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2008年4月の記事

2008年4月30日 (水)

浜田康著『会計不正』を読み始める

3月に中央青山監査法人の消滅をテーマにした種村大基著『監査難民』(講談社)と細野康弘著『小説会計監査』(東洋経済新報社)を読んだが、今朝から浜田康著『会計不正』(日本経済新聞社)を読み始めた。

こちらは、単に中央青山監査法人の問題だけでなく、なぜ粉飾決算・会計不正が起きるのかについて、会社側・経営者側の事情と、監査する公認会計士側の事情、そして今後、会計不正をなくしていくために、それぞれの立場でどうするべきか等について考えようとするものである。

著者は中央青山監査法人所属の公認会計士で2002年には同じ日本経済社から『不正を許さない監査』という会計監査のあり方をテーマにした本を出している論客である。
しかし、皮肉にも、その後日本では数々の会計不正事件が世を騒がせ、在籍していた中央青山監査法人は解体・消滅した。
中央青山に、証券取引等監視委員会の調査が入った2005年7月には新設の監査5部長の発令を受けたばかりだったことが書かれているので、中央青山でも相応の地位にいたことになり、みずからの組織に所属する会計士がカネボウなどで「不正を許す監査」どころか「不正に荷担する監査」をしていたという事実には衝撃を受けたと思うし、『不正を許さない監査』の著者としては忸怩(じくじ)たる思いだったろう。 何とか、著者なり顔回答を出そうとして書かれたにが、この『会計不正』だったのではないかと思う。
本書の締めくくりに当たる第8章は「監査人は会計不正にどう対応すべきか」との題され、5つの節のタイトルは、次の通りである。

1.クライアントのビジネスを理解しているか
2.監査人は不正に対する感度を高め、その排除、阻止に全力を挙げるべし
3.監査人は論理的であるべし
4.監査人は自ら隘路に滑り落ちない仕掛けをしておくべし
5.監査人は自分のクライアントの行動を映し出す鏡であるとの自覚を持つべし

グローバルスタンダードという名の下、企業の1年間の成績発表である企業会計の分野でも、国際に会計基準の統一化が進んでいる。そして、市場は、経営者には常に増収・増益を求め、それを実現した経営者が優れた経営者とされ、報酬もそれに伴う仕組みに変わりつつある。
その成績表を監査する会計士も、社会や市場から自らに求められる役割が大きく変わっていることを認識しなければならなし、企業や経営者に対する見方を変えて、クライアントである企業や経営者との新たな関係を築いていかなければならないということなのだろう。本書のサブタイトル『会社の「常識」監査人の「論理」』にも、そういう思いが込められているのではないかと思う。

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2008年4月29日 (火)

東京名所めぐり:国立(くにたち)大学通りと谷保天満宮

  今日(2008年4月29日)は、東京の西に位置する郊外の街「国立(くにたち)」に行った。以前、国立で行われたジャズのミニコンサートに誘われたことがあり、夜、訪ねたことがあるのだが、駅前から南に延びる整然とした並木道が印象に残っていて、いつか昼間に再訪したいと思っていた。

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国立は、学校の街である。一橋大学、都立国立高校、私立の桐朋高校。私が眺めた並木道は、大学通りと呼ばれ、駅から南に1kmほど離れたところにある一橋大学のキャンパスを縦断し、さらにその奥に国立高校と桐朋高校がある。通りに面して、様々な店が並び、既に大きく成長している桜の並木と併せて、独特の空間を作り出している。
大学通りは、駅から南へ1.2kmほど続き、その先は道は少し細くなりJR南武線の谷保駅まで続く。谷保駅の南には文教地区の守り神にふさわしく「谷保天満宮」が鎮座している。谷保は、太宰府に左遷された菅原道真の三男が流された地とのこと。

国立は昭和初期に西武グループの総帥堤康次郎氏が率いた箱根土地という会社によって、東京郊外の住宅地として開発・分譲されたらしい。当時は、東京の西の郊外に田舎だったのだろうが、すでに80年以上が経過して、大学通りから東西に一歩入ると落ち着いた雰囲気の高級住宅街が広がっている。

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午後1時過ぎに国立駅に着き、そこから大学通りに沿って歩き、谷保天満宮まで足を伸ばす。谷保駅方面から歩くと、坂を下っていって下りきったところが広くなっていて、そこに本殿があった。境内は緑に覆われており、坂の斜面には放し飼いの鶏が数羽いて、「コケコッコー」と威勢のよい鳴き声を上げている。我が故郷の太宰府天満宮の整然と整備され門前町をなしているのと比べると、自然の中の神社という感じだった。

そこから、また国立方面へとって返す。行きがけは、国立駅から見て、大学通りの右側の歩道を歩いたが、帰りがけは反対側を歩いた。

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途中、立ち寄ったレストランや喫茶店も、ファミリーレストランやチェーンの喫茶店とは違い、もう何十年も、住民や学生たちとともに生きて、国立の街にとけ込んでいるという個性的な店が多かった。

私は、いっぺんに国立ファンになってしまった。四季折々で、大学通りの並木道を歩くために訪ねたいものである。
(考えてみれば、今日は「昭和の日」。昭和になって新しく作られた「国立(くにたち)」の街を訪ねるには、ふさわしい日だったかもしれない)

*後日、写真も何枚かアップしますので、興味ある方は再訪いただけると幸いです。

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2008年4月28日 (月)

河合隼雄著『河合隼雄の”こころ”』で語られる「指導力」

4月の半ばに、このブログで紹介した河合隼雄さんの『河合隼雄の"こころ"』(小学館)を2、3日前から読み始め、今朝の通勤電車で読み終わった。

教師向けの月刊雑誌に「子どもの心、教師のこころ」というタイトルで連載された30編のコラムをまとめたものである。
この中で、「教師の指導力」について書かれた部分を紹介しておきたい。

教師の「指導力」の中核にあるのは「授業」である。自分の教える学科についてよく知っていることはもちろんだが、それを「教える」ことについてもよく知っていなくてはならない。つまり、知識があるというだけでなく、それをどのように教えると子どもたちが理解しやすいのか、子どもたちはどのような誤りとか、誤解とかをしがちであり、それをどう説明するとよいのか、などということをよく知っていなくてはならない。(中略)
教えるべき内容、その教え方に、教師が興味をもっていることがまず大切である。教師の興味が子どもに伝授されてゆく。興味あることにともに向かっている中で、教師の指導力が自然に発揮されてくる。(『河合隼雄の"こころ"』36~37ページ)

最近、現在の職場での在籍が長くなったこともあって、新任者への研修の講師役をやったり、これまで自分が比較的詳しく調べてきたことを同僚に説明をしたりと、「教える」ことが増えてきている。
そんな立場で読むと、教えることの内容を詳しく知っていることと、「教え方」を知っているということは、別の話だという点は、実にその通りだと思う。
どう説明すれば、その分野に詳しくない人にわかってもらえるのか。それを考えることが、「教育」の一番重要なことなのだろう。

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2008年4月27日 (日)

いま一番ほしいパソコンソフト「Just Right! 3」

ブログを書いていて、問題だとわかっていながら、なかなかうまくいかないことが2つある。

1つは、書きかけの記事が消えてしまうこと。何回か痛い目にあったことは、このブログでも記事にしたが、1時間近くかけて書き、ほとんど完成目前、あるいは書き終わったものが、消えてなくなってしまった時の、脱力感は何とも表現のしようがない。
もともとは、私の使っているニフティの「ココログ」の管理ページで入力途中に外のウェッブサイトを参照しようとして、ページを移ると、入力途上の未保存の内容は全部消えてしまうという問題だった。(その後、ココログでは、ページを移ろうとした場合には警告メッセージが表示されるように改善された)
ならば、「ココログ」管理ページを使わない入力方法をということで、ブログ作成ソフトで原稿を作って、「ココログ」に転送するようにした。最終的にホームページ作成ソフトの「ホームページビルダー」のブログ作成支援機能を使うことにしたのだが、これも時として、ソフトの調子の良し悪しがあり、「ココログ」に転送したはずなのに、転送されておらず、「ホームページビルダー」側にも何も残っていないという悲劇が発生してしまった。
その後は、さらに原稿消失の予防策として、ワープロソフト上(現在は「一太郎2007」を使用)で、原稿を書き、いったん保存した上で、内容を「ホームページビルダー」にコピー、それを「ココログ」に転送するという形に変更した。
今のところ、新たな悲劇は発生していないので、これで、落ち着くことになるのではないかと思う。

2つ目の問題は、いつまでたっても誤字脱字(加えて「余り字」)がなくならないことである。これは、書いている私の不注意以外の何物でもない。しかし、時間考えて書いてきて、書き終わったところで改めて一から見直す気にはなれないというのが、正直なところだ。
実は、これにも解決策はある。なんと、文章を校正してくれるソフトウェアがあるのだ。日本語入力システム「ATOK」やワープロソフト「一太郎」を作っているジャストシステムが、文章校正支援ツールと銘打って 「Just Right! 3」というソフトを販売している。

マイクロソフトの「ワード」にも簡単な校正機能は付いているが、その比ではない。
チェック項目は、誤りチェック、用語基準の適合チェック、表現の洗練、字種統一、長さチェックなど盛りだくさんである。
自分で校正するのは限界のある私のようなものぐさには、是非ほしいソフトだが、定価28,000円には二の足を踏む。夏のボーナスで買いたいものリストの中に加えておくことにする。

こうやって記事を書きながらジャストシステムのホームページを調べている中で朗報もひとつ。
「Just Right! 3」は、マイクロソフトの「ワード」などにアドインができるのだが、自社の主力商品「一太郎」にはアドインできないと書いてある。しかし、よく調べると私が使っている「一太郎2007」には、もともと前バージョンの「Just Right!2」相当の機能が盛り込まれているとのこと。
当面は、これまでのように「一太郎」でブログの原稿を書いて、「ホームページビルダー」にコピーする前に、校正をかけるようにしてみよう。

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2008年4月26日 (土)

第21期竜王戦1組準決勝、郷田真隆九段は丸山忠久九段に敗れ、3位決定戦に回る

昨日(2008年4月25日)は、第21期竜王戦の1組の準決勝郷田真隆九段対丸山忠久九段の対戦の日。挑戦者決定トーナメントにならないと、棋譜のネット中継は行われないので、結果は翌日の将棋連盟のホームページの「最近1週間の結果」で知るしかない。

今朝、結果を見ると、丸山九段の勝ち。郷田九段は、今後行われるもう一組の準決勝、木村一基八段対鈴木大介八段戦の敗者と挑戦者決定トーナメント進出をかけて3位決定戦で戦うことになった。

同年齢の丸山九段との戦いについては、何回かこのブログでも書いているが、最近は昨年度は、2007年7月のネット将棋最強戦の決勝で郷田九段の勝ち(優勝)、2008年1月の棋聖戦最終予選2回戦で郷田九段の勝ち(その後、準決勝で羽生二冠に敗退)、2008年2月のA級順位戦8回戦で丸山九段の勝ちと続き、今回の丸山九段の勝ちとなる。相手も、名人位を2期保有した強豪なので、簡単には勝たせてもらえないが、何とか、年間通算では勝ち越してほしい相手だ。
2人は通算成績でも、いい勝負で、昨日の時点での比較で、郷田九段が942戦615勝326敗、勝率0.6536。丸山九段が935戦で628勝307敗、勝率0.6717。2人とも昨年相次いで、通算600勝を達成した。
郷田ファンとしては、同い年のライバル丸山九段には、通算成績でも、早く追いついて追い抜いてほしいところ。昨年(2007年)度は、郷田九段が好調で49戦33勝16敗、丸山九段が48戦28勝20敗と、郷田九段がいくらか差を詰めたが、お互いがこのペースを続けたとしても、郷田九段が丸山九段に勝ち星で追いつくのに、あと3年かかる。

また、竜王戦は、郷田九段にとって他の棋戦に比べ、なかなか挑戦者決定トーナメントまで進むことができず、相性がよくない棋戦である。3位決定戦は制し、7年前(2001年)の第14期以来の挑戦者決定トーナメント進出を決めて、挑戦者に名乗りをあげてほしいものである。

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2008年4月25日 (金)

将棋アマチュア初段をめざし『将棋3手詰入門ドリル』を解き、問題集として『二段の力』を買う

将棋のアマチュア初段に挑戦を始めたことは、以前書いた。月1回毎月の『将棋世界』に掲載される「初段・二段・三段コース」の次の一手の問題4問を解き、初段であれば、いかに早く8問正解を確保するかということになる。

毎月掲載の4問を待っているだけでは、棋力の向上はおぼつかないだろうから、問題集的なもので頭の体操をすることにした。

しばらく前に買ったのが、観戦記者の椎名龍一さんの『将棋1手詰入門ドリル』(池田書店)。

これは、次の一手が詰みという問題が280問。ほとんどは、一目瞭然の初級問題だが、後半161問目以降の実戦編で示された実戦局面での最後の一手になると、難しい問題もあった。

その後、同じ著者が出した『将棋3手詰入門ドリル』(池田書店)も買う。

これは単に、「3手詰め」を集めたのではない。
前半の基本編では、各ページに1手詰めと3手詰めがセットになって掲載されている。まず、上半分には前著と同様1手詰めの問題があり、下半分には上の問題の局面をさらに2手前まで遡った図が配置されている。
通常の3手詰めの本であれば、下半分の問題だけだろうが、この本は、先ず1手詰め問題を示して最後のとどめの場面を考えさせ、さらに3手詰問題では、そこから2手前に遡った図面を見せ、上の「1手詰め」の局面に持って行くにはどう指せばよいかという形で、時間を逆転させ、詰めに向けた思考のプロセスを明らかにする構成になっている。この時間を遡るところが類書にはない特長だと思う。
最初に、最終の詰みの局面のイメージを持ち、その最終形に持ち込むまで、どのように障害を取り除き、相手の玉を追い込んでいくのかという発想は、初級者と中級者以上の分かれ目になるところではないかと思う。当たり前のことなのかもしれないが、改めて形にして示されると目から鱗が落ちる思いだった。

そして、今日の仕事の帰り、いろいろな局面で最善手である「次の一手」を問う問題集として週刊将棋編『二段の力』(毎日コミュニケーションズ)を買ってきた。

将棋の週刊新聞である「週刊将棋」に毎週連載されてた棋力二段クラスの「次の一手」問題106問を載せている。簡単なヒントがあり、ほぼ、『将棋世界』に掲載される「初段・二段・三段コース」と同じレベルのようであり、「初段・二段・三段コース」対策としては格好の教材だろう。
最初の2問が立て続けに不正解だったので、真剣に考えるようにしたら、その後4問は、私の考えた手が正解だった。
なんとか、遅くとも9月ぐらいまでに、アマ初段の目処をつけたいものだ。

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2008年4月24日 (木)

内田樹著『街場の現代思想』で語られる「結婚」について

内田樹さんの『街場の現代思想』(文春文庫)を読み終わる。独特の毒気を持った鋭い切り口の語りは、なかなか他の評論家や作家にはないものである。

街場の現代思想 (文春文庫)

この本の後半7割ほどは、人生相談風に、最初に読者などからの問いかけがあり、それに内田先生が答えるという形式になっており、テーマは仕事、結婚、離婚、学歴等多岐にわたる。

その中で、結婚をテーマにした論説は、逆説的であるけれど、真実をついている気もするので、紹介しておく。

結婚と恋愛ではプレイヤーに求められる人間的資質がまったく違う。恋愛に必要なのは「快楽を享受し、快楽を増進できる能力」であり、結婚に必要なのは「不快に耐え、不快を減じる能力」なのである。(150ページ)

人類が再生産を維持するために必要な資質は「快楽を享受する能力」ではない。そうではなくて、「不快に耐え、不快を快楽に読み替えてしまう自己詐術の能力」なのである。その能力のある個体だけがそのDNAを次代に遺すことができる。そしてその淘汰圧耐えて生き残った人間を「勝者」とみなすように人類学的にプログラムされているのである。
その「勝ち負け」の判断は、私たちの側の自己決定で、どうこうできるものではない。(152~153ページ)

自分を理解してくれる人間や共感できる人間と愉しく暮らすことを求めるなら、結婚をする必要はない。結婚はそのようなことのための制度ではない。そのでなくて、理解も共感もできなくても、なお人間は他者と共生できることを教える制度なのである。
婚姻は葬礼がそうであるように、人類と同じだけ古い制度である。あるいは、婚姻制度を持たない集団もあったかもしれないが、人類学が教える限り、そのような集団はひとつとして生き残ることができなかった。「他者と共生する」という能力だけが、人間が生き延びることを可能にしているという真理を、この人類学的事実は告げているのではないか。
(162~163ページ)

しばらく前に紹介した『ひとりで生きられないのも芸のうち』(文藝春秋)とも通じるものがある。

ひとりでは生きられないのも芸のうち

著者内田先生の考えに興味をもった方は、2冊併せて読んでいただければと思う。

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2008年4月23日 (水)

第66期将棋名人戦七番勝負第2局は挑戦者の羽生善治二冠が制し、1勝1敗に

2008年4月22・23日にわたって大阪・堺市で行われた第66期将棋名人戦七番勝負第2局は、先手番の挑戦者・羽生善治二冠(王座・王将)が森内俊之名人を破り、戦績を1勝1敗のタイとした。

将棋の内容は、2人の間の92戦に及ぶ戦いの中で、先手番が60勝と先手有利の状況の中、後手になった森内名人から角交換を行う一手損角換わりの将棋となった。双方とも、玉の守りは不十分な中、攻めに重点を置いた駒組みを進める。特に、後手森内名人は居玉のまま。先手の羽生二冠が終始、主導権を握り、局面は展開した。途中、いったん森内名人が手番を握り、攻めかけたが、再び羽生二冠に手番が渡ったところで、羽生二冠が森内玉の回りの守りの金銀を一枚ずつ剥がし、さらに一度は二段目まで上がった森内玉を裸にして5一の居玉の位置に落とし、8二飛車打ちと二段目への逃げ道に網をかけ、森内名人を投了に追い込んだ。

これで1勝1敗のタイスコア。二人のこれまでの戦いからすれば、今回も最終局の第7局までもつれ込む可能性が高そうだ。
先手番の勝率が、将棋界の一般的な先手の勝率より遙かに高いということは、先手番のわずかな有利が、そのまま、勝敗に結びつくほど、2人の力が拮抗しているということの現れではないかと思う。

第3局は、ゴールデンウィーク明けの5月8・9日の両日、福岡市で行われる。

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2008年4月22日 (火)

福岡伸一著『プリオン説はほんとうか?』を読み終わり、内田樹著『街場の現代思想』を読み始める

一昨日から読み始めた福岡伸一著『プリオン説はほんとうか?』を今朝の通勤電車の中で読み終わる。
同じ著者の『生物と無生物のあいだ』と同様、分子生物学の難しいテーマが、まるで推理小説の謎解きのように語られる。

なにごとも、自分の知らないことの仕組みや成り立ちを解き明かすということが好きな私にとって、謎解きの楽しさを満喫させてくれる2冊であった。

その後、鞄の中に何冊か入れてある読む予定の本の中から、文春文庫の新刊(2008年4月)の1冊、内田樹著『街場の現代思想』を読み始めた。次は、痛快な内田節を読んでみよう。

あと、今後ゴールデンウィークにかけて読む予定で、鞄の中に入れてあるのは、これまでに買って読みかけの李御寧著『縮み指向の日本人』(講談社学術文庫)、松岡正剛著『知の編集工学』(朝日文庫)。

それに最近買ったばかりの酒井穣著『はじめての課長の教科書』(ディスカバー)、宮本輝著『にぎやかな天地(上)・(下)』(中公文庫)など。

どれだけ、読み切れるか、気合いをいれて読まないと「積ん読」本がたまってしまう。

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2008年4月21日 (月)

久しぶりに減量を意識して日比谷公園から竹橋まで歩く

昨年(2007年)は、岡田斗司夫さんの『いつまでもデブと思うなよ』(新潮新書)に触発され、9月の初めから岡田式レコーディングダイエットを始め、70kg台だった体重を12月の半ばには63kg台まで落とすことができた。
いったんそこで、レコーディングダイエットをやめたこと、その後、忘年会シーズンとなり、さらに帰省で食べるが動かないということが重なり年末年始には65kg台までリバウンドした。
さらに寒さが厳しくなったことと、仕事も少し忙しくなったこともあって、職場からの帰りの30分程のウォーキングもなかなか毎日というところまでは元気がなく、体重を63kg台に戻すまでには至らず、現在に至るまで65kg台での現状維持が続いている。

4月も下旬を迎え、だいぶ暖かくなり、日も長くなってきたので、先週から日比谷界隈での仕事ということもあって、久しぶりに日比谷公園から約30分かけて、竹橋のパレスサイドビルまで歩いた。

今週も明日と金曜日に飲み会があるので、一直線に減量を進めるのは難しいと思うけれど、そろそろ現状維持の線を多少なりとも、減少の方向に変えていきたい。

今年の目標は、体重をあと3kg減らし62kg台、BMIを22台にして、それを維持できるようにしたい。

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2008年4月20日 (日)

福岡伸一著『プリオン説はほんとうか?』を読み始める

福岡伸一著『生物と無生物のあいだ』がおもしろかったので、昨日(2008年4月19日)吉祥寺に出かけた際に、書店をいくつか回り、同じ著者の『プリオン説はほんとうか?』(講談社ブルーバックス、2005年11月)と『もう牛肉を食べても安心か』(文春新書、2004年12月)を探す。『プリオン説はほんとうか?』の1冊在庫を見つける。どちらも、出版から少し日がたっているので、在庫がないところも多い。

この2冊の共通のテーマは、一時、世界を震撼させた「狂牛病」である。『もう牛肉を食べても安心か』は、日米での「狂牛病」への対応を描いているとのこと。

そして『プリオン説はほんとうか?』は、「狂牛病」、何百年前から羊の間で起きていた「スクレイピー病」、そして「狂牛病」が人間が感染した「ヤコブ病」。これが、伝達性スポンジ脳症という共通の症状で、発症する「宿主」が違うだけであることが、近年どのように解明されてきたか。また、この病の病原体が細菌・ウィルスという従来の病原体の概念では、なかなか見つからず、プリオンというタンパク質ではないかという考え方を提唱したプルシナーという米国の学者がノーベル賞を受賞しているのだが、本当にタンパク質が病原体なのかという点について、疑問を呈し、真の病原体が他に存在するのではないかという問題を提起し、著者なりにそれに迫ろうとするものである。著者自身、「ノーベル賞評価への再審請求ととれるかもしれない」

『生物と無生物のあいだ』の前半で描かれたDNAの構造解明と同じように、科学的な発見には、純粋な科学的な探求という面と、それを行う人びとの功名争いというものが常ににつきまとっていて、それが社会的な影響が大きければ大きいほど、そこに関わる人間ドラマも生々しいようだ。
現在、ほぼ半分弱を読み終わり、これから福岡先生の仮説へのアプローチが始まるところである。
サントリー学芸賞を受賞した『生物と無生物のあいだ』に負けず、『プリオン説はほんとうか?』も講談社出版文化賞を受賞した作品で、読み応えは十分。
しかし、このような最新の科学知識を解説してくれる本を読むと、自分が知らないこととばかりであることを痛感する。

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2008年4月19日 (土)

将棋の第67期順位戦の組合せ決まる、郷田真隆九段の初戦の相手は深浦康市王位

先週、将棋の第67期(2008年度)の順位戦の組合せが決まった。名人に続くトップ10であるA級の組合せも次の通り決まった。

順位氏名段位

1回戦

2回戦

3回戦

4回戦

5回戦

6回戦

7回戦

8回戦

9回戦
1名人戦敗者木村 丸山 深浦 谷川 鈴木 藤井 郷田 佐藤 三浦
2三浦
八段
丸山 鈴木 藤井 木村 深浦 谷川 佐藤 郷田 (1)
3郷田
九段
深浦 佐藤 谷川 鈴木 藤井 丸山 (1) 三浦 木村
4丸山
九段
三浦 (1) 鈴木 佐藤 木村 郷田 藤井 谷川 深浦
5木村
八段
(1) 藤井 佐藤 三浦 丸山 鈴木 谷川 深浦 郷田
6藤井
九段
谷川 木村 三浦 深浦 郷田 (1) 丸山 鈴木 佐藤
7谷川
九段
藤井 深浦 郷田 (1) 佐藤 三浦 木村 丸山 鈴木
8佐藤
二冠
鈴木 郷田 木村 丸山 谷川 深浦 三浦 (1) 藤井
9鈴木
八段
佐藤 三浦 丸山 郷田 (1) 木村 深浦 藤井 谷川
10深浦
王位
郷田 谷川 (1) 藤井 三浦 佐藤 鈴木 木村 丸山

今期のA級は、B級1組からの昇級者2人(鈴木八段、深浦王位)がともに、A級経験者の復帰であり、強豪揃いである。
名人とA級棋士の10名に、B級1組から復帰を狙う久保八段、来期こそはA級入りと誓っているであろう20代の渡辺竜王の13名が、2008年現在の将棋界のトップグループと言えるだろう。
(ほぼ、同時に組合せが決まった、第2回ネット将棋最強戦16名の顔ぶれは、奇しくも上記13名と森下卓九段(日本シリーズ優勝)、村山慈明五段(新人王戦優勝)、阿久津主税六段(賞金ランキング12位)の3名であった)

順位1位は、現在進行中の第66期名人戦の森内名人対羽生二冠の敗者となる。私が応援する郷田真隆九段は、今期は順位3位、初戦がB級1組からの3度目の昇級となる深浦康市王位である。
郷田九段と深浦王位に共通するのが、ともに過去2度のA級昇級の際、1期で降級し、捲土重来、3回目の昇級を果たした点である。郷田九段は、3度目でようやくA級残留を果たし、4期目の第65期にはA級を制して、名人挑戦者となり、今期で通算6期のA級在籍となる。

順位戦では、第62期にB級1組で対戦し深浦王位の勝ち、第65期ではA級で対戦し郷田九段の勝ちとなっている。第67期1回戦が順位戦3回目の対戦。9局しかないA級のリーグ戦の中で初戦の勝ち負けは大きい。

深浦王位が、『将棋世界』2008年5月号の「昇級者喜びの声」のページに書いた文章に決意の程がうかがえる。
そこでは、最初に第66期のA級順位戦最終日、負ければ降級が決まる久保八段が、三浦八段との最終戦が千日手指し直しとなった際、黙々と将棋盤と駒を磨いていたことに触れた上で、

「自分の首のかかった一局を前にして冷静にできるだろうか。私はそこに「余裕」を感じた。久保さんの「余裕」。彼は敗れ、A級から落ちた。ただ彼はA級棋士だった。
私はA級2期とも4勝5敗で落ちた。悲運の棋士とも言われた。最終局に負けて落ち、勝っても落ちた。そこには決定的に欠落したものがある。それが何かは分からないけれども。少しずつ来期A級での戦いを考えてみる。急には変われないが、何かを摑みたい気持ちが大きくある。
やはり私は、A級棋士になりたい。」
(『将棋世界』2008年5月号67ページ)

これまで辛酸を嘗め尽くしてきた2人がどんな戦いをみせるか、郷田九段にはA級棋士の先輩としての意地をみせてほしいものである。

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2008年4月18日 (金)

郷田真隆九段の『実戦の振り飛車破り』と先崎学八段の『まわり将棋は技術だ』を買う

昨日(2007年4月17日)、仕事の帰り新宿経由で帰ることになり、新宿の紀伊國屋書店本店に寄ってみる。
将棋の先崎学八段が週刊文春に連載しているエッセイ「先崎学の浮いたり沈んだり」をまとめたものの2冊目にあたる『まわり将棋は技術だ』(文藝春秋)が以前行った時に平積みで何冊か置かれていたので、次の機会に買おうと思っていながら、なかなか行く機会がなく、ようやく、機会に恵まれた(前回は、『村山聖名曲譜』と『先崎学の浮いたり沈んだり』を買ったところで予算が尽きたので、次回回しにしていた)。

前回来た時に3~4冊あった在庫は1冊に減っており、なんとか最後の1冊をゲット。あまり、書店で在庫を見る本ではないので、滑り込みセーフというところだろう。

ついでにと書棚を見ていると郷田真隆九段の著書『実戦の振り飛車破り』(日本将棋連盟)があったので、こちらも一緒に買ってきた。

『まわり将棋は技術だ』は、昨日と今日で読了。いつも軽妙洒脱な書きぶりに、どんどん先を読みたくなる。

一方、郷田九段の『実戦の振り飛車破り』は、2000年8月まだ八段の時代に出版されたものである。郷田九段の実戦の中から、居飛車対振り飛車の戦いぶりを、振り飛車の戦型別に21局を選び、解説している。ほとんどは、相手の振り飛車を居飛車党の郷田九段がうまく指し回して勝ったものが中心だが、中には惜しくも敗れたもの、また郷田九段が飛車を振ったケースも取り上げられている。
本の趣旨は、実戦の棋譜の解説なので、じっくり読み込むには将棋盤に棋譜を並べて見なくてはいけないが、それぞれの対局譜の解説の最初には、対戦相手を巡るエピソードが書かれており、とりあえず、そこのところだけを斜め読みしてみた。

その中で、いくつか興味をもったものを紹介しておきたい。(各棋士の段位・タイトルは現在のもの)

谷川浩司九段
「平成4年は思い出深い年だ。谷川さんと棋聖戦、王位戦のダブルタイトル戦を繰り広げ、王位戦で初のタイトルを獲得できたからだ。谷川さんは私たちの世代が目標にしてきた棋士であり、その谷川さんとタイトル戦のひのき舞台で戦えることは非常にうれしかった。」(48ページ)

先崎学八段
(先崎八段の兄弟子にあたる伊藤能四段との対戦記の中で)「私が伊藤さんの弟弟子である先崎学八段と親友という関係もあって、(以下略)」(68ページ)

故・真部一男九段(本書執筆当時は存命)
「真部八段にはときどきお宅に呼んでいただくことがある。非常にに博識で飲みながら話をしているととても楽しい。おおらかで大胆な部分と理論的な部分を併せ持たれている感じがする。真部八段の将棋は、基本的に筋のよい棋風なのだが、ときおり非常にごつい手を指してるタイプである。型にはまらず独創的なところがあって、常に”自分の将棋”を指している棋士だ。」(88ページ)

故・村山聖九段 (本書執筆当時、すでに他界)
「村山さんは個性的な棋士だった。随所に野性味あふれる指し手が現れるその棋風は「切れ味の鋭いナタ」のようであり、魅力ある将棋だった。村山さんとは年齢も近く、私はライバルとして意識していた。村山さんが私のことをどう思っていたかは分からないけれど・・・・・・。明るく朗らかなうえに人なつっこくて、村山さんは誰からも愛される性格だった。同世代の友人として、忘れることはできない棋士である。」(184ページ)

最後に紹介した「故・村山聖九段をライバルとして意識していた」というくだりは、「やはりそうだったか」という思いである。以前の記事でも、似たようなことを書いていると思うが、激しさという点で2人の棋風は似ている。郷田九段にとって、自分より少し年上で、しかし1期あとに奨励会入たものの、あっという間に奨励会を駆け抜け、常に自分より先を走っていた村山九段は、その棋風からしても郷田九段の目標だったに違いない。
そして、郷田九段がB級1組でトップとなり、初めてA級入りを決めた第57期(1998年度)の順位戦で、村山九段はA級在籍にまま亡くなったのだ。ようやく追いついたと思った時、ライバルはいなくなっていた。

取り上げられている21局の棋譜は、改めて将棋盤と駒を出してきて並べてみようと思う。

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2008年4月17日 (木)

生命の不思議を感じさせてくれる福岡伸一著『生物の無生物のあいだ』を読み終わる

一昨日(2008年4月15日)の記事で取り上げた福岡伸一著『生物の無生物のあいだ』(講談社現代新書)を読み終わった。

時に分子生物学の歴史を語り、その中での人間の功名争いを巧みに語り、最後にはその分子生物学の歴史に連なる自らの研究の不思議な結果、生命の不思議としか言いようのない結末を語り、締めくくる。最後の数章はまるでミステリーを読んでいるようで、どのような結論がでるのか、気になって一気に読ませる迫力がある。
(個々のエピソードは興味深いものが多いが、あまり書いてしまうと、まだ読んでない人に対してネタバレになってしまうので控えておく)

そして、一冊を読み終えてみれば、本書が、一般人向けの格好の分子生物学の入門書になっていることがわかる。また、世界のトップレベルの研究室で行われている研究の最前線の有り様を垣間見せてくれ、偉大な業績の背景には、地道な作業の積み重ねがあることを知り、「どの世界も同じなのだ」と改めて認識する。

高校時代、文系を選択した私は、当時のカリキュラムで「生物Ⅰ」を勉強したところで、生物学の勉強は終わっている。その程度の知識でも、十分、楽しめた。著者の難しいことを、門外漢にも判るように語る語り口は秀逸であり、大学の理系の先生としては希有な存在ではないだろうか。
この著者福岡先生が1959年生まれというのは、1960年生まれの私にとって、同世代の活躍としてうれしい限りである。 著者が書いた『もう牛を食べても安心か』(文春新書)、『プリオン説は本当か?』(講談社ブルーバックス)も買い求めて読んでみようと思う。


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2008年4月16日 (水)

河合隼雄著『河合隼雄の"こころ"』

故河合隼雄文化庁長官を追悼する雑誌の特集号は、以前紹介したが、その後、月刊『教育総合技術』という専門雑誌に2004年4月号から2006年9月号まで連載されていた記事をまとめた『河合隼雄の"こころ"』(小学館)が出版された。

『教育総合技術』という雑誌は、学校の先生向けの専門誌のようで、連載記事「子どもの心、教師のこころ」というタイトルで、先生を対象に子どもと大人、学校、社会などとのの関わりをテーマにしたものになっている。

また、この本には、河合隼雄さんが選んだ「親子で読みたい本」のリストが、児童書と絵本に分かれて載せられている。編集部によるまえがきだと、いずれ、河合さんが文化庁長官退官後に全作品につき解説を執筆してもらう予定で、とりあえずリストアップだけがされていたが、亡くなられたためリストだけが残ったというもの。河合さんは、児童書も多く読まれ、何冊も児童書について語った著作があり、解説書が実現していれば、よき児童書、絵本の手引きになっていたに違いないと思われるので残念である。

おそらくは、この本が、河合隼雄さんが書かれたものの最後になるのであろう。今年に入ってから、20代の若者が、無差別に衝動的に他人を殺傷する事件が続いていて、単に表面的な動機の分析だけではなく、社会全体に蔓延する病理のような物を考えていかなければならない時に、それにもっともふさわしい河合さんがすでにこの世にいないことは、残念である。

この本の帯には「不世出の臨床心理学者が最期の綴った"おとなのこころと子どものこころ"」とあるのだが、「不世出」という言葉がまさにその通りだなという気がした。
本当は、河合さんの書物から薫陶を受けた、我々のような後の世代の者が、河合さんの深い洞察からヒントを得て、実践し、少しでも社会を変えていかなければならないのだろうけれど、現実には、自らの子育で精一杯であり、なおさら失った河合隼雄さんの存在の大きさを感じる。

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2008年4月15日 (火)

福岡伸一著『生物と無生物のあいだ』を読み始める

このところ、読んでいた松岡正剛著『日本という方法』(NHKブックス)と松岡正剛・茂木健一郎対談『脳と日本人』(文藝春秋)の2冊を日曜日までに読み終わる。
日本文化について「うつ(空)」と「うつつ(現実)」とそれをつなぐ「うつろい」とキーワードに語られているが、正直なところ松岡さんの全思想を完璧に