訃報:『14歳からの哲学』の池田晶子さん死去
今朝の朝日新聞を見て驚いた。『14歳からの哲学』((株)トランスビュー発行)などの作品で著名な、池田晶子さんがさる2月23日に腎臓がんでなくなっていたという死亡記事が出ていたのだ。
『14歳からの哲学』に「考えるための教科書」というサブタイトルがつけられているように、池田さんは、平易な言葉で、哲学を語り、考えることの大切さを説いてきた人である。
タイトルと語り口に惹かれて、数年前に『14歳からの哲学』を買ったところ、自分と同じ1960年生まれと知り、同世代のオピニオンリーダーとして遠くから期待していた見ていた人の一人だった。
記事は「昨夏、病気がわかり入院、いったん退院したが、今年1月に再入院した。亡くなる直前まで、週刊誌の連載執筆を続けていた」と締めくくられている。
『14歳からの哲学』の中には「死をどう考えるか」という章がある。
「死ぬ」ということは、本当はどういうことなのだろうか。人が生まれて死ぬということは、いったいどういうことなのだろうか。
生死の不思議とは、実は「ある」と「ない」の不思議なんだ。人は「死」という言い方で、「無」ということを言いたいんだ。でも、これは本当におかしな事なんだ。「無」といことは、「ない」ということだね。「無」とは「ない」ということだね。無は、ないから、無なんだね。それなら、死は、「ある」のだろうか。「ない」が、「ある」のだろうか。死は、どこに、あるのだろうか。死とはいったい何なのだろうか。
(『14歳からの哲学』50ページ)
2007年の日本に、確かに池田晶子さんの「死」はあった。しかし、池田さん自身にとって、「死」はあったのだろうか。それは、池田さんにしかわからないし、その答えが聞ける日が来ることはない。
同世代の貴重な才能が逝ってしまったことを惜しみ、謹んでご冥福をお祈りしたい。
| 固定リンク | 0
「人生」カテゴリの記事
- 令和元年の年の瀬にブログ更新を再開(2019.12.21)
- 49歳という年齢とブログのテーマ(2009.11.11)
- 「中年クライシス」から「中年の覚悟」へ(2009.06.01)
- 大人と子供を区別するもの、人の事を考えられるか(2007.03.05)
- 訃報:『14歳からの哲学』の池田晶子さん死去(2007.03.03)
コメント
拓庵さん、初めまして。
TBとコメントありがとうございました。
池田さんは何も言わずに行ってしまいましたね。
自分の死について書き残したものが後から出てくるのかなあ、なんて思います。
投稿: robita | 2007年3月 6日 (火) 09時39分
robitaさん、コメントありがとうございます。
書いたものは、本人がなくなっても、形になって残る。そこに、本人の思いが宿っているのでしょう。池田さんの著作もそうやって残っていく作品になるのではないでしょうか。
投稿: 拓庵 | 2007年3月 7日 (水) 21時28分
週刊新潮のコラムを毎週読んでいたのに先週は「休載」となっておりご病気でもしているのかしらと思っていたところ、今週になって中吊り広告で亡くなったことを知り愕然。新聞を読まないので情報が遅れてしまいました。全ての著書を読んできたしこれからも読み続けるつもりだったので本当にショックです。埴谷雄高氏死去のときと同様、現在池田晶子さんの意識(以前池田晶子と呼ばれていたものの意識?)が何を感じ考えているのか知りたい!と切に感じます。
投稿: ユリカ | 2007年3月10日 (土) 22時22分