1970年生まれのうめき声が聞こえる水無田気流著『黒山もこもこ、抜けたら荒野』(光文社新書)を読み始める
昨日のブログで紹介した『企業こころの危機管理』は今朝の行きがけの通勤電車で読み終わったので、今度は光文社新書の2008年1月の新刊『黒山もこもこ、抜けたら荒野』を読み始めた。
黒山もこもこ、抜けたら荒野 デフレ世代の憂鬱と希望 (光文社新書)
書店で目にした時、一風変わったタイトルとなんと読むかよくわからない著者名にひかれて先ず手に取る。
著者名は「みなしたきりう」と読むとのこと。
もちろんペンネームで巻頭の「はじめに」が「変な筆名でどうもすいません」と始まって、次のように自己紹介されている。
補足説明しておくと、私は(一応)詩人、性別・女性、既婚、ついでに子持ちである。もっともいろいろなものを書きすぎて、自分が何者なのかよくわからなくなっている。
(『黒山もこもこ、抜けたら荒野』11ページ)
著者は1970年生まれ、ご本人の定義によれば、団塊ジュニアの直前の世代ということらしい。
父親は父親は1938年(昭和13年)生まれで、小学校1年生で終戦を迎ええ地方の国立大学を卒業後サラリーマンに、母親は女子大の被服科を卒業した後、和裁洋裁料理など花嫁修業をしたのちにお見合いで結婚。その2人子として、東京郊外ベットタウンで著者は生まれた。高度成長時代末期に子ども時代を過ごし、就職を迎えた時には、バブル経済の崩壊で就職氷河期を迎えていた。
なんとか就職した著者は、しかし一般職として働きの割に安すぎる給料にとても割が合わないと思ったことと、ちょうど母親が亡くなったことが重なって、1年で会社を辞め、大学院に通う。そして研究者となるが、定職はなく、自らを「知識集約型高齢フリーター」と呼んでいる。
この本は、サブタイトルに「デフレ世代の憂鬱と希望」とあるように、いわば1970年に日本の典型的な中流家庭に生まれた著者が、自らの足跡を時代の変遷とともに語り、現在の日本がかつての時代と比べて何をなくし、今過去の何の憧憬を感じているのか、これからどこへ行こうとしているのか考えようとしているようである。
読んでいると、一行一行、これまでの思いの丈を呻(うめ)くように絞り出しているようにみえる。精神科医の香山リカさんが、著書の中で1970年代生まれの団塊ジュニア世代を「貧乏クジ世代」と呼んでいるが、70年生まれの著者もその足跡を見ると、貧乏クジ世代の先駆けのようにも見える。
1960年生まれの私の世代は、団塊世代と団塊ジュニアの狭間の世代で、社会的には傍若無人に振る舞った団塊世代の後始末ばかりさせられているような気がして、損をした世代と感じたこともあったがそれでも社会人になって若手サラリーマンとして働き盛りの頃に、ちょうどバブル経済の上り坂と重なり、いい思いをした時期もあった。(その後のバブル崩壊後の失われた10年では、ずいぶん割を食ったとも思うが…)
しかし、著者の世代は、社会に出てからは、いいことは一つもない。
このように、世代間でも極端な不公平感を感じる社会というのは、決して望ましい姿だとはいえないだろう。それを少しでで正すのが政治の役目だと思うが、選挙で勝つためには多数派の票を獲得しなければならないので、やなりこれからも「団塊の世代」の選択が社会の流れを決めていくのだろう。
話が少し脱線してしまったが、著者の鋭い切り口で、今の社会全体の思いをどうすくい上げるのか楽しみである。
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