« 2007年1月 | トップページ | 2007年3月 »

2007年2月の記事

2007年2月28日 (水)

中年期の夢と振り返り、『リーダーシップの旅』(野田智義・金井壽宏著)から

『リーダーシップの旅』(野田智義・金井壽宏著、光文社新書)7割ほど読んだ。今日読んだ部分で、まさに私にブログの本来のテーマに合致する部分があったので、取り上げておきたい。

リーダーシップの旅   見えないものを見る (光文社新書)

中年期における夢の意義を論じている部分である。

中年がある時期、立ち止まり、自らの来し方を振り返ることには意味がある。三十代半ばから四十代は、「人生の正午」に当たる。学校を出て働き始めて二十年近くが過ぎ、定年を迎えるまでまだ二十年少しを残している。十分に経験を積み、現実もそんなに甘くないことは分かっている。そのぐらいの年齢で、自分は本当に何を実現したかったのかを考え直す意味は非常に大きいのではないだろうか。(中略)
今なぜ仕事をしているのか、その会社や組織で働くことにどういう意味があるのか、自分のいる場所にとどまり、会社や組織、社会に対しても貢献できて、そして何より自分が生きいきできる夢とは何なのかを、考えることもできるのではないか。とどまって挑戦する。精一杯やって、どうしても駄目だったら、別の場所を考え始めればいいのではないだろうか。そう私は、強く、とても強く信じている。中年の夢は、自分と真剣に向かい合い、よりよく生きるためのガイド役になりうる。
だだ、そうかといって、中年の夢が、神の啓示の如く、非連続に突如降りてくるというわけでもないだろう。むしろ今まで生きてきた自分、自分が無意識にしても大切にしてきた自分との連続線上に、夢が浮かび上がってくるものだと考えられる。
(『リーダーシップの旅』161~162ページ、野田智義氏の語り)

中年期のある時期、なにがしかの理由があって、立ち止まらざるを得なくなるのが「中年クライシス」だろう。
病気や怪我、何らかの挫折、このまま自分の人生を終えていいのかというむなしい思い、それらのどれかが、あるいはどれが原因でどれが結果かも分からないよう、ないまぜにまとめて襲ってくる。
その時、あわてず、焦らずに、自分の来し方を振り返り、自分の後ろにできた連続した一つの線を眺めてたどり直し、自分に今いる場所から先を見る。自分の後ろに続いてきた線の延長線上に、自分の未来を描き直す作業が必要なのだと思う。
その見直しの時に、必要になるのが、意識していたか、無意識かに関わらず、その人が大切にしてきた夢だという。若い頃の、世の中の現実も、自分の力量も分からず、荒唐無稽に描いた夢ではなく、社会に出て二十年余を経て、なお自分の中にある夢を見直して、その実現のために、残りの人生の生き方を考えるということであろう。それが描き直せ、その実現に向けて、自らの足で一歩踏み出した時、「中年クライシス」は終わりを告げるのではないだろうか。

生まれてから社会に出るまで二十年余、社会に出てから「人生の正午」に差し掛かるまで二十年余、次は、「人生の正午」から次の二十年余という新しい時代が始まるのだと思う。
さて、自分の夢は?と考えた時、このブログを書き始めた頃にも書いたが、それは、「ものを書く」ということだと思う。さて、いつ現実のものとできるか、そう思いながら、今日もブログを書いている。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年2月27日 (火)

言葉の力について

2、3日前から妻に読んだら面白いと言って勧められていた小冊子『ツキを呼ぶ魔法の言葉』(五日市剛さんの講演筆録)を読んだ。妻も、職場の同僚から勧められたらしい。

五日市剛さんという技術者の人が、2000年12月に知人宅で十数人ほどの人を前に話した話がテープ録音され広まり、さらにそのテープを聴いた安田さんという企業の経営者が感銘を受け、頒価400円の小冊子にしたというものだ。

話は、語り手の五日市さんが、26歳でイスラエルを旅行した時にあったおばあさんから聞いた話が、きっかけで、人生が大きく変わったという話である。

では、彼はイスラエルのおばあさんに何を言われたのか。大胆に要約すれば、次の通りだ。

ツキを呼び込む魔法の言葉がある、それは「ありがとう」と「感謝します」という言葉、それを嫌なことがあった時に使えば、不幸の連鎖が断ち切られ、逆に良いことが起きると言われる。また、「バカヤロー」とか「てめ~」などという汚い言葉は使わない、人の悪口を言わない。汚い言葉を使う人は汚い人生を歩むし、人の悪口を言えばツキが逃げていく。

小冊子には、五日市さんが、素直におばあさんの言葉を実践した結果、その後の人生がどう変わったのか、彼の周りで起きた信じられないようなエピソードが語られていて、それぞれ、読み応えのある面白い話ではあるが、それを全部書いているときりがないので、ここでは割愛する。

なーんだ、当たり前のことじゃないかという声が聞こえてきそうな気もするが、人の悪口を言わず、汚い言葉を使わないということは、日常生活では難しい気がする。サラリーマンであれば、つい嫌な上司の悪口を言ってしまったことが無いなどという人は、皆無だろう。

しかし、立場を変えて、人がいう悪口を聞く立場に回ると、あまりいい気はしない。いくら仕事の能力がある人でも、そういう人とは一緒に仕事はしたくないと思ってしまう。逆に、ちょっとしたことでも、「ありがとう」と言ってくれる人のは、また何かあった時、手伝ってみようかという気になってくる。「言葉の力」は侮れない。そういう小さなことの積み重ねの差が、最後にはツキと鳴って現れるのではないだろうか。

小さなことでも、「ありがとう」と敢えて心がけるようにしてみようと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年2月26日 (月)

私の2.26、ブログ開設1周年

このブログ「栄枯盛衰・前途洋洋」を書き始めて、今日で、1周年を迎えた。

1年前の2006年2月26日の日曜日に、すでにニフティの会員だったこともあって、ニフティが運営するブログサービス「ココログ」に入会した。
昨日までで、総アクセス件数が、38000余。4万件も目前だ。訪問して、読んでくださった方、本当にありがとうございます。

画面のデザインは、最初の頃は、ココログが用意しているお仕着せのテンプレート使いを月1回サイクルで変更していたが、昨年の6月に、初めて自作のデザインを使った。それ以降、基本は春夏秋冬の3ヵ月サイクルで、季節に応じたデザインにしている。
トップに持ってくる写真は、これまでに自分が全国各地で撮った写真から選んでいる。地の色も、カラーコーディネートの本を参考にして、それぞれの季節らしい色使いにしているつもりだ。現在の春バージョンは、自分でも気に入っている方で、少し長めに使おうかと思っている。

ブログを1年書き続けて思うことは、このブログは、自分にとって日記であり、この1年の生活の記録だということである。今、1年前の記事を振り返ってみれば、その時何を考えていたか、何があったかの記録になっている。
振り返れば、中学校で思い立って日記を書き始め、高校、大学、社会人とずっと日記を書いていた。夜、机に座り、大学ノートを広げ、万年筆で、1日の出来事や、自分に気持ちを書き記すことを10年以上続けたことになる。社会人になってからは、かなり頻度も減り、結婚してからは、仕事に加え、子育てもあり、自然と書く機会がなくなり遠ざかっていた。

3人の子がそれなりに育ち、親としても自分の時間も確保できるようになった。そんな時、思ったのは、自分の考えてきたことを少しは整理して、残しておきたいということでもあった。
私は、父を自分が27歳の時に、亡くした。当時父は57歳。私自身も父親になり、これからいろいろと聞きたいという時に、父は亡くなった。自分もあと、10年余で、父親が亡くなった年齢に達する。
こうやって、ブログに書いておけば、何かの折に、子ども達が読んで、自分の父親はこんなことを考えているのかと、いたのかという題材にもなるかもしれないという思いもあった。

一方、日記とブログの違いもある。日記は、自分にために書くものであり、人に見せるものではない。ブログは、人に読んでもらうことが、前提となっている媒体だ。書き残すだけなら、日記でもいいのに、なぜブログを選んだのか?
それは、年齢のせいもあるのではないかと思う。若い頃は、とにかく、自分が大事である。自分がいったい何者であるのか?自分はどう生きるべきなのか?自分の恋は成就するのか?全て、自分軸で考えていたと思う。
しかし、人生も折り返しを過ぎたと思う今となっては、自分の事ばかり心配しているわけにもいかない。次の世代に何かを伝える責任があるのだろうと思う。一方、自分の生きた証しを残したいという思いもあるだろう。これまでは、そう思っても、一個人にそんな場が提供されることはなかった。
今は、ネット社会の進歩のおかげで、ブログという選択肢が提供され、希望すれば、極めて安いコストで利用することができる。この時代に巡り合わせたのは、幸運と言うべきだろう。

しかし、ブログという形式は、毎日書き続けるためには、ひじょうにうまく作られているが、基本は毎日流れ過ぎていくものであり、読み返すためには、必ずしも使いやすいとは言えない。

ブログに書き連ねた事を整理して、まとめれば、もう少し、まとまりがあり、読みやすいものになるのではないかと言う気がして、ブログを整理して、再構成するためにホームページを作りたいというのが、年頭の1年の計の一つである。
ホームページの方は、一から作らなければ行けないので、少し時間をかけて考えたいと思っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月25日 (日)

何を読んでいるのか、私の読書について

昨日の同窓会で、私のブログを読んでくれている同級生から、「どんな本を読んでいるのか、何冊くらい読んでいるのか」という質問を受けて、その場で、答えたものの、うまく答えきれなかったような気もするし、ちょうど、このブログを書き出して、今日が365日めでもあるので、一度、私の読書について、まとめてみることにする。

関心を持っているテーマはいくつかある。
①歴史に関するもの
②心に関するもの
③組織やマネジメントに関するもの
④IT技術やネット社会に関するもの
⑤ファンタジー、児童文学に関するもの
⑥色彩に関すること
⑦好きな作家(宮本輝)の作品
が常に関心を持っているテーマといえるだろう。

加えて、その時々に話題になったものや、関心を持ったことについて集中的に読むことがある。今回、韓国ドラマの『私の名前はキム・サムスン』を見て面白かったでの、その原作本を読むなどである。

①の「歴史に関するもの」は、主に歴史をテーマにした新書が中心だが、歴史小説も読む。洋の東西を問わないが、比較的好きな分野は中国史全般と日本史では奈良時代までの古代史である。最近では『楊家将』やその続編の『血涙』などである。

②の「心に関するもの」は狭くとらえれば心理学・精神医学といった分野であるが、純粋の専門書というよりは、心理学者や精神医学者のエッセイが中心だ。昨年、倒れられた河合隼雄前文化庁長官の著作は愛読書だった。

③の「組織やマネジメントに関するもの」は、かなり範囲が広い。仕事に直結する話ではあるが、人はどうしたら気持ちよく働けるのか、どんな組織なら人は生き生きと働くのか、というあたりが、最も関心の高いところだ。これは、結果的に②の心の問題とも重なる部分が出てくることも多い。

④の「IT技術やネット社会に関するもの」は、今後の生活や社会の変化を考える上で、重要だと思うので、面白そうなものが出た時は、見繕って読んでいる。代表的なものは『ウェブ進化論』
だろう。

⑤の「ファンタジー、児童文学に関するもの」は、ファンタジーや児童文学が、時として、人の心を表すものと言われることから、読んでいる。

⑥の「色彩」に関するものは、いつも読んでいるわけではないが、やはり「色」が、人に与える影響、色の心理的効果に興味がある。

⑦ほぼ、全作品を網羅的に読んでいるのは、宮本輝くらいだと思う。物語の作り方のうまさに、いつもその物語世界にどっぷり浸って読んでいる。ブログを書き出してから以降、あまり新作も出ていないと思うので、直接ブログで取り上げたことはないと思う。

読む場所は、主に通勤電車の中である。片道、ほぼ1時間の通勤時間のうち、45分くらいは、電車の中なので、出勤時と帰宅時をフルに読書に充てれば、計1時間半は読める。200ページぐらいの新書なら、難解なものでなければ、2日半か3日で1冊というところだろうか。

最低でも2日に1回は、どこかで本屋に寄って、新書や文庫の新刊は平積みの表紙だけでも、眺めるようにしている。

自分の読書の基本は、「謎解き」にあると思っている。分からないことがあると、よくわかるようになりたい。仕組みを理解したい。社会や経済の「現在」の謎解きを「歴史」に求め、自分の行動や気持ちの謎解きを「心理学」や「精神医学」に求める。ブログのプロフィールに書いたストレングス・ファインダーの5つの強みの最初に書いてあるの「原点思考(CONTEXT)」の実践だと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高校同窓会、450の青春を思う

昨日は、東京地区の高校の同窓会があり、15名ほどが集まった。同級生の一人が、自宅を会場に提供してくれて、時間を気にせずにやれるのがありがたい。

私が卒業したのは、地方の県立高校で、学年の定員が450名。そのうち、現在、東京、神奈川、埼玉、千葉の1都3県に40~50名は住んでいるだろうか。数年前に、集まりだした頃は、6~7名ということも多かったが、人数が増えるに連れ、連絡先も分かるようになり、徐々に参加者も増えている。

今回は、幹事から、参加者に自分の高校3年間について、語るようにと言われてパワーポイントのシートが送られてきたので、書いて送り返す。結局、提出したのは6名だけだったが、ほろ酔い加減で、呂律がちゃんと回っているのか、怪しい口調で、自分の3年間を簡単に話す。

他の5人のシートを見ながら、話を聞いたが、同じ学校で、同じ3年間を過ぎしても、何を1枚のシートに書きこみ、何を語るかは人それぞれ。
勉強のこと、クラブのこと、恋愛のこと、クラスでの行事のこと。何に力を尽くし、何がが印象に残っていることなのかも、全然違う。

そして、卒業後は、それぞれの道を歩み、もう少しで30年が経つ。3年間450人の生き方の線が高校という1つ枠の中で束ねられ、またそれぞれに離れていく。そして、25年ぐらいたって、またその線の何本かは、こうやって東京でクロスしている。
高校時代、話したことのなかった人と、同窓会であって初めて話すこともある。いや、むしろそちらの方が多い。
高校という同じ枠の中にいてもクロスしなかった線が、今になって同窓会でクロスするのも、これはこれで新しい発見があり、面白い。

同窓会に出るか出ないかは、本人の自由だから、会が開かれるのを知っていて、予定も空いているのに出ないという選択をする人もいるかも知れない。その人は、一度離れた線をもう一度、クロスさせることを、自ら拒み避けたということだろう。裏返せば、出席した人は、自ら線をクロスさせることを求めたといえる。

私は、出るからには、単なる昔を懐かしんで、昔語りをするだけの会には終わらせたくない。自分にとっても、相手にとっても、明日につながる、出会い、再会にしたいと思っている。
昨日は、ちょっと飲み過ぎて、後半あまり語れなかったような気もするけれど…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月24日 (土)

減量作戦、油断大敵

昨年の秋には、このブログに自らの減量・ダイエットの事を書いていたが、最近、全然書けていない。なぜなら、書けるだけの進歩がないのだ。むしろ後退している。

今でも、歩数計をつけ、できる限り1日1万歩歩くようにはしているのだが、一時68kg台前半まで減り67kg台はすぐそこという感じだったのが、いくら暖冬とはいえ、冬が来て寒くなったことで、朝、早起きができなくなり、出勤前に行っていた15分程のウォーキングが中断してしまった。

それもあってか、体重も減らなくなり、成果が出ないっと節制も続かないという悪循環に入ったところで、年末年始を迎え、飲み過ぎ、食べ過ぎとなり、とうとう70kg台に戻ってしまった。去年に夏、減量を決意した時の体重71kgも目前である。

そうは言っても、浮世の義理で、飲み会があれば、出ないわけにも行かず、出ればつい飲んで食べてしまう。これから1週間に、飲み会が集中していて、正直、危ない状況だ。

3月からは、新規まき直しで、減量作戦を再展開したいと決意を新たにしている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月23日 (金)

品川駅の変貌

今日は、夜、友人と飲む約束があり、品川へ行った。店の予約が午後7時だったので、職場に近い人形町駅で都営地下鉄浅草線から京浜急行に乗り入れる列車に乗り、、6時40分頃品川に着いた。

店は、港南口にあるビルの1階。京浜急行の出入り口とは反対側なので、JRの線路を跨いで架かる通路を反対側へと歩く。港南口から、こちらに向かって来る人の多さには驚くばかりだ。まるで、どこかの神社に初詣に行ったよう。人、人、人…人の波が押し寄せてくる。

もう10年以上前、1994~95年頃、仕事で、品川の港南口に来ていたが、その頃は、品川といえば京浜急行の出入口がある高輪口(西口)がメインで、港南口は殺風景で何もなかった。
駅自体も、新幹線の停車駅となって大きくなり、港南口には高層ビルが建ち並び、駅との間は長くて広い屋根付きペデストリアンデッキがつないでいる。
屏風のように立ち並ぶ、高層ビル群は、海風を遮り、東京のヒートアイランド現象に拍車をかけたとも言われる。

わずか10年余でこの変貌ぶりだ。これから10年先、品川だけでなく、東京という街がどこでどう変わっていくか、想像を絶する事ばかりであろう。
目の前にある現実だけを所与のものとして考えるのではなく、その先にある未来をどう予測しながら生きていくのか、東京で生活する限り、常に考えていくことが求められていると思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月22日 (木)

『リーダーシップの旅』(野田智義・金井壽宏著)を読み始める

昨日から、光文社新書の2月の新刊『リーダーシップの旅』(野田智義・金井壽宏著)を読み始める。

リーダーシップの旅   見えないものを見る (光文社新書)

著者のうち、野田智義氏は1959年生まれで、NPO法人ISL(Institute for Strategic Leadership)というリーダーシップの塾を主催する経営学者。
一方の金井壽宏氏は1954年生まれで、現在神戸大学大学院で教鞭をとる経営学者であり、経営管理や組織行動が専門で、著書も多い。私は、昨年、金井さんの書いた『働くひとのためのキャリア・デザイン』(PHP新書)を読み、目から鱗の落ちる思いがした。(詳細は、2006年5月2日:「自分のためのキャリア・デザインを考える」を参照下さい))

本書は、野田氏の考えを広く知ってもらうため、金井氏が聞き手となる形で、対談し、その内容を再構成して、新書にまとめたものである。サブタイトルとして「見えないものを見る」とある。

リーダーになるのは、すごい人、特別な人で、自分には無理だし、縁がないと思っている人に対して、もともとリーダーに相応しい人がいて、その人がリーダーの仕事をするということではなくて、最初は、あることをやろうと思い立ち、自ら一歩踏み出すことがはじまりで、最初からリーダーだったわけではない、あることやり遂げることでリーダーになると言うのが、野田氏の主張である。上手く、要約できないので、少し本文から引用してみる。

リーダーシップは「見えないもの」を見る旅だ。ある人が、「見えないもの」、つまり現在、現実には存在せず、多くの人がビジョンや理想と呼ぶようなものを見る、もしくは見ようとする。そして、その人は行動を起こす。世の中ではよく、リーダーはついてくる人(フォロワー)を率いる、リーダーシップはフォロワーを前提とするなどと言われるが、私はそうは思わない。旅はたった一人で始まる。
フォロワーは旅の途中で現れる。リーダーと出会い、一緒に旅をする。しかも、この時点で、しばしばリーダーは自分のリーダーシップには気づかない。見たいものを見、やりたいことをやり、自身が描く目標に向かって歩いているだけで、自分がリーダーシップを発揮しているとは意識しない。リーダーとフォロワーが、実現したい何かに向かって、ともに旅という時間と空間を過ごすプロセスで、お互いの共振関係が生じる。決して、一方的な関係ではなく、相互の影響がそこにはある。その中で、リーダーが見る「見えないもの」がフォロワーにも共感され、いつしかフォロワーの目にも「見えないもの」が見え始める。そんなリーダーの行動がフォロワーに向けて醸し出す「フェロモン」と、フォロワーがリーダーに感じる賞賛によって、リーダーシップは結果として成立する。リーダーは、リーダーになろうと思ってなったわけではなく、「結果として」リーダーに「なる」のだ。
(『リーダーシップの旅』21~22ページ)

「見えないも」のを見て、それを実現しようと行動を起こすことから、リーダーの第一歩なのだ。これは、身の回りにもいくらでもある題材であろう。「こうすれば、もっとよくなるのに」と思った時、行動に移せるか、それに共感し、一緒に行動してくれる仲間がいれば、それはリーダーへの一歩だろう。

自らを語り、自らの夢を語ることで、人が動いてくれるかが、リーダーシップということであろう。他の、リーダーシップ論との比較も面白いだろう。読み終わったところで、改めて、考えたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月21日 (水)

1日200アクセスの連続記録ひと休み

昨日2月20日のこのブログへの総アクセス数は186件で、2月2日から続いて来た1日200アクセス以上の連続記録がいったん途絶えた。

2月10日(土)には、1日400アクセス寸前の395アクセスに達し、最高記録を更新したし、さらに10日からの3連休では、3日連続で300アクセスを超えた。2月に入ってから、全体的にアクセスが増えている。訪問したくれた方、ありがとうございます。

アクセス数が増えた最大の要因は将棋に関する記事である。2月に入り、将棋の順位戦最終局前の1局となり、名人挑戦者や昇級者・降級者争いが絞られてきたので、それをテーマに記事を書いた。将棋のタイトルホルダーながら、ブログを開設している棋士の渡辺明竜王のブログの関連記事にトラックバックしたところ、竜王のブログ経由で訪問してくれる方がたくさんいて、一気にアクセスが増えた。
とはいえ、さすがに、順位戦の話も鮮度が落ち、今でも訪問してる方はいるが、一時よりは数は減っている。これは、やむを得ないことだろう。
この後も、将棋に関する話題は、タイトル戦の挑戦者決定やタイトル戦の終了しタイトルホルダーが確定したりといった節目に記事を書いていくつもりだ。

もう一つは、書くジャンルが少しずつ広がっていることで、検索等で取り上げられる範囲が更に広がり、訪問してくれる方の裾野が広がっている感じがする。1日1件のアクセスの記事でも、10集まれば10アクセスになり、1日2件のアクセスの記事なら、10集まれば20アクセスになる。

歌人の松村由利子さんに関する記事については、1日少なくとも数件、多い時は累計で1日20件くらいはアクセスがある。その他『しゃばけ』シリーズに関する記事、『一瞬の風になれ』に関する記事などにも数件アクセスがある。
常に、新たなフィールドを開拓していくことは、新しい訪問者を獲得するためにも、必要だろう。

幸い、今日のアクセス数は、午後11時時点で220を超え、再び200アクセスを回復した。来週の月曜日2月26日には、いよいよブログ開設一周年を迎える。あまり、1日1日のアクセス数の増減に一喜一憂することなく、毎日、確実に積み重ねていきたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月20日 (火)

Windows Vista が来ない

マイクロソフトのOSは、この5年ほど、Windows XP(2001年11月発売)という時代が続いていたが、いよいよこの2007年1月30日に新世代OSともいえるWindows Vistaが登場した。
我が家には、パソコンが4台(自作デスクトップ3台、ノートパソコン1台)あって、1台を私が使い、残る3台を3人の子どもたちに1台ずつ使わせている。札幌へ単身赴任する前は3台だった。うち1台を私が札幌に持って行き、札幌赴任中に更に1台自作して、現在の4台のラインナップになった。OSは、ノートパソコンと自作機1台がWindowsXPで、残る2台ではもう1世代前のWindows2000を使っている。

Windows2000でも、特段、トラブルが起きているわけではないが、最近になってぼちぼとだが、Windows2000に対応しないアプリケーションソフトが現れだした。そもそも、本家本元のマイクロソフトの最新ブラウザインターネット・エクスプローラー7と最新の音楽再生ソフトウインドズ・メディア・プレーヤー10は、WindowsXP以降のOSでなければ使えない。更に、auの携帯電話に音楽を転送するLISMO用のソフトもWindows XP以降となっており、Windows2000はお呼びではない。

ということで、そろそろWindows XPにでも乗り換えるかと考えていたところ、Windows Vistaへのアップグレードプログラムが発表されたので、個人向けの上位バージョンであるWindows Vista HomePremiumに無償でアップグレード可能と書かれていたWindows XP Media Center Editionというバージョン(DSP版、OEM版))を、年末にフッロピーディスクドライブとあわせ、約13000円で購入した。

どうやってアップグレードの申込をするのかと思って説明書を見ると、なんと新OSのアップグレードの申込を受け付ける会社は、韓国を除くアジア地域では、シンガポールの会社が一手に行っており、インターネットでアップグレードの申込をした上で、別途製品に添付されたアップグレードの申込書と購入時のレシートのコピーして、シンガポールまで送らなければならない。
おまけに、受付から発送まで4週間程度かかるという。そして、無償アップグレードとはいうものの、配送料で1865円かかる。トータルでは、15,000円近くかかる。
慣れない英語で封筒に宛名を書いて、シンガポールまで送った。もう1ヵ月近く経つと思うが、まだWindows Vista Home Premiumは届かない。

2月に入ってパソコンショップの並んだ、Windows Vista Home PremiumのDSP版(OEM版)の価格表示はフッロピーディスクドライブとセットで15,000円台だった。あわてることはなかった。結局、マイクロソフトのWindowsXPの在庫処分に協力させられたということなのだろう。注文してしまった以上、あとは待つしかないが…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月19日 (月)

韓国ドラマ『私の名前はキム・サムスン』に関する本を読む

2月の3連休に見た韓国ドラマ『私の名前はキム・サムスン』が面白かったので、3冊ほど、このドラマに関する本を読んだ。

ドラマの原作本『私の名前はキム・サムスン』(チ・スヒョン著、ブックマン社)上下2冊と、『キム・ソナが案内する「私の名前はキム・サムスン」』(朝日新聞社)である。

後者は、ドラマの主演女優であるキム・ソナが長時間インタビューを受けて、全16話の撮影のエピソードなどを、1話ごとに語ったものだ。ドラマを見たものには、あの場面でそなエピソードがあったのかというような話が、ちりばめられていて、読んでいて飽きない。

また、後半は、この作品の出演を機に一気に人気がブレイクした共演者のヒョンビンのインタビュー、さらにキム・ユンチョル監督とキム・ソナ同席でのインタビュー、脚本家キム・ドウのインタビュー、最後に主演のキム・ソナが自らについて語る。

ここでは、監督と脚本家がこのドラマで何を描こうとしたのかについて、語ったところを紹介しておきたい。

・キム・ユンチョル監督(1966年生まれ)

韓国ドラマによくある”過剰さ”、とくに過剰なセンチメンタリズムというのは、たまにはいいと思います。しかし、個人的には大嫌いです。悲しみ、笑い、楽しさというものは強要されるものではなく、観客が自然に感じるべきものだと思います。だから、演出でも、俳優がわざとらしく飾るのはよくない、と。そういう意味では、このドラマは「センチメンタリズムの罠」にかからないように気をつけました。ドラマを通じて、そういう罠にかからないように頑張り、そのように表現できたと思います。
(『キム・ソナが案内する「私の名前はキム・サムスン」』152ページ)

簡単に言うと、この10年で社会情勢に大きな変化が起きたと思います。とくに、このドラマはいまの自由な社会を反映していると思います。俳優、監督、作家が望む望まないにかかわらず、ドラマというものは情勢と社会に影響されます、「サムスン」を例にあげると、これまでこんな女性を主人公にしたドラマはほとんどなかったのです。ということは、社会がそういう情勢を願っている、求めているのだと思います。
(『キム・ソナが案内する「私の名前はキム・サムスン」』153ページ)

・脚本家キム・ドウ

原作の前提枠(”契約恋愛”や”平凡な女性がお金持ちの御曹司とロマンスを作っていく”)があったので、そこから完全に離れることはできませんでした。でも、その枠を維持しながらも、その中で自由になろうと努力しました。それぞれのキャラクターや、キャラクターの関係、エピソードなど常にひねりを入れながら考えました。そして、”日常性”をもっと加えました。
私は、”日常性”があるキャラクターとエピソードが好きです。”日常性”は小さな話でも大きな効果を得られるという長所があり、それを描くのは私の得意分野でもあります。そんな小さなリアリティが具現化し、そして視聴者の共感を呼び起こしたと思います。
(『キム・ソナが案内する「私の名前はキム・サムスン」』160ページ)

女性が持っているあたたかさ、親密さ、思いやりの気持ち。そんなものが好きです。そして私自身、30代後半の平凡な女です。サムスンみたいなコンプレックスも持っています。
そういうわけで、この作品を通じ、何らかのメッセージを伝えようとしたというよりは(意図した部分もありますが)、ただ私の話、私のまわりの女性の話を書こうとしただけです。私が生きて感じることはほかの人々においてもかわらないと信じています。”普遍性”と表現したほうがいいでしょう。30代女性の”普遍性”が通じたのです。
(『キム・ソナが案内する「私の名前はキム・サムスン」』162ページ)

最後にインタビュアーから、このドラマの大人気の理由を問われた脚本家のキム・ドウさんは、「ただ、半歩先を行っていたこと!」というコメントで締めくくっている。

私は、韓国ドラマは、この『私の名前はキム・サムスン』以外は、『冬のソナタ』(札幌単身赴任中の全話見た)しか知らないので、韓国ドラマ全体を語る資格などないが、あれだけヒットし、確かに見る者の心を揺さぶる何かを秘めた『冬のソナタ』でさえ、そもそもの設定の不自然さ=リアリティのなさ、全編に流れるお涙頂戴式の情緒過剰なところは、気になるところであった。

監督と脚本家は、いわばそう言った従来の韓国ドラマのアンチテーゼとして、『私の名前はキム・サムスン』の脚本を書き、演出したようにも見える。

そして、主演女優のキム・ソナは、役作りのため8kgも体重を増やし、点滴を打ちながら演じたという。一方で、監督、脚本家から絶大な信頼を得た彼女は、劇中のいたるところで、アドリブを披露し、それが一層ドラマにリアリティを加えている。

時代の半歩先をいくことは、ドラマに限らず、仕事でも、自分自身の人生でも必要とされる事だろう。疲れた時は、ドラマ『私の名前はキム・サムスン』を見て笑い、時代の半歩先を見つめていきたい。

*韓国に関連する記事
2月13日:
韓国ドラマ『私の名前はキム・サムスン』を見る
2月14日:韓国について考える
2月19日:韓国ドラマ『私の名前はキム・サムスン』に関する本を読む
4月3日:NHKテレビのハングル講座に挑戦してみる

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月18日 (日)

雪のないまま吹いた東京の春一番、明日は「雨水(うすい)」

先週14日(水)のバレンタインデーに、関東から北陸、九州にかけて春一番が吹いた。

14日は低気圧に向かって南寄りの暖かい強風が吹き込む「春一番」が、午前中に九州、中国、北陸地方で、午後は近畿や四国、東海、関東で観測された。春一番は立春から春分の日の間に強い南寄りの風が吹き、気温が上がる現象。
(2月14日、NIKKEI NET)

関東では、東京より千葉の方が、風が強かったようだ。
この日は、夕方、家路についたが、通勤で使っている地下鉄東西線が強風のため遅れていた。荒川の上の鉄橋あたりで、強風に煽られたのかも知れない。
JR京葉線は、あまりの強風に運休したそうである。

去年の東京での春一番は、3月6日。ブログを始めたばかりで、ネタ探しに苦労していた私は、春一番をネタに記事を書いたのを思い出す。去年は、一昨年より11日遅いということだったが、今年は、去年より20日早いそうである。

極めつけは、次の記録。

東京都心は今冬、まだ初雪を観測しておらず、初雪前に春一番が吹くのは観測史上初めて
(2月14日、NIKKEI NET)

異例づくめ今年の春の天気という事だろう。

そして、明日2月19日は、二十四節気の「雨水(うすい)」。それまで降っていた雪が雨に変わる時節ということなのだが、そもそも、雪のないまま「雨水」を迎える東京は、観測史上初となる雪のない冬を終えることになりそうである。
「歴史の証人」になるかも知れないことを、よろこぶべきなのであろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月17日 (土)

生き方線

近づけど決して交わらざる思い人の心は放物線に似る
(松村由利子『薄荷色の朝に』40ページより)

放物線という表現が、思っている人に近寄れそうで、近寄れないもどかしい思いを表現しているように思う。

私も、昔から人の生き方って、一本の線のようなものではないかと思ってきた。日本だけでも1億人以上の人がいて、その中のほんの一握りの人と、学校や、職場や、地域、家庭で関わって生きている。しかし、未来永劫ずっと関わり続けるわけではない。

学生時代に親しくしていた友人とも、社会に出れば、別れ別れになる。それは、自分の人生、生き方という線が、学生時代にはその友人の描く人生、生き方の線と寄り添い、交わっていたものが、社会に出ると離れて別々になってしまうということだ。そのまま、離ればなれになりもう二度と交わらない線もあれば、いつかまた交わる線もある。
また、今は全く関わりのない線と将来どこかで交わり、それが自分の生き方に大きな影響を与えるかも知れない。

その生き方の線の描き方線も、きっと人によって様々で、いつも真っ直ぐな人もいれば、私など常に紆余曲折を繰り返しているように思う。中には、円を描いて、中心を離れることなく、同じところにとどまってしまっている線もあるように思う。
できれば、関わりたくない線もあれば、最初の歌のように関わりたいけれど、どうしても交わらない場合もあるだろう。関わりたくなくても、関わらざるを得ない線もあったりする。

その線の交わり方の偶然と必然に、いつも人生の不思議を感じるのだけれど、これまでは、どちらかといえば、流れに身を任せていて、自分から能動的に動いていたことは少なかったように思う。

しかし、40代も半ばを過ぎて、人生も半ばを過ぎたと考えた方が良い年になって、最近、思うのは、そろそろ、流れに任せているのではなく、どの線と交わるのか、自分で能動的に動いた方がいいのではないかという気がしている。
むしろ、関わりたい相手の生き方の線にこちらから近づいていく。昔の友人との再会であれ、新しい出会いであれ、待っているだけでは、いい出会いは生まれない。やはり、こちらから一歩踏み出す必要があるだろう。

しかし、そのためには、自分自身のレベルアップも必要である。相手にとって、関わって、なにがしかの意味のある線でなければ、いずれ相手が離れていってしまうだろう。あるいは、最初から相手にされず、こちらが放物線になってしまうかもしれない。

その中で、一つだけ心がけたいと思っているのは、どんなことがあれ、いろいろな人の生き方の線と交わりながら、少しでも前へ進むことである。
閉じた円になってしまって先に進めなくなったり、放物線になったまま、後戻りして帰って来れなくなることがないよう、曲がりながらも前に進む一本の線でありたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月16日 (金)

『物語のはじまり』(松村由利子著)、読売新聞書評に登場

このブログでも、何回か取り上げた松村由利子さんの短歌エッセイ『物語のはじまり』(中央公論新社)が、読売新聞の2月13日の書評欄で取り上げられたらしい。

物語のはじまり―短歌でつづる日常

我が家では、読売新聞はとっていないので、インターネットで探してみると、読売新聞のホームページ「YOMIURI ONNLINE」の中の「本よみうり堂」というコーナーに再録されていたので、長くなるが引用しておく。

秀歌を通して日常を点描

 ふだん私は歌(短歌)とは無縁の暮らしをおくっている。けれども、たまたま手にした本書は行きつ読み、戻りつ読みを繰り返した。難しかったからではない。歌にこれほど自分の思いをすくいあげて貰(もら)ったことがなかったからだ。取り上げた歌をてらいなくふつうに、しかしハッとさせる解釈で語ってくれる著者の言葉が道案内になり、歌は一段と輝く。

 ひとに紹介したいと思う歌が次々に出てくる。ひとに読ませたいと思うしみじみした著者の語りがいっぱい出てくる。恋する、ともに暮らす、住まう、働く、食べる、産む、育てる、老いる…それぞれの日常の場面で詠まれた歌から著者が選び出したものは、みな深い思いをたたえながらしかし湿っぽくない。「恋はフィフティ・フィフティ」とみる著者に取り上げられた恋の歌にうじうじしたものはない。重く辛い歌も著者のようにおおらかによみとれば、歌と共に生きる幸せに転化する。

 著者は20年ほど新聞社に勤め、とくに生活家庭部の所属が長かった。文字どおり「生活」と「家庭」に関するニュースを追った記者生活の経験が著者の短歌への感性をつくっている。だから暮らしからかけ離れた思想によらず、日常を手足と言葉でしっかり生きている。

 短歌界では日々膨大な数の作品が生まれるそうだが、歌壇ジャーナリズムが取り上げるのは「新奇性や話題性のある作品」。味わい深い作品でも、話題にならずに忘れられてゆくことが多いらしい。本書は、現代短歌から秀歌を選び、その歌で日々の生活を点描してみようとの試みである。

 私は歌がなくても生きてゆける人間である。でも世の中には歌で人生を乗り越えてきたひとがいるであろう。はじめてそう思った。日常を詠んだ何気ない短歌に、深い思いの淵(ふち)が見える。短歌にはまってしまうかもしれない。

 ◇まつむら・ゆりこ=1960年福岡県生まれ。元毎日新聞記者。今年3月、歌集『鳥女』で現代短歌新人賞を受賞する。

中央公論新社 1800円

評・白幡洋三郎(日文研教授)

最初に語られる、「歌にこれほど自分の思いをすくいあげて貰(もら)ったことがなかったからだ。取り上げた歌をてらいなくふつうに、しかしハッとさせる解釈で語ってくれる著者の言葉が道案内になり、歌は一段と輝く。」というところは、この本で作者が目指したものであろう。

これは、作者がインタビューで語った

これからは、自分自身の歌を高めていくことはもちろんのこと、他の歌人作った歌を一つでも多く紹介して、短歌のすばらしさを伝え、言葉の力で人を幸せにしたり、励ましたりできればと思っています。
(松村由利子、『ミセス』3月号、189ページ)

というコメントに呼応する。

この書評を機会に、さらに一人でも多くの人に読んでほしいというのが、読み終わった一読者の感想である。

松村由利子さんのブログ:「そらいろ短歌通信 松村由利子の自由帳

*関連記事
1月18日:
『物語のはじまり』(松村由利子著)に思う
1月19日:
『物語のはじまり』(松村由利子著)に思う・その2
1月21日:
『物語のはじまり』(松村由利子著)を読み終わる
1月24日:
松村由利子さんの歌集『薄荷色の朝に』、『鳥女』届く
1月27日:
第7回現代短歌新人賞受賞作『鳥女』(松村由利子著)を読み終わる
1月29日:
歌集『薄荷色の朝に』(松村由利子著)を読み終わる
2月7日:
『ミセス』3月号の第7回現代短歌新人賞『鳥女』の選評と作者松村由利子さんのインタビュー
2月17日:
『物語のはじまり』(松村由利子著)、読売新聞書評に登場
3月3日:
『物語のはじまり』(松村由利子著)、週刊新潮に取り上げられる
3月8日:
『物語のはじまり』(松村由利子著)は誰に、どう読まれているか(リンク集)
3月11日:
松村由利子さん、『物語のはじまり』の作者として日本経済新聞の読書欄に登場
3月12日:
第7回現代短歌新人賞表彰式での松村由利子さんの様子

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年2月15日 (木)

『血涙 新楊家将(下)』(北方謙三著)を読み終わる

先週読み終わった『血涙 新楊家将(上)』に続き、『血涙 新楊家将(下)』を読み終わった。

宋の楊家軍と遼の耶律休哥軍、お互いに騎兵を中心にした軍編成で、自軍の中では異色の存在となっており、ともに戦うための集団である。
一方で、時代は刻々と変化する。宋は2代太宗の下で、着実に国力を充実させる。一方、遊牧民の国である遼は、中国北部の燕雲十六州を有するとはいえ、宋との国力の差は如何ともしがたく、度重なる戦争で、民は疲弊している。

時代は、戦いよりも和平壇淵の盟)へと向かっている。そういった時代の中で、楊家の兄弟達、宋から遼に帰順した石幻果はどう生きるのか。少々、哀しい結末である。

次は、北方謙三の大作で文庫化も始まった『水滸伝』に挑戦するつもりだ。

*関連記事 
2006年11月25日:
宋と遼との戦いを語る『楊家将』(北方謙三著)を読み終わる
2007年2月9日:『血涙 新楊家将(上)』(北方謙三著)を読み終わる
2007年2月15日:『血涙 新楊家将(下)』(北方謙三著)を読み終わる

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月14日 (水)

韓国について考える

昨日、韓国のラブ・コメディ・ドラマ『私の名前はキム・サムスン』こついて書いた。この作品は、現代韓国社会の姿を教えてくれるのぞき窓としても、大変、面白かった。

携帯電話を常に身につけ、メールを頻繁にやりとりする主人公たち。かかってきた電話に敢えて出ないといった恋の駆け引きもある。街の風景も、ホテルや空港の雰囲気も、ハングルの看板や表示がなければ、日本が舞台だと言われても、分からないだろう。

私が韓国に興味を持ったきっかけは、私が大学1年だった1979(昭和54)年10月に起きた朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の暗殺事件である。しかし、当時の新聞やテレビニュースでの、事件の解説を読んだり、聞いたりしても、さっぱり分からない。暗殺事件を、韓国の歴史の中で、あるいは日韓の歴史の中で、正確に理解し、位置づけることができなかった。
隣国韓国について、驚くほど何も知らないことを、その時に実感し、特に、明治維新以後、日韓併合までのの日韓の近代史については、自分なりに勉強した。
在学した経済学部のゼミで日本経済史を選び、明治日本の朝鮮半島進出の一翼をになった、日本の資本による京城(ソウル)-釜山(プサン)間の鉄道建設をテーマにゼミの論文を書いた。

それらを通じて、思ったのは、日本の学校教育では、隣国である韓国及び朝鮮半島の歴史について、細切れにしか教えられておらず、ほとんど何も知らないのも同然でということであった。
日本の中にある妙な優越意識と歴史についての無知、韓国の側での反日教育、当時は、韓国も軍事独裁体制にあったこともあり、お互いを正しく理解し、接していくには、とてつもなく大きな壁があるような気がした。

その後、私自身も社会人になってからは、長女の幼稚園の同級生に、仕事で日本に来ていた韓国人一家の男の子がいたというのが、数少ない韓国との接点であり、特段、日韓関係を意識することなく過ぎてしまった。

転機が訪れたのは、『冬のソナタ』の日本での大ヒットだろう。これをきっかけに、2003年あたりからいわゆる韓流ブームが起きた。いまや韓国ドラマや映画は、レンタルショップでも、一定のスペースを確保し、完全に日本にもとけ込んでいる。『私の名前はキム・サムスン』も、そのような流れの中で、日本にも紹介されたものである。

文化交流という言葉がよく使われるが、例えば日本と韓国の違いについて、いくら小難しい本を読んでも、なかなか、ぴんと来ない。むしろ。ドラマや映画を通じて、生活習慣や日常を知ることの方が、百聞は一見にしかずで、理解が早い。
大きな壁に、小さいけれど少し風穴が開いたのではないかという気がする。

ささやかな個人ベースの文化交流として、これからも、韓国ドラマ・映画の良質なものについて、選んで見ていこうと思っている。また、いつか機会を見つけて、韓国を訪ねてみたいとも考えている。

*韓国に関連する記事
2月13日:
韓国ドラマ『私の名前はキム・サムスン』を見る
2月14日:韓国について考える
2月19日:韓国ドラマ『私の名前はキム・サムスン』に関する本を読む
4月3日:NHKテレビのハングル講座に挑戦してみる

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月13日 (火)

韓国ドラマ『私の名前はキム・サムスン』を見る

昨日までの3連休、韓国のドラマを見ていた。タイトルは、『私の名前はキム・サムスン』。2005年夏に韓国で放映され、最高視聴率50.5%を記録したという。日本でも、昨年、WOWOWで放送されたとのこと。

DVDのレンタルショップで、「最高視聴率50.5%を記録した話題作」とのキャッチコピーが前から、気になっていて、この3連休にDVD8枚全16話(1話約1時間)を借りて見た。

ヒロインのキム・サムスンは30歳独身、少し太めのパティシエ。サムスンという名前も、韓国では女性の名前としては「ダサイ」名前らしい。クリスマス・イブに彼氏の浮気を発見してしまい、失恋。失意にくれ、泣き崩れている時に、ホテルやレストランを経営する3歳年下の財閥の御曹司ジノンに出会う。失業中で、職探しの最中にジノンと再会。ひょんなことから、パティシエを探していたジノンが社長を務めるレストランで働くことになる。
生意気でわがままなジノンと、歯に衣着せずズケズケと物を言うサムスンは、喧嘩をしながらも、お互い惹かれ合っていくというラブ・コメディだ。
サムスンとジノンのそれぞれの家族、2人の職場であるレストランで働くの人々、それぞれの昔の恋人なども登場し、毎回、笑いあり涙ありの展開であり、飽きさせない。50%を超える視聴率を記録したことも、うなずける。

視聴率が高かっただけでなく、ドラマの中で登場したブタのぬいぐるみが売れ、サムスンが話題にした児童文学『モモ』(ミヒャエル・エンデ作)が売れ、パティシエに憧れパン教室に通う人が増えるなど、ある種のサムスンブームを巻き起こしたらしい。

ドラマの面白さもある事ながら、何が韓国の人たちをそれほど熱中させたのかにも、すごく興味があった。
キム・ソナ演じるキム・サムスンは、30代の働く女性が思っていても、なかなか口に出して言えない本音を、ストレートの口にする。それは、見ているものには、爽快であり、その本音の語りこそが、同世代の女性の圧倒的支持を受けた理由であろう。

最近、日本のドラマは面白くないと思っている人には、お勧めである。現代の韓国の日常が透けて見える。

このドラマのことについては、機会があれば、稿を改めて、もう少し書きたいと思っている。

*韓国に関連する記事
2月13日:
韓国ドラマ『私の名前はキム・サムスン』を見る
2月14日:韓国について考える
2月19日:韓国ドラマ『私の名前はキム・サムスン』に関する本を読む
4月3日:NHKテレビのハングル講座に挑戦してみる

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年2月12日 (月)

「名人は選ばれたものがなる」-郷田真隆名人待望論

将棋に関する話を続けて書いた中で、永世名人の話を書いたが、その記事を読んだ方から、いただいたコメントの中に、将棋界で語られる「名人は選ばれたものがなる」というフレーズがあった。

今回、私は挑戦者となった郷田真隆九段を応援しているが、郷田九段が選ればた人となれるかについて、考えてみたい。

郷田真隆九段は、不屈の人である。今回、名人挑戦を決めるまで、過去2回、名人挑戦者リーグであるA級に昇級したものの、いずれも1期で陥落。2回目の時は、通常であれば残留することも多い4勝5敗の成績で降級だった。しかし、降級後のB級1組では、常に8勝4敗以上の成績を残し、いずれも2期でA級に復帰。3回めのA級挑戦となった前期は、最終戦を前に早々に勝ち越しを決め、5勝4敗の成績で今期のA級ランク4位を手にした。そして、満を持して臨んだA級4期めの今期、羽生三冠、佐藤棋聖など同世代のライバルを破り、最初からトップを譲ることなく、最終戦を前に名人挑戦を決めた。

郷田九段は、自らの扇子に「晩成」と揮毫している。羽生世代の一人に数えられる中、1つ年上の佐藤棋聖、同学年の羽生三冠、森内名人らが華々しく活躍する中で、「晩成」という言葉は「いずれは自分が取って代わる」という決意の現れだと私は解釈している。また、その「晩成」という書は堂々としていて立派だ。

更に、不謹慎に書くことではないと思うが、名人挑戦を決めた対局の朝、お父さんが亡くなるということがあった。

その不屈の戦いぶりや、「晩成」という言葉を使っていること、父の死に立ち会えなかったことなど、郷田九段の挑戦者決定には、私は、ある種の「物語」や「ドラマ」を感じずにはいられない。

「名人は選ばれた棋士がなるもの」という言葉の中には、その時代の将棋ファン、広くとらえれば社会一般の人々が望む「物語」や「ドラマ」を、一身に引き受けて演じてみせられるかということが含まれているのではないかと思う。

そのためには、まずその棋士自身が、そういう「物語」「ドラマ」の素地を持っていること、そして、人々がその実現を望むことという2つの要素があるだろう。

四冠まで制しながら名人だけは手に届かなかった現米長邦雄永世棋聖が7回めの名人挑戦にしてようやく手にした「49歳の名人」、羽生善治三冠がかつて七冠を手にした時は「七冠というスパースターを見たい」という7冠待望の中、当然、名人位も羽生七冠が手にすべきものだった。

今回の郷田九段には、ようやく長い不況から立ち直ろうとしている日本経済・日本社会が背景にあり、郷田九段の不屈の戦いぶりは、経済の回復ぶりと軌を一にするもののようにも見える。今の、日本社会は、そのような不屈の名人の誕生を歓迎するのではないか、そんな気がしている。

「物語」や「ドラマ」は十分に備えている。あと大事なことは、どれだけ、郷田名人を待望する機運が広がるかだろう。私のブログのような、ささやかな媒体でも、こうやって書き記すことで、いくらかでも4月から始まる将棋の名人戦に関心のある人の目にとまり、一人でも多くの郷田ファン、郷田シンパを作る事につながり、郷田名人待望の機運が広がればと考えている。

*将棋に関する記事(2007年)
1月8日:
佐藤康光棋聖、5連続タイトル戦挑戦者
1月17日:佳境を迎える将棋A級順位戦、郷田真隆九段へのエール
2月2日:祝・郷田真隆九段、A級最終戦を残し、第65期将棋名人戦での森内俊之名人への挑戦権獲得
2月3日:第65期将棋A級順位戦8回戦の詳細
2月3日:郷田真隆九段、父の死を知らず
2月3日:将棋永世名人位の重み
2月10日:将棋第65期順位戦B級1組第12回戦の結果分析とB級2組での渡辺竜王の昇級確定
2月12日:「名人は選ばれたものがなる」-郷田真隆名人待望論
3月3日:将棋界の一番長い日、将棋第65期A級順位戦の最終局の結末

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年2月11日 (日)

東京都心の雪なし記録更新

先週、このブログでも、東京都心に雪が降らないまま、「立春」を迎えたことを書いた。その後も、都心に雪が降ることはなく、昨日2 月10日も雨は降ったものの、雪にはならず今日(2月11日)を迎えたことから、これまでの最も初雪が遅かった1960年の2月10日の初雪記録を更新することになった。(*追記参照)
昨日、今日とテレビや新聞でも、そのことを取り上げている。

次の関心事は、観測史上初の東京都心で雪が降ることなく冬が終わるかということだろう。
今日も、既に、春のような陽気、梅もどんどん花開いていて、暦の上だけだなく、気候の上でも、もう春はそこに来ているという感じがする。

わずか1年だったが、札幌での単身赴任生活で、降り止まない雪、融けないままあちこちの残る雪、いつ転ぶかも知れない凍結した路面に悩まされ続けた私としては、冬でも、大地を踏みしめて歩ける東京の生活は、ただただ、ありがたい。

しかし、こうして東京は雪がないとよろこんでいる時、札幌では、いくら暖冬で雪が少なく、雪祭りの雪像作りに苦労したと言っても、やはり雪が積もり、道を歩く人たちは、転倒に気をつけながらそろそろと歩いていることだろう。

札幌の雪の多さも暮らしてみて初めて実感した。日本の中で、まだまだ、他にも自分の知らない土地、暮らしがあることを、改めて思う。

*追記(2月18日) 1876年の観測開始以来の記録とのこと(毎日インタラクティブ2月11日より)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月10日 (土)

将棋第65期順位戦B級1組第12回戦の結果分析とB級2組での渡辺竜王の昇級確定

昨日(2007年2月9日)、将棋の順位戦のB級1組の12回戦、B級2組の10回戦の計17局が東京の将棋会館と、大阪の関西将棋会館でいっせいに行われた。いずれも、3月の最終局を残すものの、ほぼ、昇級・降級の大勢がほぼ固まる。

名人挑戦者を決めるA級の一つ下のクラスであるB級1組は、定員13名。総当たりリーグ戦で1人12局を戦い、上位2名がA級に昇級、下位2名がB級2組に陥落する。A級復帰を狙うA級経験者とこれからA級昇級を狙う若手がせめぎ合い、熾烈な争いが繰り広げられ「鬼のすみか」と呼ばれたこともある。

将棋連盟のホームページによれば、昨日のB級1組6局の結果と12局までの通算成績は次の通り。

勝ち 成績 負け 成績
木村一基七段 8勝3敗 島 朗八段 6勝5敗
行方尚史七段 8勝3敗 北浜健介七段 6勝6敗
鈴木大介八段 7勝4敗 畠山 鎮七段 6勝5敗
堀口一史座七段 6勝5敗 井上慶太八段 6勝5敗
中川大輔七段 5勝6敗 森けい二九段 0勝10敗
森下 卓九段 4勝7敗 野月浩貴七段 3勝8敗

この結果、12回戦を終わった時点での成績と最終戦第13局の対戦相手は以下の通り。

順位 棋士名 成績 最終戦
1 木村一基七段(4) 8勝3敗 野月七段
2 行方尚史七段(7) 8勝3敗 森下九段
3 鈴木大介八段(1) 7勝4敗 高橋九段
4 高橋道雄九段(11) 7勝4敗 鈴木八段
5 井上慶太八段(6) 6勝5敗 森九段
6 堀口一史座七段(8) 6勝5敗 畠山七段
7 島 朗八段(9) 6勝5敗 中川九段
8 畠山 鎮七段(12) 6勝5敗 堀口七段
9 北浜健介七段(10) 6勝6敗 日程終了
10 中川大輔七段(3) 5勝6敗 島八段
11 森下 卓九段(2) 4勝7敗 行方七段
12 野月浩貴七段(5) 3勝8敗 木村七段
13 森けい二九段(13) 0勝10敗 井上八段

(注)棋士名の後ろの数字は、前期の成績の基づく65期順位戦リーグ戦の順位(序列)

この結果、昇級候補は3人に絞られた。8勝3敗の2人は、最終戦に勝てば文句なしのA級昇級。自分たちが負けても、鈴木八段が負ければ、ともに昇級となる。現在、7勝4敗で、リーグ戦順位が2人より上位の鈴木八段は、自分が最終戦に勝ち、8勝4敗とした場合に、2人のどちらかあるいは2人とも負けた場合に昇級の目が出てくる。
最終戦で鈴木八段と戦う7勝4敗の高橋九段は、最終戦に勝って8勝4敗としても、3敗者2人よりリーグ戦順位が下のため、昇級には届かない。

一方、降級は、今期久々にB級1組に復帰したものの依然白星のない森けい二九段に加え、今回、7敗者どうしの戦い(森下九段×野月七段戦)に敗れた、野月七段に決まった。自分が最終戦に勝ち、森下九段が最終戦に敗れても、相星となり、順位が下位の野月七段は上回れない。

B級1組の最終局第13局は、3月16日。木村、行方の新A級棋士(八段)2人が誕生するのか、前期A級陥落の苦杯をなめた鈴木大介八段が1期でA級復帰を果たすのか、見逃せないところだ。

一方、B級2組では、8勝0敗でトップを走っていた渡辺明竜王が先崎学八段に勝ち9勝0敗として、最終戦を待たずにB級1組への昇級を決めた。2期連続の昇級である。
7勝1敗で2番手にいた杉本昌隆七段が敗れて7勝2敗となったため、杉本七段より順位がリーグ戦順位が下位で10回戦に勝ち7勝2敗とした名人経験者加藤一二三九段と、杉本七段より順位が上位で6勝3敗の佐藤秀司六段に昇級の可能性が出てきた。不思議な縁だが、最終戦でその加藤九段と佐藤六段が対戦する。
最終戦で、杉本七段が桐山清澄九段に勝って8勝2敗とすればB級1組昇級だが、負けて7勝3敗となった場合は昇級は消える。加藤九段×佐藤六段戦の勝者(加藤九段が勝てば8勝2敗となるし、佐藤六段が勝てば7勝3敗だが、杉本七段より上位)が渡辺竜王に次ぐ2人目の昇級者となる。
なお、前期(第64期)のC級1組では10戦全勝で、渡辺竜王に先んじてB級2組への昇級を決めた山崎隆之七段は、10回戦で敗れて6勝3敗となり、今期昇級の目がなくなった。
B級2組の最終戦は、3月9日。こちらも気になるところである。

*お詫び:中川大輔七段と北浜健介七段の段位を誤って、八段と記載していました。お詫びして訂正します。(2月26日追記)

*将棋に関する記事(2007年)
1月8日:
佐藤康光棋聖、5連続タイトル戦挑戦者
1月17日:佳境を迎える将棋A級順位戦、郷田真隆九段へのエール
2月2日:祝・郷田真隆九段、A級最終戦を残し、第65期将棋名人戦での森内俊之名人への挑戦権獲得
2月3日:第65期将棋A級順位戦8回戦の詳細
2月3日:郷田真隆九段、父の死を知らず
2月3日:将棋永世名人位の重み
2月10日:将棋第65期順位戦B級1組第12回戦の結果分析とB級2組での渡辺竜王の昇級確定
2月12日:「名人は選ばれたものがなる」-郷田真隆名人待望論
3月3日:将棋界の一番長い日、将棋第65期A級順位戦の最終局の結末

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月 9日 (金)

『血涙 新楊家将(上)』(北方謙三著)を読み終わる

以前、このブログでも取り上げた『楊家将』(北方謙三著)の続編にあたる『血涙 新楊家将』が昨年の年末に単行本として発売された。
『楊家将』は、吉川英治文学賞まで受賞した読み応えのある作品で、すっかり、北方『楊家将』の虜となった私は、『血涙』も、年末年始の休み中に読むつもりで購入。『強い風が吹いている』と一緒に、しばらく「積ん読」になっていた。

前作の主人公は、宋に帰順した軍閥の頭領「楊業(ようぎょう)」。彼には7人の息子がいて、それぞれ鍛えられ成長し、父を支える。楊業は、変幻自在の用兵で、遼軍を悩ませ、怖れさせる。一方、遼にも、本隊から離れ独立行動を認められた「白い狼」と呼ばれる耶律休哥(やりつきゅうか)がいた。楊業と耶律休哥というお互い認めあったライバルの死力を尽くした戦いが、前作『楊家将』の見所である。

前作後半で、宋の太宗は、先代からの悲願である「燕雲十六州の奪回」を目指して、大軍を率いて、遼に親征する。しかし、遼内に攻め込んだ宋は、大軍ではあるもののまとまりを欠き、太宗の一隊が遼軍に包囲される。楊一族は、太宗を救うため、一族が、あるものは太宗の身代わりとなり、またあるものは戦いの中で次々と最期を遂げる。さらに、楊業自身も、味方の裏切りにあい、命を落とす。楊一族が、命がけで、宋主・太宗を守ったところで、前作は終わる。

『血涙』は、楊一族の男子7人の中で生き残った楊六郎、楊七郎と、宋の軍人で宋主の親政の際、耶律休哥との戦いに敗れ、死にかけて記憶を亡くし、その力量を惜しまれて耶律休哥のもとで、遼の将軍として成長する石幻果を軸に語られる。
父亡き後、散り散りになった楊家軍を再興しようと奔走する楊兄弟。父とも慕う耶律休哥のもとで、一戦毎に力をつけ、ついには耶律休哥に劣らぬ用兵術を身につける石幻果。
そして、楊六郎と石幻果が戦場で相見える。斬り合った楊六郎の剣が石幻果の兜をとばした時、石幻果は、宋の軍人であった時の自分の姿を鮮明に思い出す。そして、そこから石幻果の苦悩が始まる。

『血涙』とのネーミングは、内容を物語る。かつての自分を思い出した石幻果は、その苦悩をどう決着させていくのか。下巻では、『血涙』の名にふさわしい結末が待っていそうである。

*関連記事 
2006年11月25日:
宋と遼との戦いを語る『楊家将』(北方謙三著)を読み終わる
2007年2月9日:『血涙 新楊家将(上)』(北方謙三著)を読み終わる
2007年2月15日:『血涙 新楊家将(下)』(北方謙三著)を読み終わる

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年2月 8日 (木)

「丁寧」という言葉の由来、『美人の日本語』(山下景子著)から

今日は、これといったネタが思い浮かず、頭を悩ます。そんな時、頼りになるのが、『美人の日本語』(山下景子著、幻冬舎)である。

普段、我々が何気なく使っている言葉の意味を、4月1日から3月31日まで、1日にひとつ取り上げ、366語の解説になっている。

今日、2月8日の言葉は?とページをめくると、「丁寧(ていねい)」と書いている。どんな解説が書かれているかと見ると、

丁寧は、昔、中国の軍で使われた銅製の打楽器で、注意を促したり、警戒を知らせたりする時に使われたそうです。
これが、なかなか、全員に伝わらなかったので、何度も念には念を入れて、鳴らしたところから、細かいところまで行き届いていることを、丁寧というようになりました。
(『美人の日本語』(山下景子著)より)

知らなかった。昔の中国って、いつ頃の時代?とか、銅製と打楽器って、日本で出土する銅鐸のようなものだったのだろうか?と考えて、グーグルで検索してみるが、「丁寧」という言葉が使われた記事が出てくるばかりで、打楽器には行き当たらない。

『美人の日本語』は、妻が買ってきて、使っているのを、私も借りているのだが、一気に読み通すというよなことはしていないので、こうやってネタ切れにありそうな時に読んでいると、結構、新しい発見がある。たまに、ネタ切れになるのも、悪くはないかも知れない。

*関連する記事 2006年7月20日:心星(しんぼし)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年2月 7日 (水)

『ミセス』3月号の第7回現代短歌新人賞『鳥女』の選評と作者松村由利子さんのインタビュー

普段は、絶対に買うことのない月刊誌『ミセス』の3月号を買う。『ミセス』を発行している文化出版局は、現代短歌新人賞の協賛をしており、第7回新人賞を受賞した松村由利子さんの『鳥女』についての5人の選者のコメントと、松村さん自身のインタビューが載っていたからだ。

私が『鳥女』を読んだ感想は、すでにこのブログで書いたが、選者の人たちはこの歌集をどう読み、歌人・松村由利子をどう見たのか。自分が、この歌集に感じた感覚は、選者の人々を近いのか、かけ離れているのか、そんなことに興味があって、ページをめくった。

選者は5名。中村稔選考委員長を含め男性3名、女性2名。女性にうちの1人は、松村さんの師匠でもある馬場あき子さんだ。候補には、5作品があがっていたらしい。

選評を読むと、男性選者3人のうち、2人は職業人としての歌に注目している。2人の女性選者は、職業人としてよりも作者独自の感性を評価しているように見える。

知性を包むやわらかな抒情(馬場あき子)
『鳥女』は松村由利子さんの第二歌集である。松村さんは大手新聞社の第一線で活動していたキャリアウーマンの一人だが、新聞記者的な知的な社会観が表に立つ歌よりも、むしろ少し控え目な、内省的な屈折感や、豊かな感性の潤いを通して物を見ている歌に、本質にあったよいものがある。(以下略)
(『ミセス』3月号、190~191ページ)

静かな覇気(栗木京子)
『鳥女』の印象をひとことで表すならどんな言葉がふさわしいだろうか。静かな覇気、そう言ってみたいような気がしている。(中略)
人一倍真面目で、しかも、情熱的。前向きでありながら、ふと立ち止まったときに、いじらしいほどの逡巡をみせる。そういった揺れ動く内面を五句三十一音の定型に歌い収めている。やや硬さを残す端正な文体にも好感を持った。さらなる飛躍を期待したい。
(『ミセス』3月号、190~191ページ)

私の印象は栗木さんに近い。選者も歌人なので、言葉の使い方が素晴らしい。「静かな覇気」とは、言い得て妙。

私が力んで「自分の内面をえぐり、五七五七七の31文字の中に、その思いを閉じこめた」とか「一人の女性の情念というようなものが感じられるのだが、その想いはどこか乾いた感じがする」と書いたことが、「静かな覇気」という言葉で全て表現されてしまっているような気がする。

この「静かな覇気」と呼応するようなコメントが作者のインタビューの中にあった。

実は詩も好きで以前は書いていましたが、あふれ出てくるものを表現しようとすると、どうにも収拾がつかなくなってしまうんです。とても自分のスタイルを作ることなどできませんでした。それに比べて短歌は三十一音という詩型の中に感情や思いを凝縮させる面白さがあり、自分の表現にぴったりだと思ったのです。まるで小さな香水の瓶にその時の気持ちを永久保存できるようなイメージを短歌に抱いていました。
(松村由利子、『ミセス』3月号、189ページ)

インタビューは、今後の活動について聞かれ、次のようなコメントで締めくくられている。

これからは、自分自身の歌を高めていくことはもちろんのこと、他の歌人作った歌を一つでも多く紹介して、短歌のすばらしさを伝え、言葉の力で人を幸せにしたり、励ましたりできればと思っています。
(松村由利子、『ミセス』3月号、189ページ)

この記事では、選者の評とあわせ、『鳥女』406首の中から、秀歌抜粋三十首が選ばれているのだが、その中に、私が1首だけなら、この歌と選んだ

 井戸ひとつ吾の真中に暗くあり激しきものを沈めて久し

も選ばれていた。そんなに間違った読み方はしていなかったようだ。ご興味がある方は、自分の1首を探してみては、いかがだろうか。

松村由利子さんのブログ:
「そらいろ短歌通信 松村由利子の自由帳」の『鳥女』のページはこちら
(歌集『鳥女』の注文も受付中)
→『鳥女』の販売は終了

*関連記事
1月18日:
『物語のはじまり』(松村由利子著)に思う
1月19日:『物語のはじまり』(松村由利子著)に思う・その2
1月21日:『物語のはじまり』(松村由利子著)を読み終わる
1月24日:松村由利子さんの歌集『薄荷色の朝に』、『鳥女』届く
1月27日:第7回現代短歌新人賞受賞作『鳥女』(松村由利子著)を読み終わる
1月29日:歌集『薄荷色の朝に』(松村由利子著)を読み終わる
2月7日:『ミセス』3月号の第7回現代短歌新人賞『鳥女』の選評と作者松村由利子さんのインタビュー
2月17日:『物語のはじまり』(松村由利子著)、読売新聞書評に登場
3月3日:『物語のはじまり』(松村由利子著)、週刊新潮に取り上げられる
3月8日:『物語のはじまり』(松村由利子著)は誰に、どう読まれているか(リンク集)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月 6日 (火)

『風が強く吹いている』(三浦しをん著)を読み終わる

年末年始少し長めの休みをとることにしていたので、休み中に読もうと年末に買ったまま、結局読まないまま「積ん読」になっていた本が何冊かある。

『風が強く吹いている』(三浦しをん著、新潮社)もその1冊。TBSの「王様のブランチ」で、箱根駅伝を舞台にした話と聞き、中学から大学まで陸上部にいた私としては、ぜひ読んでみようと思い、購入。しかし、その後、このブログでも紹介した短距離選手を主人公にした『一瞬の風になれ』(佐藤多佳子著)の存在を知り、より自分のやっていたことに近い『一瞬の風になれ』を、まず読んだ。

次は、いよいよ駅伝である。『風が強く吹いている』の主人公は、寛政大学4年生の清瀬灰二(ハイジ)。ある春の夜、銭湯からの帰り、コンビニから万引きをして猛スピードで走って逃げる若者を魅入られたように追いかけるところから、この小説は始まる。
逃げていた若者が、寛政大学に入学するため、上京してきていた蔵原走(かける)。走が、この小説のもう一人の主人公である。
住むところのない走をハイジが、自分に住む寛政大生用の「青竹荘」に連れ帰り、9室のうち残っていた最後の1室の住人にする。青竹荘には、既に9人の住人がおり、走が加わって10人となった。走の歓迎会の席上、青竹荘の世話人ともいえるハイジが、この10人で箱根駅伝を目指すと宣言し、住人達からは不満の声が上がる。
その不満をなだめつつ、どうやってハイジは、素人ばかりの集団を、箱根駅伝を目指す集団に変えていくのか、ハイジの手腕が見所の一つだろう。
後半、10人のメンバーのひとりひとりが走りながら、自らを振り返る場面も、なかなかいい。

『一瞬の風になれ』も『風が強く吹いている』も、陸上競技という個人競技の中での、短距離のリレーと長距離の駅伝というチーム競技の要素が強い種目を素材に、画一的な管理社会、弱肉強食の競争社会のアンチテーゼを描いているようにも思う。
個性ある人をどうやって育てるのか、どういう時に人は成長し、力を発揮するのか。仲間と一緒に、チームを組むことで、1人で走る時以上の力が引き出されるのではないか。
今、この時代に相次いでこれらの作品が書かれたのは、やはり、現実社会が息苦しい部分く、人と人のつながりが希薄になってきているからなのであろうか?そんなこともふと考えさせられた作品だった。

しかし、陸上競技、とりわけ「走る」ということが、短距離、長距離のそれぞれで小説に取り上げられ、どちらも多くの人に読まれ、評判になっているのは、ながく陸上をやって来たものとして、うれしい限りである。

| | コメント (0) | トラックバック (8)

2007年2月 5日 (月)

ブログランキング登録後の状況(日記40代~:4位)

先週、月曜日にブログランキングに登録をし、ちょうど1週間が過ぎた。7日間累積のユニークアクセス数と更新頻度で、ポイントが決まるということで、毎日、気にして見ていたが、

登録日初日(1月29日)は
総合:12016位、
日記カテゴリ:1775位、日記カテゴリ(40代~):51位
というスタートだったが、

昨日(2月4日)までの結果は、
総合:1176位、
日記カテゴリ:46位、日記カテゴリ(40代~):4位
となった。

おかげさまで、桁が一桁替わった。いちばん頑張りたいのは、日記カテゴリのサブカテゴリ:40代~。参加人数が少ないとはいえ、3位内は金・銀・銅の王冠マークが表示される。一度は、3位内に入ってみたいものだ。
総合でも、もう少しで1000位以内に入り、3桁順位となる。
これらを励みに、毎日更新がどこまで続けられるかだろう。

幸い、今日はこれまでの中で、最も多いアクセス数で、既に1月9日の307件を超えた。
今回のアクセス増加は、将棋の関係の記事だ。若手だが、将棋界のタイトルで最も高い位置づけにある竜王位を持つ渡辺明竜王が、ブログを書いている。
数日前に、その渡辺竜王のブログにA級順位戦8回戦のことが書かれていたので、私が書いた「祝・郷田真隆九段、A級最終戦を残し、第65期将棋名人戦での森内俊之名人への挑戦権獲得」の記事を、トラックバックさせてもらった。幸い、渡辺竜王も私の記事を承認しブログに載せてくれた。
今日は、郷田九段名人挑戦権獲得の記事だけで約60件のアクセスがあり、その大半が渡辺竜王のブログからである。

おかげで、総アクセス数に加え、ユニークアクセス数も増えており、先週の月曜日を上回っているので、明日、最後の1日が今日のデータに更新されれば、もう少しポイント数は増えるだろう。
ランキングでは順位は表示されているものの、総ポイント数で、上位とどれぐらい差がるのかは分からないので、例えば日記カテゴリ(40代~)では、3位に入れる可能性のあるレベルなのか、どうかかが検討がつかない。
それでも、ポイントはいくらか増える訳だから、明日を楽しみに待つことにしたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月 4日 (日)

テンプレート変更、春バージョンは静内の馬牧場

今日が立春で、暦の上では今日から春でもある。また東京は雪のない暖冬ということもあって、少し気が早いが、今日から、ブログのデザインを春バージョンに変更した。

トップの絵は、ブログペットの背景にも使っているのだが、北海道は静内の牧場の写真を、バーチャルペインターというソフトで油絵風にレタッチしたもの。

写真を撮影したのは、2005年5月29日(日)。当時、札幌に単身赴任していた私は、桜並木で有名な静内町(当時、現在は隣の三石町と合併し「新ひだか町」)を目指して、朝8時頃車で札幌を出発、途中、「ししゃも」で有名な鵡川(むかわ)で、ひと休みしたりして、11時半頃に静内に着いた。

静内の二十間道路と言われる真っ直ぐな道路の両脇7kmにわたって3000本の桜並木が続いている。北海道でも有数の桜の名所だ。さすがに、私が行った5月末には葉桜だったが、ほとんど人はおらず、車を道路脇に止めて、のんびり桜を眺めることができた。
この牧場は、その桜並木の脇にあった牧場である。

静内は、吉永小百合の久々の主演作として話題になった『北の零年』の舞台で、淡路島から稲田家家臣が送り込まれたところである。映画の後半では、吉永小百合、石原さとみの母娘は、馬を育て始めるが、静内は当時から馬の産地であった。映画を見ていたこともあり、一度訪ねてみようと思っていた。

この写真は、馬がタイミングよく厩舎の前を通り過ぎる一瞬をとらえることができた。北海道で何枚も写真を撮ったが、自分でも気に入っている1枚である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

積雪のないまま迎えた東京の「立春」

今日2月4日は二十四節気の「立春」。暦の上では、もう春なのだ。朝ウオーキングをした時は、梅がそこここで少しずつ花を開き始めていた。心なしか、日差しも春めいてきているような気がする。

東京では、この冬、雪が降っていない。昨日(2月3日)の朝日新聞の夕刊に、東京都心での初雪の遅い記録が出ていた。

1960(昭和35)年-2月10日
1904(明治37)年-2月7日
1995(平成7)年-2月5日
1957(昭和32)年-1月31日
1983(昭和58)年-1月30日
(1876年~、気象庁まとめ)

地球温暖化が叫ばれ、この数年の気候が異常気象のように思いがちだが、これを見ると、そうとも言えないのかな?という気もする。

最も遅かった1960年は私が生まれた年で、すでに47年前。
その次に遅かった1904年はどこか見覚えのある年号と思っていたら、日露戦争が始まった年である。富国強兵の明治日本が頂点を向かえつつあった頃で、すでに100年以上前になる。

朝から風が強く、まさか「春一番」ではないよね?と思い、どんな風を「春一番」と呼ぶのかを調べてみた。気象庁が発表している広報誌「こんにちは、気象庁です」のバックナンバー(平成15年2月号)に次のような記載が見つかった。

春一番について
冬も終わり頃になると冬型の気圧配置は長続きせず、東シナ海から日本列島の南岸を低気圧が通るようになります。この低気圧は西日本から東日本の各地に雨を降らせ、関東や内陸部では雪になることもあります。更に季節が進むと、低気圧の進路はもっと北に移り、日本海を北東に進むコースをとるようになります。そして、この低気圧に向かって温かい南風が吹き込むような気圧配置になります。このような冬から春へ移り変わる時季に、初めて吹く南よりの強い風を、気象庁では、「春一番」として発表しています。

「春一番」は、この現象が発生する、関東甲信・北陸地方から九州地方で発表されており、発表の目安は各地で少しずつ違いますが、関東地方では次のとおりです。

発表する期間は立春から春分までのあいだ
日本海に低気圧があること
強い南寄りの風(風向は東南東から西南西まで、風速8m/s以上)が吹き
気温が上昇すること

(中略)

「春一番」が吹くのは、日本海で低気圧が発達しながら北東に進むときなどで、強い南風の後には強い北風が吹いて、突風を伴うこともめずらしくありません。このため、「春一番」のお知らせは季節の便りであると共に災害予防の情報でもあります。

今日が立春なので、①はギリギリ満たしていることになる。
また、今朝9時の天気図を見ると、北海道に低気圧があり北東に移動するとともに、大陸から低気圧が日本海に向け移動してきているので、素人目には②も満たしているような気もする。
③の風向きと風速は、朝方は冷たい風だったからあるいは、北からの風かもしれない。天気予報では、今日は北風が吹くことになっている。

受験生を抱える親としては、寒い冬だと、本人が風邪を引いて試験当日体調を崩し、実力を発揮できないのではないかとか、試験当日が雪など天候不良で、交通トラブルに巻き込まれないか、といった余計な心配をしなくていいので、暖冬はありがたい。あと、1ヵ月、なんとなく落ち着かない日々が続く。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月 3日 (土)

将棋永世名人位の重み

4月から始まる将棋の第65期名人戦で、私が応援する郷田真隆九段が、森内俊之名人への挑戦者に決まったのは、すでにこのブログでも何回か書いてきた。

郷田ファンの私としては、めでたしめだたしというところなのだが、今回の名人戦挑戦者決定に関するブログをいくつか読んでいて、「羽生善治三冠が挑戦者になっていれば、今回の名人戦が第18世名人位をかけた争いになったのに、実現せずに残念」という内容のコメントを見つけた。そう言われれば、そうだった。

将棋連盟と各タイトル戦を主催する新聞社等の間では、各タイトルの永世称号の資格を定めている。単なる八段、九段などと呼ばれるだけでなく、引退後、棋士はその永世称号を名乗ることができる。
永世称号の付与資格は対象のタイトルを多く獲得したことが条件であり、少なくとも通算5期以上の保持が必要で、厳しいものでは、連続5期または通算10期を条件にするタイトルもある。過去、永世称号を取得した棋士は以下の8名だけだ。
(また、永世名人位だけが第何世というナンバリングがつく)

棋士名 獲得称号(獲得順)
1 木村義雄 永世名人(14世)
2 塚田正夫 永世九段
3 大山康晴 永世名人(15世)、永世棋聖、永世王将、永世十段、永世王位
4 米長邦雄 永世棋聖
5 中原誠 永世棋聖、永世名人(16世)、永世十段、名誉王座、永世王位
6 谷川浩司 永世名人(17世)
7 羽生善治 永世棋王、永世棋聖、名誉王座、永世王位、永世王将(*)
8 佐藤康光 永世棋聖

(出所:日本将棋連盟ホームページ等)

なかでも、永世名人を巡る現役棋士たちの争いは激しい。

羽生善治三冠が、現在の将棋界を背負う第一人者であることは誰もが認めるところ。かつて、将棋界の7つのタイトル全てを独占する7冠となったこともある。2007年1月末現在、通算のタイトル獲得65期。大山康晴15世名人の通算80期に次ぐ史上2位であり、すでに4つのタイトルの永世称号を手にしている。
しかしその羽生三冠でさえ、永世名人位には手が届いていない。

永世名人の取得条件は、通算5期なので、他の永世称号に比べ厳しくはないのだが、「名人」というタイトルの歴史と伝統の重みは、戦後誕生した他のタイトル戦の比ではない。まさに、将棋界の頂点である。
また、その挑戦者を決める予選がA級順位戦という選りすぐりのトップ棋士10人が1年間かけて行う総当たりリーグ戦であり、まず挑戦者になることが至難の業である。仮に、挑戦者になり名人位を獲得できても、翌年からは名人として、A級順位戦を勝ち抜いた挑戦者たちを退けていかねばならない。名人になることも難しければ、防衛することも容易ではないだろう。

羽生三冠は、1994年に当時の米長邦雄名人から初めて名人位を奪取し2度防衛(計3期)した後、1997年に谷川浩司竜王(当時)に敗れている。

なお、谷川は、この時までに1983~84年、1989~90年の計4期名人位についており、この時、三度めの名人位獲得で通算5期を達成、永世名人(17世名人)の資格を得た。
1997年に谷川に敗れた後、羽生はしばらくは名人戦の挑戦者にもなれなかった。

その間、名人位は1998年に谷川から佐藤康光現棋聖が奪い1期防衛(計2期)、2000年にはその佐藤から丸山忠久九段が奪い1期防衛(計2期)している(なお、佐藤・丸山とも初防衛戦の相手は谷川)。
2002年には、森内俊之現名人が丸山を降し、初めて名人位について(1期め)おり、6年間で4人の名人が入れ替わった。

羽生は、2003年にようやくA級順位戦を制して、久々に名人戦に登場。初防衛を目指す森内を4戦全勝で降し、名人位に返り咲いた(4期め)。

しかし、翌2004年にはリターンマッチに登場した森内が4勝2敗で羽生を破り、名人位に復帰(2期め)、翌2005年にも森内は、羽生の挑戦を退けた(3期め)。羽生は永世名人(18世)のチャンスを2回森内に阻まれたことになる。
昨年2006年の森内への挑戦者は、A級順位戦のプレーオフで羽生を破った谷川。森内名人は谷川の挑戦も退け名人保有通算4期とし、先行していた羽生に追いついた。

森内名人が通算4期、A級棋士のうち、谷川浩司九段が通算5期で永世名人位(17世)保有、羽生3冠が通算4期、佐藤康光棋聖と丸山忠久九段がそれぞれ通算2期という群雄割拠の状態である。

今回、羽生三冠がA級順位戦で優勝し、挑戦者となっていれば、森内対羽生という名人位通算4期どうしの2人の対戦となり、いずれにせよ勝った方が永世名人(18世)獲得という、永世名人位をかけた名人戦になるはずであった。プロ野球の長島巨人と王ダイエーの日本シリーズのような夢の一戦が見られるところだったわけだ。確かに、私個人とて郷田九段個人に対する特別な思い入れがなければ、1将棋ファンとしては、ぜひ見てみたい一戦であった。

郷田ファンとしては、今回の名人戦を郷田九段が制し、防衛を重ね、5期めの防衛戦の時に、羽生か森内を挑戦者として迎えると言う形で、今回実現できなかった勝った方が永世名人という夢の一戦が実現されることを期待したい。

*追記(2007年3月21日):2007年3月20日、第56期王将戦7番勝負第7局で羽生善治王将が、挑戦者佐藤康光棋聖を降し、4勝3敗で王将位を防衛。王将位在籍通算10期を達成し、5つめの永世称号となる永世王将位を獲得した。

*将棋に関する記事(2007年)
1月8日:
佐藤康光棋聖、5連続タイトル戦挑戦者
1月17日:佳境を迎える将棋A級順位戦、郷田真隆九段へのエール
2月2日:祝・郷田真隆九段、A級最終戦を残し、第65期将棋名人戦での森内俊之名人への挑戦権獲得
2月3日:第65期将棋A級順位戦8回戦の詳細
2月3日:郷田真隆九段、父の死を知らず
2月3日:将棋永世名人位の重み
2月10日:将棋第65期順位戦B級1組第12回戦の結果分析とB級2組での渡辺竜王の昇級確定
2月12日:「名人は選ばれたものがなる」-郷田真隆名人待望論
3月3日:将棋界の一番長い日、将棋第65期A級順位戦の最終局の結末

| | コメント (2) | トラックバック (0)

郷田真隆九段、父の死を知らず

今朝の朝日新聞に「名人挑戦、決めた対局の朝、-郷田九段の父死去」との記事が出ていた。

記事によれば、郷田真隆九段の父克己さん(71)は、郷田九段が名人挑戦を決めた阿部八段との対局当日(2月1日)の午前8時13分に死去していた。対局は午前10時からはじまり、終了したのは、翌2日の午前0時15分。郷田九段は、その後、家族からの電話で、初めて父の死を知ったそうだ。

名人戦の主催社である毎日新聞が記事を提供しているMSN毎日インタラクティブの記事が、より詳しい経緯を伝えている。(おそらく、毎日新聞記事も同内容と思われる)

(前略)
対局後の検討が終わった1時半過ぎ、郷田九段は「家族へ至急、連絡して下さい」とのメモを日本将棋連盟の職員から受け取った。事務室から電話すると、ぼうぜんとした表情でいすに座り込んだ。

それから、報道陣が喜びの声を聞こうと待つ別室へ。こわばった顔のまま、「今日、挑戦を決められるとは思っていませんでした」と話したあと、「実はおやじが亡くなって。病状が悪かったので、ある程度は覚悟していましたが……」と、つい先ほど父の死を知ったことを明かした。

「おやじは本当に将棋が大好きで、私が生まれると、将棋が指せる年ごろになるのを待ち構えていたみたいです」と郷田九段。「小学3年でいい勝負になり、すぐに私の方が強くなってしまって。それでも私と指すのをやめず、負けてもうれしそうな顔をしていました」と父との思い出を語った。
(MSN毎日インタラクティブ、【中砂公治】)

大阪での対局だったので、東京在住の郷田九段は、前日(1月31日)から大阪入りしていただろう。東京を発つ時、お父さんは既に危篤状態だったかもしれない。遠からず、父親の死と直面しなくてはならないかも知れないという覚悟はしていたと思われるが、息子として父親に死に目に会えなかったという無念は、いかばかりであろうか。

一方、病床にあった将棋好きのお父さんは、今期のA級順位戦での息子の快進撃を誰よりも喜んでいたはずだ。名人挑戦を信じ、さらに名人獲得を念じていたことだろう。あるいは、勝てば名人挑戦が決まるかもしれない一戦、対局が終わるまでは、万が一のことがあっても知らせないというのは、お父さんに意思だったかも知れない。
謹んでご冥福をお祈りしたい。

郷田九段にとって、4月からの名人戦で森内俊之現名人を降し、新名人となることが、亡くなったお父さんへの最大に弔いであり供養であろう。1ファンとして、郷田新名人の誕生を、期待し応援したい。

*将棋に関する記事(2007年)
1月8日:
佐藤康光棋聖、5連続タイトル戦挑戦者
1月17日:佳境を迎える将棋A級順位戦、郷田真隆九段へのエール
2月2日:祝・郷田真隆九段、A級最終戦を残し、第65期将棋名人戦での森内俊之名人への挑戦権獲得
2月3日:第65期将棋A級順位戦8回戦の詳細
2月3日:郷田真隆九段、父の死を知らず
2月3日:将棋永世名人位の重み
2月10日:将棋第65期順位戦B級1組第12回戦の結果分析とB級2組での渡辺竜王の昇級確定
2月12日:「名人は選ばれたものがなる」-郷田真隆名人待望論
3月3日:将棋界の一番長い日、将棋第65期A級順位戦の最終局の結末

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第65期将棋A級順位戦8回戦の詳細

昨日のブログで、将棋のA級順位戦で郷田真隆九段が7勝目をあげ、森内俊之名人への挑戦権を獲得したことを書いたが、それ以外の対局の結果も、早く知りたいと思い、朝、駅の売店で主催紙である毎日新聞の朝刊を買った。

8回戦5局の結果は次の通りだった。
(関西将棋会館・大阪)

勝ち 成績 負け 成績
久保利明八段 3勝5敗 深浦康市八段 3勝5敗
郷田真隆九段 7勝1敗 阿部 隆八段 2勝6敗
羽生善治三冠 5勝3敗 谷川浩司九段 5勝3敗

(将棋会館・東京)

佐藤康光棋聖 4勝4敗 藤井 猛九段 4勝4敗
丸山忠久九 3勝5敗 三浦弘行八段 4勝4敗

その結果、8回戦終了時のA級棋士10人の成績と最終戦の相手は次の通りである。

(1)谷川浩司九段(5勝3敗)-藤井
(2)羽生善治三冠(5勝3敗)-三浦
(3)佐藤康光棋聖(4勝4敗)-久保
(4)郷田真隆九段(7勝1敗)-丸山
(5)丸山忠久九段(3勝5敗)-郷田
(6)藤井 猛九段(4勝4敗)-谷川
(7)久保利明八段(3勝5敗)-佐藤
(8)三浦弘行八段(4勝4敗)-羽生
(9)深浦康市八段(3勝5敗)-阿部
(10)阿部隆八段(2勝6敗)-深浦

左の数字は、今期のA級棋士10人の順位で、前期もA級に在籍した上位の8名は前期の成績順、9・10位はそれぞれ、B級1組からの昇級者で、9位が前期のB級1組の1位、10位が同じく2位である。
今期も10人総当たりのリーグ戦による成績で、優勝者が名人への挑戦者となり、下位2名がB級1組へ陥落し、今期のB級1組の1・2位と入れ替わる。同成績の場合は、今期の順位によって決まる。

名人挑戦者は、最終戦を待たずに郷田九段に決定。一方の降級者2名のうち1名は、既に6敗している阿部九段が最終戦の深浦戦に勝っても3勝6敗止まりであり、順位が最下位であることから、上位8名には入れないため降級が確定した。

問題は、2人目の降級者である。8回戦の久保-深浦戦で、深浦が勝てば、久保の降級が確定していたが、久保が勝ち、もう一人の5敗だった丸山九段も勝ったため、3勝5敗で3人が並ぶことになった。
こうなると順位の上下がものを言い、深浦八段は最終戦で勝って4勝5敗としても、他の2人が勝つと順位で上回れないため、他力本願である。もちろん、負ければその時点で、他の2人の成績にかかわらず降級が決まる。深浦八段は、2年前初めてA級に昇級した際も4勝5敗と善戦しながら、降級の憂き目にあっている。今期はどうなるだろうか。
丸山九段と久保八段は、最終戦で勝てば自力で残留が決められる。最終戦で負けた場合は、残る2人の結果次第であり、丸山は自分が負けても、久保か深浦の2人ともが勝たなければ残留できるし、久保は負けても、深浦が負ければ残留できる。
丸山は名人経験者、名人経験者の陥落という汚名を残さないためにも、最終戦に勝って残留を決めたいところだが、相手は今期順位戦は好調ですでに名人挑戦を決めた郷田だ。郷田としても、勝って8勝1敗として森内名人に挑みたいところ、この戦いも興味深い。(郷田ファンの私は、ぜひ郷田九段に勝ってほしい)
久保八段は、6回戦で郷田九段に敗れ、その時点で最下位の1勝5敗となった時には、降級確実とも思えたのだが、7回戦で羽生三冠を破り、8回戦で当面の敵深浦八段を降したことで、自力残留が目がでてきた。その残留への執念は大したものである。
今年も、3月2日のA級順位戦最終戦が、将棋界の一番長い日になることになった。

*将棋に関する記事(2007年)
1月8日:
佐藤康光棋聖、5連続タイトル戦挑戦者
1月17日:佳境を迎える将棋A級順位戦、郷田真隆九段へのエール
2月2日:祝・郷田真隆九段、A級最終戦を残し、第65期将棋名人戦での森内俊之名人への挑戦権獲得
2月3日:第65期将棋A級順位戦8回戦の詳細
2月3日:郷田真隆九段、父の死を知らず
2月3日:将棋永世名人位の重み
2月10日:将棋第65期順位戦B級1組第12回戦の結果分析とB級2組での渡辺竜王の昇級確定
2月12日:「名人は選ばれたものがなる」-郷田真隆名人待望論
3月3日:将棋界の一番長い日、将棋第65期A級順位戦の最終局の結末

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007年2月 2日 (金)

祝・郷田真隆九段、A級最終戦を残し、第65期将棋名人戦での森内俊之名人への挑戦権獲得

昨日、2月1日は、将棋の第65期A級順位戦の第8回戦の5局が、東京の将棋会館、大阪の関西将棋会館でいっせいに行われた。

森内俊之名人への挑戦権を左右するのは、ともに関西将棋会館で行われた「郷田真隆九段(6勝1敗)対阿部隆八段(2勝5敗)」と「谷川浩司九段(5勝2敗)対羽生善治3冠(4勝3敗)」の2局。

郷田ファンの私としては、結果の出るのをいまや遅しと待っていたが、ようやく2日の1時34分に、主催者毎日新聞社のMSN毎日インタラクティブに結果が次のように報じられた。

郷田は阿部隆八段を降し、星を伸ばした。2番手の谷川浩司九段は羽生善治王将に敗れ、3敗目を喫した。このため、最終局を待たずに郷田の挑戦が決まった。(MSN毎日インタラクティブ)

郷田九段は、自ら阿部八段に勝って7勝1敗とし単独トップを維持、唯一2敗で郷田九段を追っていた谷川九段が羽生3冠に破れたため、谷川、羽生とも5勝3敗となった。これで、2敗がいなくなり、郷田九段が3月2日の丸山忠久九段戦に敗れても、郷田九段に並ぶ可能性のある棋士はいなくなり、郷田真隆九段の森内名人への挑戦が確定した。

郷田真隆九段は1971年3月生まれで現在35歳。'70年9月生まれの羽生善治3冠、'70年10月生まれの森内俊之名人とは同学年である。四段昇段は、'90年4月と2人よりは遅いが、1992年の第33期王位戦では、四段ながら当時の谷川浩司王位への挑戦権を獲得。4勝2敗で谷川を破り、22歳で王位のタイトルを獲得した(四段でのタイトル獲得は将棋界初)。その後、1998年と2001年の棋聖戦で、'98年には屋敷伸之棋聖から、’01年には羽生善治棋聖から棋聖位を奪取している。2001年8月の棋聖位獲得と同時に、タイトル3期獲得の規程により、九段昇段も果たしている。

気になるのは郷田九段と森内名人との対戦成績だが、現時点では郷田12勝-森内15勝で、若干森内名人の方が分がいい。また、2003年度以降は森内名人の6連勝である(日本将棋連盟ホームページ、ホームページ棋士別成績一覧参照)。
しかし、短期集中のタイトル戦は、必ずしも過去のデータだけで決まるものでもない。郷田九段には挑戦権を最終を残して決めた勢いがあり、4月11日から始まる名人戦第1戦までの準備期間も十分ある。一方、森内名人は2月、3月は棋王戦で佐藤康光棋聖の挑戦を受ける。棋王戦が最終第5戦までもつれれば、終わるのは3月28日。その結果も、微妙に名人戦に影響することになろう。
郷田ファンとしては、この第65期名人戦で郷田九段が森内名人を破り、名人となり、羽生3冠・森内名人(棋王)・佐藤棋聖の3強に割って入り、4強・四天王と並び称されるようになることを切に望んでいる。

 頑張れ、郷田真隆九段!目指せ名人位獲得

追記:なお、MSN毎日インタラクティブの報道によれば、郷田九段に破れた阿部隆八段は最終戦を待たずに、B級1組への陥落が決まったと報じられているので、阿部八段より上位で5敗していた丸山九段か久保八段のどちらか、あるいは2人とも8回戦に勝利したものと思われる。残る3局の結果もA級残留争い点から気になるところだ。

*将棋に関する記事(2007年)
1月8日:
佐藤康光棋聖、5連続タイトル戦挑戦者
1月17日:佳境を迎える将棋A級順位戦、郷田真隆九段へのエール
2月2日:祝・郷田真隆九段、A級最終戦を残し、第65期将棋名人戦での森内俊之名人への挑戦権獲得
2月3日:第65期将棋A級順位戦8回戦の詳細
2月3日:郷田真隆九段、父の死を知らず
2月3日:将棋永世名人位の重み
2月10日:将棋第65期順位戦B級1組第12回戦の結果分析とB級2組での渡辺竜王の昇級確定

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年2月 1日 (木)

ブログのスタイル、「記事」・「コラム」・「エッセイ」

今日から2月。もう暦の上での春(立春)はすぐそこまで来ている。心なしか、夕暮れ時が遅くなったような気がする。

1月は、このブログを書き出して初めて1ヵ月間毎日更新ができた。中には、出先からの携帯電話(モブログ)での短い投稿やココログのメンテナンス開始直前の走り書きもあるので、すべてに内容が伴っているとはいえないが、松村由利子さんのエッセイ・歌集や佐藤多佳子さんの『一瞬の風になれ』など、書きたくなる素材に多く巡り会え、書きたい事とが見つからないいう日が少なくて、自分としては、楽しんで書けた1ヵ月だった。
書き手の気持ちが読み手にも伝わるのか、1月は1日200アクセスを超える日も8日あり、月間アクセス数も4944件とこれまで最多だった昨年9月の4671件を更新した。(訪問いただいた方、ありがとうございます。)

先週、昼休み、神保町の古書店で昨年11月に出たばかりの『「書ける人」になるブログ文章教室』(山川健一著、ソフトバンク新書)が早くも、古本の中に並んでいた。ソフトバンク新書は、定価で買うには内容が乏しいという印象があるので、普段はまず買わないが、テーマにも関心があり、ほとんど汚れもなく新刊並で、値付けは定価700円の半値ほどだったので、ハズレでも惜しくないと思い購入した。
著者の山川氏は自身が作家であることに加え、現在アメーバーブックスの編集長としてブログの書籍化するビジネスを進める立場でもあり、多くの人にブログを書くことを勧めるのが、本書の狙いである。

この中で、ブログで何を書くかどう書くかとの分類があり、それが今日のタイトルに書いた「記事」「コラム」「エッセイ」という分類である。

僕の考えでは、あらゆる文章を「具体性→抽象性」という方向で、分類できると思うのだ。
人間がいて、彼が出会う「世界」がある。(略)
「世界」の出来事を誰かに伝えるのが記事だ。(略)
「記事」の抽象度が上がり、誰でも書いてみたいなと思う文章のスタイルとは何だろうか?それはコラムである。(略)記事という素材があり、これに「私」をミックスするとコラムになる。(略)「比較的短い文字量で、何かの対象について私的な視点を持ちながら独特の世界を描く文章」ということになるのではないか。
コラムの次にくるのがエッセイとか随筆とか呼ばれる文章だ。コラムよりも抽象度が高く、個別性も高くなり文章の分量も増えてくる。(略)コラムの守備範囲が一般的であるのに比べ、エッセイになるとその視点はどこまでも「私」でしかありえない。
(山川健一『「書ける人」になるブログ文章教室』50~56ページ)

著者は、ブログに似合う文章はコラムなので、コラムから始めようと語りかけている。

自分が書いているものは?と考えると、この分類でいけば、やはり「コラム」だろう。何か素材があり、そこに何かしら「自分」の感じたことを加えていく。
「コラム」は、自分を触発してくれる素材が命である。2月も、よい素材を探し、毎日更新をできる限り続けていきたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年1月 | トップページ | 2007年3月 »