『村下孝蔵STORY』を読みながら、村下孝蔵の歌を聴く
最近ある本の奥書を見ていたら、ソニー・マガジンズ新書から『村下孝蔵STORY』という本が出ていることを知った。村下孝蔵は、1999年に46歳の若さで急逝したシンガーソングライターである。彼の歌をよく聴き、よく歌った私は、いつの間にか彼が亡くなった年齢を超えていた。
私が村下孝蔵の存在を知ったのは、ちょうど私が就職した年1983年に発表されたヒット曲『初恋』を通じである。
『初恋』で描かれる「放課後の校庭を走る君を遠くから探す僕」という内容の歌詞は、その情景が目に浮かぶようだった。歌詞にストーリーを感じられる歌が好きな私は、情緒あふれる村下孝蔵の歌の世界に浸りたくてアルバムを何枚か買い、『初恋』に並ぶ彼の代表曲『踊り子』は今に至るまでカラオケでの私の持ち歌の一つになっている。
しかし、私が村下孝蔵について知っているのは、彼の歌った歌だけで、どこで生まれどこで育ち、どのような思いで歌に取り組んだのか、調べたことはなかった。
彼が亡くなったと知った時、若すぎるとは思ったけれど、当時、30代後半で仕事と子育てに追われていた私は、自分にとっての彼の死の意味も深く考えることもなかった。
『村下孝蔵STORY』はとにかく読もうと決め、いくつか書店を回ってようやく見つけることができた。
彼は1953年に熊本県水俣市で映画館を経営する父と母のもと、4つ違いの兄、2つ違いの姉を持つ末っ子として生まれたそうだ。高校卒業後、いったん就職するが半年で退社し、広島のデザイン学校に入学。デビューするまでの音楽活動は広島市を中心に行っている。彼の曲の中に『松山行きフェリー』という曲があるが、広島の宇品港がモデルのようだ。
今年になって、大学時代に夢中で聴いた西島三重子のコンサートとライブに続けて行った。年末のライブの券も予約した。当時20代後半だった西島三重子はもうすぐ60歳に手が届く、聴いているこちらも10年遅れで確実に年をとっている。しかし、歌に歌われた世界は30年前と変わらない。その変わらない世界を、本人が目の前を歌うのをライブで聴くのは、やはりCDで聴くのとは違う。
村下孝蔵が亡くなってしまったということは、いくらこちらが望んでも、彼の歌をライブで聴くことができないということである。ライブでしか伝わらない何かを、彼の歌の世界ではもう聴くことができないのだ。
私はこのブログの自分のプロフィールのページに「好きだった歌手」として、山口百恵、西島三重子、岡村孝子の3人の歌手の名前を記しているが、村下孝蔵の名前も加えることにしよう。
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