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2011年1月 4日 (火)

2011年の年初に、2010年を振り返る

少し遅くなったが、2010年を振り返ってみようと思う。波乱のうちの幕をあけた1年だったが、春以降は、特に事件もなく終った1年だったように思う。

波乱は、田舎で一人暮らしをする私の母である。2008年の暮れから、この母に振り回されてきた。2008年12月の暮れに、足が痛くで動けな妻のところに電話があり、とりあえず、妻がすぐ帰省。私も追っかけで帰省し、結局、とても一人で暮らせる状況ではなかったので、東京の私の家まで連れて来て、約4ヵ月半の同居生活。典型的な高血圧だった。2009年のGW明けに本人も希望したので帰省。ヘルパーや弁当の配達を手配し、何とか一人でも暮らせる体制を整えた。ほっと、一息と思ったのもつかの間。
2009年の暮れには、その一人暮らしの母が、救急車で病院に運ばれたと連絡があった。あとで話を聞くと、一瞬、気分が悪くなったので、救急車を自分で呼んだということらしかった。幸い、大事には至らず、検査入院を兼ねて年末年始を病院で過ごし、退院。しかし、放っておくわけにもいかず、成人の日を挟んだ連休で帰省。
母が散らかした部屋の掃除をして、近くの病院やご近所に挨拶をして戻ってきた。

実は、2010年は次女の大学受験と長男の高校受験の年。もうすぐ、入学試験という年末年始に母の入院だった。幸い、次女は第二志望の補欠合格、長男は第一志望の都立に合格と結果オーライだったが、受験間近のトラブルに気をもまずにはいられなかった。

2人の子の受験が終ったあとは、それまでのドタバタが嘘のように、落ち着いた日常生活に戻った。

夏には、私の父の23回忌があり、家族全員で帰省。私の母は、今や全く掃除をしたり、片付けることが出来ず、年始の帰省の際に、掃除をしたにもかかわらず、家の中で再び掃除が必要な状態に。いつもは、私と妻だけで掃除をするが、この時は3人の子どもも動員して大掃除。

秋になって、私は天命を知るはずの50歳を迎えた。半年に1回、同窓会で顔を合わせる高校の同級生たちの多くが、50歳の節目を区切りとするように、新しいチャレンジに踏み出していったが、私自身は、まだ、自分の次のステージを見つけることはないまま、終えた2010年だった。

あえて言えば、現在の仕事の中での新たな課題として、「国際会計基準(IFRS)」が本格的に登場したので、それについて勉強を始めた事ぐらいだ。

嵐の後の、奇妙な静けさで終えた1年だった。

昨日(2011年1月3日)、家の近くの小さな神社に初詣に行き、おみくじを引いたが、なんと「末吉」だった。しかし、書いてあることは、必ずしも悪くはなくて「この人は雪にかがみし竹が春、雪とけてものごと立ち直るがごとく、一時はいろいろの苦労ありたれど、春にもなれば運が開いて立身すべし」とある。

いい春が迎えられるよう、1月、2月は目の前の課題をひとつひとつ解決していいくことに専念することにしよう。

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