるいは「江戸門徒」といった言葉から連想されたのかも知れない。これまで思いもしなかったが…)

閑話休題。これまで、通勤に使う地下鉄東西線の経路を機会を見つけては歩いているが、日本橋近辺にある職場から竹橋までは、仕事の帰りに何度も歩いているし(日本橋-竹橋)、以前、飯田橋で仕事があった時には、飯田橋から高田馬場まで1時間ほどかけて歩いたことがある(飯田橋-高田馬場)。今日、竹橋から飯田橋まで歩いたことで、隙間を埋めたことになり、日本橋-竹橋-飯田橋-高田馬場というルートを歩いたことになる。通しで歩くと2時間から2時間半というところだろうか。

歩くのは、減量が最大の目的だが、もう一つ、地震があった場合に歩いて自宅まで帰れるようにという自分なりのコンティンジェンシープラン(=緊急時対応計画)の準備でもある。地震など起きて欲しくないが、万が一起きた時、地図がいつも手元にあるとも限らない。何もなければ、自分の頭の中にある地図だけが頼りだ。
高田馬場までは、せいぜい3分の1。高田馬場から残り3分の2は新青梅街道になるのだが、高田馬場から新青梅街道に出る道は、まだ未踏破であり、また機会を見つけて歩かねばならない。

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2007年1月21日 (日)

『物語のはじまり』(松村由利子著)を読み終わる

先週来、読んでいた松村由利子さんの短歌エッセー『物語のはじまり』を、昨日、読み終った。結局のところ、私自身はこの本を、取り上げれている解説されている様々な歌人の短歌を味わうためというより、そこに書かれている、新聞社でキャリアウーマンとして20年働き、歌人として言葉による表現をしてきた一人の同世代の女性の考え方やそこから透けて見える作者自身の半生に関心があって読んでいたように思う。

物語のはじまり―短歌でつづる日常

なぜ、読書をするのか。前にも書いたかもしれないが、自分の中で、まだもやもやとして言葉にならない様々な想いに、ふさわしい言葉・表現を探すために、読んでいるような気がする。そういう読み方をする時に、同世代の作者の書いたものは、生きてきた時代の空気が似通っているだけに、共感しやすい。まして、松村さんは、同じ高校で学んだ同級生であり、また自分の亡くなった父と同じ新聞記者をしていたという点でも、親近感を感じる存在である。

本書の「5、住まう」の中の一節に、物が多いことをいやがる自分をについて考察した文章がある。

 数年前まで妙な癖があった。個数や容量の少ない商品を好んで買っていたのである。卵ならば、十個入りでなくて六個入り、牛乳やマヨネーズ、シャンプー、歯磨き粉なども小さな容器のものがいい。買い置きはしない。なくなったら買う。長年、それがなぜなのか、自分でもよく分からなかった。(中略)
 ある時、考えた。自分はなぜこんなにも物が多いことがイヤなのだろう。ふだんは、料理する時間がなく、突然の出張も少なくなかったが、ストックがあれば頻繁に買いものに行く必要がない。腐る心配がないものを買い置きしたくないのは、ヘンかもしれないと思い始めた。突きつめて考えると、自分が「今の生活」を「仮の生活」と思いたいことが分かってきた。物を買うのは、それを消費するまでの時間を買うことである。一戸建てを数十年のローンで書く買うことは分かりやすい喩えかもしれないが、キャラメル一箱であっても、その最後の一粒を食べるまでの時間を買っていると考えられないだろうか。そして、避難所で生活する人たちは、ストックなんて持たない。「仮の生活」をしている時は、買い置きする必要がないのだ。(松村由利子『物語のはじまり』中央公論新社、102~103ページ)

自分の単身赴任の経験からすれば、必ずしも個数の多いものが割安とも限らない。卵、牛乳、食パン、ハムやベーコンなど、朝食で食べるような食材は、スーパーでは4人家族が2~3日で使い切るような量が1パックになっていて、1人では使い残してしまう。寝坊をすれば、朝食を抜くこともあるとなると、気がついた時には、1パックのうちの半分くらいは賞味期限を過ぎ、捨てることになってしまった。
私が単身赴任していた札幌では、単身赴任者が多いせいか、中には、食パンが3枚で1パックになっているものなど、単身赴任者用や1人暮らしの学生用と思われる商品もあったが、それでも一部だった。醤油やソース、マヨネーズなどの調味料などは、レジャー用の小さい容器のものを使っていた。
そして、妙に印象に残っているのは、家族と生活している時は、買い置きしていてもすぐになくなるトイレットペーパーが、男の1人暮らしででは、ちっとも減らなかったことである。そこには、なんともしっくり来ない居心地の悪さがあった。18個入りのトイレットペーパーが、遅遅として減らないことに感じた違和感は、図らずも、それを使い切るまでは、自分は単身赴任を続けるのだろうということを、知らず知らずに受け入れていたことへの違和感だったのだろう。「単身赴任」という「仮の生活」にもかかわらず、自分が思う「仮の生活」の想定期間以上の買い置きをしてしまったわけだ。

「物を買うのは、それを消費するまでの時間を買うこと」という表現は、あの居心地の悪さ・違和感を見事に表してくれている。さすが歌人・詩人の表現力には脱帽である。

作者にお願いして、歌集『薄荷色の朝に』、『鳥女』(第7回現代短歌新人賞受賞作)を送ってもらうことになった。
自費出版ということで、市販のサイトでは在庫切れのところが多いようだが、松村さん本人にお願いすれば、廉価で送ってくれるとのこと。『物語のはじまり』を読んで、関心を持たれた方は、松村さんのブログ「そらいろ短歌通信 松村由利子の自由帳」にアクセスし、連絡を取られるとよいと思う。
「そらいろ短歌通信」の歌集の販売のページはこちら

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2007年1月20日 (土)

「大寒」に3万アクセスを超える

今日、1月20日は二十四節気の「大寒(だいかん)」。
暦の上では、1年で一番寒い日である。その大寒の日に、このブログも3万アクセスを超えた。10月下旬に2万アクセスを超えたあと、更新が出来ない日が多く、それと歩調を合わせるように、アクセス件数も減り始め、12月は1日100件に届かない日も多くなっていた。このペースでは、1周年の2月26日までに、何とか3万件に届くくらいだろうと思っていたが、年明け以降これまで毎日更新したことのご褒美か、1月に入ってからは昨日までで平均170アクセスで、12月の平均91件が一気に倍増しそうな勢いである。
読んだいただいた方、ありがとうございます。

次の目標は、2月26日の1周年。続けられる限り、毎日の更新を続けていきたい。

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2007年1月19日 (金)

『物語のはじまり』(松村由利子著)に思う・その2

昨日、取り上げた『物語のはじまり』の著者、松村由利子さんは、やはり同級生だった。ご本人と連絡がとれ、同じ高校の同じ学年だということがわかった。

同じ時に、同じ学校で学んだ人が世に出て認められ、賞賛を受けるのは誇らしいものである。自分も負けないように、頑張れねばならない。

物語のはじまり―短歌でつづる日常

松村さんの『物語のはじまり』のおもしろかった一節を紹介したい。「2.食べる」と題した章の中で、俵万智の歌を紹介したあとに、こう述べている。

一緒にごはんを食べていて今ひとつ楽しくなかったら、その恋はやめた方がいい。
ものすごく性格のいい人で、話題が豊富、自分のことも大事にしてくれる--でも、ごはんを食べると違和感がある、という人は確かにいる。会話のリズムが合うのは、恋がが長続きする上で大事なポイントだが、ごはんを食べるつつ会話のリズムが合うことは、その一ランク上のポイントといってよい。
(松村由利子『物語のはじまり』中央公論新社、48ページ)

確かに、話すだけなら違和感はないのに、食事に行ったり、飲みに行ったりすると、なぜか話がうまく噛み合わない人というのは、たしかにいる。結局、なんとなく居心地が悪く、いくら好ましく思っても、それ以上先には進まない。

ドラマなどでは、お見合いの時、必ず向かいあって食事をするシーンがよく出てくるが、案外、そういうところをチェックしているのかも知れない。

松村さんは、新聞記者だっただけあり、さらには歌人として、言葉と向き合っていることもあって、文章に無駄な修飾語もないし、読み直さないとつながりがよくわからないといったところもほとんどなく、読みやすい。
昨日など、帰りの電車で読んでいて、つい引き込まれ、急行から各駅停車に乗り換える駅を乗り過ごしてしまった。
残るは「8、見る」「9、老いる」「10、病む、別れる」の3章。いよいよ、老い、病み、別れという我々のこれからの現実が突きつけられる。心して、ページを開くことにしよう。

松村由利子さんのブログ:「そらいろ短歌通信 松村由利子の自由帳

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2007年1月18日 (木)

『物語のはじまり』(松村由利子著)に思う

歌人の松村由利子さんが書いた短歌エッセー『物語のはじまり』を読み始めた。
著者は、1960年生まれ。私と同い年である。朝日新聞が15日(月)の紙面で、表外漢字の字体を変更するとの記事を出した際にも、歌人としてコメントを寄せている。

物語のはじまり―短歌でつづる日常

私は、同世代の人が、何を考え、何を書いているかについては、男女問わず関心があるので、朝日新聞の略歴欄に最新作として紹介されていたこともあり、手にとってみた。
更に、ひょっとすると作者は、高校の同級生かもしれないということも、読んでみようと思った理由にひとつである。これは、ご本人に確かめたわけではないので、同姓同名の別人かもしれない。

短歌エッセーと紹介されているが、自らの作品をエッセー風に解説しているわけではない。「短歌でつづる日常」というサブタイトルが示すように「1、働く」「2、食べる」「3、恋する」「4、ともに暮らす」「5、住まう」「6、産む」「7、育てる」「8、見る」「9、老いる」「10、病む、別れる」の10のテーマ毎に、他の歌人の短歌を引いて、新聞記者でもあった作者が、詠み手の境遇なども引き合いに出しながら、作者なりのそれぞれの歌の読み方を語っている。

各歌ごとの解説にも、作者である松村さん自身ののこれまでの生き様や人柄が透けてみえるが、ここでは、短歌と俳句の違いについて語った、下記の一文を紹介しておきたい。

短歌と俳句の違いは何であるか、時々考える。様々な論があるが、「物語」を含むかどうかも、その一つではないかと思う。五七五七七で構成される短歌は、下の句の「七・七」があるために、時間の流れを一首の中に取り込みやすい。俳句には一瞬を切り取り、短歌はある程度の長さの時間を追う。結果的に、短歌は物語を内包しやすいと考えられる。また、俳句は、その切れ味こそを大切にするから、嫋嫋とした物語をあえて持ち込むことを好まない面があるかもしれない。
(松村由利子『物語のはじまり』中央公論新社、14ページ)

言わば、この本は、他の歌人の歌の中に「物語」を見出し、作者自身の「物語」をも語るものである。作者は、20年勤めた新聞社を昨年辞め、著作に専念することにしたようだ。決意のほどを次のように記している。

ともあれ、四十歳を過ぎ、「ああ、折り返し点を過ぎたな」と感じ、それまでとは違うテンポで働きたくなった。短歌にかかわる時間を大事にしたいという思いもあった。会社勤めの忙しさを歌が作れない言いわけにするのは、あまり格好のいいものではないし、持ち時間は限られている。いい歌を作るには、逃げ場のないところに自分を追いつめなければならないだろうと、考えた。
(松村由利子『物語のはじまり』中央公論新社、33ページ)

1960年生まれも、今年の誕生日を迎えれば47歳。「折り返し点を過ぎたな」との感覚は、同世代なら多かれ少なかれ感じていることであろう。そうやって、自分を追いつめていこうとする作者にエールを送るように第7回現代短歌新人賞(さいたま市主催)の受賞が昨年12月に決まった。作者自身の歌人としての「物語」もこれから始まるということであろう。同世代の代表選手の一人として頑張ってほしい。

松村由利子さんのブログ:「そらいろ短歌通信 松村由利子の自由帳

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2007年1月17日 (水)

佳境を迎える将棋A級順位戦、郷田真隆九段へのエール

第65期将棋名人戦での森内俊之名人への挑戦者を決めるA級順位戦が佳境を迎えつつある。A級在籍のトップ棋士10人の総当たりリーグ戦の7回戦までが今週終了した。

私が贔屓にしている郷田真隆九段は、1月15日の7回戦で難敵佐藤康光棋聖を破り、ここまで6勝1敗で単独トップを走っている。佐藤棋聖には、昨年11月26日、タイトルホルダーなど選ばれた上位棋士12名でのトーナメント戦「JT将棋日本シリーズ」の決勝で、苦杯をなめたばかり。順位戦では見事仇を討ってくれた。

郷田九段は今期の順位戦初戦で羽生善治3冠を破ってから4連勝。5戦めで谷川浩司九段には敗れたものの、その後も、勝ち星を重ねトップを譲ることなくここまで来ている。残る2戦は、これまでの7戦と違い、8回戦は2月1日(木)、9回戦は3月2日(金)に、10人の棋士による5局が一斉に行われる。最終戦である9回戦は、名人挑戦者が決まる一方(同成績者複数の場合は、後日プレーオフ)、下のクラスのB級1組に陥落する下位2名も決まるということで、「将棋界の一番長い日」とも呼ばれる。

A級順位戦は、限られた10人で将棋界で最も権威と伝統のある名人位への挑戦権を争う場で、A級に在籍していることそのものがトップ棋士の証明であり、他の棋戦に比べ棋士の意気込みも違うようだ。成績下位者2名は、一つ下のクラスのB級1組に陥落、B級1組の上位者2名と入れ替わる。毎年、激しい星のつぶし合いが行われるのが常であり、過去には前年の名人挑戦者が翌年の下位2名となりB級1組に陥落したことさえある。

今期、7回戦が終わった時点で、A級残留が確定しているのは、既に勝ち越している郷田九段(6勝)と谷川九段(5勝)、4勝の羽生3冠、藤井九段までで、残りの6人にはまだ陥落の可能性がある。

郷田九段の今後の対戦相手は、これまで2勝に留まっている阿部隆八段(8戦目)と、丸山忠久九段(最終戦)。
阿部八段は、今期、初めてのA級昇格だったが、上位の壁に跳ね返された格好。10人中10位というポジションのため、郷田に敗れると陥落の気配が濃厚になるので、必死で挑んで来るだろう。
丸山九段は、過去2期名人位を手にした強豪であり、ポジションも10人中5位で2勝どまりの3名の中では最も上位だが、8回戦での自他の成績次第では、最終戦に残留を賭けることになる可能性もある。
郷田九段にとって、いずれも気を抜けない相手であるが、連破して単独トップのまま、名人挑戦権を手にして欲しい。そして、当然ながら、名人戦でも森内名人から名人位を奪取してもらいたい。

A級順位戦の星取表はこちら

追記訂正(1.21記)改めて、7回戦までの成績と8回戦、最終戦の対戦相手を分析してみると、7回戦時点で4勝している三浦弘行八段(順位8位)もA級在留が確定していた。2勝5敗の3人のうち、順位10位の阿部隆八段は残り2勝しても、三浦が残り2敗した場合と同じ4勝5敗で、三浦が上位。三浦より順位が一つ上の久保利明八段が残り2勝し、三浦が2敗した場合は、三浦が下位となるが、久保の8回戦の対戦相手が順位9位で3勝の深浦八段であり、久保が深浦に勝った場合、深浦が最終戦の阿部戦に勝っても4勝止まりとなり、順位の関係で三浦が上位になる。久保-深浦戦で久保が敗れれば、久保は最終戦に勝っても3勝止まりであり、三浦を上回れない。残留争いでは、8回戦の久保-深浦戦が重要な一戦となる。

8回戦で、郷田九段が阿部八段に勝ち、羽生三冠が谷川九段に勝ち、深浦八段が久保八段に勝ち、丸山九段が三浦八段に勝つと、8回戦終了時で郷田九段の名人挑戦と阿部八段、久保八段の陥落が確定し、最終戦全てが消化試合という珍しい事態が起きることになるが、さてどうだろうか。いずれにせよ、郷田九段には連勝してほしい。

*将棋に関する記事(2006年)
4月26日:『将棋世界』5月号
6月19日:第64期将棋名人戦
8月2日 :将棋名人戦、朝日新聞に
8月27日:米長邦雄将棋連盟会長の『不運のすすめ』
9月9日 :森内俊之名人から見た羽生善治3冠
9月20日:将棋名人戦、朝日・毎日の共催へ協議開始
11月18日:郷田真隆九段の揮毫「晩成」
12月23日:第19期(2006年)竜王戦-佐藤康光棋聖及ばず、渡辺竜王に立ちふさがる最後の壁は羽生3冠
12月30日:将棋名人戦、毎日・朝日両新聞社の共催の詳細固まる

*将棋に関する記事(2007年)
1月8日:
佐藤康光棋聖、5連続タイトル戦挑戦者
1月17日:佳境を迎える将棋A級順位戦、郷田真隆九段へのエール
2月2日:祝・郷田真隆九段、A級最終戦を残し、第65期将棋名人戦での森内俊之名人への挑戦権獲得
2月3日:第65期将棋A級順位戦8回戦の詳細
2月3日:郷田真隆九段、父の死を知らず
2月3日:将棋永世名人位の重み
2月10日:将棋第65期順位戦B級1組第12回戦の結果分析とB級2組での渡辺竜王の昇級確定
2月12日:「名人は選ばれたものがなる」-郷田真隆名人待望論
3月3日:将棋界の一番長い日、将棋第65期A級順位戦の最終局の結末

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2007年1月16日 (火)

ココログ、メンテナンス再び

今日(1月16日)の午後3時から、明日(17日)の午後3時までの約24時間、ココログが再びメンテナンスに入る。昨年の12月5日(火)から3日間の渡って行われたメンテンスのやり直しということだろうか。

メンテされている間の24時間は、記事の投稿が出来なくなる。
投稿が出来なくなる前に、今日の分は先に、書いてしまおうと思い、キーボードに向かっている。

今回こそは、成功させて、安定的に稼働する体制を確立させて欲しいものだ。

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2007年1月15日 (月)

食事をするとき人を待てるか、外食の功罪

3ヵ月ほど前、私の職場のチームに、わたしより数年年上のMさんが異動で来られた。Mさんとは、席も隣で、昼一緒に食事に行くことが多い。

今の職場の食堂の昼食メニューは、定食と麺類の2種類あり、Mさんと一緒に食堂に行っても、席に選ぶメニューで待たされる時間も違ってくるので、Mさんが先に席に着いていることも多い。私がMさんを偉いと思うのは、いつもMさんは、先に席に着いた時は、後から来る人を待ってくれているのだ。私が、人より先に着席した時には、先に食べ始めることも多いので、反省することしきりである。Mさんのご両親は、立派な躾けをされたのだなと思う。
果たして、自分の子どもたちが、そういう場面でどう振る舞うだろうか。

家で家族で食卓を囲む時は、みんなが揃うまで箸をつけずに待っていようと言っているが、外食の時となるとなかなかそうもいかない。ファミリーレストランなどで、家族がそれぞれ別々のメニューを注文すると、全員一緒に出てくる方がまれである。
注文してから配膳されるまで、かなり待たされた上に、5分ぐらいの差があるのは当たり前、下手をすると15分くらい遅れることもある。そもそも、お腹がすいているから、食事を食べに行くわけで、全員揃うまで子どもに我慢させるのも、かわいそうだし、料理もさめておいしくなくなってしまう。
結局、来た順に食べ始めることになってしまうが、下手をすると最初に食べ出した人が食べ終わる頃、最後の人の料理が来たりすることもある。これでは、家族団欒もあったものではなく、興ざめしてしまう。

それなら、外食などしなければよいのだが、家でいつも食事を作る立場を考えると、たまには外食して休ませて欲しいという気持ちもわからないではないので、全て家で食べるというのも難しい。

一方、外食に慣れてしまうと、知らず知らずのうちに、料理が来たら自分一人先に食べて当たり前という感覚になってしまう。親として、自らどう行動するかとともに、子どもにどのような躾けをしていくのか、悩ましいところである。

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2007年1月14日 (日)

ブログ開始1周年に向けて

このブログを書き始めてもうすぐ11ヵ月になるが、先週うれしいことが一つあった。3連休明けの1月9日(火)に、1日のアクセス件数が307件と初めて300件を超えた。

それまでの最高は、7月14日(金)の268件で、ココログのメンテナンスの不満を書いた記事をニフティの古河社長のブログにトラックバックしたら、その記事だけで172件のアクセスがあったもので、その反応の大きさに驚いたものだ。ただ、記事の内容としては、ニフティに対する不満・批判のコメントが中心だったので、いまや不満や非難といったネガティブな記事は極力書かないことにしている自分としては、前向きな記事でアクセスしてもらい、記録を更新できればと、ずっと思っていた。

1月9日(火)に記事は、将棋の佐藤康光棋聖がタイトル戦で5回連続挑戦者になったことを書いた記事を、共同通信社の棋王戦のブログにトラックバックしたところ、その日は、その記事に92件アクセスがあり、それによって全体も引っ張られ300の大台が達成できた。

このブログへのアクセスにも、波があり、その一方でブレイクスルーもある。最初のブレイクスルーは、ココログのメンテナンスへの不満を書いた7月の中旬の頃で、数日間、200件を超えるアクセスがあり、それがきっかけとなってそれまで50件前後だった1日のアクセス数が100件近くまで増えた。
次のブレイクスルーは、8月28日(月)の232件で、この日は、数日前に書いた河合隼雄文化庁長官が脳梗塞で倒れたことに関する記事に122件アクセスがあり、その後もその記事にアクセスが続き、1日100件以上の日が多くなり、翌月9月の1日平均のアクセス数は156件に達した。

その後、しばらく、監査関連の勉強のため、記事の更新頻度が落ちたこともあって、1日平均のアクセス数は10月123件、11月103件、12月91件と減ってしまった。記事を書くからには、なるべくたくさんの人にアクセスしてほしいが、こればかりは自分ではどうしようもない。
たくさんの人に注目されているブログにトラックバックすれば、一時的にアクセスが増えることはあるが、内容が伴っていないと続かない。

今回のブレイクスルーが一過性で終わるか、次のステージへのステップアップに繋がるかは、今後次第だだろう。幸い、今日は、200アクセスを超えた。なんとか、近いうちに1日200アクセスが定着するよう、ブログ1周年に向けて、書き続けたい。

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2007年1月13日 (土)

朝の筑波山

昨日・今日は、用事があって、茨城県の下館に行ってきた。(旧下館市、現在は市町村合併で筑西(ちくせい)市)


写真は、今朝の6時半過ぎに宿の近くをウオーキングした時に撮ったものである。

朝焼けに赤くなる空に、浮かび上がる稜線は、なんとも神々しい。
関東平野は、平地が続き、大きな山がないので、筑波山自体はさして高い山ではない(男体山で871m、女体山で877m)のだが、その美しい姿は遠くからも眺められ、信仰の対象にもなってきた。

深田久弥の『日本百名山』でも、選定基準を自ら1500m以上の山と設けていたにもかかわらず、筑波山については、その美しさや歴史から、特例として百名山の一つに加えられている。

山頂に登った人の話では、頂上からは関東平野が一望できるという。「つくばエクスプレス(TX)」も開通し、東京からも行きやすくなったこともあり、今年こそは、筑波山の登ってみたいと考えている。

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2007年1月12日 (金)

モブログ初挑戦

今日は、泊まりがけの予定があり、家には戻らないので、パソコンでのブログの更新ができない。
以前、設定登録だけ済ませ、一度も使ったことのない携帯電話からの更新システムであるモブログに挑戦してみることにした。
昨日から新潮親書の『ウェブ人間論』を読んでいる。『ウェブ進化論』の著者梅田望夫氏と芥川賞作家の平野啓一郎氏の対談をまとめたものだ。15歳違う2人のネット社会の捉え方の違い、その中での人間の在り方の議論など、興味をひく話題も多い。
読み終わったところで、改めてまとめたい。

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2007年1月11日 (木)

句集『花柚』(植田房子著)から冬の句を2句

昨日、知人から『花柚(はなゆ)』という句集をもらった。植田房子さんという岡山在住の女流歌人の句集だ。この句集の中から、大岡信さんが選者をしている朝日新聞の「折々のうた」にも、一句選ばれているので、その道ではそれなりの評価を受けているのだと思う。

私は、俳句のことは、5・7・5で詠み、季語を織り込むことぐらいしかわからないので、どの句がいいなどとおこがましいことは言えないが、通読させていただいて、自分も同じような風景をみたことがあるなと思って、共感したものを2首ほど紹介してみたい。

時節柄、冬の句から2句。

門前に達磨となりて雪のこる
(植田房子『花柚』51ページ)

去年、東京で雪が降り、わずかながら積もった時、当時小5だった長男は、はしゃいで、暗くなってから外に出て、雪だるまを作っていた。その雪だるまが、数日間、家の前で融けかかりながらも、数日間、残っていたの思い出した。
私の仕事の関係で、1歳で富山に引っ越し6歳まで過ごした長男にとって、冬の雪はいつもすぐそこにある身近な存在だった。2人の姉や、近所の友達と雪合戦や雪だるま、時にはかまくらなども作り楽しんでいた。しかし、東京ではほとんど雪は降らない。また、私が札幌単身赴任した時の年末・年始、札幌に呼んだ時、雪は回りにいやと言うほどあったのだが、札幌の雪はサラサラしていて、雪玉にならないので雪合戦もできないとがっかりしていた。それ故、東京での珍しい雪に血が騒いだようだ。

黒豆に水を吸わする霜夜かな
(植田房子『花柚』54ページ)

おせち料理の定番メニュー黒豆。その黒豆を煮るためには、一晩水に浸しておかなければならない。霜が降りそうな寒い夜、水を張った鍋に眠る黒豆、その息づかいが聞こえてきそうな句だ。
なぜ、黒豆に目の句に目がいったのか。いま、私の減量作戦ののパートナーが黒豆である。あまり肉を採りすぎないように植物性タンパク質として、また食物繊維の供給源として、おせち料理の時期が終わっても、黒豆を食べている。

作者・詠み手の思いとは、全く違った解釈かもしれないが、鑑賞する側が自分の経験に照らして、共感・共鳴できるものを感じられれば、それがその人(鑑賞者)にとって、良い句なのではないかと、勝手に思っている。

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2007年1月10日 (水)

ブログ上での著作権とは?どこまでが許される範囲か?

昨日の記事で、「人力検索はてな」の回答で、私の記事の一部が私の知らないところで、引用されていたことを書いた。

私は、自分のブログでは、人様のやったことや書いたものについて、ほめることはしても、非難したり、ケチをつけたりと言ったことはしないことにしている。人の悪口を聞いて愉快になる人はいないと思うからだ。私が本の紹介や引用する時は、自分が読んで役に立ったり、面白かったもの、このブログを読んだ人にも読んで欲しいと思うもの、あるいは1冊の中でもその条件に該当する部分を選んで書いている。

今回は、若干非難めいたコメントも混じってしまうが、自分の備忘録として残しておく意味もこめて、記事の引用問題を整理しておきたい。
対象の回答は、回答者のコメントが2行ほど書かれた上で、私が書いた「河合隼雄文化庁長官、休職」の記事にリンクが張られ、最後に、枠で囲んだ上で、その記事のうちの6行が引用してある。そもそも、私の元の記事では、新聞記事やネット上のニュースなどを引用した上でコメントしているのだが、回答者が引用しているのでは、新聞記事やニュースの部分ではなく、それに基づいて私が書いた感想・解釈の部分で最もオリジナルな部分である。しかし、囲みはあるものの、出所は明記されていない。

私自身は、他人の著作を引用する際、出典・出所を明記するよう心がけているものの、著作権の専門家ではないので、インターネット上で見つけた「(社)著作権情報センター」のホームページ著作権Q&Aから該当部分を引用させてもらい整理をすることにする。

まずは、リンクについては、以下のようなQ&Aがある。

Q.無断でリンクを張ることは著作権侵害となるでしょうか。

「A.(前略)結論を先にいえば、リンクを張ることは、単に別のホームページに行けること、そしてそのホームページの中にある情報にたどり着けることを指示するに止まり、その情報をみずから複製したり送信したりするわけではないので、著作権侵害とはならないというべきでしょう。(以下略)」(「(社)著作権情報センター」HP、著作権Q&A)

リンクを張るだけなら、問題はないということだ。たしかに、リンクを張るだけで、著作権が問題になっていたら、現在のブログの隆盛はあり得ない。リンクを張るだけであれば、記事の場所を示すだけであり、むしろ回答にふさわしい記事を探したことが回答者の付加価値ということになるのだろう。

Q.他人の著作物を引用するときの注意点を教えてください。また、出所の明示はどのようにすればよいのですか?

「A.引用(中略)の場合、著作権者の許諾なしにその著作物を利用することができますが、「引用」といえるためには、「引用の目的上正当な範囲内」で行われるものであり、また、引用される部分が「従」で自ら作成する著作物が「主」であるように内容的な主従関係がなければなりません。さらに、かぎ括弧を付けるなどして引用文であることが明確に区分される必要があります。
 なお、引用の際の出所の明示の仕方ですが、引用部分を明確にした上で、その後に誰のどの著作物であるかを表示するなど、少なくとも引用された著作物の題号や著作者名が明らかに分かるような表示が必要です。」
(「(社)著作権情報センター」HP、著作権Q&A)

リンクに引用が加わると多少注意が必要になる。引用そのものには、著作権者の承諾は不要とのことだが、①自説が主であり、引用が従の関係にあること、②出所が明示されていることが条件である。取り上げている引用は、囲みがつけられている点では、自説とは別扱いの体裁にはなっているものの、出所の明示はないので、回答文のみを読み、リンクをたどって私の記事を読むことをしなければ、誰が書いたものかは、読み手にはわからない。また、回答者のコメントは2行で、私の記事の引用が6行なので、内容の主・従という点でも、条件は満たしていないだろう。

どんなルールが作られたとしても、そのルールについての理解が十分でなければ、知らないことによって、ルール違反が起きることはままあることである。本件の回答者も引用文に囲みをつけている点をみれば、引用という意識はあったと思われるので、相手に対してどうこう言うつもりはないが、自分が書いたり、引用したりする際には、権利の侵害をすることがないよう、もう少し真剣に著作権法を学ばなければならないと思った次第である。
(関心のある方は、昨日の記事から、「人力検索はてな」の該当ページにリンクが張ってあるので、ご覧いただければと思う)

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2007年1月 9日 (火)

「人力検索はてな」をきっかけに考えた成長する「情報」

11月、公認内部監査人(CIA)の試験勉強もあり、ブログも書けない日が多かった。その結果、このブログへのアクセス件数も減り、それまで1日100件は超えることがほとんどだったのが、100件を切る日が増えた。年末から元旦にかけては毎日減る一方で元旦にはとうとう1日56件まで減っていた。その後は一転して増え始め、3日以降今日までは100件を切ることなく推移している。

ココログ・プラスの管理ページでは、一件一件のアクセスのリンク元がわかる。その多くは、私が自分の記事をトラックバックした先のブログのサイトから、そのトラックバックを経由してのアクセスか、グーグルなんどの検索サイトからキーワード検索でのアクセスが大半なのだが、ある時、「人力検索はてな」からのアクセスがあった。
(「人力検索はてな」とは、(株)はてなが始めたサービスで、会員が知りたいことを質問(有料ポイント制)すると、別の会員が答えを書き込み、満足できる回答の場合、質問者から回答者に謝礼ポイントが支払われるという仕組みのサービス)

そのリンク元をたどってみると、はてなのある会員から昨年の12月26日に「河合隼雄さんが倒れられて以降の病状の報道がなく、とても心配しています。ご存知の方は?」との質問が「人力検索はてな」にアップされていた。質問に対して5人が回答しているのだが、5人のうち2人が私のブログの記事へリンクを貼って紹介し、回答していた。その後は、その「人力検索はてな」のページから1日数件、コンスタントにアクセスがある。

私の全く知らないところで、私ブログの記事にリンクが張られ、中には、一部がそのまま引用されているものもある。なんとも、複雑かつ奇妙な心境だった。

取り上げられているのは、
9月5日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態・その2
11月1日:河合隼雄文化庁長官、休職
の2つ。
自分の書いたものが取り上げられたという点ではうれしいが、1人の回答者は、11月1日の記事にリンクを張り、一部は引用して、20ポイントの謝礼を受けている。オリジナルの記事を書いた私の立場・権利って何なのだろうか?という気もした。(ただ、ここでは、その点を突き詰めて考えるのが本旨ではないので、この程度にとどめて、機会があれば改めて考えることにする。)

このように、一度、ブログの記事として文章にして公開したものは、全て1つの独立した「情報」として、様々な人の目に触れ、評価され、今回のように、書き手とは別の人の手によって、紹介され、それにより、より多くの人の目に触れるようになるということである。それが、また新たな評価や紹介に繋がる。ある一定の線を越えると、書き手の意思とは関係なく、「情報」はひとり歩きし、独自に成長を始めるような気がする。

数あるブログの中には、あるテーマや話題の関するブログの記事を紹介するブログもあり、私の書いた『下流社会』の感想や、『ゲド戦記』シリーズの感想を紹介してくれたブログもある。

今回の「人力検索はてな」の件も、質問者の質問に対し、回答者が、私の記事がその質問に対する回答として紹介するのに有用な記事と評価・判断したからこそ、紹介されたのだと思うので、その点では、書き手としては喜ぶべきことだろう。

「人力検索はてな」で、関連記事が紹介されたことも影響したのだろうか、新年になってグーグルで「河合隼雄」でキーワード検索すると、このブログの8月24日の記事「気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態」がトップページの一番下(10番目)に表示されるようになった。書いてしばらくたった頃でも30~40番台だったような気がするが、いつの間にか543,000件のトップ10である。グーグルのトップページに載ることで、おそらく、アクセスは増えるだろう。

ブログは簡単に始めることが出来るが、実に奥深い世界である。成長する「情報」になれるか否かは、当たり前だが、オリジナルの記事の内容に尽きる。人が読んで価値を感じてもらえるような記事を書く努力を続けるのが、書き手の役目だろう。

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2007年1月 8日 (月)

佐藤康光棋聖、5連続タイトル戦挑戦者

将棋界の3強の一人である佐藤康光棋聖が、年末年始に行われた第56期(2007年)王将戦(毎日新聞、スポーツニッポン)、第32期(2007年)棋王戦(共同通信)の挑戦者決定戦で、いずれも勝利して、タイトル挑戦者に名乗りをあげた。挑戦者争いでは、名人戦(A級順位戦)以外は、この1年向かうところ敵なしである。自分の持つ棋聖位を除いた、王位・王座・竜王・王将・棋王の5つのタイトル戦に連続して挑戦者として登場することになった。
また、2006年4月以降の2006年度で見れば、名人戦以外の6大タイトル戦に、タイトルホルダーまたは挑戦者として登場することになる。羽生3冠が7冠として全タイトルを保有して、全タイトル戦に出場して以来の偉業ではないだろうか。

王将戦では、7人総当たりの挑戦者リーグで5勝1敗でトップを走っていたものの、最終戦で丸山忠久九段(4勝2敗)に敗れ、丸山にプレーオフに持ち込まれた。しかし、12月29日のプレーオフで丸山を降し、昨年に続き羽生善治3冠(王将・王位・王座)への挑戦者となった。(丸山は、竜王戦の挑戦者決定戦でも佐藤に敗れている。)
王将戦では、佐藤-羽生の対戦は5回ある。2001年(第51期)には、4勝2敗で羽生から王将位を奪取したが、翌2002年(第52期)には、リターンマッチを挑んできた羽生に4戦全敗しタイトルを奪還されている。昨年(2006年、第55期)は、3連敗のあと3連勝し、将棋界初の3連敗後の4連勝によるタイトル奪取を成し遂げるかと思われたが、羽生の最後の踏ん張りに屈し、3勝4敗で、涙をのんだ。
何故か、ダブルスコアに近い戦績で羽生には分の悪い佐藤。しかし、羽生の持つ3冠(王将・王位・王座)への挑戦者は、いずれもこの2年連続して佐藤である。一昨年(2005年)の佐藤が持つ棋聖位の挑戦者が羽生だったことをあわせると、7大タイトルの2年間計14回対戦の半分は、佐藤-羽生戦の組み合わせになる。過去6回で1勝5敗。
1月11日から王将位を争う7番勝負が始まる。

一方の棋王戦は、決勝トーナメントのベスト4以上は2敗失格制という独自のシステムがあり、いったん本戦決勝で深浦康市八段に敗れたものの、敗者復活戦に回り、ここでは羽生3冠を降して挑戦者決定戦に進出。一度敗れた深浦に2連勝し、森内棋王(名人)への挑戦権を獲得した。
タイトル戦での佐藤-森内の戦いは少なく、2004年の棋聖戦で森内が挑戦者となり佐藤に挑戦。佐藤が3戦全勝で防衛した1回だけである。今回は攻守ところを替えて、森内がタイトルホルダー、佐藤が挑戦者である。対羽生戦とは異なり、佐藤-森内戦はほぼ互角の戦績であり、佐藤にも苦手意識は少ないだろう。
一方、森内は、名人位は3連覇し、永世名人資格獲得まであと1期に迫っているが、過去、名人位以外に奪取したことのある竜王位、王将位はいずれも1期のみの保有で、翌年には挑戦者に奪われている。なんとか、棋王を防衛し、2冠を保持したいところだろう。
こちらは、2月11日から棋王戦5番勝負が始まる。

佐藤は、王将戦で4連敗しない限り、2月、3月は2つのタイトル戦を、羽生、森内を相手に同時並行で進めることになる。
昨年は、この2つのタイトルを羽生が保有しており、王将戦では佐藤、棋王戦では森内の挑戦を受け、王将戦で3連勝後、佐藤の逆襲で3連敗を喫し、その一方で、森内の棋王戦で挑戦を受けるというハードスケジュールで、棋王位を失うことになった。
佐藤がどう体調管理・スケジュール管理をこなし、羽生・森内と戦うのか、見所は尽きない。

*将棋に関する記事(2006年)
4月26日:
『将棋世界』5月号
6月19日:第64期将棋名人戦
8月2日 :将棋名人戦、朝日新聞に
8月27日:米長邦雄将棋連盟会長の『不運のすすめ』
9月9日 :森内俊之名人から見た羽生善治3冠
9月20日:将棋名人戦、朝日・毎日の共催へ協議開始
11月18日:郷田真隆九段の揮毫「晩成」
12月23日:第19期(2006年)竜王戦-佐藤康光棋聖及ばず、渡辺竜王に立ちふさがる最後の壁は羽生3冠
12月30日:将棋名人戦、毎日・朝日両新聞社の共催の詳細固まる 

*将棋に関する記事(2007年)
1月8日:
佐藤康光棋聖、5連続タイトル戦挑戦者
1月17日:佳境を迎える将棋A級順位戦、郷田真隆九段へのエール
2月2日:祝・郷田真隆九段、A級最終戦を残し、第65期将棋名人戦での森内俊之名人への挑戦権獲得
2月3日:第65期将棋A級順位戦8回戦の詳細
2月3日:郷田真隆九段、父の死を知らず
2月3日:将棋永世名人位の重み
2月10日:将棋第65期順位戦B級1組第12回戦の結果分析とB級2組での渡辺竜王の昇級確定
2月12日:「名人は選ばれたものがなる」-郷田真隆名人待望論
3月3日:将棋界の一番長い日、将棋第65期A級順位戦の最終局の結末

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2007年1月 7日 (日)

「昭和の日」を知っていますか?「みどりの日」はいつですか?

「みどりの日」は以前の昭和天皇の天皇誕生日だった4月29日だけど、「昭和の日」っていつ?と思った人も多いのではないだろうか。

家の中にある真新しい2007年のカレンダーを見ると、4月29日が「昭和の日」、5月4日が「みどりの日」と表示されている。

今年(2007年)から変わったらしい。私は、今朝、あるソフトウェア会社から送られてくるメールで知った。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で調べてみると、2005年の第162回国会で、「国民の祝日に関する法律(祝日法)」の改正案が成立、2007年1月1日から施行されたとのこと。

改正法案の中で、4月29日を「昭和の日」とし、「みどりの日」が5月4日に移されたとのこと。4月29日を「昭和の日」とする改正法案は、147回国会(2000年)、154回国会(2002年)で、上程されたされたものの、廃案となり、159回国会(2004年)に改めて提出され、継続審議を経て、162回国会(2005年)でようやく成立したとのことである。(参考:『ウィキペディア(Wikipedia)』の「昭和の日」の項)

それだけ難産の法案だった割には、マスコミで伝えられたことは、あまりないような気がするのだが、私がぼんやりしていて、ニュースを見逃してしまったのだろうか。
家にあるカレンダーを改めてめくってみても、当然ながらすべて4月29日が「昭和の日」、5月4日が「みどりの日」となっている。

情報過多の現代でも、マスコミによって伝えられないこともあるということかもしれない。国民にとって大切なことで、伝えられないまま、進んでいることがないか、我々一人ひとりも気をつけておかなければならないということだろう。

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2007年1月 6日 (土)

「ブログ河原の落書き」のご紹介

私が時々、コメントのやりとりなどをさせていただいている”ブログ「今日は何の日?徒然日記」”の管理人indoor-mamaさんが、年頭にあたり平成版「二条河原の落書」とも言える「ブログ河原の落書き」をまとめられたた。最近の世相がとても、よくまとめられているので、本人の承諾を得て、転載させていただく。 

この頃 都にハヤル物
脳トレ 品格 イナバウアー

諸国 談合 天の声 北のアノ人核実験
謹厳実直 報われず 僅かな勝ち組 幅きかす

いじめ自殺が連鎖して 伸びる若葉が死に急ぎ
愛国心と言うワリに 世界の歴史を教えない

民意を問うた郵政も 刺客 出戻り 入り乱れ
生の意見を聞くはずが 台本通りの役作り

獲らぬタヌキの年金は 荒唐無稽な空論で
出口の見えない不況にも イザナギ景気と言う始末

暗中模索の一年も 明けたからには心機一転
時節到来 意気揚々 勇猛果敢に猪突猛進

なお、オリジナルの記事はこちら
「今日は何の日?徒然日記」2007年1月1日

暗い話題が多い中、最後の2行の前向きの姿勢での締めくくりで、私も頑張ろうという気にさせてもらった。
「心機一転、勇猛果敢に猪突猛進」の心意気で、自分が元旦に掲げた「1年の計」に取り組んで行きたい。

indoor-mamaさん、転載を快諾いただきありがとうございました。

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「小寒」、「寒の入り」、「寒の内」と「節分」の話

今日は、二十四節気の「小寒(しょうかん)」。小寒から大寒(1月20日)を経て節分(2月3日)までが「寒の内」とされることから、小寒は「寒の入り」でもある。(参考:『美しい暦のことば』(山下景子著、インデックスコミュニケーションズ))いよいよ寒さも、本番というところだ。

ちなみに、今回、この小寒の記事を書くために調べてわかったことがもう一つ。上にも記した「節分」だが、その意味は「節をける」ということで、本来は立春、立夏、立秋、立冬のという新しい季節の始まりの日の前日を指すとのことらしい。中でも、2月の立春の前日がいわゆる年中行事の「節分」として、現在も残っているのは、グーグルで「節分」を検索して、上位に表示されるサイトやブログで確認すると、立春をもって1年の始まりと考えたことによるとの解説がされている。

数年前、高校の同級生と厄年の話をしていた時に、暦通りに1年が終わったところで、厄年が終わりと思っていた私に対し、彼は「厄年の区切りは節分」と教えてくれた。その時は、「へえー、そうなの」という程度で、その由来を確かめることもしなかったが、1年の始まりを立春と考えれば、その前日の節分は、いわば大晦日と同じであり、厄年がそこで終わるというのも納得できる。

何歳(いくつ)になっても、知らないことはあるものである。

ちなみに、今日の東京の気温を見ると、13時現在で、最低気温は3.0℃、新年の6日間で見ると、元旦の2.0℃に次ぐ冷え込みだ。気圧も下がっていて、新年はじめて冷たい雨の降る1日だ。

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2007年1月 5日 (金)

訃報:百ます計算の考案者岸本裕史さん死去

今朝(2007年1月5日)の朝刊の訃報欄で、岸本裕史さんが昨年の12月26日に亡くなっていたことが伝えられていた。

岸本さんは、1930年の生まれで、神戸市で小学校の教員を40年勤めた。読み書き、計算など基礎学力の充実の必要性を早くから訴え、今や多くの小学校で使われている100ます計算の考案者でもある。
100ます計算の実践で成果を上げ有名になった蔭山英男さん(現立命館小学校副校長)も、若い頃、自らの教育手法に試行錯誤する中、岸本さんと出会ったことが転機になっている。

私が、岸本さんの著書と巡りあったのは、今から20年以上も前、大学生の頃である。大学生協の書店で『見える学力、見えない学力』(岸本裕史著、大月書店国民文庫)を目にして、タイトルに惹かれて手に取ったのが最初である。初版発行が1981年3月とあるから、新刊として発売されて間もない頃だったのだと思う。

見える学力、見えない学力 (国民文庫―現代の教養)
見える学力、見えない学力 (国民文庫―現代の教養)

その後、この本は版を重ね、1996年3月には改訂版も出されている。私は、何度かこの本を買っているのだが、手元にある改訂前の1冊ので奥書に1992年10月の49刷とある本の帯には、90万部突破とある。おそらく、現在は100万部を突破しているだろう。息の長いロングセラーであり、今、読んでも、言われていることの本質は全然古くなっていない。

この本の中で、著者は学力を氷山にたとえている。

 氷山を思い浮かべて下さい。氷山というものは、大部分が海面下に沈んでいて、八分の一だけが海面上に姿を見せています。子どもの学力も、それと似ているのです。テストや通知簿で示される成績は、いわば見える学力なのです。その見える学力の土台には、見えない学力というものがあるのです。見える学力をたしかに伸ばすには、それを支えている見えない学力をうんとゆたかに太らせなければならないのです。貧弱な土壌では、果樹の実も、ちっぽけなままでしかありません。
 小学校で習う勉強の多くは、子どもの生活空間で見たり、聞いたり、触れたりできるものが素材となっています。ですから、学校で新しく習う教材でも、事前になんらかの予備的な知識や経験のある子は、のみこみも早く、容易に忘れることはありません。
(『見える学力、見えない学力』改訂版37~38ページ)

では、「見えない学力」とは何か?規則正しい生活習慣を身につけさせる躾け、親が読み聞かせをすることで読書の習慣をつけさせる、自然の中で伸び伸びと遊ばせる、家庭の中で社会や政治・経済につき話題にする、地図を壁に貼りニュースで地名が出てきたら確認する、史跡に行ったり、美術・芸術に触れさせる機会を作ること等々で、いずれ勉強として学ぶことを、日常生活の中で先行体験させることである。

この先行体験として述べられているものには、私が子どもの頃、両親がやってくれていたことも多くあり(両親が意識してやっていたとは思えないが)、私は一読するや、岸本「見えない学力」説の信奉者となり、その後の自らの子育ての中で、出来る限り実践してきた。

その成果の是非は、子どもたち一人ひとりの今後の成長を見るしかないが、途中経過で見る限り、不登校にもならず学校に通っているでの、大間違いはしていないのではないかと思っている。

私にとっては、岸本さんは、いわば子育てや教育を考えていく際の心の師であった。これからは、私なりに、岸本説を咀嚼して、子どもたちに伝えていくことが、役目だろうと思っている。心からご冥福をお祈りしたい。合掌。

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2007年1月 4日 (木)

「ホームページ・ビルダー11」でのブログ作成

年末にアマゾンに注文していたホームページ作成ソフト「ホームページ・ビルダー11」(以下HB11)が昨日届いた。

この記事は、そのHB11で書いている。昨年の11月使っていた「マイ・ブログ」は、ココログの管理ページと似たような様式で、入力専用のフォームに記事を書き連ねていき、ココログのサーバーへ投稿する。違いは、自分のパソコンのインストールされたソフト上に書いているのか、ココログが提供しているAPSである管理ページに書いているかである。
「マイ・ブログ」の利用で、ココログの管理ページで書いていた時によくやった、より正確な記事を書くため、インターネットの別のサイトで情報を確認しようと、うっかり他のサイトに移った途端、(保存していない場合)書きかけの記事が全部消えてなくなる悲劇は回避できる。
しかし、無味乾燥な四角い枠の中に書いているだけなので、ブログにどのような形で表示されるかは、投稿するまでわからない。

一方、HB11は、ブログのページのデータを取得して、入力画面の色やデザインもブログの表示画面と同様の体裁になっているので、投稿したあとの表示のイメージもつかみやすい。
また、過去にブログの管理ページから投稿した記事のデータを一括取得できるのも便利だ。私がこれまで、書いてきた200余の記事も、1分程度でココログのサーバーから入手できた。
(「マイ・ブログ」は、1回の操作で取得できるのは、1回分の記事だけなので、記事が200あれば、200回操作が必要で、気が遠くなる。)

ブログ関係の機能は、前バージョンから特に変化はないようなので、この機能だけが使いたい人は、低価格の入手できるなら前バージョンの「ホームページ・ビルダー10」でも、十分だろう。

今年は、このHB11を武器に、より多くの人に読んでもらえる内容の伴った記事を一つでも多く書いていきたい。

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2007年1月 3日 (水)

言葉にして伝えることの大切さ(『男の復権』を読んで・その2)

昨日も取り上げた『男の復権』(池内ひろ美著、ダイヤモンド社)から、もう一つ。

男の復権―女は男を尊敬したい
男の復権―女は男を尊敬したい

「第2章 後悔しないための女の選びかた五箇条」の最後に「女の落とし方」との一文がある。ここには、手練手管を駆使して、どうやって女性を口説くかということが、書いてあるわけではない。正攻法が書いてある。

あなたが好む女を選ぶことができたら、彼女にその気持ちを伝えたくなる。
さて、どうしたらいいか。
多くの男性はここで悩んだあげく、彼女に嫌われたくないと思うあまり、気を遣いすぎる。
大切なのは、「嫌われないこと」ではなく「好かれる」ことである。
まずは、あなたが彼女に好意を持っていることを伝えよう。(中略)
いずれにせよ、あなたの気持ちは言葉にしなければ伝わらない。伝えることが大切だ。一人前のまともな女であれば、あたたが伝えた言葉を理解して答えを出すことができる。その答えを聞いてから、進むか引くかを決めればいい。
愛情を伝えることを怖がらなくていい。好きだと思ったらまっすぐに伝えて、頑張れ。
(『男の復権』49~50ページより)

” 大切なのは、「嫌われないこと」ではなく「好かれる」こと”、”あなたの気持ちは言葉にしなければ伝わらない”というのは、その通りだと思う。しかし、それは40代になって実感すること。

言葉にして伝えた結果、ダメだったこともある。しかし、それ以上に、嫌われたくないあまり、言い出せないまま、終わってしまった想いがどれだけあることだろう。あの時、言葉にしていれば、結果はどうだったのか?過去に遡って、解き明かしてみたいことではある。 意外に、相手も「憎からず思っていたのに、そう言ってくれなかったではないか」ということになるかも知れない。

とはいえ、「後悔先に立たず」であり、既に現在の生活を抱える大人たちにとって、「あの時、気持ちを伝えていれば…」との「if(イフ)」を問うて明らかにしてみたところで、何かが変わる訳でもない。

では、現在の我々にとって 言葉にして伝えることの意味は何か。著者は「大人の男になるための十箇条」の「第7条、「ありがとう」の言える男になれ」でも、言葉にして伝えることの重要性を強調する。

言葉にしなければ、伝わらないことがある。言葉はとても大切なものだ。
そんなことはない、気持ちがあるから大丈夫だよ、夫婦は以心伝心 だし、部下は推して知るべしだ。なぁんてことを信じていてはだめですよ。(以下省略)
(男の復権』20ページより)

当たり前のことだが、何も若い男女の恋愛感情に限らず、相手が誰であっても、何事も、言葉にして伝えなければ相手には伝わらない。しかし、親しければ親しいほど、それを忘れてしまう。過去の苦い経験は、自分が生きているいま現在に活かしていくしかない。

自分の周りの人々に、いろいろなことをキチンと言葉にして伝えていけるか、これは何歳(いくつ)になっても、簡単そうで、難しいことの一つだと思う。1年の計の5つめの目標に加えるべきことかもしれない。

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2007年1月 2日 (火)

『男の復権』(池内ひろ美著)を読んで

年末に『男の復権』(池内ひろ美著、ダイヤモンド社)を読んだ。サブタイトルは、”女は男を尊敬したい”とある。職場の近くの書店で、昼休みに見つけ、奥書に1961年生まれとあるのを見て、自分と同世代の女性が、男のあり方をどう見ているのかを知りたくて、購入した。

男の復権―女は男を尊敬したい
男の復権―女は男を尊敬したい

著者の池内ひろ美さんは、1997年に、「東京家族ラボ」という組織?を主宰し、家族の問題についての相談に応じており、特に、夫婦の問題、離婚相談等を手がけている。自身、22歳で結婚し32歳で離婚、37歳で再婚している。(ホームページ、ブログのプロフィールによる)

第1章が「大人の男になるための十箇条」、第2章が「後悔しないための女の選び方五箇条」となっている。第1章では、大人の女から見た尊敬できる「大人の男」像が語られる。一方、そのためには、一生の伴侶となる妻にどんな女性を選ぶかで、男の人生も大きく変わっていくということで、女を選ぶ時に気をつけることが語られる。見方を変えれば、女から見た「大人の女」像であろう。

「大人の男になるための十箇条」は、

第1条、男の立ち姿は美しくあってほしい
第2条、コミュニケーションに媚びないで
第3条、しっかり大地を踏みしめて歩け
第4条、返事とお辞儀を正しくしよう
第5条、やっぱりお洒落ででいてほしい
第6条、ちょいモテおやじに憧れるな
第7条、「ありがとう」と言える男になれ
第8条、目指すのは優しさより親切であれ
第9条、父親を尊敬する男であれ
第10条、男なら正義を背負って生きよう 

「後悔しないための女の選び方五箇条」は、

まず、「悪妻は百年の不作」と述べた上で
第1条、笑顔のかわいい女を選べ
第2条、言葉づかいのいい女を選べ
第3条、センスのいい女を選べ
第4条、はたらく女を選べ
第5条、母親と似た女を選べ
の5箇条をあげ、
最後に「女の落とし方」という一文で締めくくっている。

全てを紹介すると、終わらなくなってしまうので、私が特に印象に残っている部分を選んで紹介することにしたい。

男の方では、「第8条、目指すのは優しさより親切であれ」から

(女性が求める「優しい人」が、えてして「私だけに」優しい人であるとの前置きに続き)優しさを渡したり受け取ったりする作業は、とても主観的であるがゆえに奇妙な思いこみを呼びやすい性質があると知っておこう。主観的で独りよがりの優しさより、求められるのは、客観的に親切であること。親切を行うのは、優しさよりも少し高度である。そこには、相手に対する想像力が必要だ。相手が今、何を欲しているのか想像してキャッチする能力が不可欠だ。(中略)その人の価値観がどこにあるのか。その人の五感は何を欲しているか。(中略)多くの「かもしれない」可能性を想像したうえで、相手の望むものを渡してあげることができるのが親切な大人である。(『男の復権』23~24ページより)

女の方では、「第4条、はたらく女を選べ」から

はたらく女というのは、なにも外へ出て仕事をする女という意味ではない。(中略)家の外であっても中であってもはたらく女がいい。気働きと表現を変えたらわかりやすいだろうか。(彼女が気働きのできる女性かどうかを見極める例として、バーベキュー大会を開くことにした際の彼女の反応・発言を幾通りか例示し、彼女の反応や発言の意味を考え、受け止めることを求めた上で、)何かを行うときには、必ず「役割」がある。なんらかの役割を引き受ける人は他の場面でも異なる役割を引き受けることができる。(中略)何も役割を引き受けない女というのは、家族になったとき、「妻」や「母」といった新たな役割を引き受けることのできない女である。彼女はそういう人だと認識しよう。(後略)(『男の復権』44~46ページより)

著者は、男に対しても、女に対しても、厳しい眼差しを向けている。見た目のカッコよさでなく、中身のカッコよさ・素晴らしさで勝負できる大人の男(そして女)が増えて欲しいというメッセージであろう。私の拙い要約では、うまく全体像が伝えきれないが、この一文を読んで、多少なりとも関心を持たれた方(特に40代)には、男女問わず一読をお勧めしたい。

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2007年1月 1日 (月)

1年の計は元旦にあり、今年の目標は…

今日から2007年。高校受験を控える娘がいるため、今年は、特に出かける予定もなく、家で過ごす。昨年末は、結局、遅れ遅れになってしまった年賀状作りを29日にやっと終える。昨日の大晦日は、やり残していた和室の障子の張り替えや、普段あまり目が届かない壁の高いところや天井のすす払いなどで1日が終わった。

年頭にあたり、月並みだが「1年の計は元旦にあり」ということで、今年の抱負を整理しておきたい。

仕事では、今の自分の職場を少しでも活性化していきたい。どこの会社にも、完璧な職場などないと思うし、社会全体の風潮でもあるかも知れないが、今の職場にはどこか「給料並の仕事さえしていればいい」「自分さえ良ければいい」という雰囲気が漂っているような気がする。働いている人、それぞれが、いい意味での緊張感を持って、日々働いている職場にしたい。特別な権限を持っているわけではないので、個人でできることには、限界もあるが、これまで学んできたものを活かして、何ができるのか、自分なりに考えながらやっていきたい。

家庭では、転機を迎えた我が家族が上手く、新しい生活になじんでいけることが最大の課題だ。3年おきに、3人の子が生まれたが、それぞれ成長し、今年の春に長女が大学進学(昨年AO入試で進学先は決定済)、次女の高校受験、長男の中学進学が一度に重なる。次女は公立高校第一志望、長男は地元の公立中学に進学させる。ということで、3人同時に上級学校へ進学するとはいえ、我が家のこの春の最大の関心事は、次女の受験の正否である。私自身がサポートできることは、限られるが、なんとか家族全体でサポートし、次女自身の第一志望に合格をさせてやりたい。受験の苦労は、次女だけだが、4月以降、新しい環境になじんでいかなければいけないのは、3人に共通の問題である。特に、これまでの親の躾けが至らなかったこともあり、特に長女と長男は、朝きちんと起きられない。なんとか、朝、定時に起きる習慣をつけることを、今年こそは実現させたい。

仕事・家族を離れた個人としては、ホームページを立ち上げたい。ブログを書き始めて2月下旬で丸1年。記事も200以上になっている。その関心事や読んだ本などについて書き連ねてきた。ココログでは、記事の内容に応じたカテゴリ分けができるが、毎日、統一された一定の基準で区分できているかというと自信がない。また、これまでに書いた200余の記事は全て、ココログのサービスを行うニフティのサーバーの中に保存されている。万が一、ニフティのサーバーが壊れたら、全部消えてなくなってしまう。そのリスクを回避する意味でも、ココログのサーバーから、これまでの全記事をダウンロードし、テーマ毎にを統一感を持って再編集し、改めてプロバイダーのホームページ用のスペースにアップロードして、ホームページを作りたい。
現在、使っているブログ管理用ソフト「マイ・ブログ」は、新たに記事を作成する時、過去の記事の1つを選んで、ダウンロードし再編集することはできるが、過去の記事を一括してダウンロードすることは、できない。ホーム・ページ作成ソフト定番「ホームページ・ビルダー」は、一括ダウンロード機能があるようなので、その機能を使いたくて最新版の「ホームページ・ビルダー11」を注文した。

もう一つ、忘れてないけないのは、ウオーキング減量作戦の継続である。11月時点で、足踏み状態になっていることを一度書いたが、お恥ずかしながら12月は、忘年会シーズンでもあり、通常より外で飲み食いする機会も多く、大晦日の朝は69.3kg、今朝、元旦はなんと70.3kgと当面の目標の65kgから遠のくばかり。改めて、2007年こそ、減量を実現させたい。

以上、4つが、ささやかながら、今年の年頭にあったての私の「1年の計」である。

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