大澤真幸著『不可能性の時代』をヒントに戦後の時代区分を考える・その2
前回分(その1)は→こちら
「虚構の時代」の後に到来した時代の特徴を、著者は二つあげる。
従来の理想・夢・虚構というキーワードが語るものは、常に「現実」とは別のところにあるものであった。
しかし、「虚構の時代」の後に見られる特徴の一つは、ニューヨークへの世界貿易センタービルへ旅客機で体当たりし、破壊してみせるというテロ行為に象徴される「現実」への回帰、それも暴力的な形での現実への回帰である。
一方、従来の「虚構の時代」をさらに進めたような形で、「現実に現実らしさを与える暴力性・危険性を徹底的に抜き取り、現実の総体的な虚構化を推し進めるような力学が強烈に作用している」(『不可能性の時代』157ページ)と著者は指摘する。湾岸戦争などで見られたように、戦争もまるでTVゲームのような形で、画面の中だけ進行しているように見える。
「虚構の時代」は、そのような二つの要素に分化したことによって終わりを告げたが、残ったものは、互いに相容れない二つの動きである。著者は「虚構の時代」の後に到来した時代を「不可能性の時代」と名付けた。
昨日の私の議論をこれにつなげるとすると、「現実」の綻びや矛盾から目をそらし、バブルという「虚構」の現実を信じようとした我々は、「失われた10年(15年)」に直面した。バブルの後遺症として残った山のような不良債権は現実であった。その処理には、莫大な費用がかかり、社会全体が沈滞を余儀なくされた。しかし、それでも「虚構」の現実を信じたい我々は、先送りという弥縫策をとることで、「いつかはよくなるのではないか、回復するのではないか」という形で「現実の総体的な虚構化」を進めたのだろう。
しかし、結果的に待っていたのもは、綻びや矛盾が行き着くところまで行きとうとう「破綻」したのであり、その解決のために、我々は「自民党をぶっ壊す」と宣言した、小泉政権の暴力的とも言える改革を、なぜか熱狂的に指示したのだ。
私は「不可能性の時代」=「破綻の時代」と考えるとわかりやすいのではないかと思う。そして「虚構の時代」を1975年~1990年と考えれば、「不可能性の時代」=「破綻の時代」は1991年~2005年と考えるべきではないか。それは、まさに「失われた10年(15年)」とぴったりと重なるように思われる。
15年サイクルでの時代の変化という仮説が正しいとするのなら、時代はすでに「不可能性の時代」(=「破綻の時代」)を終え、次の時代の入り口にくぐったあたりに来ているではないのか。「不可能性の時代」の次の時代は、どういう時代か。ここからは、『不可能性の時代』から離れて、私なりに考えたことをまとめておきたい。
おそらく、これまで目をそむけてきた現実の綻びや矛盾が明らかになり、破綻を来してしまった以上、現実を直視せざるを得なくなるのではないか。そして、その現実の最たるものは「自分自身」なのではないか。社会が、人間の集団、組織として成り立っている以上、一人一人が、まず、自分自身をキチンと見つめ直し、自分自身を知り、個人個人がよりよく強くなることからしか、社会の変化、再建はないのではないかと思う。
そして、そのことを、これから社会を背負わなくてはならない若者の一部は敏感に感じ、変わり始めているような気がする。
例えば、このブログでも紹介した16年ぶりのオリンピック出場を決めた男子のバレーボール全日本チーム。この躍進を支えたのは、越川優、石島雄介という1984年生まれでまだ20代前半の2人のアタッカーである。2人の共通点はバレーが好きで、自分でとことん考え、監督やコーチが相手であっても、言うべきは言い、納得すれば従うという姿勢である。
そこで、見られるのは「一芸に秀でる」プロフェッショナルであるということではないだろうか。自分の好きなことについて、とことん極め、努力もして専門性を身につけたプロになる。一人一人がそれぞれ、個性を持った一芸に秀でた専門家・プロとして自立し、その専門家たちが、お互いを信頼してチームを作って、問題解決に当たる。そうでなければ、解決できないほど、現実の綻びや矛盾は深刻なのではないだろうか。男子バレーボールチームがオリンピックを逃がし続けた16年というのも「不可能性の時代」と奇妙に符合している気がする。
NHKの人気番組だった「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」。主に、高度成長時代に、各企業や組織で、危急存亡の危機や、緊急事態をどうやって個人やチームが乗り切ったかとうことを取材したドキュメンタリーだった。しかし、あくまでそこで見ていたものは「過去の栄光」だったように思う。2000年3月から始まったこの番組は、奇しくも2005年12月に放送を終了している。
そして、そのあとを引き継ぐ形で2006年1月から新たに始まった番組が「プロフェッショナル 仕事の流儀」。「プロジェクトX」と違い、現在、各分野で活躍しているプロフェッショナルな人々を取材している。
「不可能性の時代」の後に来る時代は、「プロフェッショナルの時代」なのではないかと考えている。
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