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2007年2月 3日 (土)

将棋永世名人位の重み

4月から始まる将棋の第65期名人戦で、私が応援する郷田真隆九段が、森内俊之名人への挑戦者に決まったのは、すでにこのブログでも何回か書いてきた。

郷田ファンの私としては、めでたしめだたしというところなのだが、今回の名人戦挑戦者決定に関するブログをいくつか読んでいて、「羽生善治三冠が挑戦者になっていれば、今回の名人戦が第18世名人位をかけた争いになったのに、実現せずに残念」という内容のコメントを見つけた。そう言われれば、そうだった。

将棋連盟と各タイトル戦を主催する新聞社等の間では、各タイトルの永世称号の資格を定めている。単なる八段、九段などと呼ばれるだけでなく、引退後、棋士はその永世称号を名乗ることができる。
永世称号の付与資格は対象のタイトルを多く獲得したことが条件であり、少なくとも通算5期以上の保持が必要で、厳しいものでは、連続5期または通算10期を条件にするタイトルもある。過去、永世称号を取得した棋士は以下の8名だけだ。
(また、永世名人位だけが第何世というナンバリングがつく)

棋士名 獲得称号(獲得順)
1 木村義雄 永世名人(14世)
2 塚田正夫 永世九段
3 大山康晴 永世名人(15世)、永世棋聖、永世王将、永世十段、永世王位
4 米長邦雄 永世棋聖
5 中原誠 永世棋聖、永世名人(16世)、永世十段、名誉王座、永世王位
6 谷川浩司 永世名人(17世)
7 羽生善治 永世棋王、永世棋聖、名誉王座、永世王位、永世王将(*)
8 佐藤康光 永世棋聖

(出所:日本将棋連盟ホームページ等)

なかでも、永世名人を巡る現役棋士たちの争いは激しい。

羽生善治三冠が、現在の将棋界を背負う第一人者であることは誰もが認めるところ。かつて、将棋界の7つのタイトル全てを独占する7冠となったこともある。2007年1月末現在、通算のタイトル獲得65期。大山康晴15世名人の通算80期に次ぐ史上2位であり、すでに4つのタイトルの永世称号を手にしている。
しかしその羽生三冠でさえ、永世名人位には手が届いていない。

永世名人の取得条件は、通算5期なので、他の永世称号に比べ厳しくはないのだが、「名人」というタイトルの歴史と伝統の重みは、戦後誕生した他のタイトル戦の比ではない。まさに、将棋界の頂点である。
また、その挑戦者を決める予選がA級順位戦という選りすぐりのトップ棋士10人が1年間かけて行う総当たりリーグ戦であり、まず挑戦者になることが至難の業である。仮に、挑戦者になり名人位を獲得できても、翌年からは名人として、A級順位戦を勝ち抜いた挑戦者たちを退けていかねばならない。名人になることも難しければ、防衛することも容易ではないだろう。

羽生三冠は、1994年に当時の米長邦雄名人から初めて名人位を奪取し2度防衛(計3期)した後、1997年に谷川浩司竜王(当時)に敗れている。

なお、谷川は、この時までに1983~84年、1989~90年の計4期名人位についており、この時、三度めの名人位獲得で通算5期を達成、永世名人(17世名人)の資格を得た。
1997年に谷川に敗れた後、羽生はしばらくは名人戦の挑戦者にもなれなかった。

その間、名人位は1998年に谷川から佐藤康光現棋聖が奪い1期防衛(計2期)、2000年にはその佐藤から丸山忠久九段が奪い1期防衛(計2期)している(なお、佐藤・丸山とも初防衛戦の相手は谷川)。
2002年には、森内俊之現名人が丸山を降し、初めて名人位について(1期め)おり、6年間で4人の名人が入れ替わった。

羽生は、2003年にようやくA級順位戦を制して、久々に名人戦に登場。初防衛を目指す森内を4戦全勝で降し、名人位に返り咲いた(4期め)。

しかし、翌2004年にはリターンマッチに登場した森内が4勝2敗で羽生を破り、名人位に復帰(2期め)、翌2005年にも森内は、羽生の挑戦を退けた(3期め)。羽生は永世名人(18世)のチャンスを2回森内に阻まれたことになる。
昨年2006年の森内への挑戦者は、A級順位戦のプレーオフで羽生を破った谷川。森内名人は谷川の挑戦も退け名人保有通算4期とし、先行していた羽生に追いついた。

森内名人が通算4期、A級棋士のうち、谷川浩司九段が通算5期で永世名人位(17世)保有、羽生3冠が通算4期、佐藤康光棋聖と丸山忠久九段がそれぞれ通算2期という群雄割拠の状態である。

今回、羽生三冠がA級順位戦で優勝し、挑戦者となっていれば、森内対羽生という名人位通算4期どうしの2人の対戦となり、いずれにせよ勝った方が永世名人(18世)獲得という、永世名人位をかけた名人戦になるはずであった。プロ野球の長島巨人と王ダイエーの日本シリーズのような夢の一戦が見られるところだったわけだ。確かに、私個人とて郷田九段個人に対する特別な思い入れがなければ、1将棋ファンとしては、ぜひ見てみたい一戦であった。

郷田ファンとしては、今回の名人戦を郷田九段が制し、防衛を重ね、5期めの防衛戦の時に、羽生か森内を挑戦者として迎えると言う形で、今回実現できなかった勝った方が永世名人という夢の一戦が実現されることを期待したい。

*追記(2007年3月21日):2007年3月20日、第56期王将戦7番勝負第7局で羽生善治王将が、挑戦者佐藤康光棋聖を降し、4勝3敗で王将位を防衛。王将位在籍通算10期を達成し、5つめの永世称号となる永世王将位を獲得した。

*将棋に関する記事(2007年)
1月8日:
佐藤康光棋聖、5連続タイトル戦挑戦者
1月17日:佳境を迎える将棋A級順位戦、郷田真隆九段へのエール
2月2日:祝・郷田真隆九段、A級最終戦を残し、第65期将棋名人戦での森内俊之名人への挑戦権獲得
2月3日:第65期将棋A級順位戦8回戦の詳細
2月3日:郷田真隆九段、父の死を知らず
2月3日:将棋永世名人位の重み
2月10日:将棋第65期順位戦B級1組第12回戦の結果分析とB級2組での渡辺竜王の昇級確定
2月12日:「名人は選ばれたものがなる」-郷田真隆名人待望論
3月3日:将棋界の一番長い日、将棋第65期A級順位戦の最終局の結末

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コメント

拓庵さん、初めまして。
「羽生善治三冠が挑戦者になっていれば、今回の名人戦が第18世名人位をかけた争いになったのに、実現せずに残念」というのは、私もチラと思いましたが、いくら何でもそれは郷田九段に失礼ではないか、と、慌てて自分で自分の考えを打ち消しました。
かくなる上は、棋聖や王位を奪取した頃の勢いを取り戻して、郷田九段に是非とも名人になって戴きたい。河口俊彦七段によれば、「名人は選ばれた棋士がなるもの」だそうですが、郷田九段が「選ばれた棋士」でないとは私には思えない。名人になって、それを実証して戴きたい、と思います。

投稿: ドクトル・ジバコ | 2007年2月11日 (日) 07時54分

ドクトル・ジバコさん、私のブログをお訪ねいただいた上。コメントまでいただきありがとうございます。

「名人は選ばれた棋士がなるもの」というのは、その通りなのだろうと思います。郷田九段は選ばれる棋士の要素は十分に持っていると思います。

ドクトル・ジバコさんのコメントでいろいろ考えることがありました。それは、ここにはまとめきれないので、改めてブログの記事でまとめたいと思います。

時々、立ち寄っていただけるとうれしいです。ありがとうございました。

投稿: 拓庵 | 2007年2月11日 (日) 10時50分

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