2011年の初夢はラグビーでトライする夢だった
2011年を迎えて1月2日の夜から3日の明け方にかけて、初夢を見た。おぼろげに覚えているのはラグビーをしていたことだ。
密集から抜け出して、相手ゴールにボールを持ち込み、倒れ込んでトライ。審判がすぐにはトライを認定してくれず、再度ダウンボールをしてアピールし、トライが認められた。
そんな夢だった。トライが認められたところで、目が覚めた。
なぜ、ラグビーの夢なのか。1月2日は全国大学ラグビーの準決勝があるが、昨日はそのTV中継を見たわけではない。最近見たのは、昨年末の関東大学ラグビーで慶応が早稲田に10年ぶり勝った試合だけだ。
高校、大学とラグビー部に籍を置いたこともない。中学から大学まで陸上部に在籍し、短距離とハードルが専門だった。自分にとって唯一のラグビー経験が高校での体育の授業と球技大会(クラスマッチ)である。私のいた高校は比較的ラグビーが盛んで、一度だけだが、花園での全国高校ラグビーに出場したこともある。
それもあってか、高校2年の下期の体育の授業で、ラグビーを教えられた。その、結果を試すのが、秋に行われる球技大会。クラス対抗なので「クラスマッチ」と呼ばれていた。2年の秋の大会の男子の種目はラグビーだった。男子クラスだった我がクラスからは2チーム出場。私は陸上部で短距離を走っていたこともあり、走力を期待され、左ウィングのポジションを与えられた。私のクラスには、その時のラグビー部のキャプテンがいて、私のチームは彼が中心だった。
しかし、いくらラグビー部のキャプテンがいるとはいえ、他のメンバーはほとんど素人。正直なところ、攻撃の際に、きれいにラインができて、スタンドオフ、センター、ウィングへのボールが回ることなど、まれである。だから、試合中、私のところまで、ボールが回ってくることはほとんどなかった。
ところが、球技大会の1回戦でそのまれなことが起きた。相手ゴール前で、右サイドでスクラムが組まれ、左サイドに展開したラインにボールが回った。私の手前の左センターの選手がボールをノッコン(前に落とす)したように見えた。しかし、審判からは見えなかったのか、笛はならず、落としたボールがうまくバウンドして懐に入ったセンターから私にパスが回ってきた。パスを受けた時は、既に、ラインの末端で走ってきていて加速もついており、ゴールラインは目前だった。
タックルを仕掛ける敵を華麗なステップでかわしながら走るのは得意ではないが、ゴールに向けて真っ直ぐ走るのは陸上部の得意とするところ。無我夢中で、ゴールラインを目指し、ボールを抱えて倒れ込んだ。「トライ」の笛がなった。放心状態の私は、次のゴールキックのため、トライしたボールを持って帰ってくることなどすっかり忘れ、「おい、ボール」とキャプテンに言われて我に返った。
1回戦は、このトライだけが得点で4対0で勝利。そこから、あれよあれよと勝ち進み、決勝まで勝ち残った。決勝は引き分けで、両チーム優勝となった。
その後の試合で、私のところに再びトライできるようなボールが回ってくることはなかったが、素人の球技大会での疑惑?のトライとはいえ、人生最初の(そしておそらく最後の)トライの何とも言い難い感触は忘れることはない。
ラグビーで「トライ」をすること、それはまさにひとつの目標を達成することである。「トライ」が成功するためには、トライを決めた選手だけでなく、そこまでボールを繋いだ多くの選手の的確な状況判断とパスがあってのものである。
50歳で迎えた、2011年の新年に「トライ」をする初夢を見たというのは、40代の「中年クライシス」の中で、もがき苦しみながら続けてきたことに、多くの人のサポートもあって、ひとつの結果が出るといことだろうか?
「初夢」が「正夢」になるように、結果を出す1年にしたいものだ。
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