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2009年4月13日 (月)

『なぜあの人はあやまちを認めないのか』を読み始める

2009年3月新刊の『なぜあの人はあやまちを認めないのか』(河出書房新社)という本を読み始めた。

著者はキャロル・ダヴリスとエリオット・アロンソンという米国の2人の社会心理学者。サブタイトルには「言い訳と自己正当化の心理学」とあり、原題は「Mistakes Were Made」となっている。
本の帯には、「日常的な出来事から、夫婦間に言い争い、政治家の言動、嘘の記憶や冤罪まで-----誰もが陥りがちな自己正当化の心理メカニズムを、豊富な実例を交えながら平易に解説。」とある。
最初に、吉祥寺に出かけた時に、書店で見つけた時には2200円という本体価格に気になりながらもパスしたのだが、やはり気になっていて、その後職場に帰りに寄った書店の心理学のコーナーで探すも見つからず、先週末家の近くの書店で見つけた時には、即購入した。

日常生活の中で、本当はこんなことしたくないのだがと自分の主義主張に合わないことをせざるを得ない時、自分の中で、なにがしかの言い訳をして正当化してしまうことは、ままあることではないだろうか。

現在、母と一時同居していると、この母が自分は気がついていないうちに、自己正当化をしていることに気がつく。たとえば、周りからは、「健康のために少し歩いた方が良い」と言われていたのだが、本人はあまり歩くことが好きではない。結局、自ら積極的に歩くことはなかった。その際の彼女の言い訳は「私は扁平足だから・・・、(歩きたくてもすぐ疲れて歩けない)」である。確かに扁平足(へんぺいそく、足の裏にほとんど「土踏まず」がない)なので、長距離を歩き続けると「土踏まず」がある人に比べて疲れるのだろうが、一歩も歩けないと言うわけではない。

母の話は、本人だけの問題であるが、人に迷惑をかける自己正当化もある。昨年、勉強して資格を取得した公認不正検査士(CFE)の必修の知識として、「不正のトライアングル」という考え方がある。不正が行われる時には、そこに「動機」「機会」「正当化」の3つが揃っているというものである。例えば、職場で「現金の横領」という不正が起きたケースを調べてみると、横領を行った犯人は、「子供の教育費のため生活資金が不足していた」(動機)、「職場で現金を取り扱える立場にいた」(機会)、「横領するのではなく一時的に借りるだけ」(正当化)という3つが揃っているというものである。

まだ読み始めたばかりだが、身の回りの些細なことから、犯罪にいたるまでどこでも自己正当化は行われていることがわかる。やっかいなのは、自己正当化という形で、自分自身を欺いていることに自分も気がついていないということである。
本の帯に載っていたウォール・ストリート・ジャーナルのコメント「おもしろくて、ためになって、これは自分のことじゃないかと気づいて、ぞっとする」が本書にふさわしい評価のような気がする。

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コメント

うーん、面白いです。
今回の記事が雑誌の書評欄に載れば、かなり売り上げUpするんじゃないかと思いました。拓庵さんは、プロの文筆業家ではないんですよね?

私は、将棋世界等の観戦記を読んでいて色んな不満を感じています。奇をてらっただけの独りよがりな表現や、棋士の内面への踏み込みの浅さ、対局場の緊迫感の伝わらなさなどなど・・・。もちろんいい仕事をされる記者さんもいますが、何か物足りないなあと思うことがよくあるのです。

想像ですが、拓庵さんの部屋は、毎月本が増えていって大変なんじゃないでしょうか。そしてそのことは、拓庵さんの文章の魅力に直結しているように思われます。一度、拓庵さんの観戦記を読んでみたいです。

投稿: 淳 | 2009年4月15日 (水) 23時28分

淳さん、いつもコメントありがとうございます。

過分なコメント恐縮です。私はプロの文筆家ではありません。(いずれそうなれればいいな・・・とは思っていますが)

お察しの通り、我が家は私の買う本がどんどん増え、いつも妻から小言を言われています。このブログでも何回か書いた通り、もう2回は読まないと思うものは、BOOKOFFに売りに行っているのですが、それでも増えていきます。

将棋の観戦記については、淳さんと同様な不満を感じることはあります。棋士自身の自戦記はともかく、観戦記者が書くものは、もっと棋士の内面へ踏み込んでほしいと思います。将棋のおもしろさの一つは、そこに現れる人間ドラマだと思っているので。
対局場の緊迫感が伝わらないというのも、おっしゃる通りだと思います。ベテラン観戦記者が名人戦で長考中の羽生名人に扇子を差し出してサインをも求めるようなことがまかり通っているようでは、緊迫感を伝えられないのは当然かもしれません。

最近、「ウェブ進化論」の著者、梅田望夫さんが、独自の視線で、棋聖戦や竜王戦の観戦記を書かれていることは、観戦記者にとっってもいい刺激になるのではないでしょうか。
将棋が好きで、棋士が好きで、それをビジネスや社会の動きの動きと絡めて書いている彼の観戦記やコメントは読み応えがあります。ああいう観戦記が増えれば、いくら親しいとはいえ、対局中の長考中の棋士の平気でサインを求めるような観戦記者は自然に淘汰されていくでしょう。
私も観戦記を書く機会が与えられるなら、いつかは、書いてみたいものです。

投稿: 拓庵 | 2009年4月16日 (木) 05時34分

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