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2007年2月 3日 (土)

郷田真隆九段、父の死を知らず

今朝の朝日新聞に「名人挑戦、決めた対局の朝、-郷田九段の父死去」との記事が出ていた。

記事によれば、郷田真隆九段の父克己さん(71)は、郷田九段が名人挑戦を決めた阿部八段との対局当日(2月1日)の午前8時13分に死去していた。対局は午前10時からはじまり、終了したのは、翌2日の午前0時15分。郷田九段は、その後、家族からの電話で、初めて父の死を知ったそうだ。

名人戦の主催社である毎日新聞が記事を提供しているMSN毎日インタラクティブの記事が、より詳しい経緯を伝えている。(おそらく、毎日新聞記事も同内容と思われる)

(前略)
対局後の検討が終わった1時半過ぎ、郷田九段は「家族へ至急、連絡して下さい」とのメモを日本将棋連盟の職員から受け取った。事務室から電話すると、ぼうぜんとした表情でいすに座り込んだ。

それから、報道陣が喜びの声を聞こうと待つ別室へ。こわばった顔のまま、「今日、挑戦を決められるとは思っていませんでした」と話したあと、「実はおやじが亡くなって。病状が悪かったので、ある程度は覚悟していましたが……」と、つい先ほど父の死を知ったことを明かした。

「おやじは本当に将棋が大好きで、私が生まれると、将棋が指せる年ごろになるのを待ち構えていたみたいです」と郷田九段。「小学3年でいい勝負になり、すぐに私の方が強くなってしまって。それでも私と指すのをやめず、負けてもうれしそうな顔をしていました」と父との思い出を語った。
(MSN毎日インタラクティブ、【中砂公治】)

大阪での対局だったので、東京在住の郷田九段は、前日(1月31日)から大阪入りしていただろう。東京を発つ時、お父さんは既に危篤状態だったかもしれない。遠からず、父親の死と直面しなくてはならないかも知れないという覚悟はしていたと思われるが、息子として父親に死に目に会えなかったという無念は、いかばかりであろうか。

一方、病床にあった将棋好きのお父さんは、今期のA級順位戦での息子の快進撃を誰よりも喜んでいたはずだ。名人挑戦を信じ、さらに名人獲得を念じていたことだろう。あるいは、勝てば名人挑戦が決まるかもしれない一戦、対局が終わるまでは、万が一のことがあっても知らせないというのは、お父さんに意思だったかも知れない。
謹んでご冥福をお祈りしたい。

郷田九段にとって、4月からの名人戦で森内俊之現名人を降し、新名人となることが、亡くなったお父さんへの最大に弔いであり供養であろう。1ファンとして、郷田新名人の誕生を、期待し応援したい。

*将棋に関する記事(2007年)
1月8日:
佐藤康光棋聖、5連続タイトル戦挑戦者
1月17日:佳境を迎える将棋A級順位戦、郷田真隆九段へのエール
2月2日:祝・郷田真隆九段、A級最終戦を残し、第65期将棋名人戦での森内俊之名人への挑戦権獲得
2月3日:第65期将棋A級順位戦8回戦の詳細
2月3日:郷田真隆九段、父の死を知らず
2月3日:将棋永世名人位の重み
2月10日:将棋第65期順位戦B級1組第12回戦の結果分析とB級2組での渡辺竜王の昇級確定
2月12日:「名人は選ばれたものがなる」-郷田真隆名人待望論
3月3日:将棋界の一番長い日、将棋第65期A級順位戦の最終局の結末

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