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2007年6月25日 (月)

バーチャルなネット社会での言葉使いの難しさ

最近、ブログを巡るいくつかの出来事があって、バーチャルなネット社会でのコミュニケーションの難しさを痛感している。

我々は、日常生活では、なにがしかの交友関係を持ち、会話をしながら暮らしている。親しい人であれば、その人の性格や人柄、好き嫌い、得意・不得意、行動や思考のパターン、知識レベル等を理解して、それを前提に会話をしている。
この人なら、この分野は詳しいので専門用語を使っても通じるだろうとか、子ども相手であれば難し言い回しやめて、わかりやすい言葉を使おう…など、言葉を使い分けている。
間違って通じない言葉を使ってしまった時は、相手が何となく困った顔をしたり、会話が噛み合わなかったりで、自分の使った言葉がその相手に相応しくなかったことが、その場でも何となくわかる。場合によっては、相手が不愉快そうな顔をすることもある。
しかし、相手の反応でうまく伝わらなかったことがわかれば、その場で言い直したり、謝れることもできるし、その場が無理でも、次の機会に修正する材料になる。そういうことを繰り返しながら、相手に応じた言葉に使い方、使いわけをしているのだろう。
もっとも、そんなことは、普段はいちいち考えなくても、相手に応じて自然と使い分けて、あまり意識をすることもない。

ブログなどを通じて行われるインターネット上でのコミュニケーションでは、読み手の全体像というものがつかめない。
普段、我々が無意識に得ている相手についてのいろいろな情報が全くわからない中で、相応しい言葉を使うことは難しい。

岩波新書の2007年5月の新刊西垣通著『ウェブ社会をどう生きるか』は、辛口のウェブ論で、帯には「情報は、本当に「伝わる」のか?」とのキャッチコピーが書かれている。

ウェブ社会をどう生きるか (岩波新書)
ウェブ社会をどう生きるか (岩波新書)

その中で、次のようなもっともな指摘がある。

誤解というのは、相手の意図の一部しか理解しないためにために生じるものではなく、むしろ相手にとってまったく予想外の解釈、つまり曲解をおこなうことから生じることの方が多いのです。
(西垣通著『ウェブ社会をどう生きるか』13ページ)

私も、ブログで自分が書いた事に、思いもしない反応があったことがあり、驚いたことがある。自分の持つ言葉のイメージと、読み手が持つ言葉のイメージが違った時には、お互いが自分のイメージが正しいと思っているだけに、すれ違いしか生じない。そこで、言葉だけで、意見の主張を始めると、もともとすれ違っているだけに、ますます亀裂は大きくなり、修復は難しい。

なるべく、多くの人に誤解をされない言葉を使うように心がけても、それぞれの人の個性が違うように、それぞれの人が持つ言葉のイメージも微妙に異なるので、ネットを通じて言葉だけでコミュニケーションをすることが、ないものねだりなのかも知れない。
それでも、私は書くことが好きなので、懲りずに書き続けるつもりだけれど…。

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