誰も自分の「ものさし」持たず、本当に評価することができない時代を生き抜くにはどうすればよいのか?
【誰も自分の「ものさし」を持っていなかったサブプライム投融資】
サブプライムローンの延滞率上昇に端を発し、世界各国を震撼し続けている世界同時金融危機。あわせて10冊近く関連書籍を読んだが、その中で痛感したことが一つ。誰も自分たちが融資・投資の対象とするものについて、「自分たちのものさしでまともに評価をしていない」ということである。
サブプライムローンの最初の貸し手である米国の住宅ローン会社では、ローンの借り手である低所得者や信用リスクの高い人たちが30年にも及ぶローンを返済できるか、きちんと評価していない。証券化を行う、投資銀行などにローン債権を売却してしまえば、資金が回収できるからだ。(まとも評価していれば、貸せないだろう)
投資銀行などによって組成された証券化商品を購入する投資家も、おそらくその大部分はS&Pやムーディーズという格付会社が運用商品である証券化商品に付す「AAA(トリプルA)」や「AA(ダブルA)」という格付を鵜呑みして、どのようなリスクが生じた場合、どの程度の償還リスクがあるか、まとも評価していなかったに違いない。
そのため、今回の一連の騒動に中では、格付会社は証券化商品の組成の際に、投資銀行から格付の手数料を収受するという立場が、投資家の投資の際のリスク判断のための適切な指標を提供するという格付会社本来の役割と利益相反を起こしているとう批判がされている。いろいろなトラブル・騒動が起きると必ず対処療法的な規制強化が行われるが、今回の一連の金融危機の結果、格付会社の規制が強化されるのは必然だし、すでにそのような動きになっている。
しかし、悪いのは格付会社だけだろうか?と思う。そもそも、金融、銀行という仕事は、借り手である事業会社や個人に貸した資金の利払いと元金の返済が期日通り行われ、全額返済が行われて完結するものであり、そのために借り手に返済能力があるかを調査して、その是非を判断しなければならない。そこには、自分たちなり「ものさし(基準)」に基づいた評価が求められる。
金融や投資といった仕事が、自分たちなりの評価を放棄した途端、それは、プロフェッショナルな仕事ではなくなってしまう。誰にでもできる「バクチ」と変わらない。
【自分の「ものさし」を持たない時代】
よくよく考えてみれば、それは、金融や投資の世界に限った話ではなく、私たちの身の回りにあふれている。
会社組織では、人事評価がつきものだが、どれだけの上司が、人事セクションが、社員一人ひとりの強み弱み、潜在能力をきちんと評価して、正しい人事考課を行い、適材適所の配置ができているだろうか。結局、どれだけの営業成績を上げたかといった目に見えるもの、数字に表せるようなものしか評価対象にできない。
一方、自分が親として評価する側に回ることになる自分の子どもに対し、どれだけ本人の個性をみてやれているか?自分に自信が持てない親ほど、各教科のテストの点数、模擬試験での偏差値などに頼ってしまうのではないか。自分の「ものさし」で、子どもをみるのではなく、世間一般の「ものさし」で子どもを見てしまう。
世間一般の「ものさし」でなく、ひとりひとりが自分の「ものさし」を持って、世の中と向き合っていくことが、今回の世界同時金融危機のような世間一般の「ものさし」が役に立たなくなった時に生き残るために必要なことだろう。それのためのには、王道はなく地道に勉強し、自分でおかしいと思ったことは納得できるまで調べ確かめるということを繰り返していくしかない。
それは、手間がかかって面倒臭い。投資家が格付会社に投資先の評価をアウトソースしてしまったように、日常の価値判断を世間一般の「ものさし」に任せる人の方が、大勢を占めている。
そうなるとは、いくら自分も「ものさし」を持っていると言って叫んでみたところで、世間一般の「ものさし」で評価されることがなくては、そもそも現実の世界で生き残っていけず、負け犬の遠吠えで終わってしまう。
いずれ時代は変わるかもしれないが、現在を生き残らなければ、意味がない。
【生き残るためには】
結論はまったく陳腐な答えなのだが、自分の「ものさし」を身につけつつ、世間一般の「ものさし」でも評価される生き方をしなくてはならないということだと思う。
現在の世間一般の「ものさし」が、目に見えるもの、形として残るものしか評価できないなら、それをクリアしていくしかない。
私は、この数年、仕事に関わるいろいろな資格取得にチャレンジしてきたが、結局、世間一般の「ものさし」の中で、何とか生き残るためだったのだと改めて思う。
「資格」を持っていることが、仕事ができることの証明にならないことは、現場では誰もがわかっている。だから、無理して資格を取ったところで、何の役にも立たないというのが大半の人の思いである。しかし、現場で誰もがそう思っていても、資格のような目に見えるものに代わる世間一般の「ものさし」は何もないのだ。
「資格」を取ることは、生き残るために最低限必要なことで、その上で、何が残せるのかが本当の勝負だろう。「資格」というパスポートで何とか、生き残りを賭けた勝負をする土俵に上がり、そこで勝ち残ることで、世間一般の「ものさし」を、自分に「ものさし」に取り替えることができるのだと思う。
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