将棋に現代社会の行く先を見る梅田望夫著『シリコンバレーから将棋を観る』、著者は将棋観戦のプロだ
『ウェブ進化論』『ウェブ時代をゆく』などの作者梅田望夫氏が将棋の本を書いた。その名も『シリコンバレーから将棋を観る』(中央公論社)である。
著者は、子供の頃から将棋に親しみ、「将棋を指す」だけが将棋ファンではなく、将棋を指さなくても、「将棋観戦」を楽しむファンがいてもいいのではないか?と語る。
以前、私はこのブログで、短歌について
今の短歌入門の形式は、小説家が小説は面白いから、どんどん書いてくださいと勧めているようなものである。小説なら、たくさんの読者がいて、書き手である小説家になるのは一握りなのに、なぜ短歌はいきなり作りましょうになるのだろうか。短歌愛好者の裾野を広げるには、作らないけれど読むのは好きという、短歌ファンを増やすことも大切なのではないか。素晴らしい短歌にふれ、自分の心の歌として口ずさむようになれば、そのうちの何人かは、自分でも作ろう、詠んでみようとするだろう。
(2007年4月22日)
と書いたことがあり、「短歌」の部分を「将棋」に置き換えれば、思うところは共通しているように思う。
もちろん、将棋には150名ほどの一握りのプロという存在があり、アマチュアの愛好者の裾野の広いので、短歌と将棋を同じ土俵で語るのは、乱暴かもしれないが、「鑑賞するだけ」の愛好者があまり想定されていないという日本の伝統文化の敷居の高さのようなものは共通する点があるかもしれない。
著者は、「将棋を観る」ファンの代表として、昨年(2008年)、新潟での第79期棋聖戦第1局(佐藤康光棋聖・棋王vs羽生善治王座・王将)、パリでの第21竜王戦第1局(渡辺明竜王vs羽生善治名人)で、従来にない試みとしてインターネット上でリアルタイムでの観戦記を書くことにチャレンジした。
本書は、その2つのネット観戦記(第2章棋聖戦観戦記、第5章竜王戦観戦記)を柱に、将棋界の第一人者である羽生善治名人が、結果的に、現代社会の課題をも先取りし、その解決策を示していると語る第1章、夏の第49期王位戦での深浦康市王位の姿から深浦王位の社会性を語る第4章、羽生世代に孤独な戦いを挑む若手棋士のトップ渡辺明竜王について語った第6章、持論である「将棋を観る楽しみ」を書いた第3章、などからなり、最後の第7章が羽生名人と著者の対談で締めくくられている。
私自身、著者と同じ1960年に生まれ、同じような時期の将棋に親しんだこともあり、将棋に対する立ち位置が似ているので、「そうだよな」と納得するところが多いが、ここでは、私が常日頃、興味を持っている「ひとりの人間としてのプロ棋士の生き様」に関する部分をいくつか紹介しておきたい。
まず、棋士について語った部分
棋士というもの、将棋が好きでこの道に入り、(中略)周囲が心配するほど将棋に没頭しなくてはプロにはなれない。プロ棋士になっても、トッププロを目指しての競争が永遠に続く。その競争のプロセスの一つ一つで、必ず「勝ち負け」がはっきりし、その責任のすべてを個が負っていく。そんな世界は、現代社会の中でほとんど存在しない。
(中略)「好きなことをして飯が食える」ようになった彼らの人生に、私たちは羨みの気持ちを抱きつつも、その苛烈さに怖気づき、自分たちが生きている曖昧な世界の居心地の良さを改めて感じたりする。
(『シリコンバレーから将棋を観る』123ページ)
成功(勝ち)も失敗(負け)も、すべて将棋の一手一手を考えて指した自分の責任である。何の言い訳も、他人への責任転嫁もできない。著者の書くように、一般人からは考えられない「苛烈」な、究極の実力社会である。彼らの心の強さというものも、並大抵のものではなだろう。
著者はサンフランシスコで会食した深浦王位、行方八段、野月七段、遠山四段らを話して次のような印象をもつ。
とにかく、まずおそろしく頭がいい。地頭の良さが抜群で、頭の回転が速く、記憶力もいいから、話が面白い。自信に満ちている。会話の中で、相手の真意を察する能力にも、びっくりするほど長けている。だから会話もスムーズに運んで心地よい。(中略)礼儀正しく、若くても老成した雰囲気がふっと漂う瞬間がある。物事に対してすごくまじめで、何事も個がすべてだという感覚が当然にごとく人格にしみこんでいて、自分で物事をさっと決めてその責任を引き受ける潔さが何気ない言葉の端々からうかがえる。(以下略)
(『シリコンバレーから将棋を観る』124ページ)
「自分で物事をさっと決めてその責任を引き受ける潔さ」は、「苛烈」な世界で生き抜く、条件なのだろう。WBC優勝の際の原監督も、選手たちの「覚悟と潔さ」を語った。「潔さ」というのは、これから先の見えない現代社会を生きていくためのキーワードではないかと思っている。
本書の中で、もうひとつ印象に残ったのが、著者の渡辺明竜王に対する見方である。著者は「渡辺の戦略性」という言葉で表現している。
渡辺を取り巻くのは「圧倒的な実績と存在感を持って立ちはだかる羽生世代がまだ油が乗り切っている時期と、自らの二十代とが重なっている」という環境である。そんな中、なんとなく同世代のトップを走っていても、そのことに大きな意味はない。与えられた環境下で、早く大事を成し遂げるには、自らをとりあえずしばらくの間は「相対的な弱者」だと規定し、何かに狙いをつけて「選択と集中」して勝負をしていくことだ。(中略)
他のタイトルは取らぬまま「将棋界の最高位たる竜王だけを五連覇して初代永世竜王になった」という渡辺の達成は、かなり意識的になされたものだと、私は思う。(中略)
竜王戦が、「その年に勢いのある若手がいきなり決勝トーナメントに進める」という構造的な工夫がなされた棋戦で、若手にとってチャンスが大きいこと、その一方で竜王の地位も高く賞金総額も大きいこと、それらをしっかり初めから意識して狙いをつけ、個人事業主・渡辺明の二十代前半の大事業として、竜王戦というものに、彼は集中的に取り組んできたのだと思う。
(『シリコンバレーから将棋を観る』222~223ページ)
著者は、将棋は指さずとも、多くの棋書を読み、棋譜を並べ、棋士と語り、何よりも将棋を愛している。現在行われている第67期名人戦では、某新聞社嘱託のベテラン観戦記者が、対局中に長考している羽生名人にサインを求めるという、信じられない出来事が起きた。
将棋界では、第一人者の羽生名人やその同世代の棋士たち、さらにあとに続く20代の渡辺竜王らによって、革命的な進化を進んだことを本書は語っている。革命的進化を遂げる将棋を「観る」側にも改革は必要なのだ。著者は、自らリアルタイムネット観戦記を書くということで、自らその実験を行い、「将棋観戦」の新しい姿を示してみせた。
羽生名人は、著者との対談の中で、「(従来の観戦記者には)梅田さん以外に同じことをできる人がいない」(『シリコンバレーから将棋を観る』233ページ)と語っている。これは羽生名人の著者に対する間接的な賛辞でもあるだろう。
著者こそが、これからの時代の「将棋観戦」のプロフェッショナルのロールモデルなのだろうというのが、本書の感想の最後の締めくくりである。
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