竹橋-飯田橋間を歩きコンティンジェンシープランを実践する
今日から2週間ほど、神田錦町で仕事。朝は、地下鉄東西線の竹橋駅で降り、気象庁を横目に、北に少し歩く。
仕事が終わり、今日は少し長く歩こうと地図を片手に歩き出す。神田錦町を北に歩けば、神保町界隈、三省堂本社ビルなど新刊書、古書を扱う書店が軒を連ねる。
本屋にいれば退屈しない私としては、どこに寄ろうか悩むところだが、今日は岩波書店のビルの1階の書店に入った。ここで、「ゲド戦記」シリーズの邦訳をした清水真砂子さんの講演をまとめた岩波ブックレット『「ゲド戦記」の世界』を購入。
飯田橋まで歩くことにして、専修大学の横を通り、首都高速をくぐり、JRグループのホテルエドモントの明かりが見えたところで飯田橋についた。
(横道にそれる話になるが、いま「エドモント」と入力し変換しようとしたら、うまく行かず、江戸とか門とかが出てきた。このホテルは、建てられて20年くらいになると思うが、ひょっとすると名前は「江戸門戸」とか「江戸門都」、あるいは「江戸門徒」といった言葉から連想されたのかも知れない。これまで思いもしなかったが…)
閑話休題。これまで、通勤に使う地下鉄東西線の経路を機会を見つけては歩いているが、日本橋近辺にある職場から竹橋までは、仕事の帰りに何度も歩いているし(日本橋-竹橋)、以前、飯田橋で仕事があった時には、飯田橋から高田馬場まで1時間ほどかけて歩いたことがある(飯田橋-高田馬場)。今日、竹橋から飯田橋まで歩いたことで、隙間を埋めたことになり、日本橋-竹橋-飯田橋-高田馬場というルートを歩いたことになる。通しで歩くと2時間から2時間半というところだろうか。
歩くのは、減量が最大の目的だが、もう一つ、地震があった場合に歩いて自宅まで帰れるようにという自分なりのコンティンジェンシープラン(=緊急時対応計画)の準備でもある。地震など起きて欲しくないが、万が一起きた時、地図がいつも手元にあるとも限らない。何もなければ、自分の頭の中にある地図だけが頼りだ。
高田馬場までは、せいぜい3分の1。高田馬場から残り3分の2は新青梅街道になるのだが、高田馬場から新青梅街道に出る道は、まだ未踏破であり、また機会を見つけて歩かねばならない。
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