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2008年2月 5日 (火)

『思春期ポストモダン』(斎藤環著)で語られる「ひきこもり系」と「じぶん探し系」

昨日は、『神の守り人』(上橋菜穂子著)を買った話を書いたが、以前紹介した『黒山もこもこ、抜けたら荒野』(水無田気流著)を読み終えたあと、幻冬舎新書から2007年11月に発刊された『思春期ポストモダン』という本を読んでいる。

思春期ポストモダン―成熟はいかにして可能か (幻冬舎新書)
思春期ポストモダン―成熟はいかにして可能か (幻冬舎新書)

著者の斎藤環さん(男性)は1961年生まれの精神科のお医者さんで、専門は思春期・青年期の精神病理学と紹介されている。病院での診療を行いながら、精神分析のほか幅広い評論活動を行っているとのこと。

サブタイトルが「成熟はいかに可能か」で、帯のキャッチコピーは「成熟が価値を失くした社会で、大人になるとはどういうことか?」と書かれている。現代社会で若者が大人になることの難しさについて書かれた本という理解でいいと思う。

従来型の、年配者が若者の行動を見て眉をひそめ「今時の若い奴はけしからん。俺の若い頃は…」といったお決まりの個人的な若者評論ではなく、臨床の経験を基に、今の時代に若者にニートやひきこもりが多いのかということについて、時代、環境の変化を交えて理解しようするものだ。著者が本書で使う「病因論的ドライブ」という言葉も、ある若者がひここもりなどになるには、単なる家庭、学校、職場でのいびつな人間関係といった個別要因だけでなく、その背景にある時代の雰囲気、マスコミの論調、などさまざまな要因が絡み合っていると考えるものである。

この中で、興味をひたのが、現代の若者を分類する際に著者が用いた「ひきこもり系」と「じぶん探し系」というグルーピングである。これで全てが説明できるわけではないと思うが、目のつけどころがおもしろいと思うので、紹介しておきたい。

引きこもり系 じぶん探し系
低い コミュニケーション
能力
高い
少ない 友人の数 多い
安定 自己イメージ 不安定
自分自身との関係 自信のよりどころ 仲間との関係
インターネット 親和性の高い
メディア
携帯電話
高い 一人でいられる
能力
低い
ジゾイド人格障害 精神障害との
関連性
境界性人格障害
社会的ひきこもり 解離性障害
対人恐怖症 摂食障害

(出所:『思春期ポストモダン』75ページ)

「ひきこもり系」の典型であるひきこもりは、目でみて明らかなので、問題視されがちだが、外に出て仲間とつきあい問題などないように見える「じぶん探し系」の若者の中には、携帯電話を通じて人に依存しているだけの若者も多いということだろう。こちらは、自己の内面というものが確立されていないだけに、依存している人間関係がうまくいかなくなると突然キレたり(境界性人格障害)、摂食障害を起こしたりするケースもあるというとのようだ。
必ずしもひきこもっていないから大丈夫ともいえないということだろう。

豊かな社会は、成熟しなくても許される社会、大人になるのに時間がかかる社会ということのようだ。
我が家でも長女はすでに思春期にさしかかり、さまざまな問題を親に対して提起してくれているし、あとの二人も思春期間近だ。我々の世代のように、時期が来れば大人になっていく時代とは明らか違っているのだという前提で、子どもと対していかないとうまくいかないだろう。

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