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2010年7月の記事

2010年7月31日 (土)

将棋の第58期王座戦挑戦者決定戦は、藤井猛九段が深浦康市王位を破り、10年ぶりに羽生善治王座へ挑戦

昨日(2010年7月30日)、将棋の第58期王座戦の挑戦者決定戦が東京・千駄ヶ谷の将棋会館で行われた。ここまで勝ち残ってきたのは二人のうち一人は、今期、棋聖戦の挑戦者にも名乗りを上げ、現在、王位戦七番勝負では新鋭広瀬章人六段の挑戦を受ける深浦康市王位。
もう一方は、かつては、自ら考案した四間飛車の新戦法「藤井システム」をひっさげて、竜王位3連覇を成し遂げたものの、近年はタイトル戦からは遠ざかっている藤井猛九段。

プロ棋士になったのは、藤井九段が1991年、深浦王位1992年と深浦王位が1年後輩だが、棋士になってからの通算成績は、王座戦サイトの棋譜中継の解説では、藤井486勝326敗(勝率0.599)、深浦647勝317敗(同0.671)とのことで、勝ち星、勝率とも深浦王位がリードしいる。これだけ見れば、深浦王位優位かと思われるが、今期のこれまでの成績は深浦王位が8勝9敗で負け越し、藤井九段が8勝5敗と勝ち越し。また、2人の過去の対戦成績は藤井17勝、深浦7勝と藤井九段が大きくリードしているという。(2001年度以降で見ると11戦で藤井6勝、深浦5勝と差はだいぶ縮まる。)

深浦王位にとって、藤井九段を超えられないものがあるとすれば、A級棋士としてのキャリアである。深浦王位は、過去3回(第63期-2004年度、第65期-2006年度、第67期-2008年度)A級に昇級したが、その都度、1期で降級の憂き目にあっている。いずれの期もあと1勝すれば残留だったが、強者揃いのA級でのあと1勝がなかなか遠い。
一方の藤井九段は、第60期-2001年度にA級に昇級以降、何回か降級の危機に見舞われながらもしぶとく踏みとどまり、今期2010年度でA級在位連続10期目となった。

挑戦者決定戦の方は、先手となった藤井九段が、得意の振り飛車ではなく、居飛車に構え、矢倉に囲うかと思われたが、8八に角をおいたままの変則の左美で玉を守り、深浦玉が完成した矢倉囲いの城内におさまる前に戦いを仕掛け、矢倉囲いを粉砕、流浪の深浦玉を左右と上部の三方から包囲し、自玉には攻めが及ぶ前に深浦玉を仕留めた。

第58期王座戦挑戦者決定戦:深浦王位vs藤井九段戦の棋譜中継

自玉の守りはそこそこにし、相手玉が守りの布陣を固める前にいっきの攻めつぶすというスタイルは、かつての四間飛車「藤井システム」の目指したところであり、今回は居飛車版藤井システムというところか。
この一戦に限ってみれば、藤井九段の巧みな駒捌きが印象に残る。

これで、羽生善治王座への挑戦権を得た藤井九段は、2010年9月9日に開幕する王座戦五番勝負で18連覇の羽生王座に挑む。藤井九段はちょうど10年前の2000年の第48期王位戦の挑戦者となっている。このときは、2勝3敗で惜しくも王座位を逃しているが、羽生王座18連覇の中で、羽生王座が2敗したのは、46期の谷川竜王(当時)、48期の藤井竜王(当時)、51期の渡辺五段(現竜王)の3回しかない。
7つのタイトル戦の中でも、羽生善治三冠がもっとも強さを見せつけるこの王座戦で19連覇に待ったをかけ、復活ののろしが上がれるか、藤井九段の真価が問われる五番勝負になりそうだ。

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2010年7月30日 (金)

ブログのメンテナンス、本の画像のリンク切れを復旧させる

このブログ「栄枯盛衰・前途洋洋」も書き始めてから4年以上たって、記事の総数ももうすぐ1200。総アクセス数も昨日、59万アクセスを超えた。
振り返ってみれば、やはりその時々の自分の関心を反映した内容になっている。

一番アクセスの多かった時には、1日で2000件アクセスがあったこともあったし、毎日書いている頃は、常時500アクセスぐらいあったように思う。
最近、なるべく新しい記事を書くようにしているとはいえ、毎日更新とはいかないので、1日のアクセス数は200件~300件の範囲で推移している。

それでも、ありがたいのは、過去に書いた記事へのアクセスが一定レベルであることである。書いた当時は、その時の自分の興味と関心に従って書いているだけだが、結果的に類似の記事をネット上に少なく、私の書いたものがグーグルなどの検索で上位にランクされているからだろう。

以下の記事は、季節・時期に関わりなく、毎月一定数のアクセスがある。<>内は検索ワードとグーグル検索順位(2010年7月30日現在)

2006年11月10日:セルフ・エフィカシー(自己効力感) 
<セルフ・エフィカシー:2位>

2007年4月15日:名歌とは?俵万智さんと松村由利子さんが取り上げた栗木京子さんの観覧車の歌について考える
<栗木京子:2位>

2007年12月21日:平凡社の『韓国歴史地図』を買い、朝鮮半島の古代史を学ぶ
<韓国歴史地図:3位>

2008年9月23日:ドトールコーヒー創業者の座右の銘「因果倶時(いんがぐじ)」、鳥羽博道著『ドトールコーヒー「勝つか死ぬか」の創業記』(日経ビジネス人文庫)より
<因果倶時:1位>

既に、ネット上で、検索される情報になっているということであれば、読みに来てくれた方に、より適切な情報を提供するのは、情報を供給する側の役目でもあるだろう。

私の記事では、多くの本の紹介をしているが、かつての記事で、本の表紙の画像にリンクを貼っているものの多くがリンク切れを起こしていた。記事の内容に影響はしないからいいかとも思っていたが、本の内容を紹介する記事の中では、いわば、挿絵のようなもの。やはり見に来てくれた方にとって、画像のところが×印のみで何も表示されなければ、不親切なサイトと思われてしまうだろう。

ここ1週間ほどかけて、1200近い記事で紹介している本の画像のリンク切れを可能な限りチェックして、復旧させた。少しは見やすくなったと思っているが、どうだろうか。

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2010年7月28日 (水)

中公文庫版『双調平家物語』(橋本治著)ついに完結

今月(2010年7月)の中公文庫の新刊の1冊として、文庫版『双調平家物語』の最終16巻(落日の巻(承前)・灌頂の巻)が刊行された。

双調平家物語〈16〉落日の巻(承前)潅頂の巻 (中公文庫)
双調平家物語〈16〉落日の巻(承前)潅頂の巻 (中公文庫)

2009年4月に文庫化が始まり、毎月1冊ずつで16ヵ月。
文庫の底本となる単行本の方は、1998年10月に出版が始まり2007年10月に最終巻15巻(源氏の巻(承前)・落日の巻・灌頂の巻)で終了するまで10年を要した大作である。
(単行本の最終15巻が500ページを超える大著となったため、文庫版では単行本の最終巻を文庫版15巻と16巻に分冊されている)

著者橋本治が文庫版第16巻の巻末に書いた「文庫版のあとがき」によれば、著者が平家物語の執筆を決めたのは、1998年10月の単行本『双調平家物語』第1巻刊行から遡ること7年。その前作の大著『窯変源氏物語』の第1巻が刊行された1991年5月とのこと。版元である旧中央公論社の嶋中社長から、平家物語を手掛ける意志を問われ、即断したと書いている。その答えに、社長は「『源氏』と『平家』の両方を出すのは夢だった」と喜んだという。しかし、その嶋中社長は癌に倒れ、1998年10月の双調平家物語』第1巻刊行を見ることなく亡くなったとのことで、「文庫版のあとがき」はこのことに対しての著者のおわびから始まる。

中国から書き起こし、平清盛の物語の前段として、藤原氏の物語を書き、さらに遡れば蘇我氏の行き着くとして、自らの疑問の謎解きのため日中を股にかけ、さらに日本の古代から中世まで、書き続けたエネルギーにはただただ脱帽である。
以前も書いたように、もうこれは平家物語の枠を遙かに超えていて、橋本治編日本古代史論である。

私がこれまで読んで15巻を通して感じるのは、著者は日本史を大きく変えた存在として何人かの天皇・上皇をクローズアップしていると思う。
まずは、天武・持統系の皇子に皇統を継がせようとした退位後も隠然たる力を持ちつつ続けた持統天皇、そして天武・持統系の皇統のアンカーとなる孝謙・称徳女帝、藤原氏の作り上げた権力構造を棚上げにする形で院政を開始し、権力を奪回した白河天皇(上皇)、平家の隆盛と没落の背後に常に存在した後白河上皇である。

著者は「文庫版のあとがき」の中で

「私がこの『双調平家物語』を書きながら感じた疑問の数々は『権力の日本人』(講談社)、『院政の日本人』(同上)にまとめました(以下略)」

と書いている。
橋本治編日本古代史論は、『双調平家物語』全巻と『権力の日本人』・『院政の日本人』を読破して初めて、全体像が理解できるということなのだろう。

権力の日本人 双調平家物語 I (双調平家物語ノート (1))
権力の日本人 双調平家物語 I (双調平家物語ノート (1))

双調平家物語ノート2 院政の日本人
双調平家物語ノート2 院政の日本人

まずは、文庫版『双調平家物語』16巻を早々に読み終え、読みかけの『権力の日本人』・『院政の日本人』の読破を目ざしたい。

<関連記事>
2010年2月12日:『双調平家物語』は橋本治が語る日本古代史論だと思う
2010年8月 4日:橋本治著・文庫版『双調平家物語』全16巻をとうとう読み終わる

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2010年7月25日 (日)

岩波少年文庫<ランサム・サーガ1>『ツバメ号とアマゾン号』を読み終って考えたこと

岩波少年文庫から<ランサム・サーガ>として新たに復刊されたアーサー・ランサム全集の第1巻『ツバメ号とアマゾン号』上下巻を読み終わった。

ツバメ号とアマゾン号(上) (岩波少年文庫 ランサム・サーガ)
ツバメ号とアマゾン号(上) (岩波少年文庫 ランサム・サーガ)

ツバメ号とアマゾン号(下) (岩波少年文庫 ランサム・サーガ)
ツバメ号とアマゾン号(下) (岩波少年文庫 ランサム・サーガ)

すでに、書いた通り、以前の版では岩田欣三・神宮輝夫の共訳だったものが、神宮輝夫の単独訳となり、訳語も見直しがされている。
ヨットを風上に向けてジグザグに操船することについての訳語が「間切る」から「タック」「タッキング」に変わっていたのは既に書いたが、旧訳では印象に残る言葉だった「屋形船」が「ハウスボート」に変わっている。最初の訳出から50年余という時間の経過によるものと考えるべきものなのだろう。

しかし、訳語が多少変わったからといって、子どもの頃、ハードカバーの重たい本を1章ずつ読み進めていった時の、わくわく、ドキドキした感じが変わるわけではない。
覚えていたのは、ツバメ号に乗るジョン、スーザン、ティティ、ロジャというウォーカー家の兄弟とアマゾン号に乗りウォーカー兄弟の好敵手となるナンシィとペギィのブラケット姉妹の存在ぐらいで、話のあらすじはほとんど忘れていた。
特に、上巻の終わりから下巻の最初にかけてのツバメ号とアマゾン号のどちらが旗艦になるかを巡っての戦い、駆け引きの場面は、冒険活劇として、いまでも十分楽しめた。

私自身は、30代半ばで北陸・富山に転勤になり、5年ほど過ごした。時代はまだバブルの余韻が残り、アウトドアブーム。各地に車で乗りつけるオートキャンプ場の整備も進んでいた。子どもも小さかったこともあり、テントに寝袋などキャンプ道具一式を買い込み、バーベキューの道具をもって、海辺や山あいのキャンプ場によく出かけたものだった。思えば、子どもの頃、読み憧れたアーサー・ランサムの『ツバメ号とアマゾン号』の世界の一端でもいいから追体験したいということだったのかもしれない。
『ツバメ号とアマゾン号』の下巻の最後に、ヤマネコ島のキャンプでウォーカー兄弟とブラケット姉妹が夜あらしに見舞われる場面が描かれるが、能登半島の中ほどにある能登島のキャンプ場で真夜中に台風に見舞われたことや、岐阜の林間キャンプ場で夜通し雨に降られたことを思い出した。

この岩波少年文庫でのアーサー・ランサム全集全12巻の<ランサム・サーガ>としての新訳復刊は、岩波少年文庫60周年のキャンペーンの目玉企画だろう。これから子どもたちの夏休みが始まるという7月の半ばに第1作『ツバメ号とアマゾン号』の発売をあわせてきたのも、まさにこの作品が子どもたちが夏休みを思う存分楽しむ物語だからであろう。
岩波少年文庫という小中学生にとって読みやすい形で再提供されたことで、多くの子どもたちが手にとって、アーサー・ランサムの世界のすばらしさを経験してくれればと思う。

<関連記事>
2007年10月31日
「神田古本まつり」でアーサー・ランサムの『海へ出るつもりじゃなかった』を衝動買い

2010年7月20日
うれしいニュース、、『ツバメ号とアマゾン号』をはじめとするアーサー・ランサム全集全巻が岩波少年文庫<ランサム・サーガ>で復刊開始

2010年7月21日
岩波少年文庫<ランサム・サーガ1>『ツバメ号とアマゾン号』上下巻を購入

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2010年7月23日 (金)

第23期竜王戦決勝トーナメント、1組5位の郷田真隆九段が5組優勝の戸辺誠六段を破り準々決勝で久保利明二冠と対決へ

今日(2010年7月23日)は、竜王戦決勝トーナメントの5局目。4組・5組・6組優勝者の中で勝ち残った5組優勝の戸辺誠六段が1組5位の郷田真隆九段に挑む。今日は、残業はせず、早く帰宅して、インターネットの竜王戦サイトの棋譜中継を見る。

郷田九段が先手。中継を見始めた時点では、まだ50手にいくかいかないかの頃。郷田九段が居飛車、振り飛車党の戸辺六段が角道を開けた四間飛車に構え、玉の守りはどちらも穴熊。どちらが、どう仕掛けるか、駆け引きが続いているところだった。それから数手で、郷田九段が飛車先の歩を突きだして戦闘開始。さらに、角を後ろ盾に橋頭堡として確保していた天王山の▲5五の歩を▲5四歩と進め、郷田九段の角道も開き、角交換を挑む本格開戦に。郷田九段から角を交換し、その角を数手後には、戸辺陣深く打ち込んで、郷田九段が攻撃の主導権を握った。さらに飛車も成り込み、打ち込んだ角を戸辺陣の飛車と交換。結局、郷田九段は大駒を捌いた上に、▲5四の地点に「竜」が鎮座して、戸辺玉が横へ逃げ出すのを封じた。

一方、戸辺六段は、お互いの玉が陣取る9筋からの端攻めに活路を見い出そうとする。竜に当たられた角を銀との交換で切り、その銀を郷田玉の近くにすぐさま打ち込み、郷田陣を乱しにかかるが、適度に穴熊の構えが崩れた結果、戸辺六段が戦端を開いた9筋から逃げ出すルートが確保され、5筋には竜の縦の効きもあり、郷田陣は簡単には詰まない。

駒得(計算上、飛車と桂馬の交換)の郷田九段は戸辺六段の端攻めがゆるんだところで、反撃に。戸辺六段もしぶとく粘るが、一枚ずつ剥がすような攻め手が続き、戸辺玉を守る穴熊も崩れ始める。
最後は、ここまで活躍してきた「竜」を捨てて、一気の即詰みの筋に入り、郷田九段の135手目を見て、戸辺六段が投了した。

郷田九段がA級棋士の貫禄を見せつけた対局だったといえるだろう。

郷田真隆九段vs戸辺誠六段戦の棋譜

郷田九段の次の相手は、久保利明二冠(棋王・王将)(対局日は7月28日)。先日の熊本での日本シリーズ1回戦と同じカードである。このときは、やはり今日の戸辺六段戦と同じように、後手の久保二冠の四間飛車穴熊を、先手の郷田九段が居飛車穴熊で破っている。
日本シリーズ同様、久保二冠を破って、宿敵丸山忠久九段との準決勝へ駒を進めてもらいたい。

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2010年7月21日 (水)

岩波少年文庫<ランサム・サーガ1>『ツバメ号とアマゾン号』上下巻を購入

今日、夕方、仕事で京橋に出かける用事があり、そのまま「直帰」の時間になったので、帰り道、日本橋の丸善に寄ってみた。昨日、このブログで紹介した岩波少年文庫の7月の新刊『ツバメ号とアマゾン号』の上下巻を買うためである。

ツバメ号とアマゾン号(上) (岩波少年文庫 ランサム・サーガ)
ツバメ号とアマゾン号(上) (岩波少年文庫 ランサム・サーガ)

ツバメ号とアマゾン号(下) (岩波少年文庫 ランサム・サーガ)
ツバメ号とアマゾン号(下) (岩波少年文庫 ランサム・サーガ)

日本橋丸善では、児童書は2階にあるが、岩波少年文庫は60周年記念フェアということで、少年文庫のロングセラーや話題の本が何冊かまとめて特設コーナーが設けられていた。その中に『ツバメ号とアマゾン号』も平積みで置かれている。さらに、児童書の新刊のコーナー、本来の岩波少年文庫の売り場にも置かれていた。

下巻には、少年文庫化に当たっての訳者神宮輝夫による「新しい少年文庫版に寄せて」との一文が付されている。これを読むと、かつてのアーサー・ランサム全集12巻のうち、もう一人の翻訳者故岩田欣三訳の第3巻『ヤマネコ号の冒険』、第5巻『オオバンクラブの無法者(新シリーズでは『オオバンクラブ物語』に改題)』、第9巻『六人の探偵たち』は神宮輝夫の新訳に、および神宮・岩田の共訳だった第1巻『ツバメ号とアマゾン号』も共訳本を参考に、神宮輝夫単独の新訳になるという。
たしかに、帰りの電車の中で、買ったばかりの『ツバメ号とアマゾン号』上巻を少し読んでみたが、12巻を通じてヨットを操船する場面で、風上に向かってジグザグに進む際、旧訳では「間切る」という訳語が使われていたが、新訳では「タック」「タッキング(tacking)」というカタカナが当てられていた。
『ツバメ号とアマゾン号』が最初に翻訳・出版されたのが1958年。すでに、50年以上が過ぎている。この間、あえて日本語に訳すより外来語としてカタカナ表記が定着した言葉も多いに違いない。まだ、上巻を50ページほど読んだだけだが、全体的に重厚なイメージのあった訳文が、軽快になり、読みやすくなったような気がする。

今後、出版される残りの11巻もすべて上下巻の構成となり、シリーズ全体で24冊になるようだ。ちょうど、この1年ほど読み続けて来た橋本治の『双調平家物語』文庫版全16巻が今月末には完結する。それを読み終われば、日本の古代史の復習をさせてもらった長いシリーズも終る。次は、<ランサム・サーガ>全24冊の再読にチャレンジしようと思う。

<関連記事>
2007年10月31日
「神田古本まつり」でアーサー・ランサムの『海へ出るつもりじゃなかった』を衝動買い

2010年7月20日
うれしいニュース、、『ツバメ号とアマゾン号』をはじめとするアーサー・ランサム全集全巻が岩波少年文庫<ランサム・サーガ>で復刊開始

2010年7月25日
岩波少年文庫<ランサム・サーガ1>『ツバメ号とアマゾン号』を読み終って考えたこと

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2010年7月20日 (火)

うれしいニュース、『ツバメ号とアマゾン号』をはじめとするアーサー・ランサム全集全巻が岩波少年文庫<ランサム・サーガ>で復刊開始

いまからもう40年近く前、まだ小学校5年生から6年生の頃、夢中になって読んだ本があった。岩波書店から刊行されていたアーサー・ランサム全集12巻である。毎月の小遣いで1冊ずつ買いそろえた全集は、手垢で汚れているが、まだ私の実家の本棚に健在だ。
しかし、最近では、在庫切れとなっている巻も多く、新たに12巻全巻を買い揃えるのは難しい状況で、多くのランサムファンが『ゲド戦記』のように全巻少年文庫化を望んでいたと思う。

アーサー・ランサム全集 全12巻
アーサー・ランサム全集 全12巻

ジョン、スーザン、ティティ、ロジャというウォーカー家の兄弟がイギリスの湖水地方の湖で、夏休みにヨットに乗り、キャンプをし、数々の冒険を繰り広げる物語は、遊び盛りの小学生を夢中にさせた。また、12巻に及ぶ物語の中には、冬の湖を舞台にしたもの(第4巻『長い冬休み』)、誤って子どもたちだけで外海に迷い出てしまう話(第7巻『海へ出るつもりじゃなかった』)、ある入り江を探検し自分たちで地図を作り上げていく話(第8巻『ひみつの海』)、全巻を通じ、子どもの目から見て、なんとなく怪しげな大人もよく登場し、ちょっとしたミステリの趣きを備えており、読者を飽きさせない物語だった。

今日、このブログで本の紹介をしている過去の記事の中で、本の画像のリンク切れのメンテナンスをしていたところ、2007年10月に神田の古書まつりで『海へ出るつもりじゃなかった』を衝動買いした記事も画像のリンクが切れていたので、修復のためブクログで検索したら、岩波少年文庫<ランサム・サーガ>の『ツバメ号とアマゾン号(上)』『ツバメ号とアマゾン号(下)』が目についた。
<ランサム・サーガ>という呼び名は聞き慣れないし、表紙のデザインも以前、岩波文庫で出ていた『ツバメ号とアマゾン号』の上下巻セットとも違う。
アマゾンで確認すると発行日は2010/7/15とある。さらに岩波書店のホームページを探すとあった。6・7月の新刊の新刊としてツバメ号とアマゾン号』の上下巻が取り上げられていた。

ツバメ号とアマゾン号(上) (岩波少年文庫 ランサム・サーガ)
ツバメ号とアマゾン号(上) (岩波少年文庫 ランサム・サーガ)

ツバメ号とアマゾン号(下) (岩波少年文庫 ランサム・サーガ)
ツバメ号とアマゾン号(下) (岩波少年文庫 ランサム・サーガ)

同書の説明には次のように書かれている。

「〈ランサム・サーガ〉全巻改訳、刊行開始です。
 はじめてランサムの作品が日本に紹介されたのは、1958年の少年文庫『ツバメ号とアマゾン号』でした。1968年には、箱入りのハードカバー版「ランサム全集」全12巻の刊行が始まりました。『ツバメ号とアマゾン号』は実に半世紀! シリーズとしても40年近く、たくさんの愛読者に支えられ、読み継がれてきたことになります。
 長年「ソフトカバー版を」「廉価版を」というご要望が多かった、ランサムの冒険物語が全巻、少年文庫になります。いまの子どもたちに読みやすいようにと、この機会に、訳者の神宮輝夫氏ご自身が訳文を大幅に見直し、文字組みもゆったり、工夫を凝らしました。
  さて、第1巻は『ツバメ号とアマゾン号』。ウォーカー家の4人きょうだいは、小さな帆船「ツバメ号」をあやつり、子どもたちだけで、無人島ですごします。湖の探検、アマゾン海賊(ナンシイ&ペギイ)との出会い、キャプテン・フリントとの決戦……
 夏休みのうれしさ、子どもたちだけの楽しみが、ぎゅぎゅっとつまった、夢のような物語。
 解説は、作家の上橋菜穂子さん。ランサム作品への愛が、あふれてます!」
(岩波書店ホームページより)

待ち望んでいた全集全巻の少年文庫化がとうとう実現することになった。
『獣の奏者』の作者上橋菜穂子、『一瞬の風になれ』の作者佐藤多佳子という最近の児童文学や青春小説の話題作の作者が、ともに1962年生まれで、アーサー・ランサムの愛読者だったことは、このブログでも書いたことがあると思う。2人のような新たな若者の文学の旗手たちがかつてアーサー・ランサムを読んで育ったということが、今回の復刊の後押しをしたことは間違いないだろう。

神宮輝夫が自ら改訳を手がけ、上橋菜穂子が解説を書く新『ツバメ号とアマゾン号』は、それだけで「買い」である。これから、復刊が始まる〈ランサム・サーガ〉。ウォーカー家の兄弟との再会が楽しみである。

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2007年10月31日
「神田古本まつり」でアーサー・ランサムの『海へ出るつもりじゃなかった』を衝動買い

2010年7月21日
岩波少年文庫<ランサム・サーガ1>『ツバメ号とアマゾン号』上下巻を購入

2010年7月25日
岩波少年文庫<ランサム・サーガ1>『ツバメ号とアマゾン号』を読み終って考えたこと

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2010年7月19日 (月)

第23期竜王戦決勝トーナメント、郷田真隆九段の対戦相手は戸辺誠六段に

第23期竜王戦七番勝負での渡辺明竜王への挑戦者を決める竜王戦の決勝トーナメントもスケジュールが進み中盤戦にさしかかってきた。
竜王戦の決勝トーナメントは11人が9局を戦い、挑戦者決定三番勝負に進む2人が決まる。左の山では、下位の4組・5組・6組の優勝者で勝ち残った一人が1組5位と戦い、その勝者が1組4位と、さらにその勝者が1組優勝者と戦い、挑戦者決定三番勝負に進む。
右の山では3組優勝者と2組2位の勝者が1組3位と戦い、一方で2組優勝者と1組3位が戦い、それぞれの勝者が挑戦者決定三番への出場を争う。

左の山では、下位クラスのサバイバルレースで5組優勝の戸辺誠六段が6組優勝中村太地四段、4組優勝の村山慈明五段を破り、1組5位の郷田真隆九段と対戦することに決まった。
右の山では、3組優勝の阿久津主税七段が2組2位の三浦弘行八段を破り、1組2位の松尾歩七段との準々決勝に駒を進めた。一方、もう一つ準々決勝1組3位の羽生善治名人と2組優勝で復調の兆しを見せる藤井猛九段の一戦は、夕食前に藤井九段の投了となり、羽生名人がシードの1組優勝丸山忠久九段に次ぐ準決勝進出を決めた。
挑戦者決定三番勝負前の9局のうち4局が終了し、11名いた決勝トーナメント進出者もすでに4名が敗退。挑戦者への可能性を残すのは7名となった。

次の対局予定は2010年7月23日。私が応援する郷田九段と戸辺六段の六段の対戦である。戸辺誠六段は、1986年8月生まれの23歳。2006年に四段昇段(プロ入り)を決め、C級2組2年目の2008年度8勝2敗の3位でC級1組に昇級、昨年度(2009年度)は、C級1組を10戦全勝で1位通過。棋士生活4年目にして、すでにB級2組である。
また、昨年度の王位戦予選では、森内俊之九段、久保利明棋王を破って挑戦者リーグ入りを決め、挑戦者決定リーグ白組では、丸山忠久九段、三浦弘行八段、羽生善治名人を破った。並み居るタイトルホルダー、A級棋士を撃破したことが評価され、2009年度の将棋大賞新人賞も受賞している。
現在、王位戦七番勝負で深浦王位に挑戦中の広瀬章人六段と並ぶ、若手棋士の注目株である。奇しくも、二人とも振り飛車を得意戦法としている。

『実戦の振り飛車破り』という著書もある郷田九段が、どのように振り飛車党の若手棋士戸辺六段を迎え撃つのか。今期は、いわば無欲の勝利でここまで勝ち進んできた郷田九段。決勝トーナメントでもその姿勢を貫いて、ぜひ、格の違いを見せつけてほしいものである。

実戦の振り飛車破り
実戦の振り飛車破り

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2010年7月18日 (日)

第22回参議院選挙の結果が示す民意を考える

第22回参議院選挙が終って1週間。民主党・国民新党の与党は過半数を得られず、自民党が今回の改選第1党、みんなの党の躍進、公明党以下共産党・社民党など既成政党の議席減などが議席数から見た各党の盛衰として、新聞・TVでは語られる。

一方、今後、安定的に政策運営そしていくためには、第1党の民主党としては、参議院で過半数を確保するための新たな連立相手を探したいところだが、その可能性がある自民党・公明党・みんなの党は、選挙直後の党首へのインタビュー「連立はあり得ない」と交渉に応じようとする姿勢さえ見せていない。党利党略としては、落ち目の民主党に手を貸す必要はないということだろうが、野党のにべもない連立拒否が、果たして、選挙民の民意を反映したものと言えるのか、選挙後、ずっとひかかっている。

過去の選挙結果も見ながら考えてみた。使ったのは、選挙民の政党支持を反映していると思われる「比例区での得票率」の第18回(1998年)から今回までの5回分である。(データは第22回以外は総務省のデータを使用)

第18回 第19回 第20回 第21回 第22回
1998年 2001年 2004年 2007年 2010年
自民党 25.17 38.57 30.03 28.08 24.07
民主党 21.75 16.42 37.79 39.48 31.56
自由党 9.28 7.72 - - -
公明党 13.8 14.96 15.41 13.18 13.07
共産党 14.6 7.91 7.8 7.48 6.1
社民党 7.79 6.63 5.35 4.47 3.84
国民新党 - - - 2.15 1.71
みんなの党 - - - - 13.59
その他 7.61 7.79 3.62 5.16 6.06

第19回(2001年)は、構造改革を掲げた第1次小泉内閣の下での選挙で、自民党が圧勝。これがひとつの引き金となって、2003年9月に旧民主党と小沢一郎氏率いる自由党の合併が実現し、現在の民主党が誕生した。

その後、2回(第20、21回)の参議院選挙では、民主党が得票率を伸ばす一方、自民党は漸減。自民党と連立を組む公明党も得票率を減らし、参議院での過半数を失った。
民主党を中心とする当時の野党が参議院の過半数を得たことで、小泉人気の遺産で圧倒的多数を占める衆議院を背景にする自民党・公明党の与党と、民主党を中心に野党が過半数を抑える参議院でねじれが生じた。
参議院を拠点にした野党の抵抗の前に、首相の首のすげ替え以外これといった有効な対応策を打てない自公連立政権は有権者の信任を得られず、実質的には任期満了選挙であった、2009年8月の第45回衆議院議員総選挙で政権を明け渡したのは記憶に新しいところである。

では、今回の第22回参議院選挙の結果は、民主党・国民新党の与党に有権者が失望したことは明らかだが、ならば、かつての与党(自民党・公明党)に再び与党となることを期待したかといえば、それも違う。
自民党の得票率は前回からさらに4%ほど減り、24.07%と四分の一を割り込んでいる。今回の自民党の善戦は、29ある1人区で自民党が21勝8敗と大きく勝ち越したこと、12ある2人区で、民主・自民が1議席ずつ分け合う結果となったことによるが、これは、自民党が二大政党の一方の旗頭と認知されているからで、党全体の支持率・得票率が落ち続けると、他の党にその地位を奪われる可能性はあるだろう。

結局、今回の参議院選挙で本当の意味で勝ったといえるのは、渡辺喜美代表率いる「みんなの党」だけだろう。
昨年の衆議院選挙前に結成されたこの新党の比例区での得票率は13.56%と公明党を上回り、今回の比例区では3番手となり、今回の改選議席でも10議席を確保した。
比例区での既成政党各党の減(民主党▲7.92%、自民党▲4.01%、共産党▲1.38%、社民党▲0.63%、国民新党▲0.44%、公明党▲0.11%:合計▲14.49%)のほとんどを「みんなの党」が吸収している格好だ。

比例区の投票結果は、「もうしばらく、民主党の第1党は認めてもいい。しかし、連立は、国民新党や社民党とではなく、みんなの党と組んでみれば?」と民意が語っているように思うのは、私だけだろうか。
「みんなの党」の渡辺代表がこれからの政局の中で、どのような行動をするか、注目していきたい。

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2010年7月11日 (日)

2010年第22回参議院選挙は、民主党後退で再びねじれ国会へ

2010年7月11日に投票が行われた第22回参議院議員選挙の争点は、昨年の総選挙で大勝し政権交代を成し遂げた民主党政権を信任し、参議院でも民主党に過半数を与えるか否かにあったと思うが、1年足らず前に民主党の政権交代を支持した国民は、「No」を選択。衆議院で多数を占める与党が、参議院では過半数の議席を確保できないという「ねじれ国会」が再現されてしまった。

3年前の参議院選挙で、民主党が躍進し、当時の政権与党だった自民党・公明党の連立与党が過半数を割ったことで、衆議院の多数を占める与党(自民・公明)が、参議院では民主党を中心とした野党の抵抗を受け、政策実行が思うに任せず、結局、衆議院でも過半数を失い、自民党・公明党は野党に転落した。
当時は民主党側が政権奪取のため、衆議院の議席数に比してすでに国民の信任を失っていた自公政権を追い込むため、戦略的にねじれ国会を利用したように見えたが、今回は比例区での得票を見ても、民主党がそこまで落ちぶれているわけではない。
民主党から流れた浮動票が「みんなの党」に流れたというのが、おおざっぱな構図だろう。

ねじれ国会のやっかいなところは、与野党対立が激しくなると、政策が何も進まなくなることである。日本における衆参の二院制、さらに参議院の3年おき半数ずつの改選というのは、政治の激変緩和装置として制度設計されたものだと思うが、現在のような課題山積の時代に安定的な政治が行えないというのは、制度設計者の意図したところとは違うのではないだろうか。

民主党の敗因は、ひとえに政権奪取後の鳩山政権でのちぐはぐな政治に国民が失望したことが背景にあるのは間違いないが、それをさらにだめ押ししたのは、辞任した鳩山首相の後を継いだ菅直人首相が、首相交代後の内閣支持率アップに気をよくして、唐突に消費税増税を持ち出したことだろう。自らの人気を過信しての、世論の読み違いがあったのでなないどろうか。消費税増税を含めた財政改革は、参議院の過半数を獲得し政権基盤を安定させてから、次の衆議院選挙の争点として持ち出すべきだったのだろう。

いずれにしても、再びねじれ国会となり、政権党の政策が、すんなりとは進まないという自公政権末期の状況が再来することになった。なんとか、前回のねじれ国会時の国政の停滞を反省し、与野党で国民のための最善の政策は何か真剣に話し合ってほしいものである。

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2010年7月 4日 (日)

『将棋世界』2010年8月号での郷田真隆九段の竜王戦決勝トーナメント進出者コメントを読んで

第23期竜王戦七番勝負での渡辺明竜王への挑戦者を決める決勝トーナメントの出場者が出揃い、将棋連盟のホームページ、読売新聞の竜王戦中継サイトにもトーナメント表が掲示された。『将棋世界』8月号には、恒例になっている挑戦を受けるタイトルホルダー渡辺竜王の「展望と抱負」、各出場者のコメントが掲載された。

私が注目するのは、応援している郷田真隆九段(1組5位)のコメントである。2年前の第21期竜王戦に1組3位で出場した時には、「出場する以上、挑戦者を目指すのは当然」といったコメントが載せられていた記憶がある。(その時は、郷田九段は準決勝で木村一基八段に敗れ、挑戦者には1組5位から勝ち上がった羽生善治名人がなり、七番勝負では羽生名人が3連勝後4連敗という歴史に残る死闘を繰り広げた)

今回も、郷田九段のコメントには「挑戦者を目指す」と書かれているのだろうと思って、ページを開いてみると、予想とは全く異なるものだった。

「今期のランキング戦は5位決定戦の3局を指させていただきました。全局で敗勢の瞬間があり、非常に苦しい将棋ばかりでした。
(中略)鈴木戦〔ランキング戦1組5位決定トーナメント1回戦〕は最後まで負けでしたし、高橋戦〔同準決勝〕はポカに助けられました。佐藤戦〔同決勝〕も、佐藤さんが受け間違えられての辛勝でした。とにかく勝ち運があったとしかいいようがありません。
(中略)決勝トーナメントでの目標などもありません。
 今期は不戦敗をしてしまったにもかかわらず、5位決定戦を指させていただきました。竜王戦を楽しみにされているファンの方にいい棋譜をお見せできるよう全力を尽くすだけです。とにかく、与えられたことを一生懸命やる。それだけです。」(『将棋世界』2010年8月号172ページ)

ランキング戦1組1回戦の森内九段戦(1月21日)に、寝坊して遅刻不戦敗という、タイトル獲得3期のA級棋士というトップ棋士にはあるまじき前代未聞の不祥事を起こしたこともあり、神妙なコメントである。
思えば、将棋連盟や主催社・読売新聞社の判断次第では、「今期の竜王戦出場停止」といったもっと厳しい処分もあり得たのだろうし、郷田九段の立場からすれば、そう言われても従わざるを得ない立場だっただろう。
改めて、当時の事情について書かれた『将棋世界』2010年4月号に掲載された読売新聞社西條耕一記者の不戦敗についての報告記事を読むと
「1組5位決定戦への出場についても議論があった。ただ、「ランキング戦が1敗しても本戦の出場権がまだ残っているのが1組の権利。多くの読者が郷田九段の対局を見たいと思っており、決定戦まで出場停止にする必要はない」とした読売側の意見を尊重し、出場を認めた」(『将棋世界』2010年4月号192ページ)

1組5位決定戦出場停止となれば、5位決定戦1回戦も不戦敗扱いとなり、「5位決定戦1回戦敗者4名が2組への降格」というルールから、即2組降格ということになる。西條記者の記事を読む限り、連盟側からは出場停止の可能性も含めた議論が出され、読売側がそれを押しとどめたように読める。郷田九段は、彼の対局を見たいと思う読者(ファン)の存在によって、救われたことになる。
(一方、郷田九段が、出場停止で即2組降級となれば、郷田九段が5位決定戦1回戦で対戦する相手(今回は鈴木八段)が、不戦勝で降級を免れることとなり、他の1回戦戦敗退棋士との不公平感も問題になったかもしれない)

こういった背景を考えると、今回の郷田九段のコメントが神妙にならざるを得ないのも理解できる。5位決定戦に出場できただけでも、感謝すべきことであり、結果的にそこで3戦勝ち抜いて、決勝トーナメントに出場できたことは、望外の僥倖ということなのだろう。
「決勝トーナメントでの目標はない、竜王戦を楽しみしているファンにいい棋譜を見せられるよう全力を尽くす」ということ以外を口にできる立場ではないのだ。

西條記者は不戦敗の報告記事を次のように締めくくっている。
「郷田は当分の間つらい思いをするだろうが、早く精神的に立ち直り、本来の格調高い将棋をファンにみせてほしい」(『将棋世界』2010年4月号192ページ)

「とにかく、与えられたことを一生懸命やる。それだけです。」という郷田九段の思いに、勝利の女神が微笑んでくれることを期待して、これからの決勝トーナメントを応援していきたい。

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