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2007年3月22日 (木)

電子辞書と紙の辞書

第1志望の高校入学が決まった次女は、入学前の準備に忙しい。選択科目の芸術で、何を選択するのか、教科書や副読本の事前販売や、上履きの販売など、親の財布からは、何かと出費がかさむ。

英語や国語の辞書の斡旋販売のチラシもあった。学校推薦の辞書がそれぞれ4種類ほど指定され、市価よりは1割くらい値引きしてある。推奨される辞書の顔ぶれがずいぶん変わったものの
ここまでは、30年以上前の自分の高校入学時と大差はない。

しかし、チラシを1枚めくると、そこには電子辞書のパンフレットも挟まれていた。

高校生向けと銘打たれた推奨の電子辞書は、英和辞典、和英辞典、国語辞典の定番に加え、古語辞典、漢和辞典はもちろん、英英辞典、日本史と世界史の小辞典、四字熟語辞典に、ことわざ辞典、パソコン用語辞典とかゆいところに手が届く品揃えで、さらに生物・物理・化学の小辞典や百人一首も加わる。大学の受験勉強の時お世話になった、山川出版社の社会科の用語集が世界史B、日本史Bだけでなく倫理、地理、政治・経済、現代社会と全て収録されているという。
さらにイアフォンで英単語や古語の発音が聞け、手書きパネルが付いて漢字や英単語の書き取りにまで対応している。
収録コンテンツの総数は全部で56。およそ、高校3年間で必要とされるであろう辞書・辞典類は網羅されているといってよい。
それは、現在の日本で社会人として暮らすに必要な常識を網羅しているということと同義であり、親である私の方が使いたいくらいだ。

学校が、出入りの書店に、電子辞書を推奨販売を認める時代になったかと思うと、やはり30年の時代の変化を感じざるをえない。

自分の高校時代を思い返してみれば、重たい英和辞典を鞄に入れて登校し、重要な単語には赤線を引いたりしたものだが、そんなことを言っていると、古いと言われるのがオチだろう。

今年、高校を卒業した長女に、高校入学時に買い与えた、英和辞典や古語辞典は、ほとんど開かれることなく、新品同様で3年を終えた。
長女が、3年間使ったのは、私が会社の帰りに、たまたま家電量販店で格安で販売されているのを見つけて買った、コンパクトな電子辞書(英和・和英・国語・漢字・古語)だけである。それでも、高校を卒業できてしまったのだ。

紙の辞書で育ち学んだ父親は、辞書は、言葉を調べるという機能だけでなく、1冊の書物としての網羅性、一覧性、関係性を持っていることに意味があると思っている。
例えば、辞書には何万という言葉が記されているが、自分が調べるのはそのほんの一部に過ぎず、知らない言葉の方が遥かに多いことを、辞書は、その存在だけで知らせてくれる。
また、ある言葉を調べたついでに、周りの言葉にも、知らず知らずに目がいって、辞書を読むことで、英語であればルーツが同じ語群をまとめて眺めることができる。

電子辞書では、網羅性は目に見えることはなく、一覧性や関係性は捨象され、特定の言葉を調べることに特化している。それは、確かに、辞書の第一の機能であるけれど、残りの網羅性や一覧性、関係性を、本当に、捨象してしまっていいものなのだろうか?
それは、インターネットの世界が、何でも知りたいことを教えてくれるけれど、誰も全容を把握できないし、細切れに調べたことを統合し、再編集するのは、調べた側の仕事になるというのと同じことであろう。
電子辞書は、言わばミニ・インターネットなのだ。それは、知識の断片しか伝ない。細切れの知識の断片を、常に調べた側が、統合する作業をしておかないと、知識のコレクターに終わってしまう。
電子辞書は、便利なようで、実は不親切な機器なのだと思う。。

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