「名菓ひよ子」は東京のお菓子か?福岡のお菓子か?
昨日は、午後から用があって銀座のある百貨店に行った。地下の和洋の菓子売り場を歩いていると、全国各地のみやげ物として有名な名菓を地域別に並べてあるコーナーがあった。
なかなか、面白いなと北から順に眺めていると、関東のところで足が止まった。子どもの頃から、福岡の菓子として慣れ親しんでいる「ひよ子」が東京のお菓子として並べられていたからである。外箱にも「東京ひよ子」と書いてある。
私は、大学生だった頃、年末年始には、太宰府天満宮の参道のみやげ物店で、「ひよ子」を売るアルバイトをしたことがあり、東京みやげと書かれるとやはり抵抗がある。
もう今から、30年近く前になるが、社会人になったばかりの頃。「ひよ子」にまつわる笑い話を聞いたことがある。私は、地元福岡の支店が初任地だったが、私が赴任する半年ほど前のこと、東京から転勤してきた先輩が、みやげとして東京から「ひよ子」を買ってきら、よろこばれるかと思いきや、「これはもともとは福岡のお菓子だよ」と爆笑だっという話である。
東京でも、いかにも東京みやげとして「ひよ子」は売られているので、知らなかった先輩にとっては、災難というしかない。
一方、最近、福岡出身の人と話していた時のこと、「ひよ子」の話になって、「最近、東京の人の中には、ひよ子は東京のお菓子と思いこんでいる人がいて、そういう人にこれは福岡のお菓子だと言っても、相手も東京のお菓子だと譲らず、あまり言い張ると喧嘩になるので、それ以上言わない」ということを聞いたこともある。
確かに、百貨店においてあった品物を見ても、会社の住所は東京。私も、相手に言い張られたら、相手の気分を害してまで、主張するほどのことでもないかもしれないと、その時は思ったものだ。
ならばと、インターネットで「名菓ひよ子」と入力して検索してみた。会社のホームページを調べてみた。(以下は、ホームページ中の「ひよ子本舗吉野堂物語」を参考にまとめた)
「ひよ子」を製造・販売してる会社は、もともと「吉野堂」という商号で、福岡県の中でもかつての炭坑地域筑豊の中心地である飯塚が発祥の地である。
その飯塚の菓子屋の二代目が現在の「ひよ子」を考案。炭坑の街で人気のお菓子となった。しかし、国のエネルギー政策が石炭から石油へと転換される中、三代目は福岡県の県都である福岡市への進出を決断し、昭和32年(1957年)2月に、福岡の中心地天神の商店街である新天町横に店を構え、製造・販売を手掛けた。
三代目の凄いところは、福岡進出で「九州の名菓」として認知されたことで満足することなく、東京オリンピック開催や東海道新幹線開業で成長著しい首都東京への進出を決め、昭和39年(1964年)5月には、埼玉県草加市に工場を建設。昭和41年(1966年)には東京駅の八重洲地下街に直営の販売店をオープンしている。東京地区の子会社も設立、以後、何回か再編は行っているものの、現在でも福岡(株式会社ひよ子)と東京(株式会社東京ひよ子)での二拠点体制で、全国を視野に入れて製造・販売を行っている。(ホームページ中の「ひよ子」の商品説明には、ハングルと英文での説明も書かれている)
今から40年以上前から東京に進出し、東京では、九州や福岡という地域名は出さず「名菓ひよ子」として販売されているので、世間の人々が「東京みやげ」と思うのもやむを得ないし、会社側の東京進出の狙いも、九州・福岡のローカルなお菓子として売ることではなく、全国を市場として見据えたマーケティング戦略の中で、製造・販売拠点を東京に持つということにあったに違いない。そうだとしたら、会社側の戦略は成功したと言えるだろう。
しかし、地元福岡で慣れ親しんだ自分としては、「ひよ子」がローカル色を失い、東京のお菓子として認知されていくことには、一抹の寂しさと抵抗感がある。
高度成長時代には、ローカル色を消し、無国籍化して東京進出することでより大きな成長を勝ち得たことは間違いないが、これからの人口減少・低成長時代の生き残り策として、ひよ子の経営者たちがどのような選択をするのか、興味のあるところである。
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