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2007年7月17日 (火)

『ゲドを読む。』から、中村うさぎさんが語る「見えない言葉」

フリーペーパー文庫本『ゲドを読む。』を読み終わる。それぞれの人たちのゲド戦記論を読んで、まだまだ自分の読み方は浅いと改めて思った。

その中で中村うさぎさんが書いた「見ない言葉-『ゲド戦記』に託されたもの」の一部を紹介したい。
この小論は、昨年夏の映画公開時に宝島社から出された『別冊宝島 僕たちの好きなゲド戦記』が初出である。

これまで我々は(略)、どれだけ多くの大切な言葉を喪ってきたことだろうか。たとえば、「愛」という言葉。(略)軽々しく垂れ流されてきたおかげで、「愛」とい言葉はすっかり擦り切れて本来の力も価値も失くし、薄っぺらな偽善の呪文に成り果ててしまった。言葉を失くすということは、その概念自体を失くすということである。結果、我々の魂は「愛」を見失い、しかも自分が何を失ったのかも自覚できず、だだただ大きな喪失感だけを胸に抱いてゾンビのように生きるようになってしまったのだ。本来、「愛」は、人の魂を輝かせる偉大な魔法の力であったはずなのに。愛の力を失った我々は、生きる意味をひとつ失ったに等しい。そうやって我々は、大切な言葉を失うたびに、生きる意味をひとつずつ失い、ついの己の人生を虚無と厭世の終わりなき日常の砂漠と化してしまったのだ。(略)。
「見えぬものこそ。」
スタジオジブリ製作「ゲド戦記」の予告篇では、このフレーズが画面に大きく浮かび上がる。「見えぬもの」とは、何か。「言葉」であり「概念」であり、それらを生み出す人間の「想像力」である。他者に対する想像力、世界に対する想像力、目に見えぬすべての概念に名をつけ、言語化し、実存させる想像力…それこそが、人間の持つ「魔法の力」なのだ。(略)。
「見えぬものこそ。」
そうだ。我々の魂はいつも、目に見えぬもので繋がり、支えられているのだ。目に見えるものだけを追いかけていると、物事の本質を見失ってしまう。わかりやすい物語や、口当たりのいい言葉だけを享受していると、メタファーという深遠なる智恵(すなわち、隠されたメッセージ)を汲み取る能力を失ってしまう。
(『ゲドを読む。』157~158ページ)

普段、何気なく「言葉」というものを使い、話したり、書いたりしているけれど、本当にのその言葉にふさわしい使い方をしているのか、上滑り、軽々しい垂れ流しになっていなか、もう少し吟味して言葉を使わないといけないのだろう。

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