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2008年4月の記事

2008年4月30日 (水)

浜田康著『会計不正』を読み始める

3月に中央青山監査法人の消滅をテーマにした種村大基著『監査難民』(講談社)と細野康弘著『小説会計監査』(東洋経済新報社)を読んだが、今朝から浜田康著『会計不正』(日本経済新聞社)を読み始めた。

こちらは、単に中央青山監査法人の問題だけでなく、なぜ粉飾決算・会計不正が起きるのかについて、会社側・経営者側の事情と、監査する公認会計士側の事情、そして今後、会計不正をなくしていくために、それぞれの立場でどうするべきか等について考えようとするものである。

著者は中央青山監査法人所属の公認会計士で2002年には同じ日本経済社から『不正を許さない監査』という会計監査のあり方をテーマにした本を出している論客である。
しかし、皮肉にも、その後日本では数々の会計不正事件が世を騒がせ、在籍していた中央青山監査法人は解体・消滅した。
中央青山に、証券取引等監視委員会の調査が入った2005年7月には新設の監査5部長の発令を受けたばかりだったことが書かれているので、中央青山でも相応の地位にいたことになり、みずからの組織に所属する会計士がカネボウなどで「不正を許す監査」どころか「不正に荷担する監査」をしていたという事実には衝撃を受けたと思うし、『不正を許さない監査』の著者としては忸怩(じくじ)たる思いだったろう。 何とか、著者なり顔回答を出そうとして書かれたにが、この『会計不正』だったのではないかと思う。
本書の締めくくりに当たる第8章は「監査人は会計不正にどう対応すべきか」との題され、5つの節のタイトルは、次の通りである。

1.クライアントのビジネスを理解しているか
2.監査人は不正に対する感度を高め、その排除、阻止に全力を挙げるべし
3.監査人は論理的であるべし
4.監査人は自ら隘路に滑り落ちない仕掛けをしておくべし
5.監査人は自分のクライアントの行動を映し出す鏡であるとの自覚を持つべし

グローバルスタンダードという名の下、企業の1年間の成績発表である企業会計の分野でも、国際に会計基準の統一化が進んでいる。そして、市場は、経営者には常に増収・増益を求め、それを実現した経営者が優れた経営者とされ、報酬もそれに伴う仕組みに変わりつつある。
その成績表を監査する会計士も、社会や市場から自らに求められる役割が大きく変わっていることを認識しなければならなし、企業や経営者に対する見方を変えて、クライアントである企業や経営者との新たな関係を築いていかなければならないということなのだろう。本書のサブタイトル『会社の「常識」監査人の「論理」』にも、そういう思いが込められているのではないかと思う。

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2008年4月29日 (火)

東京名所めぐり:国立(くにたち)大学通りと谷保天満宮

  今日(2008年4月29日)は、東京の西に位置する郊外の街「国立(くにたち)」に行った。以前、国立で行われたジャズのミニコンサートに誘われたことがあり、夜、訪ねたことがあるのだが、駅前から南に延びる整然とした並木道が印象に残っていて、いつか昼間に再訪したいと思っていた。

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国立は、学校の街である。一橋大学、都立国立高校、私立の桐朋高校。私が眺めた並木道は、大学通りと呼ばれ、駅から南に1kmほど離れたところにある一橋大学のキャンパスを縦断し、さらにその奥に国立高校と桐朋高校がある。通りに面して、様々な店が並び、既に大きく成長している桜の並木と併せて、独特の空間を作り出している。
大学通りは、駅から南へ1.2kmほど続き、その先は道は少し細くなりJR南武線の谷保駅まで続く。谷保駅の南には文教地区の守り神にふさわしく「谷保天満宮」が鎮座している。谷保は、太宰府に左遷された菅原道真の三男が流された地とのこと。

国立は昭和初期に西武グループの総帥堤康次郎氏が率いた箱根土地という会社によって、東京郊外の住宅地として開発・分譲されたらしい。当時は、東京の西の郊外に田舎だったのだろうが、すでに80年以上が経過して、大学通りから東西に一歩入ると落ち着いた雰囲気の高級住宅街が広がっている。

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午後1時過ぎに国立駅に着き、そこから大学通りに沿って歩き、谷保天満宮まで足を伸ばす。谷保駅方面から歩くと、坂を下っていって下りきったところが広くなっていて、そこに本殿があった。境内は緑に覆われており、坂の斜面には放し飼いの鶏が数羽いて、「コケコッコー」と威勢のよい鳴き声を上げている。我が故郷の太宰府天満宮の整然と整備され門前町をなしているのと比べると、自然の中の神社という感じだった。

そこから、また国立方面へとって返す。行きがけは、国立駅から見て、大学通りの右側の歩道を歩いたが、帰りがけは反対側を歩いた。

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途中、立ち寄ったレストランや喫茶店も、ファミリーレストランやチェーンの喫茶店とは違い、もう何十年も、住民や学生たちとともに生きて、国立の街にとけ込んでいるという個性的な店が多かった。

私は、いっぺんに国立ファンになってしまった。四季折々で、大学通りの並木道を歩くために訪ねたいものである。
(考えてみれば、今日は「昭和の日」。昭和になって新しく作られた「国立(くにたち)」の街を訪ねるには、ふさわしい日だったかもしれない)

*後日、写真も何枚かアップしますので、興味ある方は再訪いただけると幸いです。

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2008年4月28日 (月)

河合隼雄著『河合隼雄の”こころ”』で語られる「指導力」

4月の半ばに、このブログで紹介した河合隼雄さんの『河合隼雄の"こころ"』(小学館)を2、3日前から読み始め、今朝の通勤電車で読み終わった。

教師向けの月刊雑誌に「子どもの心、教師のこころ」というタイトルで連載された30編のコラムをまとめたものである。
この中で、「教師の指導力」について書かれた部分を紹介しておきたい。

教師の「指導力」の中核にあるのは「授業」である。自分の教える学科についてよく知っていることはもちろんだが、それを「教える」ことについてもよく知っていなくてはならない。つまり、知識があるというだけでなく、それをどのように教えると子どもたちが理解しやすいのか、子どもたちはどのような誤りとか、誤解とかをしがちであり、それをどう説明するとよいのか、などということをよく知っていなくてはならない。(中略)
教えるべき内容、その教え方に、教師が興味をもっていることがまず大切である。教師の興味が子どもに伝授されてゆく。興味あることにともに向かっている中で、教師の指導力が自然に発揮されてくる。(『河合隼雄の"こころ"』36~37ページ)

最近、現在の職場での在籍が長くなったこともあって、新任者への研修の講師役をやったり、これまで自分が比較的詳しく調べてきたことを同僚に説明をしたりと、「教える」ことが増えてきている。
そんな立場で読むと、教えることの内容を詳しく知っていることと、「教え方」を知っているということは、別の話だという点は、実にその通りだと思う。
どう説明すれば、その分野に詳しくない人にわかってもらえるのか。それを考えることが、「教育」の一番重要なことなのだろう。

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2008年4月27日 (日)

いま一番ほしいパソコンソフト「Just Right! 3」

ブログを書いていて、問題だとわかっていながら、なかなかうまくいかないことが2つある。

1つは、書きかけの記事が消えてしまうこと。何回か痛い目にあったことは、このブログでも記事にしたが、1時間近くかけて書き、ほとんど完成目前、あるいは書き終わったものが、消えてなくなってしまった時の、脱力感は何とも表現のしようがない。
もともとは、私の使っているニフティの「ココログ」の管理ページで入力途中に外のウェッブサイトを参照しようとして、ページを移ると、入力途上の未保存の内容は全部消えてしまうという問題だった。(その後、ココログでは、ページを移ろうとした場合には警告メッセージが表示されるように改善された)
ならば、「ココログ」管理ページを使わない入力方法をということで、ブログ作成ソフトで原稿を作って、「ココログ」に転送するようにした。最終的にホームページ作成ソフトの「ホームページビルダー」のブログ作成支援機能を使うことにしたのだが、これも時として、ソフトの調子の良し悪しがあり、「ココログ」に転送したはずなのに、転送されておらず、「ホームページビルダー」側にも何も残っていないという悲劇が発生してしまった。
その後は、さらに原稿消失の予防策として、ワープロソフト上(現在は「一太郎2007」を使用)で、原稿を書き、いったん保存した上で、内容を「ホームページビルダー」にコピー、それを「ココログ」に転送するという形に変更した。
今のところ、新たな悲劇は発生していないので、これで、落ち着くことになるのではないかと思う。

2つ目の問題は、いつまでたっても誤字脱字(加えて「余り字」)がなくならないことである。これは、書いている私の不注意以外の何物でもない。しかし、時間考えて書いてきて、書き終わったところで改めて一から見直す気にはなれないというのが、正直なところだ。
実は、これにも解決策はある。なんと、文章を校正してくれるソフトウェアがあるのだ。日本語入力システム「ATOK」やワープロソフト「一太郎」を作っているジャストシステムが、文章校正支援ツールと銘打って 「Just Right! 3」というソフトを販売している。

マイクロソフトの「ワード」にも簡単な校正機能は付いているが、その比ではない。
チェック項目は、誤りチェック、用語基準の適合チェック、表現の洗練、字種統一、長さチェックなど盛りだくさんである。
自分で校正するのは限界のある私のようなものぐさには、是非ほしいソフトだが、定価28,000円には二の足を踏む。夏のボーナスで買いたいものリストの中に加えておくことにする。

こうやって記事を書きながらジャストシステムのホームページを調べている中で朗報もひとつ。
「Just Right! 3」は、マイクロソフトの「ワード」などにアドインができるのだが、自社の主力商品「一太郎」にはアドインできないと書いてある。しかし、よく調べると私が使っている「一太郎2007」には、もともと前バージョンの「Just Right!2」相当の機能が盛り込まれているとのこと。
当面は、これまでのように「一太郎」でブログの原稿を書いて、「ホームページビルダー」にコピーする前に、校正をかけるようにしてみよう。

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2008年4月26日 (土)

第21期竜王戦1組準決勝、郷田真隆九段は丸山忠久九段に敗れ、3位決定戦に回る

昨日(2008年4月25日)は、第21期竜王戦の1組の準決勝郷田真隆九段対丸山忠久九段の対戦の日。挑戦者決定トーナメントにならないと、棋譜のネット中継は行われないので、結果は翌日の将棋連盟のホームページの「最近1週間の結果」で知るしかない。

今朝、結果を見ると、丸山九段の勝ち。郷田九段は、今後行われるもう一組の準決勝、木村一基八段対鈴木大介八段戦の敗者と挑戦者決定トーナメント進出をかけて3位決定戦で戦うことになった。

同年齢の丸山九段との戦いについては、何回かこのブログでも書いているが、最近は昨年度は、2007年7月のネット将棋最強戦の決勝で郷田九段の勝ち(優勝)、2008年1月の棋聖戦最終予選2回戦で郷田九段の勝ち(その後、準決勝で羽生二冠に敗退)、2008年2月のA級順位戦8回戦で丸山九段の勝ちと続き、今回の丸山九段の勝ちとなる。相手も、名人位を2期保有した強豪なので、簡単には勝たせてもらえないが、何とか、年間通算では勝ち越してほしい相手だ。
2人は通算成績でも、いい勝負で、昨日の時点での比較で、郷田九段が942戦615勝326敗、勝率0.6536。丸山九段が935戦で628勝307敗、勝率0.6717。2人とも昨年相次いで、通算600勝を達成した。
郷田ファンとしては、同い年のライバル丸山九段には、通算成績でも、早く追いついて追い抜いてほしいところ。昨年(2007年)度は、郷田九段が好調で49戦33勝16敗、丸山九段が48戦28勝20敗と、郷田九段がいくらか差を詰めたが、お互いがこのペースを続けたとしても、郷田九段が丸山九段に勝ち星で追いつくのに、あと3年かかる。

また、竜王戦は、郷田九段にとって他の棋戦に比べ、なかなか挑戦者決定トーナメントまで進むことができず、相性がよくない棋戦である。3位決定戦は制し、7年前(2001年)の第14期以来の挑戦者決定トーナメント進出を決めて、挑戦者に名乗りをあげてほしいものである。

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2008年4月25日 (金)

将棋アマチュア初段をめざし『将棋3手詰入門ドリル』を解き、問題集として『二段の力』を買う

将棋のアマチュア初段に挑戦を始めたことは、以前書いた。月1回毎月の『将棋世界』に掲載される「初段・二段・三段コース」の次の一手の問題4問を解き、初段であれば、いかに早く8問正解を確保するかということになる。

毎月掲載の4問を待っているだけでは、棋力の向上はおぼつかないだろうから、問題集的なもので頭の体操をすることにした。

しばらく前に買ったのが、観戦記者の椎名龍一さんの『将棋1手詰入門ドリル』(池田書店)。

これは、次の一手が詰みという問題が280問。ほとんどは、一目瞭然の初級問題だが、後半161問目以降の実戦編で示された実戦局面での最後の一手になると、難しい問題もあった。

その後、同じ著者が出した『将棋3手詰入門ドリル』(池田書店)も買う。

これは単に、「3手詰め」を集めたのではない。
前半の基本編では、各ページに1手詰めと3手詰めがセットになって掲載されている。まず、上半分には前著と同様1手詰めの問題があり、下半分には上の問題の局面をさらに2手前まで遡った図が配置されている。
通常の3手詰めの本であれば、下半分の問題だけだろうが、この本は、先ず1手詰め問題を示して最後のとどめの場面を考えさせ、さらに3手詰問題では、そこから2手前に遡った図面を見せ、上の「1手詰め」の局面に持って行くにはどう指せばよいかという形で、時間を逆転させ、詰めに向けた思考のプロセスを明らかにする構成になっている。この時間を遡るところが類書にはない特長だと思う。
最初に、最終の詰みの局面のイメージを持ち、その最終形に持ち込むまで、どのように障害を取り除き、相手の玉を追い込んでいくのかという発想は、初級者と中級者以上の分かれ目になるところではないかと思う。当たり前のことなのかもしれないが、改めて形にして示されると目から鱗が落ちる思いだった。

そして、今日の仕事の帰り、いろいろな局面で最善手である「次の一手」を問う問題集として週刊将棋編『二段の力』(毎日コミュニケーションズ)を買ってきた。

将棋の週刊新聞である「週刊将棋」に毎週連載されてた棋力二段クラスの「次の一手」問題106問を載せている。簡単なヒントがあり、ほぼ、『将棋世界』に掲載される「初段・二段・三段コース」と同じレベルのようであり、「初段・二段・三段コース」対策としては格好の教材だろう。
最初の2問が立て続けに不正解だったので、真剣に考えるようにしたら、その後4問は、私の考えた手が正解だった。
なんとか、遅くとも9月ぐらいまでに、アマ初段の目処をつけたいものだ。

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2008年4月24日 (木)

内田樹著『街場の現代思想』で語られる「結婚」について

内田樹さんの『街場の現代思想』(文春文庫)を読み終わる。独特の毒気を持った鋭い切り口の語りは、なかなか他の評論家や作家にはないものである。

街場の現代思想 (文春文庫)

この本の後半7割ほどは、人生相談風に、最初に読者などからの問いかけがあり、それに内田先生が答えるという形式になっており、テーマは仕事、結婚、離婚、学歴等多岐にわたる。

その中で、結婚をテーマにした論説は、逆説的であるけれど、真実をついている気もするので、紹介しておく。

結婚と恋愛ではプレイヤーに求められる人間的資質がまったく違う。恋愛に必要なのは「快楽を享受し、快楽を増進できる能力」であり、結婚に必要なのは「不快に耐え、不快を減じる能力」なのである。(150ページ)

人類が再生産を維持するために必要な資質は「快楽を享受する能力」ではない。そうではなくて、「不快に耐え、不快を快楽に読み替えてしまう自己詐術の能力」なのである。その能力のある個体だけがそのDNAを次代に遺すことができる。そしてその淘汰圧耐えて生き残った人間を「勝者」とみなすように人類学的にプログラムされているのである。
その「勝ち負け」の判断は、私たちの側の自己決定で、どうこうできるものではない。(152~153ページ)

自分を理解してくれる人間や共感できる人間と愉しく暮らすことを求めるなら、結婚をする必要はない。結婚はそのようなことのための制度ではない。そのでなくて、理解も共感もできなくても、なお人間は他者と共生できることを教える制度なのである。
婚姻は葬礼がそうであるように、人類と同じだけ古い制度である。あるいは、婚姻制度を持たない集団もあったかもしれないが、人類学が教える限り、そのような集団はひとつとして生き残ることができなかった。「他者と共生する」という能力だけが、人間が生き延びることを可能にしているという真理を、この人類学的事実は告げているのではないか。
(162~163ページ)

しばらく前に紹介した『ひとりで生きられないのも芸のうち』(文藝春秋)とも通じるものがある。

ひとりでは生きられないのも芸のうち

著者内田先生の考えに興味をもった方は、2冊併せて読んでいただければと思う。

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2008年4月23日 (水)

第66期将棋名人戦七番勝負第2局は挑戦者の羽生善治二冠が制し、1勝1敗に

2008年4月22・23日にわたって大阪・堺市で行われた第66期将棋名人戦七番勝負第2局は、先手番の挑戦者・羽生善治二冠(王座・王将)が森内俊之名人を破り、戦績を1勝1敗のタイとした。

将棋の内容は、2人の間の92戦に及ぶ戦いの中で、先手番が60勝と先手有利の状況の中、後手になった森内名人から角交換を行う一手損角換わりの将棋となった。双方とも、玉の守りは不十分な中、攻めに重点を置いた駒組みを進める。特に、後手森内名人は居玉のまま。先手の羽生二冠が終始、主導権を握り、局面は展開した。途中、いったん森内名人が手番を握り、攻めかけたが、再び羽生二冠に手番が渡ったところで、羽生二冠が森内玉の回りの守りの金銀を一枚ずつ剥がし、さらに一度は二段目まで上がった森内玉を裸にして5一の居玉の位置に落とし、8二飛車打ちと二段目への逃げ道に網をかけ、森内名人を投了に追い込んだ。

これで1勝1敗のタイスコア。二人のこれまでの戦いからすれば、今回も最終局の第7局までもつれ込む可能性が高そうだ。
先手番の勝率が、将棋界の一般的な先手の勝率より遙かに高いということは、先手番のわずかな有利が、そのまま、勝敗に結びつくほど、2人の力が拮抗しているということの現れではないかと思う。

第3局は、ゴールデンウィーク明けの5月8・9日の両日、福岡市で行われる。

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2008年4月22日 (火)

福岡伸一著『プリオン説はほんとうか?』を読み終わり、内田樹著『街場の現代思想』を読み始める

一昨日から読み始めた福岡伸一著『プリオン説はほんとうか?』を今朝の通勤電車の中で読み終わる。
同じ著者の『生物と無生物のあいだ』と同様、分子生物学の難しいテーマが、まるで推理小説の謎解きのように語られる。

なにごとも、自分の知らないことの仕組みや成り立ちを解き明かすということが好きな私にとって、謎解きの楽しさを満喫させてくれる2冊であった。

その後、鞄の中に何冊か入れてある読む予定の本の中から、文春文庫の新刊(2008年4月)の1冊、内田樹著『街場の現代思想』を読み始めた。次は、痛快な内田節を読んでみよう。

街場の現代思想 (文春文庫 (う19-3))

あと、今後ゴールデンウィークにかけて読む予定で、鞄の中に入れてあるのは、これまでに買って読みかけの李御寧著『縮み指向の日本人』(講談社学術文庫)、松岡正剛著『知の編集工学』(朝日文庫)。

それに最近買ったばかりの酒井穣著『はじめての課長の教科書』(ディスカバー)、宮本輝著『にぎやかな天地(上)・(下)』(中公文庫)など。

どれだけ、読み切れるか、気合いをいれて読まないと「積ん読」本がたまってしまう。

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2008年4月21日 (月)

久しぶりに減量を意識して日比谷公園から竹橋まで歩く

昨年(2007年)は、岡田斗司夫さんの『いつまでもデブと思うなよ』(新潮新書)に触発され、9月の初めから岡田式レコーディングダイエットを始め、70kg台だった体重を12月の半ばには63kg台まで落とすことができた。
いったんそこで、レコーディングダイエットをやめたこと、その後、忘年会シーズンとなり、さらに帰省で食べるが動かないということが重なり年末年始には65kg台までリバウンドした。
さらに寒さが厳しくなったことと、仕事も少し忙しくなったこともあって、職場からの帰りの30分程のウォーキングもなかなか毎日というところまでは元気がなく、体重を63kg台に戻すまでには至らず、現在に至るまで65kg台での現状維持が続いている。

4月も下旬を迎え、だいぶ暖かくなり、日も長くなってきたので、先週から日比谷界隈での仕事ということもあって、久しぶりに日比谷公園から約30分かけて、竹橋のパレスサイドビルまで歩いた。

今週も明日と金曜日に飲み会があるので、一直線に減量を進めるのは難しいと思うけれど、そろそろ現状維持の線を多少なりとも、減少の方向に変えていきたい。

今年の目標は、体重をあと3kg減らし62kg台、BMIを22台にして、それを維持できるようにしたい。

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2008年4月20日 (日)

福岡伸一著『プリオン説はほんとうか?』を読み始める

福岡伸一著『生物と無生物のあいだ』がおもしろかったので、昨日(2008年4月19日)吉祥寺に出かけた際に、書店をいくつか回り、同じ著者の『プリオン説はほんとうか?』(講談社ブルーバックス、2005年11月)と『もう牛肉を食べても安心か』(文春新書、2004年12月)を探す。『プリオン説はほんとうか?』の1冊在庫を見つける。どちらも、出版から少し日がたっているので、在庫がないところも多い。

この2冊の共通のテーマは、一時、世界を震撼させた「狂牛病」である。『もう牛肉を食べても安心か』は、日米での「狂牛病」への対応を描いているとのこと。

そして『プリオン説はほんとうか?』は、「狂牛病」、何百年前から羊の間で起きていた「スクレイピー病」、そして「狂牛病」が人間が感染した「ヤコブ病」。これが、伝達性スポンジ脳症という共通の症状で、発症する「宿主」が違うだけであることが、近年どのように解明されてきたか。また、この病の病原体が細菌・ウィルスという従来の病原体の概念では、なかなか見つからず、プリオンというタンパク質ではないかという考え方を提唱したプルシナーという米国の学者がノーベル賞を受賞しているのだが、本当にタンパク質が病原体なのかという点について、疑問を呈し、真の病原体が他に存在するのではないかという問題を提起し、著者なりにそれに迫ろうとするものである。著者自身、「ノーベル賞評価への再審請求ととれるかもしれない」

『生物と無生物のあいだ』の前半で描かれたDNAの構造解明と同じように、科学的な発見には、純粋な科学的な探求という面と、それを行う人びとの功名争いというものが常ににつきまとっていて、それが社会的な影響が大きければ大きいほど、そこに関わる人間ドラマも生々しいようだ。
現在、ほぼ半分弱を読み終わり、これから福岡先生の仮説へのアプローチが始まるところである。
サントリー学芸賞を受賞した『生物と無生物のあいだ』に負けず、『プリオン説はほんとうか?』も講談社出版文化賞を受賞した作品で、読み応えは十分。
しかし、このような最新の科学知識を解説してくれる本を読むと、自分が知らないこととばかりであることを痛感する。

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2008年4月19日 (土)

将棋の第67期順位戦の組合せ決まる、郷田真隆九段の初戦の相手は深浦康市王位

先週、将棋の第67期(2008年度)の順位戦の組合せが決まった。名人に続くトップ10であるA級の組合せも次の通り決まった。

順位氏名段位

1回戦

2回戦

3回戦

4回戦

5回戦

6回戦

7回戦

8回戦

9回戦
1名人戦敗者木村 丸山 深浦 谷川 鈴木 藤井 郷田 佐藤 三浦
2三浦
八段
丸山 鈴木 藤井 木村 深浦 谷川 佐藤 郷田 (1)
3郷田
九段
深浦 佐藤 谷川 鈴木 藤井 丸山 (1) 三浦 木村
4丸山
九段
三浦 (1) 鈴木 佐藤 木村 郷田 藤井 谷川 深浦
5木村
八段
(1) 藤井 佐藤 三浦 丸山 鈴木 谷川 深浦 郷田
6藤井
九段
谷川 木村 三浦 深浦 郷田 (1) 丸山 鈴木 佐藤
7谷川
九段
藤井 深浦 郷田 (1) 佐藤 三浦 木村 丸山 鈴木
8佐藤
二冠
鈴木 郷田 木村 丸山 谷川 深浦 三浦 (1) 藤井
9鈴木
八段
佐藤 三浦 丸山 郷田 (1) 木村 深浦 藤井 谷川
10深浦
王位
郷田 谷川 (1) 藤井 三浦 佐藤 鈴木 木村 丸山

今期のA級は、B級1組からの昇級者2人(鈴木八段、深浦王位)がともに、A級経験者の復帰であり、強豪揃いである。
名人とA級棋士の10名に、B級1組から復帰を狙う久保八段、来期こそはA級入りと誓っているであろう20代の渡辺竜王の13名が、2008年現在の将棋界のトップグループと言えるだろう。
(ほぼ、同時に組合せが決まった、第2回ネット将棋最強戦16名の顔ぶれは、奇しくも上記13名と森下卓九段(日本シリーズ優勝)、村山慈明五段(新人王戦優勝)、阿久津主税六段(賞金ランキング12位)の3名であった)

順位1位は、現在進行中の第66期名人戦の森内名人対羽生二冠の敗者となる。私が応援する郷田真隆九段は、今期は順位3位、初戦がB級1組からの3度目の昇級となる深浦康市王位である。
郷田九段と深浦王位に共通するのが、ともに過去2度のA級昇級の際、1期で降級し、捲土重来、3回目の昇級を果たした点である。郷田九段は、3度目でようやくA級残留を果たし、4期目の第65期にはA級を制して、名人挑戦者となり、今期で通算6期のA級在籍となる。

順位戦では、第62期にB級1組で対戦し深浦王位の勝ち、第65期ではA級で対戦し郷田九段の勝ちとなっている。第67期1回戦が順位戦3回目の対戦。9局しかないA級のリーグ戦の中で初戦の勝ち負けは大きい。

深浦王位が、『将棋世界』2008年5月号の「昇級者喜びの声」のページに書いた文章に決意の程がうかがえる。
そこでは、最初に第66期のA級順位戦最終日、負ければ降級が決まる久保八段が、三浦八段との最終戦が千日手指し直しとなった際、黙々と将棋盤と駒を磨いていたことに触れた上で、

「自分の首のかかった一局を前にして冷静にできるだろうか。私はそこに「余裕」を感じた。久保さんの「余裕」。彼は敗れ、A級から落ちた。ただ彼はA級棋士だった。
私はA級2期とも4勝5敗で落ちた。悲運の棋士とも言われた。最終局に負けて落ち、勝っても落ちた。そこには決定的に欠落したものがある。それが何かは分からないけれども。少しずつ来期A級での戦いを考えてみる。急には変われないが、何かを摑みたい気持ちが大きくある。
やはり私は、A級棋士になりたい。」
(『将棋世界』2008年5月号67ページ)

これまで辛酸を嘗め尽くしてきた2人がどんな戦いをみせるか、郷田九段にはA級棋士の先輩としての意地をみせてほしいものである。

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2008年4月18日 (金)

郷田真隆九段の『実戦の振り飛車破り』と先崎学八段の『まわり将棋は技術だ』を買う

昨日(2007年4月17日)、仕事の帰り新宿経由で帰ることになり、新宿の紀伊國屋書店本店に寄ってみる。
将棋の先崎学八段が週刊文春に連載しているエッセイ「先崎学の浮いたり沈んだり」をまとめたものの2冊目にあたる『まわり将棋は技術だ』(文藝春秋)が以前行った時に平積みで何冊か置かれていたので、次の機会に買おうと思っていながら、なかなか行く機会がなく、ようやく、機会に恵まれた(前回は、『村山聖名曲譜』と『先崎学の浮いたり沈んだり』を買ったところで予算が尽きたので、次回回しにしていた)。

前回来た時に3~4冊あった在庫は1冊に減っており、なんとか最後の1冊をゲット。あまり、書店で在庫を見る本ではないので、滑り込みセーフというところだろう。

ついでにと書棚を見ていると郷田真隆九段の著書『実戦の振り飛車破り』(日本将棋連盟)があったので、こちらも一緒に買ってきた。

『まわり将棋は技術だ』は、昨日と今日で読了。いつも軽妙洒脱な書きぶりに、どんどん先を読みたくなる。

一方、郷田九段の『実戦の振り飛車破り』は、2000年8月まだ八段の時代に出版されたものである。郷田九段の実戦の中から、居飛車対振り飛車の戦いぶりを、振り飛車の戦型別に21局を選び、解説している。ほとんどは、相手の振り飛車を居飛車党の郷田九段がうまく指し回して勝ったものが中心だが、中には惜しくも敗れたもの、また郷田九段が飛車を振ったケースも取り上げられている。
本の趣旨は、実戦の棋譜の解説なので、じっくり読み込むには将棋盤に棋譜を並べて見なくてはいけないが、それぞれの対局譜の解説の最初には、対戦相手を巡るエピソードが書かれており、とりあえず、そこのところだけを斜め読みしてみた。

その中で、いくつか興味をもったものを紹介しておきたい。(各棋士の段位・タイトルは現在のもの)

谷川浩司九段
「平成4年は思い出深い年だ。谷川さんと棋聖戦、王位戦のダブルタイトル戦を繰り広げ、王位戦で初のタイトルを獲得できたからだ。谷川さんは私たちの世代が目標にしてきた棋士であり、その谷川さんとタイトル戦のひのき舞台で戦えることは非常にうれしかった。」(48ページ)

先崎学八段
(先崎八段の兄弟子にあたる伊藤能四段との対戦記の中で)「私が伊藤さんの弟弟子である先崎学八段と親友という関係もあって、(以下略)」(68ページ)

故・真部一男九段(本書執筆当時は存命)
「真部八段にはときどきお宅に呼んでいただくことがある。非常にに博識で飲みながら話をしているととても楽しい。おおらかで大胆な部分と理論的な部分を併せ持たれている感じがする。真部八段の将棋は、基本的に筋のよい棋風なのだが、ときおり非常にごつい手を指してるタイプである。型にはまらず独創的なところがあって、常に”自分の将棋”を指している棋士だ。」(88ページ)

故・村山聖九段 (本書執筆当時、すでに他界)
「村山さんは個性的な棋士だった。随所に野性味あふれる指し手が現れるその棋風は「切れ味の鋭いナタ」のようであり、魅力ある将棋だった。村山さんとは年齢も近く、私はライバルとして意識していた。村山さんが私のことをどう思っていたかは分からないけれど・・・・・・。明るく朗らかなうえに人なつっこくて、村山さんは誰からも愛される性格だった。同世代の友人として、忘れることはできない棋士である。」(184ページ)

最後に紹介した「故・村山聖九段をライバルとして意識していた」というくだりは、「やはりそうだったか」という思いである。以前の記事でも、似たようなことを書いていると思うが、激しさという点で2人の棋風は似ている。郷田九段にとって、自分より少し年上で、しかし1期あとに奨励会入たものの、あっという間に奨励会を駆け抜け、常に自分より先を走っていた村山九段は、その棋風からしても郷田九段の目標だったに違いない。
そして、郷田九段がB級1組でトップとなり、初めてA級入りを決めた第57期(1998年度)の順位戦で、村山九段はA級在籍にまま亡くなったのだ。ようやく追いついたと思った時、ライバルはいなくなっていた。

取り上げられている21局の棋譜は、改めて将棋盤と駒を出してきて並べてみようと思う。

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2008年4月17日 (木)

生命の不思議を感じさせてくれる福岡伸一著『生物の無生物のあいだ』を読み終わる

一昨日(2008年4月15日)の記事で取り上げた福岡伸一著『生物の無生物のあいだ』(講談社現代新書)を読み終わった。

時に分子生物学の歴史を語り、その中での人間の功名争いを巧みに語り、最後にはその分子生物学の歴史に連なる自らの研究の不思議な結果、生命の不思議としか言いようのない結末を語り、締めくくる。最後の数章はまるでミステリーを読んでいるようで、どのような結論がでるのか、気になって一気に読ませる迫力がある。
(個々のエピソードは興味深いものが多いが、あまり書いてしまうと、まだ読んでない人に対してネタバレになってしまうので控えておく)

そして、一冊を読み終えてみれば、本書が、一般人向けの格好の分子生物学の入門書になっていることがわかる。また、世界のトップレベルの研究室で行われている研究の最前線の有り様を垣間見せてくれ、偉大な業績の背景には、地道な作業の積み重ねがあることを知り、「どの世界も同じなのだ」と改めて認識する。

高校時代、文系を選択した私は、当時のカリキュラムで「生物Ⅰ」を勉強したところで、生物学の勉強は終わっている。その程度の知識でも、十分、楽しめた。著者の難しいことを、門外漢にも判るように語る語り口は秀逸であり、大学の理系の先生としては希有な存在ではないだろうか。
この著者福岡先生が1959年生まれというのは、1960年生まれの私にとって、同世代の活躍としてうれしい限りである。 著者が書いた『もう牛を食べても安心か』(文春新書)、『プリオン説は本当か?』(講談社ブルーバックス)も買い求めて読んでみようと思う。


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2008年4月16日 (水)

河合隼雄著『河合隼雄の"こころ"』

故河合隼雄文化庁長官を追悼する雑誌の特集号は、以前紹介したが、その後、月刊『教育総合技術』という専門雑誌に2004年4月号から2006年9月号まで連載されていた記事をまとめた『河合隼雄の"こころ"』(小学館)が出版された。

『教育総合技術』という雑誌は、学校の先生向けの専門誌のようで、連載記事「子どもの心、教師のこころ」というタイトルで、先生を対象に子どもと大人、学校、社会などとのの関わりをテーマにしたものになっている。

また、この本には、河合隼雄さんが選んだ「親子で読みたい本」のリストが、児童書と絵本に分かれて載せられている。編集部によるまえがきだと、いずれ、河合さんが文化庁長官退官後に全作品につき解説を執筆してもらう予定で、とりあえずリストアップだけがされていたが、亡くなられたためリストだけが残ったというもの。河合さんは、児童書も多く読まれ、何冊も児童書について語った著作があり、解説書が実現していれば、よき児童書、絵本の手引きになっていたに違いないと思われるので残念である。

おそらくは、この本が、河合隼雄さんが書かれたものの最後になるのであろう。今年に入ってから、20代の若者が、無差別に衝動的に他人を殺傷する事件が続いていて、単に表面的な動機の分析だけではなく、社会全体に蔓延する病理のような物を考えていかなければならない時に、それにもっともふさわしい河合さんがすでにこの世にいないことは、残念である。

この本の帯には「不世出の臨床心理学者が最期の綴った"おとなのこころと子どものこころ"」とあるのだが、「不世出」という言葉がまさにその通りだなという気がした。
本当は、河合さんの書物から薫陶を受けた、我々のような後の世代の者が、河合さんの深い洞察からヒントを得て、実践し、少しでも社会を変えていかなければならないのだろうけれど、現実には、自らの子育で精一杯であり、なおさら失った河合隼雄さんの存在の大きさを感じる。

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2008年4月15日 (火)

福岡伸一著『生物と無生物のあいだ』を読み始める

このところ、読んでいた松岡正剛著『日本という方法』(NHKブックス)と松岡正剛・茂木健一郎対談『脳と日本人』(文藝春秋)の2冊を日曜日までに読み終わる。
日本文化について「うつ(空)」と「うつつ(現実)」とそれをつなぐ「うつろい」とキーワードに語られているが、正直なところ松岡さんの全思想を完璧に理解したとは言い難い。松岡さんの思想は、古今東西のさまざまな人物の著作を読み込み、それを自分なりに咀嚼・消化したうえで、松岡流に編集されており、浅学非才の私にはまだまだとても及ぶところではないというのが正直な感想である。

少し、目先を変える意味もあって、昨日から福岡伸一著 『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)を読み始めた。
しばらく前に読んだ山本淳子著『源氏物語の時代』などと並び2007年のサントリー学芸賞を受賞した作品だ。2007年5月の発行だが、またベストセラーかつロングセラーとして、もうすぐ発売後1年になるが、いまでも平積みで並べられいる書店が多い。

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891)

分子生物学者の著者が、タイトル通り「生物」と「無生物」の違いについて語るのだが、教科書的な説明ではなく、自らの研究体験、分子生物学研究の歴史も交えて、エッセイとして書かれており、読みやすく、わかりやすい。売れているのもなるほどと納得する内容である。
昨日の帰りなど、つい夢中になって読んでいたら、例のごとく、1駅乗り過ごしてしまった。

サントリー文芸賞の受賞の言葉が、著者自身による自著の説明と、そのわかりやすく読みやすい文章の秘密が述べられており、この短い受賞の言葉じたいも一つの読み物として十分おもしろいので、全文紹介しておきたい。
斜字体にした部分は、なるほどそうだと思うところで、学び教えるということの本質をついているような気がするので、あえて強調させてもらった。

<サントリー学芸賞受賞者の言葉より>

このたびは、栄えある賞をいただくことになり心より感謝申し上げます。
唐突ながら、私はスポーツが得意ではありません。学校の体育の時間にろくな記憶がないのです。それでも大学に入ってから知人に誘われるままスキーを始めました。技術の習得は自分でも情けなくなるほど遅々としたものでしたが、冬の朝の群青色の空や光る風に魅せられてスキーを続けました。スキー場に行くと必ずスキースクールに入ってインストラクターから指導を受けることにしました。彼ら(あるいは彼女ら)の滑りは私の目に神様のごとく映ります。美しく、速く、力強くそれでいて軽やか。雪煙を上げながらピタリと止まる姿にため息が出ます。そして、インストラクターから受ける注意はいつも同じでした。重心が後ろにあるのでスキーから身体が遅れる。カーブの時、身体の軸が内側に倒れすぎている。エッジの踏みが軽すぎる・・・
スキーが抜群にうまいインストラクターたちは、しかし、しばしばそのうまさを伝えることができません。彼らはスキー技術のポイントを整理し、そこに定義や意味を付与することはできます。しかし私はそれを理解し、それを身体で実現することができないのです。しばしばインストラクターはいらだちました。こんなに簡単なことがどうしてできないのかと。こうですよ、こう。そういって彼らは華麗に雪面を滑り降りてみせるのでした。
『生物と無生物のあいだ』を書くにあたって、私は語り口を、もう少し格好よく言えば、自分の「文体」を探しあぐねていました。そして思い出したのがスキーのことだったのです。そうなのです。彼らがうまくスキー技術を言葉にできないのは、実は彼らがそれを忘れているから、あるいはより正確にいえば憶えた経験すらないからなのです。それほどスキーの滑走感、ターン感は彼らにとって生得的なものなのです。
結局、私たちが、伝えることができるのは、自分が理解したプロセス自体を憶えていることだけである。そう思えたとき、私は、自然とこの本を、初めて研究者の卵として就職したニューヨークのロックフェラー大学のことから書き始めていました。かつて野口英世がいた場所です。あるいはDNAが遺伝子の本体であることを丹念な実験で突き止めようとしたエイブリーがいた場所でもあります。私は古びた図書館の小さな窓から見える、深緑色の水を湛えたイーストリバーの流れを思い出しました。そうなのだ、自分が理解したプロセスを、自分の体験として語ればよいのだ。それはあるときは混乱であり、別のときは落胆だった。そしてまたそれはささやかな喜びでもあった。そのいちいちを、事後的ではなく、自分の内部の時間の流れとして記述すればよいのだ。
その試みは、もちろん本書では全く不十分な、実験的なものにとどまっています。しかし、私にできることはそれを継続していくことだけなのだということもわかったのです。

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2008年4月14日 (月)

徳永英明『VOCALIST』シリーズ300万枚突破の意味を考える・その2-『VOCALIST』は現代の名歌選集

昨日の記事を書いたあと、思いついたことがあるので、忘れないうちに書き足しておきたい。

○『VOCALIST』シリーズは現代の名歌選集ではないか
今回の『VOCALIST』シリーズ3作では1970年代から2005年くらいまでの約40年間の間の女性ヴォーカル曲から約40曲(通常盤では39曲、限定盤では『喝采』が含まれる)が選び出され、徳永英明という歌手によって、歌い直され、再び世に送り出されている。昨日の記事でも「○名曲を継承し再生する」という小見出しでそのことにふれたが、これは、大伴家持が『万葉集』を、紀貫之が『古今和歌集』を、藤原定家が『新古今和歌集』という形で、当時、読まれた歌を選びまとめたということと同じことなのではないだろうかと思った。

自らの歌を詠む歌人として実績のある選者が、同時代の多くの歌人達の秀作を選び、まとめる。そこに選ばれた歌は、選ばれたことにより、『万葉集』の中の誰それの歌、『古今集』の中の誰それの歌という形で、歴史の中で記憶され、後の世に伝えられ、何度も再生される。もちろん、秀作であれば、単独でも歴史に残るものはあると思うが、そこに選ばれたことで、より歌い継がれる可能性は高くなったにちがいない。

例えば、今回の『VOCALIST』シリーズ の中でも、「あなた」(小坂明子、1973年)、「迷い道」(渡辺真知子、1977年)、「恋人よ」(五輪真弓、1980年)などの曲は、徳永英明と同世代の我々40代後半の世代には、まさにそのヒットを体験した懐かしい曲であるが、80年代以降に生まれた、今の20代の人びとは、このアルバムを通じて、曲のそのものに初めて接したということもあるのではないだろうか。
一方、私などは、1983年に社会人になって以降のヒット曲は、その時の自分の忙しさ次第で、いくら世の中でヒットしていても、あまり歌謡曲そのものを聴く機会がなく、「M」(プリンセス・プリンセス、1988年)「月のしずく」(RUI=柴咲コウ、2003年)、「ENDLES STORY」(伊藤由奈、2005年) などの曲は 『VOCALIST』シリーズで初めてその存在を知った。

何十年か後、1970年代以降の40年ほどの歌謡曲を語る際、この『VOCALIST』シリーズの40曲は、『VOCALIST』に収録された曲として、より記憶され、歌い継がれる可能性が高まったのではないだろうか。『VOCALIST』シリーズのカバーアルバムとしてのヒットは、過去の名曲を現代に再生したことに加え、さらにこれから未来に伝えていく役割を果たすのではないという気がしている。

300万枚というカバーアルバムとしての異例のヒットは、徳永英明という歌手の歌の選者としての選曲眼に多くの人が賛同したことの表れでもあるのだと思う。

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2008年4月13日 (日)

徳永英明『VOCALIST』シリーズ300万枚突破の意味を考える

このブログでも、何回か取りあげた歌手の徳永英明さんが女性ヴォーカル曲の名曲を集めてカバーしたアルバム『VOCALIST』シリーズ3作の出荷累計(*)が300万枚を超えたという話題が3月下旬に報道された(2008年3月28日スポーツ報知、*記事には出荷か販売かの明示はなし)。
記事では 1作目の『VOCALIST』が100万枚、『VOCALIST2』が90万枚、『VOCALIST3』が115万枚と書かれている。4月9日には3作品をセットにした『VOCALIST BOX』も発売された。

以前記事を書いた時に調べた時は、『VOCALIST3』の発売直後で累計100万枚を超えたと言われていたので、おそらく『VOCALIST3』リリース後にTVなどでも話題にされるように、さらにヒットに拍車がかかったいうことのようだ。

私は3枚のアルバムをレンタルショップで借りてきたパソコンでCDにコピーし、また携帯電話の音楽プレーヤーにもコピーして毎日のように聴いているが飽きることがない。たしかに、取り上げられているどの曲もかつての大ヒット曲ばかりであり、懐かしいという面もあるが、同じようなノリで往年の女性アイドル歌手が女性ヴォーカル曲をカバーしたアルバムを借りてきたところ、全然いいとは思えなくて、1度聴いただけで、コピーもせずに返してしまった。

○人を惹きつける何か
やはり、原曲のよさ以外に歌手徳永英明の持つ何かが、聴く人を惹きつけたからこそ、カバーアルバムとして異例のヒットになったのだと思う。その謎についての、自分なりの納得する答えを見つけたくて、ネット検索を使って、『VOCALIST』シリーズについての彼のインタビューを聞いたり、読んだりしてみた。

(1)なぜ、シンガー・ソングライターが他の歌手のカバーをしたのか?
作詞・作曲と歌唱を一人でこなず、シンガー・ソングライターである彼が、自分の曲でなく他人の歌をカバーする理由は、自分の歌い手(シンガー、ヴォーカリスト)としての部分の力を極めてみたいという思いがあったようだ。
あるインタビューでは、「ファンクラブ限定のコンサートでカバーだけのライブをやったことで、ヴォーカリストとしての思いに火がついた、それまでは自分をヴォーカリストとして認めていない部分があった」(BARKS:『VOCALIST』リリース記念インタビュー、2005.9.8)ということを答えている。
最初は、ヒット曲を「徳永節で歌えばいいと簡単に考えていたが、もとの歌手が作り上げたメロディを完全に把握した上で、そこから徳永流に仕上げていかなければならないということに気がつき、自分のオリジナル曲より真剣に歌った」という趣旨のことも語っている(ユニバーサルレコードのホームページにある「「VOCALIST」発売によせて」と題したコメントビデオ)。

(2)なぜ、女性ヴォーカル曲なのか
男性歌手が女性ヴォーカル曲を歌うことについては、「男性が書いた歌だと気持ちが判りすぎるから、その時は歌えても、しばらくするともうその気持ちではないので歌えない。女性の書いた詩は、俯瞰的になれるので、シンガーに徹することができる。感情を抜きにして、メロディと言霊を気持ちよく歌える」という趣旨のことを話している。

(3)選んだ歌に対する思い
この点は、以前のブログの記事でも書いたが、「一度世の中に広まった曲というのは”お供え物”」のようなもので、それを(神棚から)「降ろしてきて敬意を表し、自分達流に形を壊さずに作り直し」戻した感覚と語っている。

上記の3点だけを見ても、彼が今回の『VOCALIST』シリーズで、単にかつてのヒット曲を歌っただけではないことが判る。

○名曲を継承し再生する
その結果、『VOCALIST』シリーズは、広く人びとに受け入れられ、過去の名曲を現代に再生する役割を果たすことになった。
最初の『VOCALIST』を出した時、彼がどれだけそのことを意識していたかは判らないけれど、『VOCALIST』シリーズの評判が上がるにつれ、過去の名曲を継承し、自分なりの歌い方で再び世の中に送り出すということを意識するようになったのではないだろうか。

○中年クライシスを乗り越えた
さらに、私は彼が40歳早々で脳血管障害系の「もやもや病」という病と戦い、再生、復活したことと無関係ではないだろうと思う。それまでに、シンガー・ソングライターとしてはもちろん、俳優としても活躍していた時に襲った病。それは、まさしく「中年期の危機(中年クライシス)」であったろう。
その復活の過程で、彼が巡り会ったのがシンガー、ヴォーカリストとして、過去の名曲をカバーするということだったのだと思う。

『VOCALIST』シリーズ3作で、歌手としての自分の位置づけと自分自身で作りかえた彼は、この3作で シンガー、ヴォーカリストに徹したことを糧として、再びオリジナル曲を手がけた。中年クライシスを乗り越えた、中堅歌手が、これから先どのように活躍するか、同世代として注目し、応援していきたい。

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2008年4月12日 (土)

再び書きかけの記事が消える

今日は、歌手の徳永英明『VOCALIST』シリーズが3作で300万枚を突破し、この4月9日には3作をまとめた『VOCALIST BOX』というセットアルバムが発売されたことに関し、いろいろデータなども調べ、半日かけてほぼ記事を書き終えていた。

ちょうど、夕食の時間になり、パソコンもやや反応が重たくなっていたので、ブログを書くのに使っている「ホームページ・ビルダー」の「未投稿記事として保存」というボタンを押し、書きかけの記事として保存したはずだった。

しかし、食事を終えて、再び書きかけ記事を仕上げようと思って呼び出すと、書きかけの記事のタイトルが並んでいるはずのスペースは、何の文字もない白紙。

「えっ!」「うそー!」である。時々、「ホームページ・ビルダー」にはこうして裏切られる。もうすでに、夜11時を回り、今から一から思い出して、再生する元気はない。
やはり、そういう時は、いったん、「ワード」にでも原稿をバックアップしておかなくてはいけない。過去の失敗で、学んだはずなのに、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」ということわざの通りになっている自分がなんとも情けない。

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2008年4月11日 (金)

第79期棋聖戦挑戦者決定トーナメント準決勝の郷田真隆九段×羽生善治二冠戦は4月17日に対局

毎年4月から5月にかけての将棋界は名人戦七番勝負が話題の中心だ。昨年(2007年)は、私が応援している郷田真隆九段が、森内名人への挑戦者となり七番勝負を戦っていたので、退屈することがなかった。

今年の森内名人と羽生二冠の宿命のライバル対決も、昨年郷田九段との激闘の末、第18世名人の資格を得た森内名人とその森内名人に名人戦で二度、永世名人のチャンスを阻まれ三度目の正直を目指す羽生二冠という話題には興味はあるのだが、特にどちらのファンというわけではないので、私個人の盛り上がり方としては、昨年には及ばない。

名人戦の予選リーグとなる順位戦もまだ始まらず、他のタイトル戦の予選が進んでいる状況であり、関心時は贔屓の郷田九段の次の対局になる。

現在、今期(2008年度)の他のタイトル戦での挑戦の可能性があるか否かは次の通りだ。

<第79期棋聖戦(6~7月)> 
挑戦者決定トーナメント準決勝進出、羽生二冠と対戦。
<第49期王位戦(7~9月)>
島八段に敗れ挑戦者リーグ入り逃し、可能性なし。
<第56期王座戦(9月~10月)>
前回ベスト4のため予選免除で、16人で争う挑戦者決定トーメントにシード棋士として参加。初戦の相手は杉本昌隆七段。
<第21期竜王戦(10月~12月)>
ランキング戦1組準決勝進出。準決勝の対戦相手は丸山忠久九段。あと1勝で挑戦者を決める決勝トーナメント出場が確定。
<第58期王将戦(1月~3月)>
A級棋士として、挑戦者リーグ入りを争う2次予選から参加。(現在、1次予選中)
<第34期棋王戦(2月~3月)>
A級・B級1組棋士及び予選通過者等で争う挑戦者決定トーナメントから参加。(現在、予選中)

今のところ、王位戦以外は可能性を残している。当面、挑戦者にもっとも近い位置にいるのが棋聖戦。現在、名人戦を戦っている羽生二冠との準決勝は4月17日であることが、将棋連盟のホームページの「今後1週間の予定」でわかった。

郷田九段の羽生二冠との対戦成績は過去51戦して17勝34敗で勝率0.333。タイトル戦で5回(王位戦3、棋王戦1、棋聖戦1)戦い、1勝4敗。2002年から2004年にかけては6連敗している。郷田九段が、タイトルを常に保有するような超一流棋士になるには、羽生二冠との対戦成績をもう少しよくしないと苦しいところだが、光明は郷田九段の復調の兆しが見え始めた2005年以降は、5戦して3勝2敗と勝ち越していることである。(このデータについては、「玲瓏:羽生善治(棋士)データベース:棋士別対戦成績:郷田真隆隆戦を参照しました)

4月17日には、なんとか羽生二冠の壁を打ち破り、棋聖戦の挑戦者決定戦に進出してもらいたい。

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2008年4月10日 (木)

第66期将棋名人戦第1局は森内俊之名人が勝利、100戦まであと8戦

将棋の第66期名人戦7番勝負第1局は、昨日(2008年4月9日)までの2日間、東京で行われ、森内俊之名人が羽生善治二冠を降し、初戦を白星で飾った。

昨日は、夜、飲み会があり、家に帰って確認した時には、すでに勝負はついていた。
名人戦棋譜速報で、指し手を再生したが、素人目には、後手になった羽生二冠が、誰も角交換と思ったところで、角を取るのに飛車切りを断行したところが、やや性急だったように思えた。

これで2人の対戦成績は92戦で森内名人の42勝50敗、勝率0.4565となった。

あと8戦で100戦となる。100戦は、双方がトップ棋士であることの証明である。通常、年間で同じ棋士と対戦するのは、5局もあれば多い方だろう。年5局平均で20年、それも双方が同程度のレベルの場合である。
現実には、100戦を達成するには、7番勝負、5番勝負というタイトル戦で、何度も戦わないことには、簡単には達成できない数字である。

過去90戦以上戦われた組合せは、将棋連盟のホームページによれば、以下の通り。

順位 対局数 棋士名 対戦成績 棋士名 持将棋
1 187 中原誠 106-80 米長邦雄 1
2 167 大山康晴 96-70 升田幸三 1
3 162 大山康晴 116-45 二上達也 1
3 162 中原誠 107-55 大山康晴 0
5 *157 羽生善治 95-62 谷川浩司 0
6 *133 羽生善治 87-46 佐藤康光 0
7 124 大山康晴 78-46 加藤一二三 0
8 *109 中原誠 67-41 加藤一二三 1
9 104 米長邦雄 63-41 加藤一二三 0
9 104 大山康晴 58-46 米長邦雄 0
11 *98 谷川浩司 56-42 中原誠 0
12 94 二上達也 49-45 加藤一二三 0
13 *93 内藤國雄 49-44 有吉道夫 0
14 *92 羽生善治 50-42 森内俊之 0

*印は現役棋士同士

羽生-森内戦の92局は、現在歴代14位。この名人戦で最低でもあと3局、フルセットにもつれ込めばあと6局戦う。
現時点では、現役棋士同士の組合せで最も多いのが、羽生-谷川戦の157局、次いで羽生-佐藤戦の133局であるが、羽生-森内戦がどこまで迫り、追い抜けるのか。そのためには、双方が一定数のタイトルを常に保持し、また相手方が予選トーナメントやリーグ戦を勝ち抜き、挑戦者になり続ける必要がある。

歴代1、2位を占める同世代での宿命のライバル対決、中原-米長戦の187局、大山-升田戦の167局に肩を並べられるのは、やはり羽生-佐藤戦なのか、それとも羽生-森内戦になるのか、それも興味のあるところだ。

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2008年4月 9日 (水)

第66期将棋名人戦、森内俊之名人対羽生善治二冠の戦い始まる、2人のタイトル戦は11回目

昨日(2008年4月8日)から、森内俊之名人に挑戦者の羽生善治二冠(王座・王将)が挑む、第66期将棋名人戦が始まった。

これまでの二人の対戦成績は、森内名人から見て41勝50敗。勝率0.4505。
現在の将棋界の第一人者である羽生二冠に対して、深浦康市王位(18勝20敗、勝率0.4737)に次ぐ勝率を残しているのが、森内名人である。

○過去のタイトル戦
これまで二人は、名人戦での4回の対戦を含めタイトル戦で10回戦っている。過去から遡ってみると次の通りだ。

タイトル戦名 時期 勝者 敗者
第54期名人戦 96.4~6 羽生名人4勝 森内八段1勝
第25期棋王戦 00.2~3 羽生棋王3勝 森内八段1勝
第61期名人戦 03.4~5 羽生三冠4勝 森内名人0勝
第16期竜王戦 03.10~11 森内八段4勝 羽生竜王0勝
第53期王将戦 04.1~3 森内竜王4勝 羽生王将2勝
第62期名人戦 04.4~6 森内二冠4勝 羽生名人2勝
第52期王座戦 04.9~10 羽生王座3勝 森内三冠1勝
第54期王将戦 05.1~2 羽生二冠4勝 森内王将0勝
第63期名人戦 05.4~6 森内名人4勝 羽生四冠3勝
第31期棋王戦 06.2~3 森内名人3勝 羽生棋王1勝

最初は、八段当時、なかなか羽生現二冠に勝てなかった森内名人。第61期名人戦では、前年丸山忠久名人から奪った名人のタイトルを1期で羽生三冠(竜王・王将・王座)に明け渡すことになった。
しかし、そこから森内名人の快進撃が始まる。名人位を加えた羽生四冠(名人・竜王・王将・王座)から、タイトルを一ずつ奪っていく、まず第16期竜王戦で竜王位を、次いで第53期王将戦で王将位を、そして第62期名人戦では前年のリーターンマッチで羽生名人にリベンジを果たし、森内三冠が誕生した。
さらに、第52期王座戦で一冠となった羽生王座への挑戦者にも名乗りを上げるが、負ければ無冠となる羽生王座が踏ん張り、最後の砦は守っている。
タイトル戦では10回の戦いで5勝5敗。今回の第66期名人戦が11回目の戦いとなる。

○永世名人
森内名人は、前期第65期名人戦で郷田真隆九段の挑戦を4勝3敗で退け、名人位5期となり第18世名人の資格を得た。
一方の羽生二冠は、1994年の第52期名人戦で米長邦雄名人から4勝2敗で名人位を奪取。3連覇を果たしたが、4期めとなる1997年第55期名人戦で谷川浩司竜王に2勝4敗で敗れ、名人位を失った。2003年の第61期名人戦で森内名人を4連勝で降し4期めの名人位を獲得し、第18世名人に王手をかけた。しかし、翌2004年の第62期名人戦で森内二冠(竜王・王将)に名人位を一期で奪い返され、第18世名人はお預けとなった。2005年にも挑戦者となるが、ここでも森内名人に阻まれ、18世名人はその後防衛を続けた森内名人が手にした。
現在、すでに5つの永世称号(永世棋聖、永世棋王、名誉王座、永世王位、永世王将)を有する羽生二冠、永世名人(19世)まであと1期である。
おそらく、現在、羽生二冠が最も欲するタイトルが名人であろう。いつかは、タイトル戦の挑戦は簡単ではない。チャンスがあるときに獲りに行くという事だろう。

この7番勝負、どういう戦いが繰り広げられるか、楽しみである。

(御礼)今日の記事は「玲瓏:羽生善治(棋士)データベース」の棋士別対局成績:森内俊之分将棋タイトル戦の各サイトを参照させていただきました。

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2008年4月 8日 (火)

3月31日に700タイトルを記録、目指せ年内1000タイトル

改めて、チェックしてみるとちょうど3月31日に書いた「辞書の季節、金田一晴彦さんの理想の辞書の新版」の記事が700件めだった。

600タイトルが昨年の年末12月25日、その後も1日1タイトルのペースは守っているので、順当なところだろう。

当面の区切りである1000タイトルまでは、4月に入って書いた8件があるので、292。1日1件のペースに多少書き足せば、2008年の年末までになんとか達するかもしれない。

年内に1000タイトルを目標に、1日1件を継続することにしよう。

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2008年4月 7日 (月)

内田樹著『ひとりでは生きられないのも芸のうち』を読み終わる

先週3日(木)から読み始めた内田樹著『ひとりでは生きられないのも芸のうち』を読み終わった。

ひとりでは生きられないのも芸のうち
ひとりでは生きられないのも芸のうち

この本の全体についての著者の考え方は読み始めた日の記事(2008年4月3日:内田樹さんが語る狙った男の口説き方-『ひとりでは生きられないのも芸のうち』から)で紹介したので、そちらも見ていただければと思う。

内田先生が語るのは、2008年の日本で語られる自由主義経済の中で自らの利益を最大にしようと行動する経済合理性で思考し行動する社会や個人ではない。
もっと、自然の摂理やなんとか生き残ろうとする人間の本能に立ち戻って考えるということである。

例えば、現在の日本の地域社会や家族での人間関係が希薄になっているのは、日本が平和であるからという。戦争や飢餓など、生命の危機の瀕した時、人間は生き延びる可能性がより高い選択をする。
家族と助け合い、限られた食料を分け合い、地域の人びとと助けあう。その方が、一人でいるよりも、生き延びる可能性が高いからである。
それは、草食動物が肉食動物から逃れ生き延びるため、群れをなすのと同じである。1匹でいれば狙われたら最後、逃げおおせることは難しいだろう。しかし、10匹で群れを作れば襲われるリスクは1/10になるし、100匹で群れをなせばリスクは1/100になる。

日本が豊かで明日を生きることに何の不安もないから、家族に依存したり頼る必要もない。そして、自立と言う名の「孤立」を選択する人が増える。ニートとなり、働かなくても親が養ってくれるから困らない。

ほかにも、いろいろと、そもそも論から考えた内田流思考がいたるところにちりばめられている。

私が、目から鱗が落ちる思いだったのは、昔の大人は子どもの前でお金の話はしなかったというくだりである。(Ⅴ共同体の作法-「子どもに触れさせてはいけないもの」)
お金は穢れたものとの意識があり、物を買って代金を支払う時は別だが、人にお金を渡す時、封筒に入れたり、紙に包んだりするのは、穢れたものを裸のまま人に渡すの失礼という意識があるからという。そして、お金を話をするのは、大人であり、子どもを穢れから守るため、子どもの前ではお金の話はしない。確かに、以前の日本人にはそんな意識があったように思う。
私の両親も決して豊かではなかったが、子どもの前で、家計が苦しいなどと漏らしたことはなかった。

それが、自分が親になった現在、子どもの前で、当たり前のようにお金の話をしている。知らず知らずに、「自由主義経済の中で自らの利益を最大にしようと行動する経済合理性」と言い換えた拝金主義に毒されているのだろう。

身の回りで語られることが、なんか変だと感じている人は、一度読んでみるといいと思う。変ではない、まともな、常識的な考えというものは何かについて、思い起こさせ、考えさせてくれる「きっかけ」がたくさん詰まっている本だ。

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2008年4月 6日 (日)

松岡正剛著『誰も知らない世界と日本のまちがい』を読み終わり、『日本という方法』を手に入れる

先週、読み続けていた松岡正剛さんの『誰も知らない世界と日本のまちがい』(春秋社)を読み終わる。

誰も知らない 世界と日本のまちがい 自由と国家と資本主義
誰も知らない 世界と日本のまちがい 自由と国家と資本主義

この本は3月25日のこのブログで取り上げた『17歳のための世界と日本の見方』の続編として書かれたものである。

『17歳のための世界と日本の見方』は好評だったようで、同書では扱っていなかった日本と世界の近現代史について語られている。
前作は帝塚山学院大学での講義が基になっていたが、今回は、前作の読者を集め、4日にわたって著者が話したものがベースになっている。

著者は、現在の世界のモデルが産業革命以降のイギリスにあるとし、そのイギリスとイギリスの覇権を引き継いだアメリカがそのモデルを世界に撒き散らし、「同一のルールとロールとツールを使うようになった」ことが、「まちがい」としている。

著者の唱える「編集工学」は以前にも書いたように、単に書籍や放送の編集にとどまらず、社会や個人の文化、意識や行動などを幅広く含む概念である。

著者は、本書では、それぞれ文化風土が違う地域が混在する世界で単一のルールを地域の違いを考慮することなく一律に適応しようとする危うさに警鐘を鳴らしている。

例えば、日本が中国で生まれた漢字という文字で、日本語の音を表現しようとして万葉仮名が生まれ、そこからひらがな、カタカナが生まれたように、受け取ったものを一度咀嚼し、自らに受け入れやすいように修正したり再構成したりして、自分流に変えていくことを「編集」と著者は位置づけている。

アメリカで主導で進む、グローバルスタンダードという名のアメリカンスタンダードを無批判に受け入れていたきた日本のあり方に再考を促しているのが本書だろう。

折しも、サブプライム問題で、アメリカンスタンダードが単なるアメリカのまやかしを押しつけるためのルールでっあったことが明らかになり、馬脚があらわれつつある現在、著者の主張は共感を呼んでいるのか、
松岡正剛フェアを行っている書店があったり、新刊の本書『世界と日本のまちがい』に加え前編にあたる『17歳のための世界と日本の見方』を揃えて、平置きで並べてある書店もあった。

その著者が、日本の歴史を振り返り、日本人が歴史の中で、外からの文化をどのように編集し受け入れてきたかをまとめのが、『日本という方法』(NHKブックス)である。この本は、2006年9月に初版が発行されているが、ほとんどの書店に在庫がなく、あっても汚い本しかなく、いろいろな書店に行くたびに探していたのだが、昨日ようやく見つけた。

日本という方法―おもかげ・うつろいの文化 (NHKブックス)
日本という方法―おもかげ・うつろいの文化 (NHKブックス)

日本全体で、アメリカンスタンダードを直輸入してきた小泉・竹中政治の見直しをする時期に来ているのだと思う。
その時、歴史を振り返り、過去の日本人がどのような形で他国の文化を受け入れ、自分流に「編集」してきたかは、学ぶ意味があると思う。

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将棋のアマチュア初段にチャレンジ開始

このブログも、週に2回ほどは将棋の記事を書いていて、それなりにアクセスもしていただいているのだが、管理人は単にプロの棋士たちの生き様を見るのが好きなだけで、偉そうなことを書く棋力が備わっているわけではない。一度、将棋連盟がインターネットで公開されていた棋力検定では5問中4問正解で2級という結果だったことがある。

将棋連盟の月刊誌『将棋世界』の売り物の一つとして、誌上の棋力認定制度があり、毎月掲載されている問題図からの次の一手を予想する。往復ハガキに予想手を書いて各号にある応募券を切り抜いて貼り、連盟に送ると採点され返送されてくる。正解には、点数がつき一定の点数に達すれば、段位を認定され、免状を申請できる仕組みである。

『将棋世界』と継続的に買うようになって2年近くになると思うが、毎回、今月から挑戦してみようかと思いながら、あっという間に1ヵ月が過ぎ、応募期間が過ぎてしまうということの繰り返しだった。

それには、イヤな思い出があって、遡ること35年。中学生になったばかりの私は、なけなしの小遣いで毎月『将棋世界』を買っていて、初段コースに応募していた。当時は、初段コースの出題は3問。30点の問題が2問と40点の問題が1問。全問正解すれば100点で、1200点になると初段という仕組みで、さらにその上に二段、三段コースがあった。しかし、返送されてくる往復ハガキの返信に書かれた成績はせいぜい1問正解がいいところで、満点が取れたことは一度もなく、いったい何年かければ1200点になるのか見当もつかなかった。そのうち、全問不正解などもあり、あまりの道のりの遠さに嫌気がさし、応募もしなくなり、『将棋世界』も買わなくなってしまった。

しかし、できればそんなイヤな思い出を早く払拭したいという思いも一方のはずっとあった。
いよいよ昨日、午後の暇な時間に将棋盤を引っ張り出し、『将棋世界』の最新号(2008年5月号)の問題を並べてみた。

現在の誌上棋力認定は35年前より充実していて、問題は①級位コース、②初・二・三段コース、③四・五・六段コースに分かれている。各コース毎月4問出題があり、初・二・三段コースは各問100点。800点に達すると初段の認定となり、連盟に初段の免状を申請できる。

中学生の頃の初段コースは簡単なヒントがあり候補手3つの中から選ぶという形式だったと思うが、現在はヒントだけで、その局面での最善手を考えて書かなければならい。その点は難しくなっているが、800点で初段なら2ヵ月全問正解で初段である。全問正解でも1年かかった昔とはずいぶん違う。

いざ、駒を並べて考えてみると、4問ともこれではないかとい手が思い浮かんだ。その手に対する相手の対応、さらに当方の攻め方を考えても、最善手に違いない。すっかり自信をもった私は、家にある往復ハガキの取りに行き、答えを書き、応募券を貼って、昨日のうちにポストに投函した。

気分はすっかり全問正解、2ヵ月で初段なのだが、結果が帰って来るのは5月7日以降とのこと。さて、思惑通り全問正解か、とんだ勘違いか、採点が戻ってくるまで楽しみである。
いい結果であれば、その日のブログのネタにしたいと思う。今後、何も書かれることがなければ、私のとんだ勘違いだったと思っていただければと思う。

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2008年4月 5日 (土)

第21期竜王戦1組2回戦で郷田真隆九段が松尾歩七段を破り準決勝進出、決勝トーナメント進出まであと1勝

昨日(2008年4月4日)は、将棋の竜王戦1組の2回戦の2局、郷田真隆九段×松尾歩七段戦、木村一基八段×阿部隆八段戦が行われ、それぞれ郷田真隆九段と木村一基八段が勝ち、1組の準決勝に駒を進めた。
1組準決勝は、郷田九段は同世代のライバルの1人丸山忠久九段と、木村一基八段は鈴木大介八段と対戦する。

○竜王戦の仕組み
竜王戦は、全棋士が最上位の1組から6組までに分かれ戦うが、竜王への挑戦者決める決勝トーナメントには、最下層の6組から3組までは各組の優勝者1名、2組は優勝と準優勝、1組は優勝と準優勝に加え、3位から5位まで計5名が出場する。(決勝トーナメント表はこちら
1組の3~5位は、1回戦で敗れた8人で争う5位決定トーナメント、2回戦で敗れた4名で争う4位決定トーナメント、準決勝敗者2名で争う3位決定戦で決まる。1組の場合は、2回負けなければ決勝トーナメントに出場できることになり、他の組に比べて大幅に優遇されている。(1組のトーナメント表はこちら

○郷田九段あと1勝で決勝トーナメント
私が応援する郷田九段は、1組準決勝まで駒を進めたので、次の丸山九段戦に勝てば1組準優勝以上が確定するし、もし負けた場合でも、3位決定戦で勝てば決勝トーナメント出場が決まるので、いずれにせよあと1勝で決勝トーナメント進出が決まる。
もちろん、ファンとしては、丸山九段戦に勝って一発で決勝トーナメント進出を決めてもらいたい。

○郷田九段と丸山九段
郷田九段にとって丸山九段は好敵手である。2001年度以降で見ると18戦で6勝12敗と分が悪いが、2005年度まで、2勝9敗と大幅に負け越していたためであり、A級復帰を果たし復調著しいこのこの2年間に限れば2006年度が2勝2敗、2007年度が2勝1敗と互角になっている。特に昨年度は第1回の大和証券杯ネット将棋最強戦の決勝で勝っている。

○郷田九段と竜王戦
郷田九段にとって、これまで竜王戦は相性に悪い棋戦である。将棋連盟のホームページに記録がある第13期以降で、本戦である決勝トーナメントに出場したのは第14期に1組3位となった時だけである。その時も決勝トーナメントでは1回戦で2組2位の畠山鎮六段(当時)に敗れている。
また、13期以降でみると、1組3位決定戦には4回駒を進めたが、そのうち3回を佐藤康光現二冠に阻まれ、1回を行方尚史七段(当時)に阻まれている。

今回は、久々の決勝トーナメント出場のチャンス。あと1つは確実に勝って、決勝トーナメンと出場を決め、これまでの悪い流れを断ち切るとともに、決勝トーナメントを勝ち進み、渡辺明竜王への挑戦者に名乗りをあげ、ぜひ竜王位を奪取してもらいたい。

○今期の1組降級者に森内名人
なお、竜王戦は1組以外は原則各組4名が上位の組へ昇級する。代わりに、1組からは1回戦で敗れ5位決定戦に回った8名のうち、そこでも初戦に敗れた4名(初戦から2連敗の者4名)が翌年度2組に降級する。
今回の5位決定戦1回戦は中原16世名人×森内名人、羽生二冠×谷川九段、佐藤二冠×三浦八段、杉本七段×富岡八段という降級者を決める戦いとは思えないような組合せになり、森内名人、谷川九段、三浦八段、富岡八段の4名が来期2組に降級することとなった。
現役名人が降級するとは、将棋の世界も実力の世界とはいえ、厳しいものである。

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2008年4月 4日 (金)

次々と街の本屋が姿を消す背景にあるものを考える

4月に入って、私が通勤で乗り降りする駅前にある小さな書店が店を閉めた。老夫婦と思われる2人でやっていた駅前の寂れた商店街の中の小さな街の本屋だった。

特に本を買う当てがなくても、駅の出口から徒歩1分の場所にあるその書店に、週2、3回は必ず寄っていた私にとっては、子どもの頃、小学校の帰り道に必ずあった駄菓子屋が急に閉店になったような気分である。
小さい店の良さは、どこに何が置かれているかがすぐ分かることで、パソコン関係の雑誌や日本将棋連盟の月刊誌『将棋世界』などは、よくその店で買っていた。

私が今住んでいる家に引っ越してきたのは、2001年6月。引っ越してきた時、我が家の回りの生活圏とも言える範囲の中に、大小の書店が11店舗あった。しかし、現在までの約7年の間に、約半分の6店舗に減ってしまった。特に、この1年は顕著で、駅前の老夫婦の書店もあわせ3店舗が店を閉めた。確かに、閉店になった店は、利用する側から見れば、小さな店であったり、品揃えに工夫が感じらなかったり、幹線道路沿いにありながら駐車スペースがなかったりという店が大半だが、中にはそこそこの店のスペースと品揃えがあり、駐車スペースもあり、近くには大規模マンションもあるチェーン店の店の閉店もあった。

アルメディアという出版社に調べでは、日本の書店数は、2001年の約21000店から2007年5月には17000店ほどに減っているとのことである。

理由はいくつもあげられると思うが、

①まず、本そのものが読まれなくなった(=需要の減少)ということがあるだろう。少子化で、子どもの数が減っていること、本以外の娯楽(TVゲームやインターネット等)の普及なが理由と言えるだろう。
我が家にも3人子どもがいるが、ほとんど本を読まない。妻は、子どもたちが小さい時、懸命に絵本の読み聞かせをしたが、結局誰も本好きな子どもに育たなかった。
父親である私が一番本にお金を使っている。私が児童書の名作である上橋菜穂子さんの『守り人&旅人』シリーズなどを一生懸命読んでいるのに、子どもの方は、もうすぐ成人を迎える長女が一時ハリー・ポッターを読んでいたくらい。子どもたちが買う書籍類はせいぜいコミックである。親としては、この時期にこの本を読むといいのだけれどと思う本はたくさんあるのだが、人に押しつけられた本を読む苦痛も分かっているだけに、あとは、本人たちが必要になれば読むだろうと待つしかないと半ば諦めている。

②もうひとつは流通経路の変化である。今回、閉店した老夫婦の本屋の隣には、コンビニエンスストアがあり、雑誌もかなり置かれている。かつて、街の小さな本屋にとって雑誌が主力の販売商品だったに違いなく、コンビニの出店増は、マイナス材料に違いない。
さらにコンビニの後から登場してきたアマゾンなどのネット書店にも顧客を取られたことは容易に想像できる。私自身はネット通販をたびたび利用するが、家電やパソコン関連が中心で、本はできれば、書店で現物を見て買いたいと思っている。ネットを利用するのは、書店に現物がない場合が中心である。

③最後は、書店という業態内でのパイの取り合いである。全国に名をとどろかす大手書店は、大型店舗を出店を競っており、東京のターミナル駅近辺や全国主要都市には大型書店がずいぶん増えた。大型書店は、品揃えが充実していて、ほしい本を探すのには便利だが、そんな書店ばかりが増えたしわ寄せを食って、街の小さな本屋が消えてしまうのは、「本読み」には決してうれしいことではないと思う。

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2008年4月 3日 (木)

内田樹さんが語る狙った男の口説き方-『ひとりでは生きられないのも芸のうち』から

内田樹さんの2008年1月の新刊『ひとりでは生きられないのも芸のうち』(文藝春秋)を読み始めた。

ひとりでは生きられないのも芸のうち
ひとりでは生きられないのも芸のうち

神戸女学院大学教授でちょっと辛口だけど正論を語る内田さんは、自身でブログを書かれている。
この本もこれまでに著者がブログに書いてきたものを、文藝春秋の編集者が選び、それに著者が手を入れて本になったものである。(あとがきより)

書かれた文章の切り口は、

本書が扱うのは「あまりに(非)常識的であるがゆえに、これまであまり言われていないできたことだけれど、そろそろ誰かが『それ、(非)常識なんですけど』ときっぱり言わねば言わねばまずいのではないか」という論件であります。(『ひとりでは生きられないのも芸のうち』9ページ)

と書かれている通りで、内田さんの面目躍如といった内容である。

そして、まえがきのあと最初の文章が「いかにして男は籠絡されるか/弱雀小僧 is come back」と題されて、思わず読んでしまう。

配偶者をお求めの女性諸君には、標的とされた男性については、まず「隠れたる才能を評価し」、ついで「ルックス」を称えるという二段階で攻撃した場合、きわめて高い確率で所期の成果を挙げうるということをご教示しておきたい。
言っておくが、「人間的暖かさ」とか「器量の大きさ」とか「優しさ」などというものについては、いくらほめられても男は微動だにしないので言うだけ無駄である。
なぜななら、そのような資質が備わっていることをすべての男性はゆるぎなき自信をもって信じているからである。(中略)
男が待望しているのは、、「それが備わっているかどうか、ちょっとだけ自信がない」美質についての「保証」のひとことだけなのである。(『ひとりでは生きられないのも芸のうち』25ページ)

男の立場で読んでも、「なるほどそうかもしれない」と思ってしまう。

このような調子で語られる著者の考えが「Ⅰ非婚・少子化時代に、Ⅱ働くということ、Ⅲメディアの語り口、Ⅳグローバル化時代のひずみ、Ⅴ共同体に作法、Ⅵ死と愛をめぐる考察」という6つカテゴリーにわけてまとめられている。

まだ、「Ⅱ働くということ」を読んでいる最中だが、帰りの電車でページをめくっていたら、内田ワールドに入り込んでしまい、酒に酔っているわけでもないのに、一駅乗り過ごしてしまった。

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2008年4月 2日 (水)

Windows Vista初の大規模アップデートSP1が公開されていた

今日(2008年4月2日)、ユーザー登録してるマイクロソフトからメールが届いた。
Windows Vista初の大規模アップデートService Pack 1の公開の案内のメールだった。

我が家に6台あるパソコンのうち、昨年夏に自作したデスクトップPCはWindows Vista Home Premiumを使っているし、昨年に衝動買いしたノートPCのWindowsVista Home Basicが使われていた。ということで、すでに半年以上、Vistaユーザーを続けている。(残り4台のうち、3台はWindowsXP、1台はWindows2000)

世の中では、XPからVistaに乗り換えるメリットはないという厳しい意見もあるが、画面の構成等が大幅に変化してXPになれている人が初めてVistaを使おうとするとわかりにくくて戸惑うということも評判の悪さの背景にはあるように思う。
使い慣れると、それなりに便利な面、進歩した面もあるような気はするのだが…。

Service Packは、ソフトウエアのリリースを見つかったバグの修正やセキュリティ強化、顧客の反応を踏まえた機能の強化等がまとめられたものである。
VistaへのService Pack導入は今回が初めてで、調べてみるとすでに先月の半ば(2008年3月19日)に公開されていた。
570以上の更新プログラムからなり、Service Pack1のフルパッケージ容量だけは450MBとかなりのデータ量になるようだ。
4月中旬になれば、Windows Updateによる自動更新が始まるようなので、とりあえずそれまで待っていればいいかなと思っている。

ちなみに、私がこのブログを書くために使っている「ココログ」には、このブログへアクセスのOS別内訳が分かるサービスがある。
それによると、上位のOSは以下の通りだ。

期間 過去4ヵ月 過去30日
1位 WindowsXP 75.0% XP 72.2%
2位 Windows Vista 9.1% Vista 10.2%
3位 Windows 2000 6.2 % 2000 7.5%

半年ほど前に調べた時は、Vistaと2000が拮抗していた記憶があるが、ようやくVistaがシェア10%というところ。まだ7割以上はXPユーザーである。
マイクロソフトとしては、早くVistaへのシフトを促したいのだろうが、どうなるだろうか。

関連するサイトは以下の通り
マイクロソフトのWindows VistaService Pack 1ページ
窓の杜の解説記事(NEWS)

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2008年4月 1日 (火)

第35回将棋大賞と2007年度A級棋士の戦績比較

昨日(2008年3月31日)で、2007年度も終わり、今日から新年度(2008年度)入りである。

プロ将棋の世界でも、2007年度(第35回)の将棋大賞の各賞が決まり、最優秀棋士賞は羽生善治二冠、優秀棋士賞は佐藤康光二冠、敢闘賞は初タイトルを獲得した深浦康市王位が受賞した。
昨年度は5連続タイトル挑戦を達成し、棋王位を獲得、最多対局、最多勝利を記録した佐藤康光二冠が初の最優秀棋士賞に輝いたが、今期は再び羽生二冠が最優秀棋士賞に返り咲いた。
タイトル戦の防衛・挑戦等の戦績では、むしろ王位戦でタイトルを失った羽生二冠が優位とも思えないが、佐藤二冠もあわやA級から陥落かという順位戦での不調が昨年よりも不調という印象を与えていると思われる。

ここでは、あわせて森内名人を含めA級棋士および今期A級に昇級する2人を含めたトップ棋士13名の2007年度の年間成績を並べて見ることにする。

棋士名 対局数 勝ち 負け 勝率
森内俊之名人 45 24 21 0.5333
羽生善治二冠 62 44 18 0.7097
三浦弘行八段 33 17 16 0.5152
郷田真隆九段 49 33 16 0.6735
丸山忠久九段 48 28 20 0.5833
木村一基八段 54 39 15 0.7222
藤井猛九段 35 14 21 0.4000
谷川浩司九段 41 20 21 0.4878
佐藤康光二冠 59 32 27 0.5424
久保利明八段 54 31 23 0.5741
行方尚史八段 29 13 16 0.4483
鈴木大介八段 40 26 14 0.6500
深浦康市王位 53 32 21 0.6038

13名の中で、7割を超える勝率を残しているのは、木村八段と羽生二冠、次いで6割台が郷田九段に、A級昇級を決めた鈴木八段、深浦王位の2人、5割台が順に丸山九段、久保八段、佐藤二冠、三浦八段と続く。なお4割台にとどまったが、谷川九段、行方八段、藤井九段。

この成績を見ると、13人のほぼ中位の戦績を残す久保八段のA級降級はやや厳しい結果であろう。一方、A級には残留したものの、通算成績が4割台にとどまった谷川九段、藤井九段は来期も厳しい状況が続きそうである。

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