福岡伸一著『生物と無生物のあいだ』を読み始める
このところ、読んでいた松岡正剛著『日本という方法』(NHKブックス)と松岡正剛・茂木健一郎対談『脳と日本人』(文藝春秋)の2冊を日曜日までに読み終わる。
日本文化について「うつ(空)」と「うつつ(現実)」とそれをつなぐ「うつろい」とキーワードに語られているが、正直なところ松岡さんの全思想を完璧に理解したとは言い難い。松岡さんの思想は、古今東西のさまざまな人物の著作を読み込み、それを自分なりに咀嚼・消化したうえで、松岡流に編集されており、浅学非才の私にはまだまだとても及ぶところではないというのが正直な感想である。
少し、目先を変える意味もあって、昨日から福岡伸一著 『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)を読み始めた。
しばらく前に読んだ山本淳子著『源氏物語の時代』などと並び2007年のサントリー学芸賞を受賞した作品だ。2007年5月の発行だが、またベストセラーかつロングセラーとして、もうすぐ発売後1年になるが、いまでも平積みで並べられいる書店が多い。
分子生物学者の著者が、タイトル通り「生物」と「無生物」の違いについて語るのだが、教科書的な説明ではなく、自らの研究体験、分子生物学研究の歴史も交えて、エッセイとして書かれており、読みやすく、わかりやすい。売れているのもなるほどと納得する内容である。
昨日の帰りなど、つい夢中になって読んでいたら、例のごとく、1駅乗り過ごしてしまった。
サントリー文芸賞の受賞の言葉が、著者自身による自著の説明と、そのわかりやすく読みやすい文章の秘密が述べられており、この短い受賞の言葉じたいも一つの読み物として十分おもしろいので、全文紹介しておきたい。
斜字体にした部分は、なるほどそうだと思うところで、学び教えるということの本質をついているような気がするので、あえて強調させてもらった。
<サントリー学芸賞受賞者の言葉より>
このたびは、栄えある賞をいただくことになり心より感謝申し上げます。
唐突ながら、私はスポーツが得意ではありません。学校の体育の時間にろくな記憶がないのです。それでも大学に入ってから知人に誘われるままスキーを始めました。技術の習得は自分でも情けなくなるほど遅々としたものでしたが、冬の朝の群青色の空や光る風に魅せられてスキーを続けました。スキー場に行くと必ずスキースクールに入ってインストラクターから指導を受けることにしました。彼ら(あるいは彼女ら)の滑りは私の目に神様のごとく映ります。美しく、速く、力強くそれでいて軽やか。雪煙を上げながらピタリと止まる姿にため息が出ます。そして、インストラクターから受ける注意はいつも同じでした。重心が後ろにあるのでスキーから身体が遅れる。カーブの時、身体の軸が内側に倒れすぎている。エッジの踏みが軽すぎる・・・
スキーが抜群にうまいインストラクターたちは、しかし、しばしばそのうまさを伝えることができません。彼らはスキー技術のポイントを整理し、そこに定義や意味を付与することはできます。しかし私はそれを理解し、それを身体で実現することができないのです。しばしばインストラクターはいらだちました。こんなに簡単なことがどうしてできないのかと。こうですよ、こう。そういって彼らは華麗に雪面を滑り降りてみせるのでした。
『生物と無生物のあいだ』を書くにあたって、私は語り口を、もう少し格好よく言えば、自分の「文体」を探しあぐねていました。そして思い出したのがスキーのことだったのです。そうなのです。彼らがうまくスキー技術を言葉にできないのは、実は彼らがそれを忘れているから、あるいはより正確にいえば憶えた経験すらないからなのです。それほどスキーの滑走感、ターン感は彼らにとって生得的なものなのです。
結局、私たちが、伝えることができるのは、自分が理解したプロセス自体を憶えていることだけである。そう思えたとき、私は、自然とこの本を、初めて研究者の卵として就職したニューヨークのロックフェラー大学のことから書き始めていました。かつて野口英世がいた場所です。あるいはDNAが遺伝子の本体であることを丹念な実験で突き止めようとしたエイブリーがいた場所でもあります。私は古びた図書館の小さな窓から見える、深緑色の水を湛えたイーストリバーの流れを思い出しました。そうなのだ、自分が理解したプロセスを、自分の体験として語ればよいのだ。それはあるときは混乱であり、別のときは落胆だった。そしてまたそれはささやかな喜びでもあった。そのいちいちを、事後的ではなく、自分の内部の時間の流れとして記述すればよいのだ。
その試みは、もちろん本書では全く不十分な、実験的なものにとどまっています。しかし、私にできることはそれを継続していくことだけなのだということもわかったのです。
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