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2011年8月の記事

2011年8月15日 (月)

「名菓ひよ子」は東京のお菓子か?福岡のお菓子か?

昨日は、午後から用があって銀座のある百貨店に行った。地下の和洋の菓子売り場を歩いていると、全国各地のみやげ物として有名な名菓を地域別に並べてあるコーナーがあった。
なかなか、面白いなと北から順に眺めていると、関東のところで足が止まった。子どもの頃から、福岡の菓子として慣れ親しんでいる「ひよ子」が東京のお菓子として並べられていたからである。外箱にも「東京ひよ子」と書いてある。

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私は、大学生だった頃、年末年始には、太宰府天満宮の参道のみやげ物店で、「ひよ子」を売るアルバイトをしたことがあり、東京みやげと書かれるとやはり抵抗がある。

もう今から、30年近く前になるが、社会人になったばかりの頃。「ひよ子」にまつわる笑い話を聞いたことがある。私は、地元福岡の支店が初任地だったが、私が赴任する半年ほど前のこと、東京から転勤してきた先輩が、みやげとして東京から「ひよ子」を買ってきら、よろこばれるかと思いきや、「これはもともとは福岡のお菓子だよ」と爆笑だっという話である。
東京でも、いかにも東京みやげとして「ひよ子」は売られているので、知らなかった先輩にとっては、災難というしかない。

一方、最近、福岡出身の人と話していた時のこと、「ひよ子」の話になって、「最近、東京の人の中には、ひよ子は東京のお菓子と思いこんでいる人がいて、そういう人にこれは福岡のお菓子だと言っても、相手も東京のお菓子だと譲らず、あまり言い張ると喧嘩になるので、それ以上言わない」ということを聞いたこともある。
確かに、百貨店においてあった品物を見ても、会社の住所は東京。私も、相手に言い張られたら、相手の気分を害してまで、主張するほどのことでもないかもしれないと、その時は思ったものだ。

ならばと、インターネットで「名菓ひよ子」と入力して検索してみた。会社のホームページを調べてみた。(以下は、ホームページ中の「ひよ子本舗吉野堂物語」を参考にまとめた)

「ひよ子」を製造・販売してる会社は、もともと「吉野堂」という商号で、福岡県の中でもかつての炭坑地域筑豊の中心地である飯塚が発祥の地である。
その飯塚の菓子屋の二代目が現在の「ひよ子」を考案。炭坑の街で人気のお菓子となった。しかし、国のエネルギー政策が石炭から石油へと転換される中、三代目は福岡県の県都である福岡市への進出を決断し、昭和32年(1957年)2月に、福岡の中心地天神の商店街である新天町横に店を構え、製造・販売を手掛けた。
三代目の凄いところは、福岡進出で「九州の名菓」として認知されたことで満足することなく、東京オリンピック開催や東海道新幹線開業で成長著しい首都東京への進出を決め、昭和39年(1964年)5月には、埼玉県草加市に工場を建設。昭和41年(1966年)には東京駅の八重洲地下街に直営の販売店をオープンしている。東京地区の子会社も設立、以後、何回か再編は行っているものの、現在でも福岡(株式会社ひよ子)と東京(株式会社東京ひよ子)での二拠点体制で、全国を視野に入れて製造・販売を行っている。(ホームページ中の「ひよ子」の商品説明には、ハングルと英文での説明も書かれている)

今から40年以上前から東京に進出し、東京では、九州や福岡という地域名は出さず「名菓ひよ子」として販売されているので、世間の人々が「東京みやげ」と思うのもやむを得ないし、会社側の東京進出の狙いも、九州・福岡のローカルなお菓子として売ることではなく、全国を市場として見据えたマーケティング戦略の中で、製造・販売拠点を東京に持つということにあったに違いない。そうだとしたら、会社側の戦略は成功したと言えるだろう。
しかし、地元福岡で慣れ親しんだ自分としては、「ひよ子」がローカル色を失い、東京のお菓子として認知されていくことには、一抹の寂しさと抵抗感がある。

高度成長時代には、ローカル色を消し、無国籍化して東京進出することでより大きな成長を勝ち得たことは間違いないが、これからの人口減少・低成長時代の生き残り策として、ひよ子の経営者たちがどのような選択をするのか、興味のあるところである。

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2011年8月13日 (土)

第61期王将戦二次予選1回戦で郷田真隆九段が野月浩貴七段を破り2回戦進出

先日(8月8日)のA級順位戦2回戦で高橋道雄九段を破ってようやく今年度の通算成績を6勝6敗の5割に戻した郷田真隆九段の次の公式戦は王将戦の二次予選。
王将戦は7人で挑戦者リーグを戦い、優勝者が挑戦権を得る。毎年、挑戦者リーグは上位4名が残留、下位3名が陥落する。翌年度その挑戦者リーグ入り3名の枠を賭けて、二次予選が戦われる。
二次予選は、挑戦者リーグに残留した4名を除く棋士の中から、前期リーグ陥落者3名、タイトルホルダー、A級棋士がシードされ、一次予選を勝ち抜いてきた棋士とあわせ、18名が3組に分かれてトーナメントを戦いリーグ入りを目指す。

今期は、前期リーグ残留者が豊島将之五段(前期挑戦者)、羽生善治二冠(棋聖・王座)、佐藤康光九段、渡辺明竜王の4名。
前期リーグ陥落者が三浦弘行八段、深浦康市九段、森内俊之名人の3名、そこに広瀬章人王位、A級(第69期)から高橋道雄九段、丸山忠久九段、木村一基八段、谷川浩司九段、郷田真隆九段、藤井猛九段の二次予選シード棋士7名が加わる。
さらに、一次予選を勝ち抜いた、豊川孝弘七段、野月浩貴七段、島朗九段、橋本崇載七段、阿久津主税七段、大石直嗣四段、稲葉陽五段、阿部隆八段の8名で18名である。

郷田九段は8月12日(金)に二次予選1組で、1回戦で一次予選勝ち抜き組の野月七段と対戦した。 将棋連盟ホームページの「最近1週間の結果」によれば、先手番の郷田九段の勝利。リーグ入りに向けて、第一関門突破である。
2回戦の相手は同期のライバル丸山九段。丸山九段に勝つと、リーグ入りを賭けて、森内名人と稲葉五段の勝者と戦うことになる。
第58期にリーグ入りして以降、この2年間は二次予選敗退が続いているので、今年は久しぶりに挑戦者リーグに復帰して、初の王将戦の挑戦権を手してほしいものだ。

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2011年8月 9日 (火)

第70期A級順位戦2回戦第2局、郷田真隆九段が難敵高橋道雄九段を破りともに1勝1敗に

森内俊之九段の二度目の名人復帰で幕を閉じた第69期名人戦七番勝負。敗者羽生善治二冠(棋聖・王座)は3年ぶりにA級に戻った。
羽生の3年ぶりのA級順位戦は7月30日の三浦弘行八段戦。昨年の名人戦と同じ顔合わせだったが、羽生二冠が勝って、1回戦5局が終了した。

1回戦を終えたところでの勝敗は
1勝:羽生二冠(1)、渡辺竜王(2)、高橋九段(3)、谷川九段(7)、屋敷九段(10)
1敗:郷田九段(4)、三浦八段(5)、丸山九段(6)、久保二冠(8)、佐藤九段(9)
となった。

その後、先週8月5日の2回戦第1局では渡辺明竜王が屋敷伸之九段に勝って2連勝と名人挑戦権レースのトップに躍り出た。
次いでの2回戦第2局は、白星スタートの高橋道雄九段(先手)と黒星スタートの郷田真隆九段(後手)の一戦。
第64期に二度目のA級復帰以降、第65期、第67期とA級を制して名人に挑戦した郷田だが、第68期に高橋が三度目のA級復帰を果たして以降、第68期、第69期と高橋に敗れている。三度目の名人挑戦のためには、なんとしても倒しておきたい相手だ。

今回の将棋の内容は、横歩取り模様に進んだが、後手番横歩取り△8五歩戦法を得意とする高橋九段が、自分が横歩を取ることで、郷田九段に△8五歩戦法を指されることを嫌ってか、▲3四飛と横歩を取るのではなく▲2八飛と引き、代わって後手の郷田九段が△7六飛と横歩を取るという、通常の横歩取りの先手・後手が入れ替わったような戦型となった。

ネット中継「名人戦棋譜速報」の解説では、▲2八飛と引く展開は、過去61局指されているが、10年ぶりの実戦での登場とのこと。
その後、郷田九段がこれまでのデータベースにはない手を指して、未体験ゾーンに入った。郷田九段は△7四飛から△8四飛と飛車を戻したが、▲7七に桂を跳ねていた高橋九段が▲8五歩と飛車の頭をたたき、△8二飛と郷田陣へ飛車を追い返した。
このあたりは、素人目には、郷田九段の飛車を押さえ込んだ高橋九段が少しいいようにも思えたが、郷田九段は焦ることなく、自陣から歩を伸ばし、全般的に駒を前に繰り出す郷田流の展開を着々と進めた。一方、高橋九段側は攻撃の先兵として繰り出した銀が十分働かない。
郷田九段は飛車が控える側の9筋の歩を伸ばし、端攻めを準備に着手。高橋九段が▲8五歩を打ったことによって空いたスペースとなった8六の地点に、横歩と取って一歩得となった歩を△8六歩と垂らし攻撃の準備を整えた。その後、間髪を置かず、端攻めを敢行。空いたスペースに角を打ち込み、高橋陣の守りの要の金を剥がし、さらに垂れ歩が「と金」となり、自陣に控えていた飛車が成り込んで「竜」となり勝負あり。その後、数手で高橋九段が投了した。ともに1勝1敗となった。

郷田九段は、これで今期の成績を12戦で6勝6敗とし、ようやく勝率5割復帰。次の対局は、今週末の8月12日王将戦の挑戦者リーグ入りを争う王将戦2次予選1回戦で、野月浩貴七段と戦う。

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2011年8月 8日 (月)

おくればせながら、なでしこジャパンのワールドカップ優勝の足跡をふりかえる

2011年の日本の10大ニュースを考えた時、まずトップに来るのが、東日本大震災とそれに続く東京電力福島第一原発の事故であることは間違いないと思うが、スポーツの分野では「なでしこジャパン(女子サッカー日本代表)のワールドカップ優勝」が必ず選ばれ、おそらくトップになるだろう。

しかし、日本では、そもそも今年女子サッカーのワールドカップが開かれることもどれだけの人が知っていたのかわからないし、彼女たちがいつ開催国ドイツに向けて出発しかたさえ知らなかったと思う。それほど、「なでしこ」への関心は薄かったし、期待もされていなかったように思う。

予選リーグが始まって2連勝し、決勝トーナメント進出が決まって、ようやくマスコミにも注目され出したように思うが、その矢先3戦目にイングランドに敗れ、予選B組2位となり決勝トーナメント初戦に優勝候補のドイツと戦うことになって、やはりここまでかと思った人も多かったに違いない。(少なくとも、私はそうだった)
いつも試合の中継が明け方だったこともあって、その後も結果は朝のニュースで聞くだけ。勝ったことのなかったドイツに途中出場の丸山の決勝ゴールで勝ってワールドカップ初のベスト4、メダルのかかる準決勝スウェーデン戦では初スタメンの川澄の2ゴールで快勝して銀メダル以上が確定と、あれよあれよというまに決勝という舞台に勝ち進んでいった。

難敵ドイツにとどめをさした丸山のゴールをゴールラインギリギリの浅い角度から蹴りこんでドイツゴールのサイドネットを揺らす技ありのシュートだった。
また、スウェーデンに戦意を喪失させたに違いない3点目、キーパーが前に飛び出したところを狙った川澄の弧を描くシュートがゴールに吸い込まれるシーンは、お見事というほかなかった。

結局、日本時間の7月18日(月)午前3時からの試合も、18日が海の日で休みということをすっかり忘れていて、月曜日の明け方だから仕事を考えると無理だなと、いつも通りに寝てしまった。18日の朝起きて気がついたが、既に遅い。おそるおそるTVをつけてみると、どうやら日本が勝ったらしい。
NHKのニュースで見ると、90分の本戦、30分の延長戦ともどちらも先制され、終了間際に追いついて、PK戦を制しての勝利だった。
ここでも、残り10分を切ったところでの宮間の同点ゴール、延長戦でも先制されこちらは残り3分で、宮間のCKをキャプテン澤が右足アウトサイドであわせた劇的な同点シュートで追いついた。
2度の復活ののち、PK戦では逆を突かれたかに見えたアメリカの1人目の選手のシュート、GK海掘は左に横っ飛びしている体の上を抜けて行きそうなボールにかろうじて右足を反応させ空中でボールをはじきとばした。

こうして思い出しながら書いていても、いずれも絵になるドラマチックなシーンばかりだった。

話は、先週の半ば8月4日(木)のこと。大阪に出張していた私は、一緒に出張した同僚と飲みに行って部屋に戻ると、テレビをつけたまま寝てしまった。たしかNHKのBS1でニュースを見ていたのではないかと思う。10時頃部屋に戻り、シャワーを浴びて着替えて、ニュースを見ているうちに寝入ってしまったのだ。
ふと気がつくと、時計は5日(金)の午前1時を指している。つけたままのTVからは、なでしこジャパン対ドイツ戦の再放送が始まるという。思わず、試合終了まで見てしまった。
ニュースでは、丸山の決勝ゴールばかりが放送されたが、改めて試合開始から終了までを通しで見ると、選手交代での監督の采配、直接得点はしていないものの、個々の選手の動きも見ることができた。
また、丸山がゴールを決めて1対0とリードしてから、10分以上ドイツの猛攻を凌いでの勝利だったことも分かった。

翌日、翌々日と準決勝、決勝が同じ時間帯に再放送されるということで、頑張って起きてその2試合も見た。
準決勝のスウェーデン戦で初スタメンで2点を取り、一気にシンデレラ・ガールとなった川澄がその後、途中交代していること。2点のリードを保って、最終盤を迎えた時、監督はこれまで出場機会のなかった2選手を出場させるなど、細かい気配りをしていることがうかがえた。
試合運び、試合内容を見る限り、対戦相手としてはドイツの方が日本にとっては厳しい相手で、スウェーデンはチーム力からするとドイツには及ばないようにも見えた。

決勝のアメリカ戦は、勝つという結果がわかった上で見ていたので、それほどでもなかったが、結果がわかっていても、「はらはら、ドキドキ」の展開で、当日リアルタイムで見ていたらさぞ心臓に悪かったに違いない。
日本が、延長での澤の奇跡的な同点ゴールで追いついた後に、何とか延長戦のうちのカタをつけてしまおうというアメリカの反撃に対し、ディフェンスの岩清水が止めようとしてレッドカードで退場。ペナルティエリアのわずかに外からのフリーキックをなんとか凌いで、PK戦に持ち込んだことを知った。

3戦をすべて見て、改めて分かったことは得点を上げスポットライトを浴びた選手以外の選手の動きも見逃せないということだ。左右の両サイドバック、近賀、鮫島の2人の前線へ切り込んでくる動きは男子サッカーの長友を思わせるし、澤と2人で中盤を守った坂口の冷静なパス回しは、何度も解説者が褒めていた。

今回の優勝は、何度も絶体絶命のピンチに見舞われながら、佐々木監督、キャプテン澤のもと、チーム「なでしこ」として乗り切り、つかんだ栄冠だと思う。

FIFAの2011年女子ワールドカップの全試合ハイライト
http://www.fifa.com/womensworldcup/highlights/video/index.html

Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2011年 8/18号 [雑誌]
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