『陸上競技マガジン』と『月刊陸上競技』の2008年10月号で北京オリンピック男子4×100mリレー銅メダルの感動をもう一度
昨日、次女が通う高校の文化祭を見に行った帰り、いつもは降りない駅で降りて、ふらりと駅前の書店に入ってみた。雑誌のコーナーを見ていると懐かしいタイトルが目に入った。
『陸上競技マガジン』(ベースボールマガジン社)と『月刊陸上競技』(講談社)である。高校・大学時代に陸上部にいた頃は、よく読んだものだが、最近は書店で目にすることもなかったように思う。
陸上競技の雑誌は、マラソンやウオーキングなどの専門誌を除けば、『陸上競技マガジン』と『月刊陸上競技』しかなく、それは30年前から変わらない。多くの雑誌が揃うサッカーや野球に比ぶべくもない。そのマイナーな陸上競技2誌も2008年10月号は元気がいい。「4×100mR“銅”の輝きに酔う」(『陸上競技マガジン』)、「メダル夢の実現!!男子400mリレー,魂の継走」(『月刊陸上競技』)というキャッチコピーが踊り、表紙には男子4×100mリレー銅メダリストとなった塚原直貴、末続慎吾、高平慎士、朝原宣治のレース後の笑顔の写真。
『陸上競技マガジン』には、高校生の4×100mリレーに賭けた青春を描いた小説『一瞬の風になれ』を描き本屋大賞を受賞し、さらに昨年の大阪世界陸上での男子4×100mリレーの活躍を描いたノンフィクション『夏から夏へ』で、今回の銅メダルを予言したに等しい小説家の佐藤多佳子さんが「夏の記憶」と題した一文を寄せている。彼女は、男子4×100mリレー決勝を北京まで見に行ったのだ。さらに、『マガジン』には、4人の選手のインタビューも掲載されている。
『月刊陸上競技』には、予選から決勝までのリレーチームの様子が描かれている。100mで準決勝まで進んだ1走の塚原選手は、100mのレース後、左脚付け根の違和感を訴え、一時、リレーに出場できるかどうか危ぶまれる状態だったらしい。コーチ陣も含めた検討の結果、大阪世界陸上で5位の不動のメンバーで予選に臨むことになった。
世界の強豪16チームを8チームづつに分けて行う予選では、米国はじめ、イギリス、ポーランド、イタリアなど6ヵ国がバトンミスで失格。日本は38秒52と余裕含みのタイム(昨年の大阪世界陸上では38秒03の日本新で5位)ながら、決勝進出8チーム中3位で決勝に駒を進めた。記事やインタビューを読むと、予選から翌日の決勝までの1日間も、選手4人は相当な重圧を感じたようだ。普通に走れば3位(=オリンピックのメダル)という位置にいることが、逆に、何かアクシデントやミスでメダルを取れなかったら大変だというプレッシャーを選手に与えたに違いない。本人たちにしか分からないであろう凄まじい重圧の1日を乗り越えて、4人は決勝でも、普段通りに走り、38秒15という予選を遙かに上回るタイムで銅メダルを獲得した。
インタビューで末続選手が語る。
4継というナマモノの競技に不安なことはたくさん降りかかってくる。そこで不安に駆られて、何かを変えてはダメなんです。結局この種目は、肝心なところでミスをすること自体が“大したことないチーム”ということになるんですから。(『陸上競技マガジン』2008年10月号、9ページ)
それを受け、アンカーの朝原選手がインタビューを次の発言で締めくくっている。
(レース後)の記者会見で(優勝した)ジャマイカが速さの秘密を聞かれたとき、「足が速いから強いのは当たり前だ」というと思っていたら、「僕らは友達だから速い」と言ったんです。僕たちも、単にテクニックだけじゃなく、気持ちを乗せてバトンをつないでいる。今回は特にそう感じましたね。3人の勢いがあったから、僕が走れたんです。(『陸上競技マガジン』2008年10月号、9ページ)
佐藤多佳子さんは、改めて4人の取材をして、『夏から夏へ』の続編となるノンフィクション『夏の記憶』を書くはずである。そこで、3回目の感動を味わえることを楽しみにしている。
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