藤原正彦著『若き数学者のアメリカ』(新潮文庫)に見るアメリカ教育事情
3日前に一度書きかけて消えてしまった藤原正彦著『若き数学者のアメリカ』について、忘れないうちに書いておきたい。
藤原正彦さんは小川洋子さんが『博士の愛した数式』を書く際に取材した数学者。現在は、お茶の水女子大学教授だ。作家の新田次郎・藤原てい夫妻の次男ということもあって、エッセイストとしても活躍しており、この『若き数学者のアメリカ』で日本エッセイストクラブ賞を受賞している。最近では新潮新書の『国家の品格』が話題を呼んだ。
このエッセイは1972年夏から2年間のアメリカ留学を、いろいろな角度から描いたものだ。今から35年も前のアメリカの話なので、現在どうなのかはわからないが、アメリカの学生について書いた以下の部分に興味を持った。アメリカの学生がよく勉強することについて述べているだが、次のように書かれている。
彼らが、ある意味では高校時代までに勉強らしい勉強をほとんどしていないということである。(中略)それでは、小学校から高等学校までの間に、学校で何を教えられていたのだろうか。人に聞いた話を総合すると、アメリカの学校では「いかに他人と協調して仕事を進めるか」とか「いかに自分の意思を論理的に表明するか」とか「問題に当面した時、どう考え、どう対処して行くか」とか「議論において問題点をどう掘り出し展開するか」などといったことに教育の重点を置いているらしい。
(『若き数学者のアメリカ』252~254ページ)
受験勉強で疲れ果ててもいなし、勉強に対してあこがれのような気持ちも持っているので、大学に入ってよく勉強するというのが、藤原先生の分析である。
35年前のアメリカで高校までで重点的に教育したという
・「いかに他人と協調して仕事を進めるか」
・「いかに自分の意思を論理的に表明するか」
・「問題に当面した時、どう考え、どう対処して行くか」
・「議論において問題点をどう掘り出し展開するか」
といった点は、いざ学校教育を終えて社会に出れば最も必要とされるスキルでありながら、日本では学校での教育が決して十分とはいえないことばかりである。
4つのうち「問題に当面した時、どう考え、どう対処して行くか」については、自分が子育てをするにあたって、子どもたちに常日頃から言い続けてきたことなので、我が意を得たりという気もするのだが、既にアメリカでは35年前にそういうことが、学校教育に組み込まれ実践されているという点は、さすがプラグマティズムの国だと思うし、未だに出来ていない日本の現状を考えると、アメリカに敵わないのもやむを得ないかという気がしてしまう。
多分、日本の知識偏重主義とアメリカの実践主義を足して2で割るような教育ができれば、バランスの取れた人が育つのだろう。せめて、自分の家庭の中だけでもそうしたいものである。
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