未完の河合心理学は、日本が必要とする賢者の智恵ではなかったか?
河合隼雄さんが亡くなったことについての記事は、新聞では昨日の朝刊に載った。朝日新聞では、人類学者の中沢新一氏が、お悔やみのコメントを寄せていた。
中沢氏は、
「日本にほとんどいなくなった賢者でした。日本人に魂というものが危機に陥っていると認識し、救おうとした」(中沢新一、2007年7月20日、朝日新聞朝刊)
と語っている。
賢者という言葉が、実にぴったりくる存在だったと思う。このブログでも一度紹介した『縦糸横糸』(河合隼雄著、新潮文庫)は1996年5月から2003年5月まで月1回のペースで新聞に連載したコラムをまとめたものである。この本は、この間の数々の出来事を題材に、臨床心理士の立場から、日本の病状を診断したものと言ってよいと思う。全部で72編のコラムからなっているが、その中に「不況も克服するために -文化庁長官就任に際して-」とのタイトルで文化庁長官を引き受けた理由を語った一文がある。まず、最初に文化庁長官就任の打診があった際には断ろうかと思ったと語った後で次のように続く
◆抑鬱状態の日本
私はこれまで、臨床心理の仕事をしつつ、日本文化をいろいろ論じてきたし、国際日本文化研究センターの所長の仕事もしてきた。どうしてこうまで「文化にこだわってきたのか、我がことながら不思議に思った。それは考えてみると、私の仕事はあくまで個人を大切にすることだが、現在においては「文化」を抜きに個人を考えられないからである。
このグローバリゼーションの波の強いなかで、文化を抜きに生きていたのでは、知らぬ間に、根なし草のようになってしまう。さりとて、かたくなに文化にしがみついていては、世界の流れのなかで孤立してしまう。個人と文化は密接に関連しているのだ。
こんなことを考えているうちに、現在の日本の不況による沈滞が個人の抑鬱状態と重なって見えてきた。不況は英語でデプレッションだが、それは「抑鬱」をも意味している。つまり、日本の国を一個人として見れば、それは抑鬱状態に沈んでいるのである。
(『縦糸横糸』284ページ)
河合氏は、このように日本の国そのものを抑鬱状態と診断し、「「文化」活動に力を入れることで、それ(不況=抑鬱状態)を克服できるのではなかろうか。」と文化庁長官を引き受けたのだ。
長い不況から脱出できそうな様子になってきた時期になって、河合氏がそれと引き換えのように、亡くなったのはなんと皮肉な巡り合わせだろうか。
多少、景気が良くなってきたとはいえ、日本人全体はまだまだ抑鬱状態にいるような気がする。
今日(2007年7月21日)の朝日新聞朝刊には生前の河合氏と親交の深かった哲学者の梅原猛氏が”「河合心理学」未完が残念”との題で追悼文を寄せ、最後が次のように結ばれている。
おそらく河合氏は要職を退いたら、仏教や東洋の英知の伝統をひく、ユング心理学に匹敵する河合心理学を立てようと思っておられたにちがいない。
そのような仕事を完成されずに亡くなられたことは、日本の学問のためのも甚だ残念なことだと私は思う。
(梅原猛、2007年7月21日朝日新聞朝刊)
河合心理学こそ、これからの日本に必要な「賢者の智恵」ではなかったか。それをまとめる時間が河合隼雄さんに与えられなかったことを、なんとも恨めしく思う。そして、それは、残された現代の日本人にとって、なんと大きな損失であることか。悔やまれてならない。
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