« 里帰りを終え、東京に戻る | トップページ | 昨年(2007年)の目標の総括 »

2008年1月 5日 (土)

将棋の森下卓九段の中年クライシス

帰省中に日本将棋連盟の月刊誌「将棋世界」の2008年2月号を買った。今回は、個人的に興味を持つ記事が多かった。
その中の一つが昨年(2007年)11月の第28回JT将棋日本シリーズ決勝で森内俊之名人を降し、優勝した森下卓九段のコメントである。

日本シリーズの出場資格の詳細はわからないが、前回優勝者、タイトルホルダー、賞金獲得上位者といったところではないかと思う。参加者12名のトーナメント戦だ。
記事によれば、森下九段の序列は参加12名中10位。「下馬評は見事に覆されたのだった」とも書かれている。

日本シリーズでの将棋の内容は、「重厚な棋風(記事中の森内名人のコメント)」と言われ、理論派の森下九段の印象とはかけ離れた、素人目からやや無理筋ではないかと思われるような攻めを敢行し、そのまま攻めきってしまうというものが多かったように思う。

ご本人のコメントは

今回のJT杯は4局とも『当たって砕けろ』の気持ちでしたから
(『将棋世界』2008年2月号133ページ)

とある。

何が森下九段を「当たって砕けろ」にさせたのか?

森下卓九段は1966年(昭和41年)7月生まれの41歳。17世名人の資格を有する谷川浩司九段(1962年生まれ)と現在の第一人者羽生善治二冠(1970年生まれ)の狭間の世代である。
18歳でプロになった1984年は中原16世名人・米長永世棋聖の全盛時代の中で、若き谷川浩司名人の誕生して間もない頃である。中原・米長・谷川に追いつけ追い越せと一歩ずつ順位戦の階段を上っていたところ、後から来た羽生超特急に追い抜かれたものの、B級2組は2期、B級1組は1期で通過し、1994年には28歳でA級に昇級した。
さらに、そのA級1期目に7勝2敗でA級を制して1995年当時に羽生名人に挑戦している。
この名人挑戦を含めタイトル戦の挑戦者となること6回、棋戦の優勝7回を数える。A級にも9年連続通算10期在籍している一流棋士である。(通算成績:752勝458敗、勝率0.6215)

森下九段にとって不幸だったことがあるとすれば、その名人挑戦の前後、棋士として最も好調だったと思われる1994年~96年頃は、現在の羽生善治二冠が7つのタイトル全てを独占した羽生七冠誕生の前後であり、羽生将棋が無類の強さを発揮していた時期だったことである。
森下九段の6回のタイトル挑戦のうち、4回が羽生戦であり2勝14敗と大きく負け越しており、結果的にこれまでタイトルとは無縁であり、タイトル獲得では同じ花村九段門下の深浦康市八段に先を越されることになった。
また、復帰したA級も2勝7敗の成績で一期で陥落、昨期は陥落後のB級1組でも不調で最後まで降級候補に名を連ね辛くも降級を免れる状況で、かつての面影は感じられなかった。

一方で、昨年・一昨年と将棋連盟の渉外担当の理事を務め、名人戦の毎日新聞からの移管問題、女流棋士の将棋連盟からの独立問題という大問題に遭遇、奔走していた。連盟理事の激務がたたったのか、昨年3月には急遽入院することとなり、棋聖戦の挑戦者決定トーナメントを欠場し不戦敗となったのは記憶に新しい。

「23、24歳の頃は自分が一番強いと確信していました。誰よりも努力している自負もありました。だから優勝して当然という意識でした。
完璧に指して、完璧に勝つ--当時はこのように考えて将棋に取り組んでいました。(中略)
しかしですね・・・このやり方は正直言ってツライんです。若くて体力があって気力が充実しているときはできるけれど、とても続けられません。26歳頃からその反動というか、たるみが出ました。生きていくなかで、また棋士を続けていくなかで、『ぜい肉』や『ガラクタ』が身体中にまとわりついてきたんです。こんなことではイカンと思うのだけど、気持ちがついてきませんでした。
(中略)
優勝からすっかり遠ざかったのに、焦りはなかったですね。焦りは一生懸命やっている人間が感じるものです。緩みだしてからは、小手先というか、ただ惰性でこなしているだけなんですよ。(中略)
だからA級を陥落したとき(第61期・36歳)も、正直言って痛みを感じなかったんですよ。むしろよくここまで落ちなかったな、と思うくらいでした。
今年3月、腹膜炎で手術をしました。もう一歩遅れていたら危なかったと医者に言われるほどの容態でした。40歳を過ぎ、大病も患い、棋士としてこのまま終わるのはツライな、と思うようになりました。死に直面してようやく気持ちが変わりました。というか、死に直面するまで変われなかったですね。
これからは、もう一度原点に帰って盤一筋で生きたい。プロを目指した30年前の奨励会のようにね。やっぱり棋士は『将棋が強くなりたい』という気持ちを失ったら終わりですから」
(『将棋世界』2008年2月号136~1373ページ)

18歳でプロになった森下九段は、大学を出て社会人になった私などより早熟なのだろう。最初にA級から陥落した36歳の頃から「中年期の危機(中年クライシス)」が始まっていたのではないだろうか。
そこに、連盟理事という将棋とは直接関係ない仕事も加わり、さらに2つの大問題に遭遇することとなり、いろいろ思うところもあったのではないだろうか。
そして、最後の締めくくりが、あと一歩遅ければ死んでもおかしくなかった腹膜炎の手術。
それらの苦難の末、ようやく見つかった進むべき道。「当たって砕けろ」の猪突猛進の将棋に背景にこれだけの思いがあったと知ると、森下九段の将棋を見る目も変わってくる。
A級陥落後9年間B級1組で戦い48歳でA級に復帰し4期在籍した青野照市九段や49歳11ヵ月で名人になった米長邦雄永世棋聖の例もあるが、森下九段がこの優勝を機に、今後どんな活躍をみせるかも興味深い。

|

« 里帰りを終え、東京に戻る | トップページ | 昨年(2007年)の目標の総括 »

将棋」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/168560/17592582

この記事へのトラックバック一覧です: 将棋の森下卓九段の中年クライシス:

« 里帰りを終え、東京に戻る | トップページ | 昨年(2007年)の目標の総括 »