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2007年11月29日 (木)

将来やってみたいこと「スケッチと書道」

先々週受けた研修のテーマが定年後の第二の人生をどう生きるかがテーマだったという話を書いた。
そこでは、会社を離れても通用する専門技能を身につけているかというのが大きなテーマだったが、さらにその先の話として、完全に仕事からリタイアしたあと、残りの人生をどのように過ごすのかというテーマもあった。

その頃には、3人の子ども独立しているだろうから、我が家の場合であれば、夫婦2人になった後、2人でどう過ごすのかというテーマであった。
夫婦で共通の楽しみを見いだす、それぞれ自分のやりたいことを探しお互いにそれを認め合う、あるいはその両方の間を取った折衷案でいくなど、選択肢は様々だろう。

私の場合は、パソコンを前に今ブログを書いているように、文章を書き続けるというのが、一番ありそうな姿だが、ほかにやってみたいことはあるだろうか?と考えてみた。

思いついたのは2つ。「スケッチと書道」である。もちろん、読書とか旅行とかパソコン作りなど、これまでやってきたことも、続けるとは思うが、時間に余裕ができたら何がやってみたいかと考えると、浮かんできたのがこの2つである。

上手に絵が描ける人がうらやましいといつも思ってきた。パソコンで絵を描くソフトも、いくつも買ってインストールしてきた。パソコンを作るたびに、なにがしかインストールしてるのだが、結局使いこなしたことがない。
毛筆できちんしたと字が書けるようにも、なりたいものだと思いつつ、結局我流で終わっている。ペン字については、中学時代の自分なりに工夫し努力したら、小学生の頃のしまりのない字が、それなりに見られるようになっただけに、よけいに毛筆の下手さ加減が嫌になる。

はて、なんで「スケッチと書道」なのかと改めて考えてみると、2つとも子どもの頃、やり残してきたことではないかということに気がついた。
幼稚園時代、福岡の田川という炭坑で有名な町に住んでいたことがあるが、その頃、筑豊のボタ山を描いていた洋画家のお絵かき教室に通っていたことがあった。1年ほど通っただろうか、田川を引っ越すので、教室をやめ、それ以降、絵を描くこととは縁が切れてしまった。しかし、その後、どこかに習いに行きたいとも思ったわけでもなかった。お絵かき教室に通った甲斐もなく、学校の図画工作や美術の時間には、特別な作品は何一つ描けず、ただの人だった。

書道の方は、小学生の時の話である。小学4年になる時、父の転勤で福岡から東京に引っ越し、世田谷に住んだ。4年生の途中から、書道教室に通った。なぜ、通うことになったのか、あまり定かな記憶はない。ただ、月1回課題を提出し、出来がよければ進級するのだが、あまりはかばかしく進級せず、そのうち、同級生が通っている剣道の道場の方が面白そうにみえ、書道を辞めて、剣道に行くことにした。
私にとっては、書道はいわば挫折したお稽古事であり、ささやかなトラウマでもあった。
福岡と東京の2つの小学校で、3人の先生に担任として教えてもらったが、そのうち2人は字が上手で、毛筆でもお手本になるような字を書く先生だった。
あんな風に書きたいが、現実の自分は全く書けない。ペン字だけは、その2人の先生の字をお手本にして、何とか克服したが、毛筆は挫折したままなのだ。
「スケッチと書道」である。もちろん、読書とか旅行とかパソコン作りなど、これまでやってきたことも、続けるとは思うが、時間に余裕ができたら何がやってみたいかと考えると、浮かんできたのがこの2つである。

上手に絵が描ける人がうらやましいといつも思ってきた。パソコンで絵を描くソフトも、いくつも買ってインストールしてきた。パソコンを作るたびに、なにがしかインストールしてるのだが、結局使いこなしたことがない。
毛筆できちんしたと字が書けるようにも、なりたいものだと思いつつ、結局我流で終わっている。ペン字については、中学時代の自分なりに工夫し努力したら、小学生の頃のしまりのない字が、それなりに見られるようになっただけに、よけいに毛筆の下手さ加減が嫌になる。

はて、なんで「スケッチと書道」なのかと改めて考えてみると、2つとも子どもの頃、やり残してきたことではないかということに気がついた。
幼稚園時代、福岡の田川という炭坑で有名な町に住んでいたことがあるが、その頃、筑豊のボタ山を描いていた洋画家のお絵かき教室に通っていたことがあった。1年ほど通っただろうか、田川を引っ越すので、教室をやめ、それ以降、絵を描くこととは縁が切れてしまった。しかし、その後、どこかに習いに行きたいとも思ったわけでもなかった。お絵かき教室に通った甲斐もなく、学校の図画工作や美術の時間には、特別な作品は何一つ描けず、ただの人だった。

書道の方は、小学生の時の話である。小学4年になる時、父の転勤で福岡から東京に引っ越し、世田谷に住んだ。4年生の途中から、書道教室に通った。なぜ、通うことになったのか、あまり定かな記憶はない。ただ、月1回課題を提出し、出来がよければ進級するのだが、あまりはかばかしく進級せず、そのうち、同級生が通っている剣道の道場の方が面白そうにみえ、書道を辞めて、剣道に行くことにした。
私にとっては、書道はいわば挫折したお稽古事であり、ささやかなトラウマでもあった。
福岡と東京の2つの小学校で、3人の先生に担任として教えてもらったが、そのうち2人は字が上手で、毛筆でもお手本になるような字を書く先生だった。
あんな風に書きたいが、現実の自分は全く書けない。ペン字だけは、その2人の先生の字をお手本にして、何とか克服したが、毛筆は挫折したままなのだ。

「スケッチと書道」が思いついたのは、私がその2つのことにコンプレックスを持っていて、それを何とかしたいという思いがあるからだろうと思う。
そんなことかつらつら考えていたら、書店でおあつらえ向きの本を見つけて、思わず買ってしまった



さて、今回はものになるかどうか。まずは、一通り読んでみよう。

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