『一瞬の風になれ』(佐藤多佳子著)(2)ヨウイ
『一瞬の風になれ』の第二部ヨウイを読み終る。.
主人公新二は、1年生から2年生に進級する。サッカーで超高校級兄健一は、Jリーグの強豪ジュビロ磐田のサテライト入りが決まる。その健一が、新二に陸上用の新しいスパイクを買ってくれるところから、第二部ヨウイは始まる。
常に新二の中には、サッカーのスパースターである兄健一への憧れとコンプレックスが、ないまぜになっていて、その想いというのが、この第二部のもう一つのテーマになっている。
中学から大学まで陸上をやってきた私にとって、そこここに、そうだよな、こんなことって必ずあるよねーという話が織り込まれていて、うなずいたり、涙ぐんだりしながら読んでいるのだが、その中でも、新二の1年先輩の部長だった守屋が、インターハイ予選が終わって、引退を前に新二に後を託す時の言葉を紹介したい。
「二年になる前の春合宿で鷲谷(高)の大塚先生が言ってたんだ。部が選手を育てるんだぞって。いい選手といい指導者がいても、まわりに競い合ういい仲間がいないと、なかなか伸びないものだってな。部員同士が影響を与え合って、練習であいつがここまで頑張るなら俺もとか、試合であいつがここまでやれるなら俺もとか、相乗効果で全体がレベルアップしていくのが理想だって」
「突出した選手が低いレベルの環境に入っていくと、全体がいい選手にレベルアップしていくより、いい選手がまわりにあわせてレベルダウンしてしまうことの方が多い。大塚先生がみっちゃん(春野台高の陸上部顧問三輪先生のこと)と他の先生に話していたのをたまたま近くで聞いていて、その時は何とも思わなかったんだが、一ノ瀬がひょっこり入ってきて考えちまったよ。ウチの部は、あいつを育てられるんだろうかってね。春高の陸上部が一ノ瀬連をダメにしたなんてことになったらマズイなってさ」
「特に、部長になってからは、俺に何ができるんだろうって真剣に考えたね。ロング・スプリントでまだよかったけど、同じ短距離ブロックで、明らかに競技者として力が劣るわけだ。いくら俺が先輩でも、選手としての格が違う。こんな相手をぢう扱うんだって」
「結局、自分のできることをせいいっぱいやるしかないってあたりまえの結論に落ち着いたよ。一日、二日じゃない、毎日、毎日、三百六十五日だ。どんな日のどんな練習もおざなりにしない。どんな試合でもきちんと走る。毎日、ベスト更新だ。練習も試合も。気持ちだけはな。そうすれば、俺も選手として伸びるし、皆もついてきてくれるだろう。気まぐれな天才、一ノ瀬連でもだ」
「俺は、ただ、ここをいい場所にしたかったんだ。春高陸上部をな・・・。どんなすごい奴でも、力のない奴でも、堂々と受け入れて伸ばしてやれる場所。」
(『一瞬の風になれ』2、118~120ページ)
そして、守屋は、新二に「頼んだぞ、神谷」といって、部長職を託すのだ。
陸上は数値化されたタイムや記録で、その選手の力量が一目瞭然でわかってしまう世界だ。先輩後輩というの上下関係と、個人の力量は必ずしも一致しない。選手としての実力を持つ者が、リーダーとしてトップに立つのが望ましいが、実力のある選手が、リーダーシップやキャプテンシーを発揮できるとも限らない。また、ある学年の中では、一番実力があっても、下の学年にもっと力のある選手が入ってくることもよくあることである。
その時、上に立つリーダーや先輩がどうするべきか、守屋の答えは理想である。高校の時、自分も同じような立場になったが、守屋ほど、自分のできることをせいいっぱいやっていただろうかと考えると、恥ずかしい。
また、ここには、陸上の世界、スポーツの世界に限らず、人が育つ組織のあり方が描かれている。組織のメンバー一人一人が、ここをいい場所にしたいという思いを持つこと、そして素晴らしいリーダー・指導者だけでなく、切磋琢磨する仲間・ライバルがいることが、いかに大切か。
彼(彼女)が頑張っているから、彼(彼女)がこれだけやれるんだから、自分だってやれるはずだ、頑張れるはずだという仲間やライバルに恵まれたことは、誰でも一度や二度はあっただろう。その結果、自分自身が成長した経験も。
この小説が多くの人たちから支持されているのは、このような誰もが抱く思いを、うまく言葉にして、すくい上げているからだと思う。
『一瞬の風になれ』第三部ドンでは、いよいよ新二と連は3年生。4継(400mリレー)でインターハイ全国大会を目指す最後に夏がやって来る。
p>*関連記事
1月25日:陸上部の青春を描く『一瞬の風になれ』(佐藤多佳子著)(1)イチニツク
1月28日:『一瞬の風になれ』(佐藤多佳子著)(2)ヨウイ
1月31日:『一瞬の風になれ』(佐藤多佳子著)(3)ドン
4月7日:2007年本屋大賞、『一瞬の風になれ』(佐藤多佳子著)に決定
4月8日:佐藤多佳子さんが語る『一瞬の風になれ』執筆の舞台裏
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