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2008年2月10日 (日)

村山聖九段の壮絶な生き様を描いた大崎善生著『聖(さとし)の青春』を読み終わる

ここのところ、大崎善生さんの短編集を2冊読んだが、昨日の昼、家の近くの書店で、大崎さんのデビュー作品である『聖(さとし)の青春』(講談社文庫)を見つけたので買ってきた。

聖の青春 (講談社文庫)
聖の青春 (講談社文庫)

故・村山聖(さとし)九段は昭和44年6月生まれ、幼くして腎不全(ネフローゼ)を患い、常に病に苦しみながらも、将棋で名人になることに自らの生きる道を見出し、昭和61年(1986年)17歳でプロ棋士である四段に昇段。平成4年(1992年)1月にはB級2組在籍の六段ながら、王将戦で谷川王将に挑戦(敗退)。平成7年(1995年)にはプロ棋士のトップ10で名人挑戦権を争うA級棋士となった。A級2期目に降級となるが、翌年のB級1組で2位となり平成10年(1998年)にA級返り咲きを果たす。しかし、前年に手術した膀胱ガンが再発した彼が、再びA級順位戦の対局場に姿を現すことはなく、同年8月、八段でA級在籍のまま29歳の若さで亡くなった。亡くなった翌日に将棋連盟が九段を追贈している。

この『聖(さとし)の青春』は、その、村山九段が命がけで将棋に向かい合った29年間の壮絶な記録だ。
村山九段の将棋に対する凄まじい執念がこのノンフィクションのメインストリーだが、一方で、彼を弟子に迎え、師匠としてして支え続けた森信雄七段の物語でもある。

大崎さんは、将棋連盟の編集部にいて、師匠の森七段と親しくなり、師匠を通じて村山九段とも親しくなっていく。その2人をよく知る大崎さんは、親子以上の師弟の関係を、過剰な感情に溺れることなく淡々と描く。村山九段という将棋に対して純粋そのものの弟子の生き方を見て、どこが自堕落な面もあった師匠の森七段が、自堕落な生活と一線を画し、多くの弟子を育てるようになり、連盟の理事となり、40歳を過ぎて良き伴侶に恵まれ結婚する。

もちろん、村山九段の棋士として部分も余すことなく語られている。昭和44年生まれの村山九段は、現在の将棋界を席捲している羽生二冠、森内名人は1歳年下、佐藤二冠と同年である。現在、まだ健在なら必ずやタイトル争いに加わっていただろう。
ちなみに羽生二冠との対戦成績は6勝8敗であるが、最後の1敗は、最後の年の休場による不戦敗であり、実質は7勝8敗。ほぼ、互角といえるだろう。
この本を読む限り、村山九段の存在と死は、同世代の羽生二冠、佐藤二冠、森内名人、丸山九段、郷田九段など、ともにしのぎを削った棋士たちに影響を与えたに違いない。生かされているいる我々が、彼に見られて恥ずかしい将棋を指すわけにはいかないと思っているにはずだ。

私は、ちょうど村山九段が活躍した時期、将棋に対して余り関心がなかったので、同時代の棋士としてイメージできないのだが、本書のおかげでその存在の大きさを知ることができた。本書は私のように村山九段の存在を知らない人々に、彼の存在を知らしめる貴重な本だと思う。

*赤字は後日、追記の部分です

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