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2011年1月の記事

2011年1月30日 (日)

サッカーアジアカップ、日本代表、耐え抜いて優勝をつかみ取る

日本時間で今日(2011年1月30日)の未明に行われたサッカーアジアカップの決勝。日本は延長戦の末、難敵オーストラリアを1対0で破って、優勝の栄冠を手にした。

YOUTUBEにアップされている決勝戦ハイライト

決勝トーナメントに入ってからは、準々決勝のカタール戦も、準決勝の韓国戦も、たまたま当日飲み会があって、TV中継を見るつもりでいながら、ちょっと横になったら朝まで寝入ってしまい、結果を翌朝のTVニュースで見て知った。どちらもタフなゲームだった。
予選でも格下のヨルダンに引き分けるなど、苦しんだ日本チーム。さらに、松井がけがで途中からリタイア。よくぞ、決勝まで勝ち残ったというのが正直な感想だ。

対するオーストラリアは、準決勝のウズベキスタン戦は6対0と圧勝。さらに、決勝までの5試合でわずか失点1。日本は、若きエース香川も韓国戦での骨折で決勝を前に離脱。楽観できる材料はほとんどない中、決勝を迎えた。

結局、前後半90分で決着がつかず延長戦へ。さらに延長前半も双方0対0で延長戦後半最後の15分を迎えた。

延長後半4分過ぎ、左サイドをドリブルで駆け上がった長友が、相手に競り勝ち、ゴール前にセンタリング。腰より少し高めのボールがオーストラリアゴール前に上がった。
再三、オーストラリアゴールを脅かした岡崎が長友の近くにいたこともあり、オーストラリアの守備陣は、岡崎のマークに注意が向いているようだった。
その裏で、長友のボールを待っていたのは、延長前半から前田に代えて投入された背番号19の李忠成。フリーでキーパーと対する形になった李は右足を軸に体を右に傾けて、空中を飛んでくる長友のボールをダイレクトに左足でボレーキック。朝のTVニュースの説明では、まるでサッカーアニメに出てくるような見事なシュートと言われた、矢のようなシュートがオーストラリアゴールの左上に突きささり、ゴールネットを揺らした。ゴールキーパーも呆然と見送るしかないような鮮やかなシュートだった。

その後、残り1分のオーストラリアの攻撃に、岡崎がボールを取りに走った際、手にボールが当たり、ハンドの反則。ゴール目前でオーストラリアのフリーキックとなった。日本は、ほとんどの選手が壁となって並ぶ。フリーキックのボールは壁に当たり、こぼれ、ゴール前に両国の選手が入り乱れたが、最後は日本が大きく左にクリア。同時に試合終了の笛がなった。

この試合をヒーローは間違いなく最後に決勝ゴールを決めた李だろうが、その前に延長含め120分、総じてオーストラリアの攻撃に押され気味な中、ゴールキーパー川島のファインセーブ、スーパーセーブが光った。

また、試合の流れを見たザッケローニ監督に采配も見事で、まず、前半、オーストラリアに主導権を握られ、日本らしい攻めができていないのを見て取ると、攻撃の藤本を下げ、守備に背の高い岩政を投入。そして、守備の長友を前に上げ、攻撃に投入した。
その結果、長友が左サイドから攻撃に参加する流ができ、自陣ゴール前ではオーストラリアの高さに対応できるようになり、押される一方だった試合の流れが少し変った。
そして、延長開始直後、攻撃のトップにいた前田を下げ、予選初戦のヨルダン戦以来の出場となる李を投入。
その2つの選手交代の采配が、最後に決勝点という形で結実した。

ザッケローニ・ジャパンのサッカーは見ていて面白い。これからのチームの成長が楽しみだ。

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2011年1月29日 (土)

郷田真隆九段、第59期王座戦二次予選と第24期竜王戦ランキング戦1組で勝利

昨年(2010年)暮れ12月21日に行われた第4回朝日杯将棋オープンの本戦1回戦、2回戦では、森内俊之九段と佐藤和俊五段を破って、今年(2011年)の2月12日に行われる有楽町朝日ホールでの準決勝の公開対局に進出した郷田真隆九段。準決勝の相手は羽生善治名人。郷田ファンの私は、500人の公開対局招待に迷わず応募した。

しかし、その後、昨年最後の対局となった三浦弘行八段との第52期王位戦挑戦者リーグ入りをかけた予選2組の決勝で敗れ、リーグ入りを逃した。また、今年最初の対局となった第69期A級順位戦7回戦の久保利明二冠(棋王・王将)との対戦でも、いいところなく敗れ、名人挑戦の可能性がなくなった。相手棋士も、現在、勢いのあるA級棋士、タイトルホルダーであり、簡単に勝てる相手でもないが、ちょっと残念な結果が続いた。

1月はその後、2011年秋のタイトル戦を目指した対局が続いた。

まず、第59期王座戦の二次予選。王座戦では第54期から第57期まで4年連続で16人で争う挑戦者決定トーナメントで戦い、第55期と第56期はともに準決勝まで進んだが、挑戦には至らなかった。第57期は挑戦者決定トーナメントの1回戦で藤井猛九段に敗れたためシード権(前期ベスト4が翌期のシード)を失い、第58期は二次予選からの登場となったが初戦で阿久津主税七段に敗れていた。
今期第59期も二次予選からの登場で、1月21日にB級1組在籍の実力派松尾歩七段と対戦した。内容はわからないが、将棋連盟HPによれば、先手郷田九段の勝利。次は、挑戦者決定トーナメント入りをかけて、橋本崇載七段と村山慈明五段の勝者と戦う。

次いで、第24期竜王戦のランキング戦1組の1回戦。昨年の第23期の1回戦、森内俊之九段戦では、寝坊で遅刻不戦敗との不名誉な記録を残してしまった郷田九段。今期の1回戦の相手は、A級在籍の木村一基八段である。対局は昨日(2011年1月28日)行われた。こちらも内容はわからないが、将棋連盟HPによれば、後手郷田九段の勝利。1組2回戦に進出するとともに、来期のランキング戦1組の地位もほぼ確保した。次の2回戦の相手は、三浦弘行八段。このところ、A級順位戦、先ほどの王位戦予選と大事な勝負で敗れており、今度はぜひ雪辱してほしいものである。

これで、2010年度の通算成績は33戦で20勝13敗。勝率0.6061と再び勝率を6割に戻した。

2月は2日にA級順位戦8回戦の一斉対局、12日に冒頭で書いた朝日杯将棋オープン準決勝と続く。
A級順位戦は6勝1敗トップを走る森内九段との戦い。今期まだ3勝4敗で残留が決まっていない郷田九段にとって、残る2戦(森内九段戦、谷川九段)を連勝し、5勝4敗と勝ち越しで残留を確保するとともに、来期の順位を一つで上げておきたいところ。
また、12日の朝日杯では、羽生名人との準決勝。もう一方の準決勝は渡辺明竜王と木村一基八段の対戦。いずれにせよ、4人の中から12日のうちに優勝者が決まる。2007年の第1回大和証券杯ネット将棋・最強戦の優勝以来、棋戦優勝から遠ざかっている郷田九段には、ぜひ4年ぶりの優勝を手にしてほしいものである。

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2011年1月15日 (土)

第69期A級順位戦7回戦終了、6勝1敗の森内俊之九段を5勝2敗の渡辺明竜王が追いかける

先週、将棋のA級順位戦の7回戦の5局が3日連続で行われた。

まず、2011年1月12日(水)が、丸山忠久九段(3勝3敗、今期順位4位)と三浦弘行八段(2勝4敗、同1位)の対戦。前期名人挑戦者で今期のA級順位1位の三浦八段はすでに4敗で連続挑戦はほぼ絶望的な状況。これに負けて5敗となると、残り2戦の結果次第では、名人挑戦の翌期に降級という不名誉な記録を作りかねない。一方、丸山九段が勝って3敗を守れば、プレーオフによる挑戦権獲得の可能性が残る。
先手丸山九段居飛車、後手三浦八段中飛車から丸山九段が快調に攻めたが、三浦八段の要所要所での受けの妙手もあり、詰みそうで詰まず、三浦八段が勝利。ともに3勝4敗となった。

1月13日(木)には、大阪で3勝3敗どうしの郷田真隆九段(今期順位7位)と久保利明棋王・王将(今期順位10位)の対戦。勝った方はプレーオフの可能性が残るが、負けた方は、お互い順位が下位だけに2勝4敗の棋士の成績次第では、一気に残留争い組に転落する。
先手久保二冠の三間飛車を居飛車で迎えうった郷田九段だったが、馬を2枚作った久保二冠が局面を終始リードし、本格的な戦いを迎える前に、郷田九段としては攻め手を欠く状況に陥り85手で投了。久保二冠の作戦勝ちといった将棋だった。郷田九段の今期のA級の戦いの中で最も不出来な内容だった。4勝3敗とした久保二冠は挑戦者レースに踏みとどまり、A級残留に大きく近づいた。郷田九段は挑戦者レースから完全に脱落。順位7位のポジションでの3勝4敗は残留に黄色信号が点滅しそうだ。

同じく13日、東京では5勝1敗でトップを走る森内俊之九段(今期順位3位)に、藤井猛九段(2勝4敗、同8位)が挑む。藤井九段は、今期の順位が下位であるため、3人いた2勝4敗グループの中でも最下位。おまけに、前日、三浦八段が勝って3勝4敗と星を伸ばしたため、勝っておきたい。
先手森内九段の居飛車、後手藤井九段の四間飛車で始まったが、57手で千日手が成立。先後を入れ替えて、指し直しとなった。相矢倉の展開で、藤井九段は自玉は森内九段の攻めをかわして入玉に成功、一方森内玉をほとんど追い詰めたに見えたが、246手の末のまさかの大逆転。森内九段は6勝1敗として挑戦者レースのトップを守った。森内九段が6勝目をあげたことで、7回戦終了時点で4敗した棋士には名人挑戦の可能性はなくなった。2勝5敗となった藤井九段は他の棋士の成績如何ではあるが、A級残留が厳しくなってきた。

さらに翌14日(金)。大阪で2番手につける4勝2敗の谷川浩司九段(今期順位6位)と2勝4敗の高橋道雄九段(同2位)の対戦。谷川九段は勝って挑戦権レースに踏みとどまりたい。高橋九段は負けると、これも残留に黄色信号。勝てば、順位が2位といいだけに一息つける。戦型は後手の高橋九段の注文を谷川九段が受ける形で横歩取りに進んだ。谷川九段が角交換から高橋陣に角を打ち込み馬を作ったが、この馬が封じ込められてうまく働かない。一方、高橋九段は飛車先の突破をにと金作りに成功した。その後、飛車交換から飛車を相手陣に打ちあうが、後手番横歩取りにスペシャリスト高橋九段の攻めがまさり、午後9時20分74手で谷川九段の投了となった。谷川九段は4連勝後の3連敗で6勝1敗の森内九段と星2つの差となった。高橋九段は大きな3勝目をあげた。

同じ14日、東京では、これも4勝2敗の渡辺明竜王と(今期順位9位)と、2勝4敗(同5位)の木村一基八段の対戦。2人の事情は、前の谷川九段、高橋九段と同様である。
先手木村八段の▲7六歩に対して、後手の渡辺竜王は堂々と△8四歩。6回戦では、角換わりの将棋となり用意していた新手が郷田九段の応手の前に敗れたが、今回も採用した。木村八段も、先手有利とされる角換わりを選択。木村八段は角打ちから「馬」を作ったが、渡辺竜王はその代償に飛車が木村陣成り込みに「竜」となった。その後は、渡辺竜王が攻めの主導権を握り、渡辺竜王が細い攻めをつなげ、木村八段が受けの妙手を出しなんとかそれをかわそうとする展開が続いたが、最後は渡辺竜王が木村玉を追い詰め、木村八段の投了となった。
渡辺竜王は5勝2敗と2敗を維持し、森内九段を1差で追う。一方、木村八段は2勝5敗となり、藤井九段と2人、7回戦終了時点で「降級圏(下位2名)」に名を連ねることになった。また、5敗者が2名となったため、5勝目をあげた渡辺竜王のA級残留も確定した。今期のB級1組からの昇級者である渡辺竜王の残留が決まったことで、前期からのA級在籍者8名のうち森内九段を除く7名の中の誰か1名は降級せざるを得ないことが確定した。

7回戦を終えた時点の成績は以下の通り。
6勝1敗:森内九段(今期順位3位)
5勝2敗:渡辺竜王(同9位)
4勝3敗:谷川九段(同6位)、久保二冠(同10位)
3勝4敗:三浦八段(同1位)、高橋九段(同2位)、丸山九段(同4位)、郷田九段(同7位)
2勝5敗:木村九段(同5位)、藤井九段(同8位)

順位が8位の藤井九段はあと残り2戦のうち1敗すると、自分より下位の渡辺竜王、久保二冠がすでに4勝以上あげていること、3勝4敗者がいずれも自分より上位のため、9位か10位となることが確定してしまい降級が決まる。8回戦丸山九段戦、9回戦高橋九段戦はどちらも負けられない。
一方、木村八段より順位が上位で3勝4敗の三浦八段、高橋九段、丸山九段はあと1勝して4勝となれば木村、藤井が残り2戦全勝で4勝5敗となっても順位で上回るため、残留が確定する。

8回戦、9回戦では、現在の2勝5敗者と3勝4敗者の対戦が多く残されていて、その結果が、降級・残留に大きく影響する。
8回戦:三浦八段(3勝4敗)vs高橋九段(3勝4敗)、丸山九段(3勝4敗)vs藤井九段(2勝5敗)
9回戦:三浦八段(3勝4敗)vs木村八段(2勝5敗)、高橋九段(3勝4敗)vs藤井九段(2勝5敗)
毎年のことではあるが、やはり勝負の世界は厳しい。

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2011年1月11日 (火)

第5回IFRS検定の結果は「60- Fail」だった

今日、昨年(2010年)の12月6日に受検した国際会計基準検定(IFRS Certificate)の結果通知が、主催者である ICAEW(イングランド・ウェールズ勅許会計士協会から電子メールで送られてきた。)書かれていたのは「60 - Fail 」。
試験は60問を2時間で回答するもので、70%の正答率で合格なので、60の意味は60%の正答率ということだろう。
日本のIFRS検定のサイトでは、日本での受検結果が発表されていて、

【受験人数】 232名【合格者数 】 102人 【合格率】 44.0%
【最高得点】 92点 【合格者平均点】77.2

とのこと。残念ながら、あと10%分、問題数にして6問分正解が足りなかった。直前になって仕事が忙しくなり、結局、試験範囲を一通りなぞっただけで、個々の基準の内容を十分に理解して試験に臨んだとはとても言えない状況だったので、むしろ60%は出来すぎの結果かも知れない。

だいたい、どの程度のレベルの問題が出るかはわかったので、どの程度の勉強をすれば良いかも分かった。次回の第6回(2011年3月21日)の試験も受検して、次こそは合格しようと思う。

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2011年1月10日 (月)

第36期棋王戦挑戦者決定二番勝負は、敗者復活組の渡辺明竜王が広瀬章人王位との20代対決に2連勝し、久保利明棋王への挑戦を決める

2010年年末、2011年年始にかけて久保利明棋王への挑戦権を争う二番勝負が行われた。棋王戦の挑戦者決定は、トーナメントで行われ、ベスト4以上は2敗失格制となる。
本戦の準決勝で敗れた棋士どうしが敗者復活戦の準決勝を戦い、その勝者が本戦決勝の敗者と戦って敗者復活戦の勝ち抜き者を決める。本戦の勝ち抜き者と敗者復活戦の勝ち抜き者で二番勝負を戦う。
本戦勝ち抜き者は(無敗なので)2戦のうち1勝すれば挑戦権獲得となり、敗者復活戦勝ち抜き者は(すでに1敗しているので)、2連勝が挑戦の条件となる。

今回の本戦ベスト4以上の戦いは、本戦準決勝が、窪田義行六段(勝)vs糸谷哲郎五段(負)、広瀬章人王位(勝)vs渡辺明竜王(負)、本戦決勝が広瀬王位(勝)vs窪田六段(勝)となり、広瀬王位が本戦を無敗で勝ち抜いた。
一方、敗者復活戦準決勝が渡辺竜王(勝)vs糸谷五段(負)、決勝が渡辺竜王(勝)vs窪田六段(負)となり、渡辺竜王が勝ち上がった。

挑戦者決定二番勝負は第1局が2010年12月27日に行われた。振り駒で先手は広瀬王位。四間飛車から穴熊に構える。一方、後手となった渡辺竜王は△8四歩と居飛車を宣言し、こちらも穴熊に囲い、「フリ穴」(振り飛車穴熊)と「イビ穴」(居飛車穴熊)の対決となった。先手広瀬の四間尾車穴熊に後手が居飛車穴熊で対抗する形は、王位戦の挑戦者決定戦の羽生vs広瀬戦、第51期王位戦七番勝負第1局の深浦vs広瀬戦でも戦われ、いずれも広瀬側が勝っている。広瀬王位にとっては、ここ一番で採用する得意戦法といえるだろう。
双方穴熊で守りが固いので、お互いに攻めのスピードの競争になる。飛車、角の大駒も含めた攻め駒で、玉を守る金、銀を剥がし、どちらが先に玉を穴熊からあぶり出し、トドメをさせるかという一手争いのきわどい勝負になりやすい。
広瀬王位は、羽生戦、深浦戦のように渡辺玉のあぶり出しを狙うが、攻め駒足りない。
渡辺竜王から角交換を行って手薄となった8筋に飛車が走り、△8八飛成と竜を作って、竜の横効きで穴熊の中の広瀬玉を狙う。さらに角が馬となって、竜・馬の二枚に加え、桂馬で急所を押さえる。
自玉は受けなしとなり、渡辺玉を詰ますには駒が足りないとなり、広瀬王位の投了となり、挑戦権の帰趨は年明けの第2局に持ち越しとなった。

第2局は2011年1月6日。将棋連盟としては、新年最初のビッグイベントである。第2局の勝者が挑戦者となる。今回も振り駒で、広瀬王位の先手。第1局を四間飛車穴熊で落とした広瀬王位の今回の戦法は中飛車。守りは穴熊にせず、高美濃。一方の渡辺竜王は再び居飛車穴熊。穴熊が固く、広瀬王位の攻撃が一歩及ばない。渡辺竜王は、あっという間に、駒を集結させて美濃囲いを崩し、広瀬王位の投了となった。

渡辺竜王にとって挑戦権獲得のためには2連勝しかないという状況の中で、自分より年齢が下のタイトルホルダーである広瀬王位に2連勝して、棋王挑戦権を手中にした。広瀬を降し、「羽生世代」を追いかける20代の若手世代の中で、自らが盟主であることを示してみせた形となった。

2年前、羽生世代・最強世代の佐藤康光棋王から初タイトルを奪取し、昨年、同じ佐藤康光九段を挑戦者に迎え、防衛を果たした「(羽生世代の)ちょっと下の世代」の久保利明二冠(棋王・王将)は、今回、「棋王」位については、自分より年下の「渡辺竜王を中心とした世代」の盟主、渡辺明竜王と挑戦者に迎えることになった。
一方、昨年、羽生善治王将から奪取した「王将」位については、渡辺竜王よりさらに下の世代のトップランナー豊島将之六段を挑戦者に迎えた。

久保は何回も羽生世代、特に羽生の厚い壁に跳ね返されながら、6回目のタイトル挑戦でようやく栄冠を手にした。そして、昨年は棋王位防衛と王将位奪取を果たし、「二冠」となった。同時に複数タイトルを保持した棋士は数えるほどであり、久保自身も将棋界の歴史に名を残したと言えるだろう。

しかし、ようやくつかんだ栄冠を、下の世代が容赦なく奪いに来た今期、タイトルを守り続けることができるのか、それとも深浦康市九段(前王位)のように、むざむざその地位を明け渡すことになるのか、また王将戦、棋王戦の2つのタイトル防衛戦を戦う一方、間バックしたA級では現在3勝3敗で、名人挑戦者の可能性も残す一方で、今後の成績次第でB級1組への再陥落もあり得る位置にいる。A級での今後の3戦も負けられない戦いである。久保利明二冠(棋王・王将)の真価が問われる3ヵ月が始まる。

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2011年1月 4日 (火)

2011年の年初に、2010年を振り返る

少し遅くなったが、2010年を振り返ってみようと思う。波乱のうちの幕をあけた1年だったが、春以降は、特に事件もなく終った1年だったように思う。

波乱は、田舎で一人暮らしをする私の母である。2008年の暮れから、この母に振り回されてきた。2008年12月の暮れに、足が痛くで動けな妻のところに電話があり、とりあえず、妻がすぐ帰省。私も追っかけで帰省し、結局、とても一人で暮らせる状況ではなかったので、東京の私の家まで連れて来て、約4ヵ月半の同居生活。典型的な高血圧だった。2009年のGW明けに本人も希望したので帰省。ヘルパーや弁当の配達を手配し、何とか一人でも暮らせる体制を整えた。ほっと、一息と思ったのもつかの間。
2009年の暮れには、その一人暮らしの母が、救急車で病院に運ばれたと連絡があった。あとで話を聞くと、一瞬、気分が悪くなったので、救急車を自分で呼んだということらしかった。幸い、大事には至らず、検査入院を兼ねて年末年始を病院で過ごし、退院。しかし、放っておくわけにもいかず、成人の日を挟んだ連休で帰省。
母が散らかした部屋の掃除をして、近くの病院やご近所に挨拶をして戻ってきた。

実は、2010年は次女の大学受験と長男の高校受験の年。もうすぐ、入学試験という年末年始に母の入院だった。幸い、次女は第二志望の補欠合格、長男は第一志望の都立に合格と結果オーライだったが、受験間近のトラブルに気をもまずにはいられなかった。

2人の子の受験が終ったあとは、それまでのドタバタが嘘のように、落ち着いた日常生活に戻った。

夏には、私の父の23回忌があり、家族全員で帰省。私の母は、今や全く掃除をしたり、片付けることが出来ず、年始の帰省の際に、掃除をしたにもかかわらず、家の中で再び掃除が必要な状態に。いつもは、私と妻だけで掃除をするが、この時は3人の子どもも動員して大掃除。

秋になって、私は天命を知るはずの50歳を迎えた。半年に1回、同窓会で顔を合わせる高校の同級生たちの多くが、50歳の節目を区切りとするように、新しいチャレンジに踏み出していったが、私自身は、まだ、自分の次のステージを見つけることはないまま、終えた2010年だった。

あえて言えば、現在の仕事の中での新たな課題として、「国際会計基準(IFRS)」が本格的に登場したので、それについて勉強を始めた事ぐらいだ。

嵐の後の、奇妙な静けさで終えた1年だった。

昨日(2011年1月3日)、家の近くの小さな神社に初詣に行き、おみくじを引いたが、なんと「末吉」だった。しかし、書いてあることは、必ずしも悪くはなくて「この人は雪にかがみし竹が春、雪とけてものごと立ち直るがごとく、一時はいろいろの苦労ありたれど、春にもなれば運が開いて立身すべし」とある。

いい春が迎えられるよう、1月、2月は目の前の課題をひとつひとつ解決していいくことに専念することにしよう。

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2011年1月 3日 (月)

2011年の初夢はラグビーでトライする夢だった

2011年を迎えて1月2日の夜から3日の明け方にかけて、初夢を見た。おぼろげに覚えているのはラグビーをしていたことだ。
密集から抜け出して、相手ゴールにボールを持ち込み、倒れ込んでトライ。審判がすぐにはトライを認定してくれず、再度ダウンボールをしてアピールし、トライが認められた。
そんな夢だった。トライが認められたところで、目が覚めた。

なぜ、ラグビーの夢なのか。1月2日は全国大学ラグビーの準決勝があるが、昨日はそのTV中継を見たわけではない。最近見たのは、昨年末の関東大学ラグビーで慶応が早稲田に10年ぶり勝った試合だけだ。
高校、大学とラグビー部に籍を置いたこともない。中学から大学まで陸上部に在籍し、短距離とハードルが専門だった。自分にとって唯一のラグビー経験が高校での体育の授業と球技大会(クラスマッチ)である。私のいた高校は比較的ラグビーが盛んで、一度だけだが、花園での全国高校ラグビーに出場したこともある。
それもあってか、高校2年の下期の体育の授業で、ラグビーを教えられた。その、結果を試すのが、秋に行われる球技大会。クラス対抗なので「クラスマッチ」と呼ばれていた。2年の秋の大会の男子の種目はラグビーだった。男子クラスだった我がクラスからは2チーム出場。私は陸上部で短距離を走っていたこともあり、走力を期待され、左ウィングのポジションを与えられた。私のクラスには、その時のラグビー部のキャプテンがいて、私のチームは彼が中心だった。

しかし、いくらラグビー部のキャプテンがいるとはいえ、他のメンバーはほとんど素人。正直なところ、攻撃の際に、きれいにラインができて、スタンドオフ、センター、ウィングへのボールが回ることなど、まれである。だから、試合中、私のところまで、ボールが回ってくることはほとんどなかった。

ところが、球技大会の1回戦でそのまれなことが起きた。相手ゴール前で、右サイドでスクラムが組まれ、左サイドに展開したラインにボールが回った。私の手前の左センターの選手がボールをノッコン(前に落とす)したように見えた。しかし、審判からは見えなかったのか、笛はならず、落としたボールがうまくバウンドして懐に入ったセンターから私にパスが回ってきた。パスを受けた時は、既に、ラインの末端で走ってきていて加速もついており、ゴールラインは目前だった。
タックルを仕掛ける敵を華麗なステップでかわしながら走るのは得意ではないが、ゴールに向けて真っ直ぐ走るのは陸上部の得意とするところ。無我夢中で、ゴールラインを目指し、ボールを抱えて倒れ込んだ。「トライ」の笛がなった。放心状態の私は、次のゴールキックのため、トライしたボールを持って帰ってくることなどすっかり忘れ、「おい、ボール」とキャプテンに言われて我に返った。
1回戦は、このトライだけが得点で4対0で勝利。そこから、あれよあれよと勝ち進み、決勝まで勝ち残った。決勝は引き分けで、両チーム優勝となった。

その後の試合で、私のところに再びトライできるようなボールが回ってくることはなかったが、素人の球技大会での疑惑?のトライとはいえ、人生最初の(そしておそらく最後の)トライの何とも言い難い感触は忘れることはない。

ラグビーで「トライ」をすること、それはまさにひとつの目標を達成することである。「トライ」が成功するためには、トライを決めた選手だけでなく、そこまでボールを繋いだ多くの選手の的確な状況判断とパスがあってのものである。
50歳で迎えた、2011年の新年に「トライ」をする初夢を見たというのは、40代の「中年クライシス」の中で、もがき苦しみながら続けてきたことに、多くの人のサポートもあって、ひとつの結果が出るといことだろうか?
「初夢」が「正夢」になるように、結果を出す1年にしたいものだ。

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2011年1月 1日 (土)

2011年も新年の富士が見えた、新年あけましておめでとうございます

なんとなく風邪がぬけきれないまま、あっという間に2010年の12月の下旬が過ぎ去り、2011年を迎えた。
昨日、2010年の大晦日は、いったい2010年の1年間このブログでどんな記事を書いたか、読み返していたが、1年前の元日の記事は、朝の我が家の2階から撮った富士山の写真と年賀状だった。

2010年1月1日の記事:「2010年、新年の富士山、あけましておめでとうございます」

今朝、目が覚めて、今年はどうだろうと2階のベランダに出てみると、朝のひんやりとした空気の中、西の方に、小さく雪をかぶった富士山の姿がくっきりと見えた。急いで、1階に戻りカメラバックを持ってくる。今年は、一眼レフデジカメ(ペンタックスK-x)である。標準レンズを望遠レンズに取り替えて、富士山に向けた。
富士山の手前には、電線や、テレビのアンテナなどもあり、それらにピントがあってしまい、遠方の富士にピントを合わせるのが難しい。数枚、撮影したうち、富士山にピントがあったと思われるものは2枚だった。

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今回は50歳で迎える新年。この富士の姿のように、これからの50代の十年の土台となるようなどっしりと地に足の着いた年にしたいものだ。

あけましておめでとうございます。

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