高校同窓会、450の青春を思う
昨日は、東京地区の高校の同窓会があり、15名ほどが集まった。同級生の一人が、自宅を会場に提供してくれて、時間を気にせずにやれるのがありがたい。
私が卒業したのは、地方の県立高校で、学年の定員が450名。そのうち、現在、東京、神奈川、埼玉、千葉の1都3県に40~50名は住んでいるだろうか。数年前に、集まりだした頃は、6~7名ということも多かったが、人数が増えるに連れ、連絡先も分かるようになり、徐々に参加者も増えている。
今回は、幹事から、参加者に自分の高校3年間について、語るようにと言われてパワーポイントのシートが送られてきたので、書いて送り返す。結局、提出したのは6名だけだったが、ほろ酔い加減で、呂律がちゃんと回っているのか、怪しい口調で、自分の3年間を簡単に話す。
他の5人のシートを見ながら、話を聞いたが、同じ学校で、同じ3年間を過ぎしても、何を1枚のシートに書きこみ、何を語るかは人それぞれ。
勉強のこと、クラブのこと、恋愛のこと、クラスでの行事のこと。何に力を尽くし、何がが印象に残っていることなのかも、全然違う。
そして、卒業後は、それぞれの道を歩み、もう少しで30年が経つ。3年間450人の生き方の線が高校という1つ枠の中で束ねられ、またそれぞれに離れていく。そして、25年ぐらいたって、またその線の何本かは、こうやって東京でクロスしている。
高校時代、話したことのなかった人と、同窓会であって初めて話すこともある。いや、むしろそちらの方が多い。
高校という同じ枠の中にいてもクロスしなかった線が、今になって同窓会でクロスするのも、これはこれで新しい発見があり、面白い。
同窓会に出るか出ないかは、本人の自由だから、会が開かれるのを知っていて、予定も空いているのに出ないという選択をする人もいるかも知れない。その人は、一度離れた線をもう一度、クロスさせることを、自ら拒み避けたということだろう。裏返せば、出席した人は、自ら線をクロスさせることを求めたといえる。
私は、出るからには、単なる昔を懐かしんで、昔語りをするだけの会には終わらせたくない。自分にとっても、相手にとっても、明日につながる、出会い、再会にしたいと思っている。
昨日は、ちょっと飲み過ぎて、後半あまり語れなかったような気もするけれど…。
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