絵本『はらぺこあおむし』の作者エリック・カールさんの展覧会に行く・その2-出会いの不思議
エリック・カールさんは、1929年にアメリカのニューヨーク州でドイツ系移民の子として生まれた。1935年には、親子はドイツに帰国。カール少年は、ナチス政権下のドイツで青少年時代を過ごし、第2次大戦後のドイツで、美術やデザインの基礎を学んだ。
その後、ドイツで、グラフィックデザイナー、ポスター作家として経験を積んだ上で、1952年に再びアメリカに戻った。
アメリカでも、最初はグラフィックデザイナー、イラストレーターとして仕事をしている。
カールさんの絵本作家への転身には2人の人物がかかわっている。
1人目が、ビル・マーチンという作家であり編集者である男性である。カールさんのイラストに関心を持ったマーチン氏が、自分の書いたおはなし『くまさん、くまさん、何みてるの?』の挿し絵をカールさんに依頼したことが、絵本とかかわる最初である。これで、絵本の素晴らしさを知ったカールさんは、その後、自らストーリーも考えるようになる。(マーチン氏とのコンビの絵本も、その後出版している)
2人目が編集者のアン・ベネデュース女史。以前、料理の本の挿し絵で一緒に仕事をしたベネデュースさんに、カールさんは自作の絵本のアイデアを持ち込む。そうして、持ち込まれた2冊目の絵本が『はらぺこあおむし』の前身のお話。カールさんの原案では、緑色の虫が、「はらぺこあおむし」のように、本に穴を開けながらいろいろなものを食べ、最後にまるまると太っている姿で終わりになっている。虫が好きではなかった、ベネデュースさんが「caterpillar(芋虫、毛虫、あおむし)は?」と言い、最後の色鮮やかな蝶になって飛び立つ、現在のラストシーンが生まれたという。
今では、絵本作家として何十冊もの作品を描いているエリック・カールさんだが、ビル・マーチン氏が挿し絵を依頼しなければ、絵本の世界に足を踏み入れてはいなかったかもしれないし、編集者としてのアン・ベネデュース女史のアイデアがなければ、『はらぺこあおむし』が、時代を超えて読み継がれるような絵本になったかもわからない。
ふさわしい時期に、しかるべき人と巡り会うことの大切さを感じずにはいられなかった。
それは、偶然なのか、必然なのか。このブログで1年以上前に紹介した河合隼雄さんの「深い必然性をもったものほど、一見偶然に見える」という考え方を拠り所にして、受けとめるのが一番いいのだろうなと思いながら、エリック・カールさんの人生の不思議を考えた、エリック・カール展だった。
(2006年8月24日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態)
なお、今日の記事は、会場で販売していたエリック・カール展の図録及び、会場隣の売店で購入した雑誌「MOE」のエリック・カール特集号(2007年2月号)を参考にした。
なお、このエリック・カール展は、図録によれば、銀座・松屋での開催のあと、来年まで全国で順次行われるようだ。
2008年4月29日~5月12日 松屋銀座(東京)
2008年9月19日~11月3日 島根県立美術館
2008年11月29日~12月28日 美術館「えき」KYOTO
2009年4月3日~5月6日 そごう美術館(横浜)
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