松村由利子著『与謝野晶子』を読み終わる
以前、このブログでも紹介した歌人の松村由利子さんが書いた『与謝野晶子』が2009年2月10日に中央公論新社から発刊された。
明治11年に生まれ、大正、戦前の昭和を生き、昭和17年にその生涯を終えた与謝野晶子を、松村さんはどう読み解いたのか。
与謝野晶子は、歌人として最も有名で、松村さん自身も2冊の歌集をまとめ、2冊の短歌エッセイを出版しているので、歌人としての与謝野晶子の紹介が中心なのかと思って読むと、そうではない。もちろん、与謝野晶子が折々に詠んだ膨大な短歌の読みと理解は背景にあるのだが、この著作の中では、短歌とその分析・解説は、それを詠んだ時々の与謝野晶子の心情に迫るものとして効果的に配されるにとどまっている。
たまたま『与謝野晶子』の次に読んでいるちくま新書の2009年2月の新刊『越境の古代史』(田中史生著)の中に
「ほとんどの学問に言えることであろうが、無限に拡がる事実の中から何を選び出し分析するかは、分析対象そのものの重要性というよりも、そのものを重要と認識して分析を行おうとする研究者の“目”の問題である」(『越境の古代史』18ページ)
という一文がああった。
松村さんの書いた「まえがき」の中に、松村さんがどのような“目”で与謝野晶子という存在を捉えたかのヒントがある。
「与謝野晶子は美しいものが大好きだった。詩歌や童話、男女の愛、自立した生き方―そのどれもが大切だった。だから歌を詠み、童話をつくり、社会評論を書いた。
晶子の残した仕事は驚くほど多い。出版された歌集が合著を含め二十四冊、評論やエッセイをまとめた本は十五冊に上る。童話は百篇、詩や童謡は六百篇を超え、小説や歌論集も著した。また「源氏物語」をはじめとする古典の現代語訳にも取り組んだ。これほどさまざまな分野で活躍した晶子の全体像に迫るのはなかなか難しい。(中略)
私は長い間、ワーキングマザーとしての晶子にひかれてきた。たくさんの子どもを育てながら、晶子は常に新しいテーマ、新しい分野にチャレンジし続けた。(中略)晶子はずっと、男女が同じように家事や育児にかかわる大切さ、女性が働いて自立する誇らしさについて書き続けた。その文章は、つい昨日書かれたもののように瑞々しく、自由な発想に満ちている。(中略)
優れた詩人は未来を見晴るかす力をもつ。与謝野晶子もその一人だ。(中略)先の見えない時代、私たちは閉塞した思いにとらわれがちだ。しかし、晶子の言葉を読むとき、胸の中を風が気持ちよく通ってゆく。明るく力強い晶子の言葉の数々を、多くの人と分かち合いたい。」(『与謝野晶子』1~3ページ)
目次から本書の章立てを紹介すると、
Ⅰ 科学へのまなざし
Ⅱ 里子に出された娘たち
Ⅲ 「母性保護論争」の勝者は誰か
Ⅳ 童話作家として
Ⅴ 聖書への親しみ
となっている。
この中で、松村さんが最も読者に知らしめたかったのは「Ⅲ「母性保護論争」の勝者は誰か」の章だと思う。
「母性保護論争」とは大正7年から8年にかけて女性解放を訴えた平塚らいてう、山川菊栄らと与謝野晶子の間で繰り広げられた、女性の働き方を巡る論争である.。この必ずしも論点がかみ合わなかった論争のでの、晶子の主張の中に、松村さんが「まえがき」で書いた「男女が同じように家事や育児にかかわる大切さ女性が働いて自立する誇らしさ」が説かれている。松村さんの文書を読む限り、平塚らいてう、山川菊栄の議論は戦前の日本という時代の枠組みという制約にとらわれた議論であり、晶子の語るものは、時代にかかわらず女性が働いて自立することの誇らしさ・素晴らしさの普遍的な意義を語っているように思える。
また、それは、男女が等しく同じようにということを信条にしていた与謝野晶子にとっては、男女がお互い依存するのではなく、人として働いて自立し、信頼しあって生きることの誇らしさ・素晴らしさを語っていることと同義でもあったろう。
300ページ近い、本書が企画され、本として世に出るまでには1年以上の時間がかけられたはずである。昨年9月以降、本格化した世界金融危機、その後の世界同時不況の中で、これまでにくらべ働くこと自体が難しくなった時代に、本書が世に出ることになったのも何かの巡りあわせではないかと思う。
先に紹介した『越境の古代史』では先ほどの一文に続いて、
「また、社会がある研究を重要なものとして受けとめるとき、その評価は単にその研究の分析力が高いことだけが理由ではない。そこにある視座が、研究者の一身体を超えて広く学会、さらには学を超えたある一定範囲の社会に共有されうるものだからである。」(『越境の古代史』18ページ)
と書かれている。
本書で松村さんが紹介している与謝野晶子が語る、女性が働いて自立することの意義や、それを実現することによって到来するであろう社会のイメージは、まさに一定範囲の社会で共有されうる可能性を持つものであろう。
本書を通じて、少しでも多くの人が、晶子の考え方に触れ、自らの働き方や社会や家庭でのあり方を考える機会になればと思う。
<参考>
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