故・真部九段の記事への悲しいアクセス増、草柳文恵さん亡くなる
会社の昼休みなどに、携帯電話からインターネットにアクセスし、このブログのアクセス数や、どの記事が読まれているかなどをチェックすることがあるのだが、今日(2008年9月9日)は、今年の1月24日に書いた「「棋界のプリンス」故・真部一男九段の早すぎる死と中年クライシス」という記事にアクセスが集中している。故真部九段が亡くなったのは昨年(2007年)の11月24日、記事を書いた1月24日は、真部九段の死を悼んで、将棋連盟でお別れ会が開かれた日である。一周忌でもない日にアクセスが急増する理由が思い浮かばず、頭をかしげていた。
家に帰って、夕刊を見ていて、社会面に「キャスターの草柳文恵さんが亡くなる」という小さな記事に気がついた。「今日の午前5時50分頃に自宅マンションで自殺したらしい」との報道だった。
真部九段の記事のアクセス増の理由はこれしかない。草柳文恵さんは、昭和の時代に評論家として著名だった故・草柳大蔵さんの娘。1月の真部九段の記事には、あえて書かなかったのだが、真部一男九段と草柳文恵さんは、真部九段が「棋界のプリンス」と呼ばれていた頃、結婚している。当時は、誰もがうらやむ美男・美女のカップルだった。
しかし、いつかは不明だが、2人は離婚。その原因が何か、周りからはうかがい知る余地もないが、真部九段が、A級棋士にまで上りつめながら、2度ともA級の厚い壁に阻まれて1期で降級したこと、その頃から首が曲がらないという奇病に悩まされたということも原因としてあったかもしれない。
その真部九段は、昨年10月30日の順位戦C級2組の対局日に、新鋭豊島真之四段との対局中、まだ序盤の駒組みの段階で投了した。すでに相当体調は悪かったようで、自分が考えていた次の一手を指したら、相手が長考に入るのは確実なので、早めに投了しとという。それから、1ヵ月もたたないうちに、真部九段は亡くなっている。55歳の若さだった。その直後、次のC級2組の対局日に、別の棋士どうしの対局で、真部vs豊島戦と全く同じ展開になり、その対局中の棋士が、真部九段の考えていたという幻の次の一手をそのことを知らずに指し、その日が真部九段の通夜の日だったことも、当時、将棋界では話題になっていた。
夕刊の報道を見ると草柳さんにも持病があり、昨年5月に手術をしたという。別の報道では、その病気のことで悩んでいたとも書かれている。別れた夫が、昨年55歳の若さで亡くなったことの影響があったのかは分からないが、1年の間にかつて夫婦だった2人が相次いで亡くなったということは、美男・美女のカップルにあこがれた世代としては、悲しすぎる結末である。
草柳さんのご冥福をお祈りしたい。合掌。
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