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2010年8月の記事

2010年8月30日 (月)

IFRS(国際会計基準)検定、財務報告実務検定、ビジネス会計検定

現在、仕事で多少なりとも会計にかかわりがあるのだが、20年以上前、社会人になって数年のころに、思い立って日商簿記3級、2級を取ったあとは、税理士に挑戦したものの、途中から仕事が忙しくなって「財務諸表論」だけ合格したところで挫折していた。

今更、日商簿記1級でもないし、かとって公認会計士は難しすぎるし、とはいえ、次々と代わる会計のルールに、少しきちんと勉強したいと思っていたところだった。

日本でも2015~2016年あたりには強制適用になるのではということで、最近にわかに話題になり始めたIFRS(国際会計基準)。ちょうど先週、職場で、IFRSについて監査法人を講師に招いて研修会があり、自分の会社でも何らかの準備を始める必要があることを痛感した。直接、経理部にいるわけではないので、当事者ということではないのだが、しかし、知らないではすまされない。

そうしていたら、職場の同僚の一人が、翌日、「昨日の研修はおもしろかった。IFRS検定というのもあるらしいですね」と話していた。「IFRS検定」については、初耳だったので、さっそく帰宅後インターネットで検索してみた。もともと、英国で行われている検定で、IFRS(国際会計基準)についての理解度を問う試験のようだ。
IFRS検定対策の研修を行う資格学校もあり、昨日そのうちの一校の無料セミナーに顔を出してみた。IFRS検定は日本語でも受験できるようになって、既に2回試験が行われており、来週2010年9月5日に3回目の試験があるとのこと。3ヵ月に1回のサイクルで試験が行われているようで、その次は2010年12月ということだった。

IFRS(国際会計基準)検定のサイト http://www.ifrs-kentei.com/

他に会計関連の新しい資格はないかと調べてみたら、有価証券報告書や四半期報告書についての知識を問う「財務報告実務検定:http://www.zaimuhoukoku.jp/」や大阪商工会議所が始めた「ビジネス会計検定:http://www.b-accounting.jp/」、東京商工会議所が行う「国際会計検定(BATIC):http://www.kentei.org/batic/index.html」などが実施されていた。
BATICは書店で問題集などを見たことがあるが、他は初めて知った。

どうせ仕事でかかわらなくてはならないので、このうちいくつかの資格のついて、少し体系的に勉強して試験を受けてみようと思っている。

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2010年8月28日 (土)

本日、60万アクセス達成

本日(2010年8月28日)、このブログ「栄枯盛衰・前途洋洋」の総アクセス数が60万アクセスに達した。

50万アクセス達成が2009年8月31日なので、50万アクセスから60万アクセスまでの10万アクセスにほぼ1年かかったことになる。
2006年2月26日にブログを始め、最初の10万アクセスには1年5ヵ月ほどかかったが、その後は、ほぼ半年前後のサイクルで20万、30万、40万、50万と大台を更新してきたでけに、この1年は停滞気味だった。
次女と長男の受験で、書いた記事の本数もこの1年で80本にも達していないので、やむを得ないところだ。

最近、記事を書くペースも週2~3本程度までには復活してきた。週2本で年100本、週3本で年150本。記事数もこの記事で1199本。次回で1200本の大台となる。最低でも年間100本程度は書き継いでいき、はやく100万アクセスの大台に近づきたいものだ。

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2010年8月27日 (金)

将棋第69期A級順位戦2回戦最終局、郷田真隆九段vs藤井猛九段戦は郷田九段が勝って1勝1敗に

久々に将棋の記事。私は、贔屓にしている棋士郷田真隆九段が勝つと記事にすることにしているが、最近の2局は、棋王戦決勝トーナメントでは稲場陽四段に、王将戦2次予選では鈴木大介八段に敗れ、連敗。年度末の王将戦、棋王戦という年明け以降に行われるタイトル戦にへの可能性が相次いで消え、今年度の成績も6勝7敗と負け越しとなり、やや意気消沈していた。
残る期待は名人戦の挑戦者を争うA級順位戦。郷田九段は第64期にA級復帰を果たして以降、第65期、第67期と2回A級を制し挑戦者となり、それぞれ森内名人、羽生名人を相手にに3勝を上げた。1年おきの奇数期に挑戦者となってきた郷田九段の実績からすれば、今期は期待したい期である。
しかし、これも1回戦の丸山忠久九段戦が黒星スタート。2回戦の藤井九段戦で敗れると2連敗となり、今期の昇級者が渡辺竜王、久保二冠という実力者二人であることを考えると、挑戦どころか、陥落を心配しなくてはならなくなる。
対戦相手の藤井九段もこの数年不調が続いてきたが、昨年あたりから復調の兆しが見え始め、今期もここまで10勝5敗。先日行われた王座戦の挑戦者決定戦では深浦康市王位を降して久々のタイトル挑戦を決めた。
ただ、郷田vs藤井の対戦成績は、郷田九段が21勝10敗とダブルスコアで勝ち越しており、さらに順位戦では7勝1敗ということらしい。確かに、1回戦で両者が対戦した前期(第68期)のA級順位戦でも、藤井九段が必勝の態勢を築いたものの最後の最後で間違えて郷田九段が逆転勝利している。
さて、今回はこれまでの対戦成績通り郷田九段が勝利を手にするのか、最近の復調を反映して藤井九段が勝利するのか、どちらであろうか。

昨日(2010年8月26日)の午前10時から始まった今期の対局は郷田九段の先手。居飛車に構えた郷田九段に対し、振り飛車党の藤井九段は中飛車の美濃囲いから金銀1枚づつの銀冠に。郷田九段の玉の守りは舟囲いの変形。序盤の細かい応酬の中で角交換。郷田九段の2筋の歩が着実に前進し、73手目に「▲2三歩成」と「と金」に昇格した。一方、藤井九段は郷田陣の手持ちの角を打ち込み、馬を作った。この郷田九段の「と金」と藤井九段の「馬」のどちらがより働くかが焦点になる。
その後、郷田九段も藤井陣の角を打ち込み相手陣の桂馬を取って「馬」に成り、「馬」と「と金」で攻める体制を整えた。「馬」は飛車と差し違えの形で役目を終えたが、「と金」は藤井陣の飛車を取り、最後は▲7二まで進み、玉の守りの要の金を取って王手をかけるまで、大いに働いた。一方、藤井九段の「馬」は、△1九馬と郷田陣の香車を1枚取っただけで終局まで△1九から動けず不発、取った香車も使われないままだった。
郷田九段が馬と差し違えで手にした飛車は、すぐさま藤井陣に打ち込まれ、藤井玉を横腹から狙う。自陣にいたもう1枚の飛車取りを放置しての「▲7二と」は寄せに行った手で、すでに郷田九段勝勢。そこからほどなく藤井九段の投了となった。

これで郷田九段は1勝1敗の五分に戻し、藤井九段は2連敗。2回戦終了時のA級棋士10名の成績は以下の通りである。

2勝0敗:
森内俊之九段(今期順位3位)
谷川浩司九段(同6位)
1勝1敗:
三浦弘行八段(同1位)
丸山忠久九段(同4位)
木村一基八段(同5位)
郷田真隆九段(同7位)
渡辺明竜王(同9位)
久保利明二冠(棋王・王将)(同10位)
0勝2敗:
高橋道雄九段(同2位)
藤井猛九段(同8位)

郷田九段には残り7戦を全勝して、3回目の名人挑戦、初の名人獲得を成し遂げてほしいものである。

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2010年8月24日 (火)

「キャナルシティ博多」と「マリノアシティ福岡」に行って考えたこと、<アジアの中の福岡>と<デフレは人の感性を鈍磨させる>

昨日深夜、福岡への帰省から戻り東京の自宅に帰り着いた。4泊5日間の帰省だった。
3人の子どもを含めた家族5人で、まず妻の実家で1泊。それから私の実家に2泊。その間、私の父の23回忌、私の母が一人で暮らす私の実家の掃除、再度、妻の実家に戻り1泊した。

私の実家にも、妻の実家にもパソコンもなければテレビゲームもない。子どもたちにとっっては、どちらの家にいても退屈極まりない。子どもたち、特に二人の娘が反乱を起こさないよう、次女が行きたいと行っていたショッピングモールに行くことにした。

最初に「キャナルシティ博多」。1996年にオープンした複合商業施設だ。ホテル、映画館、ゲームセンターなども備えた大型のショッピングモール。行った日が、土曜日だったこともあってかなりの人出だった。数年前に一度、家族で行った覚えがあるが、その時よりは賑わっているような印象を受けた。
2時間ほど館内を歩いたが、中国人の団体旅行と思われる集団にも出会った。ツアーコンダクターらしき人が、大声で説明をしていた。
福岡は韓国・中国に近い。韓国の釜山(プサン)からは、博多港まで高速艇ジェットフォイルでわずか3時間である。中国との間も、北京、上海だけでなく大連、青島などの航空路が開かれており、特に福岡-上海便は本数が多い。
迎える側も日本の中でも韓国・中国に近い立地という点を十分意識しているように思う。

「キャナルシティ博多」の2日後に行ったのが、西区小戸のヨットハーバーに隣接するアウトレットモール「マリノアシティ福岡」。こちらは、2000年にオープン。その後、2004年、2007年の2回に渡ってアウトレット棟を増設している。こちらに行くのは初めて。
ここは、大観覧車が売り物のひとつだったが、採算が取れないようで、既にゴンドラは外されていて、大観覧車の営業は停止、近々解体されるということだった。
また、建設順に3つあるアウトレット棟の第1棟に入ると10店ほどの店の閉店のお知らせが掲示されていた。栄枯盛衰は世の定めとは言え、昨今の厳しい経済情勢を認識せざるを得なかった。
ここでも1時間半ほど、アウトレット棟のⅠ棟~Ⅲ棟、レストラン街、通常の大型ショッピング街などを見て回ったが、アウトレット棟の一番奥にあたるⅢ棟で改装工事や閉店の案内が目立ったような気がした。(最初のⅠ棟だけでも、1・2階で30店舗ほどの店があり、そこで満足した客は、奥のⅢ棟まではおそらく行かないだろう)
ここでは、ぶらりと入ったカジュアル衣料の店で、店員に声をかけられ、「どこから来た」、「どこに住んでいる」などあれこれ聞かれる。最初はうっとうしいと思ったが、ならばこちらから質問してやろうと思い、「中国からのお客さんが増えているのでは?」と水を向けると「ええ、増えてますね。でも、彼らは、時計や家電製品は買うが、衣料品はまず買わない。Made in Chinaを作るためにいかに安く働かされているかよくわかっているので、中国製とわかれば絶対買いません」という答えだった。
確かに、日本に来てMade in Chinaの服を買ってもむなしいだけだろうなと妙に納得してしまった。

アウトレットショップに並ぶ多くの衣料品のブランドショップのいくつかに出入りし、おしゃれなシャツやポロシャツを見ていると、経済学者の浜矩子が『ユニクロ型デフレと国家破産』(文春新書)の中で述べていた「デフレは人の感性を鈍磨させる」というフレーズを思い出した。

ユニクロ型デフレと国家破産 (文春新書)
ユニクロ型デフレと国家破産 (文春新書)

ざっと要約すると

「デフレの中では、コストを極限まで切り詰めるため、価格は安いが、画一的な商品しか作られない。衣料品でも、デザインも色味も、創造性に欠けるので、組み合わせに悩む必要もない。自分の感性や個性との関わりを考えることもない。そのような、創造性に乏しく、感受性を刺激しない物品に囲まれた生活を続けていると人の感性が蝕まれる。デフレは人をバカにする」

といったところである。

数多くの商品の中から組み合わせを考え、自分らしさを表現するためのこだわりの一品を選ぶ。そこに人の価値観が反映されるということだろう。

私はこの数年、ユニクロの服を愛用してきた。自分ではそれなりに選択して、組み合わせも考えているつもりだが、今年の夏、通勤電車で自分が着ているワイシャツと同じ柄のワイシャツを着た人が隣に立っていた時は、さすがに興ざめした。
アウトレットショップで見た、各ブランドの店ではそれぞれがターゲットとする年代を意識した服作りをしており、その中で、自分の好みの品を探すだけでも楽しい。そこでは、これを買ったらどう着こなそうか、どういう時に着ようかと考える。多くの場合、出費に比して活用できる機会がなさそうなので、買わないという判断に落ち着くが、そもそも、そういうことを考えることに意味があるということだろう。
改めて考えてみると、ユニクロで服を買う時は、そこまで吟味はしていない。デザインも必ずしも100%満足という品ばかりでもないが、「とりあえず必要だし、この安さならまあいいか」という判断で買っている。そこでは、自分の感性の半分も働いていないだろう。

やはり「デフレは人の感性を鈍磨させる」という問題認識は正しいと思う。

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2010年8月20日 (金)

帰省で全日空のSKiPを使いポケモンジェットに乗る

我が家は5人家族なので、全員で移動するとなると大変だ。
今回の帰省は、父の23回忌。予め日取りが決まっていたので、インターネットを通じて全日空の早割で1ヵ月前には便を予約し、なんとか安く上げる。
8月のはじめにはクレジットカードの決済も終わった。

今回は、全日空のSKiPサービスを利用して、搭乗してみた。予約の時点で5人の座席まで確定させる。
家族5人それぞれの携帯電話のメールアドレスを入力すると、予約した便名、座席などの情報が2次元バーコードに変換され5人の携帯電話に送られる。
あとは、空港に行って、手荷物検査の前と搭乗前の2回、携帯電話に送られたバーコードをバーコードリーダーにかざすだけだ。

これまで必要だった空港カウンターでの搭乗手続は一切不要。
便利になったものである。これでは、飛行機の予約と、航空券の発券で稼いでいた旅行代理店の売上が落ちるはずだ。

空港に行ってみると、我々が乗る飛行機はポケモンジェットだった。
ポケモンで育った、高校生になる長男が、静かに喜んでいたのが印象に残った。

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2010年8月19日 (木)

池上彰著『<わかりやすさ>の勉強法』(講談社現代新書)から、「わかりやすい説明」と「自己流の編集」について

ここ数日、小惑星探査機「はやぶさ」プロジェクト関連の本を夢中になって読む前に、池上彰著『<わかりやすさ>の勉強法』(講談社現代新書)を読んだ。

<わかりやすさ>の勉強法 (講談社現代新書)
<わかりやすさ>の勉強法 (講談社現代新書)

池上彰は、NHKの週刊こどもニュースの初代おとうさん役として名が売れ、今や、子どもだけでなく、大人に対しても、政治・経済・国際問題等の難しいニュースを最もわかりやすく説明してくれる解説者と言えるだろう。

インターネットから何かと情報を集めてくる長女は、「このあいだの参議院選挙の解説番組では、テレビ東京の池上さんがおもしろい、わかりやすいって評判だよ」と語っていた。
インターネット検索でいろいろと調べて見ると、昨年夏の衆議院選挙の際の関東地区でのテレビ東京の視聴率は2.4%で 在京6局中ダントツの最下位だったが、今回はNHK18.8%、日本テレビ9.7%に次ぎテレビ東京が9.3%でなんと3位。以下TBS9.2%、テレビ朝日9.1%、フジテレビ8.2%の順だったそうだ。
わかりやすい解説に加え、今回は、政党の幹部や当選した議員への、歯に衣着せぬ本音での鋭い質問(ツッコミ)が話題になっていた。

その長女や妻が、改めて政治や経済を勉強するのに池上本を読むと言い始め、我が家は今ちょっとした池上彰ブームになっている。
ブームの中で買った1冊が講談社現代新書の2010年6月の新刊『<わかりやすさ>の勉強法』。

勉強法や、情報収集と情報の整理等で読んでいろいろと得るところがあったが、特に印象に残った点を二つ紹介しておきたい。

まず、まえがきにあたる「はじめに」のところで、どんなときに人は「ああ、そうだったんだ!」と思うかという「わかりやすい説明」を説明した部分である。

「自分の中に以前から存在していた断片的な知識がひとつにつながったとき。
断片的な知識が、あるルールのもとにきれいにならべられたとき。
断片的な知識が、いくつかのグループに分けられたとき。
こんなときに、「そうか、わかったぞ!」と叫びたくなるのではないでしょうか。」
(『<わかりやすさ>の勉強法』3ページ)

日本は中学卒業までの9年間は義務教育。多くの人は高校も卒業している。池上キャスターに解説してもらうテーマは、主に、政治・経済・国際問題なので、聞き手の側も小学校の社会科、中学校の公民(今も公民と呼ばれているかはわからないが)、地理、歴史、高校でも現代社会や政治・経済、地理、人によってはさらに日本史・世界史など学んでいるはずなのだ。それぞれに、得意不得意はあったにせよ、断片的な知識は皆持っている。
それを、思い出してもらい、うまくグルーピングしたり、つなげてみせるというのが、池上マジックのキモということなのだろう。

もうひとつは「自己流の編集」の説明の部分だ。

「多様な事実の中から自分なりにいくつかの事実を選んできて自分なりに並べる。それが、「自己流の編集」だと思います。
雑多な事実の中から何を選ぶか、選んだ事実をどう並べるか、選ぶ力と並べる力、その二つが言ってみれば「編集力」なのです。(中略)
どのように並べるかというところで、また編集力が問われます。(中略)自分なりの並べ方をする。そこから「どんな説明をしようか」と自分なりの論理を考えていくのです。(中略)
出来事を自己流に解釈して並べる力、あるいは「解釈した結果、こう伝える」と伝わるかたちに並べ直す力、それが編集力の第二段階です。」
(『<わかりやすさ>の勉強法』3ページ)

以前、著者がNHKに記者として入社し、各地で記者経験を積んだ後、首都圏ニュース845のキャスターとなり、そこから週刊こどもニュースのキャスター(お父さん役)へとさらに転身し、NHKを退社するまでを綴った本を読んだことがあるが、さらにその後、民放で自身のレギュラー番組や他の番組にゲスト出演する中で、見聞を広め、そこで新しく得たものが、新しい本には反映されているように思う。

著者は「あとがき」にあたる巻末の「勉強って何だろうー「おわりに」に代えて」で次のように語る。

「勉強するということは、知識欲を満たす純粋な楽しさと同時に、自分が成長しているという実感を与えてくれます。それは年齢に関係ありません。50歳でも、60になっても、70になっても、前の日よりも自分が成長していることが実感できる喜び、それが実は、勉強ではないかと、最近私は思っています。」
(『<わかりやすさ>の勉強法』219ページ)

「勉強法」という点で学ぶべき点が多いのはもちろんだが、行間から池上彰の人となりがにじみ出る本だと思う。

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2010年8月18日 (水)

丸の内オアゾで「はやぶさ」のカプセルを見る

60億キロ、7年の宇宙の旅から帰還した小惑星探査機「はやぶさ」のカプセル。中には、小惑星イトカワから持ち帰った微粒子が入っているかも知れないと言われている。
苦労して地球に戻って来た「はやぶさ」本体は、カプセルを地球へ戻すため、大気圏で鮮やかに燃え尽きただけに、「はやぶさ」が命がけで地球に送り返したカプセルだけが、「はやぶさ」プロジェクトの偉業を伝える証拠品として残されたものである。

最初、今週、東京丸の内のオアゾにやって来た。2010年8月15日(日)~19日(金)までのスケジュールで丸の内オアゾ1階に特設展示場が設けられた。

たまたま、今日から1週間仕事は休み。明日から父親の23回忌で田舎に帰るのに、何かか気の利いた東京みやげを買おうと思い、ネットで予め調べた上で、東京駅にある大丸に行った。さらに、妻からは甥っ子たち用の図書券も買ってきてと言われたので、松岡正剛プロデュースの「松丸本舗」を見たかったこともあり、オアゾにある丸の内丸善に向かう。
オアゾの広場では、「はやぶさ」カプセル公開に列が出来ている。1時間以上並ぶのだろうかと思いながら、とりあえずは、目的の丸善へ。

図書券を買い、「松丸本舗」をしばし眺めて1階に戻った。ダメもとで、列を整理している係員に「どれぐらい並びますか」と聞いてみた。「20分ぐらいです。今はすいているので、ぜひ見て下さい」と勧められた。列の最後尾で整理券をもらい、列に並ぶ。
配られたパンフレットでは、今日、オアゾで展示されているのは、カプセルの実物大の地上での実験模型の「エンジニアリングモデル」と微粒子を収めたカプセルを包む「インスツルメントモジュール」、それにカプセルを制御した「搭載電子機器部」の3点。15日・16日であれば、「搭載電子機器部」の代わりにカプセルの一番外側にあって、大気圏突入の高熱に耐えた「前面ヒートシールド」と「背面ヒートシールド」が展示されていたようだ。
それでも「インスツルメントモジュール」と「搭載電子機器部」は宇宙の旅から戻った本物である。何も物言わぬ機械に過ぎないが、7年の苦難のそして激動のドラマをくぐり抜けてきた機械なんだと思うと何とも言い難いものを感じた。

そのあと、オアゾ2階にあるJAXAの広報施設である「情報センターJAXAi」に寄ってみた。グッズショップも兼ねていて、1階で見学を終えたのだろう、小学生ぐらいの子どもを連れた親子連れが多かった。
一番奥のコーナーには、小さいけれども、今回、「はやぶさ」が着陸したジャガイモ(男爵いもでなくメイクィーン)のような形の小惑星イトカワの立体模型があった。(これは、カプセル公開中は、カプセルと一緒に1階の特設展示場で公開した方が、見る人にはより臨場感が出たのではないかという気がする。1階の展示を見た人全員が、2階の「JAXAi」まで、足を運ぶ訳ではないだろう)

また、入り口近くには、オーストラリアでのカプセル回収の際の撮影された燃え尽きる「はやぶさ」が鮮やかな光を放ちながら、星空を斜めに落ちていく最後の姿を写したパネルも展示されていた。
私は、何か「はやぶさ」の記念になるグッズがほしいと思い、直方体のガラスの中に「はやぶさ」の姿が彫り込まれたペーパーウエイトを買ってきた。

余談だが、帰って来てインターネットいろいろと検索していたら、今年4月の民主党の事業仕分け第2弾の際に、この「情報センターJAXAi」は廃止と判定され、年内には閉鎖の方向ということらしい。さて、今回の「はやぶさ」の快挙でその扱いがどうなるのか、ちょっと興味がある。

はやぶさ―不死身の探査機と宇宙研の物語 (幻冬舎新書)
はやぶさ―不死身の探査機と宇宙研の物語 (幻冬舎新書)

小惑星探査機 はやぶさの大冒険
小惑星探査機 はやぶさの大冒険

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山根一眞著『小惑星探査機 はやぶさの大冒険』(マガジンハウス刊)、興味をひく出版秘話

幻冬舎新書の吉田武著『はやぶさ』を読んで、遅ればせながらのにわか「はやぶさ」ファンとなった。

はやぶさ―不死身の探査機と宇宙研の物語 (幻冬舎新書)
はやぶさ―不死身の探査機と宇宙研の物語 (幻冬舎新書)

しかし、幻冬舎新書は2006年11月刊であり、扱われているのは小惑星イトカワとのランデブーに成功し、当初の予定とは違ったもののイトカワに着陸、着陸したものの、その直後の2005年12月9日に音信不通となったところで、本文がいったん終っている。
イトカワとのランデブー中に撮影からイトカワの写真からも多くの発見があり、科学雑誌サイエンスへの発表で世界から絶賛されたことだけでも語る価値はあるという締めくくりだったと思われる。
その後、再び「はやぶさ」の通信が2006年1月23日に回復。出版準備の最終段階で、エピローグとして、宇宙研のメンバーの必死の努力で満身創痍の「はやぶさ」を何とか復活させ、地球に戻る航路をセット、2007年だった帰還予定が2010年6月と決まったところで、終っている。
しかし、地球に戻る旅を始めた「はやぶさ」は、その後も電子エンジン(イオンエンジン)がすべて止まるという危機に見舞われているのだ。

地球への帰り道での危機脱出の顛末も詳しく知りたいと思い、他の「はやぶさ」関連本を改めて書店で探してみた。世の中でこれだけ騒がれているので、関連する本が沢山出されているだろうと思っていたが、意外に少ない。
写真やイラストがメインのビジュアル中心の図鑑・雑誌的な『ニュートン』の別冊のようなものは何冊かあるが、読み物中心のものは、山根一眞著『小惑星探査機 はやぶさの大冒険』(マガジンハウス刊)ぐらいだった。

小惑星探査機 はやぶさの大冒険
小惑星探査機 はやぶさの大冒険

はやぶさ関連本が少ない理由は『小惑星探査機 はやぶさの大冒険』の「あとがき」に山根一眞自身が書いていた。

私は、1990年代初頭に、純国産のH-Ⅱロケット開発者で「ロケットの父」と呼ばれるようになった五代富文さん(のちにNASDA副理事長)の薫陶を受けて、宇宙取材に力をいれるようになった、。「はやぶさ」については宇宙科学研究所教授の的川泰宣さん(現・名誉教授)との出会いがきっかけで、2003年の打ち上げ前からチームの技術者や科学者との対談を始めていた。これほど見事で誇り高い仕事はないと直観したからだった。もっとも、インターネット上でも「はやぶさ」に関する書き込みは、長いこと技術に明るい人たちのものに限られていた。それだけに難解な宇宙技術のかたまりである「はやぶさ」のことを一般向けの本として出版する理解は得られず、私自身、半ば諦めていた。だが、記録だけはとり続けなくてはならないという思いで、宇宙科学研究所への取材は続けていた。(『小惑星探査機 はやぶさの大冒険』297~298ページ)

いまでこそ、多くの人が関心を持つ「はやぶさ」プロジェクトだが、それは数々の苦難を乗り越えて、小惑星イトカワまで往復60億キロを7年かけて、帰ってきたというかつてヒットしたSFアニメ『宇宙戦艦ヤマト』さながらの物語が、人の心を惹きつけるからだろう。これが、地球への帰り道、イオンエンジンの不調が回復せず、そのまま宇宙の放浪者となっていたら、いくらそれまでの学術的業績が素晴らしくとも、ここまで騒がれることはなかっただろう。

著者は、今年(2010年)1月に宇宙研での取材の帰り、マガジンハウスのなじみの編集者から電話を受ける。「はやぶさ」とは関係のない本の話である。

「今、宇宙研の帰りなので・・・・・・」と答えたところ、「それ、何ですか?」と聞かれたので、私は「はやぶさ」のすごさをまくしたてた。彼は「はやぶさ」のことは何も知らなかったが、「すぐ本にしましょう!中学生でもわかるやさしい内容で書いて下さい!」といきなりいわれた。(『小惑星探査機 はやぶさの大冒険』298ページ)

一冊の本が世に出るまでにもドラマがあるものだ。『小惑星探査機 はやぶさの大冒険』は、著者山根一眞のこのプロジェクトは、多くの人に伝えるべき事だというジャーナリストとしての熱意と地道な取材が最後になって結実した本である。
引用した「あとがき」にもあるように、本書には2003年の打ち上げから始まって以来、「はやぶさ」が学問上の業績を残したり、危機に遭遇したりする都度、宇宙研から発表されたプレスリリースや、またそれぞれ事案にいて宇宙研で担当する学者や技術者対する著者自身のインタビューを、著者自身も「はやぶさ」の一ファンとして、「わくわく、はらはら、やきもき」した思いが、ぎっしりと詰め込まれている。

「はやぶさ」プロジェクトの7年間の貴重な記録として、のちのちまで残っていく本になるのではないかと思う。

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2010年8月17日 (火)

小惑星イトカワの探査機「はやぶさ」の軌跡を語った幻冬舎新書『はやぶさ』を読む(2)

前回は、幻冬舎新書『はやぶさ』(吉田武著)の内容のうち、宇宙科学研究所(略称=宇宙研、ISAS)を中心としたロケット開発小史を語ったところで、力尽きてしまったが、本来の話の中心は、その宇宙研が進めたきた探査機「はやぶさ」を小惑星イトカワへ送り、イトカワのサンプルを採取して地球に帰還するというプロジェクトの意義である。

はやぶさ―不死身の探査機と宇宙研の物語 (幻冬舎新書)
はやぶさ―不死身の探査機と宇宙研の物語 (幻冬舎新書)

2003年の「はやぶさ」打ち上げに成功した直後、プロジェクトマネジャーである宇宙研の川口淳一郎教授は、加点法による「はやぶさ採点簿」を公開したという。

電気推進エンジンの稼働開始(3台同時は世界初):50点
電気推進エンジンの1000時間稼働:100点
地球スウィングバイ(電気推進によるものは世界初):150点
自律航法に成功して「イトカワ」とのランデブー:200点
「イトカワ」の科学観測:250点
「イトカワ」にタッチダウンしてサンプルを採取:300点
カプセルが地球に帰還、大気圏に再突入して回収:400点
「イトカワ」のサンプル入手:500点
(吉田武著『はやぶさ』45ページ)

ここでの採点項目には、ハードウェアとしての探査機「はやぶさ」の性能についての項目とその「はやぶさ」を使って小惑星「イトカワ」についての科学的観察の成果の2種類が含まれている。
プロジェクトが、機械と観察という2つの別体系の目標をあわせもつところが、工学系研究者と理学系研究者がペアで研究・開発を進める「宇宙研」ならではのものだろう。

そして、この採点簿は500点満点ではなく100点満点の評価という。電気推進エンジン1000時間稼働を達成できれば、それだけでもプロジェクトは成功といえるということで、さらに加えて、いくつもの難易度の高い目標を複数抱えるプロジェクトであるということだ。

「はやぶさ」は太陽電池のパネルを持ち、太陽の光をエネルギー源にして、4機(1機は予備)イオンエンジンで推力を得る。そのエンジンがどれだけ耐久性があるかが採点簿の1番目、2番目である。
しかし、太陽電池パネルで得られるエネルギーはわずかで、少しでも推進力を得るために地球の引力を利用するのが3番目の「地球スウィングバイ」ということのようだ。地球というハンマー投げの選手に「はやぶさ」というハンマーを投げてもらうというイメージを持ったのだが、正しい理解なのかどうか自信はない。
その後は、小惑星イトカワまでたどり着き、イトカワの観察を行い、イトカワに着陸してサンプル採取、地球に帰還ということになる。

サンプル採取については、サンプラー・ホーンという筒から弾丸を発射し、舞い上がった粉塵を採取するという本来の意図した方法は成功しなかったようだが、それでもはやぶさ本体は2005年11月20日にいったんイトカワに着陸したことは確実で、その着陸の際に舞い上がり、吸い込んだかもしれないイトカワの微粒子がカプセルの中に存在するかどうかということになる。

結果としては、この課題・目標のほとんどをクリアしたことになる。カプセルの中に存在したという0.01mm微粒子2個がイトカワ由来のものであれば、100点満点の500点になるのだが、どうだろうか。

なお、科学的な観測の成果としては、2006年6月2日号に米国の科学雑誌サイエンスに宇宙研のはやぶさチームで書いた小惑星イトカワについての7本の論文が同時掲載され、その号は「はやぶさ特集号」となったという。
さらに、持ち帰った2個の微粒子が、イトカワ由来のもので、更なる研究成果が認められることをいのるばかりだ。

「はやぶさ」プロジェクトに興味のある方は、一読する価値のある本だと思う。

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2010年8月16日 (月)

小惑星イトカワの探査機「はやぶさ」の軌跡を語った幻冬舎新書『はやぶさ』を読む

2003年5月9日に打ち上げられた日本の惑星探査機はやぶさ。数々の苦難を乗り越えて、小惑星イトカワへの探査飛行を終え、2010年6 月13日、イトカワのサンプルを採取したかもしれないカプセルがオーストラリアの砂漠に戻ってきた。丸の内でも、このカプセルが展示され、多くの人が訪れたという。

日本から打ち上げられた探査機が、火星と木星の間の小惑星群の中の一つに狙いを定めて、そこに降り立ち、または地球まで戻ってきたということだけで気が遠くなるような話だが、その間には、一時地球にある管制室と通信が途絶え行方不明になったり、エンジンがほとんど使えなくなったりと、数々のトラブルが発生し、その都度、管制室のスタッフが知恵を絞って、はやぶさに備わる他の機能で代替する解決策を考え出し、地球までたどり着いたという。

「ネット上では、一部のファンの間で話題になってきて、みんな何とか地球まで戻って来いと応援しているだよ」と長女から話を聞いたのは、6月に入ったばかりの頃だったろうか。「へー、そうなんだ」と話半分で聞いていたが、ほどなく、オーストラリアにカプセルが帰還し、マスコミでも一斉に報じられるようになった。

いったいどれほどの偉業なのか、おそらくは、北京オリンピックで日本男子400mリレーが銅メダルを取ったとよりも凄いことなのだろうが、私のような文系の人間に今ひとつピンとこない。
なにか、いい解説書でもないかと思っていたときに、書店に並べられていたのが、この幻冬舎新書『はやぶさ』(吉田武著)である。サブタイトルに「不死身の探査機と宇宙研の物語」とある。今回の帰還のタイミングに合わせて、急所、出版されたのだろうと思っていたが、読み終わってから改めて奥書を見ると2006年11月第1刷、2010年7月第3刷となっており、今回の帰還を受け、急遽増刷されたようだ。

はやぶさ―不死身の探査機と宇宙研の物語 (幻冬舎新書)
はやぶさ―不死身の探査機と宇宙研の物語 (幻冬舎新書)

この本では、単に「はやぶさ」の軌跡をたどるだけでなく、戦後日本の宇宙開発・ロケット開発の小史が語られた上で、これまでの成功のみならず数々の失敗も含めたプロジェクトの地道な積み重ねの上に、「はやぶさ」プロジェクトの成功があることが語られている。
そして、戦後の日本のロケット開発の先駆者・推進者として語られるのが糸川英夫である。今回の「はやぶさ」が探査した小惑星が「イトカワ」と名付けられたのも糸川英夫へ敬意を表したものだし、探査機の「はやぶさ」という名前も、糸川英夫が戦時中、中島飛行機の技術者として開発した一式戦闘機が「隼」と呼ばれたことが由来の一つになっている。

この本を読んで、日本の宇宙開発について、いかに知らなかったが痛感した。
まず、体制として糸川英夫が率いた東京大学宇宙航空研究所(のちに文部省所管宇宙科学研究所)を中心とした旧文部省系の流れと、旧科学技術庁系「宇宙開発事業団」を中心とした流れがあったこと。文部省系と科学技術庁系に分かれていることは知っていたが、二つに分かれることになったのかは、知らなかった。
糸川英夫を中心とした東大宇宙研の研究者たちは、自主開発にこだわり、最初の実験ペンシルロケットの時代から、燃料は固形燃料であること。彼らが、ロケット発射の実験場としているのが、鹿児島の内之浦であること。宇宙研での研究・開発は、常に、地球や宇宙について研究する理学系の研究者と、ロケットや探査機を開発する技術者である工学系研究者が一体(ペア・システム)となって行われ、他国にも例のないこと。
一方、旧科学技術庁の流れは、米国から技術導入をした液体燃料ロケットでの実験・打ち上げを行い、その拠点が「種子島宇宙センター」であること(私は、内之浦が手狭になったので種子島に移ったのだろうなどと、確かめもせず思いこんでいた)。なお、宇宙飛行士の募集は、旧「宇宙開発事業団」は始めた仕事である。
(しかし、いまや、中央省庁の再編で、文部省と科学技術庁は文部科学省となり、両者の流れは、JAXA「宇宙降級研究開発機構」として統合された)

「はやぶさ」プロジェクトは、東大宇宙航空研究所の流れを引き継ぐ宇宙科学研究所で生まれた極めて独創的なプロジェクトである。
この話を読むと、学問の世界では、世界初にこそ意味があること、日本の限られた予算の中で、それを成し遂げるには、いかに創意工夫をし、他国が手掛けないけれど、研究開発として意味のある分野を狙うのかといった研究のための戦略も必要になってくる。
それらのすべてが詰まったプロジェクトが「はやぶさ」プロジェクトである。
現在、大臣となった某議員が事業仕分けであるプロジェクトに対して問いかけた「2番じゃだめなんですか?」という質問には、ほとんど意味がないことがわかる。

長くなったので、「はやぶさ」プロジェクトについての感想は、改めて書くことにする

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2010年8月12日 (木)

第23期竜王戦挑戦者決定三番勝負は、羽生善治名人対久保利明二冠(棋王・王将)の対戦に

第23期竜王戦の挑戦者決定トーナメントも、いよいよ準決勝を迎え、トーナメント表の左の山は、郷田真隆九段(1組5位)を降した久保利明二冠(1組4位)が、1組優勝で準決勝で初登場となる丸山忠久九段に挑む。
右の山では、2組優勝の藤井猛九段を破った羽生善治名人(1組3位)と、三浦弘行八段(2組2位)、松尾歩七段(1組2位)を連破した3組優勝の阿久津主税七段の対戦となった。

2010年8月9日(月)に行われた丸山九段vs久保二冠戦は、後手の久保二冠の三間飛車に対し、先手で居飛車党の丸山九段も三間飛車で対抗するという珍しい展開に。丸山九段は、久保玉を上部から押さえ込む作戦か7筋から9筋までの位を取ってその下に飛車・角を控えさせ、突破を狙う。しかし、そちらに手数をかけた分、丸山玉の守りは金無双と呼ばれる上からの攻めには弱い簡単な囲いに。
丸山九段の一瞬の疑問手に久保二冠が攻勢に出て、あれよあれよとい間に、丸山玉を守っていた金銀が引き離され、丸山玉は丸裸となった。ほどなく、丸山九段が投了。70手の短手数だった。

丸山vs久保戦の棋譜

もう一方の準決勝、羽生名人vs阿久津七段戦は、昨日(2010年8月11日水曜日)行われた。
振り駒で羽生名人の先手。後手の阿久津七段はゴキゲン中飛車を採用。お互い玉の守りを固めないうちの開戦となり羽生名人はと金を作り、阿久津七段は馬を作り、飛車・角が動きまわる展開となったが、羽生玉の玉頭を守るの桂馬を阿久津七段が桂打ちで狙い、羽生名人がその桂馬を下段に桂馬を打って守るという展開になり、それが繰り返される千日手となって指し直しが決まった。

羽生vs阿久津戦の棋譜(千日手局)

指し直し局は先後を入れ替え、阿久津七段の先手。羽生名人が角交換をし、阿久津七段側は腰掛け銀に構える。羽生名人は、棒銀から端攻めを仕掛け、銀香交換で駒損となるも、△9五の香車が残る。さらに、持ち駒にした香車を△5四香と打って、阿久津陣の攻めの中心として腰掛けで▲5六にいた銀を取り、その銀を囮に玉を動かし王手飛車。攻めの主力飛車を取られては阿久津七段も苦しい。一矢、報いようと王手はかけるも、いまや形作り。羽生玉を詰ます手も続かず、無念の投了となった。

羽生vs阿久津戦の棋譜(指し直し局)

これで、渡辺竜王への挑戦権を争う挑戦者決定三番勝負は、羽生名人(棋聖・王座)vs久保二冠(棋王・王将)の対戦となった。あわせて五冠を保有する2人のどちらが、渡辺竜王に挑戦するのか。
羽生名人が挑戦してタイトル奪取に成功すれば、一昨年実現できなかった永世竜王位を得て永世七冠が確定する。
久保二冠が名乗りを上げ、タイトル奪取となれば三冠となり羽生名人と同じ三冠となる。三番勝負の第1局は8月16日(月)に行われる。

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2010年8月 9日 (月)

安彦良和著『虹色のトロツキー』愛蔵版全4冊を一気に読み上げる

先週、ようやくこの半年くらい絶え間なく続いていた仕事が一段落したのと、先週が土曜日まで飲み会が続き、とても昨日1日で回復できそうになく、今日は一日休暇をとった。

せっかくの休みなので、先月買ったままで、ほとんど手つかずのままおいていた安彦良和著『虹色のトロツキー』愛蔵版全4冊(双葉社)を、1日かけて読み上げた。

虹色のトロツキー愛蔵版1
虹色のトロツキー愛蔵版1

虹色のトロツキー愛蔵版2
虹色のトロツキー愛蔵版2

虹色のトロツキー愛蔵版3
虹色のトロツキー愛蔵版3

虹色のトロツキー愛蔵版4
虹色のトロツキー愛蔵版4

『虹色のトロツキー』は建国まもない満州国を舞台に、日本人の父とモンゴル人に母を持つ青年ウムボルトが時代に翻弄されながら生き、戦う姿を描いた作品だ。

作者の安彦良和はアニメーターとして「機動戦士ガンダム」のキャラクターデザインを担当したことでも知られるが、今回の『虹色のトロツキー』愛蔵版4の巻末に収録されているインタビューでは、

「昭和天皇が死んだ年にアニメを辞めました。(中略)今度は、多少売れなくても、自分の好きなことをやっていこうと踏ん切りもついていました」(『虹色のトロツキー』愛蔵版第4巻526ページ)

と語る通り、1990年代に入ってからは、漫画家として多くの作品を発表しており、この『虹色のトロツキー』も1990年11月から1996年11月まで6年に渡り『月刊コミックトム』に連載されたものである。

安彦作品には、歴史を題材に取り上げたものが多くあり、一時期、特に古代史に凝っていた頃、日本の古代史・古事記に取材しで古事記巻之一『ナムジ』(大国主命が主役)、古事記巻之二『神武』(神武天皇が主役)、古事記巻之三『蚤の王』(野見宿禰が主役)のシリーズを中公文庫コミック版で読んだ。

ナムジ―大国主 (1) (中公文庫―コミック版)
ナムジ―大国主 (1) (中公文庫―コミック版)

神武―古事記巻之二 (1) (中公文庫―コミック版)
神武 (1) (中公文庫―コミック版)

蚤の王―野見宿禰 (中公文庫―コミック版)
蚤の王―野見宿禰 (中公文庫―コミック版)

記紀神話と満州国については、本人の中で一つの共通軸で意識されていたことが、『虹色のトロツキー』愛蔵版4の巻末インタビューでは語られている。

「戦後民主主義にとっての二つのタブーとして、古代神話と満州があってどちらもナショナリズムと結びついているんです。そのタブーを全面否定でない形で扱おうとすると、民主的でないから触れるべきではないとされてしまう。(中略)『ナムジ』と『虹色のトロツキー』は、はじめて書きたいものを書いた作品だったんです。」(『虹色のトロツキー』愛蔵版第4巻526ページ)

古代記紀神話は、忌むべき皇国史観の裏付けであり、満州国はその実践であるということで、戦後民主主義にとっては思い出したくない過去の遺物といことになるのだろう。しかし、何も知らせない、教えないということが本当によいのかとつい考えてしまう。
古事記が語る古代史の中にもひとかけらの真実は隠されていると思うし、満州国のありようについても、本来、きちんと総括する必要があるはずである。

『虹色のトロツキー』は、主人公ウムボルトこそ作者の創作の産物であるが、主人公を巡る人びとの中には、石原完爾、辻正信、甘粕正彦、川島芳子、尾崎秀実など多くに実在の人物が登場する。
作者はインタビューの最後に次のように語る。

「明らかに問題ある人物を除いては、皆なにがしかずつ正しくなにがしかずつ間違っていたというわけです。その人が好むと好まざるとにかかわらず立たざるをえなかった立場や、自己形成の過程で引きずってきてしまっている観点というものがあって、そういう人たちの寄り集まりが、この世の中なんです。ある立場の人たちの陣営と、違う人生の人たちの集まりがあって、どちらが正しいか間違っているかといことを判断することは、所詮できないのです。」(『虹色のトロツキー』愛蔵版第4巻528ページ)

真珠湾攻撃で日本が日米開戦の泥沼に入りこむ前の歴史とて、すべてが必然ということではないだろう。

知の巨人・超人と言われる松岡正剛が現在、丸の内丸善本店4階に松丸本舗という松岡書店ともいうべきコーナーを設けていて、それをテーマに『松岡正剛の書棚』という解説本が出され、その中で松丸本舗に収められている古今東西のお勧め本が紹介されている。
本書『虹色のトロツキー』はその中(115ページ)でも「安彦良和の傑作中の傑作」として紹介され、さらに「半藤一利の『昭和史』を読んで面白いと思った読者はぜひ読んでもらたい」と書かれている。
『虹色のトロツキー』から『昭和史』へ遡ってみるのも面白いのではないかと考えている。

松岡正剛の書棚―松丸本舗の挑戦
松岡正剛の書棚―松丸本舗の挑戦

昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー)
昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー)

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2010年8月 4日 (水)

橋本治著・文庫版『双調平家物語』全16巻をとうとう読み終わる

昨日の朝の通勤電車の中で、中公文庫版『双調平家物語』の最終第16巻をとうとう読み終わった。

双調平家物語〈16〉落日の巻(承前)潅頂の巻 (中公文庫)
双調平家物語〈16〉落日の巻(承前)潅頂の巻 (中公文庫)

中央公論新社による単行本の最終巻第15巻が刊行されシリーズが完結したのが2007年10月。文庫版の刊行開始が2009年4月。毎月1巻が刊行されるペースで、先月(2010年7月)、文庫版の最終第16巻が出て、文庫版も完結した。

私自身は、2009年8月に、著者橋本治自身が『双調平家物語』のスピンオフと語る『日本の女帝の物語』(2009年8月刊)をまず読み、これが格好の入門書となった。同書の後書きで著者が語った以下のコメントは、そのまま『双調平家物語』のあらすじになっている。

「私にしてみれば、日本の古代というのは、「女帝の時代」があり、「摂関政治の后の時代」となり、「男の欲望全開の院政の時代」となって、そして「争乱の時代」が訪れるという、三段あるいは四段構えになっているのですが、「平家の壇の浦で滅亡するまでの平家の物語」ということになると、このすべてが一まとめになって、ひたすら「長い長い物語」にしかなりません。それで、こういう『日本の女帝の物語』を書いたのです。」(『日本の女帝の物語』214~215ページ)

その後、2009年10月に本編といえる文庫版『双調平家物語』を読み始めた。その時点では、6冊ほど既刊があったが、ほどなく既刊は読み終え、毎月下旬に刊行される中公文庫版の新刊が出ると買い求め、1週間ほどで読み終え、次の新刊を待つということを繰り返した。とうとうその長い道のりも終った。

橋本治の凄いところは、歴史上の出来事を書くにあたって、常にその時代に身をおいてその時代の視点で時代を眺め、考えて、書いている点である。後世の我々は日本の歴史を学び、平安時代の末期の朝廷で平家一門が隆盛し、壇ノ浦で滅びたことも、源頼朝が征夷大将軍に任じられ鎌倉幕府を開いたことも知っていて、あたかもそれらを歴史上の必然、避けがたい出来事のように思いがちだが、それは結果がわかっているからそう思うだけで、その時代を生きた人びとは、自分たちの行動の結果が、どのような結末に繋がるか知るよしもない。

常に、その時代を生きた人びとの視点で描いていくと、結果的にその時代の空気、雰囲気のようなものが、醸し出されることになる。読んでいて、目から鱗が落ちるような思いを何回もした。
例えば、最終16巻では、平家との戦いに勝利した源頼朝が鎌倉に在って、朝廷に対し征夷大将軍の地位を望むものの、時の最高権力者「後白河法皇」は、決してそれを認めない。頼朝が征夷大将軍に任ぜられるのは、後白河法皇の死後のことである。日本史の教科書で、「1185年に壇ノ浦戦いで平家が滅び、1192年の源頼朝が征夷大将軍に任じられ鎌倉幕府を開いた」ということを学んだだけでは、わからない部分である。
そこには、時としてその地位を脅かされながらも、結局は最高権力者として君臨し、配下の貴族や武家の誰かが突出した権力を握ることを良しとせず、常に「夷を以て夷を制す」を実戦してきた後白河法皇の姿が垣間見える。
摂関家藤原氏に専横には、平清盛を筆頭に平家を重用し牽制する。平家一門がその分を忘れ法皇を疎かに扱えば、源氏を牽制に使う。木曽義仲が都入りし、横暴と思えば、源頼朝を用いる。頼朝が強大になりすぎたと思えば、弟の義経に頼朝を討たせようとするという具合である。

平清盛の哀れは、藤原氏への当て馬として後白河法皇に登用されたに過ぎないのに、法皇の寵愛を疑うことなく、それに踊らされたことと作者橋本治は解釈している。平安時代末期の争乱の時代の影には、つねに後白河法皇の姿があり、貴族、武士の多くがその手の踊らされていたに過ぎないのだ。

しかし、その後白河法皇も永遠ではない。後白河法皇が66歳で薨去ののち、孫に当たる後鳥羽天皇が即位する。
平家滅亡の壇ノ浦では、幼少の安徳天皇を抱え清盛の妻二位の尼が海の身を投げる。三種の神器の一つ「草薙の剣」とともに。それは、二度と見つかることはない。
三種の神器のうち鏡は「知」、勾玉は「仁」、剣は「勇」とも言われるそうだ。剣が象徴する「勇」の裏付けは「力」。

『双調平家物語』は次のように締めくくられる。

「平家西走後、御位に即かれた後鳥羽院は、三種の神器のうち、宝剣を欠かれた帝だった。であればこそ、太刀作りにご執心でもあられた。「武は鎌倉に持ち去られた」と思し召された院は、そのお力を取り戻されたく思し召されて、「兵を挙げよ」と仰せ出だされたのである。
仰されるばかりで、院のおわしまされる都に、「力」と申し上げるべきものは、すでになかった。
二位の尼は、なにを思って、宝剣を腰に差したのか。お譲りのこともないまま、御位を失い給われた幼い帝を、なぜに抱き奉って、壇ノ浦の水へ飛んだのか。
清盛の妻はなにも語らない。清盛の妻が海に飛んだ時、王朝の一切は終っていたのである。」(中公文庫版『双調平家物語』339ページ)

16巻に渡る長い物語は、歴史に関心のなく、似たような多くの人名を読み分けるのが面倒と思う人には退屈な物語かもしれない。しかし、そこには、歴史のその時々と自らの夢という名の欲望を果たそうとして、生きた多くの人の生き様が詰まっている。読む価値のある物語だと思う。

ちなみに、『双調平家物語』は2008年11月に第62回毎日出版文化賞(文学・芸術部門)を受賞している。

<関連記事>
2010年2月12日:『双調平家物語』は橋本治が語る日本古代史論だと思う
2010年7月28日:中公文庫版『双調平家物語』(橋本治著)ついに完結

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2010年8月 1日 (日)

2010年第31回JT将棋日本シリーズ2回戦第1局は、郷田真隆九段が渡辺明竜王を破り準決勝進出を決める

昨日(2010年7月31日)、香川県のサンメッセ香川で行われたJT将棋日本シリーズ四国大会(2回戦第1局)は、シード棋士の渡辺明竜王に1回戦で久保利明二冠を破った郷田真隆九段が挑んだ。

渡辺竜王は、竜王位を獲得した翌年(2005年)の第26回以来出場辞退した昨年(第31回)を除きシード棋士として5回出場しているが、不思議なことにまだ勝ち星がない。
渡辺竜王自身が綴る「渡辺明ブログ」の29日の記事でも「悲願の初勝利を目指します」と書かれてるし、対局前の地元紙(四国新聞)のインタビューにも同様のコメントをしている。
また、「棋風が近く、相居飛車の激しい将棋になるだろう。(JT将棋では)3年前に一方的に敗れた。今回は自分のペースで指したい」と郷田九段との対戦について語ったという(四国新聞ホームページの記事より)

一方の郷田九段は、王位タイトル獲得の翌年(1993年)の第14回大会の初出場で初優勝。王位タイトルを失冠した翌年第15回は前回覇者として出場して優勝。続く第16回も優勝し、日本シリーズ3連覇を達成。この3連覇の記録は未だに破られておらず、日本シリーズの「申し子」(四国新聞ホームページの記事より)との異名もある。
本人もシリーズとの相性のよさを意識しているのか「早指しは割と好き。公開対局で観客が大勢いることも良い緊張感を維持できる要因」と語っているようだ(四国新聞ホームページの記事より)。
3連覇の後も、第26回(2005年)、第27回(2006年)と2年連続で決勝戦まで進んでいるが(いずれも準優勝)、第28回の佐藤康光棋聖(前回優勝)との2回戦で二歩を打っての「反則負け」のあとは、第29回・第30回と初戦で敗れ、「申し子」もここ3年ほどはやや精彩を欠いていた。
渡辺竜王との対戦については、「あっという間に第一人者になった。だが先輩として負けられないという思いは当然ある。いい対局をお見せしたい」と語ったと伝えられている(四国新聞ホームページの記事より)。

四国新聞ホームページの記事:JT将棋日本シリーズ/きょう高松で2回戦第1局

今回の対局の結果について、主催者である日本たばこや将棋連盟のホームページでの公式なは発表はまだないが、31日付の「渡辺明ブログ」では「負けました。後手番の相掛かりからいきなり終盤戦になる激しい展開。この折衝で形勢を損ねて後は粘ってはみたものの、あまりチャンスがありませんでした。」とのコメントが書かれている。

郷田九段は勝って、日本シリーズ4年ぶりの準決勝進出。竜王戦決勝トーナメントで久保二冠に敗れて、イーブン(5勝5敗)となっていた今期の成績も、これで一つ勝ち越し。
次の対局は、8月5日の棋王戦挑戦者決定トーナメントで予選から勝ち上がりの稲場陽四段を迎え撃つ。これからは連勝を続け、勝率を6割台には戻してほしいところだ。

一方、日本シリーズの次の対戦相手は、来月28日に静岡で行われる2回戦第2局、前回覇者谷川浩司九段vs山崎隆之七段(1回戦で丸山忠久九段に勝利)の勝者。
この勝者と名古屋で戦う10月に準決勝にも勝って、11月に東京体育館での行われる決勝戦の公開対局で、優勝する姿を目の当たりにしたいものである。

<2010年8月1日午後2時追記>結果が、地元四国新聞ホームページで伝えられた。

四国新聞ホームページの記事:郷田九段、準決進出 渡辺竜王破る/高松でJT将棋

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