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2008年3月21日 (金)

亡くなるまでの河合隼雄さんの1年間の眠りの意味を思う-『考える人』2008年冬号のよしもとばななさんの追悼文から

一昨日買った河合隼雄追悼特集の載った雑誌『飛ぶ教室』と『考える人』を昨日、今日と読む。

飛ぶ教室〈2008 winter no.12〉追悼・河合隼雄 河合さんと子どもの本の森へ―児童文学の冒険
飛ぶ教室〈2008 winter no.12〉追悼・河合隼雄 河合さんと子どもの本の森へ―児童文学の冒険

河合隼雄さんは、文化庁長官在任中の2006年8月17日の奈良の自宅で倒れ、入院。2007年7月19日に亡くなるまで、1年弱昏睡状態が続いた。

その間、私も含め日本全国で何百人、何千人もの人が河合さんが再び起き出し、昏睡中の見た夢の話を語ってくれることを願っていたに違いない。(私も「気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態・その2」でそれを書いた)
しかし、その願いは叶えられず、河合さんはあの世に旅立たれ、帰らぬ人となった。「やはりだめだったか…」おそらく回復の可能性は限りなく小さいとは分かっていながら、しかしそれを願わずにはいられない1年だった。

『考える人』2008年冬号では、河合隼雄さんと『なるほどの対話』という対談集を出したこともある作家のよしもとばななさんも「河合先生ありがとう」という自らも河合さんに癒された個人的な思い出を交えた追悼文を寄せている。

なるほどの対話 (新潮文庫)
なるほどの対話 (新潮文庫)

この追悼文の結びが、河合隼雄さんを慕う全ての人の気持ちを代弁するような言葉になっている。

とうとうこんな日が来てしまったか、と思って必死で回復をお祈りした。河合先生が「よしもとさん、やあ、大変でした」と笑いながら戻って来る日を夢見たけれど、かなわなかった。(中略)
そして、私たちがみんな河合先生を当てにして、手放したくなくて、地団駄をふみたいような気持ちだったから、きっと河合先生はあのときに直接旅立つことをしなかったんだなと私は思う。みんなに時間をかけてゆっくりあきらめてほしかったじゃないかな。男として攻撃的に仕事に向かっていく以外の時間はいつもいつも自分よりも人のことを考えていらした、ひっそりと野に咲く花のような人だった。  
(新潮社『考える人』2008年冬号102ページ)

「みんなに時間をかけてあきらめてほしかったじゃないか」という一文は泣かせる文章だ。
あの世に旅立つ時まで、河合隼雄さんは、自分を慕う人たちに、別れを惜しむ気持ちを、あきらめきれない気持ちを昇華させる時間を残していたとは。
もちろん、ご本人がそう考えていたか知る由もないが、昏睡されていた1年をそのようにとらえることで、自分の気持ちに整理をつけるのが、河合さんを私淑する者にふさわしい心の有り様のように思う。

河合さんの最後の作品である自伝物語の『泣き虫ハァちゃん』(新潮社)は、まるで河合さんの遺書のように思え、読んでしまうと河合さんの死を認めなければならないような気がして、ずっと遠ざけていたのだが、今日覚悟を決めて買ってきた。

泣き虫ハァちゃん
泣き虫ハァちゃん

自分も、人生の師であった河合さんの死を受け入れて、次のステップへ進まなくてはならないのだと思う。

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